2011年京都2婆旅行 18 金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)直実の鎧掛けの松


2011年11月22日(火曜日)、
紅葉には1週間ほど早すぎた京都の旅、2日目の続きです。いーかげんにせ~!





金戒光明寺の敷地(境内?)は広い。キラキラ
法然さんが比叡山を下りてここに草庵を築いた頃は、
こんなに大きなお寺になるなんて、果たして想像しただろうか。(=◇=;)
この広さに比例するように、
この寺には色々な縁が結ばれたようである。ラブラブヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ




縁① 法然-会津藩-新撰組

特権階級の人々のためだけではなく、衆生のために!グー
と人生かけた(タブン)法然さんの“教え”ゆえか、
寺の広さや立地条件ゆえか、
金戒光明寺は会津藩や新撰組とも縁深かりしお寺らしい。∑(-x-;)


詳しくはこちらのサイトをどうぞ。→「会津藩と黒谷と新撰組



これによると、金戒光明寺も知恩院も、敵にすぐに入り込まれないよう、
要塞の要素を盛り込んで「城」のような造りになっているらしい。
そして、その広さは「一千名の軍隊が駐屯できた」というほど。Σ(・ω・ノ)ノ!

私は基本、新撰組は好かないので、
ちょっと興ざめではあったが、

まぁ、それだけ金戒光明寺の懐が深かった……ということか。


とにかく、金戒光明寺は見所が多く、お宝も多い。




縁② 法然-恵心僧都(=横川僧都)-豊臣秀頼


古ぼけた阿弥陀堂(アミダドウ)を覗くと、(外から中を覗くことしかできない)
天井から煤ぼけた八方睨みの龍に守られて、
鎮座しているご本尊阿弥陀如来像は、
恵心僧都最終の作『ノミおさめ如来』」とな!Σ(・ω・ノ)ノ!

夫婦世界旅行-妻編-恵心僧都ノミ納めの阿弥陀菩薩像




比叡山に登ったら、横川(ヨカワ…延暦寺からちょっと離れた所にある)にも寄ってみたかったのは、
横川の僧都=恵心僧都に関する何かに触れることができるかも?と期待していたからだったのだが、( ´艸`)

(結局横川どころか延暦寺にさえ寄って来られなかったのだわさ。ガックリ

その横川の僧都なる恵心(エシン)僧都の“最後の作品である阿弥陀像”に、
期せずしてここでお目にかかれるとは……ビックリマーク
なんだか嬉しかった。( ´艸`)ラブラブ


しかも、「ノミおさめ」……
山口百恵ちゃんが最後のコンサートで最後の歌を歌い上げ、
舞台にマイクを静かに置いたときのように、マイク

恵心僧都も、この阿弥陀如来像を彫り上げて、
その傍に、これが最後と己の鑿を静かに置いたことだろう。ナイフ
(私の“飲み収め”はまだまだ先だ。にひひ



そんな阿弥陀如来像がなぜここに祭られてあるのだろう?はてなマーク
法然(1133~1212)は恵心僧都(942~1017)に会ったこともないはず。

だが、
同じ比叡山の僧。ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
そんな縁で、恵心僧都の「ノミおさめ如来」がここ金戒光明寺に納められたのだろうか?はてなマーク


阿弥陀堂自体は、1605年に「豊臣秀頼により再建」されている。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
どうして秀頼が阿弥陀堂を再建することになったのか?はてなマーク
わからないことばかり。┐( ̄ヘ ̄)┌


法然-恵心僧都(=横川僧都)-豊臣秀頼

何繋がり?はてなマークはてなマークはてなマーク



縁③ 法然-熊谷直実

そして、
随分立派な松があるねと見ると、

夫婦世界旅行-妻編-直実鎧掛けの松

熊谷直実(クマガイナオザネ)鎧掛けの松」!




