2006年01月25日(水)

学校で何を教えるか?

テーマ:子ども・教育

もう先日の話ですが、全国初の民間校長となった藤原校長が行っている「よのなか科」と名づけられた総合学習を見学しにある中学校に行ってきました。


自ら「よのなか科」という授業を行い、他にも様々な学校改革に取り組み、当中学校の人気を一気にあげた他、新聞に載ったり著書も多い有名人です。詳細はこちら 。本当にやり手という感じ。実際にお会いした感じでは、私の中での「リク○ート」オーラをもろ感じました・・・。


さて、その日の授業は「お金持ちになる方法」。貯蓄と投資について考えました。

少なくとも自分が中学の時には、投資について教わった記憶はない。でも、とても必要なことだと思った。

50分という短い時間の中で大変凝縮されていたので、とても詳しい生徒に驚きつつも、本当に全員が投資の意味をわかったかな?と疑問に思ったり、個人的にはちょっと表面的及び一面的すぎないかな、と思ったりもしたものの、たとえ表面的にでも考えるきっかけを与えられる意義は大きいと思った。

また単に投資について考えるだけでなく、お金で手に入らないものについて考えて、「自分への投資」を考えたりもした点には、「う~ん、うまくまとめたねぇ」という感じ。

さらに、いろいろな職業の時給を換算し、なぜ起業家が年収10億円稼ぐことができるのか考えたり、また、フリーターではやっていけない、というメッセージをしっかりと伝えていた。中学生にとって時給800円は「お~すごいじゃん!ゲーム買える!」って思ってしまう視点から、他の職業の時給と比べることで、「実はよくないらしい」という視点に変えることに成功していた。後で生徒の感想を聞いたら、素直に生徒はその事実に驚きメッセージを受け入れてたから、すごい。ちなみに、来年からの自分の時給、授業中に密かに換算。初任給で残業時間を合わせると、まぁ時給400~500円といったところ・・・。ひどすぎる・・・。

そして、最後に校長は、「じゃあ、ビル・ゲイツは本当に地元地域の自営業者よりも幸せか?」という問いかけをして、それは生徒に任せて終了。


実際に授業を受けた感想としては、まず第一にすごく授業が練られている。内容然り、時間配分然り、授業スピード然り。ペースとしては塾っぽい。公民で「投資とは何か?」と教わるよりも断然惹き付けられる。私が思うに、生徒は恐らく100%は授業を理解していないし、内容をすぐ忘れる可能性も否めない。けれども、少しでも記憶の隅にひっかかったり、個人の興味によってはすごく興味を持てることは間違いないと思う。

名前そのものだが、単に知識として一方通行的に教わるのではなく、世の中と知識がどうつながっているのか確認できる場であり、世の中について考える時間であった。(投資以外にも毎週いろんなおもしろいテーマがあるのです。)で、おそらくそれは、社会の一部である学校が社会に出る子どもたちに何を教えるべきなのか?という点において、最も重要なことの一つであると思った。学校は社会から隔離された特別空間であるべきではないはず。今回見た授業について、注文をつけようと思えばつけることはできるのだけど、こういう授業を生み出したことについて、純粋に私は彼のことをすごいなぁと思うし、この授業のようなものが全国の学校に広まればいいのになぁと思う。


もう一つ興味深かったのが、この「よのなか科」、地域の人を含め、誰でも参加できるということ。見学ではなく、参加。何十回も来ている人、北陸からわざわざ授業を受けに来た人などいるから驚きです。内容だけでなく、学校が外の社会とつながっていく機会、大人と学校がつながる機会、生涯学習の機会となるわけです。


校長が言っていたことで心に残っていることの一つが「パターン認識を外す」ということ。虹の色は何色か?という例を元に、まぁ7色と答えるのが普通かと思うけど、じゃあ7色全部言ってみてと言われれば、全部言えない。ところが、虹の色は万国共通で7色ではない。5色と教わるところもあれば6色と教わるところもある。こんな単純なところから、いかに私たちがパターン化されているかということに気付かされました。ほんと世の中に絶対的なものは基本ないと思うし、それを認識することが新しい可能性を生み出す第一歩であると思う。


実は頭の中がタイの事後処理でいっぱいいっぱいな時に行ったので、自分の頭の働きが100%じゃなかった気がするのが悔やまれないでもないけど、それでも刺激的な時間でした。

2005年12月09日(金)

We Are One Family

テーマ:子ども・教育

先日訪問したインターナショナルスクールのCarol Nightというクリスマスイベントに招待されて行ってきました。


なんというか、学芸会というか音楽会というか。小学校の方のイベントだったので、なつかしい雰囲気。

まぁそれにしても、親まで集まると、ほんとに「ここはどこ?」的な国籍の豊かさ。

想像以上に大反響で席がなくうろうろしていたら、学園長にV.I.P.席に通され恐縮。感謝。かわいい子どもたちのすぐ後ろに座る。


1年生から6年生まで見て、小学生の成長って早いなぁと思う。歌にしても5年生くらいでいきなり歌い方が大人っぽくなるから不思議。それにしても、子どもたちの歌う英語の歌の歌詞が聞き取れず、はぁ~という感じ。でも、子どもたちが民族衣装をはじめ、それぞれにおしゃれしていてとてもかわいい。

ちなみにプログラムの一つに弦楽器のアンサンブルクラブによる曲演奏(四重奏+ピアノ)があったのだけど、出来に関してはノーコメントだとして、ビオラの音がなぜか一番聞こえていたのに奇跡を感じました・・・。


「きよしこの夜」を各国語で歌ったりした後、最後にこの学校の今年のテーマ(標語というべきでしょうか)の"We Are One Family"という歌を全員で合唱。歌詞がとてもよく、そして感動。音楽の持つ力はすごいよ、全く。


やっぱり子どもってとってもかわいい!って思った数時間でした。でもって、今日もまた学園長の子どもに対するフレンドリーさと優しさに胸打たれる。そして、フィリピンご出身だという学園長、今日はスペイン語がぺらぺらだということまで発覚。全く、この学校の生徒も3ヶ国語みんな話せちゃうし、到底かないません・・・。


2005年12月07日(水)

