• 15 Dec
    • 祈りのことば----解釈

      みそらの父よ み名が聖とされ みくにが来ますように みそらのみこころが 地にもなされますように 生きる糧を今日もお与えください そしてわたくしたちの罪をもおゆるしください わたくしたちも罪をゆるします わたくしたちをこころみにあわせず 悪からお救いください アーメン

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  • 29 May
    • その逆

      お昼休みに家に戻ると、足元に表紙の剥がされた本が落ちている。拾ってみると、聖書だった・・・ 犯犬はテンだろう。 椅子の上どころか、椅子を使ってテーブルにも上り、それではまだ足りずに横の書棚にまで・・・ あの場所なら安全だ、 と思っていたのに、 それはまったくの思い込みに過ぎなかった。 それでも、中身は無事だったので、またぼろぼろになった表紙をノリで貼りなおした。見たときにはすぐに新しい聖書を買おうかと思ったが、かといって古い聖書をどうやって処分する??? そんなことをしているうちに、ずっと棚の上におきっぱなしだった聖書を久しぶりに手に取った。 表紙が剥がれないように用心深く持つ。 いびつであるがゆえに、わたしの手にあわせて存在しているかのよう。 そうしてわたしはエレミヤ書の麻の帯とぶどう酒のかめのところを読んだ。 久しぶりに神さまとお話したような気がした。 神さまとのお話はいつも楽しいとは限らない。むしろ、その逆。 (詩篇39)

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  • 28 Jul
    • ホセア書1.4

      相変わらず、何のことかさっぱりわからない。 ストーリーがわかったからといって、そのことと自分に何の関係があるのか?

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  • 27 Jul
    • 『プリムは運命の祭り』

      久しぶりに聖書を開く。 開いたページは、『プリムは運命の祭り』。 どうして、フセインが銃殺を望んでいるのか、少し理解できた。

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  • 08 Apr
    • Good Fridayに『パッション』?

      偶然というものを信じない人に何を語っても無意味だと思える瞬間がある。それでもそれがわたしの潜在意識の中に存在する何かにより突き動かされたものであるならば、それはそれで喜ぼう。 メル・ギブソンの『パッション』を観始めたとき、まさか・・・と思ったら、そのまさかだった。つまり、まさにイエズスの受難のシーンから復活までの短い出来事を映画にしている。かなり前から観ようと思いつつ、お子さまは禁止の映画のため、わたしは避けていた。 あるのは、暴力。聖書に忠実に磔刑のシーンを再現すると、ああいう残酷な画面が広がるのかと思うと、それなりに避けたい気分になっても無理はないのでは・・・ 夜に観たので、娘は途中で眠ってしまった。最初のうちはいろいろ質問していたのだけれど、最後に、「三日後に復活するんでしょ?」と言い、わたしが「どうして知っているの?」と問うと、図書室で調べたと言っていた。そういえば、国語の教科書の中に、マザー・テレサのお話やアンネ・フランクの薔薇のお話が載っており、クリスマスにはお祝いをする国なので、キリスト教について知りたければ図書室には資料があるのだろう。 わたしは家で聖書を読んではいるが、特にそれを娘に強要するつもりはない。というのは、子どもの感性のほうがわたしの錆び付いた感性よりもずっとマシだからとしか言えない。たとえば、子どもに何かを伝えようとするなら、『パッション』よりも『チャーリーとチョコレート工場』のほうがいい。映画には5人の子どもたちが登場し、ファンタジーの中にメッセージがある。夢があり、家族の愛があり、とても貧しいチャーリーの家族がハッピーになるお話。 神の奇蹟、か。 そう・・・すべてはそれに尽きる。

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  • 25 Mar
    • エラヒ、エラヒ、ラマ、サバクタニ

      エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。 エラヒ、エラヒ、ラマ、サバクタニ。 私の神よ、私の神よ、なぜ私を見捨てられたのか。 神よ、神よ、どうしてわたしを見捨てるの? 神よ、神よ、どうして見捨てるの? 十字架のイエスの言葉。 詩篇22の最初の言葉。 この歌をずっと歌っていた。 それでわかった。 この歌を口ずさみ、そして最後の絶叫。 賛美歌。 正しい者の苦しみと希望。 この歌をずっと口ずさんでいた。