熊谷直実といったら、『平家物語』の有名な登場人物の一人。
その彼が、
鎧を洗い、この松に掛けたという。
戦いの汗と血の沁みこんだ鎧であったろうね。ナイトモン


当時の松は枯れて、現在は二代目の松らしいが、
枝を低く張って、確かにこれなら重い鎧もヨイショ!と枝にかけられそうだ。チョキ
(松の枝がかわいそうな気もするが。あせる


金戒光明寺の敷地内には、平安時代末期、熊谷直実(1141~1207)が庵を結んだ場所もある。(山内塔頭 蓮池院)
……どーゆー関係!?(=◇=;)はてなマーク





後日調べてみた。メモ

熊谷直実(埼玉の熊谷出身)は、
一の谷の戦い」で、自分の息子と同じ(16歳)若武者(平敦盛)を討った。
その下りは教科書などでも読まされたことがある。

組み敷いて顔を見れば、
わが子と同年代の美しい若者。男の子キラキラ
殺すに忍びなく、
助けてやろうと思うが、
向こうから味方がやってくるので、
自分が逃がしてやってもどうせ他の者に心無く殺されるってんで
それなら我が手で! と殺しちゃう。
チャンチャン。
(殺しちゃうのかよ! パンチ!と、昔は直実の“理屈”が納得できなかったわ。)



が、
このことが原因で、
直実はこの世の無常を感じ、武士をやめ、法然に師事した
らしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

参照:「浄土宗


なんとまぁ!

熊谷直実がそんな殊勝な心持ちになって、法然のもとで出家していたとは
シラナンダ!


となると、
松の枝に干された鎧は、
もう二度と身につけられることはなかった……ということだろう。グー




今も「直実が鎧を掛けた松」として語り継がれているのだから、
当時は
あの直実さんがこの寺に来たよww!とちょっとした騒ぎになったかもね。
彼の一挙手一投足は人々の注目の的だったのかもね。

きゃー、鎧が決まってるわ~! 素敵ぃ!直実さまぁ~!ラブラブ
と黄色い声を上げたファンもいたかも?

まぁ、あんな若い子供を殺しておいて、よく平気で生きてるわね~。叫び
と彼を中傷する人もいたかも?

いやいや、戦いなのだから、仕方ないことなのだよ。忠義ゆえさ。女子どもはわかってないね~
などと、男女の間で言い合いが始まったかも?





とにかく、
金戒光明寺に熊谷直実は法然の弟子として暮らしていたことがあり、
彼は境内の松の枝にその鎧を掛けた

鎧はおそらく
虚しい権力争いに端を発した戦いに躍らされていた浅はかな己の抜け殻として
青々とした松に掛けられた……と私は思う。
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2011年京都2婆旅行 17 金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)アフロ阿弥陀


2011年11月22日(火曜日)、
紅葉には1週間ほど早すぎた京都の旅、2日目の続きです。
長っ!



お寺で売られている絵葉書をチェックすると、
ガイドブックやお寺のパンフなどで割愛されたり、
公開されておらず拝観できなかったりした
そのお寺の“見所”が大体わかる。チョキ


で、
土産物売り場で絵葉書を見繕っていて、
アフロの阿弥陀如来」を発見!Σ(・ω・ノ)ノ!


衆生をいかに救済できるかあまりに考えすぎて、頭髪が爆発しちゃった”如来様らしい。Σ(~∀~||;)
正式名称は、「五劫思惟阿弥陀如来(ゴコウシイアミダニョライ)」というらしい。


絵葉書のそのお姿は、アフロヘア:顔=11:1くらい?( ´艸`)
大きな頭髪の中に顔がすっぽり埋もれるように収まっている。
頭髪をスポッと外せばそのまま普通のお地蔵様に早変わりしそうな優しげな風貌である。ラブラブ


坊主頭で考えに考え、修行に修行を積んでいたある日、横顔
いきなりBomb! と アフロヘアーに?爆弾アフロ
などと私はイメージしてしまって、
“アフロ阿弥陀の奇跡”的物語がいかなるものか、
妄想が広がる。
これは拝見しなければっ!( ´艸`)



一通り見学してきて、どこにそんな面白そうな如来像があったのか?
本堂の出口の土産物売り場で、慌てて寺の見取り図を見直す。あせる
わからん……。
係りの人に尋ねると、境内を出て、墓地の中にあることがわかった。クラッカー


