2014年4月京都の春 2婆の旅

2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。




8 六盛(ロクセイ)と六勝寺



お昼は姉お薦めの、
平安神宮のすぐそばの六盛(ロクセイ)なる食事処へ。割り箸


途中、郵便ポストが
ペンキ塗りたて 注意」と。Σ(・ω・ノ)ノ!

ペンキ塗りたて

「ペンキ塗りたて 注意」……って、昔は結構あった気がするけれど、
最近はとんとお目にかかったことがなかったわ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

ペンキ塗りたてのベンチに座っちゃって……なんて笑い話は
遠い昔になっていたけれど、
京都では、こんなものさえ、息づいているのかと、感心。о(ж>▽<)y ☆


それにしても、いつのまに「ペンキ塗りたて」を見かけなくなったのかしら?はてなマーク
どして?
最近はペンキを塗ることが少なくなったのかしら?はてなマーク





六盛は、なにやら見るからに格式が高そうであったが、
予約なしでも15分ほど待って、席に着けた。チョキ



お客さんは沢山入っていたけれど、テーブルの間隔がたっぷり取られていて、
ゆったりと静かにお食事できる。チョキ
贅沢な食事処。


木桶に四季の京料理を盛り込んだ『手をけ弁当』が有名
ということで、「手をけ弁当」にしてみた。合格

手桶弁当

京料理はきれいどすなぁ~。ラブラブ!
鶏肉が特においしゅうございました。ドキドキ


飾られていた青々とした葉っぱ(食べられない)も可愛くて、ラブラブ!
名前を聞いたけど、もう忘れちゃった。ガックリ


で、
後日ググッたら、
こうしたお料理に添える葉っぱなどのことを
カイシキ(植物の場合=青掻敷(青かいしき)
っていうのだと知った。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

参照:「季節の料理に添える“かいしき”の表現


日本料理の素晴らしいところよねー。^^



で、
ついでに「六盛」についてググッたら、サーチ

器につかう木桶、実は人間国宝・中川清嗣氏がひとつひとつ丹精を込めて作り上げる貴重な京の逸品です。材料である木曽さわらは、数年寝かしたのち安定した木材のみ厳選し使用しております。完成までに長い時間をかけ手間を惜しまず作り上げる伝統工芸品とともに四季の京料理をお楽しみください。」

って。

人間国宝が作った桶!?Σ(~∀~||;)
そんなご大層な桶を使って食べていたのかと、びっくり。汗


天麩羅もちょっぴり頼んでみたら、
桜塩」が添えてあって、桜色できれいだった。桜
でも、天麩羅は関東人の我々には、イマイチだった汗

天麩羅




人間国宝の桶で食べていたことなど気づかないまま食事を終えたのだが、(/ω\)

お店のエントランスホールには、瓦なんぞが展示してあって、Σ(・ω・ノ)ノ!

瓦

なぜにお食事処で古ぼけた瓦の展示なのかというと、
このお店の土地から、瓦がざっくざく出土したというのだった。Σ(・ω・ノ)ノ!

六勝寺



平安神宮辺りに、昔「」の付くお寺が6つあって、
それらを総称して「六勝寺」というのだそうで。(=◇=;)

それらは戦乱やら火事やらで消滅してしまったらしいのだが、メラメラダウン
それらのお寺の瓦が、一箇所にまとめて埋められ(捨てられ?)たらしい。
その上に建ったのが、六盛だったわけだ。(=◇=;)


我々は、知らず知らず、
歴史の上に立っているんだね~と思わせる古都であることよ。あせる





お腹いっぱいになって南禅寺方面へ散歩。走る人

平安神宮の周りにたっぷりと琵琶湖疎水が流れている。

そ水


この水は南禅寺の水道からずっと続いているのね?


疎水にそって、
「六勝寺」のひとつ、「延勝寺」跡もあった。

延勝寺

延勝寺があった頃は、ここにこんな大きな疎水が引かれるとは
想像もしなかったことだろう。(^_^;)


疎水を、小船で楽しむこともできるようだ。チョキ

ボート


再び平安神宮の鳥居を眺める。

おお鳥居

昔(明治以前)は、この辺りには、この朱色の鳥居も平安神宮もなく、
院政華やかなりし(?)11~12世紀ごろは、
6つのお寺が繁栄を極めていたのねー。6
戦乱がなかったら、今も続いていたかもしれないのにねー。(/_;)/~~



しかし、もはや取り戻せない過去にしがみついていない京都。グー

巨大な輝き

六勝寺よりも、今は
琵琶湖疏水を引いたその功績を讃える。グー

題して、「巨大な輝き」!