International School訪問①

テーマ:子ども・教育

とあるインターナショナルに見学しに行って来ました。

インターナショナルスクールに行くのは生まれて2回目。1回目は中学1年の時に、インターナショナルスクールに進学した友達に招待されてフェスティバルに行ったところ、英語は全然しゃべれなかった頃だけど、各国料理の屋台が出ていて、とても楽しかったのを覚えているなぁ・・・。


さて、今回も日本なのに外国に行った気分です。ずっと英語だったし。

なんとなく予想していた通りの違いもあったけど、色々と驚くこと満載。とても新鮮な気分になれたし、何よりも先生方がとても親切で、行った甲斐がありました。

せっかくなので、その学校のことをいくつか紹介しようかと思います。


中学の美術の時間を見学して。

ここで何よりも日本と違うと思ったのが、creativityやoriginalityの重視。もちろん美術なんてどの作品もcreativityの塊じゃないかって思うかもしれないけど、そのレベルが雲泥の差というか意味が違う。

ちょうど模写の時間だったのだけど、単に有名な作品を模倣すればいいのではない。たとえば、原作を上下逆さまに置いて、元の絵を想像しながら書いたり、色を自分の好きなように変えてみたり、描き方の技法を工夫してみたり。つまり元の絵をいかに自分なりにアレンジするか。

それから他にも、鉢に植えた植木を龍に見立てて、そこから龍の絵を描け、とか、ポップコーン一粒を見せてここから何かを想像して絵を描け(例:一人の子は貴族風の夫人用帽子のふわふわした部分にポップコーンを見立てて夫人の絵を描いていた)とか。

模写の場合の成績のつけ方は、

1)自分の興味とか感性に合った絵を選ぶことができたか?=なぜこの絵を選んだのか、この絵のどこがいいのか、自分の言葉で説明できるかということを含むらしい。

2)様々な絵画技法を使いこなしているか

3)どれだけ自分なりにアレンジできたか

というような各項目を審査して決まるそうです。美術の先生のポリシーは「右脳を使え」と。単なる模写は「左脳を使っているだけにすぎない。重要なのは右脳よ!」だそうで。なるほど。確かにcreativityは右脳を使う訓練をすることによって鍛えられそうです。その点では美術という最もcreativeな科目においてもやはり日本は左脳寄りだと言わざるをえないかもしれないね。


1クラスの人数は20人前後。低学年ほど少ない。10年生~(高校生)にもなると、コースが別れるせいもあるのだけど、5人の授業とかあってびっくり。基本10人もいなかった。

教室を見て、やっぱり最も違うのは、生徒が列になって黒板に向かっているクラス体系は例外と言っていいくらい少ないということでしょうか。基本グループを作っています。グループを作ることによって、議論もしやすいし、一方的に知識を鵜呑みにするのではなく、よりinteractiveな授業を行っていることが伺え知れました。


また、私が今回最も驚いたことは先生と生徒の親密度。校長先生が廊下を通れば、生徒は気軽に先生に声をかけ、校長も気さくに生徒に声をかける。自分にとって校長先生は常に遠い存在だったので、とても不思議な気がしました。そのことを校長先生に言ったら、「当然でしょ」とのこと。彼女曰く、「校長は役割が違うだけであって、他の先生の上に立つわけでも、他の先生よりも偉いわけでもない。一教師として常に子どもと共にあるべきだ」と。そうね、私もそんな校長先生のいる学校に行きたかったかも。

ともあれ、システム上もかなり生徒に手厚いものになっています。まず、当然のことながら担任の先生がいます。これは、当たり前だが選べない。しかし、これじゃあ生徒にとって先生と気が合うかどうかわからないので、その学年を受け持つ何人もの先生たち(音楽など専門科目の先生も含む)の中から一人をアドバイザーの先生として各生徒は選ぶことができます。このため、生徒はまずアドバイザーの先生に色々と相談することが多いみたい。さらに、専門のスクールカウンセラーがいて、そして校長・学園長がいるわけ。彼らにも「ちょっと校長先生と話したい」と言えば、いつでも時間を取って相談に乗ってくれる。

先生たちのこの一貫したモチベーションの高さ、"Be always with the students"精神には感銘を受けるものがありました。


親と学校との関わりも深いよう。イベントの時(クリスマスとか)、今回も親が来て準備していましたし、いろいろと関わる機会があるそうです。親も様々な国籍ですから、親の中での交流も楽しんでいるみたい。まぁ、一つの狭い社会(日本における外国人社会)を築いているであろうという特殊環境ではありますが。

でも、図書館の本を親も借りられるのにはびっくり。これで安心して英語の本を借りて子どもに読んであげられるというものです。


それにしても幼稚園の子どもたちはほんとかわいい。白人の金髪の女の子はほんとにお人形さんみたいで抱きしめたくなってしまいました。まだまだ話はありますが、とりあえずまた次回ということで。


2005年12月01日(木)

高専訪問

テーマ:子ども・教育

早くも12月。11月が忙しかったせいか、こないだハロウィーンが終わったと思ったら、もう12月なんて。早すぎる・・・。ともあれ、なんとなくクリスマスバージョンにしてみました。


さて、昨日は高専(高等専門学校)を訪問してきました。私には身近に高専に進学した人もおらず、高専に行くのは初めてだったのはもちろん、高専って何だろう?的なところも実際問題あったので、新鮮でおもしろかったです。

工学系だったので、「こんなの作れちゃうんだ~」的な生徒の作品や本格的な実験・実技機材に目を見張る。私が苦手な分野のことばかりなので、「すごいね~」とひたすら感心。


とまぁ、もちろんこんなことばかりではなく、高専あるいは学校一般に抱える問題に大して考えさせられるきっかけも大いに与えられました。

もともと高専は高度成長期に産業界側のニーズによって即戦力のある人材を育てるために、理系高校3年と工学系大学4年を合わせて7年のところを5年で卒業できるようにした、実践重視の教育を行う場。高専が今抱えている最も大きな問題は、高専自体の存在意義あるいは高専が現在の社会においてどうあるべきかということでしょうか。というのも、普通に考えたら分かることだけど、子どもの数自体も減り、大学に行く子どもが大幅に増える中で、高専の人気はダウン。生徒獲得に苦労している様子も感じられました。高専を卒業しても大学に編入する形で進学する生徒が増加しているのも事実。

