「松山千春 『父さん』に思うこと~松山千春 全作品解説138~ V1.1」S2673/R


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更新履歴

V1.0:2014.10.19 初稿
V1.1:2015.07.22 文章を追記


■ 「父さん」 編曲者:清須邦義
1978年1月25日発売のアルバム 『こんな夜は』のLP B面5曲目(CD 10曲目/全11曲)。


◆レコーディングミュージシャン (「父さん」個別ではなくアルバム『こんな夜は』のクレジット)
01. ドラム:岡本あつお(岡本郭男)
02. ギター(AG):安川ひろし、清須邦義
03. ギター(EG):安川ひろし
04. ベース:松本茂
05. キーボード:倉田信雄
06. パーカッション:中島御
07. マンドリン:清須邦義
08. コーラス:松山千春、清須邦義


**. サックス:--

**. ストリングス:--
**. プログラミング(打ち込み):--


◆2015.07.22 夢野旅人

千春19歳の1975年2月14日。

姉・絵里子(当時24歳)さんが、菊地武光氏(当時24歳)と入籍。


彼女の結婚が決まり、初めて家族五人で旅行(亀の子温泉)。

そこで、姉貴と「うちも旅行するなんて、人並みになった」なんて話した。

親父もおっかあも貧乏して、どん底みたいな生活を味わった。

だけど、頑張って、一家で旅行できるまで持ち直した。

子供を育てあけることは、こういうことなんだと、あのときつくづく思った。


姉貴の結婚のすぐ後に作ったのが、「父さん」という曲なんだと、著書「足寄より」で述べられています。

◆2014.10.19 夢野旅人

2014年5月5日。

「松山千春 ON THE RADIO(緑効青汁のアサヒ緑健提供)」 FM NACK5(エフエムナックファイブ)。 


前日が鳴門、翌日が高松でのコンサートということもあり西日本放送からの放送。

四国地区のイベンター、デュークの宮垣会長もスタジオにいて放送で紹介され千春の第一印象を語った。


初めての全国ツアーが1978年。

四国公演はツアー最終日を含んだ3公演(6/25 徳島郷土文化会館、6/26 松山市民会館・中ホール、6/27 高知県民文化ホール・グリーンホール)。


このツアーで宮垣(昭和22年生)と松山千春(昭和年30生)が初めて会った。


「髪はふさふさで、ニッカポッカを履いて、最初から呼び捨て。 この人は、何者なのでしょうと思った。


コンサートで『父さん』を歌っていた。 『父さん』をはじめて生で聞いて、高知のグリーン・ホールの階段の下で号泣した。 なんで、こんな若造が、こんな歌が歌えるのだろうか。


こいつ、なめてんじゃねえーかというステージを、まざまざと見せつけられた。

『父さん』は、千春のお父さんがまだ健在のころの歌で、なんでこんな歌が作れるのか不思議だった。


その後、ほとんどといってステージで歌わなくなって、いつ『父さん』をステージで歌うのかで自分のテーマになった。 リクエストしてもシカトされるし・・・(要約)」と振り返った。


それに対して千春は、

「『父さん』は今でも、歌ったら自分で涙が出るもん。~20年くらい前、東京の最後に歌ったくらいか」。


~20年くらい前、東京の最後に歌ったくらい~

いつものご愛嬌である。


確かに、全国ツアーでレギュラーで歌ったのは2回程度。

あとは、イレギュラー。

節目のライブでが、ほとんどである(下記、参照)。


さらにフルバンドで歌った割れたのは、足寄の野外と15周年のディナーショーのみである。


「父さん」の印象。

真駒内や『失くした心を・・・』での弾き語りの「父さん」を聴いてもピンとこなかった。

年齢的なものもあるのかも入れない。

家族愛がわかるほど成長もしていなかった。

だから、琴線にふれなかった。


そんな自分が初めて、この曲で度胆を抜かれたのが約10年後の1991年のディナーショー。

フルバンドで聴いた「父さん」は圧巻でした。

「ひとりじめ」http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11769790960.html や「炎http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11806745220.html も歌われ、初めて「流浪」http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11782907962.html の魅力に気付いたディナー・ライブであったけれど、振り返ると一番の収穫、ハイライトは、「父さん」の熱唱でした。


高校を出て、東京に集団就職したお姉さん。

お父さんが彼女に送った仕送りや手紙のやりとり。

明さんご自身も東京で働いていこともあり、千春にとって、お姉さんと東京のイメージがあるのだろうと、自分は思っています。


2006年12月1日 東京国際フォーラム。 イレギュラーで弾き語りで歌ったときも、「昔、東京の新聞社で働いていたことがあったしな」というコメントを残しています。


「父さん」を聴くと思うのが、ツアーでレギュラーでフルバンドで聴きたいと同時に、よく千春が口にする「俺の人生は、父さんが死んでから始まると思っていた」。


なかなか、若い時分から考えない、考えられないでしょう。

そんな人格を形成した生い立ちと感性が持っているから、二十歳そこそこで、「父さん」のような歌が歌えるのだろうと、思うわけです。


◆『父さん』をフルコーラスで歌ったコンサート。

01. 1977年 道内ツアー『旅立ち’77』

02. 1977年11月16日 東京厚生年金会館・小ホール

03. 1978年 全国ツアー『旅立ち’78』

04. 1978年08月08日 『千春 in 足寄』 足寄町里見ヶ丘公園

05. 1979年07月28日 『Big Summer Scene'79~大空~』 真駒内屋外競技場

06. 1979年07月24日 『Big Summer Scene'82~大いなる愛よ夢よ~』 真駒内屋外競技場

07. 1979年 全国ツアー『失くした心を・・・』

08. 1991年 『15周年記念ディナーショー』

09. 1999年08月13,16日 『もうひとりのガリレオ』 恵比寿ガーデンホール

10. 2006年12月01日 東京国際フォーラム・ホールA

11. 2010年03月29日 『東京厚生年金会館ファイナル ファイナリスト松山千春』東京厚生年金会館


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