境内を出て坂道を少し下りていくと、左手に墓地があった。
案外参拝の人も多い。
そんなに有名なのか? と気が焦る。
が、
人々は私の目指すアフロ阿弥陀ではなく、
TVドラマで一躍話題の人となった「江(ゴウ)」の供養塔がお目当てだったようだ。



江よりアフロ阿弥陀よ!グー
教わった辺りを探すと、
(墓地を入って、まっすぐにちょっと進んで、すぐ。奥へ続く階段の脇。)
あったww!ベル

夫婦世界旅行-妻編-アフロ地蔵
(↑ 五劫思惟阿弥陀如来像)



頭が~Bomb! あふろー!ヾ(@^(∞)^@)ノ

夫婦世界旅行-妻編-他の角度から
(↑ネットより拝借)


階段の脇のあまりぱっとしない辺りに、
アフロヘアをこんもりさせて、
静かに瞑想しておられる! わっはっは!о(ж>▽<)y ☆
(笑っては失礼なのだろうが、この阿弥陀様を見ると、
まず、わっはっは!と笑いたくなる。)


冗談で作ったのかとも思ったが、
土産物売り場でも、ちょっと説明が施されていたし、
「五劫思惟阿弥陀如来」という立派な呼称があるのだから、
きっとちゃんとした仏像なんだろうなぁ……?!?




後日調べたら、
やはり、“ちゃんとした”如来さまだった。(^^ゞ





五劫(ゴコウ)」は落語の「寿限無(ジュゲム)」に出てくる……

「寿限無 寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ
海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、
食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポパイポ、パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助」

……の「五劫」なのだそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

参照:「アフロの阿弥陀



以下、「アフロの阿弥陀」サイトから引用、紹介させていただく。

「『一劫というのは、三千年に一度、天人が天下って、下界の巌を衣でなでるのだが、その巌をなでつくしてすりきれてなくなってしまうのを一劫という。それが五劫というから、何万年、何億年かかぞえつくせない』
だそうです。
もっともこの「劫」の長さについては300年に一度とか、100年に一度とか、いろいろな説があってあまりはっきりとはしません。
ようするに、気の遠くなるような時間、とだけ理解しておけば良いかと思います。」(以上引用)



天人の衣……おそらく「羽衣」? 衣
向こうが透けて見えるような薄衣って感じ。キラキラ
それで「巌」を撫でつくして、巌が擦り切れる……。
……んな、馬鹿な~~! とも思うが、γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


微風だって巌を撫で、いつかは風化させていくわけだし、DASH!
雨垂れだって巌を穿つわけだし、汗
“天人の羽衣”は、そうした気の遠くなるような時間と繰り返される微力な自然現象とが編み出すパワーを表わしているのかもしれないね?ひらめき電球



んで、


アフロ阿弥陀についての説明  参照:同上


「実は阿弥陀如来、昔はインドの王子でした。
ところが、彼は 世自在王 の説法を聞き、感動し、王位を捨てて出家をしてしまいました。(このへん釈迦と同じです)
しかし、彼の場合、如来になるまでに、無茶苦茶時間がかかったんですね。
その時間、五劫 です。五劫…この時間、彼は、どうしたら衆生救済できるか考え続けたんですね。
その結果、髪の毛が伸び放題になってしまったというわけです。
一見して、アフロのように髪の毛が丸くふくらんでることから、アフロの弥陀…いやいや、五劫思惟阿弥陀如来 などと呼ばれております。」
(以上、抜粋引用。)


ですと。(=◇=;)


なるほど……。
坊主頭がある時突然Bomb!とアフロヘアになったわけではなく、ドンッソレジャ、浦島太郎の宝箱ダガネf^_^;

修行のため髪が伸び放題になってアフロになったとする方が自然だわね。チョキ
ワタシノ発想ッテイッタイ……。SOS



って、さらに調べていたら、
この「五劫思惟阿弥陀如来」は奈良の東大寺にもあった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
(去年、東大寺に行ったのに、全然気づかなかったよ!がっかり

東大寺秘仏開扉



永い間剃髪することもなく座禅・思惟していたので、このような髪形になったという
と説明されている。 名前ノマンマヤン!( ̄□ ̄;)


