2012年6月末に姉と二人でヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを巡った
日本人添乗員さん付きツアー旅行の断片日記です。(順不同)
どーでもいいことをしのごの言ってます。
これからイタリアを旅しようという人の参考にはなりません。あしからず。
適当にスルーしてけろ。(^^ゞ 


イタリア3都巡り25 イタリアらしい


最後にイタリアらしいなぁ~と思ったひとこま、ひとこまを。(-^□^-)


街中のレンタルスクーター&自転車のポスター( ´艸`)

夫婦世界旅行-妻編-ポスター


特にローマのあちこちで見かけた庭木のレモン。

夫婦世界旅行-妻編-レモンの木


夏みかんや柚子もいいけれど、
レモンがなっていると、格段の感動があるのは、私だけ?≧(´▽`)≦


ヴェネツィアでもフィレンツェでもローマでも
街中でよく見かけた夾竹桃。キラキラ

夫婦世界旅行-妻編-夾竹桃の花?


ニャンコ日傘を差す恋人達。о(ж>▽<)y ☆

夫婦世界旅行-妻編-にゃんこ日傘

イルカに支えられたトリトンの噴水らしいのだが、
私にはどうしても、イルカがシャチホコにしか見えなかった。( ̄_ ̄ i)




まだまだいっぱいあるけれど、
果てしないので、この辺でイタリア3都巡りを終えます。
長々おつきあい、ありがとうございました。m(_ _ )m






蛇足:

ピノキオのことが気になって、
改めて本を探した。
神田の古本市で、2冊ほど見つけた。ひらめき電球

夫婦世界旅行-妻編-ピノキオ

どちらも、ピノキオが食べられるのは「」だった。

原作は「サメ」のはずなのに……。
鯨の方が絵として可愛いから、鯨ってことで定着しちゃったのかな。


……と思っていたら、


先日、横浜伊勢崎町の本屋の前の古本ワゴンの中に、
サメ」が登場!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ピノキオがサメに食べられた話になっていた!
あったよー!ヾ(@^▽^@)ノ


でも、その本は結構お高かったので、お金
購入を諦めた。しょぼん
(そうそうピノキオばかり何冊も買っていられないわ。あせる

サメが出ているページを写真に撮りたかったけれど、
商品を写真にだけ撮って買わないのも失礼なので、汗
写真もなし。
サメの絵は、思いっきりサメで、可愛くなかった。(多分、ホオジロサメと思われる。)( ´艸`)


結局、ピノキオが食べられちゃうのは、
サメでも鯨でも大差ない気がする。にひひ
訳す国に馴染みのある方が採用されたのかなぁ?




夫婦世界旅行-妻編-有隣堂前
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012年6月末に姉と二人でヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを巡った
日本人添乗員さん付きツアー旅行の断片日記です。(順不同)
どーでもいいことをしのごの言ってます。
これからイタリアを旅しようという人の参考にはなりません。あしからず。
適当にスルーしてけろ。オバケ


イタリア3都巡り24 バルベリーニ②骸骨寺(inローマ)


バルベリーニ駅界隈に散策を決めたのは、
地図の中に「骸骨寺」なる単語を見つけてしまったからであった。( ´艸`)


バルベリーニ駅を出たら、右手
並木の続く広々した上りの坂道がある。アップ
麓に「蜂の噴水」のある道だ。
これを上って行くべし。グー

夫婦世界旅行-妻編-並木のある坂道

上って行くといっても、すぐだ。

「寺」というから「教会」だろうと
教会らしいものを探していくと、
通り過ぎてしまう。あせる
「蜂の噴水」からちょっと歩いたところ。
駅から徒歩でほんの3分ほどの距離だ。

夫婦世界旅行-妻編-骸骨寺

Il Convento dei Cappuccini」と書かれている。
「カプチーニ」というのが宗教くさいけれど、
(conventoが「修道院」を意味するということは、後日知ったのであった。ガチョンガックリ
なにか公の建物?って感じ。
見るからに「教会」ではないよね~?と通り過ぎてしまった。叫び


