同居人のダリヤさんとの話からこんな記事を書きたくなりました(^^)

日々が「瞑想」になる


瞑想 meditation

色々な方法がありますが、基本的には目を瞑って行います。

呼吸を観察する、感覚を観察する。

肌に触れる風や、浮かんでは消えてゆく感情を観察します。


僕も昔、京都の山奥で10日間のヴィパッサナ瞑想クラスに参加しました。

時間を取って座り、自分の内側に集中する。

心が落ち着いて思考がクリアになります。


今は瞑想とそうでない時というのが 良く分かりません。

僕はそこまでやり込んでいないので、専門的な事は良く分かりませんが、

自分のアルそのままに、「観察する」「感じる」事が全て瞑想と思っています。





感じている事を素直に認めること


一つ一つのカラダの動きと、そこから生まれる感覚、聴こえる音、

自分の声 自分の感情 骨の動き 呼吸の動き

他の人の発する雰囲氣 感情 表情 血流 重心 コリ 

圧を感じるのか、柔らかさを感じるのか

一緒にいて心地良いのかそうでないのか 

接する自分にどんな変化が出るのか。

その精度や内容は人それぞれと思いますが、


自分で感じている事を素直に感じる、

アルものをアルと認めること

自分の中にアルのに、それを認めない態度を取ると、超強力な抵抗が発生します。

それもありとあらゆるやり方で目の前に提示されます。

徹底的にそれを認めさせるまでw


その他にも自分の周りに起こる出来事や、

出会ったり交流する人々 と

自分のその時の状態 たとえば

その前に何を食べて、どんな体調でいたのか など

─あまり心地良くない目に遭う前には大体良くない物を食べていたり 食べ過ぎです─

自分のバイブレーションが自分の見ている世界(宇宙)に

及ぼす関連性も観察しながら日々暮らしています。


コトバの力と意思の力


言葉として「瞑想」と口にした時に、

「瞑想」と「瞑想でない」に別れます。

自分軸にもどって、観察して行った時に、全てが瞑想になります。

瞑想という言葉が無くなります。

逆に自分を放り出して、他者目線で生きている状態なら

瞑想していない と言っていい氣がします。

現代社会は人に瞑想させないトラップが沢山ですね。




「あのひとは常に宇宙と繋がっている」「特別な人だ」

という方がいます。


いえいえ、生物も無生物も、存在するものは

皆常に、宇宙と繋がっていますし、全てが全て、特別です。



自分は宇宙と繋がっているのか? 出来てるのかどうなのか?

と不安に駆られた時は、多分繋がりが外れます。

>自らの宇宙の中心観測点である「ワタシ」の「イシ」のお望み通りです。

「疑う」イシの強力な力で、強引に遠ざけてしまいます。

でもそれも繋がっているから外れるのだと思います。

繋がっているのに繋がる努力をする ということは

ワタシ繋がれない を意思で発信している事になります。



だから僕はあまり氣にしない方が良いと思っています。


人の「悩み」は「名病み」


名=コトバ つまり「レッテル」ですね。

コトバに囚われてしまっている 執着ともいいます。

自分で体験した現象や感情にレッテルをはって不自由になってしまっている状態です。

コトバは、物事を分けます。

おれ瞑想してるんだぜって言ったら、ちょっとカッコいいんだけど(^^)

自分の枷になっていないか注意ですね。


>CHITOHITOはカラダの調整、「食・息・動・想」のワーク、指導、畑の教室を通じて平和な世界作りをしております。

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