この5月に、誘われて、栃木の「蔵の町」を散策したときの日記なり。


栃木のナニコレ 7 低姿勢


山本有三ふるさと記念館のそばには、山本有三の墓があるという金龍寺(キンリュウジ)が。(=◇=;)

金龍寺


境内に入ると、
なにやら平伏している像がっ!Σ(・ω・ノ)ノ!

すふぃんくす?
汗

楠木正成(クスノキ マサシゲ)と正行(マサツラ)の像、(=◇=;)
つまり父子の像ね……。

アップ

息子正行の平伏ぶりが凄い。スフィンクスかと思っちゃった。(^_^;)
正成の毅然とした様子が伝わってくるけれど、
なぜに楠木親子の像が栃木の金龍寺にあるのか……??? 謎。汗



山本有三の墓

山本有三の墓

山本有三のことばが刻まれていた。
端正な文字で。キラキラ

動くもの砕けるものの中に 動かないもの砕けないものが 大きくからだに伝わってくる

右無事の人より 友人土屋文明抄す


土屋文明(ツチヤ ブンメイ)の字?! 2人は友だちだったのかぁ~。(=◇=;)
それにしても、この有三の言葉……私には、深過ぎて?その意図するところがわかりませぬ。(=◇=;)




栃木市……
蔵の町で酒が飲めるかな♪ と思って出かけたら、
巴波川(ウズマガワ)を利用した“商売の蔵”の町で、あせる

マンホール

交番まで蔵仕立てで(-^□^-)

交番

そこだけ時間が止まってしまっているような古い家の庭には
蝶が飛び交い、

花


観光になかなか力を入れている街であった。アップ
(が、どうせなら、もっと見物人にわかるように説明を添えておいてくれると、散策の旅もぐっと楽しいものになると思うのだが。| 壁 |д・))

お土産物屋さんで見つけた「夕顔の実 ヨーグルト」!

夕顔の実ヨーグルト

こういうの、いいよね!ヾ(@^(∞)^@)ノ
夕顔の実なんて、是非とも食べたくなるじゃない。ラブラブ


(でも、つまりは、干瓢のことだったのかな? 食べてもよくわからなかった。ただ、私には、ちょーっと甘過ぎた。)


かも


                おしまひ

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この5月に、誘われて、栃木の「蔵の町」を散策したときの日記なり。

栃木のナニコレ 6 嫌がらせの手紙?


山本有三ふるさと記念館内部
(山本有三ふるさと記念館内部)


後日、
山本有三についてググっていたら、
『破船』事件」なる事件が出てきた。Σ(・ω・ノ)ノ!ナンジャソリャ


ざっくりまとめると、あせる

夏目漱石の娘おとめ座を巡って、漱石の弟子達による“三角関係のモツレ”を、三角関係
それが詳しく書かれた小説『破船』の名に因んで、「『破船』事件」と言ったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


三角関係のもつれを「事件」とは、大袈裟ねぇ。
どうも文学者たちのスキャンダルは「〇〇事件」と呼ばれることが多いよね。



やがて小説家になる松岡譲(マツオカ ユズル)と、同じく小説家として文学史にも名を残す久米正雄(クメマサオ)。
この2人、もともと親友でもあったが、ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
夏目漱石の長女、筆子(フデコ)を巡って三角関係になったらしい。三角


久米正雄はもともと夏目家によく出入りして、夏目漱石夫人(鏡子夫人)の覚えもめでたく(?)、筆子お嬢さんに恋していたらしい。ラブラブ!


そんな折、親元を勘当され困っていた友、松岡を家庭教師として雇ってもらうべく夏目家に渡りをつけてあげたら、
親友の松岡と自分の恋しいお嬢さんが仲良くなっちゃった!?顔ラブラブおとめ座    ガーン


で、漱石夫人に「お嬢さんを下さい!あせる」と申し込むけれど、
すでに漱石も亡くなっていた頃で、オバケ
夫人は、娘本人の気持ちに任せることにした。
お嬢さんは今で言えば“チャライ”系の久米正雄より、ストイックで実直そうな松岡顔が好き。
おまけに、久米正雄を誹謗中傷する怪文書が夏目家に届く。手紙


