江ノ島・鎌倉プチ旅行17 着衣の身代わり地蔵(延命寺)



江ノ島神社の「裸弁財天」についてツラツラ調べているとき、

“裸繋がり”で、
鎌倉の延命寺に、基本は裸だけど、普段は着衣のお地蔵様がいる
という情報を見つけた。Σ(=°ω°=;ノ)ノ

裸のお地蔵様?ヽ((◎д◎ ))ゝ

しかも、運慶作とか。ホンマデッカ~?Σ(=°ω°=;ノ)ノ



それは、ある夫婦が、“負けたら裸になる”という賭けをして双六をし、

妻が負けそうになって(負けて?)、叫び

さて裸になるのは嫌だと困ったところに、(←夫婦で何やってんだか?なのだが)あせる

裸の地蔵菩薩が双六盤の上に現れ、妻の身代わりになってくれた地蔵ジタバタ

……というお話。( ´艸`)

参照:「延命寺」



変な話~。( ̄Д ̄;;



とにもかくにも、裸のお地蔵さまに会ってみたくて、
延命寺へ急ぐ。ダッシュ

瑞泉寺から歩いて行ける(多分30~40分ほど?)距離なれど、
もう3時にならんとしていたので、タクシーを拾って、大至急駆けつけたのだった。UFODASH!


延命寺

お寺はまだ開いていた。OK

山ごとお寺のような広大な瑞泉寺から来ると、
随分こじんまりしたお寺だ。


特別“見所”があって観光客で賑わっているようにも見えない。キラキラ

どこもかしこもぴたりと閉められて、静まり返っている感がある。
まだ、閉まる時間ではないのに?はてなマーク
と見回すと、

要予約

堂内の拝観は 前日までにご予約をお願いしています


となっ! ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚





鎌倉で、まさか、要予約の寺があったとはっ……! シランカッタガックリ


本堂の中央より左側に「身代り地蔵尊」が安置されているらしいことは、確かめられた。

が、お目にはかかれなかった。(タクシーに乗る必要なかったしょぼんお金




ちなみに、後日、ネット検索した画像は、着衣のお地蔵様

身代わり地蔵
(ネットより拝借画像)


運慶(だとしたら)は、なぜ彼は裸地蔵を彫ったのだろう?はてなマーク



双六の盤の上にいきなり現れ、妻の代わりに裸になったお地蔵様の話に動かされて、音譜
彫ったのかしら?


そんな賭けをした妻を救うより、もっと救ってあげるべき人っているんじゃね?
と思うのは、私だけだろうか。むっ


――それとも、夫婦といっても、鎌倉時代のこと。
愛し合った夫婦ではなくて、
人質とか無理やりとか、裏に複雑な事情があって、| 壁 |д・)刀
妻の名誉に関わる一大事の状況だったのかしら?ガーン



とにかく、今回は、
この日本に、裸のお地蔵様や裸の弁財天像が存在するということがわかった旅でもあった。(ノ^^)八(^^ )ノ

明治以前、西欧の裸像が輸入される以前に彫られた裸像がいかなるものなのか、
できればもっとじっくり見てみたいものだったが。汗


湘南ビール

湘南ビールで〆て、江ノ島・鎌倉の旅を終えました。
           


               おしまひ
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江ノ島・鎌倉プチ旅行16 歌碑のみのがし


瑞泉寺は、歌人山崎方代(ヤマザキ ホウダイ)(1914年~1985年)が、ご住職と仲良くしていたという寺……のはず。

瑞泉寺では、毎年9月の第1土曜に、「方代忌」も執り行われている……はず。



なので、なにかしら、方代の歌碑もありなむラブラブ
……と思って、ぷらりぷらりと境内を散策。走る人


境内には、そちこちに歌碑が建っていた。目



吉野秀雄

死をいとひ 生をもおそれ 人間の ゆれ定まらぬ 古古呂知るのみ 秀雄

歌人、吉野秀雄の歌碑。
確か、山崎方代が世話にもなり、尊敬していた歌人だね~。(-^□^-)




久保田万太郎句碑

いつぬれし松の根方ぞ春しぐれ

俳人・脚本化・小説家の久保田万太郎の句碑。( ̄ー ̄;



大宅壮一

男の顔は履歴書である

評論家、大宅壮一の碑。(‐^▽^‐)