やはり、
伸びた髪の毛がアフロになったようだ……。汗




つまりさ、
この阿弥陀様は、お坊様の姿で修行していたというより、
サドゥだったのね! ア~、納得!笑

夫婦世界旅行-妻編-サドゥ
(↑ネットより拝借 サドゥ)




東大寺では「秘仏」として“秘蔵”されているようなので、
金戒光明寺のこのアフロ様は、
どこぞの石屋さんが、その秘仏を写して彫ったものに過ぎないのかもしれない。はてなマーク

が、
その表情は優美で、ぽっちゃりと可愛らしく、
なんと言ってもアフロがキュート!о(ж>▽<)y ☆
一見の価値あり!音譜


とにかく、
五劫阿弥陀如来……なんてアフロな如来さまの存在を知れて
面白いことであった。あ~、満足!(-^□^-)

あふろ~!


夫婦世界旅行-妻編-イメージ画像
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2011年京都2婆旅行 16 金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)方丈と紫雲の庭


2011年11月22日(火曜日)、
紅葉には1週間ほど早すぎた京都の旅、2日目の続きです。マダマダ


秋の特別公開ということで、
方丈まで進むと、
久保田金僊(クボタキンセン)による「虎の襖絵」など、
普段拝見できないものにお目にかかれる。目


係りの人が人待ち顔で襖の脇に立っていて、
何をなさっているのかと思えば、
私が人々の一団から遅れて(団体さんをやり過ごすのだ)
ふらふらのろのろ近づくと、オバケ
待ってましたとばかりに襖を動かして、
虎の襖絵の“不思議”を見せてくださった。
襖の開け方で、虎の数が違って見えるらしい。567∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

夫婦世界旅行-妻編-虎の襖絵
(画像はネットより拝借)

金箔がまばゆく見事なれども、キラキラ
ワタシ的には、だからどーした?って感じの襖絵だったのだが、f^_^;
係りの人が開け閉めして見せてくれる以上、
「わぁ!面白~い!」と感動してみせるべきか……あせる
などとチマチマ悩んでしまった一瞬であった。


とろとろ見学している私のような者にまで、
ちゃんと見せてあげようと、
寒いところでじっと待っていてくれる係りの人に感謝感謝である。(。-人-。)





方丈から、「紫雲の庭」に出られる。走る人
「紫雲の庭」は法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現したもの。Σ(・ω・ノ)ノ!
人の一生を枯山水で表わすって、ちょっと面白いね。にひひ

法然上人の幼少時代・修行時代・浄土開宗と大きく3期に分けられている。
置かれた石が町やら人を表わしているのだが、
法然上人の人生を知らない私にはチンプンカンプン。(((゜д゜;)))
(パンフレットには丁寧にどの石が何を表わしているのか説明があるが。)


パンフレットの説明文の方がよほど私にはありがたかった。(。-人-。)
法然9歳の頃に、
武士であった父親が「夜討ちに会いその傷がもとで死す。
臨終の際に勢至丸(=法然)を呼び、
『敵人を恨む事なかれ』と遺言し出家させた

――なんともむごい幼少期の出来事であるね。(ノ◇≦。)


その幼少期を表わした石は私の目には別段なんということもないただの庭石であって、
3番の石が母によりそっている勢至丸で、あせる
5番の石が師匠に学問を教わっている勢至丸であるようなのだが、あせる
枯山水にあまり具体的な意表を定めると
なんともイマジネーションを阻害されるような気がしたことであったよ。┐( ̄ヘ ̄)┌


それよりも
庭全体がこんもりとしていて、とても気持ちがよかった。キラキラ
周りの山が庭を覆うように守っている。キラキラ

夫婦世界旅行-妻編-紫雲の庭


わっさわっさと大きな羽をばたつかせて
やっと高い枝に止まったのはアオサギ?キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

夫婦世界旅行-妻編-止まったアオサギ

歩石(置石?)にはどれも妙な模様が施されていて、
もしかしたら、何かの暗号なのか?はてなマーク

夫婦世界旅行-妻編-敷石の暗号?