久米は、もうじき自分とお嬢さんが結婚するような小説まで発表しちゃったのに(←どんだけチャライんじゃ?)
結局、お嬢さんおとめ座は松岡顔と結婚。ガーンガーン叫び


久米正雄は、お嬢さんも自分に気があると思っていて結婚する気満々だったのに、ラブラブ
親友と恋人とに裏切られたように感じたようで。ハートブレイクガックリ
そのことを暴露するような小説『破船』を書いた。メモ


『破船』は当時とても売れたらしい。お金


ゴシップ雑誌などない時代だったろうから、
世間では“あの夏目漱石”一門のスキャンダルってんで、
興味津々だっただろう。


で、
世間は、久米に同情し、
松岡夫妻は世間からは「悪者」扱いされたのだとか。Σ(=°ω°=;ノ)ノ




松岡も友だち久米とお嬢さんとの板ばさみで苦しんだろうに。あせる
久米は、自分は悲劇のヒーローよろしく書いたに違いない。むっ
被害者意識満々の一方的な“顛末”を。(←私は読んでないけれど、そう推察申し上げちゃう。読む気もしないけど。どうせ読むなら、吉村昭の『破船』の方を読みたいわ。( ・д・)/--=≡(((卍)


そんなネタを小説にして発表しちゃう久米という人間、私は下品だと思うけれど、| 壁 |д・)
世間を自分の味方にしちゃう「筆力」だけはあった、ということか。チョキ
(「筆子」さんは振り向かせることができなかったけれど。にひひ



この一連のスキャンダルを「『破船』事件」というのだが、
この騒動の中で、久米正雄を誹謗中傷する怪文書を出したのが
なんと、山本有三だというのだ!Σ(~∀~||;)
しかも、女の筆跡で、つまり、山本有三の妻に書かせたというのだ!


事実はちょっとググッたくらいではわからなかったが、あせる
当時の渦中の人々の間では、犯人(?)は山本有三だと確信されているらしい。(-_☆)


なんてったって、山本有三は久米正雄はとても仲が悪く、ドクロ
松岡とは仲がよかったという。(・∀・)/
山本有三としては、正義感に駆られての所業だったのだろうか?はてなマーク

嫌いだろうが何だろうが、
仲のよい松岡を応援したかったろうが、
よしんば内容が事実だとしても、
誰かを誹謗中傷する手紙を“筆子の学友の名を騙って“出すなんて、
卑怯じゃないかっ。パンチ!

しかも、そんな卑怯な手紙を妻に手伝わせるとは、なお卑劣っ!パンチ!
あなたは“真実一路”の人ではなかったのかぃっ!(´□`。)
……と私は思うのだが。

まぁ、アホ臭いほどの文学「事件」の中においては、余興みたいなものかしら?┐( ̄ヘ ̄)┌
(当事者間では、笑い話にならない禍根を残すだろうが。)



それにしても、このスキャンダル、
夏目漱石が書いた小説『こころ』にとてもよく似ている。
でも、このスキャンダルは漱石没後のことらしい。Σ(=°ω°=;ノ)ノ


漱石が急死して、えらいこっちゃ!と弟子達が夏目家に足しげく出入りするうちに走る人
久米正雄は漱石の娘、筆子さんに恋しちゃったようで。(///∇//)


でも、
『こころ』と「『破船』事件」の類似については、もうまとめている人がいらっしゃったので、こちらをどうぞ。

参照:参照:「甘口辛口」






お嬢さんに恋をして、
親友にも恋の悩みを打ち明けていたのに、
お嬢さんもなんとなく色よい感じで自分に接してくれていたのに、
あぁ、それなのにそれなのに、2人に裏切られたーーーっ! 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
と騒ぐ久米正雄(←と、私には受取れる)


ググっていたら、
彼は、1916年(大正5)年12月に漱石が亡くなるすぐ前までは、家族ぐるみでつきあっていた恋人(後の小説家、宮本百合子=日本共産党元委員長宮本顕治の妻)がいたらしい?Σ(=°ω°=;ノ)ノ

