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豊かさとは何か ~宇沢弘文氏と出逢って~

テーマ:真の豊かさについて 2007年10月28日(日) 07時13分16秒

昨日は実に面白いシンポジウムにご招待をいただいた。


台風の中、新宿の西口の会場で宇沢弘文東大名誉教授の話をじっくりと聞いてきた。タイトルは「医の公共的威信と社会的信頼を取り戻す」であった。参加者には、宇沢氏以外に、黒川清内閣特別顧問、西村周三京都大学副学長、唐澤日本医師会会長、鴨下重彦氏、池澤日本病院会副会長等々、錚々たる面々で、彼ら論客が皆さん、台風を吹き飛ばす勢いで大いに発言され、彼らの放つ想定以上にストレートで本音の話を身近でじっくりと伺うことができ大いに刺激的であった。

宇沢弘文氏は、現在、同志社大学の社会的共通資本研究センター長をされているが、昨日も市場原理主義に対する痛烈な批判を展開されていた。そして市場原理主義がもたらす社会的靭帯の崩壊、格差拡大、社会の非倫理化の深刻な弊害に警鐘を鳴らし、人々の心と命を大切にする経済学の再構築を試みる重要性を説かれていた。


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そして、テーマの医療に触れ、日本の医療費の対GDP比が先進国の中でイギリスと並んで最低水準にあることから、マクロ的に見て日本の医療の効率がいちばんいいということは間違いないが、いまや度重なる医療費抑制政策のために我が国の医療が深刻な崩壊の危機に直面していることを指摘、その危機の根本原因は市場原理主義であると喝破。社会的共通資本の概念から医療体制の持続的な拡充の必要性と、そのために医療費を増加させたほうが望ましいと述べている


宇沢氏は、医療は「病気や怪我によって、正常な機能を果たすことができなくなった人々に対して、医学的な知見に基づいて、診療を行うもの」で、「一人一人の市民が、人間的尊厳を保ち、市民的自由を最大限に享受できるような社会を安定的に維持するために必要不可欠なもの」と述べている


市場原理主義は、簡単に言ってしまうと、もうけることを人生最大の目的とし、倫理的、社会的、人間的な営みを軽んずる生き様を良しとする考え方で、宇沢氏は、彼のシカゴ大学時代の弟分であるノーベル経済学者ジョーセフ・スティグリッツの著書をを紹介しつつ、いまやこの市場原理主義が、日本に全面的に輸入され、日本社会が戦後最大の危機に陥っていると警告している。


豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的に安定的に維持することを可能にする装置として、社会的共通資本は重要不可欠な要件である。この運営は市場的基準や官僚組織によって決められるものではなく、1人1人の市民の人間的尊厳を守り、精神の自立を保持し、じゆうが最大限に確保できるような社会を形成されるべきであろう。そうでないと、これだけ経済的には豊かなな国に発展した日本ですら、真に心豊かな安心できる社会はなかなか到来しないのが実情である。ゆたかな社会とは、すべての人々が、自分の持っている資質を能力を十分活かし、それぞれが持っている夢を最大限実現できるような仕事につき、幸福で安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触を持ち、文化的水準の高い一生を送ることができるような社会を自分たちで構築してゆくことが大事である。


【ご参考まで】「宇沢弘文氏と社会的共通資本」

宇沢 弘文(うざわ・ひろふみ) 1928年鳥取県生まれ。 新潟大学経済学部教授、東京大学名誉教授、中央大学経済学部教授、国連大学高等研究所特任教授、同志社大学社会的共通資本研究センター所長と、多数の肩書きを兼務する経済学者。 1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章。Economeric SocietyのFellow(終身)。 1976年から1977年までEconomeric Society会長。数学者の宇澤達は息子の一人。 社会の病を治そうと経済学へ。まず数理経済学で世界的な業績を上げる。戦後の数理経済学の牽引役として時代の最先端を行き、特に新古典派の成長理論を数学的に定式化した。二部門成長モデルや最適値問題の宇沢コンディションも彼の手による。かつては、森嶋通夫と共に、ノーベル経済学賞の有力な日本人候補であった。 やがて社会問題が酷くなってきて現実から切り離された形骸化されたものを捨て、動学的不均衡、公共経済学などの研究に進むようになる。成田空港問題の平和的解決にも尽力。著作も非常に多い。

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宇沢弘文氏は今日のシンポジウムでもおっしゃっておられたたが、新古典派経済理論のもとに推し進められている自由主義貿易について、それは虚構であると述べている。一国の経済厚生というが新古典派的個人は虚無的世界に点々と存在する泡のような非人間的な抽象的な経済人しか想定していないことを致命的と喝破。生産要素の可塑性(マリアビリティ)を前提条件とする新古典派命題は現実には成り立たない。また生産要素の私有を前提とし、反対に農業を取り巻き支えるたくさんの要素を切り捨て、社会的共通資本は存在しないという立場を新古典派経済理論はとるが、それは間違いであることと主張している。そして「コモンズ」の提唱を行っている。社会的共通資本とは「豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する社会的装置」と定義され、次の構成要素からなる。
①自然環境 (大気、森林、河川、水、土壌、野生生物など) [環境]
②社会的インフラストラクチャー (道路、上下水道、住居、ガス、交通通信網など) [ハード]
③制度資本 (教育、医療、司法、金融、福祉、年金など) [ソフト]
すなわち人が豊かに生活できる社会の総システムを指し、資本主義、社会主義の枠を超えたシステムの構築を目指す。生活のし易さは所得体系(税、賃金)だけではなく、受けられる総サービスの量と質すなわち社会制度による所が大である。すなわち社会の総体でしか評価できないことを示す。

ちなみに、宇沢弘文氏は東大名誉教授。数学科出身の世界的な経済学者。専門の論文等は多数。一般向けでは、「自動車の社会的費用」(岩波新書)が最も著名な著書。、最近「地球温暖化を考える」(岩波新書)、「日本の教育を考える」(岩波新書)などの課題と人間の経済活動との関連で注目すべき視点を提出されておられる。

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