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  • 20 Mar
    • 南極は厳しい

      聖書は詩篇に入り、一息ついた観がある。ダビデの詩を読んでいるうちに、詩篇しか読まなければ恐らくは賛美の世界しか存在しないも同然だということに気が付いた。それでも彼の時代は今よりももっと悪い。戦争と略奪と、権力と悪と、弱いものが虐げられ、近東の荒野。雨が降らなければ水にも不足し、飢饉に襲われる。 そういう時代の美しさ。 詩篇というのは、現実があまりにも過酷だからこそ美しい調を持つ。 そういう中、外は春。暖かい陽射しと強い風。夜にはものすごい音がする。 強い風のせいで、トレリスが倒れ、オトがマリが脱走したのに気が付かなかった。まあ、呼べば戻ってくるだけマシか。 それでもどうなんだろう・・・数十年ぶりに『南極物語』を観て、基地生まれのタロとジロは基地から離れることができず、それが結局彼らを生存させた。前半は観なかったので、昔のうろ覚えでしかないけれども、南極に15匹の犬が置き去りにされ、厳しい自然の中で生きる犬たち。 想い出の場所で息絶える犬、仲間を庇ってシャチと格闘する犬、あざらしに海に引きずりこまれた犬、氷の中に埋もれてしまった犬、野生に戻り果敢に生きる犬、・・・・・の姿を眺めながら、うちのオトではすぐにフリーズしてしまいそうだと思いつつ、もしかすると気が付かないだけで、道路に飛び出してトラックにはねられてしまった犬の姿を思い出す。 テンちゃんは生後1ヶ月だとは思えないほど元気がいい。高いところからも平気で飛び降りるし、ベッドの上にもよじ登る。階段から鳴き声がするのでまさかと思ったら、テンが階段を登っていた。2階に寝かせていたら、勝手に階段を降り、途中で転がったので慌てて受け止める。まるで生後3ヶ月くらいの犬に見える。実際、体格でもマリが3ヶ月で1キロあるかないかくらいだったのに、テンは1ヶ月で1.1キロを超えていた。 ペットショップだと、ミニチュア・ピンシャは尻尾が切られているけど、テンは切らなかった。狩りをする際に邪魔になるのが尻尾切りの起源だと言われているが、あざらしに首の鎖をかみつかれてそのまま海にひきずりこまれた犬の姿を見て、尻尾が危険という意味を知る。それでも尻尾のないオトやマリと違って、尻尾でテンの言いたいことや機嫌がわかる。うれしいと扇風機のようなすばやさで尻尾をまわす。 過酷な自然の中で置き去りにされた犬たち。 詩篇の美しさは、過酷な自然の美しさにも似ている。 が、しかし・・・ 今さら、うちの犬たちをあんな過酷な世界に置き去りにするわけにはいかない。

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  • 11 Mar
    • 自己憐憫は最大の癒し

      聖書は、マカバイの書下を読み終わり、ヨブの書の途中。 以前、ヨブ記を読んだときには、「こっのー、サタンめ!」って思ったんだけど、今回はちょっと違う。おそらくは通読しているからだと思う。サタンの悪より、ヨブを慰めに来てくれた3人の友人の石頭に腹が立つ。 悪気はないのである。ただ、この頃の考え方としては、さまざまな不幸の原因は罪を犯したからだと断定されてしまう。彼らはヨブの変わり果てた姿から、ヨブが隠れて罪を犯していたのだと思い込む。そして、罪を改めよとヨブに勧める。 ヨブが、恵まれた生活からいきなり家族や財産を失い、名誉も失い、子どもたちも亡くし、酷い皮膚病に冒され、それが自らの罪ではないことはヨブ記の読者たちは知っている。ヨブが神に信頼を置いているのは、神の恵みによるものであり、それが失われればヨブといえども神をのろうのではないか、とサタンが神に問う。そして、サタンはヨブから命以外のすべてをとりあげ、あらゆる不幸を送る。その結果、友でさえ彼が神に罪を犯したと決め付ける。 罪のない人はいないとは言うものの、まったく理不尽なことは多い。ヨブの言うとおり、信仰心のない人たちが健康にも財産にも家族にも恵まれた一生を過ごすこともめずらしくない。それでいて、ヨブのように信仰心が篤い人たちがとても酷い目に遭うこともめずらしくない。 旧約聖書の歴史書の部分は、信仰が彼らを救う。神から離れればとても厳しい罰が神から降る。それくらいシンプル。 わたしは現代人なので、どちらかといえば不幸に遭遇したときのほうが信仰心が篤くなる。特に、自己憐憫に浸っているときなどは一層神さまが近くなる。だから、ヨブがこの不幸な境遇のときでさえ、神さまとだけお話している気持ちが何となく理解できる。だって誰に言っても無駄だもの。誰に言っても無駄だから、ヨブは神さまとだけ向かい合っていたのだな・・と思うと、信仰なんてしょせんそういうものではないかと思えてくる。 ふとわれにかえると、わたしはあまり不幸ではないみたいだけど、いつも不幸に喘いでいるかのように自己憐憫に浸ることは、もしかするとわたしにとっては最大の癒しの時間なのかも。