そちらの恋愛はどうなったのか? ちょっと聞いてみたくもある。
男の人って、恋人がいたのに、その翌年には他の女に恋して、プロポーズできるものなの?はてなマーク

(「宮本百合子」のウィキペディアの方を見ると、彼女の人生の中に「久米正雄」の文字は一字も入ってないので、こちらも久米が1人で「恋人」と思い込んでいたんじゃなかろうか?(-_☆))



ウィキってみたら、

久米正雄の父親(おそらく江戸時代生まれ、もしくは明治初期生まれ)は、
長野県上田市の小学校校長だったが、
1898年(明治31年)、小学校で起きた火災によって明治天皇の御真影を焼いてしまった責任を負って、自らの腹を切って自殺
とな!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚

参照:久米正雄(クメ マサオ)


長野って、日本全国に先駆けて教育に力を入れていた県だったと思うけれど、
だから、一生懸命で真面目な先生が多かったんじゃないかと思うけれど、
天皇の御真影が焼けてしまったからって、切腹する?ビックリマーク血


教育者たるものが、それ? と私は唖然とする。(((゜д゜;)))
命の大切さや人間としての尊い生き様を教えてナンボじゃないのか?!?
「時代」は人を洗脳する……ということだろうか。ドクロ
これでは、日本もどこかの国と大差なくない?| 壁 |д・)

父親のショッキングな死(当時としてはむしろ賞賛されたのだろうか?)が久米正雄になんらかの悲しい影を落していたのかもしれない。汗


それにしても、



自分が先に好きだったとしても、
自分と相思相愛だと思っていた女が親友を好きになってしまったようだとしても、

彼女が親友の方を選んだなら、祝福してあげるしかなくないか?クラッカー

裏切られただの、お嬢さんは自分の手を炬燵の下で握ってきただの、
自分がどんなに裏切られたかを発表するだの、
事が終結した後までジタバタジタバタ見苦しい。パンチ!

そうしたジタバタな見苦しさが「日本文学」の「私小説」たるものなんだろうなぁと私は思う。
そんなことに悶々としているから、本当の意味の「私小説」が理解できないでいたんでないかぃ? などと思わずにはいられまへん。べーっだ!


その人のために、諦めなくてはならない恋もあるのよ。パンチ!
好きになってもらえなければ、潔く諦めるしかないでしょーよ。(←これじゃ、小説にならないか?しょぼん




オマケ:松岡譲と夏目筆子の娘

ググっていたら、松岡譲と夏目筆子の娘、半藤末利子さんが書いたという本を見つけた。

「夏目家の糠みそ

参照:松岡 譲(マツオカ ユズル

  
          栃木の散策日記は、あと1個つづく
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この5月に、誘われて、栃木の「蔵の町」を散策したときの日記なり。



栃木のナニコレ 5 山本有三って……



現在は理髪店「銀巴里」になっているけれど、
山本有三が生まれた頃(明治20年、1887年)は、何だったのだろう?はてなマーク

(以下、有三の青春期の流れを、パンフレットやウィキペディアを参考に、ざっくりまとめる。)



とにかく、有三の父親は栃木の呉服商で、浴衣
やがて「高級な京呉服の注文を取り、それを収める
“いいものを少し”扱う、かつぎ商人となって成功した
」人らしい。
 
今も昔も、セレブ相手の商売は手堅いのね。お金



現「銀巴里理髪店」が呉服を扱う店だったのかどうかわからないが、
とにかく山本有三はここで生まれたってことらしい。赤ちゃん 2


で、
リッチな呉服商の「ひ弱な一人っ子」の有三は、「女中の送り迎えで私立栃木幼稚園に2年間通った。」と。
お坊ちゃまだったわけだ。Σ(・ω・ノ)ノ!