どれも石碑に刻まれた文字を、現代風に書き写した立て札があるのが、ありがたい。ラブラブ



で?
山崎方代の歌碑はどこ?はてなマークあせる
ないかも?叫び


疲れてきてしまったし、もうひとつお寺に寄りたかったし、あせる
歌碑を見たからどうということもないので、(´0ノ`*)
諦めて瑞泉寺を後にしたのだった。ハートブレイク




が、後日、ネットでチェックしたら、サーチ

あったんだったよ!(((゜д゜;)))

山崎方代
(ネットより拝借画像)

手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る 方代



どこにあったのぉぉぉ?(ノ◇≦。)
(視界には入っていても、もう目に留めなかったのだろうか。あせる



一番見たかった歌碑は見逃した。ガックリ

私の人生、こんなことばかり……という気がする。。(´д`lll)



きちんと下調べして事に臨めばいいのに……。あせる
なにをするにも、いい加減で。Y(>_<、)Y


でも、
何も調べないまま、知らないままに
ふらりとさまよい歩いて見つけるのが好き。ドキドキ
そんな性分だから、仕方ない。┐( ̄ヘ ̄)┌


「また今度ねあせるパー」、と思う。

しかし、いやいや、「またね」はもうありえないお年頃になってきているぞ、とも思う。汗
すべて一期一会じゃぞ、とも思う。グー


まぁ、歌碑を眺めるよりも、
彼の歌や言葉そのものを、深く味わうことが肝心。ラブラブ

歌碑は、彼がそこに縁があったとか、来たことがあるという印に過ぎぬ。

その人の作品を味わうことこそが、
たった一首にでも真剣に対峙することこそが、
“出会い”だよね。

……などと、自分で自分に言い訳をするのであった。ガックリ
 
                  つづく
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江ノ島・鎌倉プチ旅行15 どこも地蔵(どこもく地蔵)



瑞泉寺を入っていくと、
右側が新しい階段、左側は今にも崩れそうな古い階段。キラキラ

瑞泉寺


こういうときは、まず古い階段を行かずにはいられない。チョキ


仏殿背後の庭は夢想国師の作だそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


瑞泉寺というと「水仙寺」というイメージがあった。narcissus.
水仙をたくさん植えて、“見所”にしたと聞く。
ズイセン寺だから、スイセンで攻めようと思ったのかな。( ´艸`)
とにかく、昔は水仙がたくさん咲き乱れていた記憶がある。narcissus.narcissus.narcissus.narcissus.narcissus.narcissus.



が、
今回、2月初旬に訪れたにも関わらず、
水仙の花々は少なく、えっ
ほとんど倒れてしまっていた。ガーン

水仙を“売り”にするのを止めたのかな?
庭全体、お掃除は行き届いてきれいなのだが、
草花には手入れが行き届いていない感じ。ドウシタモンジャローノォ?

水仙

(↑辛うじて、すっくりと立ち咲いていた水仙)



覚園寺で「黒地蔵」を見た後は、1
瑞泉寺で「どこもく地蔵(どこも地蔵)」を見たかった。チョキ2


初め、DOCOMO地蔵? 瑞泉寺とNTTの間にどんな関係が?∑(-x-;)
などとも思ったが、

調べてみると、サーチ
「どこも苦」の地蔵ということで。(///∇//)




――鎌倉地蔵尊七番札所 どこもく地蔵尊縁起――

昔 地蔵尊 扇谷の辻に存せり 

堂守困窮し、逃亡を謀る

地蔵尊 夢に立ちて曰く 「どこも どこも」

その意を問ふに 八幡宮寺正覚院の住寺 答ふ

「この世はいづくも苦 楽を求めて逃げむよりは 辛抱忍苦を学ぶべし」

かくて堂守は地蔵尊に一生仕へし と

「どこも地蔵尊」「どこも苦地蔵尊」と呼ばるる由縁なり
 



……とな。ヽ(;´Д`)ノ



「DOCOMO地蔵」ではなくて、「どこも)地蔵」だったのだ。Anywhere,hard&painful!Σ(=°ω°=;ノ)ノ

どこも地蔵立像

心なしか、厳しい表情のお地蔵様だ。(((゜д゜;)))

どこも地蔵アップ

「どこもかしこも、苦しいぞ~ドクロ
「どこに逃げても、お前は苦しいことからは逃れられないのだぞ~パンチ!

