久しぶりに奥多摩 オーラス
テーマ:奥多摩前にあるところで批判されたようですし、またメッセージでも色々と送られてきたこともあって、ブログを書くことに疲れたりしました。自分の文章の書き方も書く内容も悪かったのですが、文章は伝わらないということも思いました。また自分にはペダンチックな面があることがよくわかりました。なんだかかんだで敵が多くいるような気がしていたんですけど、奥多摩を少し走っただけでいい人(人間性だけじゃなくてバイクと峠に対しての距離ですかね)にも出会えてるんですから、今までの考え方はちょっと違ったのかなぁと思いました。私が敵を作るような走り方や書き方をしていただけだったんですね。
言い訳をさせてもらえば、実は私の日記では
『またいた うおー後悔 移動してスタ丼食った』(俎上の魚紅海に移る)といったように故事や哲学用語に掛けたり、寓話や昔話の話の筋に掛けて話をしているものもありました(メダルド子爵、サクルマン、プレッツェモリーナの末文 etc)。それらの言葉や話を知っている人が読めば他人を批判しているだけではなく、私自身のことを卑下していることがわかって、なんとかホクソ笑むような内容になっていたと勝手に思っていましたが、自分と同じような趣味の人ばかりが読んでいるわけではないですからね。。。それにこういうことを説明してしまうのはダサくて趣がないことですから、わかる人だけわかればいいということでした。自分を卑下した言葉遊びが自分のペダンチックな面と結びついて敵を作っていったのだと思います。
私が何かを批判する、それは批判対象に過去の自分を見たり今の自分の嫌なところを見たりしたしたときです。
――ここから意味のわからない文が始まります――メダルド子爵の右半身と左半身が決闘したときに右半身は己があるはずの右半身を、左半身は己があるはずの左半身を、それぞれが相手の中にいるはずの己を執拗に攻撃するかのように、自分に突き立てられない剣をその対象に見て結局は自分に剣を立てていたのですが、それは文章力がなく伝わらなかったのです。。。
――また変な文が――文字というものは虫みたいだと思いました。ハリガネムシという寄生虫がいまして、その虫はカマキリなどの昆虫に寄生して生き、産卵の時期になると虫の神経系を操作し水辺に誘導……、そこでカマキリの体内から出て水に落ち生殖活動をします(カマキリは水辺で死ぬ)。文字はそれのように振る舞うこともできます。人を誘導できる力があるなぁと。どう書くか、どう受け取るか。またどう糧にし、どう取捨選択するのか。その背景にはやはり何か知識や思想がないといけないなと。無防備に文章を書いたり読んだりするとお互いにとってよくないことが起こる場合もあるのかもしれませんね。そして書く側にあまりに足りない部分があったかなぁと。
この辺も伝わる人にだけしか伝わらないと思いますが一応書いています。
何故こんなことを書いているかというと、「またブログをやろうかなぁ」と思っていまして。イヤ実際にブログはもう作ってあるのですが、放置状態が続いていて……でももしこれからマメにブログを書き始めるとするとすぐに検索に引っかかってしまうと思うんです。バイクのブログって少ないし、専門用語が多いですからね。そこで何も言わずにサラリと「他で始めてました」では、私の性格上ズルイことをしているような気がしてなんとも気持ち悪いので(それで書けなくなっちゃって(笑))、「とりあえずやるかもしれない」ということをここに書いておきます。まだどうするかよくわかりません。ただ“断りだけは入れておこう”ということです。
また
「このブログの読者登録をさせてください」、「過去記事を読みたいです」などのメッセージをもらいましたが、このブログは私の恥部でもあるのでそっと個人的にとっておきたいと思います。何かの機会があって、他のブログでまたお会いした時には、新たな気持ちでよろしくお願いします。『脱滞言滞句!目指せ枯淡!』を裏スローガンにしていきます(笑)
それと
私はもう峠を流して走っています。直線でも全然スピードを出していませんし、もともとあっていないギアを一つ上げて走っています。当然コーナーも遅いですし、バンクも前ほどさせてません。それでも絡んできてくれる人がいますが……もう期待に添えるような走りはしていませんし、これからもしないと思います。今はただ「楽しく事故なく無事に家に帰って、休みの日に彼女にまた会えればそれが一番いいなぁ」なんて。そういう走り方で楽しんでいます。
最後に
皮相浅薄な私自身と、その他の要素によってこのブログで気分を悪くさせた方々へ謝罪をしたいと思います。申し訳ありませんでした。これからは敵を作ったり誰かを批判したりそういう走り方ではなくて、一々連(つる)まないとしても仲間を作るような走り方をしたいと思います。
峠には何か特別なものがあるような気がします。私が考えた今の結論としては、皆が魔法や催眠術でも掛けられたかのようにサクルマンになってしまうということです。でもそれはそれで何か可愛らしいような気がします。コキュ話で終われるか、壮絶悲惨な最期になるか、それはそれぞれの人の心の速さの問題だと思います。バイクへの接し方も走り方も流流。皆さん死なずに怪我をせずに楽しくやってきましょう!