しかし、栃木尋常小学校、栃木高等小学校の8年間を、「全学年主席を通し」、ベル
負けず嫌いで、「精神的ガキ大将」として認められていたようだ。(=◇=;)
つまり、お利口で虚弱体質なガキ大将だったということか。むっ


15の春」、有三はお利口だから進学したかったが、
商人の父は、有三に進学を許さず、NG
稼業を継がせるために浅草の老舗」に「丁稚奉公」をさせる。グー



しかし、有三は「商人の生活が嫌で、蔵の中で本を読んでは叱られ、結局1年足らずで郷里栃木へ逃げ帰っ」たと。ダッシュ


15歳の息子を持つ世間の人々は、こんなに勉強したがっている息子がいたら大喜びだろうにあせる
「時代」って、恐ろしいねぇ。
いや、商売をしている家というのは、子供に跡を継いでほしいものだろうから、「時代」とは関係ないのか?はてなマーク


家に逃げ帰った有三は、再度父親に進学を頼むが、やはり許されず、しょぼん
稼業の手伝いをさせられる。



が、
18歳のとき、母のとりなしでやっと上京、進学が許される。クラッカー
19歳で「東京中学校5年級」(現在の「東京高等学校」?)に編入。キラキラ
20歳で「岡山第6高等学校」に合格するも、キラキラその2ヵ月後に父急逝。
で、ふるさと栃木で稼業を継ぐ。ダウン
21歳 「東京府立一中」(現在の「東京都日比谷高校」)を卒業。

呉服業を営みながらも勉学を続け、
明治42年 22歳で、「第一高等学校」(現在の「東京大学教養学部」)に入学。
稼業を親戚に託し、上京。パー

明治44年 24歳で、「東京帝国大学ドイツ文学科選科」に入学。チョキ
明治45年 25歳の頃には、「稼業を廃業し、母を呼び寄せ同居」。チョキ

パンフレットには、「有三はまったく栃木を捨てたのである。有三26歳の時であった。」とされている。(/_;)/~~


山本有三にとって、栃木は「嫌悪した商業の町ドクロ」であり、父との確執の町でもあったわけだ。



山本有三は、東京三鷹市にも10年ほど住んでいたことがあって、
三鷹市にも「山本有三記念館」なるものがある。
それと区別するためにも、栃木の方は「山本有三ふるさと記念館」と命名されているのだろう。
栃木は「捨てた」ふるさとだけど、ふるさとはふるさと。山本有三を生んだ町なのであった。ドキドキ


山本有三と云うと『路傍の石』しか読んだことがない。おまけに、内容など全く忘れている。(●´ω`●)ゞ
そのたった一つの本のタイトルと作家名だけで、
なにやら小真面目な小説家なんだろうなぁ……とぼんやり思っていた。あせる


『路傍の石』の中には
たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、
ほんとうに生かさなかったら 人間生まれてきたかいが ないじゃないか

というフレーズが出てくるらしい。←全然覚えてないけど。あせる



熱いせりふだなぁ。
己の向学心と、稼業を継ぐという立場や親の思いとの板ばさみになりながら、
結局ふるさとを捨てた彼だから書けたセリフなんだろうなぁ。
真面目で熱い人だったんだろうなぁ

……とは思うのだが、



とんでもない嫌がらせもしたことがあるようで、爆弾

それを追跡チェックしていたら、とんでもないゴシップ事件を知ることになったのであった。Σ(~∀~||;)
         わけわからないので、つづく
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この5月に、誘われて、栃木の「蔵の町」を散策したときの日記なり。


栃木のナニコレ 4 蔵の町、商売繁盛のルーツ


前回「御影石」についてちょっと調べて、サーチ
我々が目にし手にしている御影石は、日本産ならば、古いものならば、
なんと「カンブリア時代」、
つまり4~5億年前に生成された石らしいと知り、ただならぬ感動が続いている。ラブラブ(=◇=;)


マグマから、何億という年月を経て石となった御影石を、砂時計
寿命せいぜい100年そこそこの人間が、墓石に使ったり、敷石に使ったり、グー
掘っては切り刻んで商品に成し、金でやり取りしているんだなぁ。(=◇=;)

エネルギー然り、人間は地球のあれこれの恩恵を
金銭で計りながら利用しているんだなぁ。お金


人間が集まれば、そこに商売がなりたつ。(-_☆)お金




栃木の蔵の町も、

江戸時代(1617年)、徳川家康の「霊柩」が静岡県久能山から日光山へ改葬されると、アップ
朝廷の勅使(=「例幣使レイヘイシ」)が日光東照宮へ毎年参向するようになり、走る人
そのご一行さまが通ったことから、この町の大通りが「例幣使街道」と呼ばれ、クラッカー
栃木はこの街道の宿場町となり、人が集まり、物が集まるように」なって、
「商都」として発展し、蔵も建ち並んで「蔵の町」となったらしい。アップ