1つの問題としては、まず中学生の段階で進路を決められない子が多いということ。私が中学3年生だったときを思い出しても、決められなかったなぁ。文系か理系かでもぐだぐだ迷ったし。昔は、子どもが工学系に興味を持ったとかいうレベルを超えて、日本全体もまだ今に比べたら豊かでなかったし、少しでも早く卒業して社会に出て稼いでほしいという家のニーズ、高度経済成長期において所謂機械産業など工学系産業への期待などがあいまって、高専が成り立っていたのだと思う。けど、今は各家庭に余裕も出てきたし、少しでも早く社会に出るメリットがそこまで感じられない、お金に困らない時代あるいはどの業界に行けば稼げるというのが崩れて、将来を個人の興味や関心で決めることが可能になったという社会の変化。その中で果たして15歳で進路を決めることが可能か。もちろん可能な子もいるだろうけど、それが高専の生徒数を集めるほどいるのか、っていうところが問題なんだと思う。

2つ目の問題としては、現在において産業側が果たしてどのくらい高専に期待しているのか。大学→大学院→企業に就職という道が一般的になりつつある中において、高専→就職あるいは高専→大学編入→大学院→就職というルートに産業側が何を実際にメリットとして見ているのか。実践的なカリキュラムゆえに実技能力が高い人材を育てることができる、そういった意味で高度な技術分野に対して高専の卒業生に企業が期待しているという話だったけれども、確かにカリキュラムは実践的だし技術力も高そうって思ったけど、私は大学の工学系の学部・院においてどのような教育が行われているのか知らないため、比較できないのでよくわかりません。大学編入の場合は、確かに一般教育を受けてきた人よりは知識や技術力がありそうだけど、果たしてそれが学部や院の卒業のレベルにおいて差が出てくるのかとかね。極端な話、差が全くないのであれば、存在意義がかなり減少するわけです。とはいえ、一人一人によるところは大きいのだろうけど、きっと差がないことはないでしょう。


日本もものづくりの分野では力を入れていくべきだろうし、高専がいらないのかと言えば、これまた微妙な話です。ただ、現在高専が直面している問題や社会の状況を見てみると、私個人的には、高専という概念にとらわれすぎずに一度全ての枠を取っ払って、ものづくりに適した人材を育てるという一つの目的のために、どのような教育形態が望ましいのか、考え直すべき時かもしれないと思います。あくまでも個人的意見ですが。高専に人が集まらないから高専をなくす、とかいう単純なことじゃなくて。高専的なものが日本のものづくりにおいてニーズ的に必要なのであれば、中学段階での教育あるいは進路指導においてどうするべきかっていうところまで話がきっと広がるわけです。


それから、今回の高専では、地域との連携も垣間見ることができました。図書館を地域の人に開放したり、校庭を開放する試みなど。子どもを学校という隔離空間におくのではなく、社会の一部である学校におくために、そういうことってこれからどんどん必要なんじゃないかなぁ~と思います。


そんなこんなで、教育分野でも普通はあまりとっつかない部分をちょっとでも知ることができたのは有意義でした。



2005年10月25日(火)

小学校訪問

テーマ:子ども・教育

先日、今度は中学校ではなく某公立小学校に見学に行ってきました。


小学生、ちっちゃいなぁ~。めちゃくちゃかわいい☆

ちびっ子たちを見ていて、元バイト先やモロッコの子どもたちを思い出しました。彼らももう大きくなったんかいなぁ・・・。ところで、最近の小学生はランドセルが個性豊かでありますこと!ピンクやライトブルーに始まり、なんやら表現しにくい色やチェックや妙に凝ったデザインなどなど・・・。時代も変わりましたね・・・。

各教室にはPCが設置されているし、黒板は上下可動式だし(これは昔からあるとこはありそうだけど・・)、しゃれたランチルームや立派な和室までついちゃって、うらやましい限り。決して新しい学校ではなかったのだけど。


さて、授業のことはさておき、一番のカルチャーショック!!

全学校共通かどうかは知らないけど、とりあえずこの学校では、先生は生徒のことを男の子も女の子も「○○(苗字)さん」って呼ぶ。田中さん、鈴木さん・・・みたいに。う~ん、もはや「君」はダメですか。これもジェンダーフリーってやつですかねぇ。超違和感あり。小さな男の子が○○さんと呼ばれているのは、どうもよそよそしい気がしてならない・・・。ちょっと極端じゃないかなぁ・・・。英語だってMr.とMs.があるしさ、「僕」って言葉を禁止しちゃうくらい、変な気がするけどなぁ。何もジェンダーフリーっていうのは、違いを完全になくせばいいってもんじゃないと思うんだけど・・・。


あと、この学校はノーチャイムだった。ノーチャイムはけっこういいかも。見学者にとってはいつ授業が始まるんだかよくわからなかったけど、終わりをチャイムに邪魔されないのはいいなと思った。


さて、見てきた授業は実に様々。

中学校と違って小学校の場合、特に低学年だと遊びの要素も取り入れないといけないし、真面目に勉強すればいいってもんじゃないと思うので、授業を見ても、まぁこんなもんかぁと思うのが多くて、特に思い当たる節もなかったり・・・。算数や国語でも先生がちゃんと後ろまで回って生徒全員に一応気を配っているみたいだったしよかったんじゃないかなぁ。総合とかを見ても、内容は私たちのときに総合という時間はなかったけれども、恐らく社会か何かでやっていたことと一緒。「自分たちの地域を調べてみよう!」みたいな。私たちは総合ってなかったけど、でもやったよなぁ~これっていう感じでした。小学校の方が元々、中学校よりも生徒主体の能動的な学習が多いからかもしれません。

それにしても、今から思うと小学校の授業って超柔軟が効いたよね。学芸会の前には劇の練習ばっかになっちゃうし、運動会の前には体育ばっかになっちゃうし、ほんと色んなことをやってましたね。


ところで、みんなが元気よく手をあげて発言しようとする1、2年生。一体いつくらいからshyになっちゃうんだろうって思いました・・・。もちろん精神的な発達と共に、間違えるのが恥ずかしいとかそういう感情が芽生えてくるのかもしれないけど、そのあたりの時にいかに導くか、ケアするかで違ってきそうな気もします・・。


ちなみにこの学校では、1年生から英語を教えていました。私たちが中1でやったことをどうやら小2でやっていた。ちょっとショック・・・。3年生の英語の授業を見ましたが、小学生にあのように英語を教えることにどれだけの意味があるのかちょっと疑問に思う。完全に遊びだし、遊びながら英語に親しんでもらうというコンセプト的にはいいのかもしれないけれども、英語がいまいちな先生がひたすら図形の形の英語名をゲームっぽくしながらも生徒に復唱させることに、あまり意義を見出せないというか、この授業の結果何を得させたいのかがいまいち不明・・・。英語は早く始めりゃいいってもんでもないと思う。うまい方法で早く始めりゃいいんだろうけど。

ところで、壁に貼ってあった英語のあいさつ文に

How are you?

