“必要は発明の母”との古諺にもありますが、不自由を感じそこをなんとか工夫し打開しようとするところに人間の知恵が働く。大なり小なりそれが“発明”というもの。
ちくし号農機製作所 創業者 世利 崇の野菜洗浄機の画期的発明もこの例に洩れません。
福岡市に隣接し、糟屋郡最南部に位置する宇美町で、今日の農業振興の立役者としての力量を遺憾なく発揮するまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
本人も農家に生まれ、まだ農作業が牛馬相手だった頃ー農作業のすべてが手作業で「残るものは神経痛ばかり」と言われた頃。出荷する野菜を洗う為に、土で汚れ、かじかんだ手を見ながら色々な夢を見ていました。
昭和35年、四国でみかんが産出されるのに、この地でも出来ぬ筈はない、とみかん栽培に手を出し、周囲はただ唖然とあっけに取られみていましたが、見事成功。しかしながら、妻と二人で汗を流す作業は、多忙を極め、苦難の連続。みかんを磨くだけで一日が終わってしまう、多忙を極め、苦難の連続、睡眠不足、そんな明け暮れに、どうにかならないものか、と思案投げ首。
切羽詰まった無垢な労働解放を念頭に着手、開発したのが最初の
“手回し甘夏柑洗浄機”(第一号)でした。
これが、会社経営へ発展する第一号の足がかりとなる記念機となりました。 つづく
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