このブログ、最後まで意味のわからない文章ですいません。このブログはそういうブログだったということでお許しください。悪い面ばかりが見えてしまって気分を害したらごめんなさい。
最後の最後(笑)
速いってなんでしょうね?峠を走るライダーこそ考えないといけないと思います。
そして確実に言えることは、私たちのように峠で走るライダーは「邪魔な奴は退けよ!」という感覚ではなくて、『この道を走らせてもらっている』というマインドで走らなければならないということです。そうすれば確実にペースは落ちるだろうし、譲ってくれた相手や抜いた相手への挨拶は丁寧にするだろうし、ゴミも持ち帰るだろうし、騒音も考えるだろうし、他人や警察を敵だと思ったりすることもなくなるだろうし……自分が気持ちよく走ることよりもまずは相手が気持ちよく走ることを優先するべきだと考えるはずです。観光やツーリングの方がいたらこっちが多めに気を使うのが当たり前だと思います。そういう気持ちを持っていることが “自覚して枠からはみ出している” 私たちの最低限のマナーなんじゃないでしょうか。(または奥多摩に限ってはエートスと言えるのかも) 法律を守ることは必要ですけど、法律さえ守っていればいいということでもない気がします。法律は人が作ったルールですからね。峠にはそれよりも大切な金科玉条があるような気がしています。(この場合は法律ではなくもうすこし幅と艶のあるものとして扱っています)
それと私は速いだけのライダーを尊敬しません。プロライダーのような傑出した速さは別ですが、峠で楽しむくらいの速さはサーキットを走っていたり、バイクが好きで色々と考えて少しずつでもトライしていれば誰でも手に入れられると思います(基準はそれぞれ)。ただでさえ何が起こるか分からない峠ですから、速さだけを求めずに余裕を持って走ってほしいです(いつか私も何かあるかも……)。どう考えてどう走るか。考えたことがどう走りに出てくるか。速いかどうかよりもどこでバランスさせるかが大切なんじゃないでしょうか。公道で速さ自慢をし始めたら我慢大会になってしまうように思えます。以前の私はここを間違っていたのかもしれません。
究極はどんな相手をも不快にさせず、対抗意識も持たせず、ブレーキもアクセルも踏ませず、逆に気分よく信頼させるような運転じゃないですかね。そこってやっぱり速いかどうかじゃなくて、どういう人間なのかってことだと思います。言葉も交わさず目も合わさず、それでも会った瞬間に相手に自分を信頼させてしまう振る舞い所作を身につけているライダー。。。奥多摩にそういうライダーが現れるときがくるんでしょうか。せめてカナリアでもいれば違うのですが、現状ではそれぞれがそれぞれに流流というより荒荒という感じでしょうか。
何はともあれ奥多摩は行く度に事故が起こっているような気がします。皆さん怪我も命を落とすこともなくバイクを楽しんでください。
11月で私もバイクに乗り始めて3年になります。色々ありましたがとても楽しかった。これからも皆さんと一緒に怪我せずに乗る続けられるといいなぁと思います。サンキュデス。
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