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  • 10 Mar
    • 母と7人の兄弟

      マカバイの書下の途中。 殉教した7人の兄弟と母の話。 ・・・・・・書き方とか読み方にもよるのかもしれないけど、わたしにはどうもこの話の狂信性にはついていけない。 多くのユダヤ人が迫害され、殺されていた時代。この親子たちが死んだ理由は、律法で禁じられている不浄な食べ物(豚肉)を食べろという王の命令に従わなかったこと。それにより、王の目の前で、母の目の前で、ひとりひとり拷問に合い、残忍な殺され方をする。 6人の息子たちが次々と殺され、最後の末の息子の番が来た時、王が母に、豚肉さえ食べれば息子の命を助けて、王の友人として厚く遇すると約束するから息子を説得するように言う。その時母は王にはやってみると言いながら、実際には王のわからない言葉(アラマイ語やヘブライ語?)で息子に神を信じて死ぬように語る。 その後、イエス・キリストの出現により、多くの人たちは豚肉を食べないからという理由で殺害されることはなくなった。 それでいて、後世になっても殉教の話は多い。 日本でも踏み絵とか? 屁理屈で語ってしまえば、もともと偶像崇拝は禁じられているわけで、踏み絵は物理的には単なる絵にすぎない。ソロモンの神殿ですら人間の造ったものにすぎないと語る神にとって絵に描いた神を神とすればそちらのほうが罪ではないかと。 それでも神の権威以外の権威を認めない姿勢は、結局、多くの敵をつくり、多くの兄弟をつくり、それが今日まで続いているのだろう。 *** 香田証生さんを殺害した犯人が捕まった。 あの残酷な犯人たちの言い分は、「たくさんのイラクの人たちが外国人によってあのように殺されているのに、ニュースになるのは外国人が殺されたときだけだ」ということ。 もう、そういうニュースは聞きたくない。 ひとりも犠牲を出さず、自衛隊が無事に帰国することを祈る。 (エゼキエル書 7.25-27)

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  • 09 Mar
    • 2000年以上昔から同じことばかり

      マカバイの書上を読み終えた。 最初のうちは聖戦だったのが、次第に単なる軍事国家の設立となっていった過程がよくわかる。イスラエルの主張はいつも同じだし・・・2000年以上時間が経過しても不思議なくらい同じ。バビロンの捕囚以来国家が滅亡し、散り散りになったユダヤ人たちのための国家の樹立。そして、それは神との契約の地である、ということ。 でも、さすがに後半部は、大祭司というのがいわば軍の司令官であり、軍事同盟というのがいかにいい加減なもので、ユダヤ人でも敵方につく者も多いし、そしてその人たちが敵方の司令官や大祭司に任命されたり・・・しかもこの頃になるとしかるべく預言者も出現しない。 マカバイの書上には出てこないけど、やがてはローマによりパレスチナは制圧されてしまう。 それにしても安易だよね、このところの憲法改正論者たちは。いいよ、別に、改正したって。が、しかし、いざ↑こんな状況になったら軍事同盟なんて何の役にも立たないし、法律ですら次から次へと改正せざるを得なくなる。議論の余地があるところがハナなんでしょうか。 しかも、日本に対する悪感情はますます高くなるでしょうし、それによりアジアへの経済進出もあっさり覆される可能性も高くなる。簡単に日本の企業が追い出される可能性も高い。そこをアメリカと一緒になって武力によって・・・というのはどうも過去の教訓が少しも生かされていないし、逆にアジアのみならずヨーロッパからのバッシングも充分ありうる。で、フランスは中国にせっせと武器を輸出するとか? 今だって増税を懸念しているというのに、一度バランスが崩れ始めたらにっちもさっちも。 まあ、そんな時代が仮に数十年後にやってくるとして、それまでわたしが生きているかどうかもわからない。それでいて700兆円以上の借金の上に、さらなる悪の芽を残すというのは情けないですね。 *** ちなみに、バルバロ訳聖書の827ページに誤植を発見。「マカバイの書上」と記すべきところが、「マカバイの書」となっている。講談社に知らせるべきだろうか・・・悩む。 (エレミヤ書 21.1-10)

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  • 07 Mar
    • 今は昔?

