2008年。フランス/スペイン。"CHE : PART TWO".
スティーヴン・ソダーバーグ監督。
エルネスト・チェ・ゲバラがキューバを去り、ボリビアで死を遂げるまでの物語。
第1部の『チェ 28歳の革命』が華やかなアクション映画だったように見えるほど、こちらは暗く沈んだトーンで物語が進んでゆく。
第1部と同じく、カメラはチェ・ゲバラの心の動きを描写することはないので、そのとき彼が何を考えていたのかは全くわからない。
銃殺刑に処せられる場面でも、「今度はしくじってしまった。」と思っていたのか、こうなることを予想していたのか、命ごいをしたい気持ちだったのか、すべてをあきらめていたのか、まるでわからなかったが、
少なくとも死に際しても、堂々としていたらしいことだけは判明した。
処刑前に見張りの兵士が同情して、いろいろな会話をしていくうちに、チェ・ゲバラの「私は宗教ではなく、人間を信じるよ。」という言葉に動揺して、チェ・ゲバラが好きになりそうな予感におびえたのか、あわてて見張りの交替を要求する場面など、地味だがさりげない描写が積み重ねられて、
エルネスト・チェ・ゲバラという人物の巨大さと底知れない魅力が感じ取れる映画にはなっていた。
ソダーバーグ監督の演出がうまくいっていたかどうかなどは、もはやどうでも良いことのようにさえ思われてきた。
エルネスト・チェ・ゲバラという人物がどういう人間だったのか、何を目指して行動していたのか、というもっとも興味のあることについて、はっきりと答えを出しているような映画ではなかったが、
ソダーバーグ程度の人物に答えが出せるはずがない、ということはソダーバーグ監督自身がよく自覚している、ということが明らかに演出に反映している映画になっているので、
こういう作り方で正解だったような気もした。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』から始まり、『チェ 28歳の革命』を見るまで、ほとんどチェ・ゲバラについての知識はゼロに等しかったが、今回は多少ながら、本屋で立ち読みで1時間ほど、何冊か勉強していったので、ボリビアでの行程については学んでいたが、その成果か、
単調な映画にもかかわらず、かなり胸に迫ってくるものがあった。
ひょっとしたらソダーバーグ監督の演出の意図にまんまと引っかかっただけかも知れない。
IMDb 公式サイト(日本)
今回のゲバラは第1作目と比較すると、薄汚く、疲れ切っていて、顔色もさえない。
進軍の過酷さがうかがわれたが、終着地点は死だということもあり、第1作目より、やや情緒的な演出がされていたような印象があった。
途中で、チョイ役ながらマット・デイモンが出てきたときは、意外な感じだった。
軍事独裁政権も極端なところまでいってしまうと、飢えとあきらめから民衆も協力する気力を持たず、ゲリラ部隊は孤立する。
「密告者は密告する」の言葉どうりに、卑劣な密告者の役割を果たすのは貧しい農民だったところに、革命の困難さがあらわれていた。
『ラン・ローラ・ラン』、『素粒子』、ジェイソン・ボーンシリーズのフランカ・ポテンテが、諜報部員でチェの片腕となるタニアを演じる。ボリビア軍の待ち伏せにあい銃撃されて戦死した。
CIAとアメリカ軍特殊部隊が軍事独裁政権の支援とチェ・ゲバラ暗殺のためにボリビアにやってくる。
『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』 のクラウス・バルビーが登場してくるのかと思ったら、それらしき人物はいなかったようだった。
ちょっとした会話のやりとりにチェ・ゲバラの人間を愛する心と、限りない優しさがあらわれて、素晴らしかった。
「もしわれわれが空想家のようだと言われるならば
救いがたい理想主義者だと言われるならば
できもしないことを考えていると言われるならば
何千回でも答えよう
そのとおりだ、と。」
この映画で完全にチェ・ゲバラに取りつかれたような気分なので、本日はさっそく本屋に行って、チェ・ゲバラの著作か、研究書のようなものを買ってこよう、と思った。