I'm fine/ good/ happy/ tired/ ・・・.

と書いてあったことに個人的に満足。ALTが作ったのかな?

というのも、外国人の友達に、日本人はHow are you?って聞かれると、

I'm fine, thank you. And you?

って教科書チックにしか答えられないよねってバカにされたことがあったからです。fineじゃなくてもfineって言っちゃうみたいな・・・。バカの一つ覚えみたいのはやっぱり情けない。英語の授業の始まる前に、私の中学では(というか、今回見学した中学でもそうだったけど)、先生がHow are you?って聞いて、全員がI'm fine thank you, and you?って一斉に唱えるけど、あれやめた方がいいんじゃないのかなぁ・・・。何人かばらばら聞けば十分だと思う。みんな別にfineじゃないだろ・・・。


さて、実はこの小学校、情報コミュニケーション科研究開発学校に指定されていて、1学期のその成果が展示されていました。総合の時間をそれにあてているらしく、今でも総合のうち週1は必ずPCの時間らしいですが、まず生徒のPCを駆使した作品に驚く。やばい、私もどうやってそれを作るのかわからんよ・・・。

情報コミュニケーション科の授業を実際に見ることができなかったのは非常に残念だったけど、展示内容から見る限り、とてもいい印象を受けました。

この授業の目的は「情報分析とコミュニケーション」で6年間を通しての学習計画が立てられていたようでした。詳しく各学年の目標はメモしてこなかったので忘れてしまいましたが、

まず1年生で、お互いに簡単なインタビューをしたりして(ほんとはもっと何かあったんだけど・・)、どうやって人とコミュニケーションを取るべきなのかを学ぶ。

学年を経るごとに課題が難しくなっていって、3年だか4年では、色々な人にインタビューしたり実際の体験を通じて、日本文化のことを学んで海外の人に伝えたり、おもしろいと思ったのは、5年だか6年で、日本全国ダーツの旅になぞらえて、どっか1県、旅行の行き先を考えて旅行計画を立てる。そこの県で何が有名なのか、その歴史は何なのか、交通手段は何を使ったら早いか安いか、ご飯はどこで食べたらおいしいものを食べられるか、予算はどうか・・・、などなど完全な旅行計画。(実際は行けないのが気の毒・・・。)要は、やることは段々難しくなっていっているのですが、全ての学年において、目的は「いかに身の回りに溢れる情報を収集して取捨選択し、それをどうまとめて、人にどのように伝えたらうまく伝わるか」というものなのです。コンセプトが非常に明快、さらに1年から6年までの目標もしっかり立てられているところがすばらしいと思いました。展示の報告を見た限りなので、本当にうまくいっていたのか確かには言えないけど、展示から推測できる限りでは、いい学習を行ってきたように見えました。

実際の成果がどうであったかはともかく、このような授業計画が立てられていたことはとても意味があると思います。これだけ簡単にインターネットを使える現代社会において、先生はもはや持てる知識を生徒に与えるという存在に留まることはできないはず。生徒の方が詳しいなんていうことは何の不思議もなく考えられる。そういった情報が簡単に手に入る社会の中で、やっぱり、情報を集めて要不要を見分け、そこからいかに吸収するかっていうことや、閉鎖的空間に閉じこもろうと思えば閉じこもれてしまう社会の中で、いかに人とコミュニケーションを取るか学ぶってことは、私はすごく大事なんじゃないのかなぁって思う。


ちなみに、研究指定校ってどうやって決まるんですかね?省の決めたテーマに学校が応募するんでしょうか?こうやって指定校でうまくいった取り組みをいかに他の学校に広めるかというのもまた難しい気もしますが、そこもまたクリアしていかなければいけないところなんでしょうね。

また、長っ・・・。ごめんなさい・・・。

2005年10月20日(木)

公立中学間の差

テーマ:子ども・教育

軽い話を書こうと思ったけど、やっぱり重くなります。忘れないうちに書かないとと思って・・・。


我が家のもろ近所の中学校に行ってきました。今でこそ学校選択制でなくなりましたが、元々私の学区の中学で私が公立に進んでいたら行くはずだった中学です。

これで東京での中学訪問も5校目だったわけですが、う~ん、がっくり。何よりもまず、汚い。そんなんどうでもよくない?って思うかもしれないけど、設備だって重要です。やっぱりきれいな学校の方が行きたくなるよね?やる気も増すと思うんだけど。


それにしても、同じ公立でもここまで違うか~ってくらい違うことに驚きました。

まずは何度も言うけど設備面。たまたま前の4校が全面or一部改装していたということもあったから、そのギャップに驚いただけなのかもしれないけど。先週末に行ったC中学校なんてすごい!なんか吹き抜けだし。和風な庭園(?)まであるし。廊下が教室と同じくらい広いし。教室の扉には大きな透明ガラスが付いていて開放感溢れるし。最近は木を使った「木のぬくもり」学校も流行りですね。新しくなった学校は大抵木を取り入れているようです。(これって間伐材を使っているんだっけ・・・?)