      エステルの書は、ペルシアで暮らすユダヤ人の話。 エステルは早くに父親を亡くし、父の伯父に育てられた。そして、ユダヤ人であることを隠して、エステルはペルシアの王妃となる。ところが、育ての親でもある父の伯父が、王の高官にひれ伏して挨拶をしなかったという理由でユダヤ人全員が殺されるという陰謀にはまってしまう。 そこが不思議なんだけどね・・・その人が気に食わないというだけの理由で、どうしてユダヤ人すべてが迫害されてしまうのか。 いずれにせよ、エステルのおかげでユダヤ人はその難から逃れる。 *** その次の話は、マカバイの書。これは途中。しかも、共同新訳の聖書には出てこない。この話は、さすがにどこも初めて読む。 まだ、さわりだけしか読んでいないけど、アレキサンドロ大王時代から始まり、その後、アンティオコ4世(エピファネ)の時代には徹底的にユダヤ人が迫害され、ヘレニズムを受け入れないユダヤ人たちは死刑にされた。このため、急進派というか、追っ手を逃れて集まったユダヤ人たちが大軍を相手に仇討ちをしてまわる。その頃には徹底的に神殿は破壊しつくされ、エルサレムの神殿ではゼウスが祭られていたらしい。 マカバイたちの軍団はまるでテロリストのようでもあり、宗教的危機に対しての徹底的な抗戦。聖戦のルーツをここに見る感じ。 改宗するなら死んだほうがまし、という理由で殉教者が相次ぐ。今から2200年くらい昔の話だが、9.11テロやイラク戦争を連想してしまう。実際にはもっと過酷だったのかもしれない。 なんか、こう・・・今に始まったことではないんだな、と中近東の人たちの気質を感じた。

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  • 06 Mar
    • ユディト(ユダヤの女)は強い

      トビトの書とユディトの書を読みました。 トビトの書はとても文学的で、天使が人間を助けてくれるというストーリー。 心の正しいトビトが盲目になったとき、人々は嘲る。つまり、信仰心が篤く、律法を守り、貧しい人たちにも施しをし、尊敬を受けていたトビトが盲目になったとき、神は何もしてくれないではないかと。そして、トビトは絶望し、神に死を願う。 同じ頃、サラという若い女が神に死を願う。 彼女は7度結婚したが、7人の婿は悪魔に殺されてしまった。そして、彼女も人々の嘲りの的となる。こんなことなら死んだほうがましだという気分になったとしても無理はない。悪魔に愛されているとは・・・ そして、彼らの祈りを聞いていた天使ラファエルが、神さまの命令で彼らを救う。天使は人間の姿になり、トビトの息子のトビアと一緒に旅に出て、トビアとサラを結婚させ、トビトの目を治す。 ☆ ユディトの書は、女性の話。ユディトというのはユダヤの女という意味らしい。まるで映画の中の話みたい。このユディトをイメージするとき、エリザベス・テーラーとオードリー・ヘップバーンとどちらのほうが似合うだろう・・・ 町が敵に包囲され、水源を奪われてしまう。そして、水が底をついてきた頃、人々は諦め始める。そのとき、若き未亡人(やもめ)のユディトが美しく着飾り、颯爽と敵の陣へ向かう。敵の軍は大軍で、これが男性だったらあっけなく殺されてしまっただろう。降参。 ところが彼女は見事に敵を欺き、敵の大将の首を持ち帰る。 美しく聡明で信仰心に篤く、それでいて勇敢。 ユダヤの女。 一人の女性がユダヤの危機を救った。 ☆ このどちらの話にも預言者は出てこない。 特に、ユディトの書では、あのような危機的状況だとこれまでなら、大抵、王が預言者の話を聞いたりするものだけど、この話にはユディトの祈りがあるだけで、彼女の行動はすべて彼女の信仰心によるものである。 トビトの書では、はっきりと天使と悪魔が登場する。 預言者たちを通して語られる神のことばはいつも厳しさに満ちている。それとは逆に沈黙の神は憐れみ深い。 なんで? それと、ユディトは終生やもめだった。子どももいない。 聖書には書かれていないけど、これだけ戦争続きの世の中だもの・・・夫を亡くした女性は多かったはず。その女性たちの模範的な生き方だと書かれている。やもめのユディトに求婚する男性も多かったけど彼女は断り、亡くなる間際、下女を自由人にし、夫の遺した財産は夫と自分の親戚に半分ずつ分けたそう。 それまでは、子どものいない女はもっとも不幸と言われていたのに・・・ 聖書にも世相というのがあるのね・・・おそらく。国が衰退し、武力ではほかの国にはかなわないとなると、強い女性が求められるのだろうか。なんかね・・・もしかすると、今の日本がこういう状況なのはそういうことが原因なのかもしれないと、ちょっと思った。

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  • 04 Mar
    • 70年は長いのよね・・・人間にとっては

