こんにちは、日本総合研究所 創発戦略センター所長の井熊 均です。
さっそくですが、みなさんは「電柱」が何のためにあるかご存知ですか?
それを知るために、日本に最初の電力会社ができた頃の昔までさかのぼってお話をしたいと思います。
日本初の電力会社である「東京電燈」が設立されたのは1883年のことです。その名にあるように、当時の日本の電力を使う量(電力需要)は限られたものでした。
その頃の日本は、列車は蒸気で、家庭にはエアコンも電気冷蔵庫もありませんでした。
しかし、それまでのエネルギーに比べて便利な電力は、産業分野を中心にどんどんと普及していきました。
そして、増え続ける電力需要に応じるために、大量の電気を生み出すことができる技術が求められました。
発電量を増やすためには大きく分けて二つの方法があります。ひとつは、発電機のサイズを大きくすることです。
水力発電なら、水量の大きな川に大型の水車を備え付けた方が多くの電力を生み出すことができます。
もうひとつは圧力を上げることです。水力発電なら、水圧が高いほど、火力発電ならタービンを回す蒸気の圧力が高いほど多くの電力を生み出すことができます。
こうした理屈で、電力の送り込み(電力供給)が始まると便利な電力の需要が増える、需要が増えると大量の電力を生み出すための技術が考え出される、という流れができ、発電所はどんどん大きく(大型化)、パワーのあるもの(高圧化)ものになっていったのです。
その中で、小型の火力発電から大型水力発電へ、水力発電から大型火力発電へ、火力発電から原子力発電へと、発電の中心が移ってきました。
日本で初めて、交流型の発電所ができた時の発電量はわずか100キロワット単位でしたが、今や原子力発電所一基の出力は100万キロワット(家庭の平均的な電力需要70万世帯程度をまかなえる量)にも達します。
一方、発電所が大きくなると、発電所の作られる場所にも変化が起きます。当初、東京に電力を供給する発電所は浅草や千住にありました。それが今では、水力発電といえば山奥、原子力発電所は都会からはるか離れた場所に、火力発電所は沿岸部へと、東京の都心から遠いところへ作られる(遠隔化)ようになっていったのです。
第二話につづく・・・