スティーヴン・ソダーバーグ監督。
エルネスト・チェ・ゲバラがキューバを去り、ボリビアで死を遂げるまでの物語。
第1部の『チェ 28歳の革命』が華やかなアクション映画だったように見えるほど、こちらは暗く沈んだトーンで物語が進んでゆく。
第1部と同じく、カメラはチェ・ゲバラの心の動きを描写することはないので、そのとき彼が何を考えていたのかは全くわからない。
銃殺刑に処せられる場面でも、「今度はしくじってしまった。」と思っていたのか、こうなることを予想していたのか、命ごいをしたい気持ちだったのか、すべてをあきらめていたのか、まるでわからなかったが、
少なくとも死に際しても、堂々としていたらしいことだけは判明した。
処刑前に見張りの兵士が同情して、いろいろな会話をしていくうちに、チェ・ゲバラの「私は宗教ではなく、人間を信じるよ。」という言葉に動揺して、チェ・ゲバラが好きになりそうな予感におびえたのか、あわてて見張りの交替を要求する場面など、地味だがさりげない描写が積み重ねられて、
エルネスト・チェ・ゲバラという人物の巨大さと底知れない魅力が感じ取れる映画にはなっていた。
ソダーバーグ監督の演出がうまくいっていたかどうかなどは、もはやどうでも良いことのようにさえ思われてきた。
エルネスト・チェ・ゲバラという人物がどういう人間だったのか、何を目指して行動していたのか、というもっとも興味のあることについて、はっきりと答えを出しているような映画ではなかったが、
ソダーバーグ程度の人物に答えが出せるはずがない、ということはソダーバーグ監督自身がよく自覚している、ということが明らかに演出に反映している映画になっているので、
こういう作り方で正解だったような気もした。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』から始まり、『チェ 28歳の革命』を見るまで、ほとんどチェ・ゲバラについての知識はゼロに等しかったが、今回は多少ながら、本屋で立ち読みで1時間ほど、何冊か勉強していったので、ボリビアでの行程については学んでいたが、その成果か、
単調な映画にもかかわらず、かなり胸に迫ってくるものがあった。
ひょっとしたらソダーバーグ監督の演出の意図にまんまと引っかかっただけかも知れない。
IMDb 公式サイト(日本)
今回のゲバラは第1作目と比較すると、薄汚く、疲れ切っていて、顔色もさえない。
進軍の過酷さがうかがわれたが、終着地点は死だということもあり、第1作目より、やや情緒的な演出がされていたような印象があった。
途中で、チョイ役ながらマット・デイモンが出てきたときは、意外な感じだった。
軍事独裁政権も極端なところまでいってしまうと、飢えとあきらめから民衆も協力する気力を持たず、ゲリラ部隊は孤立する。
「密告者は密告する」の言葉どうりに、卑劣な密告者の役割を果たすのは貧しい農民だったところに、革命の困難さがあらわれていた。
『ラン・ローラ・ラン』、『素粒子』、ジェイソン・ボーンシリーズのフランカ・ポテンテが、諜報部員でチェの片腕となるタニアを演じる。ボリビア軍の待ち伏せにあい銃撃されて戦死した。
CIAとアメリカ軍特殊部隊が軍事独裁政権の支援とチェ・ゲバラ暗殺のためにボリビアにやってくる。
『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』 のクラウス・バルビーが登場してくるのかと思ったら、それらしき人物はいなかったようだった。
ちょっとした会話のやりとりにチェ・ゲバラの人間を愛する心と、限りない優しさがあらわれて、素晴らしかった。
「もしわれわれが空想家のようだと言われるならば
救いがたい理想主義者だと言われるならば
できもしないことを考えていると言われるならば
何千回でも答えよう
そのとおりだ、と。」
この映画で完全にチェ・ゲバラに取りつかれたような気分なので、本日はさっそく本屋に行って、チェ・ゲバラの著作か、研究書のようなものを買ってこよう、と思った。