      エズラの書からネヘミヤの書まで読みました。 正直申し上げて、ネヘミヤの時代の神殿の再建、宗教改革の話にはどこか日本の明治時代の王政復古を思い出さずにはいられなかった。幕末の混乱、そして尊皇攘夷・・・ 坂本竜馬はかっこいいと思うけれども・・・・すでにわたしにとっては歴史の人。 ネヘミヤが知事をやっている間は律法を守って暮らしていたはずが、廃墟のエルサレムですもの・・・彼がたった25年間留守にしただけで、元の木阿弥。だから国が滅んだのだと言われても、バビロンの捕囚の時代は70年も続いたわけで、その間すでに異国人同士の結婚は当たり前だったし、それがソロモンの過ちだったと言われても戸惑う世代が多かったのでは・・・ う~ん・・・・ 戦前あるいは戦時中なら大変なことになるかもしれないけど、正直、クリスチャンでなくてもすでに現人神(あらびとがみ)という発想にはついていけないのでは。 偶像崇拝という意味ではないけれども、わたしはもはや雛人形を女の子の理想像としては描けない。それは皇太子殿下がジャージを着て皇居を走っているからではなく、今の女性の生き様にマッチしていないと漠然と思っているくせに、親としてはほかの子たちがお祝いしているのに無視するわけにもいかない、という義理のようなものでわたし自身が飾ってきたからかもしれない。 義理とは何ぞや? う~ん・・・・ わからない。 今の時代にはマッチしないとは言うものの・・・やはり義理のようなものを感じざるを得ない。 雛人形だけではなく、わたしが生まれた頃はまだ年寄りが健在だったので、祖母の姉妹という人が初孫の祝いということではいはい人形を贈ってくださったり、母の友人が博多人形を贈ってくださったり、女の子の祝い事には人形というのがめずらしくなかった。 まあ、こんなわたくしでも当時は祝ってくださった方がいた、ということが義理なのかもしれないし、父が買ってくれたセルロイドの人形は髪の毛までぐっちゃぐちゃになっていたが、そういう日本人形の類はガラスケースに入れて縁起物として飾られていた。 つまり・・・ それが日本の伝統であり文化だと言われると弱い。 滅亡した国で、宗教だけが復活するというのはまさしく奇蹟なのかも。律法書が読み上げられると、そのときのイスラエル人たちは皆ウルウルしていたという・・・そして、すでに廃れていた幕屋のまつりなどをやって皆で感動する。 それが、あっというまに忘れ去られるというのが、なんともはや・・・ なんとなく親近感を抱いてしまった。

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  • 03 Mar
    • 広くてわからない

      朝から具合が悪い。 でも、エズラの書はとても大切だ。 それでいて、まだ読み終えていない。 バビロンの捕囚の70年後、再びエルサレムへ帰ることを許される。 そのことが大切なのではなく、ペルシャの王の寛大さと、エジプト王を通しての主のご意思。これが神。 *** 少し楽になったので続きを・・・(こんな書き方をしても、大した病ではないです・・・) 今回、聖書の通読を始めて、いつも気になっているのが偶像崇拝のこと。歴史の教科書では、像を造るとか造らないとかその程度の違いの認識があるだけだ。でも、そのことの真意とは? 正直、多神教の国に育つと、ほかの宗教に対しても寛大。こういう傾向はペルシャの王にもあったらしい。天の神をイスラエルの神やエジプトの神と同一視しているのか、あるいは多神教であるがゆえに寛大なのかわからないが、バビロンへの捕囚後、ヘブライ人たちに対して寛大であったのは不思議だし、ましてやイザヤの預言どおり70年後にエルサレムの神殿の再建へ向けてのバックアップをしたというのだから驚く。 もちろん政治的配慮もあっただろうし、宗教で寛大であるがゆえに王国は安定する。エルサレムの神殿だけではなく、エジプトの神殿の再建も行っている。 旧約聖書というのは、イスラエルの歴史。従って、イスラエルの歴史に基づき、彼らの歴史的解釈を加えて彼らの立場から書かれている。 イスラエル人が禁じられていたのは偶像崇拝。この偶像崇拝というのがなんとも過激で、自分の子どもをいけにえにしたり、神殿の男娼や私娼。とてもじゃないが、邪悪としか思えない。その昔、宗教観というものが今ほど明らかではない時代、そういう邪教や魔術などが宗教として行われ、それらの像を神と崇めていた。 すべからく、神はこの邪教と民を滅ぼすべくイスラエルの民を導く。ところが、この民はすぐに堕落する。この繰り返し。そして、とうとうバビロンの捕囚。国は滅ぶ。そして、ペルシャの庇護の下、神殿を再建し、律法学者が登場。もう、ずいぶんと時代が経過するうちに、律法までが、あるいは神殿までが封鎖されていたくらいだし、すでにそういうものがあったのだということも知らない時代が来ていた。 エズラの書になると、それまでの書き物とは雰囲気が異なる。 *** マザー・テレサ曰く、神さまはみんなを愛している。 ただ、こう、広すぎてわからない。 時系列的な事象を眺めて、それは一つの歴史なのだけれど、そういった歴史的世界を知らないわたしからすれば、聖書の中の出来事はまるで寓話のようでもある。出来事すべてがまるで何かの喩えのようでもあり、おそらはく今の時代も大きな流れの中の一つにすぎない、という気分になる。