水門を開ける男と、水門からキラキラあふれ出る琵琶湖疏水を現しているらしい。キラキラ

疎水隧道を作り上げたパワーと、琵琶湖からの恵みに対する感謝のオブジェ。(。-人-。)

琵琶湖疏水の水門は、京都にとって、近代への門でもあったに違いない。
そして、今も、京都を潤し続けているんだねー。チョキ

        つづく



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2013年京都3婆もみじ旅行 14 人力車に乗って


昨年11月、京都旅行の続きです。




最後に、歩くとすぐ疲れてしまう老母が
人力車に乗りたいというので、
じゃ、乗りましょうということに。チョキ


母と姉と私。人力車に同時に乗れるのは大人2人まで。ブタ馬ぶーぶー
母が1人で乗るのを渋ったため、
樽のような母と私とで、重さは3人分ほどになるだろうに、ブタぶーぶー
人力車引きのお兄さんは嫌な顔ひとつ見せず、
大丈夫ですよ!と繰り返してくれた。OK
(本当は大丈夫じゃなかったでしょ?アリガト。スマンデシタネェヽ(;´Д`)ノ)



さて、この人力車の乗り心地のいいこと!ラブラブ!
アジアの各地でリキシャー(?)――自転車やバイクで客の椅子をひっぱるようなものなど――とは雲泥の差である。
なんとも雅な乗り心地であった。キラキラ



緋毛氈(?)を膝にかけてくれるので、
全然寒くない。


イケメン兄さん

若い男性の引く人力車というものはいいものだ。
安心して乗っていられる。



緋毛氈

人力車はポイントポイントでちょっと止まって
記念写真タイムを設けてくれる。カメラ
(しかし、写真の腕は、私と大して変らないみたい。о(ж>▽<)y ☆)





走りながら、あちこちガイドブックには乗っていない説明をしてくれる。これがとても興味深かった。アップ
(その説明もお兄さんの“売り”なのだろうから、詳しくはアップしないでおこう。あせる





路地には舞妓はんの姿が。( ´艸`)
観光客が貸衣装を来て散歩している“なんちゃって舞妓はん”か、
本物の舞妓はんかの見分け方なども
教えて頂いた。

舞妓はん
(↑ちなみに、こちらは本物の舞妓はんらしい。)



説明されなければ、目にも付かなかったかもしれない建物に、
へ~!ほ~!の連続だった。
なんの先っぽ

妙

金持ちの塔


路地の向こうに塔

門の上の猿

タバコ王

明治時代に、いかに人に先んじて御金持ちになった人々がいたか……ってことを、もっと知りたくなったことであった。(=◇=;)



30分で1人乗り5000円、2人乗り8000円。お金
あっという間の、かなり贅沢なひと時。
乗り心地はよし。アップ
(お金さえ掛からなければ、何時間でも乗っていたい乗り心地であった。チョキ
説明もなかなか面白し。アップ
お兄さんはイケメン。アップ
楽しいひと乗りであった。合格


ちょっと財布は痛いけれど……。しょぼん
インドのリキシャーだったら30ルピア=50円くらいじゃなかったかなぁ。
しかし、人力車の車体自体、高そうだし、
重いオバハンを乗せて、結構傾斜のある坂道を走るのであるし、
説明にも工夫をしたり、大変な仕事なので、やはり適正価格かな……。(^_^;)

などと、貧乏性の私は楽しみながらも、最後まで悶々と考えてしまうのであった。(/ω\)

紫式部咲く


          おしまひ
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2013年京都3婆もみじ旅行 13 円山・花町・円山公園?