しかし、
これがいわゆる「骸骨寺」なのであった。叫び


うっかり通り過ぎて
迷った私は、
通りかかった老夫婦に道を尋ねたが、
「骸骨寺」ってなんて言うの? とハタと困った。あせる

とにかく「スケルトン、スケルトンチャーチ!」と言ってみたら、
お~!すけるとん! と分かってくださった。
イタリア人は親切で、察しがよいね。♪( ´艸`)


さて、
「骸骨寺」の正式名称は「Il Convento dei Cappuccini」なり!チョキ





骸骨寺の中は、教会(la Chiesa)と美術館((il Museo)と地下聖室(la Cripta)と
居住部分(?)(la Casa)が見学できる。(撮影不可)


この教会がよかった。キラキラ
中は古びて、こじんまりとして、きらびやかさはなにもなく、
一言でいうと、「地味!」なのだが、
本当に地元の人に愛されている教会という感じ。
我々が見学している最中も、信者らしい人が来て、静かにお祈りしていった。(。-人-。)


ただの観光名所ではなく、
現に教会として今もひっそり息づいている……
そんな感じの教会。ドキドキ


で、
ここが「骸骨寺」と言われる由縁の地下聖室には、
教会の代々の修道士さんたちの骨が、
そのまま飾り付けられていた。ドクロ
骨がオーナメントなのだ。



神の祝福を受けた聖母マリアの汚れない概念(?)に捧げるために、
1631年に、この修道院にカプチン会が引っ越してきたとき、
修道士たちの死体も一緒に運び込まれたようだ。∑(-x-;)
遺骨もろともの引越しだったのね。
そして、その遺骨を使って地下正室を飾り立てたわけだ。


実は、この地下聖室を作らせたのも、
「蜂の噴水」をベルニーニに命じて作らせた教皇ウルバヌス8世!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
……らしい。
修道士らの遺骨を使って装飾するように、彼が命じたかどうかはわからなかったが、
とにかく、
バルベリーニ界隈は至る所、教皇ウルバヌス8世の息が掛かっているのね。DASH!



地下聖室は、
この教会(修道院)の修道士さんたちの骨が飾られている……
とは知っていたが、
ここまで装飾に徹する?……と、唖然とした。Σ(~∀~||;)

夫婦世界旅行-妻編-装飾1
(ネットより拝借)


夫婦世界旅行-妻編-わっか骸骨
(ネットより拝借)


夫婦世界旅行-妻編-天蓋骸骨
(ネットより拝借)

壁から天井から、
「ニッチnichies(壁の窪み)」まで、
スペースと言うスペースに骨骨骨!ドクロ
しかも、なにかしらのデザインを施されて、
「模様(装飾)」となっている骨骨骨!ドクロ



夫婦世界旅行-妻編-時計か?
(冊子より)

きれいなラインを描くために、
同じような大きさや形の骨を揃えるのは大変だったろう。
山とある骨の中から、選んでいったのだろうね。
みごとな統一感である。(=◇=;)

丸々一体完璧なまま横たわっているミイラも、何体かあった。

夫婦世界旅行-妻編-ミイラもあるよ
(ネットより拝借)




骸骨山積み! と見えて、
これも、ちゃんと模様を考えられて積み上げられているのだ。

夫婦世界旅行-妻編-頭蓋骨積
(冊子より)

このくらいの“積み上げ”模様ならば、
パリのカタコンブでも見られた。


あちらでも、多少、骨を使って文字を描いたり骨で縁取ったりと、
骨を装飾の材料にしていたが……
カプチーニ修道院までの徹底した装飾は見られなかった。
(あちらは大量の骨の処理に困って考案された納骨地下道だ。)


そして、
カプチーニ修道院の方が、骨がどれも白くてきれい。キラキラ
パリのカタコンブの方は、もっと茶色かったり黄ばんでいたりしたように記憶している。
あちらは黒死病で死んでいった人々のもので、
こちらは聖なる修道士たちの骨という違いのせいだろうか。はてなマーク


オドロオドロシイかというと、さほどでもなく、
この地下正室は地下といっても半地下のようで、
廊下側には上の方に窓が設けられているので、
日の光が入って、案外明るいのだ。キラキラ