今回の中学は、古いのはどうしようもないとしても、中に入ったとたん、なんだか閉鎖的な雰囲気を感じてしまいました。大体、地域に開放するときくらい扉は開けるものでしょう・・・。しかも、扉閉めると、扉にはまっているガラスが曇りガラスなものだから、何も見えないし。ほんとに中で何が行われているかわからない。先生と生徒の秘密の空間ですね(!?)近頃では、こういった(先生が何をしているか外部に分からないという)閉鎖的空間が問題になっていて、扉や壁がなくなっちゃう先駆的な学校から、なくならなくても開けっ放しという学校も多いようですが。最近改善されつつある学校図書館も、この中学では、私が背伸びしてもちらっとしか中が見えないような覗き窓のついた小さな扉が上の方についている細長い扉が締め切ったままだし。まぁ授業中に閉めるのはいいとして、他の中学の本屋さんのような画期的な図書館に比べると、生徒が行く気を起こさないだろうというのは容易に想像できます。しかし、この中学でも木を使ったログハウス調のコンピュータールームを発見。やっぱり流行りだ・・・。あとは、ちょっと学校がキャパを軽く超えているんじゃないか感がありましたけど。生徒数の割に教室が狭い。一番後ろの子なんて、壁まであと1mくらいだし。そもそも、元の学区で言えば、4つの小学校が1つの中学校になるところで、無理を感じます・・・。


もう一つは、設備面だけでなく、(この改革がいいのか悪いのかはさておき)改革への遅れが感じられました。他の中学訪問により、最近の学校は中学でも選択性やレベル別なのか~なんて感心していましたが、この中学では行われていませんでした。私が言いたいのは、選択性にすべきなのにしてないから遅れている!ということではなく、先生たちの態度を見ていても、他校と比べて、改革への熱心さ、学校をもっとよくしていけないか的な動き、がほとんどないような感じがしたのです。なんていうか、私の時代の中学校だと思いました。ちっとも変わっていない。さっき言ったけど、地域への学校公開なのに扉を閉め切るというのも、先生の態度の表れだと思います。学校選択制に伴う義務(区教委からの通達!?)でこの学校公開を行うようになったわけですが、とりあえず義務にしたがっているだけなのです。「見てもらおう」という気はありません。学校の門を開けて、教室の扉を閉じる。これは公開と呼べません。


どうしてこれだけ同じ区の同じ公立間で差が出るのか?

やっぱり校長先生のやる気なんでしょうか?

そもそも設備の点だって、もちろん区内の全校一斉に改装工事をすることはできませんから、順番にということになるわけですが、どうやってその順番を決めているんでしょう?

学校間の予算配分がどのように行われているのか私は知らないのですが(教えてほしい・・・。自分で調べるべきか・・・。知ってたら教えて・・・。)、生徒数などの他は、校長先生のアピールによるところも大きいんじゃないのかなぁ?「次年度こういう改革を進めるから、予算を欲しい」みたいな。違うの?


ところで、我が区で始まった学校選択制。これはチャンス!新しいきれいな学校にも通えます!(きれいさで選ぶかどうかはともかく。)

しかし、この制度それほど広まっていません。結局元の学区のとこに行くのがほとんど。

もちろん、家からの近さもあるんでしょうが、それ以上に、お母さんたちは同じ公立でこれだけの違いがあることを知りません。学校公開だって、本当の意味は小学校6年生の親に見せることにあるわけですが、実際にはほとんど来てません。私の近所のお母さん方の話を聞いていても、公立は皆同じだと思っているのです。とんでもない!せっかくのチャンスをもうちょっと活用できたらいいのに。学校説明会に来た親だけにパンフを配るのではなくて、区内全小学校6年生の親に区内全中学校のパンフが渡るようにする、くらいのことは必要かもね、ほんとに選択制を機能させるつもりなら。いきなり選択してどうぞっていっても、本当に自発的な親以外は選択しようともしませんよ・・・。

後一つの問題点は、結局お母さんたちが気にするのは、進路結果だということです。どこの高校に何人行ったかとか。でも一方でこれは、塾が一般的になりつつある我が区では、学校の生徒数や塾に行っている子の割合などなど、進路結果が必ずしも学校の善し悪しと比例するわけではないということには注意が必要かもしれません。けど、そんなこと気にしている親はいなそう・・・。

ともかく、学校選択制というのは、うまくいけば、外部の目を意識することによって学校の改善につながる可能性もあるわけです。そういう意味で、もうちょっと各学校にアピールに対する工夫がほしいかもなぁ・・・。


ところで、今回の中学では1年生の合唱コンクールを見てきました。音楽の先生の熱さに感動。音楽に命かけてますね・・・。すてき♪純粋に生徒の合唱にも感動。いいなぁ、やっぱ。学校っていう感じ。みんな一生懸命歌っているしさ、かわいいねぇ。

あと思ったのは、実は私の世代ってなんか損したんじゃないのかなぁ~??というのも、私たちの世代ってみんな学校ってぼろかったと思うのよね、今回の中学みたいに。でも、今はきれいになっている学校が増えている。私たちは老朽化がひどくなっている時期に学校に通って、卒業した途端に改築ラッシュが始まったのでは・・・。私の小学校もそうだしな。あんなに汚かったのに、今は信じられないくらいきれい。絶対損してるよ・・・!!


2005年10月18日(火)

総合的な学習の時間②

テーマ:子ども・教育

前回の続き。


別の中学での総合的な学習の時間。

②B中学校

《1年生》日本について調べる。陶芸とか。こないだは、今後の予定の確認と恐らく前回訪問したらしい虎屋(だったっけ?)の人への御礼の手紙書き。

《2年生》各クラス一人外国人を招いてその国について話を聞く。前もって班ごとにテーマを決めて一応調べ学習をしているらしく、それについて質問、次回以降でさらにまとめるという流れらしかった。

《3年生》全クラス集まって、体育館で何人か選ばれた人の今まで調べてきたことの発表会。これでさらに選ばれた人が学芸発表会なるものに出るらしい。テーマは自由で、ただし日本と外国との比較。私が聞いたのは、「城」についてと「家具」について。


副校長曰く、3年間を通してのテーマがあるらしく、1年生で日本を知り、2年生で外国を知り、3年生で両者を融合させて発信させていくらしい。まぁ、そんな感じになっているような気もする。


今回の見学は2時間連続のC.T.(総合的な学習の時間のこと。何の略!?)だったA中学校と違って、1時間だけのC.T.だったので、ざっとしか見ることができなかったのが残念。

