攻めと任せの天秤 | 青めいたダイアリー

攻めと任せの天秤

ミにて。今日は三田祭論文の概略発表だったのだけど、その休憩中、同期の友達が突然泣き出した。


どうやら、論文の課題となっている内容の難雑さを、理解できない自分が不甲斐なかったらしい。



しかし、実のところ僕も、泣くまでとは行かずとも、内容を漠然と捉えたままで、一向に理解できないでいる自分が歯痒かった。何せ、質問すべき内容すら、覚束ないのだから。


今までは、ただ送り手から引っ切り無しに送られてくる情報を、受け手側として受容し、記憶していれば良かった。中学や高校の勉強スタイルが、まさにこれだと思う。


でも大学の、特にゼミのスタイルは違う。与えられた情報をただただ受容するだけではなく、そこから更に自分なりに発展させていく力、つまり、ただ知っていくだけでなく、それをもとに考えるスキルが求められる。そんな歴然とした事実を、今更思い知らされている。



もっと、考える力が欲しい。


プロフィール欄で「今欲しいもの」という項目があったら、真っ先に挙げる事柄だろうが、実際そうだ。未だに沸き起こる、歯痒い気分。この気分を晴らさなくては、何とも気が済まない。


僕は昔から、良くも悪くも負けず嫌い、良くも悪くも執着心の強い人間だった。なのにいつからか、かつての威光にすがり、失敗を恐れて後手後手に回っていた。そのなれの果てが、今日のこの歯痒さに繫がったのだと感じる。


もう年齢的に、物事を受容していればいいだけの年代ではない。常日頃、知る+考えるという規範の下で、やって行かねばならない年頃だ。もちろん、頭の中で妄想を張り巡らすインサイダー的な考えよりも、外に発信するアウトサイダー的なそれが必要とされるのだけど。


今日のゼミの時間は、自分の規範を見つめ直すという機会を与えてくれた。こんなこと、滅多にないことと思う。今までのディフェンス的観念を、オフェンス的に変える。今日のこの、論文と概略に屈した如き感情が、やがてそれらを見返すことの出来るものにいつか変化させることが出来たら、嬉しいことに限りはない。




長く、そして堅苦しく語ってしまいました。失礼。まあこんな日もあるってことで。


そういえば、春学期末試験の日程が発表されました。期間中、序盤の数日何もないくせに、その後は最終日まで何かしら試験があるという、何ともイヤらしい日程。


まあ大半が持ち込み可なので、焦燥感がイマイチないという現実ですが、このままだと2年前と同じ轍を踏みかねないので、自分に鞭打つことが急務となっています 苦笑