しかし、それでも、
私が一番、どしぇー!と思ったのは、( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
これ。
ミイラの腕と小骨のコラボ。

夫婦世界旅行-妻編-カプチン会章
(冊子より)

ミイラになった腕を切り取って、重ね合わせたのだろう。(=◇=;)
ううむ。想像しているだけだと、壮絶な作業のように思われる。
実際に作業に携わると、そんな感覚もないのかしらねぇ……。汗

どうも遺体(遺骨)をあれこれいじるのは、
日本人の感性にはないように思われるのだが、
欧米人にはそうした感性はないようだ?
死んだら「物」。
徹底している。
「物」に魂がこもっている……なんて感覚もないのだろう。あせる


この腕が交差しているデザインは、
後日調べていたら、
実は「カプチン会の会章」だとわかった。
どうせ腕の模様を作るなら、
腕そのものを使っちゃえ! ってことだったのだろうか。(=◇=;)


美術館の方で見た修道士たちの系列?を示したらしい絵、「Tree」。

夫婦世界旅行-妻編-tree
(冊子より)


これも、いまとなっては、
「木」を象ったというより、どこか背骨と肋骨や小骨のように見えてしまうのは、
私だけ?f^_^;




蛇足だが、
カプチン会は、
カトリック教会の一托鉢修道会。
その名は会員が着用する先のとがった頭巾(カプッチョ)に由来する。
フランシスコ会から分派した修道会であり,
1525年マテオ・ダ・バシオMatteo da Bascio(1492か95‐1552)によって始められ,
28年7月3日教皇クレメンス12世によって認可された。
アッシジのフランチェスコの精神の厳格な伝統を遵守し,自己聖性と使徒活動をめざしてキリストに従うことを目的とする

(「コトバンク」より)

……ですと。


「托鉢修道会」だから、「清貧」をよしとして、
教会も地味だったのね~と納得。(・∀・)


この修道院の前でチュロスを売ったら、売れそうに思うのは、
私だけ?(不敬かしら。)( ´艸`)
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012年6月末に姉と二人でヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを巡った
日本人添乗員さん付きツアー旅行の断片日記です。(順不同)
どーでもいいことをしのごの言ってます。
これからイタリアを旅しようという人の参考にはなりません。あしからず。
適当にスルーしてけろ。オバケ


イタリア3都巡り24 バルベリーニ① 蜂の噴水(in ローマ)


ローマの最後の日、午前中の自由時間に
バルベリーニ(Barberini)駅界隈を散策した。走る人



ローマの中心駅、テルミニ駅から地下鉄A線で2つ目。
バルベリーニ駅で下車。地下鉄


(ローマの地下鉄は地下に降りていくエスカレーターが結構長くて
時間が掛かるのが玉に傷だが、
スペインのように、エスカレーター移動中に
前後を変な奴らに挟まれて狙われる……などという犯罪が多発しているようにはみえなかった。チョキ
が、油断は大敵だ。(-_☆))




地上に出ると、道がやけに広々していて、ちょっと途方に暮れる。(°Д°;≡°Д°;)
地上に出て、すぐに右へ向かう。次項


しかし、すぐに歩き出してはいけない。爆о(ж>▽<)y ☆
駅を出たら、右手の角の辺りを落ち着いてよく見るべし、だ。目
小さな水場が眼に入る。
それが、有名な「蜂の噴水」なるものだった。
(我々は最初、さっさと歩き始めたので、気がつかなかった。にひひ


「噴水」というから、ブシャー! っと、
空に向かって水を吹き上げているのかと思っていた。噴水
トレビの泉くらい大きいものかと思っていた。噴水


が、
その「蜂の噴水」は、
我が家のトイレほどの敷地にちょこんと収まっている小~さなものであった。Σ(・ω・ノ)ノ!
(写真で見ると、実はもっと大きかったが、最初に見つけたときは
そんな風に小さく感じたのだった。あせる


あまりに小さくささやかなもので、見過ごしかけてしまった。
でも、妙なデザインなので、これかも……? と、気がついた次第。

夫婦世界旅行-妻編-蜂の噴水

「ホタテ貝の噴水」の間違いじゃないの? って感じなのだが、( ´艸`)
よーく見ると、
蜂らしき昆虫が3匹!Σ(・ω・ノ)ノ!

