迷惑な教会

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明日から大阪へ行く。

7日(火)にユスト高山右近の列福式がある。

戦国大名で、大名の地位を捨ててマニラへ行ったということくらいしか知らない。それでも日本で列福式があるというので、そこで聖歌隊として歌えることはこれが最後のチャンスかもしれないし、夏にバルセロナに家族と行き、サグラダファミリア教会でパパ様が司式するミサと700人の聖歌隊の姿をうっとりと想像し、私にもそういう機会が与えられますよう神様に願ってしまったのかもしれない。私はサグラダファミリア教会で歌いたかったのだけど・・・

 

結局、教会というのはどういうところかと思ってしまう。

チャリティとかボランティアとか、お金を出すことが嫌なのではなくて、強制的にやらされることに反感を覚えているのかもしれないし、教区のほうで聖歌を歌えば、それこそ自分の教会のバザーをないがしろにすると叱られる。それもこれも役員を3年もやらされたせいだ。

長くやられている方たちにとっては仕事であり、私の場合は、他にも仕事があり、何となく教会のことだけに翻弄されることが迷惑に感じられる。高齢者のほうが暇で元気なのだから、頑張ってくださいとしか語れない。同世代としては、互いに無理をしないことを誓い合う。逆らったら干される世界だからだ。

 

バチカンでは空港なみのセキュリティチェックがあり、暑い中並んでいてもお水すらない。ペットボトルの水が持ち込めないため。バチカンの広場では、水売りが待ち構えている。

バルセロナの教会では、入場料を払うのが当たり前。

ローマの教会ではセキュリティチェックが当たり前。

つくばの教会では働きすぎは悪魔の元。

 

おかげさまで娘が大学院に合格した。

大学も無事に卒業できそうだし、将来のことを考えたら誰でも不安なのだけれども、今は今のことをやるだけだ。

 

 

なんか、この絵が気に入っている。版画。

娘の作品。

グループ展もやっているので、そういうのを書いていいのかな、悩む。

 

詩篇 145. 17-21

 

 

 

 

 

 

 

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悪魔の教会

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毎年この時期になると、来年の役員のことですったもんだする。

毎年のことなので、慣れてはいるものの、すでに3年もやらされて、これでもかとやっているつもりなのに、何もしないと言われてしまう。

 

理由は、歌を歌っているほうが楽しいに決まっている。それで、教区大会の合唱フェスティバルの練習へ参加したいと言えば行くなと言われ、来年は役員をやめて教会の外へ出たいと言えば、女性の会ですら反対される。反対というよりも妨害されている。うちの教会は脱会したというのだが、実際には会費を払い連絡員もいる。会長のほうに来年はよろしくと挨拶も終わっているのに、足を引っ張られる。

 

ご奉仕をやったら悪魔と言われ、悪魔と言われないためにご奉仕やって、ご奉仕やれば家にシロアリが見つかり大騒動。いつまでこんな生活が続くのだろう。

本当に年年歳歳ストレスがたまり、行きたくないと思いながらも、仕事のように通っている。

あの人とは一緒にやりたくないといえば、わざわざ一緒にされたり、どういう感性なんだろう?

うんざりだ。

 

エレミヤ 34. 12-17

 

だからうちの教会は嫌われる。

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助祭叙階式

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今年は、うちの教会だけではなく、いろいろな教会に巡礼に行きたいけど、実は仕事が溜まっていてなかなか進まない。
とりあえず、いくつかお知らせをいただいて、その中から選べるのは役員の特権かもしれない。
実際には、近所の教会へ通うだけでも大変なのかもしれない。

古河教会へ行ったのは初めて。
以前から手話のことで知り合った方がいて、うちの教会では難聴者がいなくなるため、典礼ミサについてもう少し勉強しようと思い、お話を伺おうと思ったから。
神学生の助祭叙階式があり、出身教会で叙階するから、小さい教会だし、静かに行われると思っていたのに、大司教様までいらしていて、参列者もいろいろな教会から集まっているそうだ。
普段は本当に小さな教会で、そのくせ二階席があり、椅子もパイプ椅子だけど、本当はそういう小さな教会のほうがカトリックらしくて好きだ。
オルガンは1階にあるけれども、私は2階にいた。
オルガンの真上。
隣にいた方は本格的に声楽をなさっている方だと思う。歌い方が全然違うし、私はいつも二人しかいないアルトのために主旋律を歌うことは少ないけど、たまにはそうやって気分転換に外で歌うのも楽しいと思った。
聖歌隊をしていると、ミサのことがあるから、それなりに気を使う。
そういう意味では、他の教会へ行くことはそれなりにストレス発散になる気がしたし、勉強にもなった。歌いすぎるのはよくないと思いながら歌っているのと、和声を気にしないで歌っているのとは違う。

うちの教会も長くなると、聖歌隊の指定席もあり、役員もやり、・・・という具合だと、ただ座っている、という気がしなくなる。
教会のご奉仕というのはそういうもので、毎月行事予定表を作りながら何か忘れていることはないかとか、来月には何があるとか、細々としたことまで考えるようになると、ミサ後には何があって、という具合に何となく落ち着かない気がする。
それはそれでよいことなのだと思うけど、普通に信者としてミサに与るほうが楽しい気もする。
どちらがいいのかわからないな・・・行事があってもお客様をしているほうがいいのか、皆と一緒にご奉仕するほうがいいのか・・・わからないな。教会とはいろいろな方がいる。

