シネマな時間に考察を。

心に届く映画を語る、シネマな時間に考察を。ヨーロッパ・中東・アジアを中心とした愛すべき短館系作品のレビューを綴っています。映画と心のちょっといい関係をさがして。心がきらりとひかる瞬間を大切に。


テーマ:

十字に走る照準線の、向こう側とこちら側。
線の中心に定めた視線が晒された現実とは。
スコープ越しに透かし見た、かの戦地の真実に。


シネマな時間に考察を。

『レバノン』 LEBANON
2009年/イスラエル、フランス、イギリス/90min
監督:ミュエル・マオス
出演:ヨアフ・ドナ、イタイ・タイラン


シネマな時間に考察を。 <照準鏡>から見た戦地。
限られた狭い視野しか持たないスコープ越しに見えるものと、与えられる最低限の情報は、時々“上”からおりてくる短い命令だけ。定点でしかその場の出来事を捉える事ができない極限において
命令に従う他ない兵士に対し、一体何を求めればよかったのか。

一体誰が彼らを責められただろうか。


彼らは何も解らなかった。現在地でさえ、目的でさえ。
敵か味方かも解らずに、何を信じればいいのかも。

内輪もめの最中に指揮官が言う。お前はどっちの味方なんだと。
兵士は答える。俺は俺の味方だと。


戦争という大義名分の下に、自らの意思とは無関係に放り込まれた兵士の目を、照準鏡に重ね合わせて描く、かの戦争の真実を抉る力作だ。


照準鏡から覗く対象物を見つめる、という間接的な客観性に比して、照準鏡の向こう(つまり外界)に立つ人間がこちら(つまり戦車の中)を見つめるその視線の凄まじさに、身が強張る思いがした。こちらを見つめるその1対の目は、時に空ろなように見え実は、砲弾よりも威力ある無言の訴求力を持っており、それにしばしば圧倒された。 「何のために・・・。」

誰のものともつかない、溜め息にも似た絶望と怒りそして嘆きの声が、

その目を通して洩れ聞こえてくるようで。


戦争という箱の中に安全地帯などはない。けれど、鉄の要塞に閉じ込められた戦車の中の兵士達は、いや、だからこそ逆に彼らは最低限の理性を失わなかったと、そういえるのではないだろうか。


何故なら、望遠機能のついた照準鏡という“フィルター”があったから。

僅かに残る理性の上澄みを掬いとるように、彼らはそっと家族を思い、

命を思い、戦争を思い、その先に行き当たったのは、「生きて帰りたい」

という真っ当な願い。四肢を丸ごと戦場地に晒し、戦争という戦慄的な空気を生肌で感じている外の歩兵達とは違い、戦車の中の彼らには、

当事者と傍観者の狭間にゆれる、得も言われぬ感覚があった事だろう。


そこには、臆病があった。ためらいもあった。
陸地の者には持ち得ないものを、戦車の中の彼らは持ち得てしまった。
だからこその悲劇である。


シネマな時間に考察を。 この映画は、戦争というものの見方の側面を特殊なアングルに据え置きながら、徹底したリアリズムで見せしめる手法を取っている。善悪や是非に答えを出すのではなく、

どう捉えるかを観客に問う。

非情に思えた総指揮官や本部が、操縦士の母に無事を知らせたという

一報だけが、戦中に咲いた微かな人情を感じさせてくれた。


ラストで初めて戦車から外界へ顔を出した、解放の時。
そこには辺り一面のひまわり畑が広がっていた。
冒頭と繋がるその原風景はしかし、無力感だけを告げていた。


ひまわり畑は戦争に対する平和の象徴などではない。
戦車はやはり、鉄の檻に過ぎなかった。


・・花はすでに、枯れていたから。


シネマな時間に考察を。

『レバノン』:2011年3月4日 DVDにて鑑賞


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1982年、イスラエル軍のレバノン侵攻。
フィルターのこちら側を見つめる正しさについて考察させる、

パレスチナ・ジェノサイドを描いた異色アニメーション、『戦場でワルツを』 とともに、

本作も忘れられない)戦争映画となった。


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