足元にはホトトギス。

夫婦世界旅行-妻編-ホトトギス



山の斜面を利用して池を囲むように造られた道を
ぐる~りと回って、反対側に来たら、
ばっさばっさと羽音を立てて、
先ほど高い枝の上に止まったアオサギちゃんが
なんと私の目の前2~3mほどのところに降りてきた!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
わぉ! こんな至近距離、初めてっ!アップラブラブ

夫婦世界旅行-妻編-目の前にアオサギ

じーっと、何を思うのか、アオサギ。サギ
私もオアサギのようにじーっとしていればよかったのに、
つい2、3歩近づいてしまったら、あし
ひょんひょん……とアオサギも2、3歩あせる
離れたかと思ったら、
ワッサバサバサと飛んでいってしまった……。(T_T)




アオサギが目の前に降りて来てくれた!ラブラブ!
というだけで、
大満足の紫雲の庭でありました。ヾ(@^▽^@)ノ音譜




押した指の跡がなかなか元に戻らない肌のように
萎びて凹んだままの気持ちはちーん
日記を書いてやり過ごすのだっ!
グーあせる   
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2011年京都2婆旅行 15 金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)ベタな伝説にどーでもいい推理


11月22日(火曜日)、紅葉には1週間ほど早すぎた京都の旅、2日目の続き。


金戒光明寺は、広くて、法然ばかりか親鸞にもゆかりがあるらしく、∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
親鸞関係の像もあって、
一体何がどれだったのか、(°Д°;≡°Д°;)
自分が何を見たのかさえ、
はっきりと思い出せないほど。ヽ((◎д◎ ))ゝ


印象に残っているのは、
親鸞の蕎麦食い木像”なのだが、
これは「お話」の説明文を読んだだけで、
自分が見たと思った像はなにか別の像だったのかもしれない?(((゜д゜;)))
(写真は撮れなかったし、後でネットで調べたら、別のお寺【三十三間堂のそばの法住寺】にその像はあるということなので。あせる




〈親鸞の蕎麦食い木像のお話〉

親鸞がまだ28歳のころ、いまだ比叡山で「範宴」という号で修行していたころのお話です。

範宴(親鸞)は、比叡山仏教と異なる新しい宗教を発願し、毎夜山を下って京の都・烏丸六角にある六角堂へお参りし、明け方になっては戻ってくるということを、100日間続けていたそうです。

毎晩暗くなると密に下山する範宴を見て、他の弟子の僧たちは「都にいる女の所へ通っているに違いない」と噂しあいました。

 その噂を聞いた師の慈鎮和尚は、範宴の人物を知っていたため、信じられません。
しかし、範宴が毎晩山をおりているのは事実らしい。そこで、和尚はある夜突然に門下の弟子を呼び集め、一人一人の名前を呼び上げることにし、「範宴」と呼ぶと、範宴は「ハイ」と答えました。
 「範宴は下山などしていない。やはり弟子たちの間違いであった」。和尚は安心し、一同にそばを振舞われました。範宴ももちろん食べました。

 翌朝、そんなことを知らない範宴が山に戻ってくると、みな驚きました。範宴が二人いるはずはない、と騒いでいると、弟子の一人が範宴の坐像の口にそばがついているのを発見しました。何と、範宴として返事をし、そばを食べて身代わりとなったのは、範宴が自ら彫った木像だったのでした。
(「京都のBARオーナーが紹介する京都ブログ」さんより引用)


他にも、参照:「隠れ京都案内





このお話は、“親鸞パワー”を印象付ける「不思議な話」として語られるようだが、


木像の口の周りに蕎麦がくっついてたから、
木像が身代わりに蕎麦食っていたと判明した
とは……。

……なんとベタなバレ方だろう!о(ж>▽<)y ☆


それに、範宴(親鸞)が現在の己の状況、宗教に悩んで努力しているときに、
「都にいる女の所へ通っているに違いない」と噂しあう同僚(?)って、どーよ?( ・д・)/--=≡(((卍 
それが御仏に仕える修行僧たちのすることか?パンチ!

そんな発想がなりたつということは、修行のために山に入ったけれど、女遊びをしに山を夜な夜な下りる不届きな修行僧が当時、結構いた…・・・ということか。(`ε´)



噂に心揺れて、抜き打ちチェックをする和尚もいかがなものかと思うわ。パンチ!
そんなことをしなくとも、範宴(親鸞)を呼び出して、直接問いただしてみればいいんでないかぃ?