*「例幣使」レイヘイシ=「朝廷から、例幣のために派遣される勅使。」(コトバンク

*「例幣」レイヘイ=「奈良・平安時代、朝廷から毎年の例として神にささげる幣帛(へいはく)。特に伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に際して、毎年9月11日に祭使を派遣して幣帛を奉納したこと。江戸時代には日光東照宮へも行われた。」

*「幣帛」ヘイハク=「神道で御幣,みてぐら,ぬさなど神への供え物の総称。布帛,衣服,紙,玉,器物,神饌(しんせん)のほか,幣帛料,金幣といって金銭をあてる場合もある。特に布帛の中では麻が代表的であったのでぬさ(幣)ともいう。」


……つまり、江戸時代、朝廷は家康を「神」として、供え物を贈るべく、毎年日光山を詣でていたということだ!Σ(=°ω°=;ノ)ノ

例幣使街道

しかも、この例幣使、なんと!

明治維新前の慶応3年(1867年)までの221年間、1回の中断もなく続いた。」んだそうで! じぇじぇじぇ!
参照:「日光例幣使街道


京都から日光までの長い道のり(約1200km?)を、
なーんでまた、そんなにヤワな公家さんが往復できたのか?はてなマーク
と、不思議に思ったら、

公務出張に選ばれた公家達は、神聖な使命を受けた高貴な装いの裏で、道中に特権的立場を最大限に利用して私服を肥やすことが常態であったといわれる。」(同上のサイトより引用)


な~るほど……。さもありなん、だ。(=◇=;)
色々な人々の思惑がこの例幣使街道には渦巻いていそうだ。お金


ともあれ、宿場町となり、押しも押されもせぬ街道の一部ともなり、
えらそうな人がやってくるとなると、その人を目当てにさらに人が集まり、
いろいろ物入りにもなり、色々な需要が増え、商売も栄える。
蔵も立つというものだよね。

栃木にとって、家康は町に繁栄を齎した神様、仏様、商売の神様!とも言えるのではないかしら。


今も当時の隆盛を偲ばせる大きくて立派な蔵や家が並ぶ栃木。キラキラ
しかし、ただ立派な店ばかりではなかった。
私にとっては、他では見たことのない不思議な店もいくつか発見しちゃった。( ´艸`)




商品の名前と値段を書き連ねて店先に張りまくり、
肝心な商品はほとんど目にできない“張り紙”店。

なぞの張り紙店

しかも、書かれている内容は、
「婦人服2割引」とか「財布1000円均一」とか、
商品についての説明も値段も具体性に欠ける。あせる

店の中に入っていく隙間さえ見当たらない。はてなマーク
この店で何か買おうと思う人がいるのだろうか? 謎だわ。はてなマーク
しかし、紙には「いらっしゃいませ、営業中です」とも書いてあるのだから、
商売が成り立っているということだよね?はてなマーク




栃木には「肥料」屋さんが多いみたい?(商売同様農業も盛んなのだろうか?)はてなマーク
その中で、
老舗らしい店構え。昭和の香りのする看板の肥料屋さん、発見。ヘ(゚∀゚*)ノ

肥料屋

しかし、店先で売られているのは「漬物」だった。о(ж>▽<)y ☆

女将さん(?)に「看板は肥料屋さんなのに?」と尋ねてみたら、
確かに「肥料屋」なのだが、自分だけこうして漬物を売っているのだと仰る。Σ(・ω・ノ)ノ!
では女将さんの手作りなのかというと、そうでもないようで……。Σ(~∀~||;)

なぜ女将さんだけが、どこぞで作られているらしい漬物を売るのかはてなマーク
は、結局わからず仕舞いだが、
ここの漬物、味見も出来て、美味しかった。チョキ
(特に牛蒡の漬物、うまし。カラメル色素は使われていたが。)




GINPARI」なる床屋さん(美容院?)まであった。Σ(=°ω°=;ノ)ノ

銀巴里

「銀巴里」って……。汗
かつて一世を風靡した(?)シャンソン喫茶店の名前を
こんなに堂々とパクっていいの?о(ж>▽<)y ☆

と呆れるやら可笑しいやら、
その店を覗きこみつつ角を曲がると、次項
その店の隣(……というか、同じ棟の一部なのか?)は「山本有三ふるさと記念館」となっていた。Σ(・ω・ノ)ノ!