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  • 02 Mar
    • 滅亡を知らぬ国

      聖書は、列王の書下から一気に歴代の書上を駆け抜け下に入ったところ。 列王の書下は、バビロンの捕囚までが書かれている。正直、国家が滅亡するという感覚がないため、イスラエルとユダの衰退する様子に面食らっている。国が衰退するにつれ、略奪を回避するためにアッシリアに貢ぎ物を届けたり、異教をそのまま取り入れたり・・・ とにかく壮絶すぎて。70人の王子を殺して敵国に寝返るとか、王が自分の息子や娘をいけにえにしたり、火の中を歩かせたり、飢饉から食人の話まで出て来る。 歴代の書になると、話が整理され、都合の悪い部分はカットされ、記述的内容が主になる。サムエルの書から通読すると、ほとんど同じ内容の反復なのでそのまま一気に読んでしまう。たまに、おや?という部分があるけど、深く考えないことにした。ただ、作者も書かれた年代も違うから、と思うだけで・・・ ただ、イザヤ・ベンダサンが日本を世界の別荘と呼ぶ意味や、アインシュタインが来日したときに、ごく日常的な光景のスナップを撮っていたことを、何となく思い出した。 よくもわるくも、侵略という意味では日本はあまり値打ちがない気がする。せいぜいアメリカくらい? 要するに、資源があるわけでもないし、国土の7割は山だし、地震や台風はやってくるし、夏は暑く冬は寒くこんなに不経済な国はない。秋葉原を略奪しても、機械は壊れたら終わり。雨に濡れたら故障する。まだ使えるような自動車やパソコンも捨てられてしまうし、食文化も違うし、日本人だから日本に住んでいられるような気がするほど手間ひまのかかる国。 それがいいのかもしれないな・・・

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  • 27 Feb
    • ドラマは複雑に

      聖書はようやく列王の書上を読み終わり、下に入ったところ。 ソロモンの栄華。 かなり数字の誇張はあるにしろ、神殿が完成し、王宮が建てられる。遊牧民の生活では幕屋暮らしが普通なので、かなりそれまでとは生活が異なる。ソロモンの第一王妃がエジプトのファラオの王女というのがミソかも。 ファラオの王女のみならず、ソロモンには500人の王妃と300人のそばめがいたと書いてある。あるいは、1000人の妻とかね。かなりおおげさな気もするが、ソロモンの妻はいわゆる他国人が多い。このためソロモンはイスラエルの神から離れ、それぞれの妻たちのために別の神のための祭壇を築く。 ソロモンの死後、王国はイスラエルとユダに分裂し、戦争が始まる。ソロモンの子孫はユダ王国、それ以外の10部族でイスラエル王国。ユダの首都はエルサレム。最初のうちイスラエルの人々もエルサレムに巡礼をしていたが、それを禁じるためイスラエルの王は例の如く神のかたどりとして牛の像を2つ造り、それを祭る。しかも、レビ人に限らず希望者を祭司にし、祭りの日も勝手に決める。これにより、次第に王に対する厳しい預言が下る。 政教分離というか・・・なんというか・・・要するに、歴代の王たちが本来の神から離れることにより、厳しい預言が下り、その結果、王による預言者への迫害が始まる。しかも、偶像崇拝というのは後の悪魔崇拝にも似て、バアルというのが悪魔の王の語源なんだろうか・・・それくらい激しい対立が生じる。厳しい預言者は排除され、バアルの預言者集団まで出没する。 そして、預言者エリアの時代へ。 *** 列王の書で初めて人間に悪さをする霊の話が出て来る。サタン。 人間が神を離れて悪いことをするのを懲らしめるためにやってきた。 モーゼの時代とエリアの時代はまるで異なる。シンプルなのはダビデの時代までで、それ以後、王と預言者との対立が深まっていく。