それに、抜き打ちチェックで、返事の声だけ聞いて安心するっちゅーのも、どうなの?パンチ!
心配していたら、返事の声を聞いて、ほっとして思わず顔を見るんじゃないかなぁ。「やっぱりいたね。信じてたよ」っと心の中で呼びかけながら弟子の目を見るもんじゃないね?ラブラブ


で、結局、翌朝、範宴(親鸞)は同僚たちに戻ったところを見つかってしまうわけだが、今までばれなかったのに、どうしてその日はばれてしまったのかしら? 
こっそり帰ってきた風でもないし。
不思議といえば、私はこちらの方が不思議だわ。┐( ̄ヘ ̄)┌


親鸞が自ら彫ったとされる自分像。
プロの彫師によって彫られたように美しい像だ。
親鸞に限らず、昔のお坊様って、随分彫刻がうまいよね。
仏教修行のカリキュラムに「彫刻」なんていうものもあったのかしら?はてなマーク


それにしても、修行中の一坊主が、己の像なんて、普通彫る?????はてなマーク


そのポーズも、手に箸と蕎麦チョコを持たせたくなるようなポーズなのも笑える。( ´艸`)
(数珠の玉を数えているようにも見えるが。)





これは、後から誰かがお話を作って、それに合わせて像を彫ったものではないかしら……。むっ

などと疑う私は不信心ゆえに、かくもどーでもいいことをあれこれと
つっこむのであった。(^^ゞ




とにかく、9歳から比叡山延暦寺に入って、厳しい修行を20年続け、その後、限界を感じて山を下り(29歳)、先輩法然さんの話を聞きにいくようになり、やがて法然の弟子となる……という親鸞の、
比叡山を降りる1年前(親鸞28歳)の苦悩のときにあった出来事と思うと、
この話はとても人間臭くて面白い。(・∀・)


寝る間も惜しんで苦悩する親鸞、
女が出来たに違いないと下世話な噂をする仲間、
噂にうろたえ抜き打ちチェックをする和尚、
口に蕎麦をはっつけた親鸞像、

これらの組み合わせがとても滑稽で愉快である。о(ж>▽<)y ☆

厳しい修行の日々の中で、夜中に振舞われた蕎麦はさぞうまかったろうな~。

夫婦世界旅行-妻編-親鸞の蕎麦食い木像
(↑親鸞の蕎麦食い木像 ネットより拝借)








ところで、“親鸞の像の口元に付いていた蕎麦”……と言葉だけ読むと、
現在の細い蕎麦が1本ぴろんと付いていたんだろうな……とイメージするのはラーメン
私だけではあるまい?


法然が比叡山を下りて黒谷(金戒光明寺)に浄土宗を開いたのは1175年、
それから約30年後に範宴(親鸞)が山を下り、法然の弟子になる。
だから、範宴(親鸞)が比叡山で蕎麦を振舞われたのは、
せいぜい1200年頃。
その頃、蕎麦はまだ現在のそば切りのスタイルではなかったのではないか?ひらめき電球



ちょっと調べてみた。

(前略)……鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、平安時代中期の僧・歌人である道命(藤原道長の甥)が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて食膳にも据えかねる蕎麦料理が出されたことに対する素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記している。

これは都の上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言える。

この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備えて僅かに栽培する程度の雑穀だったと考えられている。

なお、蕎麦の2字で「そば」と読むようになった初出は南北朝時代に書かれた『拾芥抄』であり、蕎麦と猪・羊の肉との合食禁(食い合わせを禁ずる例)を解説しているが、今日における科学的根拠は無い。
(中略)

蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。古くは、同じく蕎麦粉を練った食品である蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練り とも言う)と区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、「蕎麦切り」の呼称が残る地域も存在する。(ウィキペディアより)





つまり、
法然や親鸞の生きていた頃、日本では極貧の山の食事として「蕎麦」は食されていたものの、現在のような「蕎麦きり」のスタイルではなかったはず!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


ということは、親鸞の木像の口元に付いていたのは、細い蕎麦ではなく、蕎麦ガキ?
そんなの口に付く? ありえないでしょぅ……。┐( ̄ヘ ̄)┌



となると、やはり口元に残っていた蕎麦は蕎麦切りスタイルの“新時代”の蕎麦と考えた方が自然ではないか?

