不健康がステータスの世界で生きてきました。
(作品集より。)
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音楽マニアの始まり
中学校で吹奏楽部を選んだところから
わたしの人生が変わりました。
(運動が出来ないので、入れるのが吹奏楽ぐらいでした。)
楽譜もまともに読めなかったので、人一倍練習。
最後のコンクールでは、首席奏者が出来るまで成長。
約十年ぶりの県大会に出場しました。
この頃は後期バンドブーム。
当時大ファンだったアーティストの影響で、洋楽も聴くようになりました。
高校は県立の音楽コースへ。
専攻楽器はクラリネット。
「なんとなく音楽続けられたらいいな。」
程度だったので、音楽理論と聴音、視唱で玉砕。
理論を考えることが苦痛になり、音楽が嫌いになりました。
「程よく放置、程よく群れる、お互い助け合える」
そんなクラスメイトに恵まれていたのが幸いでした。
音楽が苦痛になってからは、与えられた課題と日々の練習をこなすだけの毎日。
特殊な高校だったため、音楽、美術、体育、外国語と専門コースがありました。
制服の個性的なアレンジ、スポーツでの優秀な成績、練習している音、など
まるで学校は人間博物館。
感性が磨かれた貴重な三年間は、今でもわたしの財産です。
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モノを通して感動を与える
音楽が嫌いになった頃、ハマり出したのは洋服作り。
美術コース主催のアートパフォーマンスでファッションショーデビュー。
「モノを通して、自分を表現する」
それで人が感動してくれることが、本当に楽しかったです。
衣装を作る人になりたくて、迷わず服飾専門学校のデザイン科を選びました。
夢中で過ごした二年間。
「3時間寝れたら良い方だよね」
「3日寝れてない」
「昨日から何も食べてない」
そんな不健康な生活が、努力の一貫と認められる日々でした。
(学校中のオーディションを勝ち抜いて出たコンテストの作品。
当時のFUDGE編集長さんに最高得点をいただきました)
(卒業制作)
「就職活動を成功させる」
無意識にそれだけを考えて、就職活動していました。
老舗のアパレルで、希望通りデザイナーでの採用。
なのに、
入社前研修の時点で、進む方向が違う事に気付いてしまいました。
「その気持ちでやる必要はないと思う、あなたの場合特に。」
信頼していた先生の後押しもあり、入社式の日の朝、辞める事を伝えました。
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音楽と洋服と厳しい現場
こうしてわたしは、フリーランスになりました。
単発でスタイリストアシスタントをしながら、ミュージシャン(インディーズ)の衣装を作る日々。
なぜか有名大学出身、在学のバンドばかり。
よりによってわたしは、勉強から逃げて来た人種。
しかも超絶人見知り。
…会話が成り立つわけがありません。汗
・沢山の音楽を知る事。
・沢山の本を読んで言葉を知る事。
・ミュージシャンを支える上で、最低限必要な行動を知っておく事。
・現場を盛り上げる為に、博識である事。
対等に話せるようになりたくて、毎日必死でした。
(撮影現場)
それからは
ブランドを立ち上げたり、担当していたプロジェクトが偶然流行ったり。
・都内有名クラブでのファッションショー
・朝の情報番組(民放キー局)
・民放ラジオ
などのメディアにも出演させていただきました。
「普通に生きていたら経験できないこと」
を、沢山経験することができました。
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人間活動無期限休止
絵に描いたような、きらびやかな世界。
ですが、これは本当に表面上のことです。
その輝きの大きさ以上の、苦悩・苦痛がつきものです。
アシスタント仲間が、ビール瓶で殴られて辞めた、なんて話を聞いたり。
(人間を人間と思ってないのが、当然の世界なのです)
何度も体調を崩し、入院もし、頭痛薬と胃薬がお友達。
いつしか、不健康なことが取り柄になっていました。
体調と人間関係の不運から、自分のキャパを遥かに超えていました。
寝ても覚めてもつまらない。
幸せを全く感じない日々。
「一度休んで、またやりたかったら頑張ればいいや」
と、全てをストップさせました。
この後、一気に色んな人と連絡が取れなくなりました。
「デザイナー、スタイリストとして、メディアに出たり有名人と仕事したりしている」
が無くなったわたしには、価値がないからだな。
と今では思っています。
人を信用したり、人と関わることも、ストップさせることにしました。
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念願の犬との生活
当時流行っていたプロジェクトでスタイリストをしていた頃。
我が家にはとってもやんちゃでひょうきんな、1頭の小娘ちゃんがやってきました。
(ばにら)
念願の犬との生活のはじまり。
ペットショップに言われた通り、ドッグフードのみの食生活。
初めてのドッグフードは、どう考えてもおいしそうに見えませんでした。
「こんなんで十何年も生きれるもの?」
・くさい。
・おいしくなさそう。
・洗うと黄色い油が浮く。
などの、沢山の疑問に包まれていました。
ショップからもらったフードが無くなる頃。
新しいフードを買いにいきました。
でも、何がいいのかわからない。
とりあえず、
インターネットで「良いドッグフード」をさがしてみました。
検索されたページには言い争いばかり。
「A社は○○という成分にこだわっているから、B社は与えない」
という意見に対して
「A社を与えるなんて考えられない。うちは絶対B社」
そこで知った「手作りごはん」の存在。
それも
「手作りあげるなんて虐待!」
という過激な意見まで。