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  • 26 Feb
    • 臨場感のある話

      聖書はちょうどソロモンの時代に入ったところで停まっている。寝不足と外出が重なると仕方がない。いつも挫折してしまうのだけど、今回は通読が目標。なんとか桜の花が咲くまでに読み終えたい。 ソロモンの時代に入ると、いわゆる外交が活発になり、戦争や略奪よりも互いに平和に暮らしていたほうが国が栄えるということがわかる。今では当たり前のことのような気がするけど、当時としては画期的だったのだろう。 *** それにしても、残酷な時代だと思いながら聖書を読んでいたが、たまたま今日、敗戦後の満州の様子を聞いてきて、あまりにもリアルで泣ける。そのおばあさんはよく太って元気な人で、今ではまるで当時の面影はないけれども、当時の話となるとウルウルと泣き出し、語っていた。 敗戦後、満州に取り残され、いきなり匪賊が襲ってきて略奪されたこと、父親が連れ去られて血まみれで帰ってきたこと。当時は男性はそうやって誘拐されて縄で縛られ殺されてしまった。たまたま中央のほうで縛られていたため、傷が浅く、そのお父さんは助かった。 そういう状況で司令部から配られたのは青酸カリ。ある晩、母親といっしょに駆けつけて行ったら一家心中があり、子どもの分は2人で1カプセルだったために死にきれずに苦しんでいた16歳の女の子。たまらず、母親が自分の分を半分削り、その子に飲ませてしまい、終生そのことで苦しんでいたこと。 引き揚げに子どもは足手まといになるという理由で、子どもが殺されていたこと。実際、生まれたばかりの弟に飲ませる乳がないので、父親がある晩青酸カリをすっていたこと、それを兄が止めたこと。16歳の姉が麻袋で誘拐されたこと、結局、その姉を置いて日本に引き揚げて来なければならなかったこと。後日その姉の消息がわかり、子どもが2人いたが何度も脱走しようとして失敗し、精神に異常をきたして22歳で亡くなっていたこと。 7年目に馬車に乗り日本に引き揚げることになったが、途中で馬を休ませているとき、荷物ごとその馬車が走り去ってしまい、幼い弟を背負って240キロを歩かねばならなかったこと。 ・・・・・・・・そういう世にも悲惨な話を、今ではのーてんきなくらい明るいおばあさんが泣きながら話していることの不可思議さ。彼女には当時の情景が見えており、記憶をたどりながら自分の目で見たことをわたしたちに話している。しかも、当時彼女はまだ子どもだった。 なんか、こう、幸せっていいよね。悲惨な過去を清算してくれる。

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  • 23 Feb
    • 旧約聖書雑感(~サムエルの書まで)

      ここまでに印象に残っているのは、これは人間が望んだことだったのだな・・ということかも。 たとえば、エジプトで奴隷になっているのがいやで神に救いを求める。その結果、戦争と略奪の世の中になる。 その次に、自分たちの平和な暮らしを守りたい。そのために強い王を望む。その結果、封建的で争いの絶えない世の中になる。 その次には、自由で平等な社会を望む。・・・・その結果? その結果はどうなんでしょうね。 この社会は決して悪い社会だとは思っていないけど、ただ弱点がある。高齢者の3人に1人が自殺を考えたことがあり、介護者の4人に1人が鬱だそう。高齢者だけではなく、若い人たちのリストカットにもすでに驚かなくなってしまったし、NEETも増加する一方だし(関係ないか・・)、過度の競争により勝ちだの負けだのリストラだの拝金主義者だのその他諸々ストレスの高い社会でもある。 その次? その次はわからない。 わからないというより、仮に望むことがあったとしても、何を神に望んだらよいのか、それすらわからなくなってしまった。 自分を虐げていやなヤツがいるのなら、弱い者を憐れんでほしいと願えばいい。お金がないなら、食べ物がないなら、それを願えばいい。病気や災害のない世の中?失業者のいない世の中?政治家が不正をしない世の中?子どもの成長?戦争のない世の中? その次がわからない。