昨年11月、京都旅行の続きです。

知恩院をちょっと参詣した後は、人力車でも乗ってみるかということで、
円山公園のあたりへ出てみた。


前回の日記、「2013年京都3婆もみじ旅行 12 吉水草庵(ヨシミズソウアン)→安養寺→知恩院だったのか
で、

「その円山公園は、
そもそも、知恩院ではなく、この“慈円山安養寺”の敷地で、
その敷地を人々に休んでもらうために解放していて、
それが『公園』になったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ」

と書いたが、
円山公園の説明板を読んでいたら、
どうもちょっとニュアンスが違うかもしれないと思えてきた。(°д°;)あせる

円山公園説明板



説明板によると、
円山公園あたりは、
平安の頃は、真葛や薄が生い茂る「真葛ガ原」と呼ばれる原っぱだったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

鎌倉時代に、慈円僧正が「真葛ガ原」歌に詠んで、一躍「歌枕」の地として有名になった、と。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



『愚管抄』を著した有名人、「慈円僧正(ジエンソウジョウ)」さんは、
知恩院のお坊様として知られるようだけど、
実は
別名「吉水僧正(ヨシミズソウジョウ)」と呼ばれる、
吉水草庵のある安養寺ともゆかりがあったということみたい。
(その名が、安養寺の山号にもなっているくらいだものね。)

その身分も地位もある慈円僧正さまが流行作家のように、1つの歌で真葛ガ原を有名にした歌は、なんと恋の歌!ドキドキ

「わが恋は 松を時雨の染めかねて
     真葛が原に 風さわぐなり (新古今集)」

もしかして、
人々は恋のざわめきを求めて、真葛ガ原を訪れ始めたのではないか?

んでもって、

江戸時代になると、「安養寺塔頭の六阿弥(中略)が席貸を始め、次第ににぎやかさを増してきました。」って。Σ(・ω・ノ)ノ!

「この頃から、慈円山安養寺の円山が、この辺りの呼び名となった」とな。(=◇=;)


塔頭(タッチュウ)」というのは、色々意味があるようだけど、

高僧が隠居後に住した子院のこと」 (ウィキペディア)。



席貸(セキガシ)」とは、

料金を取って部屋や集会場を貸すこと。また、その商売。」(コトバンク



私は勝手に、安養寺が人々に憩い休める場所を提供したのが円山公園の始まりなのかと勘違いしてた!
お金を取って休憩場所を貸していたのね!Σ(~∀~||;)お金



しかも、

歴史的町並みに隣接するラブホテル街

によれば、

「席貸」はただ休憩所ではないようで、
「席貸」=「待合」とな!Σ(=°ω°=;ノ)ノ

「大正時代から昭和初期にかけて、安井神社周辺には、待合(席貸)なるものが存在し、客と共寝をする「雇仲居(やとな)芸者」と呼ばれる女性がが派遣される場所として使われていました(加藤政洋:京の花街ものがたり)。

待合(席貸)は、本来、お茶屋の常連さんだけが「ご休憩」に利用できる、「いちげんさんお断 り」、「お茶屋やお馴染みの紹介」を必要とする花街の空間の中の性愛専門の施設でした。

これが時代とともに、常連さんの利用だけを待っていたのでは効率が悪いので、一般客をとるようになり、徐々に同伴ホテルに変じていき、現在のラブホテル街の基礎となりました。」(=◇=;)


以上の引用は、「安井神社周辺」の話だけれど、
「席貸」が意味することは、同じと思われる。( ̄ー ̄;



つまり、

慈円僧正が恋の歌を詠んで、人々の注意を引き、ドキドキ
安養寺がその敷地の一部を、
(しかも、高僧の引退後の住居であった坊をラブホテル
恋を求めてやってきた人々の“ご休憩所”として賃貸しし、お金
この地は真葛の原っぱから次第に現在のような「公園」にまでなった……

ということか!?( ̄□ ̄;)



そういえば、「円山」という名前も引っかかっていたんだよ。

日本各地、「円山」というと、花町色町が相場でしょ。ラブラブ



で、地図を見てみたら、
円山公園の辺りは「円山町」という町名であり、
そのすぐ西には「祇園」がある!