1年生については、先生が予定の確認をしていただけだったので何とも言えない。その予定すらもちらっとしか聞いてないので、よくわからない。でも、御礼の手紙なんて宿題で書かせれば?とか思ったけど。

2年生はたまたまあるクラスでモロッコ人が来ていたので、見学。で、が~ん、モロッコ間違ってインプットされたよ・・・。タジンというモロッコの有名料理、タジンとは鍋の名前であり、タジンという鍋を使う鍋料理は料理名も全部タジンというのですが、パンの名前か何かと先生と生徒には理解されたようだ・・・。こうして勘違いは生まれていくのだね。口出しできる立場ではなかったので、だまっていたけど、内心では違うよ~と叫びまくっていたよ・・・。

なぜ間違えられたか?理由はいたって簡単。このモロッコ人、日本語がほとんどできない。先生は英語ができない。よって、意思疎通できてない~!!なら、通訳つけてくれ・・・。

3年生は、今回の授業に関してはなかなかよかったと思いました。よく調べていたし、プレゼンもうまかったし、興味深い内容でした。けれども、発信という点ではそういう要素は感じられず、ただの日・外国間の比較とその報告でした。これをその後どうつなげるのか、知りたいところです。


さて、この中学校で一番疑問に思ったのが2年生の授業です。最近流行りの国際理解教育ですね。

同じ外国人を呼んでいてもA中学校との違いは、授業をする主体が生徒ではなく外国人にあったことです。

外国人が話をするのはいいのですが、今回感じたのは素人が授業をする問題点です。

総合的な学習の時間というと、外国人や地域の何かやっている人々など外部の者を呼んでいることが多いようですが、ちょっとこれはある意味では問題なのかもしれません。

というのも、今回の授業について言えば、先生が1時間まるまるを外国人に丸投げなのです。今回の場合はさらにやっかいなことに外国人みんな日本語が下手。説明も長続きしません。写真を持ってきたりして一生懸命説明しているのですが、いきなり生徒たちの前に立たされて授業やってくれっていう感じで戸惑っている様子まで感じられました。いや~素人には苦しいと思いますよ、丸投げは。1時間の授業のために何倍かの準備がいるって言いますよね。課外学習でもないのだし、授業1コマ使うのであれば、それなりの授業計画ってもんを外部の者と先生が一緒に立てるべきというか、もっと打ち合わせの必要性を感じました。で、その外部の者がそういうC.T.のプロでもない限り、先生ももっと加わるべきです。もっと事前に知っていれば、モロッコの勘違いだって生まれなかったでしょうし。授業の目的が他人の話を聞くことであってはならないんじゃないでしょうか?目的は話を聞いて、何を生徒に得てもらいたいかです。それを導くためには、外部者と先生との協力関係が必要なんじゃないでしょうか。

私も以前大学オケで小学校で音楽教室を開いたことがありましたが、そのときだって、2時間ばかりの音楽教室を成功させるためには、長年築いてきたオケ側のプログラムと学校側との音楽教室の流れ等を含む数多くの打ち合わせが必要だったわけです。私たちが海外の学校で1時間ばかり日本について英語で話してくれと言われて、パッと行っても、かなり難しいのは容易に想像できますよね。


さて、前回の話にちょっと戻って、総合的な学習の時間(C.T.)は意味が薄いのか?

今回はたまたま国際的なものが多かったのですが、どちらの中学校でも、C.T.は日本や外国について調べるきっかけになっていますよね。

テーマをどう設定するかもこれまた重要な問題でしょうが、調べ学習というのは、私は意味があることだと思っています。特に、受身的な授業が多い日本の教育の中で、一見でも能動的な学習を促しているし。

けれども、C.T.が何かを調べるためにあるのか、と言ったらそれは違うでしょう。調べ学習は調べることで終わっては意味がない。自分の調べたことをどうまとめるか、さらにそれに対して自分がどう思うか、そして、どう皆に伝えるか、最後にどう皆と共有して、新しい課題などにつなげていくか、といった一連のことができて初めて意味あるものになるんじゃないでしょうか。そして、それを補助するのが先生の役割じゃないんでしょうか。授業中が調べる時間なんかで終わったらもったいない。学生なんだから、宿題の負担が増えたっていいじゃないですか。さらに調べ学習にはプレゼンが付きもの。発表の仕方だって、どうやったら効果的に伝わるのか、先生は教えるべきです。日本人はプレゼンが基本的に下手だし、自分を含め苦手意識を持っている人が多いと思うけど、確実に今後の人生において必要な技術です。プレゼン以前にコミュニケーションの問題もあるでしょう。最後に問題点は、発表の後、質問を受け付けてなかったらそれでおしまいっていうところ。他の生徒はただ発表を聞いておしまいなのです。それじゃ授業は深まりません。だから何なのか、調べたから何だったのかってところがないと思うのです。「色々とわかっておもしろかったです。」なんて終わったら(これが大方だろうけど。)ただの興味の時間です。C.T.の時間で学びたかったことは、「日本の家具とヨーロッパのアンティーク家具の違い」なんでしょうか?先生はそこから議題になるようなことを見つけ、あるいは生徒が見つけるのを手助けして、皆で考えを深める時間が必要じゃないんでしょうか。


もう1点指摘するとすれば、C.T.はC.T.という教科として独立すべきではないのではないか、ということです。現実社会に最も密接に絡んでいるテーマを扱うことの多いC.T.では、そのテーマは理科に絡み、社会に絡み、数学に絡み、作文や読書など国語に絡み、っていうことが往々にしてあると思います。

夏に見に行った小学校では、C.T.を軸として他の教科学習も行っていましたが、すごくいいと思いました。

C.T.を他の教科とつなげるというのは、とても重要なことだと思います。


さて、これだけ言いたい放題言って、恐らく言われるのは、先生だって大変なんだってことじゃないでしょうか。そうですねぇ、その通りです。完全に自由なC.T.では教科書もありませんし、より一層先生の入念な準備が必要ですよね。通常教科と連動させるなんて言ったって、ものすごい労力を必要とします。