夫婦世界旅行-妻編-3匹の蜂


しかし、
どこから水が噴いているのか? わからん。汗
下に水が溜まっているが、噴き上げる水はなし。┐( ̄ヘ ̄)┌
管のようなものが蜂の彫刻の辺りから出ていて、
どうやらそこから水が出ているらしい???はてなマーク


蜂がついている以上、
やはり、これが「蜂の噴水」なるものなのだろうね~?
と、半信半疑で眺めてきたのだった。(^^ゞ チャンチャン




ここまでは旅のお話。
以下は帰国してから調べたことなり。

後日、ガイドブックなどで調べたら、本
この「蜂の噴水」は

ウルバヌス8世(ローマ教皇。1568年~1644年)の命により
ベルニーニ(Bernini)た手がけた作品で、
1644年に完成した
」噴水らしい。( ̄□ ̄;)


バルベリーニ家の紋章である蜂と、
生命と豊穣の象徴である貝をモチーフにした
かわいらしい噴水で、
湧き出る水は、おいしい飲み水として、
ローマ市民に今でも親しまれている
。」

ですとっ!(=◇=;)


飲んでるんですか? と思わず引いてしまう水だったのだけど、(((゜д゜;)))
下に溜まった水を飲むわけではない。
ガイドブックの写真には、蜂の彫刻の辺りから突出している管から水が結構出ていて、
そこから出てくる水を人々が飲んでいた。(=◇=;)



我々が訪れたときは、中に仕込まれた水道管かなにかが
故障中だったのかしら……?はてなマーク
この「噴水」の水はどこから来るのかしら?はてなマーク
時間に余裕さえあれば、
いったいどんな人がこの「噴水」で水を飲むのか、
どう飲むのか、
観察してみたかった。( ´艸`)




「貝」が「生命と豊穣の象徴」……なるほど!です。shell*
それで、

夫婦世界旅行-妻編-ヴィーナスの誕生
(ネットより拝借 ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」)

ヴィーナスも誕生時、貝の上に乗っているわけだね~。(・∀・)




ところで、
「バルベリーニ家」とか「ベルニーニ」さんとか、
どなた?はてなマーク

バルとかベルとかベリとか、わかりにくひ……。BAseiE
カタカナに弱い私の頭は混乱した。(((( ;°Д°))))


で、これも後日調べたら、メモ



ベルニーニさんは

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598-1680年)
バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。」

『ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた』
と賞賛されたバロック芸術の巨匠である。

古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、
壮大なスケール、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。

人々は彼の作品を『芸術の奇跡』と絶賛した
。」

参照:「ベルニーニ」ウィキペディア

ですと。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

サン・ピエトロ寺院の内装も手がけた人らしい!えっ
(サン・ピエトロ寺院に行ってきたのに、全然気がつかなかったわ。(^_^;)汗)

夫婦世界旅行-妻編-ベルニーニ
(ネットより拝借 ベルニーニさん)



現代も我々を魅了する都、ローマとヴァチカン市国の“街としての基本”を、
ベルニーニさんが作ったと言ってもいいみたい?(=◇=;)

日本で、関が原の闘いじゃー! 江戸じゃー! 佃煮はうみゃ~で~!
と、やっている頃、
ローマは21世紀にも通用する、かくも壮大な都市造りをしていたのだわぃ。汗



で、
バルベリーニ家」とは、
他ならぬ、教皇ウルバヌス8世の出身の家名だった!Σ(・ω・;|||

ウルバヌス8世の本名は、「マッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ(Maffeo Vincenzo Barberini)」。なのだった!(=◇=;)


バルベリーニ家は、
「フィレンツェ(イタリア・トスカーナ州)の実力者で、カトリック教会に最も寄付を多くおこなっていた富裕な商人のひとつであった」そうで。(=◇=;)お金


マッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ(後のウルバヌス8世)は、
一族が裕福だから、
いい教育も受けられ、アップ
学識豊かで芸術にも造詣深い人物となり、アップ
教皇にまでなれたわけだ。アップ


「すばらしい知力と博覧強記」の持ち主と評されている。
環境もよし、才能もあり! ……な人だったのね。(=◇=;)




しかし、聖職者としても才能は、どうかというと、

「聖職者というよりは政治家・統治者としての姿、
学問と芸術の庇護、
目にあまるネポティズム(親族登用主義)など、
さまざまな意味で最後の中世的教皇」であったという。( ̄□ ̄;)!!