慈円僧正の歌の効果に、祇園もすぐそば。
それで、「席貸」が繁盛した……ということかしら。


ざっくり言えば、
お寺さんがラブホテルを経営していたようなもの?(/ω\)
私の深読みかもしれないけれど、
単語の意味をひとつひとつ確認しながら説明文を読んでみると、
どうもそう受け取られるのだが……?汗


お寺が席貸(待合=「性愛専門の施設」→ラブホ)を経営していた(かどうかは、定かではないんだけども)ってことは、
ひどく俗な気もするが、
身分の隔てなく仏教を広めようとしていた法然、親鸞らのゆかりの寺であることを思えば、
庶民のハートを捕らえることに長けているというか、
杓子定規な理想を振りかざすのではなく、
人々もハッピー、お寺も儲かるという
実に現実的問題解決力のある話でもあるね。(●´ω`●)ゞ


明治になって「京都府」が「円山一帯を公園地に指定」し、
現在のような人々が憩う立派な公園に整えられてきたようだ。キラキラ



ちなみに、甘く切ない歌声だった歌手、三好英史(ミヨシエイジ)は、
「円山・花町・母の町」を歌ったけれど、
彼自身、渋谷円山町の芸者の子として生まれたそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ウィキペディア



円山公園の池に紅葉が美しい。キラキラ

池

大正2年、平安神宮神苑などの名園を創り出した造園家、
小川治平(オガワ ジヘイ)氏により、
「回遊式日本庭園」に造りかえられた現在の円山公園は、
緩やかな起伏に富んだ広々とした美しい公園である。キラキラ



関東人からすると、京都は伝統の町、変らぬ町
というイメージがあるのだが、
円山公園ひとつとっても、
驚くほどの変遷を経てきているのねー。(=◇=;)

       あとひとつ、つづく
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2013年京都3婆もみじ旅行 12 吉水草庵(ヨシミズソウアン)→安養寺→知恩院だったのか


昨年11月、京都旅行の続きです。




ご存知、知恩院
「浄土宗総本山」の、大きな大きなお寺。(=◇=;)
何度来ても見切れない。あせる

知恩院



この地は法然上人が比叡山を下り、
草庵(吉水の草庵という)を結び、
初めて浄土の教えを宣布した所である
。」本

知恩院説明

と説明板にある。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



以前、比叡山の麓にある「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」を訪れた時は、
金戒光明寺が、“法然が修行していた比叡山を降りて初めて草庵を結んだ地”と説明されていた。むっ



……ってことは、
それから、しばらくして、
この知恩院の方へ移動して吉水の草庵を結んで、
ここでこそ、浄土宗を広め始めた……

ということなのだろうかね。はてなマークあせる



法然さんが、自ら切り開いた新しい宗教、浄土宗を
広め始めた由緒ある場所であるから、
こんな立派なお寺になったのか~DASH!

と思った。(=◇=;)





が、

知恩院を奥へ上っていくと、
安養寺」なる聞いたことがなかった寺の入り口を発見。Σ(・ω・ノ)ノ!
(以前2、3度来ているが、全然気づかなかった。)

安養寺入り口


知恩院の中に別の寺の入り口が?
なぜに寺の中に別の寺への道が?
なんじゃらほい。はてなマーク

安養寺説明

延暦年間(782~806)最澄(伝教法師)が開創したと伝え、
法然・親鸞両上人念仏発祥の地・吉水草庵として有名である
。」

ですって。Σ(・ω・ノ)ノ!




おやおや~?はてなマーク(@_@)


吉水草庵は、知恩院の中にあるんでないの?
それとも、
この知恩院の奥の奥に別にある安養寺こそが吉水草庵なの?はてなマーク



旧くより、山号、慈円山の慈を外し
円山として親しまれ公園の名称のもとになった


とな。


はいはい。知恩院の隣は広い円山公園
しかし、その円山公園は、
そもそも、知恩院ではなく、この“慈円山安養寺”の敷地で、
その敷地を人々に休んでもらうために解放していて、
それが「公園」になったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


「円山公園」は、“慈円山安養寺”の通称「円山」から来ていたのか。(=◇=;)
――しかし、なぜに「慈円山」から「慈」を外したのだろう?――はてなマーク



とにかく、歴史のある寺のようなので、
その寺までさらに上ってみた。あせる

細い参道


すると、「吉水草庵」の提灯が出てきた。

吉水草庵


ってことは、
法然が“今までの仏教では駄目で、一心に念仏唱えるっきゃない!”とグー
浄土宗を開いた吉水草庵は、家
知恩院をさらに上っていった奥にある、
今は安養寺となっている寺の中にあったんだ?∑(゚Д゚)


吉水草庵=安養寺……ということのようだ?
(つまり、知恩院の説明板が説明不足なのよね。歴史に疎い私のような人間にとっては、混乱の元だわさ。ガーン


法然はここで没するまで暮らして、彼の死後、
彼を開基とする知恩院を弟子達が建てた……ってことのようだわ。(=◇=;)


