2010年2月の長崎旅行記の続きです。
これでおしまいです。

長崎さるく16 グラバー邸

「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁



さて、長崎観光名所として超有名なグラバー邸なれど、
私にとっては知らないことばかり。(((( ;°Д°))))

しかも、その敷地は広大で広大で、
しかも、色々な建物がいくつもあって、(°Д°;≡°Д°;)
訳わからないまま、とにかく突入。あせる

夫婦世界旅行-妻編-入り口(階段パターン)

敷地内は動く歩道でまず一番上まで上っていき(階段で上っていくことも可)、アップ
後は見学しながら、階段などで徐々に出口まで降りてくるように造られていた。ダウン

夫婦世界旅行-妻編-入り口(動く歩道パターン)

随分逞しげに
クリスマスローズがわさわさ咲いていた。

夫婦世界旅行-妻編-クリスマスローズ

まず現れた建物は旧三菱第2ドックハウス

夫婦世界旅行-妻編-旧三菱第2ドックハウス

かつて修理船の乗組員の休息宿泊施設として利用していたものを、この山の上に移築したらしい。救命浮き輪

夫婦世界旅行-妻編-碇

碇。


グラバー園の敷地内には、
主だった邸宅が
山の上の方から、
旧オルト邸、
旧リンガー邸、
旧ウォーカー邸
と位置しており、
そして、
最も下に位置しいているのがグラバー邸だ。


もともと建っていたそれらの洋館をひと括りに囲って、
さらに
当時港周辺の山の手に建てられていた洋館を数棟移築して、
グラバー園としたようだ。

オルトさんもリンガーさんもウォーカーさんも、当時の貿易商人らしい。
リンガーと言ったら長崎ちゃんぽんのフランチャイズ店リンガーハットと何か関係あるのかしらん?はてなマーク
(……と思って、今調べたら、やっぱりリンガーハットはリンガーさんを意識したネーミングらしい。リンガーさんが造ったちゃんぽん屋さんという訳ではないのね。(=◇=;))


みなさん、長崎で大活躍した人々のようだが、
もっとも偉業を陰に日向に行ったのはグラバーさんではないのかしら?はてなマーク
でも、グラバー邸は中でも一番低い位置にあるのがなぜなのか?はてなマーク
日本に住み着いたのが早い順に、山の一番上の方を取ったのだろうか?はてなマーク
フリーメイソン・ロッジの石柱がなぜここに?はてなマーク
……などと、ちまちました疑問は
グラバー園をうろうろ歩いているだけでは全然わからないのであった。(><;)


説明がどれも断片的で、全体がわかりにくい。パンチ!
「じやがたらお春」の歌碑もそうだったが、
観光名所の説明って、もっと工夫できないものか。┐( ̄ヘ ̄)┌


漫然と当時の建築物の様子やインテリアの様子や
暮らしぶりは多少窺えたが、
私にはわかりにくい観光名所であったよ。汗

しかし、とにかく園内の植木や、港を見下ろす眺めは気持ちよく、キラキラ
それでよしとした。チョキ


注:以下、グラバー園内の写真ですが、訳わからないまま回っているので、
内容がございません。アシカラズ。(。-人-。)




夫婦世界旅行-妻編-眺め1

港の眺めがよい。キラキラ

夫婦世界旅行-妻編-コチョコチョな花
コチョコチョ


夫婦世界旅行-妻編-うりゃぁぁ!の木
うりゃぁぁぁ!



夫婦世界旅行-妻編-噴水滝?