……なんとなく、生臭そうである。(-_☆)



そんなウルバヌスさんだから、
自分の家の紋章(家紋?)を入れた噴水を、
当代随一の芸術家、建築家であるベルニーニに命じ、作らせる
という贅沢なことが出来たのね~。グー


バルベリーニ家の家紋の入った噴水。
しかも、当代一の建築家兼芸術家がデザインした可愛らしい噴水。ハチ
噴水は、市民たちに美味しい飲み水を提供すると共に、
バルベリーニ家を“ありがたいもの”として刷り込む効果大だよね~。ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ






それにしても、バルベリーニ家の紋章が「蜂」というのは、
なにかとてもイミシンに感じる。
聖書にも「蜜」は豊かさを表わすものとして出てくるようだし。(-_☆)
(イスラエルはミルクと蜜の流れる地?)(預言者たちは蜂)




蛇足だが、

ウルバヌス8世は、ガリレオを批判したことでも知られていた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

でも、

キリスト教の世界観からは「異端者」として糾弾されたガリレオは、
実は「個人的にはウルバヌスの友人であり、ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
ローマの学院の後輩でもあった。」 となっ!
∑(-x-;)


「1623年のガリレオの著作『贋金鑑識官』は
ウルバヌス8世の支援で出版され、
同書は教皇に献呈されたものであった」ですと。Σ(~∀~||;)


二人は仲良しだったんじゃん!ラブラブヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ



でも、
ガリレオは説は曲げられず、
博学なウルバヌスといえど、立場上ガリレオの説を認めるわけにいかず
立場上、罰せられる側と罰する側とに分かれてしまったのね~。しょぼん

(なんだか、知れば知るほど、ウルバヌスさんって、
結構面白そう。( ´艸`))



夫婦世界旅行-妻編-ウルバヌス8世
(ネットより拝借 ウルバヌス8世さん)

参照:「ウルバヌス8世」





余談だが、


私が見たバルベリーニ駅すぐそばの道の角にある「蜂の噴水」は、
バルベリーニが作った当初は、違う場所に作られていたらしい。ヽ(;´Д`)ノ
壊れて、作り直されて、現在の場所に作られたとのこと。
元の噴水より小さくなっているとのこと。
(↑ ネットで色々検索していたら、そう説明されていた。(^o^;))
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日本人添乗員さん付きツアー旅行の断片日記です。(順不同)
どーでもいいことをしのごの言ってます。
これからイタリアを旅しようという人の参考にはなりません。あしからず。
適当にスルーしてけろ。


イタリア3都巡り23 見そびれた? オーロラ




イタリアから日本へ、夜のフライトで帰るときは、飛行機
左側の窓側の席を取るといい。

オーロラが見えるかもしれませんよキラキラ


……と、添乗員さんは教えてくださった。Σ(・ω・ノ)ノ!




空の上からオーロラが見えたら、
どんなに素敵かしら!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
季節に関係なく、可能性はあるのかしら?!?


帰りの飛行機は夜の便だったけれど、チョキ
結局、どちら側の席だったかも覚えてない。ガックリ

飛行機に乗るときは、
タックス・リファンドのことなどで頭がいっぱいだったことよ。!(´Д`;)
012年6月末に姉と二人でヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを巡った
日本人添乗員さん付きツアー旅行の断片日記です。(順不同)
どーでもいいことをしのごの言ってます。
これからイタリアを旅しようという人の参考にはなりません。あしからず。
適当にスルーしてけろ。


イタリア3都巡り22 ペトロとサン・ピエトロ大聖堂(in ヴァチカン)