その後、知恩院は徳川家康などの庇護を受け、
現在のようなご立派な大きなお寺になったようだわ。アップ


でも、
もと吉水草庵であった安養寺は
衰退、再興を繰り返し、
現在の、ひっそり然としたお寺になったのね。ダウン
安養寺は、昔はとても広大な敷地を持つお寺だったんだろうに。



円山公園の枝垂れ桜やら竜馬の像やら広い芝生やらを楽しんでいる人々の
いったいどれくらいの人々が、
もともとここは安養寺の敷地だったんだと知っているだろう?┐( ̄ヘ ̄)┌


いきなり訪れたためか、
安養寺は、これといって面白げなものも見当たらず、
観光名所らしい“見所”もなく、
ごくごく普通の寺に見えた。f^_^;


ふ~ん……とあっという間に見学を終え、
再び知恩院へ。(^▽^;)



知恩院の紅葉



で、
知恩院敷地内の一角にある
小さな門で仕切られたお庭を見学してみた。目

友禅苑


お茶を頂けるようにもなっていたけれど、お茶
係りの人もおらず。(ノ_・。)


なにやら、しなだれるように座す、
華奢な男性が1人。Σ(・ω・ノ)ノ!

友禅


見るからに芸術家肌の繊細そうなその横顔は、
友禅さんだって!Σ(=°ω°=;ノ)ノ


お庭も「友禅苑」なるお庭らしい。

「友禅」って、あの「友禅染」で有名な「友禅」?Σ(~∀~||;)
「友禅」って、人の名前だったの?Σ(=°ω°=;ノ)ノ





で、後日調べたら、

参照:宮崎友禅斎


江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)を中心に京都で活躍した扇絵師。

着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形(ひながた)を描いた。

来歴不明で出家であったことぐらいしか解っていない。

京都は知恩院前に住居を構え「友禅」と号した。

扇面に描いた絵が『友禅扇』と言われ流行したことから、
着物(小袖)のひながた(雛形)を描く。

友禅模様は、男女、貴賎を問わず評判になり、
後に友禅という名は着物の模様や染織技法も指す言葉になった
。」


ですって。( ̄□ ̄;)



この人が、知恩院前に住んでいたのかー。
住んでいた場所(しかも、「知恩院前」なんて、結構目立つ場所)が分かっているのに、
「来歴不明」って……
デザイナーなのに「出家」だったって……

なにやら謎めいている。
そんなワケアリそうな男性が、「友禅」さんだったとは……!叫び


友禅模様で一大ブレークした流行デザイナーだった友禅。クラッカー
つるつる頭をしてお坊様然と見えるけれど、
お洒落のことに心血を注いだ人だったんだろうねー?


友禅さん、21世紀になっても自分の名前が知れ渡っているって、
ご自分では想像もしなかったろうね……。( ´艸`)



