祈りのことば----解釈

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みそらの父よ

み名が聖とされ

みくにが来ますように

みそらのみこころが

地にもなされますように

生きる糧を今日もお与えください

そしてわたくしたちの罪をもおゆるしください

わたくしたちも罪をゆるします

わたくしたちをこころみにあわせず

悪からお救いください

アーメン





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その逆

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お昼休みに家に戻ると、足元に表紙の剥がされた本が落ちている。拾ってみると、聖書だった・・・

犯犬はテンだろう。

椅子の上どころか、椅子を使ってテーブルにも上り、それではまだ足りずに横の書棚にまで・・・

あの場所なら安全だ、

と思っていたのに、

それはまったくの思い込みに過ぎなかった。

それでも、中身は無事だったので、またぼろぼろになった表紙をノリで貼りなおした。見たときにはすぐに新しい聖書を買おうかと思ったが、かといって古い聖書をどうやって処分する???


そんなことをしているうちに、ずっと棚の上におきっぱなしだった聖書を久しぶりに手に取った。

表紙が剥がれないように用心深く持つ。

いびつであるがゆえに、わたしの手にあわせて存在しているかのよう。


そうしてわたしはエレミヤ書の麻の帯とぶどう酒のかめのところを読んだ。

久しぶりに神さまとお話したような気がした。

神さまとのお話はいつも楽しいとは限らない。むしろ、その逆。


(詩篇39)

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偶然というものを信じない人に何を語っても無意味だと思える瞬間がある。それでもそれがわたしの潜在意識の中に存在する何かにより突き動かされたものであるならば、それはそれで喜ぼう。


メル・ギブソンの『パッション』を観始めたとき、まさか・・・と思ったら、そのまさかだった。つまり、まさにイエズスの受難のシーンから復活までの短い出来事を映画にしている。かなり前から観ようと思いつつ、お子さまは禁止の映画のため、わたしは避けていた。


あるのは、暴力。聖書に忠実に磔刑のシーンを再現すると、ああいう残酷な画面が広がるのかと思うと、それなりに避けたい気分になっても無理はないのでは・・・


夜に観たので、娘は途中で眠ってしまった。最初のうちはいろいろ質問していたのだけれど、最後に、「三日後に復活するんでしょ?」と言い、わたしが「どうして知っているの?」と問うと、図書室で調べたと言っていた。そういえば、国語の教科書の中に、マザー・テレサのお話やアンネ・フランクの薔薇のお話が載っており、クリスマスにはお祝いをする国なので、キリスト教について知りたければ図書室には資料があるのだろう。


わたしは家で聖書を読んではいるが、特にそれを娘に強要するつもりはない。というのは、子どもの感性のほうがわたしの錆び付いた感性よりもずっとマシだからとしか言えない。たとえば、子どもに何かを伝えようとするなら、『パッション』よりも『チャーリーとチョコレート工場』のほうがいい。映画には5人の子どもたちが登場し、ファンタジーの中にメッセージがある。夢があり、家族の愛があり、とても貧しいチャーリーの家族がハッピーになるお話。


神の奇蹟、か。


そう・・・すべてはそれに尽きる。