先生には最大限がんばってもらうことをもちろん前提条件として、それでも無理なのであれば、それこそ政策レベルやシステムレベルで考え直していかなければならないのでしょうね。で、恐らくそれが本当に必要なんだと私は思っています。でもどうしたらいいのかは、そんなに簡単には思いつかないけど。どうしたらいいんだか。でも、いずれにせよ、総合的な学習はのせいで学力が落ちたのだから、通常教科に戻すべきだ!的な意見は私はあまりに安易な発想だと思います。


長くなりすぎました・・・。読む方も疲れるだろうけど、書く方も疲れます・・・。次はもっと軽い話題で書こう。

コメントお待ちしております。




2005年10月16日(日)

総合的な学習の時間

テーマ:子ども・教育

金・土と中学校3校訪問してきました。で、偶然2校においてウワサの総合的な学習の時間を見てくることができました。今やゆとり教育の槍玉となっている総合的な学習の時間に私は前々からとても興味があったので、実際の授業を見ることができたのは、すごく有意義でした。


さて、今回やっていた内容はというと・・・、

①A中学校

「日本のことを外国人に紹介しよう!」

みたいな。各学年各クラス、様々な国の外国人(ほんとに様々。国旗がどこだかわからない国がいっぱい。)が4~5人来て、彼らの前で自分が日本についてトピックを選んで調べてきたものを発表していました。

まず第一に外国人を約30人も呼んできたのはすごい。どっかの団体と提携しているらしく、外国人を呼ぶ国際交流をよくやっているらしい。場所柄もあるか。また、アメリカとかと違って、中学生がなかなか触れないあるいは存在自体を知らなかったかもしれない国の人々まで呼べているのはすばらしい。


しかし、正直に言って、私は今回の訪問を通して、学力低下を防ぐために「総合的な学習の時間を通常の学科教育に戻すべきだ!」と言っている人たちの気持ちがよくわかりました。

一言で言えば、宝の持ち腐れ。学習の材料となるきっかけが十二分にあるにも関わらず、それを全く有効活用できていないのです。違う国の人に4人もいっぺんに出会う機会なんて、国際化が進む現在でもきっと中学生にとっては滅多にないことですよ。そして日本を紹介するために日本のことを勉強するきっかけにも確かになっています。けど、本当にダメだと思ったのです。なぜか?

各学年でやっていたこと。

《3年生》外国人を交えて皆で半円形に座り、その前で各自がばらばらに調べてきたテーマを延々と発表する。

《2年生》修学旅行前らしく、班ごとに京都・奈良の調べ学習をしているところに外国人が加わる。

《1年生》班ごとにテーマを決めて調べてきて、班ごとに外国人がローテーションして回り、説明する。


ましだったのは、1年生でしょうか。しかしなぜか外国人のいる班に属さないグループができていたのが謎。でも、各班工夫を凝らして発表していて、英語を少しでも使ってなんとか理解してもらおうとがんばっていたのがよかった。

2年生は外国人を呼ぶ意味がわからない。班ごとに今まで調べてきた京都・奈良について発表するのならともかく、見た限りほんとにグループ作業に外国人が入って、雑談チックな国際交流。もちろんそれでも意味が全くないわけではないけれども、その程度なら昼休みにでも外国人に来てもらって国際交流をすればいい。

3年生は撃沈。1年生のような少人数グループ内で発表するのではなく、クラス全員の前で発表するのなら、それなりのやり方っていうもんがある。なのに、生徒が用意してきているのは小さな画用紙に調べた内容を書き込んだもの。そんなの全然後ろから見えないよ。そして、日本語でぼそぼそ発表。そういうのはプレゼンテーションって言えないよ。さらに大問題。日本語わからない外国人いるじゃん・・・。たまには上手い子もいるのだけど、全体としてはそんな感じで永遠と30何人か続いていく。


ちょっとはイメージしてもらえたでしょうか?

私が親だったら、この時間に代わりに英単語や漢字20個でも覚えて欲しい、計算がもうちょっとできるようになってほしいと思うかもしれません。今回1回だけだったら国際交流イベントとしては成り立っていますが、こういう時間が週2時間もあるのです。もちろん他の週は何をやっているか知らないので、年間計画をかなり知りたいところですが、すごく有意義な時間になっているとはこれじゃあ思えないでしょう。

こういう国際交流の意味だってゼロではない。プラスマイナスでいったらプラスだと思います。生徒だってこれで外国に興味を持つかもしれない。けれども、学校の授業って意味があればいいってもんじゃないよね。限られた時間と予算の中で最大限の効果をあげるべきであって、1時間の総合的学習の時間と1時間の数学の時間と得られるものがどっちが大きいかと考えた時に後者であれば、通常学科の方が優位性があるんでしょう。


しかし、一方で総合的な時間って意味が薄いのか?うまくいかなかったから通常学科に戻せばいいのか?

安易に戻す前に(って戻さないだろうけど)、今回の見てきた授業に隠されたものがある気がすると私は思いました。勝手な私の完全なる私見ですけど、何だと思いますか?


ちょっと長くなりすぎたので、B中学校のことも含め、C中学校のことも書こうかな、続きはまた明日以降。



2005年10月04日(火)

中学校訪問

テーマ:子ども・教育

地元の中学校を見学しに行った。

生徒数が減って学校の統廃合が進む我が区なので、この中学校も今年の4月に2校が統合して新しくなった学校。中学生はとてもかわいくて、みんなハキハキとあいさつしてくれるし、気持ちがよかった。勝手に、最近の中学って荒れてたりするのかなぁ~とか多少妄想を働かせていたのですが、全くそんなことはなかった・・・。すみません・・・。


久々に中学校に足を踏み入れて、懐かしいと共に、私の時代との違いに驚く。

違いと言えば、やはり統合で新しくなると改革も進むようで、英語・数学・理科は習熟度別の少人数クラス。英語はALTの授業の他、普通に2人の先生が付くし、数学や社会も、曜日によって先生が1クラスに2人ついていた。図書館が本屋のようにレイアウト(?)が充実していて、さすが学校司書を置くようになっただけのことはある、というか一応それがこの学校では機能しているらしいことに気付く。でも、マンガって普通おいてあったっけ・・・?それに、中学なのに選択授業があった。英語・数学・理科・社会などなどについて発展のクラス、補充のクラス、それから体育の校庭クラスや体育館クラスなんていうのもあった。総合的な学習の時間はとても見たかったけど、時間割の都合により、今日は見ることはできなかった。けど、生徒に「何やってるの?」って聞いたら、「係り決め」とか言われたよ・・・。何をやっているんだか。HRの時間にされているんでしょうか・・・?真相は不明ですが。他校ではぜひ総合的学習を見てみたい。


