最近、友人の父が急死した。

死とは身近なもの と、患者さんの生を想い思う。
けれど。

やはり肩を揺さぶられる。
極、身近なはずの 死 に。

式の帰り、車を路肩に寄せて暫く放心した。
そして メールした。

お父さんの傍にずっとついて居て、
力をもらって、
家族を自分を守り支えるように、
想ってる。


これから続くグリーフワークを
彼の歩幅で歩みますように。


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著者里川りょうが臨んだ、まさしくコラージュ作品。

本書の メールでの進行は
当初 読みづらく感じたものの
ストーリー性と
良し悪しは別としてどこか盗み見するような
なんとも言い難い 緊張?期待?に
後押しされる。
そして
読後、本書のというより 
表現そのものの在り方というものを
妙に考えさせられた。

表現。自らの想いを 表に出す。
あるいは 誰か、何かへと 伝える。
それが 実に多種また多様化される昨今。
無限の可能性というなら 
それと同じくらいに表現として成り立たない、
あるいはマイナスの誤解といったことも有り得るだろう。

それでも、中でも「言葉」がすきだ。
いつかの 誰かの言葉、言葉は心を伝えない
そう、思う時もある。
だけど、いやだから、言わなきゃ、伝えようとしなきゃ 始まらない。

コトダマ...想いを言葉に、
そのシンプルな表現で つづけていたい。



著者: 里川 りょう
タイトル: サム・メール
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彼女と初めて出逢ったのは 4,5年前。看護師と 患者として。
焼身自殺を図り、重度の熱傷を受け 
意識を回復してからも2年近く、
殻 に、閉じ篭もっていたが
何か、の きっかけで 自らを取り戻されていた。
彼女の退院後も 私の退職後も 何かの縁で交流が続いていた。

交流といっても 年に数回の手紙やメールのやり取りだったが
彼女を含めて
職の枠外の、1人として 向き合えた患者さんとの出逢いは
自分の中で 一筋の光として、今も大きな支えになっている。

先日、2年ぶりくらいに 会って飲もうということになった。
受傷前、勤めていた仕事に関する資格取得や
本来の社交性を活かし 友人になった中国人を通じ語学を学ぶ等
バイタリティに溢れた印象の彼女。
院外で会うのは初めてのことで 緊張しながらも楽しみであった。

久しぶりの彼女は、ずいぶん綺麗になっていたが
幾度となく受けた植皮手術のそれより 
内面の美しさ、を 全面に感じた。
日本酒で 二人して頬を上気させた頃、
気弱な自分の愚痴混じりに 彼女への感謝と賞賛を伝えた。
彼女は あなたはきれいだ、と。
そして 自分は ただ 何か出来る事がしたい、そう淡々と話した。

切実で それでもどこか緩やかな 彼女のモチベーション。

苦しむ患者さんの傍らで 何もできないと無力さを感じた時、
その自分から逃げずに 傍に居よう、職に携わり漠然と感じていたこと。
それは たぶん、その方を 信じるということではなかったのか。

彼女と これからも ある時を、過ごしてゆこうと思い、そう想い至る。
また ひとつ、ありがとう。










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セイジ

店頭で店員さんお勧めの一冊として
辻内智貴、初めての本書を手にする。

竜二の強い衝撃。
いつか自分が親を失ったとき、自分は、
竜二が今受けているだろう程の強い何かを、果たして感じるだろうか―――
親とはまた別に、心をそそいでゆく自分の家庭がある―――
新しく築いてゆく何かがあればこそ、
失ってゆく大切なものたちを見送ることも出来る―――
そういうものではないかと―――

高橋は、そう思いながら 竜二に何も声を掛けれないで居る。

セイジも 竜二も 翔子の言う「陸の魚」

自分自身、そうだったと ふと感じた。
けれど 痛い程のシンクロは どこか過去のモノのようだった。

いつから
何を失い、何を得たのか
それでも
海千山千ではなく
水陸両用の 両生類...?で
不器用なりに感じえてゆきたいと思う。



著者: 辻内 智貴
タイトル: セイジ

身近な死

テーマ:
「なんか、偉いよね…。」
大腸内視鏡(カメラ)検査後に、医師が呟いた一言。

32歳男性、定期検診。
検査中も彼は
羞恥心を紛らわすために 
あるいは
彼自身への こちら側からの配慮を避けるために、とも
取れる程に思慮深く けれど何気ない会話を続けていた。

医師の一言に はっ、とした。
自分が流され、いや流していることに。

そして 立ち返った。
今まで 自分のやってきたこと。
彼を知り、彼の人生を思い、敬意をもって 普通に接する、こと。

改めて カルテを見た。
22歳の時に直腸癌の診断を受け手術され、
以後 人工肛門とよばれる排泄法で日常生活を送られている。
癌という視点からみると 診断・治療後10年経て 現時点で完治といえ、
今日の検査でも 異常は見当たらなかった。
がしかし、
20代前半で 死と向き合い、生きる為にボディイメージの変調を強いられ、
術後の影響による障害で 排尿までも自己導尿という手段での生活。

誰かを知り、思うことは 死を知り、思うこと。
上手く言えないが 死とは 極身近なもの。

彼を思い、
立ち返り、
死を思えた、今日。
自分の中の その一点を 誰かに返していけたらと思う。
それが 彼への敬意