当然、何も知らないわたしはプチパニック。
何がいいのかわからないから、色んな種類を与えてみたり。
手作りごはんで、不思議なものを作る毎日。
わんこの為ではなくて、自分を納得させるためにやっていました。
獣医さんに
「絶対病気にならないフードはどれですか?」
と、何度も迫ったこともありました。
そうして
本を買ったり、インターネットで調べたりして、独学で勉強を始めました。
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体調不良を知る
それから1年が過ぎ、営業上手な少年と出会いました。
(びすけ)
生後4ヶ月になっていたびすけ。
(通常、2~3ヶ月の間に新しいおうちにいきます。)
簡単に言ってしまえば
「撤退間近のペットショップの売れ残り」
ずば抜けて美形だったわけではないのですが(失礼。笑)
「この子は連れて帰らなきゃ。」
と思い、連れて帰ってきました。
びすけが家にきて数日後。
びすけに新しいおうちが決まらなかった理由がわかりました。
「寄生虫症」
ショップでは、
「もう治っています」と言われていました。
ですが、治っていませんでした。
薬がなくなっては、体調を崩す毎日。
生後半年ぐらいまで、
・ごはんはいつも残す。
・食べないことも。
・病院に行くにも、どこへ行くにも、出かけると吐く。
それだけではなく、腸炎、寄生虫症を繰り返していました。
びすけの体調が落ち着いたころ。
今度は、ばにらの体調が悪くなりました。
強靭な肉体だと思っていたので、強いショックを受けたのを覚えています。
(ばにら腸炎の時)
下痢、嘔吐、動けない、大好きな食事も無視。
※勉強させてもらうために、表情を撮らせてもらいました。
偉そうに勉強していたわたし。
出来た事といえば
「このまましんじゃったらどうしよう~~~」
と、号泣するぐらいでした。
赤ちゃんが体調を崩せば、お母さんはそれなりに手当をする。
風邪をひいたら、おかゆを作ってくれる。
わたしは一応飼い主(親)。
なのに、そんな当たり前のことすら、出来ませんでした。
本やネットで得た知識は、わたしにとって現実的ではなかったのです。
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後悔しない最期のために
「このままでは、絶対後悔する」
そう思い色んな資格を探しはじめました。
人間と同じように、ペットの食事も色んな流派がありました。
・手作りごはんに特化したセミナー
・少しマニアックな講座
・人間の食育指導士講座
獣医師や管理栄養士の指導による講座で、色んな角度から物事をみるようにしました。
それからの食生活。
珍しい食材を買って来ては、魔女のスープのような犬ごはんを与える毎日。
かなり神経質になっていたので、良いか悪いかを判断出来ませんでした。
まだ自分を納得させている状態。
作ってあげてる自分に酔っている状態でした。
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楽観主義、薬に頼らない体へ
ただ単にレシピを考えていてもつまらない。
これで食費と医療費がかかったら、意味がない。
と、飼い主のごはんと一緒に作っていく内容に変更していきました。
>一緒に作る犬ごはんシリーズ
人間の食事を作るついでに、犬のごはんも作れます。
野菜が常備されているから、自分でも食べる。
「犬の健康だけ考えて、わたしが不健康だったらどうしょうもない。」
と、ファストフードとカップラーメンを止めてみました。
添加物まみれだった頃。
毎日1シート近く飲んでいた頭痛薬。
毎回のように食後に飲んでいた胃薬。
「歩く薬局」が、食生活を改善して2~3ヶ月後。
月に1回、飲むか飲まないかまで軽減。
動けないぐらい辛かった生理痛も、一切なくなりました。
こうして辿り着いたのは「東洋医学」
全ては違うもの。
こんな当然のことを、一般論や平均値”だけ”で解決しようとするのはナンセンス。
それに気付き、わたしの考えのベースに「東洋医学」が入って来ました。
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わたしの理論
大切なことは、斬新なレシピでもオシャレなレシピでもありません。
(写真撮影上、奇麗にコーディネートすることはあります)
「自分ちの子をしっかり観察して、自分ちの子にあった食生活を送る事」
なんです。
わたしは、市販のフードを否定するつもりはありません。
飼い主さんのライフスタイルに合わせることも、大切だからです。
だけど、医食同源という言葉があるように。
体は食べたもので作られていることを知っておいていただければ幸いです。
・獣医さんは、治るキッカケをくれる人
・治療をするのは飼い主
・治していくのは、動物の体自身です。
一日でも長く、楽しい日々を過ごしたいはずです。
だから。
少しでもいいから、立ち止まって考えてみてほしいのです。
「ペットは食事を選べない」
「ペットは生き方を決められない」
事を、忘れないで欲しいと思っています。
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今後の活動
「私より先にしんだらいや」
という考えの方に出会った事があります。
もし、そういう考えの方がいらしゃったら。
その考えは捨てていただきたいのです。
ペットには、飼い主さんしかいません。
食事をくれるのも褒めてくれるのも飼い主さん。
あなたがいなくなったら、ペットは生きていく事ができません。
どうか、最期まで一緒にいてあげてください。
その時に、最小限の後悔で済むように
心と身体が喜ぶ食生活を送る、お手伝いをしたいと思っています。
今後は
■犬ごはんレッスン
■健康を作っていくレシピの提供
■コラムの執筆などの情報提供
などを通して
飼い主さんとペットが笑顔のになるキッカケを提供したいと思っています