2017年6月 朝比奈切り通し散策 4 光触寺と明王院

 

ハイランドバス停からバスに乗って鎌倉駅まで帰る前に、バス停

周辺の「光触寺」と「明王院」に寄ってみた。寺

どちらも鎌倉八幡に対して鬼門に当るから、鎌倉の都を守るお寺のよう。キラキラ

 

光触寺(コウソクジ)……光が触れるお寺……名前がなんとなく素敵。キラキラ

 

開基は一遍上人ということで、入口には一遍上人のお姿が。びっくり

 

一遍上人といったら、「時宗」の開祖。

延応元年(1239年伊予国(ほぼ現在の愛媛県久米郡豪族別府通広(出家して如仏)の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺の一角といわれ」……本

 

宝厳寺」ってブロ友ダニーさんのよくお参りするお寺じゃあーりませんか?!?

愛媛から遠く鎌倉まで、昔の人の行動範囲って、広いねー。あせる

 

ここの御本尊、阿弥陀如来さんにはイワレがあって、本

 

鎌倉時代の始め頃、将軍の招きで鎌倉に来ていた仏師雲慶(運慶)は、

町局(まちのつぼね)という女性の求めにより阿弥陀三尊像を刻んだ。大仏

 

ある時、町局に仕えていた万歳法師なる僧がボウズ怒り

盗みの疑いをかけられ、叫び

頬に焼印を押されたが、法師の頬には焼痕が残らない。ドロ

 

その後、町局の夢に阿弥陀仏が現れ、

「なぜ、私の頬に火印を押すのかパンチ!」と言う。

朝になってみると、阿弥陀仏の頬に焼痕が残っていたという滝汗

(ウィキペディアより引用)

 

このお話、多少バージョンがあるようだが、大筋,”男の代わりに阿弥陀さまの頬に焼印がついていた“というもの。

「盗みの疑い」だけで、頬に焼印を当てるなんて、ひどいなぁ。えーん

焼印を当てられた法師はその後どうしたのだろう?

 

こういうお話は何かささやかな出来事に尾ひれ端ヒレがついた作り話なんだろうけれど、

好き。ウシシ

客寄せのために創作されたお話や仏像だったとしても、心惹かれてしまう。にやり

 

が、しかし、

予約しないと見せていただけないということで、拝顔叶わなかったのであった。ガックリ

最近は無礼な参拝者も多く物騒だから、お宝は簡単に見せて頂けないのも致し方なし……か。ぐすん

 

予約しなくともお参りできるのが、境内に安置されている「塩嘗(シオナメ)地蔵」さん。

 

さすが「塩の街道」、金沢街道沿いにあるお寺。

宝の塩がお供えされたら、思わずぺろりと嘗めたことだろう。てへぺろ

(ってか、どこぞの不心得者か、よほど困ったものが、お供えを失敬しちゃったのだろうけれど、それを「お地蔵様がお塩を嘗めた!」と解するところが楽しいよね。爆  笑

 

お地蔵さまは塩分の取りすぎなのか、お顔はぐだぐだになって判別不能であったわ。あせる

 

 

 

明王院(ミョウオウイン)は大通りからちょっと入った道の奥にあった。

 

“5大明王が祭られているのは鎌倉ではここだけ!” とのこと。びっくり

 

不動明王を中心に、「東に降三世(ゴウザンゼ)明王、南に軍荼利(グンダリ)明王、西に大威徳(ダイイトク)明王、北に金剛夜叉(コンゴウヤシャ)明王」が配置されているのかな?不動明王青不動不動明王青不動不動明王

 

不動明王好きの私としては外せないわと訪れたものの、

毎月28日じゃないと本堂には入れないらしい。残念。ガックリ

 

お寺は空振りだったけれど、ぐすん

遅いお昼に入ったお店で食べたかき氷は大当たりだった。クラッカー

 

天然氷を使っているということで、サクサクフワフワのかき氷でありました。(中華料理店「七賢人」にて)ベルラブ

 

 