肝心の叙階式のほうはお話好きの神学生がよく似た家族に囲まれ、大司教様のユーモアのある司式のもとに和やかに行われた。
田舎の教会で和やかに、それでいて大聖堂のような空気。
小さな教会が2階席までいっぱいになり、知り合いと外で立ち話をしただけでパーティには出ないで帰ってきた。彼はうちの教会からテントを持ってきているから先に帰れないのだそう。
司牧部は大変だ。
総務のしらいしになりそうだから、そそくさと帰った。
どこの教会も人手不足なのかもしれない。
普通に信者でね・・・
私は聖歌隊だから、いいや、と思って帰ってきた。
ご奉仕か・・・

列王記下 10



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フランシスコ会の話

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ホーリーカップルになって一番驚いたのは、私が空想のように書いていた話が、現実の世界の出来事だったということよりも、神父様が、本当にフランシスコ会へ異動するということを考えているということだった。


フランシスコ会というのは、ルドビーさんとお呼びしていた神父様がいらっしゃるところで、そのご縁があり、私は娘が小学生の頃、アッシジへ行った。1ヵ月くらいイタリアにいたかな・・・ 洗礼を受けるかどうかも迷っていた頃で、ローマではなく、アッシジへ向かったのである。


私はカトリックの大学だったのに、アッシジのことはあまり知らなかった。フランチェスコのこともルドビーさんのサイトで知った。将来、美大へ行きたいと言っていた娘のために、本当はパリへ行くつもりだったが、ルドビーさんのサイトがアッシジの写真だらけになり、何となくイタリアへ行き先を変えた。


アッシジというのは、私と娘にとっては聖地で、今でも懐かしい。


***


私のホーリーカップルのパートナーの神父様というのは、実家がお寺なのに、お母さまがカトリックの信者で、叔父さまが神父をなさっていたということで、神父様としてはユニークな存在なのではないかと思う。


ブログにもお寺の写真があったり・・・

フランシスコ会のルドビーさんも修道院の自室のお写真だと思うけど、美しい仏像があり、フランシスコ会というのは自由なのだと感じたことがある。


夫の実家は姉たちがずっと小学校からカトリックで、義母も教会のお手伝いをしており、甥がなぜかカトリックの高校の教師をしているというカトリック生活な家庭だけど、お寺さんのお付き合いというものがあり、そのせいで誰も洗礼を受けていないという不思議な家族だ。


洗礼を受けなかったのは、長男の嫁がカトリックの信者になってしまうと、お寺との関係がややこしくなるために、日常生活はカトリック生活のくせに、洗礼を受けることに姑さんから反対を受けていたため。カトリック生活というのを説明しだすときりがないけど、カトリックの影響を強く受けた生活というか・・・人生観の問題か。


でも、そういうふうに考えていたら、ルドビーさんのお部屋の写真を見た時、仏像が書棚に置いてあり、大切にしていることがわかり、おそらくは日本人なら最初からクリスチャンだったわけではないと思うので、家族から受け継いでいるものを大切になさっているのかと思った。だから、フランシスコ会なのだな、と漠然と感じたことがある。


だから、思い切って行き先をパリでもなく、ローマでもなく、アッシジにした。


そういうこともあって、聖書のことだけではなく、フランシスコ会だったら、自由があるのではないかと考えたことがあり、何となく千原神父の場合には、フランシスコ会ほうが向いているのではないかな、と思ってメールに書いていたら、本当に今、青森のフランシスコ会にいるらしい。


(ヨブ40.4-5)


追記: この話は事実ではありません。青森にフランシスコ会はない?

パウロしみじみ・・・

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大学が冬休みに入り、やっと娘が家に帰ってきた。

いつもなら私のお誕生日には帰省するはずだが、だんだん忙しい年頃になってきているので、なかなか戻って来ない。


1月に入ったら5日から授業が始まるため、ほとんど家にいない気がするけど、とりあえず、年賀状は作ってくれたので良しとしよう。

せっかく美大へ通わせているのだから、それくらいは・・・


画像をアップしたかったのだけど、重すぎてアメブロではアップロードできない。残念。


***


今年はクリスマスという気分ではなかった。

毎年そうなのに、今年はクリスマスの朝まで年末調整をやって、ミサへ行き、それからお給料を振り込むという慌ただしさ。


採用の面接はあるし、定年退職する看護師の退職金の計算やら、年末の上にパートが一人決まっただけではどうなることやら・・・

やることが多すぎ。

このままだとお正月という気分でもなさそう。


あっという間に一日が終わってしまう。

棚卸も終わってないしな・・・

休日出勤手当がほしいが、もらえない。


なんかね・・・

クリスマスイブに、ホーリーカップルになったというお知らせが届いたらしいのですが、実感が湧かず、クリスマスの朝に、教会のお世話になった方たちにメールでお礼状を出し、会うと嬉しそうにハグされたので、やっぱりその話は本当だったのかという顔をしたら呆れられてしまった。


仕事が多すぎるのかも。


(ガラテヤ2.1-7)



いつの時代も、という感じ。