京都を歩くと、
名前しか聞いたことがなく、
その内容をろくに知らなかった人々が
ぽこぽこ立ち現れてくるのであった。オバケ

             あと一息、つづく
2013年京都3婆もみじ旅行 11野鳥の森とモルガンお雪


昨年11月、京都旅行の続きです。


1泊2日のささやかな京都旅行。
2日目は、朝早くからお散歩することに。走る人


折角、南禅寺まで徒歩圏内のホテルに泊まったので、ホテル
南禅寺の奥の琵琶湖疎水を通りながら、永観堂に朝イチで行ってみよう!クラッカー

……と、魅力的な提案を姉がしてくれたのだが、


泊まったホテルには、
野鳥の森・探鳥路」なるものがあったのよ。ヾ(@^(∞)^@)ノ

ホテルからそのまま裏山に入れるようになっていたの。
「南禅寺・永観堂」よりも、ホテルの裏山の「野鳥の森」の方が
鳥に会える可能性は大きいに違いない!ヒヨコ

……と思ってしまったのよ。汗




ホテルの中庭から、「野鳥の森」のある裏山へ入る。

野鳥の森

山歩き用に杖も用意されていた。

杖

森への路1

野鳥たちが好きそうな木の実もたくさん♪

木の実

キノコだって生えてる。

キノコ


いい感じの山道だけど、

森への路2

声はすれど、姿は見えず。ガックリ


鳥たちが集まりそうな水場があったのだけど、
待てど一羽も水を飲みに来ず。ガックリ


山の上からは、姉が訪れている永観堂が見えた。

永観堂

永観堂の“見返り観音”も見たかったなぁ~とは思うが、
いや、鳥優先よ!グーあせる

木はあれど

お山の上からは、
東山、比叡山が眺められ、清清しい朝ではあるが、

東山・比叡山

肝心な野鳥さんは、なかなか見つけられない……。ガックリ


コース

ぐるりとコースを一回りして、
結局、鳥一羽も見られず……。(かすかに声のみ)ガックリ

折角朝早く起きて出てきたのに、
ここのどこが「野鳥の森」なんじゃぃっ! (ノ◇≦。)
と、ガッカリだったが、
もしかして、
ズリズリ歩く私の存在が不穏で、みんな隠れちゃったのか?ガーン

不気味な私?





しょぼくれてホテルの中庭に帰ってきたら、ダウン

モルガンお雪」ゆかりの灯籠を発見。アップ

モルガンお雪の灯明


モルガンお雪さんが、このホテルによく泊まったらしく、
彼女から記念に贈られた灯籠らしい。

「モルガンお雪」って、どなた? はてなマーク


……で、
後日調べたら、サーチ



明治生まれの祇園の芸妓。
なんと、私がこの世に生まれた頃にはまだご存命だったお方!Σ(・ω・ノ)ノ!


アメリカのモルガン財閥ファミリーの1人であるジョージ・モルガンに求婚され、ラブラブ

当時4万円という莫大な身請け金によりモルガンに引き取られ、

横浜で結婚。

『日本のシンデレラ』と呼ばれ、『玉の輿の日』が制定されるほどの話題となる。

ジョージとアメリカに渡るが、

排日法によりアメリカへの帰化は許可されなかった


参照:「モルガンお雪

……ですって!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ




玉の輿の日」は、1月20日ですって。Σ(・ω・ノ)ノ!

お雪さんがジョージ・モルガンと結婚した日にちなんでいるらしい。
(参照:「玉の輿の日」)




それにしても、
排日法」って、なに? 聞き捨てならない。むっ

って、これまた調べると、サーチ


1924年7月1日に施行されたアメリカ合衆国の法律の日本における通称である。

正確には1924年移民法(Immigration Act of 1924)、

またはジョンソン=リード法(Johnson–Reed Act)であり、

日本人移民のみを排除した法律ではない
。」

参照:「排日移民法



……ですって。(=◇=;)


アジア系移民を制限、排除せんとするアメリカの法律を、
あえて「排日移民法」なんて“通称”にするのは、
いかがなものか。





それにしても、お雪さん。

日本では、芸妓が外国人に身を売って玉の輿に乗ったと陰口を叩かれ、
アメリカでは、日本の芸妓が金目当てに……などと冷遇されたのではないだろうか。しょぼん

34歳の時、「夫ジョージが44歳で心臓麻痺で死去」、
その後、フランスに移り住み、
おそらく57歳の時に、
フランスで一緒に暮らしていた「タンダールが心臓麻痺で死去。」∑(-x-;)

一緒に暮らした男性が、2人とも「心臓麻痺で死去」ということで
また何やかや言われたのではないだろうか。叫び


でも、モルガンに先立たれた後は、かなりな財産も得てお金
悠々自適な生活ができたようだし、

彼女なりに常に愛し愛されて生きた、ドキドキ
充実した人生だったのかもしれないよね。

人の陰口などものともしない、凛とした人だったんじゃないかしら。グー

モルガンお雪
(ネットより拝借画像 モルガンお雪)




鳥には会えなかったけれど、
今回も知らなかった歴史の一こま(ヒロイン)を思いがけず知ることができて、
ささやかな収穫であった。(-^□^-)






空振りの“野鳥散歩”から帰ると、
永観堂方面から帰ってきた姉が、
こんな鳥もいたわよ♪ とアオサギ(?)の写真を見せてくれた。Σ(~∀~||;)


鳥ではなく、早朝の寺を見に行って、鳥まで見られちゃった姉。
鳥を見たくて「野鳥の森」へ入り、スズメ一羽も見られなかった私……。
いつもながら、姉には畏れ入りやの鬼子母神なのであった。

アオサギ
(↑姉からもらった琵琶湖疏水のアオサギ(?)写真)

  

                  もうちょっとつづく