シネマな時間に考察を。

心に届く映画を語る、シネマな時間に考察を。ヨーロッパ・中東・アジアを中心とした愛すべき短館系作品のレビューを綴っています。映画と心のちょっといい関係をさがして。心がきらりとひかる瞬間を大切に。


テーマ:

風が強く吹いている。
その風が彼らの歩み出す未来への、
希望の追い風となるように。
それでも心を灯す明りは吹き消えぬようにと。

シネマな時間に考察を。

『明りを灯す人』
2010年/キルギス・仏・独・伊・蘭
監督・脚本・出演:アクタン・アリム・クバト


中央アジアのCIS加盟国,キルギス共和国から届いた奇跡の1本は、まだ見ぬ国の異国詩情に酔わせるに足る、独創的で神秘的なパノラマの映像力があり、シンプルなストーリーから紡ぎ出されるのは、奇しくも我が国日本にもリンクする、託したい未来への希望すら灯す秀作である。


シネマな時間に考察を。 牧畜などの遊牧な暮らしで質素ながらも純朴に生きる村人たち。彼らが親しみを込めて「明り屋さん」と呼ぶ、ひとりの電気工がいた。彼には大きな夢があった。谷合いに自ら設計した風車を建て、村中の電気を賄えるようにしたいと。


彼の家の前には、廃品で作ったようなガラクタな体裁の未完の風車がある。オープニング・クレジットに重なり聞こえてくる、やおら轟々と鳴り響くその音の正体が、この手作りの風車だと知ることになる、ファーストカットの画が見事。そこには突き抜けんばかりに澄んだ青空があった。


シネマな時間に考察を。 幾つかの政変を繰り返し、未だ情勢の不安定なこの国には取り立てた資源もなく、人々の暮らしは貧困の一途。そこへ都心からこの広大な土地を奪おうと策略する有力者らが現れる。外国資本で経済発展を図ろうというのだ。断固としてこれを受諾しない市長に、自分ならこの不毛の地を天国に変えてみせると言い張るが市長は折れない。


伝統的な村の暮らしをとにかく守ろうと長年苦心してきたこの市長の、最後に遺した切実なる主張が、埃を立てて吹きすさぶ風とともに心をさらう。


「ここには人がいる。人のいる限り不毛な地などではない。」

それがどれほど石に覆われた枯渇の地だとしても、ここに何年も住み続ける村人がいて、家族があって、子供の生まれるこの地は決して、不毛の地などではない。そう。そこに人さえいるならば。


さて。

4人の娘の父でもある明り屋さんのもうひとつの夢は息子を持つこと。後継者を思ってのことだろう。けれど自分は妻に息子を産ませることはできない。そんな彼にとって、近所の無口な少年ウランは特別な存在だ。


ある時、電柱の上でうっかり落としてしまったマッチ箱を、地上から妻に投げ返してもらおうと奮闘するも届かず、そこへ現れたウラン少年が知恵を働かせ、マッチ箱の中に石をつめて巧く投げ返したことがあった。この時、彼が少年に自分と同じ価値観を見出したことは想像に難くない。


少年との何気ないひとときを描くこうした短いシーンが他にもあり、そのどれもが印象的なのだが、とりわけ2人して電柱に耳を当てて風の音をそっと聞きあうセリフのないシークエンス、これが実に良い。


またある日には村一番の高い木の上で少年とふたりきり。あの山の向こうが見たくて、と少年は初めて口をきく。俺も昔はそうだったよと言う明り屋さんと少年は、昼間の白い月のほかに何が見えただろう。独立国家の未来はそこに明るく灯って見えただろうか。


ところで。
馬上の友人が明り屋さんの身体を猫の仔のようにひょいと鞍にあげるシーンと、ヒッチハイクの女性を軍用トラックの荷台に軽々と引き上げるシーンに、何かしらの気配を感じたのは考えすぎだろうか。


力がある。
この国の人々には力がある。
ひいてはこの国にはまだ地力がある。


そんなメッセージをこっそり伝えようとしたかどうかは解らないけれど、
私にはなんだかそんな気がしたから。


何度か挿入されるキルギスの伝統的な競技コクボルは、衝撃的なラストの伏線にもなっている。まるでコクボルの羊のようにされてしまう明り屋さんは、聖なる湖に投げ打たれて・・。


その時、風は強く吹いていた。
振り切れた彼の風車は見事に回転し、

軒下の裸電球に、はじめての淡い明りが灯った。


そうして反転したスクリーンには、見慣れた青い自転車が。

駆け抜けるようにスピードを上げて村道を走る、その車輪だけを写し続けるラストカット。そこに映り込む足元の持ち主は、一体誰だったのだろう。


ひょっとしたら明り屋さん本人だったかもしれないし、
10年後か20年後のウラン少年だったかもしれない。


あるいは。

明り屋さんにそもそも名前がなかったように、

どの国にもきっといる、その土地の「良心」だったかも、しれない。


シネマな時間に考察を。 持続可能なクリーン・エネルギーについての問題をも意識させるこの作品。私達には、電気は空気のように無限にある訳ではないと知った、2011年の夏があった。遠いキルギスから届いた映画を見届けて、その思いは深い。


「孫たちに捧げる 彼らが幸福であるように」
との献辞で映画は幕を閉じた。


この作品が世界に公開されることで、
民主化への道をゆっくり正しく歩み始めるキルギスの、
未来を灯す小さなきっかけとなることを祈って。



『明りを灯す人』:2011年1月12日 神戸アートビレッジにて鑑賞




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私が住む街には電信柱がない。
街の景観を保つ為、初めから無電柱化された街だからだ。
確かにこの街の通りは美しい。


けれどこの映画を観た今、電信柱のある風景を少し懐かしく思った。

子供の頃、親が運転する車の後部座席に寝そべって、
車窓から見える電線を下から眺めるのが好きだった。

日常の風景が、いつもとちょっとだけ違って見えたから。
「地面と空」の存在を強く感じられたから。

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