時間のないヨーロッパ旅行では、予習が大事。グー


でも、
事前にネットやガイドブックなどを走り読みしても、
よく飲み込めなかった。(むしろ、混乱。)ヽ((◎д◎ ))ゝ



そして、旅行中は、
もう~まばゆいほどの美しい堂内、キラキラ
その荘厳さ、大きさに圧倒されて、ヽ((◎д◎ ))ゝ
朝早くから観光せねばならぬという眠たさも手伝って、
大聖堂で何を見たのかもよく覚えていない。あせる
写真も殆ど撮っていない。しょぼん


が、
後でボチボチと調べると、
あらまぁ! とイマサラながら、色々飲み込めてくるのは、なぜ……。しょぼん



http://www.01.246.ne.jp/~yo-fuse/shuukyou/sanpietro/sanpietro.htmlによると、

バティカン市国は、ローマ法王を国家元首とする独立国家で、
実体はテヴェレ川の西、面積0.44平方キロメートルほどの区域です。
世界一小さい独立国家だそうで、
人口は第264代法王ヨハネス・パウルス2世をはじめ813人
ということです
。」
↑ 
あんれまぁ! Σ(・ω・ノ)ノ!
横浜市(437.38平方キロメートル)と同じような面積だわ!


キリストの使徒ペテロが皇帝ネロの迫害を受けてローマで殉教しましたが、
その墓の上に後に『サンピエトロ寺院』が建立され、
カトリックの総本山になりました。

使徒ペテロは、死後初代ローマ法王の座につきました
。」

なんですと?Σ(~∀~||;)
初代ローマ法王(ローマ教皇)って、死人だったということ?@@



――ウィキペディアによると、
サン・ピエトロ寺院の主祭壇下にはペテロの墓所があるとされていたが、
1939年以降、学術調査が行われ、
ペテロ(=ペトロ、ピエトロ)が実際そこに埋葬されたと思われる痕跡や、
ペテロらしき男性の遺骨が発掘されたらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
伝説は事実ということもしばしばあるもんね~。)



確かに、
ペテロの墓の上にサン・ピエトロ大聖堂は建てられていたのだ!
ペテロの死後だ。オバケ
んだから、ペテロは死んだ後に、ローマ教皇1世になったのだ!叫び


しかし、
2代目ローマ教皇リヌスさんは、ペテロとパウロによって、
“ペテロの後継者”(=2代目教皇)に立てられたという伝承があるそうで。Σ(~∀~||;)


ん?
……ってことは、
ペテロは生きながらにローマ教皇1世として存在していたんではないかぃ?はてなマーク

ん~? 死んでから初代ローマ教皇になったのか、はてなマーク
生きているうちになっていたのか、はてなマーク
死んだは死んだけど、死んでも生きていて、2代目の推薦をしていたのか?はてなマーク
わからなーい! (ノ◇≦。)



とにもかくにも、
イエスキリストの最たる弟子の一人であったペテロ(12使徒の1人)の
墓の上に「サン・ピエトロ大聖堂」は建っているのだ!グー
……ってことは、確からしい。あせる



で、
キリスト教の大本山たる大聖堂の名に使われるほどだから、
ペテロさん、よっぽど優秀な弟子だったに違いないと、
改めてペテロについて調べてみた。本あせる



 
初代ローマ教皇。十二使徒。
ベトサイダ出身ガリラヤ湖の漁師シモン。
ヨハネ、大ヤコブと共にイエスにつき従う初期キリスト教の中心人物のひとり。

十二使徒でも常に筆頭に上げられ、
イエスによって「あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタ16:18)」、三度繰り返して「わたしの羊を飼いなさい(ヨハ21:15)。」などと言われ、

また最初に信仰を告白した(マタ16:16)ことから十二使徒や司教の首位にあると云われ、
初代ローマ教皇とされる。
           「使徒シモン」より引用←(*「シモン」はペテロ、ペトロのこと)


……とな。

ここで私はピン!と来た!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
訳がわからないまま、なんとか写真に収めてきた、
サン・ピエトロ大聖堂のどこかの壁のレリーフ!

夫婦世界旅行-妻編-壁のレリーフ

まるで骨を思わせるかのように感じた「鍵」のレリーフ!