って、ちょっと呪いの地蔵のように私には感じられてしまうのだが、((>д<))
確かに、困難から逃げているだけでは、苦しいことばかりであろう。汗


私は「逃げる」ことだって、時には必要だと思うタイプの人間なのだが、
結局、困窮して逃げ出した堂守さんは、思い直して戻り、Uターン
一生堂守を続けられたわけで、チョキ
一旦は無理だと思ったことでも、継続し、全うできたようだから、
彼にとって逃げ出さなかったことは、よかったのだろう。クラッカー


自分の理想だけを求めて、ここもダメ、あそこも嫌……と逃げ出してばかりいる人は、
この「どこも(苦)地蔵」の言葉を噛みしめて、
一所に懸命に生きてみるのがよいかもしれない?


それにしても、「どこも都地蔵」「どこも幸せ地蔵」なんてもの、いたらいいな。(意味的には表裏一体なんだから。)( ´艸`)音譜



この「どこも地蔵」、
「どこも」に続く言葉が「苦」ではなく、
どこも「幸」「楽」「天国」「美」などの言葉が続くものとして、
逃げ出した堂守に、どこでも、そこで頑張れば、そこが自分にとって素晴らしい場所となるのだぞ~と諭した話になればいいのに。ヘ(゚∀゚*)ノ
脅迫的なお話はちょっとイヤン。
DASH!



しかし、そんな甘っちょろいことを言っていないで、
「苦しい」ということを「苦しい」と、ドクロ
味わうこと、怯えることが大切なのかな。あせる


だからこそ、「苦しい」ことから目を逸らさず、負けず、生きるという覚悟が持てて、強くなれるのかな。

(だとしても、私はこの「どこも(苦)地蔵」さんのお顔が、いまひとつ好きになれないのであった。(/ω\))
           つづく
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江ノ島・鎌倉プチ旅行14 108櫓(ヤグラ)と天園ハイキングコース


*「天国ハイキングコース」と連発してアップしてたけど、
 「天園ハイキングコース」の間違いでした。失礼しました。m(_ _ )m
 以下、修整しました。^^;




鎌倉覚園寺から坂をほんの少し下った左手にある脇道をいくと、
天園(テンエン)ハイキングコース」。

――「天園」って、凄いネーミングだよねぇ。(^o^;)


標識

(標識があるのに、意外とこの標識を見落としガチ。足元にゴミ収集所があるから。あせる


天園ハイキングコースは鶴岡八幡宮後方にある山々、
鎌倉市と横浜市を隔てる天台山、大平山、鷲峰山の尾根を歩くルートです


……だそうで、山を3つも渡り歩くので、山山山②
なかなか歩き甲斐がある。グー走る人


脇道から鷲峰山の方へ入っていくと、途中に「百八やぐら」がある。ラブラブ!

「やぐら」って、特に鎌倉では「お墓」の意味ね。
以前、やはりY女史と一緒に「腹切りやぐら」を訪ねたことがある。(「鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 5」)


「腹切りやぐら」はたった一つの岩窟だったけれど、
それが108もって、いったいどんな状態なのか、見てみたかった。(°д°;)
で、やぐらを見学しつつ、「天園ハイキングコース」で瑞泉寺まで出るつもりで歩いた。ヾ(@^▽^@)ノ


この道で、いいのかな? 不安を覚えつつ山道を行く。

歩き始め

鎌倉って、岩山なんだねぇ~と感心しつつ行く。

岩肌


ときどき分かれ道が出てくるが、標識があるので、なんとかコースを辿れる。DASH!

分かれ道

しかし、初めて歩く山道は、やはりちょっと緊張する。あせる
本当に、この道でいいのかなぁ。あせる

道塞ぎ


ちょっと不安になった頃、見えてきた! やぐら群! ヾ(@°▽°@)ノクラッカー
これが108櫓だぁ!クラッカー

山の斜面を利用して段々畑ならぬ、段々やぐら。
(……ってほど、きちんと列を作っているわけではなかったが。)

ヤグラ1



ほとんどの像が首を打ち落とされていた。哀しょぼん

ヤグラ2

ヤグラ3


半地下状態で、隠すようにできているやぐらもあった。

ヤグラ4


まるで木々がやぐらを隠し守っているようだ。キラキラ

ヤグラ5


30くらいまで数えて疲れてしまったが、たしかに108くらいはありそうなやぐらであった。あせる

鎌倉時代を生きた人々が眠っているんだろう。武士

やぐらの主の幽霊?にでもばったり会えたら、

「鎌倉時代って、どんな時代でした? あなたの人生はいかがでしたか?」って聞いてみたいものだ。にひひ

(でも、乱れた鎧兜に矢が突き刺さっていたりして、顔に血がべっとりついた恐ろしい形相でゼイゼイ言いながら出てこられたら、ちょっと怖いな。首がなかったりして、拙者の首を知らぬか?なんてキョロキョロされちゃったら怖いな。ガーン