              おしまひ

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2017年6月 朝比奈切り通し散策 3 朝比奈の切り通しを熊野神社まで 

 

横浜市金沢の六浦から鎌倉市八幡様を結ぶ「金沢通り」の、

鎌倉市の最東部に当る「朝比奈切り通し」。

 

十二所(ジュウニソウ)神社のバス停で降り、前方右へと歩みを進め、

小さな公園を降りるように通り過ぎ~走る人

 

切り通しは「太刀洗川」に沿ってあるのだから、その川を目印に~走る人


 

 

花など愛でながら進むと~照れ走る人

 

切り通しの入口に到着。二股に分かれていて、右は果樹園への道。

左が切り通し。チョキ

 

ゆくぞ!走る人

 

お~、この山肌の迫る感じ! これよ、これー!ラブ

 

一夜にして切り通しを通したというレジェンド、朝比奈三郎の名を冠した

三郎滝」らしい。どんなに勇壮かと思いきや……。汗

 

道を進む。

左側にある小さな側溝のごとき太刀洗川の水があふれ出て道を濡らしている。あせる

 

この太刀洗川で、梶原景時なる武士が上総介広常を殺したその太刀を洗ったとされる

梶原景時太刀洗い」なる場所をチェックしてみたかったのだが、ベル

実は十二所神社から切り通しの入口までの間にあったらしい。滝汗

うっかり見そびれたわ。

 

ネットで調べたら、景時さんは十二所神社よりちょっと鎌倉よりの、今はテニスコートになっている辺りに住んでいたようで。

 

上総介広常さんは、三郎滝の近くの上の方に住んでいたようで。

歩いて行ける“ご近所さん”と言えなくもない。

 

2人の間に何があったのだろうか?

殺傷事件の詳細については、全然わからなかった。あせる

「梶原景時太刀洗」と名前までついているのだから、

そういうところ、もっと伝承して頂きたいものです。汗

 

 

 

 

 

 

手前は鎌倉市、向こうは横浜市の分岐点には標識あり。

 

 

横浜市に入るとまもなく切り通しは終りで、

熊野神社の標識が出てきたのであった。

 

熊野神社を目指すと、山のムードが濃くなり~。キラキラ

 

階段の上に熊野神社が~。キラキラ

 

樹齢も相当ありそうな古木が立ち並ぶ。キラキラ

 

狛犬はかなり可愛い感じ。ラブ

 

 

神社本堂(?)の裏に「井戸」の跡らしいものがあるらしいのだけど、

これ……?あせる!?

 

どうみても側溝に過ぎず、井戸など見えないが……??? 井戸いずこ?はてなマーク

 

お参り終わって、道に戻り、さぁ果樹園を通って帰ろうと思ったら、

いきなり出会ったご婦人に、「そちらは金沢に出てしまう注意」と教えられ、滝汗

果樹園を通って鎌倉へ行くというその人に同行させていただくことにした。ラブラブ

 

果樹園へは、熊野神社境内脇にある防火水槽(?)の脇の細い山道を登っていくのだったよ。

 

何の標識もないから、わからないよー!あせる 蛇もいたよー。あせる

夏草に覆い隠されそうな細い山道を、行く。走る人あせる

 

たま~に標識はあるものの、ほとんど標識なし。滝汗

これじゃ初めて歩く人は迷うな~。U

 

そのご婦人はお子さんが小さいときは、大晦日の夜、金沢から八幡様まで、この山道を歩いてお参りに行ったのだそうで、ポーン

夜なんて真っ暗でなおさら道に迷いそうなものだが、楽しい夜道だったご様子。びっくり

さすが地元民!グー

 

山の中には大きな高電圧の送電線(鉄塔?)が何本も建っており、滝汗

在日米軍基地」の敷地だとか……。びっくり

 

米軍基地で使われる電力が鎌倉の山の中にデンデンと建っているのか……。-0-;

鎌倉の意外な一面を知る。汗

 

お山の頂上は、天気がよければ富士山が見えるとのこと。富士山

この日は辛うじて丹沢山系がぼんやり見えただけであった。

 

頂上にはささやかなベンチやテーブルが設けられていて、

一休みできる。DASH!