水を用いたオブジェ(噴水?)。

夫婦世界旅行-妻編-プッチーニ像

ジャコモ・プッチーニ像「あ~る晴れた~日~に~♪」



夫婦世界旅行-妻編-洋館内部

夫婦世界旅行-妻編-テラス

眺めのよいテラス。贅沢な造り。キラキラ

夫婦世界旅行-妻編-蘇鉄

ここでも立派な蘇鉄が!
長崎は蘇鉄がよく育つ土地のようだ。


夫婦世界旅行-妻編-帆船3

夫婦世界旅行-妻編-帆船2

夫婦世界旅行-妻編-帆船1

夫婦世界旅行-妻編-最後の隠れキリシタン

最後の隠れキリシタン
みなさん、ご高齢ですな。
彼らが大浦天主堂にマリア像を求めてカミングアウトしに現れた隠れキリシタンだろうか?| 壁 |д・)


夫婦世界旅行-妻編-カラタネオガタマ

カラタネオガタマ――「花にバナナのような香りがあります。」

夫婦世界旅行-妻編-にょ~~の木
にょ~~~~。



夫婦世界旅行-妻編-テラス2

夫婦世界旅行-妻編-貝殻の山?

これは、貝の花咲く亀……?(=◇=;)


夫婦世界旅行-妻編-どほぉぉ!の木
どほぉぉぉぉ!

夫婦世界旅行-妻編-モハモハ
モハモハですが、何か?




夫婦世界旅行-妻編-隠し部屋

グラバー邸内。龍馬と密談したとされる屋根裏部屋の入り口。| 壁 |д・)



夫婦世界旅行-妻編-クイーンエリザベス2号

丁度、クイーンメリー2号なる豪華客船が寄港して、
日暮れ頃から船内ではパーティが始まったらしく、クラッカー
楽隊の音も賑やかに港に響いていた。音譜

夫婦世界旅行-妻編-さえずり
木が多いから鳥も多い♪



夫婦世界旅行-妻編-直角な木

カクッカクッとほぼ直角に曲がっている枝枝の木。次項
こ、これはっ!Σ(・ω・ノ)ノ!
これこそは、
もしや楷書の元となったという「」の木では?ひらめき電球キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
と気色ばんで近づくと、

夫婦世界旅行-妻編-ホルトの木

ホルトの木」とな。(ノ_・。)

参照:「ホルトの木


楷の木とは違うみたい……。ガックリ
がっかり……。

私は楷の木がいかなるものがわが目で見てみたいのだ。ドキドキ
楷書のお手本となったというように、角角とした枝をしている木だと聞いていたが、
そんな愉快な木が本当にあるのだろうか?( ´艸`)
樹木辞典で探しても今まで見つけることができないでいた。本


が、
ここでハタと気づいた。ひらめき電球( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
「楷」の木をネットで調べればいーんだ!(←今まで気づかなかったアフォ!)

参照:「楷の木
夫婦世界旅行-妻編-楷の木

ありぃ???
楷の木より、ホルトの木の方が、よっぽど“楷書”っぽいんですけど……????(^_^;)
(楷の木のイメージが壊れた瞬間。。。ガックリガックリガックリ





最後になったが、グラバーさんについて、
ガイドブックの説明を挙げておく。メモ


トーマス・ブレーク・グラバーってどんな人?

安政6年(1859)21歳で来日したグラバーは、2年後にグラバー商会を設立。生糸から船舶まで幅広い商品を扱いつつ、諸藩に武器を売り巨額の利益を得た。そのかたわら、坂本龍馬や高杉晋作をかくまったのではないかと言われている。また、伊藤博文の英国留学を手伝い、薩長同盟にも貢献。現・三菱造船所第二工場建設や高島炭鉱の開発、麒麟ビールの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を創立するなど、数多くの事業を成功させる。これらの功績により、外国人初の勲二等旭日賞を受賞。73歳、多くの人々に惜しまれ、東京の私邸で生涯を閉じる。以外は長崎の浦上・坂本国際墓地に埋葬された。メモ


21歳で来日してこの働き!(=◇=;)
すごい!