山道の岩には、金属の釘のようなものがあちこちに打ち付けられていた。
何の印だろう?はてなマーク

釘?2

釘?1


これって、境界石? 山の中にも境界石なんてあるんだね~?はてなマーク

境界石


「ハイキングコース」なのに、人っ子ひとり通らない。汗
本当にこの道でいいのだろうか? あせるあせる

と不安になった頃、山人(?)発見。ほっとする。о(ж>▽<)y ☆

山人発見



結構歩きにくい道を登ったり降りたりしていたら、
大平山(オオヒラヤマ)に到着。海抜159mなれど、結構息が切れてきたぞ。あせる

大平山

鎌倉アルプスで最も高い山」(ガイドブックより)……って。えっ

なんでも「〇〇アルプス」って名づけるの、なんだかなぁ。汗

見晴らし

そこはかとなく、見晴らしはよし。
チョキ



せめてもの「鳥見」。雀ちゅん。(///∇//)

雀




また誰もいなくなった。汗




疲れてきたなぁ……と思う辺りで、うまい具合に茶屋があるんだ、これが。クラッカー
天園峠の茶屋」。

天園峠茶屋


茶屋にはハイキングに来たらしき方々が何組がいて、みなさん、どこを歩いていらしたのか?と不思議であった。Σ(・ω・ノ)ノ!


この茶屋を出たところで道は二つに分かれているが、標識がない。ビックリマーク

まぁ、メインと思える山道をいく。走る人

念のため、茶屋の人にひとこと確認をしてみればよかったのだが、あせる
高を括って歩き始めてしまい、相当後悔した。ガックリ(まぁ、結局、道は正しかったのだが。)



歩き始めは美しい空だ~♪ などと気楽にいられたのだが、≧(´▽`)≦

空


かなり鬱蒼とした道が続き、標識が全然出てこなくなる。あせる

うっそう

分かれ道で間違えたか?と焦るが、だ~れも通りかからない。あせる

黙する木

木にたずねても答えてくれない。しょぼん


嘲笑う木

おい、見ろよ。方向音痴が迷ってるぜ。ぎゃははは!
と笑われている気分なり。ガーン


茶屋まで引き返すか、このまま先を進むか?はてなマーク
引き返すにしても、もう随分歩いてきてしまった。あせる
悩み悩み歩いていると、とても長く感じる。叫び



と、お地蔵様が出てきた。「貝吹き地蔵」。ほっとする。(-^□^-)

貝吹き地蔵
(ここ、後でわかったことだが、瑞泉寺の裏の崖だそうだ。汗


新田義貞の軍に攻められ(1333年) 北条高時の首を守りながら敗走する部下たちを助けるため貝を吹き鳴らし……(後略)」目



後日ググったところ、サーチ

いわゆる「鎌倉の戦い(元弘の乱)1333年」の時のお話。

北条高時(鎌倉幕府軍)vs新田義貞(反幕府軍-後醍醐天皇)とが戦い、
北条高時が負けて、鎌倉幕府が滅んだんだ。

その時、鎌倉幕府がもう滅亡だ!という事態で、叫び
高時の部下たちは、せめて大将の首だけは渡すまい!と必死で逃げたことだろう。
自分の上司の首を抱えて逃げる……考えたら、なんとも凄まじい。ガーン


とにかく、もはやこれまでと東勝寺で自害した北条高時の首を抱え逃げ惑っていた家来を、
お地蔵様が貝を吹いてここまで導いたらしい。音譜

お蔭で高時の首を無事に埋葬することができたらしい。(どこにだ?はてなマーク



こんな風にお顔も風化してしまっている古いお地蔵様が斜面を抉ったような狭い山陰にそっと祀られていると、
阿鼻叫喚の戦いの中で、そんなファンタジックな出来事も実際にあったのかもしれない?
などと思えてきちゃう。( ´艸`)




またもややぐらが出てきた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
108ほどではないが、これも岩山にひっそりといくつか並んでいた。

またもヤグラ


もうやぐらは十分です。あせる
ハイキングコースはまだ続くのでしょうか?あせる

はてしない?