 

この日は山の管理人さんだかどなただか、

傷んだベンチを直しにいらしていた。

細い山道をどうやって木材など運んだのだろう?と思ったが、

知る人ぞ知る車が入れる道があるようであった。

(でも、よく知っている人じゃないと走れなさそうだ。)

 

果樹園は梅林と栗林でできていて、赤梅栗

春にはとても美しいらしい。赤梅赤梅赤梅赤梅赤梅赤梅赤梅赤梅赤梅キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

この時は、栗の花が満開。

 

栗の花、初めて見た!ウインク

 

果樹園の門を出て、やっと朝比奈の切り通しから果樹園をぐるりと回って

切り通しと果樹園の分かれ道まで無事に帰ってこられたのであった。クラッカー

 

ご婦人は、鎌倉方面へ向けてサクサクと歩いていかれた。クラッカー

素敵な山ガールに出会えて、スムーズに帰ってこられたのも、熊野神社の神様のお導きなりや? 感謝感謝。(。-人-。)ラブラブ

 

……なんて敬虔な気持ちにもなる野趣ある朝比奈切り通しなのであった。ウシシ

 

 

も~ちょっと、つづく

 

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2017年6月 朝比奈切り通し散策 2 十二所神社(ジュウニソウ ジンジャ)

 

金沢街道は鎌倉時代、横浜の金沢は六浦(ムツウラ)で作られた塩を鎌倉へ運ぶ重要な道で、鎌倉八幡と六浦とを結んでいる。☆ワ-(ノ。・ω・)八(。・ω・。)八(・ω・。)ノ-ィ!!!

 

切り通しを歩き切るのが目的なので、体力温存するため、切り通しのそばまではバスで行くことにした。バス

 

鎌倉駅前(東口)からバス(23)に乗り込み、「十二所神社」で下車メモ

ネットで調べたら、鎌倉駅からバスで12分ということだったが、30分以上掛った。時計おーっ!

 

バスの停車表示で、やっと「十二所神社」が「じゅうにそうじんじゃ」と読むことを知る!びっくり

「所」をなぜに「そう」と読むの?はてなマークはてなマークはてなマーク

 

じゅうにそ? じゅうにそう? じゅうにしゃじゃない? と混乱してたら、

うっかり一つ手前の「十二所稲荷神社」で降りてしまった。ズゴンガックリ

 

大通りから登り階段がずっと続いて、先の方は木々に覆われて暗く、面白そうなのだが、ラブラブ

最初から寄り道していてはいかん……と、まずは十二所神社を目指す。あせる

 

稲荷神社から大型車がブンブン行き交う大通りを5分ほど先へ進み、

大通りから横道を、少し下るように回りこんでいくと十二社神社が見えてきた。

 

由来などの説明板は特になく、山を削り取った空間に、山に守られるように鎮座しているこじんまりした無人の神社。

広さは3畳ほどもないんじゃない?ってくらい小さいお社。

 

木材は相当古びているのだが、鈴を鳴らす紅白の紐(?)など定期的に付け替えられているようで、しっかりとしていたし、境内に雑草が茫茫ということもなく、小奇麗にさりげなく手入れされている感じ。キラキラ

 

鈴も心なしか綺麗だ。

 

社の段も触るとざらざらと砂埃が積もっているのだが、どこを見ても洗いざらしたようなすっきりした感じ。キラキラ

 

社の彫り物は中央に兎さんが。ラブ

 

波と兎……神話を表しているのか?

 

鎌倉八幡の東に位置し、鎌倉の東の端を守る……そんな意味合いがあるのかないのか、

とにかく、東=兎ではあるね。

 

狛犬のような顔をしてるけど、龍?

