文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログ。
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毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)/河出書房新社

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L・ザッヘル=マゾッホ(種村季弘訳)『毛皮を着たヴィーナス』(河出文庫)を読みました。

最近では、「ドS」や「ドM」などと、やや大袈裟でコミカルな言い回しも使われるようになり、SかMかは性的嗜好にとどまらず、もう少し広い意味で、その人の性質を表すようになりましたね。

サディズム(S)とマゾヒズム(M)という用語は、どちらも、そういう性的嗜好の作品を書いた小説家の名前に由来しています。

具体的に何によってそれが広まったかまではさすがにぼくも知りませんでしたが、種村季弘による訳者あとがきによると、ドイツ出身の精神科医クラフト=エビングが著書の中で名付けたものだそうです。

最初は異常な性的嗜好の代表として、しかも対立する性的嗜好として、サディズムとマゾヒズムは取り上げられていたようです。

しかし、時代が経るに従って、必ずしも対立する傾向ではないと言われるようになり、最近では性的嗜好のみならず、広く一般的な、人間の性質の傾向を表す言葉として使われることも多くなっています。

さて、そんなSMの原点に迫る、5夜連続のサドマゾ特集。第1夜の今回は、マゾヒズムという言葉のきっかけになったL・ザッヘル=マゾッホの代表作、『毛皮を着たヴィーナス』を紹介します。

この小説は、自分の理想の貴婦人ワンダを見つけた主人公が、奴隷として仕えるようになり、罵られ、乱暴に扱われ、ムチで叩かれることに喜びを感じるという物語。まさにマゾヒズムの極地です。

「そうですとも――あなたが私のなかに」と私は叫んだ、「長い間眠っていたあの大好きな空想を、めざめさせてしまったのです」
「これがそうなの?」と彼女は私の頭に手を置いた。
 この小さな温い手の下、なかば閉じた眼蓋からやさしく窺うように私の上に降り注いでくる眼差しの下で、私はふいに甘い恍惚感に襲われた。
「女の、それも美しい女の奴隷になること、私が好きなのは、私が恋いこがれているのはそのことなのです!」
「その代りいじめられるのね!」ワンダが嘲るように私の言葉を遮った。
「そうです、女が私を縛り、鞭で打ち、足で踏みつける、それでいてその女は私以外の男のものなのです」

(70ページ、本文では「女の、それも美しい女の奴隷になること、私が好きなのは、私が恋いこがれているのはそのことなのです!」に傍点)


ただ、エロさを期待していた方には残念なお知らせであり、あまりどぎついのは苦手だなあという方にはいいお知らせですが、驚くほどエロくないです。え、いやぼくはがっかりしてませんよ、ええ・・・。

ムチで叩かれる様子は克明に描かれますが、露骨な性交の場面は皆無で、性的な事柄というよりも、どちらかと言えば、男女の力関係の変化が描かれた作品と言えます。

ぼくが意外なほどあっさりした風味のこの作品に物足りなさを感じざるをえないのは、江戸川乱歩や谷崎潤一郎の作品を読んでいるからかも知れないなあと、そんなことをふと思ったりもしました。

人間心理の暗黒面をとらえた、どろどろした作風の持ち主江戸川乱歩は、名探偵明智小五郎の初登場作である「D坂の殺人事件」(『江戸川乱歩短篇集』に所収)の時点でもうSM的要素がかなりあります。

そして、マゾヒズム的な要素を持つ作家と言えば、何と言っても谷崎潤一郎でしょう。その独特の感性やフェティシズム(あるものに異様に執着すること)から描かれる物語のすごさは、他に類を見ません。

世界の文豪と比べてもひけを取らないものすごい作家だと思いますが、特におすすめなのが、『痴人の愛』という作品。ムチこそ出て来ませんが、こちらもマゾヒズムの極地が描かれた作品です。

痴人の愛 (新潮文庫)/新潮社

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主人公は、ナオミという少女を引き取って、理想の妻へ育てようとするのですが、ナオミには次第に奔放な性質が現れて来て、主人公は振り回されるようになっていきます。そして・・・。

男女の力関係の変化を描いているという点では、『毛皮を着たヴィーナス』とよく似た部分があるので、読み比べると面白いかも知れませんよ。

『毛皮を着たヴィーナス』はわりとあっさりしているので読みやすいですし、『痴人の愛』は倒錯したどろどろの世界ながら、いつの間にかその世界に引き込まれてしまう面白さがあります。ぜひぜひ。

作品のあらすじ


毛皮を着た美しい女神の夢を見た〈私〉は、偏屈者として有名ながら、かねてから親しく交際している地主貴族ゼヴェリーンの元を訪れ、その話をしました。

するとゼヴェリーンは、どうやら〈私〉がその夢を見たきっかけになったらしき一枚の油絵を取り出し、”毛皮を着たヴィーナス”にまつわる思い出について語ります。

「女の君主になるか奴隷になるか、男には二つに一つの選択しかありません。相手の言いなりになったが最後、たちまち首かせを嵌められて滅茶苦茶に鞭を浴びせることになる」(19ページ)と。