これこそ、“イエスがペトロ(ペテロ)に授けた天国の鍵”を表わしているんじゃない?
天と地を繋ぐ鍵なら、上下に並んでいた方がぴったりくるけれども……。f^_^;


大聖堂内には、ペトロ(ペテロ)像もあった……らしい。記憶になひんですけど。(><;)

夫婦世界旅行-妻編-ペトロの像
(ネットより拝借)

「皇帝ネロの時代(位A.D.54~68)、
パウロに続いてローマに向かい、
かつてサマリアにいた魔術師シモンを打ち負かしたが、女性に夫との不浄な関係を絶つように諭したとして
長官アグリッパや皇帝の友アルビヌスの不興を買ってしまう。


仲間の勧めでローマを逃れようとしたところ、
逆にローマに入ろうとしていた主を見つけ、
「主よ、どちらへ行かれるのですか?」と問いかけると、
主は「再び十字架にかけられるためにローマへ入る」と答えた。


その言葉によって悔い改めたペトロはローマに戻って処刑されたと云う。
その際、人間の堕落を表し、またイエスと同じ十字架刑は畏れ多いとして、
頭を下に向けて逆さまに十字架に架けられて処刑されたと伝えられる(ペトロ行伝)。」




モ―イッチョ! 似たような部分を別のところから、引用します。あせる

ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、
師のイエスが反対側から歩いてくる。
彼が「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?) ラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ヴァディス)」(「どこへ行くのですか」の意)」と問うと、

イエスは
「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。
ウィキペディア


ペトロはそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。(=◇=;)







つまり、



ぶっちゃけて言えば、

イエスの宗教勧誘に最初にひっかかったのは純朴な漁師ペトロだった。


もともと純朴な漁師ペトロ(ペテロ)は、
妻帯者ながらも、熱心な信者になるものの、
旗色が悪くなると、3度、「僕はイエスなんて知らないよ」と、
知らん振りをしてわが身を守る、弱い心の持ち主でもあった。


イエスキリストの教えを世に広めようと頑張った彼だが、
キリスト教に対する迫害がひどくなってくると、
迫害から逃れるため、ローマを去ろうとする。走る

が、そんな“逃亡”の途中、
ペトロは、逆にローマに入ろうとするイエスと街道ですれ違う。
その街道が、アッピア街道

この街道で、迫害から逃れようとする弟子と、弟子の代わりに迫害の渦中へと出向いていく師とが出会い、
弟子ペトロは、思い改め、殺されることを覚悟してローマへときびすを返すのだ。


来たーーー!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
先日、ローマで目にした「カサマツ」の話をアップしたら、

TABIさんチョビさんから、「ローマの松」という交響曲があることを教えていただいた!


イタリアの作曲家、オットリーノ・レスピーギによって
1924年12月に完成された交響詩。



「ローマの松」




その中に出てくるのが、「アッピア街道の松」!

「ローマの松」より「アッピア街道の松」


「アッピア街道」って、なんじゃらほい?
と思っていたのだが、
「アッピア街道」には、聖書的に、そんな意味があったのだっ!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚


ローマに通ずる「アッピア街道」がどこにあるのか、いまだにわからないし、あせる
ちらりと読んですぐに忘れるような名前だけれど、
「アッピア街道」―「ローマの松」―「ペトロ」―「サン・ピエトロ大聖堂」と結びついて、
感動WW!ヾ(@^(∞)^@)ノ




イタリアの文化を知ろうと思ったら、本当にキリスト教についての基礎を知らないと……だなぁ。


サン・ピエトロ大聖堂……漁師だったがイエスの弟子になったペテロ(ペトロ)の眠る大聖堂。
迫害の風が吹き荒れるローマに取って返して、
逆さ十字に架かって死んだペテロ。
常に己の信心をイエスに見透かされていたようなペテロ。
小心者のペテロ。
でも、常に己を悔い改めて、信仰に身を投じたペテロ。




サン・ピエトロ大聖堂は、心弱き者をこそ救ってくれそうな、
そんな気がしてきた。( ´艸`)



蛇足だが、
私のお気に入りの「ピエトロドレッシング」は、
ペトロとは何か関係があるのだろうか?(^_^;)