 

岩を穿って作られたヤグラらしきところにも、なにやら祀られている。

 

二つならんだ墓石のようなもののひとつには、

『疱瘡神』と書いてあります。」とのこと。滝汗

参照:「鎌倉怨霊散歩」

 

なんとなく近づくのが怖かったので、遠くから合掌。(。-人-。)

 

地之神社(大地主神)

 

崖には、自生の百合が咲いていた。鎌倉は野生の百合が多いのね~。

 

静かで落ち着いた空間。キラキラ

どうせ誰も来ないだろうと、埃まみれのベンチに座って、早めのランチ(コンビニのオムスビと水)をもさもさ食べていたら、参拝の人が来て、ちょっとびっくり。滝汗

いつもお参りされているようで、お社に拝礼したら、すっと境内の脇にあった階段を下りていってしまった。びっくり

近所の方のようだ。こうして近所の人々に守られている十二所神社だから、こざっぱりしてるんだなぁと納得。チョキ

 

6月の鎌倉は初夏のお花がいっぱい。

紫陽花に

 

ホタルブクロ?

 

 

後日調べたところ、

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)、十二社神社(じゅうにしゃじんじゃ)、十二神社(じゅうにじんじゃ)という名前の神社日本全国に存在し、十二社(じゅうにそう)と称するものもある。」 とな!

 

「古くからの十二様と称する土着の山の神を祀ったものと、熊野神社の系列のものとがある。

 

前者の信仰は射日儀礼を含む「十二講」の習俗を伴い、北関東・甲信越を中心にして東日本の山間部に分布する。後者は十二所権現社などと呼ばれる熊野三山の神(熊野権現)を勧請して祀ったものである。それらの中には明治神仏分離によって祭神を「天神七代地神五代」としている所もある。」

参照:ウィキペディア「十二所神社」

 

 

朝比奈切り通しの終ったところには、熊野神社がある!チョキ

ということは、鎌倉のこの十二所神社は“熊野系”ということだよね。おーっ!

でも、なぜ「じゅうにそう」と読むのかは結局わからない……。ハートブレイク

 

しかし、この後、日本地図を見ていると、ちょこちょこと「十二」がついた神社が目につくようになった。“12ソウ(所)”って、もともと方向を12に分けて“12相”として、それぞれその地のポイントからどの方面かによって、12の干支で表現されていたりするんじゃない? 日本全国のジュウニソウ神社を全部チェックしたら何かが見えてくる気がする……。(それができる時間もお金もないが。)シャベル

 

                  つづく

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2017年6月 朝比奈切り通し散策 1 調べてみた。

 

梅雨空のご機嫌を伺いながら、鎌倉の切り通しのひとつ、1234567

朝比奈切り通し」を歩いてみた。走る人

 

「切り通し」とは「山や丘を掘り削って交通路に開いた部分」。本

トンネルは穴を穿ち通したものだけど、切り通しは、溝のように削りとっただけだ。シャベル

 

山を切り通した道なので、道幅は狭く、叫び

道の両側は切り取られた山肌がむき出しで、山の断面がよく見える。目

その両側の山の切り口が道行く我々に迫ってくるような、

湿って苔むした、昼なお暗い古道である……オバケ

 

とイメージしていると、がっかりすることもある。あせる

 

今まで鎌倉の切り通しをいくつか歩いたが、案外明るくて、道路もアスファルト舗装され、キラキラ

往年の鎌倉時代の人々の息吹を想像すること難し! ガックリってな道もあった。

 

 

余談だが、

先日TV番組で、岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」が紹介されていた。

 

1915年の作品。写生された切り通しは、東京都渋谷区代々木4丁目の切り通しで、現在は道路はアスファルト舗装されているらしいが。あせる

(ネットより拝借画像)

 

この絵の切り通しはさほど深く切り通されておらず、明るい切り通しだが、

むき出しの土が生々しく力強いよね。チョキ

岸田劉生も切り通しの魅力に嵌った一人だったんだろうね。ラブ

 

さて、土が抉られてひりひりするような、ぬくもるような大地の断面はもとより、

さらに深く! もっと深く抉られた薄暗い圧迫感や古道たる味わいなどを探し求めていたら、

見つけたのが、鎌倉、「朝比奈切り通し」で。ラブラブ

 