そして、セヴェリーンから「ある超官能者の告白」と書かれた手記を手渡された〈私〉は、その手記を読み始めて・・・。

カルパチア山脈でディレッタント(文化や芸術などを愛する風流人)として過ごしていた〈私〉こと若き日のセヴェリーンは、庭園にある石で出来たヴィーナス像に心引かれていました。

しかし、ある月の輝く夜のこと。その庭園で、思いを寄せる石像が動き出したかと思うほど、理想通りの美しい婦人と出会ったのです。

やがてその婦人は、ワンダ・フォン・ドゥナーエフという若き未亡人であることが分かりました。

ワンダと次第に親しくなっていった〈私〉は自分の気持ちをワンダに伝えますが、ワンダの反応はあまりいいものではありませんでした。

ワンダは、男というものは、恋に落ちると扱いやすく滑稽になってしまうものだから物足りない、自分からひざまずきたくなるような相手とでなければ、結婚したくないというんですね。

そこで、ワンダは〈私〉にこんなことを言い出したのでした。

「私をわがものにするのに一年間の猶予を差し上げましょう。その間に、二人がお似合いで共同生活ができると私に納得させてくれるのね。あなたにそれができたらあなたの妻になります。ゼヴェリーン、それも妻たるものの義務を正確かつ良心的に遂行する妻に、ですわ。この一年の間、私たちはあたかも結婚しているかのように一緒に暮らすの――」(50ページ)


ワンダに自分の理想の女性像を見た〈私〉は、自分が性的に目覚めた時の話を打ち明けます。

それは、まだ〈私〉が14歳だった時のこと。両親が留守の間に、遠縁にあたる意地の悪いゾボール伯爵夫人が訪ねて来て、何を思ったか、〈私〉のことを何度もムチで叩いたんですね。

叩かれ、痛がり、泣き叫びながらも〈私〉は、「超官能の痴れ者」(61ページ)として目覚めてしまったのでした。

それからというもの、〈私〉は人知れず、毛皮を着た女専制君主にムチで叩かれたいというひそかな欲望を、胸の内に抱え込むことになったのでした。

〈私〉の願いを聞いたワンダは、戸惑いながら、そして〈私〉をいたわりながら主人役をつとめるようになります。毛皮を身にまとい、〈私〉を縛りつけ、ムチで叩くのです。

 鞭は背中に、腕に、雨霰のようにしたたかに降った。どの一打ちも肉に食い入り、そこに燃えるような痛みを残した。だがその苦痛が私を恍惚とさせるのだった。なぜなら苦痛は私が恋いこがれ、その人のためならいつ何時なりと生命を投げ出す覚悟のある彼女の手からやってくるからなのだった。
 するとそのとき彼女は鞭を止めた。「何だか病みつきになりそうだ」と彼女は言った。(81ページ)


やがて、〈私〉とワンダはイタリアのフィレンツェに移り住むことになりました。すると次第にワンダは、本格的に〈私〉を奴隷として扱うようになっていったのです。

〈私〉をグレゴールと名付け、自分とは違う、暖房のない従者の部屋に泊まらせたワンダ。挙句の果てには、気になった男性のことを〈私〉に調べさせたりするようにもなりました。

そしてついに〈私〉はワンダと、奴隷と主人という契約書を交わすこととなってしまったのです。

さらに〈私〉は、「数年来人生とその幻滅に飽みはてて、私はわが価値なき生に自由意志により終止符を打った」(139ページ)という遺書めいた文章も書かされてしまいました。

ワンダの邸宅で、庭師の下働きとして働くようになった〈私〉は、主人であるワンダから声がかかるのを待ち、ひたすら働き続けますが、やがて思いがけないことが起こって・・・。

はたして、〈私〉はワンダの心をつかみ、結婚することが出来るのか? 2人の奇妙な愛の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。この作品で興味深いのは、単に〈私〉がワンダのことを好きになった物語ではないこと。

まずはじめに隠された欲望があり、美しい容姿の理想像としての石像を見て、その後でその欲望と理想像をワンダに重ねているという流れなわけですね。

つまり、ワンダにサディスト(加虐的な性向の持ち主)の傾向があったというよりは、〈私〉のマゾヒストとしての欲望が鏡のようにワンダに投影されたという感じなのです。

〈私〉の秘められた欲望をぶつけられ、主人”役”として初めはおずおずとムチを振るっていたワンダの性質は、どのように変わっていったのでしょうか。ぜひ注目してみてください。

ほとんどまったくエロくはなく、200ページちょっとの短い作品なので、ムチさえ気にならなければ、誰でも気軽に読むことができます。

マゾヒズムの由来に興味のある方は、この機会に読んでみてはいかがでしょうか。あまり読んでいる人はいないと思うので、ちょっと自慢出来るかも知れませんよ。

サドマゾ特集第2夜の明日もL・ザッヘル=マゾッホ。短編集『残酷な女たち』を紹介する予定です。
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