『ベンダ・ビリリ!もう一つのキンシャサの奇跡』
テーマ:★西ヨーロッパ映画貧困の国アフリカの路上で生きる車椅子の男達。
音楽が内なる魂を解き放ち、やがて世界へと。
人生に、再起不能はない。
そのバンドの名は、スタッフ・ベンダ・ビリリ!
『ベンダ・ビリリ!もう一つのキンシャサの奇跡』 BENDA BILILI!
2010年/フランス/87min
監督:ルノー・バレ、フローラン・ドラデュライ
出演:スタッフ・ベンダ・ビリリ
ストリート・ミュージシャンを自称する人がいるならば、彼らを知れば思わず恥じ入るのではないだろうか。スタッフ・ベンダ・ビリリ、彼らこそが真のストリート・ミュージシャンに違いない。
極度の貧困とポリオの蔓延によりカオス状態となった、アフリカ・コンゴ民主共和国の首都キンシャサ。家もなく、路上で暮らし路上で生きる彼らの、見た目の不遇さとは裏腹に底抜けに明るい不屈の精神で歌い上げるビリリの音楽魂。下半身不随で車椅子や松葉杖を余儀なくされる彼らのそのビジュアルすら、確固たる独自のスタイルに見えてくる。それは決して同情だけを誘わない。孤高のロッカーを眩しく崇めるのに似た何かをもたらす、その格好良さといったらない。
本作は確かにヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を喚起させるし、音楽が人としての尊厳を保ち、音楽によって救われる物語は他に数多くあるが、彼らほど世界の底辺からトップへと人生を一転させた例も稀有だろう。
彼らの作る曲の歌詞は、コンゴの現状をそのままに歌ったものばかり。しかしそれに反し、ルンバのリズムはいつだって陽気だ。歌う彼らの表情に苦しみは微塵も見当たらない。笑顔さえ見せている。
彼らの魂は逞しい。どこまでも自由だ。敬虔なクリスチャンである彼らは神を信じている。希望を捨てない。未来を信じている。障害者ためのシェルター施設が火事で全焼した時でさえ、慌てることもなくぽつり呟いた。
「そんなこともある。これが人生だ」と。
ベンダ・ビリリ。外側を剥ぎ取れという意味らしい。破り去る“ビリリ”という日本語の語感とあいまって、外側ではなく内側を見ろという強いメッセージがストレートに伝わってくる。外目には超貧困国に生きる身障者に見えても、内なる魂はこんなにも屈強だ。その強さ故、同情ではなく何故か愛しく思えてくるのだ。
本編上映前、サントラが流れる場内にひとつ耳慣れない音がする。弦楽器なのか管楽器なのかそれともヒューマンボイスなのか検討もつかない。劇中、その音の正体に出会った時は驚いた。それはビリリのメンバーのひとり、2004年当時14歳だったロジェという少年が生み出した奇跡の音だった。多くの子供たちがひったくりや泥棒で生活する中、彼だけはそういう暮らしとは無縁だ。住む家があるからではない。彼には音楽があったから。しかもこの世で自分にしかできないひとつだけの音楽。ブリキの空き缶と木の棒を1本の金属ワイヤーで繋げただけの手作りの楽器。その簡易なつくりからは想像もできない見事な音階を奏でるそれは、実に立派な1弦楽器だ。ロジェは生まれながらの音楽の天才に違いない。自らの楽器にサトンゲと名付け、他に類似のない音を奏でてみせる。彼にはとにかくセンスがある。
この映画は、フランス人映像作家がコンゴでビリリと出会い、彼らのアルバムを作ろうとする様子をとらえた音楽ドキュメンタリであるが、完成までには紆余曲折あり、実に5年の月日が流れた。当時14歳だったロジェは、完成したアルバムをひっさげた世界ツアーを回る頃には19歳に成長していた。ロジェは19で家族を養うほどの男になったのだ。けれど彼の表情におごりはない。打ち上げで盛り上がるメンバーからそっと離れ、憂いの表情さえ見せている。若いロジェにはまだまだ人生が続く。今このときだけの成功では人生の終わりまではもたないことを悟っているかのようだ。自信を持って、彼には更なる高みを目指していって欲しいと願う。
バンドのリーダー、パパ・リッキーは、この辺りに暮らす親のいないシェゲ(ストリートチルドレン)のいわば親代わりでもある。キンシャサにおける貧困から子供たちを救い、そして未来を切り開くのは政府なんかではない。経済的に裕福な支援国でもない。救世主となりうるのはパパ・リッキーその人だろう。バンドで一番の高齢である彼は、いずれ自分が死ぬことを覚悟している。そして子供たちに仄めかすのだ。お前たちがこのバンドを引き継ぐんだ、と。
父から息子たちへと渡された、音楽魂のバトン。
この国が音楽で立ち直る未来が本当に実現したならば、
世界はまだまだ捨てたモノではない。
『ベンダ・ビリリ!もう一つのキンシャサの奇跡』:
2010年10月14日 神戸アートビレッジセンターにて鑑賞