木々がまばらになってきて、麓の家々が覗き見られるのに、
山道はなかなか終わらず。あせる


トホホな気分になってきた頃、やっと「瑞泉寺」の標識が!ヽ(;´ω`)ノ

瑞泉寺へ



覚園寺の下から108櫓~鷲峰山~大平山~天台山~瑞泉寺までの「天園ハイキングコース」は、途中休憩を含んで、2時間半くらいのコースであった。時計DASH!

ペットボトルの水500ml1本持っていてよかったー!ヽ(;´Д`)ノ


              つづくよん
江ノ島・鎌倉プチ旅行13 覚園寺の黒地蔵


鎌倉の旅日記は多分に愚痴日記となる。憂さ晴らし備忘録なり。ドクロ



覚園寺(カクオンジ)の黒地蔵が好きだったY女史と、黒地蔵を一緒に見にいったのは2013年のことだった。

Y女史は、とにかく“地獄で真っ黒に焼かれて人を救うお地蔵様”らしいのよ♪
と黒地蔵さまが大好きなご様子だった。
何十年も前に初めて見たとき、深く感動したらしい。恋の矢

我々“地蔵好き”は、結局その地蔵に付随した(秘められた?)物語と、その姿を愛しているのだと思う。ドキドキ

罪びとの代わりに黒焦げになってあげるお地蔵さま、
罪びとを釜茹でにするという業火の守番をずっと続けて、真っ黒に焼けたお地蔵さま、
諸説ある(?)ようだが、
いずれにしても、人間離れした優しさと人間臭さに満ちているではないか。( ´艸`)ラブラブ


こういう話は、もしかしたら後世の人が作った、お寺に人を寄せるための“作られた伝説”かもしれない。
それでも、そんな話がゆかしくて、そこはかとなく信心したい心持ちは心地よいものなのだ。ラブラブ(私に「信心」は微塵もないが、仏像やら地蔵さまやらは好き。(●´ω`●)ゞ)


ありし日のY女史
(2013年に訪れたときのY女史)

鎌倉宮の手前を左へ、坂道を登ると覚園寺で。アップ
(途中、なんと明治の詩人、蒲原有明の家があったりもする!Σ(=°ω°=;ノ)ノオォォォォ!)


Y女史の病気治癒を願って、(。-人-。)
(あるいは、少しでも痛みが少ないように願って(。-人-。))
出来れば撮影禁止の黒地蔵の絵葉書なりを手に入れて、Y女史に見せて励ましたいとグー
出かけた今回の旅だったが……。しょぼん




鎌倉覚園寺(カクオンジ)では、境内は自由に出入りできるが、
黒地蔵や薬師如来像が安置されている庭は固く閉ざされている。NG
庭は10時、11時、13時、14時、15時……と、基本1時間に1回ずつ、お坊様の先導つきでのみ、50分の拝観を許されている。時計


お庭は山と谷に挟まれているようで、こんもりと茂った木々が優しくキラキラ
空気もひときは澄んで、実に心地よい静寂に満ちている。キラキラ
木々も花々も季節季節に様相を変えて、何度訪れてもいいお庭だと思う。チョキ

庭への入口

お庭(門の先)では一切撮影禁止。←ナンデダヨー!ケチ―!(  ̄っ ̄)


さらに、大きな声では言われないが、
案内してくださるお坊様には、実質質問禁止だ。ドクロ禁止
(質問しても、ちょっと込み入ったことには、「後で説明します」と言われ、答えてくれない。)

ゆっくり拝観するのも、実質禁止だ。さぁ、次へ、さぁ、次へと促される。禁止


50分で一回りするには、やや急がなければならないのだ。あせる

……それはまぁそうなのだろうが、
それならそうと最初から「広いお庭を回るのにはちょっと急がなければなりません。おしゃべりしている時間はありませんよ~」とか警告しておいてくださればいいのに、と思う。注意



Y女史は足が悪かったから、お坊様に皆が急がされるたびに
お坊様がほとんど聞き取れないような早口で機関銃のように説明を一気にまくしたてるたびに、

「私が歩くのが遅いから、みんながゆっくり見る時間が減らされちゃってるんじゃないかあせる」と気に病みつつ必死で歩いていたんだ。(´□`。)

そんなことありませんよと私が言っても、気に病む人“A型気遣い人間”だったんだ。(ノ◇≦。)

今思い出しても、腹が立つ。パンチ!

