アメリカ映画の中で<国境>を描いた“選択”の物語。
社会の底辺に暮らす2人が

犯罪によって築いていく絆を力強く浮き彫りにする。
母親同士の自己犠牲の譲り合い。そこに宿るものとは。


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『フローズン・リバー』 Frozen River
2008年/アメリカ/97min
監督・脚本:コートニー・ハント
出演:メリッサ・レオ、ミスティ・アパーム
配給:アステア


シネマな時間に考察を。-fr02.jpg 「国境」を描く映画は必然的にテーマも重く、その分深い。ヨーロッパ映画にはそれを主題もしくは副題とした作品が数多くあるが、本作のようにアメリカ映画でありながら国境を舞台とした作品というのは決して多くないはずだし、少なくとも私にとっては初めての出会いとなった。

国境とは心の境界線でもある。
こちら側とあちら側を示す入り口。
それを超えること、または留まること。
その時人は選択をする。愛のため、自由のため、未来のために。


シネマな時間に考察を。-fr03.jpg 初めは銃口を向け合うほど敵対していたレイとライラ。貧しい生活を余儀なくされたシングルマザーであるという共通点もあり、やがて違法ビジネスのパートナーとなるふたり。中国や中東からの移民を車のトランクに乗せ、凍りついた川の上を走りながらカナダからアメリカ側へ渡り不法入国させる仕事。ひとりにつき600ドルの報酬が得られる。体感温度零下35度にもなる極寒の地。凍っているとはいえ、いつ割れるか知れない不安とスリルが画面から伝わる。警官の目もある。たびたび発砲される銃声が更に不安を煽る。それらの寒々しい要素はしかし、物語の終盤になって起こる予想外の展開に、凍えた手で暖をとるかのような温かさが運ばれることとなる。


シネマな時間に考察を。-fr04.jpg 最後の国境超えでカナダとアメリカの警察に追われてしまったふたり。部族会議の結果、レイかライラのどちらか一人を警察に突き出すことが決まる。当然のように自分は逃れられるべき立場だと主張し、ライラも異論はなく、我が子のもとへ走り帰るレイだったが・・。


フローズンリバーでレイは思い留まった。
しばしば国境で人がそうするように、彼女もそこで選択をした。そしてそれはとても意外な選択だった。何が彼女をそう決意させたのか。死んだと思われた赤ん坊を自らの体温で生き返らせたライラに再び強く沸き起こる母性。子供を取り返すべく真っ当な仕事に就こうとしていたライラを無理に誘ったのはレイの方。そのことへの償いもあったかもしれないし、同じ母親としてともに最低限の幸せな暮らしを得られるための、可能な限り最大限の選択を、と考えたのかもしれない。


シネマな時間に考察を。-fr05.jpg セント・ローレンス川の氷が溶け、そこにまばゆい陽光が反射する水面をたたえる頃、レイは愛する家族のもとへ戻ってくるだろう。

そのときライラと子供たちは、その日差し以上にあたたかく、レイを迎え入れるだろう。

『フローズン・リバー』:2010年3月1日 シネリーブル神戸にて鑑賞