さて、各クラス、数々の授業を見学させていただきましたが、先生による違いはあるものの、概して正直に言って、つまらない授業が多いなぁと思いました。私が中学生だったら、寝るね。授業を見ながら、私が中学生だったときもあんな授業だったなぁと思い出しましたが、やっぱりつまらない。生徒が惹きつけられている授業があまりに少ないと思いました。なんというか、一方通行。生徒に質問もしないで、どうやって生徒が理解しているかどうか判断しているんでしょう??っていうのが疑問。皆になんとなく質問を投げかけながら自分で答えて自分のペースで授業を進めてしまうし。さらに、生徒の質問に的確に答えられない先生にも遭遇。その説明、私にもようわかりませんでしたよ・・・。黒板にただ説明を書いて生徒がそれをノートに写すというだけの授業にもすごく不満を感じました。文字で説明するよりも、そんなの目の前で実験したら、実物を見せたら早いじゃんって思ったのもありました。やっぱり、基本的に参加型が少なすぎると感じました。授業は生徒が理解していく過程であるはずなのに、(中間テスト前ということもあったのでしょうが)、生徒を差し置いて先生がとにかくテスト範囲を終わらせることに必死になっていた感がありました・・・。

しかし、一方で生徒を惹き付けている先生にも遭遇しました。そういう先生を見ていると、何よりもまずテンポがいいし、決めるところはビシッと決める。ダラダラと説明されると誰でも眠くなるもの。やっぱり準備に基づいたスピード感(?)が必要なのかも。


それにしても、同じクラスでも先生によってまるで集中度やまとまりが違うことに驚きました。やっぱり先生の力量によるところは大きい。

私の時代と比べて、確かに外枠は大きく変わったかもしれない、けれど中身は大してというか全然変わっていないんじゃないかな・・・。何よりもまず、授業計画の立て方、授業方法などなど中身を変える必要があるんじゃないか、と思います。どうやったら、教師の指導力はあがるのでしょうね・・・。考えていきたいところです。


ちなみに、話は大きくずれますが、外国人の多いその学校で、本名(名前の方)ラブリンハートちゃんという子を見つけちゃいました。すごい。最近は外国人もこんな名前をつけるのか・・・。


P.S.明日の夜からしばらく京都に帰りますので更新ストップします。ちなみに実家が東京なのに京都に帰るって言わないよって言われますが、東京では言いますよ。少なくとも私の地元の友達はみんな昔からそう言ってます・・・。


2005年09月12日(月)

1年後のベスランの子どもたち

テーマ:子ども・教育

最近コメントが増えてとても嬉しい☆ありがとう。コメントもらうとブログを書く励みになるものです!毎日自分のブログを開いて、コメントがないとやっぱりがっかりしちゃう・・・。なので、ご来訪の際には、ぜひ一言!!


先日、BBCで(番組的に)とてもおもしろいプログラムがやってました。

ロシアのベスラン小学校のテロ事件から1年。1年後の現在を追ったドキュメンタリーなんですが、子どもたちに焦点を当てたもの。番組は、インタビューによる子どもの話と事件の映像や現在の子どもたちの映像だけで構成されていて、所謂ナレーターとか余計なのが一切入っていなかったのでおもしろいと思ったわけ。


正直、このドキュメンタリーを見てすごく衝撃を受けました。日本ではテロ当時、まぁ9.11程は自国に関係ない遠い国のことだし、そこまで詳しく報道されていなかったと思う、体育館の中で何が起こっていたのか。子どもたちが何を見たのか。そして、現在彼らがどう生きているのか。

子どもたちが見たものは私の想像をはるかに超えていました・・・。新聞報道とかで情報収集していると、犠牲者数ばかりに目が行き、そこで何が起こったのかはいまいち見えてこないし、そのうちにそういったものは風化していってしまう気がする。

子どもたちは物凄いことを淡々と語っていました。100人を超える子どもたちが命を奪われたわけだけど、話を聞いていると、いかに生き残った彼らが単にラッキーだっただけなのかがわかってくる・・・。

自分の目の前で、友達の体が、親の体が、爆発で吹っ飛び、その脳みそが自分の顔に飛び散ったこと。一緒に走って逃げた友達が足を撃たれて倒れ、そして頭を撃たれて血が吹き出たこと。人の体が炎に焼かれてなくなっていく様を見たこと。。。などなど、まだまだもっともっとありました。自分の体を窓から放り出してただただ「走りなさい!」と命じた母親は2ヵ月後にDNA鑑定でようやく見つかった・・・。お母さんの最後の言葉は爆発が起こったらハンカチを口にあてること。どの子どもたちも親なり兄弟なり友達なり、誰かを失っていました。


子どもたちは、ある時は子どもでありつつも、ある時は子どもではないような気がしました。ある子は、テロの犯人の絵を描き、びりびりに破ってマッチで火をつけ、「こうやって死んだ友達のために復讐しているんだ。」と言いました。ある子どもはブロック遊びで学校を作り、屋上にミサイルをつけました。皆が皆、テロ犯に復讐したいんだと言い、この手で八つ裂きにしたいと言いました、7歳くらいの子どもが。復讐をしたいのはしごく当然。当たり前。私だってその立場だったらそう思うに違いない。でも、なんだか怖いような、やりきれない想い。ある女の子は言いました。「前は勉強もしたい、あんなことしたい、こんなことしたいって思った。けど、今は違う。今は何もしたいことはない。将来の夢はない。だって、死ぬ時は死ぬのよ。」


精神的なリハビリとかいう安易な言葉は使いたくないけど、どうやったらこの子どもたちは復讐ではない夢を持っていけるようになるんだろう・・・?って思った。どういう風に彼らがこれから成長していくのか・・・。

ベスランの子どもたちのような子どもたちの存在、忘れたくない・・・。

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト