2013年02月09日(土) 16時34分05秒

ホルコンの科学!? 「パチンコにおけるマインド変革論」 第一話 「感謝の正体(6)」

テーマ:ホルコンの科学!?

こんにちは。

今回、「ホルコンの科学!?」です。


『仏教では、心の三毒である「貪・瞋・癡」、に「慢・疑・悪見を追加して、

人間を不幸にする六大
煩悩と言われています。』


パチンコを考えるにしても人間を考えるにしても、

本当に大切な内容であると思いますので、何度でも書きます。

どのような業種や生活であれ、そこで生きる人間というものを深く考察したときに、

「幸せな心の状態」と「不幸な心の状態」、

つまり、「幸せな考え方」と「不幸な考え方」があると思います。


本来の仏教とは、その「不幸な考え方」から離脱して幸福になりましょうと、

そうした教えであり、教義なんですね。

考え方によって、不幸な人を減らし、幸福な人を増やす・・・

本当は簡単な理屈なんですね。


哲学でもそう、思想でもそう、宗教でもそう、本当は簡単なことなのです。

その基本理念は人間が幸福になるための道標であり、指標なのです。

「公私共に幸福な考え方ができる人間を増やしたい」、そういうことです。

それらの説明や方法論を難しくしたり、

妙な宗教が商売のように利用したりするので誤解をされるです

或いは、それを教える人が本当は理解をしていないのに教えようとする、

ここに間違いが生まれます。


本当に仏教の基本理念が理解できるとですね、

一部のお寺の住職さんなどは何をしているのだろうと思うことも増えます。

あまり批判的なことは書きたくはないのですが、

例えば、葬式などで1~2時間、いつもと違うお経をあげて10万円とか・・・

ちょっとした歌手より多い収入を持って帰ります。

長年の習慣とは恐ろしいものです。それが当たり前の世の中になっています。


更には、お寺の家系で何代目にもなると、

跡継ぎ息子が仏教大学などに行ってお経の勉強をして帰ってくるのですが、

暇を見つけてはパチンコをしたり、キャバクラに行ったり

高級車などに乗って人生をエンジョイしていることもあると聞きます。

それもひとつの社会勉強として必要なことなのかもしれませんが、

仏教の何を学んできたのかが不思議でしょうがありません。


たぶん、お寺の住職さんでも・・・

「実は、おれ、住職をしてるけど、本当は仏教の意味なんて知らないんだよね。」

「え? 仏陀の心? そんなのわかるわけないじゃん!」

そう思われる方々もあるのではないかと思うのですね。

それだけ、仏教の歴史的な対応年数の問題もあり、

本来の中身が失われ、形骸化していることが原因だと考えます。

日本の仏教が葬式仏教や観光仏教と呼ばれるのもそれが理由でしょう。

仏陀入滅から約2500年も経ちますので、無理もないことかもしれません。


そう、私が好きな親鸞聖人の他力門系もそうですね。

本来、仏陀は自助努力の人であったと言われています。

他力本願がメインではないのですね。

たぶん、どちらかと言えば自力思想が強いと思います。

他力思想のスタイルは万人受けしやすく人気もあるのだと思います。

そして、時代によっては阿弥陀如来に救いを求めるしかなかった、

自力でどうにかできるような時代や状況ではなかったので、

ひたすらに阿弥陀如来に救いを求める教えを前面に出すしかなかった・・・

そうしたこともあったようですし、始祖の性格もあったようです。


しかし、神頼みばかりではどうしてもバランスが悪くなると思います。

人間「自力で努力をする要素」が縮小してしまうからですね。


現在でも念仏や題目ばかりを唱える宗教?がありますけれど、

ひたすらに祈ってばかりいても解決ができない問題は多いのです。

信仰によって救われることは現実にありますし、大切なことだとは思います。

しかし、自助努力を放棄して念仏を唱えまくって天国に帰れたとしても、

この地上に生まれて来て修行をする意味弱くなるのですね。


一方で、自力門系の宗派もそうですね。

自助努力を優先することは大切なことであるし立派だと思います。

しかし、仮にそのことによって信仰心が弱くなるのであれば

せっかく厳しい修行をしていても本来の信仰の道から逸脱することもあります。

の話は信じて頂けるか微妙ではありますが、

過去、日本の高
や名僧と呼ばれた方々で地獄に落ちている人もあるらしいです。

それが事実であれば、何のために仏教を学んでいたのかもわかりません。

又、山の中を何ヶ月も歩かせたり、厳寒の時期に滝に打たせたり

過酷な断食をさせたりとそうした苦行や荒行をしなければ、

「悟り」が得られないような印象を与えるのは負の要素であると思います。

人間離れしたことをしなければ幸福になれないと宣伝しているような話です。

これは、「本来の仏教」「仏陀の心」を考えたときに

その評価を下げる行為になっているところもあるかと考えます。


「小聖は山に隠れ、大聖は街に潜む」というような言葉もあります。


さて、仏陀は初期の段階で、「中道思想」という考え方を説かれました。

左右の両極端な道を選択せずに、物事の真ん中を見極める・・・

これが人生の王道であると説き来たり、説き去りました。


極端な他力の中にも、極端な自力の中にも本来の悟りはない、

自他力を一体として、そのバランスを取りながら前進をして行く・・・

そこに本来の「悟りへの階梯」があると、そうした意味でもあると思います。


これは、
以前に書きました「一念三千」ということでもあります。

「心の針の置き方」、「心の針の方向性」ということですね。

例えば、それを車の運転に喩えるなら・・・

一般道路を走るときに時速10Km
くらいで走っていたら怒られることがあります

しかし、逆に時速100Kmを越えていたら危険運転になります。

このように極端な態度は不幸を生むことが多いという意味です。

一般道路であれば、時速40~50Kmで走ってよと、そんな話ですね。


しかし、これが「心の世界」になると、

その運転技術が未熟である方々が
山のようにおられるのですね。

誰が何を考えようと、その思いや考え方について取り締まる人がいません。

「心の運転」、「心のコントロール」について暴走運転をしようと、

飲酒運転をしようと危険運転をしようと、誰も取り締まってくれないのですね。

ですから、毎日のように不幸な事件のニュースが流れます。

暴行、虐待、イジメ、嫌がらせ、殺人、自殺、詐欺、横領、過失・・・


「本来の仏教」とは、こうした人間の「間違った心の在り方」を修正し

「正しい心の在り方とは何か?」

「正しい心のコントロールの方法とは何か?」


ということを教えてくれるものであると思うのですね。

そして極端な物事の考え方からの行動や生き方を戒めて、

人間として「正しい考え方や生き方」をしましょう、という提案だと考えます。

いや、「提案」ではなく、それが人間の「義務」のようにも思います。


そうしたことで、仏教の中道思想の考え方は、

人間が本当に幸福になるためのひとつの方法論であり、

仏教特有の「核心的な技術論」であると考えています。


さて、私もそれマネをしてパチンコホールのシステムを考えてきました。

そう、「平均値」ですね。

パチンコだけではなく、人生全般について「平均値の考え方」は重要です。

世の中の大抵の物事は先に平均値を調べて、

その範囲内選択をすると失敗や挫折から身を守れますし、

正しい判断や選択にもなりえます。


例えば、パチンコもそうで、一日に20万円勝とうと計画しても無理があります。

理論上では可能性はあります。しかし、現実の問題が出てきますね。

一年に一回くらいはそういうことがあったとしても、それでは平均値になりません。

では、一日に5000円ならどうか?

