今日は、箕面の障害者運動の始まりの

扉があいた第一歩を書きとめておこうと思う。


今から30年前

私は小学生であった。

今思えば何気ない大人たちのあつまりに

連れて行かれては

特に知り合いでもない子どもたちが一堂に集められ

大人たちの「お話」が終わるまで

何気なく遊ばなければならなかった。


なぜそこにあつまっているのか説明されるわけでなく

知らない間に様々な大人たちの中で

漂うように「いた」


多くの方が飲み踊り大声で歌をうたい

視覚障害をもっている教員が

ふすまにはまっている横で


「なぜここにいるのだろう」とぼんやりと思っていた


今思えばすばらしい「その時」にいたのであり

歴史のうねりが感じられる時代の中で

とても貴重な体験をしたと感じられるのだが


子どもの私はなんとなく

分からないまま仲間であり友だちであり

近所のおっちゃん、おばちゃんであった。


その中にいつも障害あるひとがいた


ほんとに一緒に何かをしていた。


後から知ったこととして

部落解放運動の方々とも共闘する関係にあった。

いつも忘年会は「北芝」の場所で行われていた。


ある人が結婚だって言えば

みんなで料理をしてお祝いをして

強くつながる人々の下から私は何気なく

のぞいていたように思う。


そんな中、障害者運動の幕が開き

日々キラキラした大人たちの物語が始まった


いつもそれを横目に私には関係のないことと

勝手に決めていた。


どうしてもなんだかよく分からない。


いつもみんなが一生懸命で


なぜそんなに元気なのか?


今思えば「悔しい」毎日を

変えるために


みんなはいつも楽しく厳しく

毎日のご飯を食べていくための

営みが活力となっていたのだろう。


その基盤をつくった方々に敬意を示しながら

少しずつ


箕面ならでは


を伝えていきたいと思う。


次回のキーワードは

「共に働く」です。


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