あっこさんのブログで拝見して、

かなり期待して出かけたのであった。ラブラブラブラブラブラブラブ

(切り通しの素晴らしい写真や地図など詳しくはあっこさんの記事を参照されたし。チョキ

 

 

とりあえず、「朝比奈」と名が付いているのはなぜ? はてなマークと調べてみた。サーチ

1241年(仁治2年)4月から鎌倉幕府執権北条泰時が命により作らせた」もので、命を受けた“朝比奈三郎が一夜にして作った”という伝説に基づいているようだ。びっくり

 

朝比奈三郎が作ったから、「朝比奈切り通し」なのね。ねー

それにしても、一夜にして山を切り通すなんて、アンビリーバボー。ゲラゲラ

 

 

 

で、いったい朝比奈三郎って誰? はてなマークと調べてみた。サーチ

 

 

参照:「朝比奈義秀(アサヒナ ヨシヒデ)

 

鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府御家人。父は和田義盛、母は不詳(後述を参照)。安房国朝夷郡に領地としたことで朝比奈を苗字とする。朝比奈氏和田氏一族)の当主(ウィキペディア)

 

千葉の人だったのね。水泳が得意で、力自慢のマッチョな武士だったよう。びっくり

 

[]安元2(1176)? []建保1(1213)?

鎌倉幕府御家人中で抜群の武勇をもって知られた。正治2 (1200) 年将軍源頼家が海辺遊覧の際,水練の技を披露せよと命じられ,水中深くもぐってさめを手取りにして人々を感嘆させたという。」(コトバンク)

(ネットより拝借画像:朝比奈三郎がサメ獲ったどー!の図)

 

“伝説”というものは、非現実的ってのが相場だが、爆  笑

それにしても、サメを“素手獲り”にしたって、どんだけワイルドなんだ?滝汗

これだけ偉丈夫ならば、切り通しも一夜で作ったと噂されそうだ。

 

しかし、

生れたのは1176年、

サメを素手獲りにしたのが1200年、24歳で、

切り通しを作ったのが1241年とすると、65歳だよ!びっくり

しかも、「コトバンク」によれば、「?」付きながら、没年は1213年?

“切り通し造り命令”が出た頃には生きてない?ゲッソリ

 

真実やいかに……。はてなマーク

 

 

なにはともかく、鎌倉の東の端、神奈川県に通じる切り通しは朝比奈三郎の名が冠されているのだった。あせる

 

 

鎌倉八幡宮(鎌倉市)から東へ、金沢(横浜市)の六浦(ムツウラ)へと延びる金沢街道の、

県境の辺りの山を切り通したのが朝比奈切り通しで。

 

金沢街道は、別名「塩の道」とも呼ばれ、

塩が鎌倉へ運ばれる道だったそうだ。びっくり

 

塩はどこから? はてなマークと調べてみた。サーチ

 

 

(ネットより拝借画像に青い印つけてみた)

 

(ネットより拝借画像)

 

昔は六浦のあたりまで海が迫っていたらしく、海

塩場」と呼ばれるところで塩を作っていたらしい。塩塩

今もその地名は残っている。(八景島シーパラダイスが目と鼻の先だ。ウシシ

 

塩場で作られた塩が

「朝比奈切り通し」を含む「金沢街道」を運ばれていったらしい。

……鎌倉の海(由比ガ浜とか江ノ島)とかで塩は作られなかったのは何故かしら……?はてなマーク

 

「塩の道」とわかったからには、

鎌倉(鎌倉市)と金沢(横浜市)を繋ぐ金沢街道をずっと辿ってみたかったが、ラブラブ

地の利のない私は、無理は禁物。グーニヤニヤ

まずは「朝比奈切り通し」を今回の目玉にした。目

切り通しが終り金沢に入る手前で、ぐるりと「十二所梅林・果樹園」を通って戻ってこようと出かけたのだった。(ほぼあっこさんと同じコースを目指したのではあった。デレデレ

         

                                 つづく