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  • 22 Feb
    • ダビデの時代

      サムエルの書上下を読み終える。 昨日のサウルのポカの話のつづきから。 ヘルム(日本語で言う皆殺しと放火だろうな・・)が素晴らしいとは思えないが、それまではヘルムといえば仮に高価なものがあったとしても略奪せずにすべて焼き払っていた。ところが、サウルは民に強いことは言えず、神に背いて略奪を容認してしまう。その結果、神はサウルを王にしたことを後悔するようになっていく。 軍事力アップのために王を立てたいと言い出したのは人間のほうであり、その結果として、国は強くなっても王は民の財産を奪い、民を奴隷とするだろう、という預言がどこかに書いてあったが、まさしくそういう世の中に向かって前進していく。 そして、サウルを王にしたことを後悔した神は、新しい王としてダビド(ダビデ)を選ぶ。 ダビデがサウルに仕えるようになったという逸話は2種類あるが、おそらくは戦いで手柄を立てたというほうがその後の文脈に合っている。ペリシテ人の大男との一騎打ちの際、まだ兵にも出ない年頃のダビデがイスラエル人の代表となり、石礫を相手の額に命中させ勝利を得る。そして、サウルに気に入られて家来になる。 それから先が大変。 ダビデが油を注がれた者であることを知り、サウルをしのぐ人気を得るにつれ、サウルの乱心が始まる。なんでもないときには普通の王なんだろうけど、突如としてダビデを殺そうとして暴れる。 その後、ダビデはペリシテへ逃げ、サウルと王子のヨナタンは敵の手にかかって死ぬ。さらに、イスラエルとユダの対立は深まる。 ダビデの罪。これにより、ダビデの息子の反逆。 ダビデは、サウルもヨナタンももちろん息子のアブサロムも愛していたから、深い悲しみに襲われる。愛する者たちによって命を狙われる運命だったのだろうか。 どこの国にも似たような話があるのでは・・・ 封建的な社会というのは、軍事国家の宿命なんだろうな・・・

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  • 20 Feb
    • 変わりゆくもの

      サウルがポカをしたところでちょっと休憩。 判事の書→ルトの書→サムエルの書上と進んでいる。 判事の書も後半になってくると、サムソンという英雄まで出没する。彼はどちらかというとギリシャ神話の中のヒーローのようで、女性で躓くあたりが人間くさい。 当時のイスラエルはペリシテ人と年中戦争していたらしく、サムソンの時代には征服されている。互いに侵略したりされたり、どうしても落とせないところはそのまま町が残っているし、サムソンのペリシテ人の妻の話や、サムソンの弱点を密告する女性や、あるいは人間離れした怪力の持ち主サムソンに弱点があること自体がギリシャ風。髪の毛を剃られると普通の人間の力に戻ってしまうという・・・ エフテの娘の話は悲劇。(いかんよ、そういう誓いをしては・・) ルトの書は、めずらしく戦争の話ではない。ダビデやイエス・キリストに異国人の血が混じっているということを初めて知る。異国人といっても隣の国だし、もともとのルーツは一緒なんだろうけど、ヘブライ人ではない。 その昔、飢饉があり、モアブに移住したエリメレクと妻のノエミ。ノエミには息子が2人いたが、夫と息子に先立たれる。そして遺った異国人の嫁たち。その嫁の1人がルトで、彼女は実家に戻らず、ノエミと一緒にベツレヘムで暮らす。そして、エリメレクの親戚の男と結婚し、法律上のエリメレクの子孫を残した。 おそらくは、ずっと戦争をしていたので、そういうケースが多々あったのかもしれない。 祭司エリの息子たちは、祭司の職権乱用で評判が悪い。結局、戦争の際、神の櫃をペリシテ人に奪われ、その息子たちは死んでしまった。世襲制だとどうにもならないもの・・・クビにできない。 神の厳しい罰が彼らに下ったという話。 律法というより、道徳かな。逸話の中に道徳がある。 さらに時代が進むと、イスラエル人たちは王が欲しいと言い出す。部族があって、かしらがいて、長老たちがいて、有事の際には預言者がいて各部族が一致して戦う。・・・・はずだったのに、この頃になると他の部族の干渉を嫌うベンヤミン族のようなケースがあると、いわば内戦状態になり、身内で殺し合いをしているようなものとなってしまう。懲らしめたいがいざ12部族のうちに欠けが生じるのもつらいという矛盾。 戦争だとその時代の周辺の強大な王国のように、多くの民がいるほうが強いに決まっている。が、しかし、神の守護があれば、人数なんて関係ない。実際、川が氾濫したり、いなごの大軍が押し寄せたり、敵にペストが蔓延したり? が、実際には、イスラエル人は王を求める。その初代の王がサウル。 サウルは・・・・どこか頼りない。 この頃になるとどことなく民主的で、王が誓いを立て、誓いを破ったものは殺すと言ったら、その誓いを知らずに罪を犯したのは息子のヨナタンだった。しかも、彼はその時の戦争の英雄。 判事の書の時代、エフテは自分の誓いどおり、娘をいけにえにしてしまった。その悲劇。ところが、サウルの場合には、民がヨナタンに味方し、彼の代わりに牛が屠られた。戦争でへとへとになっている兵士たちに断食を命じるほうが悪いと言ったヨナタンを民が支持したのも当たり前。そういう誓いをしたサウルが悪いそう。

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