山本有三ふるさと記念館


そして、なんと、隣の銀巴里理髪店こそが、山本有三の生家なのだそうだ!Σ(=°ω°=;ノ)ノ

              長くなったので、つづく
栃木のナニコレ 3 御影石なの?

この5月に、誘われて、栃木の「蔵の町」を散策したときの日記なり。




私は、栃木と言ったら大谷石(宇都宮市あたりで採れる?)……と思っていた。
が、栃木市を歩いていると、大谷石というよりは御影石とおぼしき石が
橋や歩道やらにふんだんに使われているのが、目についた。Σ(・ω・ノ)ノ!

石1

石4

石3

isi 2




石のことは詳しくないのが残念だが、あせる
これらって、多分御影石だよね? はてなマーク(間違っていたらごめんさい。)
(だって、私の実家の墓石にそっくりなんだもの。あせる



栃木って、御影石も産出するのかなぁ???はてなマーク



で、後日ググったら、サーチ

花崗岩は、地中深くのマグマが地表に出ることなくゆっくり冷え固まり形成されます。
『御影石』は、兵庫県の御影地方(六甲山麓)で産出する花崗岩のことで、建築用の花崗岩の総称として使われています
。」
参照:「芳村石材店
とな!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


つまり、火山噴火に戦々恐々とする昨今だけど、噴火
火山が噴火してマグマが冷えて固まることで、御影石やらなにやらありがたい石が出来るわけなんだなぁ。
(……と、小学生でも知っていそうなことを、今さらしみじみと感じ入る次第なり。(/ω\))




コトバンクでも、御影石は「 神戸市の御影から産する花崗岩(かこうがん)の石材名。本御影。」と。
Σ(・ω・ノ)ノ!


ウィキペディアには、
花崗岩はおそらく完新世を除くあらゆる地質年代にわたって地殻に貫入してきた。世界的には先カンブリア時代に生成したものが多いようだが、日本では茨城県日立市のカンブリア紀のものが最も古く、中生代に生成したものが最も広い面積を占める。日本の地表では、阿武隈高地、関東北部、飛騨山脈、木曽山脈、美濃高原、近畿地方中部、瀬戸内海から中国山地、北九州などに広く分布している。
として、
兵庫県に限った石ではない旨、説明されていた。(=◇=;)


分布はあちこち見られるけれど、石材として採られるのは、兵庫県の花崗岩だけなのだろうか???はてなマーク
そんなこともあるまいね?| 壁 |д・)


もともとは六甲山麓の御影地方で採れた石が素晴らしい!ってんで「御影石」と呼ばれ、チョキ
御影石が石材として広まって、
ウィキペディアにあるように、各地でも「御影石」があって、石材としていいってんで、あちこちで「御影石」と命名されて採掘されるようになったのではなかろうか?はてなマーク
どうだろうか?| 壁 |д・)

あぁ、世の中、わからないことが、いっぱいだわ!ガックリ




おまけだけど、花崗岩を調べていて、こんなサイトを見つけた。えっ

福岡県の眼鏡橋
朝倉市秋月の国道322号線そばにある『眼鏡橋』は、日本でただひとつ、御影石でできた石橋として知られています。」
福岡よかとこ


御影石で出来た「日本でただひとつ」の橋!?Σ(=°ω°=;ノ)ノ

……橋桁からなにから100%御影石で出来ているということ……なんだろうね?はてなマーク

福岡県ならば、その御影石はどこから採掘した御影石だろう?はてなマーク
やはり兵庫県六甲山麓御影地方の御影石なのだろうか?はてなマーク
北九州あたりで採れる御影石を使ったということなんじゃないだろうか?はてなマーク



橋などで使われている石などは、どこで採れた何と言う石なのか、明記しておいてくれると嬉しいのになぁ。ラブラブ(。-人-。)
               だらだら~つづく