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幸せの方法

テーマ:真の豊かさについて 2009年11月03日(火) 07時43分20秒

いつから本末転倒したのであろうか。「幸せの方法」の話である。


大好きな人が現れる。そして子供ができる。そして、かけがえのない家庭ができる。そのために働く。これを幸せの順序と呼ぶ。


その幸せになるために方法がある。それは、この順序を見失わずに丁寧に守ることである。本末転倒させてはならないのである。


幸せになるために働く。働くことが先にでて幸せを侵食してしまってはならない。


企業や国家のミッションは、こうした個々人のさまざまな幸せを担保できるプラットフォームを確保することにある。


社畜になりさがって家族の団欒や友情をないがしろにするなんて、本末転倒である。だから会社の仕事仲間とゆくゴルフをしないで今まで来た。本人が好きなら趣味の問題でもあり、他人があれこれ言う話でもないが、だったら家族や友人と行けば好い。


最近気がつくことがある。街ゆく人々がなぜか焦燥している気がする。何かに追われていて心に余裕がない気がする。何に追われているのか。先進国の中でもダントツに自殺者が多いのも気になる。また家庭内のいざこざや犯罪傷害事件が多いのも気になる。何かがぽっかりと欠落してしまっている気がしてならない。

仕事の後、飲みにゆくでも、なにを好き好んで会社の仲間とつるんで居酒屋で、高いお金を自腹で払って、ふたたび仕事の話しや上司の悪口をいっているのか、その気がしれない。帰路、電車の中で酔っぱらって大きな声で会社の上司の話をしているサラリーマンを見ているとさみしい気がする。どうぜ飲むなら楽しいもっと文化的で知的な会話をすればいいのにと思う。大事なのはその瞬間瞬間の過ごし方、それが自分の「人生の風景」であることを忘れてはならない。人生はその瞬間瞬間の積分に他ならない。もっと自分の「人生の風景」に自信をもとうよと思う。

ドイツで8年間すごしてそれを学んだ。ドイツ人は頑固である。かたくなにこの。「幸せの方法」を守っている。「人生の風景」にこだわる。しかも、おどろくことに社長から新入社員の若手まで平等に1カ月休暇をとり、サービス残業もせず、ましてや、週末を犠牲にした会社の仲間とのつきあいゴルフなんどなはい。これが彼らの常識である。


愛する人がいて、子供がいて、家族があって、近所のコミュニティがあって、学生時代の友人があって、その外周にようやく企業がある。5時過ぎたら、自分は会社の人間ではなく、一個の個人である。この大原則は誰とても侵食できない。


決してドイツ人が仕事をしていないという意味ではない。集中力はすごい。確かにドイツ人も千差万別である。日本人に対してそうであると同じ意味で、ドイツ人は皆こうだと言った一般論はないであろう。しかし、我々日本人が、「幸せの方法」と「人生の風景」にこだわる彼らから学ぶことは大きいと思う。


確かに幸せになる方法の1つとして、経済的に豊かになることは、我々日本人にとって、1つのマイルストーンであった。我々の親の世代、高度成長期の日本はそうやって皆で幸せになろうと一生懸命やってきた。そして企業も国家もその幸せを担保できるプラットフォームを確保することに懸命になってきた。そして、確かにある程度貧困から解放され、心にゆとりもできる時代になった。しかし、そこで行きすぎた。そのまま突っ走ってきてしまった。幸せの順序がおかしくなり、働くことが先にでて幸せを侵食してしまっている。


人間の尊厳が丁寧に守られ、街ゆく人にも笑顔があり、好きな人と結婚できる環境、ささやかながらもあたたき家族の食事、友人との語らい、そんなささやかな幸せをしっかりさせてくれるそんな社会の包容力がいまこそ大事である。それは決してぜいたくな望みではなかろう。その基礎的な望みすら、いまの日本ではともすると棄損し始めている気がしてならない。


いまこそ、ミヒャエルエンデのモモの登場が、この日本にも必要かもしれない。

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