となると、このお話は、「16世紀あるいは17世紀初頭(蕎麦切りが生まれた)」以降に作られた話ではなかろうか。Σ\( ̄ー ̄;)
2011年京都2婆旅行 13 金戒光明寺(コンカイコウミョウジ) 山越えてすこーん!




金戒光明寺(愛称:くろ谷さん)では、
秋の特別拝観ということで、ドキドキ
方丈内部や方丈庭園(紫雲の庭)も拝見できた。
――ケチケチしないで普段から拝観させてくれればいいのに……。むっ(身勝手な呟きべーっだ!


まずは
御影堂(大殿)

夫婦世界旅行-妻編-金戒光明寺御影堂

随分ご立派な建物で
これが本堂なんだろうと思うのだけど、
「本堂」と言わず、「御影堂(大殿)」と言う……。


どう違うの?はてなマーク 
ここは「本堂」がないの?はてなマーク 


……混乱の素である。




後日調べたら、本
本来ご本尊が祭られているのが「本堂」(「金堂」などとも呼ばれる)だが、
“開祖さま”などが祭られている「本堂」は「御影堂」と呼ばれることがあるようだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


ちなみに、
知恩院の本堂は法然親鸞が祭られているので「御影堂」。
唐招提寺は鑑真が祭られているので「御影堂」。
で、金戒光明寺も法然親鸞が祭られているので、「御影堂」なんだそうだ。(=◇=;)

*訂正とお詫び:

「知恩院」「金戒光明寺」に祀られているのは、「親鸞」ではなく、「法然上人」ですね。
加用 雅愛さまよりご指摘頂きました。
訂正してお詫び申し上げます。(2015年3月16日)失礼致しましたwwm(_ _ )m




説明のところに、「御影堂(本堂)」とでもしておいてくれればいいのになぁ。(身勝手な呟きべーっだ!

参照:「kotobank




さて、
金戒光明寺の御影堂にはありがたいもの(見ごたえのあるもの)が盛りだくさんであった。ヾ(@^(∞)^@)ノ


入ってすぐのところに一幅の絵?
山越阿弥陀図」(ヤマゴエアミダズ)なるものがあって、
その絵の前に
5色の糸(?)で飾られた小さな杵のようなものと、
平たく置かれた木魚っぽい鐘が置いてあり、

青(緑)は帰依、黄は智慧、赤は慈悲、白は清浄、黒(紫)は救済
を意味していると説明が付されていた。Σ(・ω・ノ)ノ!


なるほど、ただ色のコントラストがきれいだからって分けじゃなかったのね。

ネパールではしばしばこんな色合いの旗がずらりと掛けられているのを目にした。

夫婦世界旅行-妻編-ネパールの五色旗
(ネットより拝借)

日本でもしばしば目にする。
奈良の吉野の金剛峯寺(コンゴウブジ)でも見た。

夫婦世界旅行-妻編-金剛峯寺の五色旗
(ネットより拝借)


よく見ると、青と緑がダブっているし、「黒(紫)」が見当たらないが、宝石ブルー宝石緑
もしかしたら、「緑」=「青」で、「青」く見えるのが「紫=黒」なのかも?宝石ブルー宝石紫
5色という組み合わせは一致しているから、多分そーなんじゃないかなぁ。ひらめき電球


とにかく、この色が気になっていたのだが、
その色の意味合いがはっきりわかって、メモメモ
気分爽快!!キラキラ
すっきり目覚められた朝のようだわ。(-^□^-)


山越阿弥陀図(国宝)がいかなるものかはわからないが、
確かに山越しに阿弥陀様が顔を覗かせている。
阿弥陀様なんだから、極楽浄土へお迎えに来てくれたというところだろう。ラブラブ

夫婦世界旅行-妻編-金戒光明寺の山越阿弥陀図
(ネットより拝借)

そして、
五色の糸で結ばれた撞木で
鐘を叩いて
阿弥陀様とのご縁をお結びください
」とな。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


