私たちの個々の命の生き死には、自分の命ではあるものの「仏の御いのち」であります。
すなわち自分化、わたくし化、個人によって所有化されるべきものではなく、天地自然の大いなる命の川の流れに任されるべき、大海の一滴水である。
これを自ら嫌い、捨ててしまうことも、仏の命の営みを損ない、失う、壊す事。
また逆にこの命に執着することも、仏の命の在り方を失うものです。
(引用:お坊さんだから伝えられること・安穏寺 丹下 覚元住職の回答より)

自殺をしてはいけない理由に、このことをあげても信仰心のない人には響かないだろうなぁ。
もっとも自分にも信仰心があるわけではないから、偉そうには言えないが。

そういえば昔、大好きだった彼が「自分たちは生かされている」とよく言っていた。
彼は仏の御いのちを十分に理解していたんだろうな。


純ちゃんが入院中、後輩からお見舞いとしてもらったパキラの植木。
寝付くと縁起の悪さから、わたしが誠心誠意、責任を持って育てましょうと引き受けていた。

そんな大事なパキラ。年末、引越しの際、枝を全部折られてしまった。
「植木は保証外です」と、引越し業者から事前に言われていたのだけど…。
もうダメだと諦めるわたしの横で、旦那は一番丈夫そうな枝を
骨折の治療のごとく針金で補強。
でも日に日に色褪せ、もう諦めていた。

が! 冬を越し、春になると、驚くことに芽が出てきたのだ!
生命力の強さを感じずにはいられなかった。
簡単に諦めたわたしは反省。旦那に感謝。

純ちゃん、ハラハラさせたね。
パキラはまだまだ元気だよ。

2012年11月
純ちゃんから譲り受けたときは水耕だった


昨年(2014年)夏
水耕から土に変えたことで、ぐんぐん成長


今年(2015年)1月
折れた枝を補強したものの、みるみる衰退


4月
目を疑った! 根に近いほうの幹から新芽が!!!


4月中旬
確かな成長が立派な芽に見える!


4月下旬
パキラの葉の形になってきた!


補強部分を切り落として生まれ変わったパキラ


5月初旬
ここまで育てばひと安心


本日(2015年5月28日)
葉色も若々しく、元気です



知人に決して怒らない人がいる。
彼いわく「怒るという感情はムダなエネルギーだ」と。
すぐ感情的に怒ってしまっていたわたしは、なるほど、彼から学んだ。
怒るのをやめると、結構ラク。

過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。

過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。

今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。
(仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

ものっすごく共感。
自己啓発本を書いている人は、これをどう捉えるんだろう?


人の喜びを我が喜びとすることなら、簡単にできるのに。
嘆き、悲しみは経験していなければ、本当に自分のことのように受け止めることはできない。
努めることは大事だけど、容易なことではない。