ちょっとした一言、ちょっとした心遣いを払うべきじゃないのか!爆弾

……って思っても、面と向かって抗議できない私。情け無し。ガックリ

もしかしたら、平素よりゆっくり回ってくださっていたのかもしれないが、
足の悪い人に一言お坊様が声を掛けてあげれば、彼女の気分も相当楽になっていただろうになぁと残念に思う。しょぼん


今回お庭を案内してくださったのは、以前とは違うお坊様だったけれども、
足の悪い人はいらっしゃらないようだったけれど、
やはり、急かす、急かす。DASH!

特にグループで来られているご婦人方は、感動するごとに、あれこれ仲間うちで盛り上がるものだが、
その度に、
さぁ、さぁ!と急がされていた。あせる
しゃべりこまれるのも困るものだが、なんだかシェパードに威嚇されて歩く牛の気分になったなり。ガーン


相変わらず、覚園寺の庭では、
撮影禁止。おしゃべり禁止。質問禁止! なのだ。( ̄^ ̄)


500円払って、なんだかなぁ……って気がする。ヾ(▼ヘ▼;)
せめて、庭を回り終わった後で、質問にくらい答えてくれたっていいのに、と思うわ。( ・д・)/--=≡(((卍


黒地蔵は相変わらず、黒々と佇んでいた。キラキラ
Y女史のためにこっそり写真に撮っちゃろか!とも思ったのだが、| 壁 |д・)
他の人の目もあり、諦める。
汗

写真撮影禁止なら、せめて絵葉書でも売ってくれればよいのだが、
絵葉書もない。ガックリ

雑誌

この雑誌にだけ、写真が載っているそうだ。
で、本屋で探したが、見つからず。ガックリ
(この雑誌は絶版になっていたわい。本屋にないわけだ。ヾ(▼ヘ▼;))


結局、黒地蔵の写真は手に入らず、
病床のY女史には
黒地蔵をお参りしてきたことを話す機会もないままになってしまった……。ガックリ
黒地蔵のご利益、なっしんぐ。ガーン



この覚園寺、お庭に薬師堂があって、
薬師如来、日光菩薩、月光菩薩12神将軍が祀られてあるのだが、

その薬師堂は、
1218年に2代目執権、北条義時(ヨシトキ)が、
「戌神将(イヌシンショウ)のお告げ」により建てた
という。(=◇=;)


戌神将」って何? ……である。えっ


薬師堂に安置される薬師如来は12神将軍を従えていることが多いよね。
殊に奈良の新薬師寺は有名。チョキ

ここ覚園寺にも、12神将揃っていて。
子、丑、寅……と12の干支を冠した神様がずらりと並んでいた。
で、「戌」のところにあたる神様が「戌神将」というわけだ。(=◇=;)

後日ググッたら、それは私の大好きな「バサラ神」(=金剛力士?)のようだ?
(今まで気づかなかったわ。)(=◇=;)




ともかく、なぜか12支の中で、「戌」が、白い犬となって、北条義時を救ったという物語がある。

――鎌倉八幡様のあの大銀杏の前で、公暁(クギョウ or コウキョウ)【源頼家の息子】が暗殺されたとき、銀杏

北条義時は役目がら、その場にいなければならなかったはずなのだが、
白い犬を目にして気分が悪くなって、犬
急遽代役を人に頼んで自分は家に帰った。
走る人
そのため、事件の時、自分の代わりを務めた人は殺され、自分は助かった……。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
その白い犬が、実は「戌神将」だったというお話。о(ж>▽<)y ☆



この話はなんと鎌倉時代の歴史書、鎌倉幕府の公用記録書でもある『吾妻鏡』に記載されているらしい。∑(゚Д゚)


わが国最初の武家記録」とまで言われる日本の代表的な歴史書に、
こんな神がかった話がまことしやかに書いてある日本って、
本当に事実をまともに残そうという気質がないんだね~。┐( ̄ヘ ̄)┌

「歴史書」というより、「歴史捏造書」と呼ぶべきじゃない?| 壁 |д・)
(……ってか、国の歴史書なんてものは、もともと権力者によって都合のいいように書かれるものだから、仕方ないのか?γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ)

いい加減、歴史認識のあり方を変えるべきじゃ、ないでしょうかね~。Zzz…(*´?`*)。o○





参照:「『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す」

結構でたらめっぽい。誰が書いたの?┐( ̄ヘ ̄)┌
              
                   不満はまだ続く