「帰依、智慧、慈悲、清浄、救済」……それらが1つに結びついて
阿弥陀様とご縁が出来る?ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ


阿弥陀様とご縁が出来るということは
もし死んでも極楽浄土へ行けるから安心でっせ♪ ということか。ラブラブ
あるいは、もうそろそろアッチへ行きなはれ……ということか。ガーン


……よく飲み込めないけれど、あせる
勧められるからにはやってみよう♪グー


この時、私はなにやら心地よく、
ウキウキさえしていた。音譜
だもんだから、つい、

“ご縁がありますよ~に♪”とラブラブ

その杵のような「撞木」で、
そこに土鍋のように置かれていた平たい鐘を
あ、ヨイショッ♪♪♪楽し~~~♪ と、
ひと叩き、元気に撞木を振り下ろした。痛い! ポカ!


その心の弾みが
私の手首に
思わぬスナップを利かせたようだ。



スッコーーーーーンッ!Σ(~∀~||;)


広い堂内に響き渡るその音!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
高い天井の隅隅まで一瞬にして届いたと思われるその軽やかな突き抜けるような爆音。アップ


その音の大きさに、
叩いた私がびっくり!ヽ((◎д◎ ))ゝ
正座したまま飛び上がってしまったような気がするほどジャンプ
驚いた。


なにもそんなドデカイ音を立てなくとも……あせる
あんた、どっからそんな大音量出せたの?
と、鐘に苦情したいほどであった。(((゜д゜;)))


朝の静寂な寺の空気の中、
こんな大きな音立てちゃって、どうしましょあせる
と、焦って周りを見やると、
姉は少し離れたところでびっくりして苦笑い。


そして、私のすぐそばにいつの間にか男性が一人立っていて、
(多分鐘を叩く順番待ちをしていたのだろう。)
「わはははは、わはははは、はははははははははははは」
うろたえて座っている私を見下ろして笑っている。Σ(~∀~||;)


「うるさいオバハンじゃ! はよ、そこ、退け!」っと怒っているようには見えず、
ほっとして、
「なはっ。大きな音が出ちゃった」とかなんとか、うろたえながらもモニャモニャ言い訳をして、私も苦笑いを返したのだが、f^_^;
おじさんはさらに
「わはははははは。はははははは。わはははははははははははははははははははは」と、私目がけて笑い続ける。(=◇=;)


おっさん、笑いすぎや!(プチ怒)パンチ!


ごっつぅ恥ずかしいのと、少し腹立たしいのと、
笑ってくれてほっとしたのと、
なにやらいたたまれなくなってその場を逃げるように去ったのであった。
(ってか、いつまでも居座っていないで、とっととどけよという話である。)




小さな鐘でも、叩くときは気をつけろ!注意

なのであった。(→o←)ゞ





スコーーン! と激音鳴り響かせた私と阿弥陀様との縁は、果たしてどうなったのか……。
山越しにこちらを見ている阿弥陀さんも呆れて、そのまま帰っていってしまった気がするわ。(-"-;A






後日調べたところによると、本
「山越阿弥陀図」は「来迎図の一形式」で、
浄土から迎えに来る阿弥陀三尊が山越に現れるさまを描いたもの」らしい。


参照:「kotobank





他の「山越阿弥陀図」をちょっと比べてみよう。

夫婦世界旅行-妻編-京都禅林寺の山越阿弥陀図

京都禅林寺の山越阿弥陀図


夫婦世界旅行-妻編-京都博物館の山越阿弥陀図

京都博物館所蔵の山越阿弥陀図

その他、ネットで見つけた山越阿弥陀図

夫婦世界旅行-妻編-その他1

夫婦世界旅行-妻編-その他2



どれも、山の向こうから阿弥陀さんが覗いている。目
だいじょ~v! って感じで。(^_^)v



しかし、山越にこちらを見ているだけなので、
山を越えてきてくれるわけではなさそうだ。(・_・;)

「山越阿弥陀図」は「ヤマゴエアミダズ」と読まれているようだが、
ヤマゴシアミダズ」と呼ぶべきではないのかしら。(身勝手な呟き。べーっだ!