一日の目標を平均5000円に設定して、挑戦してみる。

意外にあっさりクリアできることもあります。

このようなケースでは平均値としては範囲内になります。


そして、ここが今回のホルコンコの科学のポイントになるのですが、

結果的にパチンコで負ける人は自己評価が高すぎる、という欠点があります。

「自分だったら5台くらいは軽く当てれるだろう」

「わざわざ来たんだから、3万円は勝たないと納得できない」

「昨日、負けた分も含めて万円は取り返さないと気が済まない」

実際に、その人の平均値として成立するのであれば、目標にしてもOKです。

しかし、現実にはなかなか厳しいところがありますからね。


カオスがご提案するパチンコの攻略技術についても、

今、私が連載しているマインド論も、結局は「平均値」に帰結します。


『仏教では、心の三毒である「貪・瞋・癡」、に「慢・疑・悪見を追加して、

人間を不幸にする六大
煩悩と言われています。』


そうしたことで、今回は、「貪りの心」の話をしてきました。

前述の、仏教の他力門の極端な念仏信仰についてもそうで、

自助努力を放棄して自分の欲望でお願いするだけの行為も、

もしかしたら、「貪る心」に同通するのではないかと考えます。

自分は努力をしないで神や仏の慈悲や助けのみを求めようとする心理です。


同じく仏教の自力門に代表されるような極端苦行や難行
の行為もそうです。

自分はこれだけ修行をしたのだから評価をされてしかるべし。

尊敬や敬意の念を送られて当然であると錯覚するような心理ですね。

これらの心理も、極端であれば、「貪る心」に同通するのではないかと考えます。


何だかんだで現在までの形骸化した仏教について考えることろがありますが、

裏を返せば、それだけ・・・

「仏陀の心」を理解できなかった仏教者が多かったということかもしれません。

「仏陀の名を騙った仏教」が多かったのかもしれません。


本物の仏陀の言葉を聞ける時代、本物の仏教を知ることができる時代、

私は悟りの浅い人間ですが、それ故に何だか嬉しいです。


では、長くなりましたので続きます。


ありがとうございました。


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コメント

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3 ■Re:Re:不幸な心の状態

>ホルコンマスターコウさん
確かにそのような方々は嫌がらせで自己満なのかもしれませんね…世間を賑わすイジメ少年の幼稚な心理そのものなんでしょう

イジメ、体罰と陰湿なベタネタが世間を賑わしていますけど、今宵もドラマでやってた重松清の連載小説「とんび」は、今の世相に一石投じてますね

専門家や当事者、はたまたオンブズマンチックな馬鹿共が、我正論とイジメや体罰について議論していますが、今宵のドラマでも死に伏せようとする「海雲和尚」が主人公の「ヤス」への最後の説教として、ヤスは馬鹿とか、人生で一番ゲンコツしたのがヤスとか、不適切な言葉を仰ってましたわ(笑)

イジメや体罰について、本末転倒なしょうもない議論をしている馬鹿親などが、ネットで嫌がらせ誹謗中傷するような人間なのでしょう…このような馬鹿親を子は見て育ちますから、意外と賢く育っているかもしれませんね…陰と陽とは不思議なものですw

2 ■Re:不幸な心の状態

>γ-GTP2013さん

 あ~ 妙なコメントですね。来ますよw

 うちに来るのは、何かを訴えたいとか、何かの間違いを訂正したいとか、そうした内容ではなくて、単純に嫌がらせをしてすっきりしたいとい欲望が動機かもしれません。

 匿名でIPアドレスもわかりませんのでバレないくらいに思っておられるようです。現実には甘いのですけどね。
 
 勤務先の会社や家族、親戚に伝えたらどうなるのかと思いますけど、そこまで智慧が回らないのでしょう。前例をつくってそうした愚行を抑制したほうがよいのかもしれませんね。

 意味もなく、人様を中傷することは人間として未熟なことであると、誰かが教えないと本当にわからない人がいるのだと思います。学校のイジメ問題とかと同じですね。

 まぁ、うちの場合は、このブログを読んでいる時点でその人は負けてますね。

1 ■不幸な心の状態

典型的な例が、いろんなとこで見掛ける匿名で誹謗中傷コメントなどを寄せる方々がそうだと言えます。

恨み、妬み、嫉み、何が本人をそういう言動に走らせているのか知るよしもありませんが、よく人間磨きの場で語られる「愚痴と文句は鏡に言え」の意味するところを理解できない、あるいは理解したくないといったネジが数本足らない思考センスの持ち主→不幸な心の持ち主なんでしょう

そういった言動を繰り返すことが、回りまわって結果的に自分の心を苦しめることに気付かない精神的な幼さもあるのでしょう

世間には、残念な人間が増えてきたものですね

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