よく言えば、グラバー氏も、明治維新を可能にした1人と言えそうだ。アップ
ってか、明治維新を実際に誘導した1人じゃないのか?って気がしてきた。


でも、武器商人でもあるわけで、銃
諸藩に武器を売りつけ、諸藩同士戦争状態にさせ、自分はそれで儲けて…銃お金
って考えると、日本を食い物にした西欧人の1人という気もしてくる。ガーン


が、
73歳で亡くなるまで日本に住んでいたようで、
「成功」を収めた後も帰国せず
人生の殆どを日本で過ごしたってことは、
彼は日本を愛していたのかしら?ラブラブ
近代日本の基礎部分を造った人でもあるのは確かだ。


本日は
彼に敬意を表して、キリンビールを飲むことにしよう。にひひビール




さるけばさるく程、謎や疑問がいっぱいの長崎であった。
歴史が凝縮されているから、
1度訪れただけでは、
まっさらの予習なしの状態では
とても太刀打ちできそうにない街であったよ。ヽ(;´ω`)ノ





最後にこの長崎さるく旅でひと言叫ぶとすると、


「ベストウェスタンプレミアホテル長崎」の朝食で用意されている
鯛茶漬けは最高~~~~~~~~~~!!!!!
鯛
です。(-^□^-)

            おしまひ魚


今回も、長いダラダラ日記、
根気強くおつきあいくださり、どうもありがとうございました。(。-人-。)ラブラブ
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2010年2月の長崎旅行記の続きです。
ラストまでもう一息!

長崎さるく15 大浦天主堂(オオウラテンシュドウ)――日の目を見たキリシタン

「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁


グラバー邸へ向かう坂の麓は、いきなり観光地然としてざわめいていた。
土産物屋も、いかにも観光客相手という感じ。
(しかし、そのお陰で試飲や試食がかなりできちゃった。
枇杷の葉茶、と~っても美味しいっ!ラブラブ!お茶



坂の途中、グラバー邸の手前に大浦天主堂(オオウラテンシュドウ)あり。

夫婦世界旅行-妻編-大浦天主堂


1864年、「フランス人宣教師プチジャン神父によって建造された、
現存する国内最古の木造ゴシック様式教会
」(byガイドブック)だとか。

坂の下からはやや遠目に眺めると、とても綺麗な白い教会で、そんなに古い教会にも見えなかった。キラキラ
それにしても、宣教師というのは、建築家でもあったのだろうか?(=◇=;)


この教会は「キリシタン禁教令により殉教した26聖人に祈りを捧げ」るために建立されたものだ。(byガイドブック)本



だから、
「日本二十六聖人」が処刑された丘を向いて建っているらしい。目

26聖人の処刑された丘には、26聖人のレリーフと、すぐ脇に別の教会(日本二十六聖人記念聖堂聖フィリッポ教会→「アーティスティック?な教会」)があったけれど、
あの教会こそが26聖人に祈るために建てられたのではないのか?はてなマーク
あっちは処刑された26人が正式にキリスト教界から「聖人」と認められた単なる「記念」の教会だったのかしら?はてなマーク


1862年に26人はローマ教皇によって「聖人」に列されたのであるから、(→「日本二十六聖人と日本人奴隷」)
この大浦天主堂は、その2年後に建造されているわけだ。時計

「聖人」として認められたことを記念するため、
聖人たちに祈りを捧げるため、
この大浦天主堂の方が本家本元という気がするが……ドーナンデショ?(@_@)



この教会「建立から約1ヶ月後、ほぼ250年におよぶキリシタン弾圧を耐え抜いた信者が、自らの信仰を告白し、マリア像を求めてやって来た『信徒発見』は、世界のキリスト教史上でも有名な出来事だ。」(byガイドブック)本


「キリスト教史上でも有名な出来事」ってことは、
かなりびっくりな出来事だったわけだよね。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

“隠れキリシタン”って、日本独特な存在だったのだろうか。はてなマーク
キリスト教史上、特筆すべき話なのだろうか。はてなマーク
キリスト教は恐ろしい侵略力で世界に広がっていったが、
イエスの物語としては「迫害」があたり前のものであったわけで、
迫害されながらも教えを信じてきた「隠れキリシタン」なんてものは、
キリスト教界においてはオイシイネタだったのかもしれない?はてなマーク


豊臣秀吉により禁じられ、処刑もされ、ドクロ
ひた隠しに隠しながら信じてきて、ダウン
とうとう
自分たちの先輩がローマ教皇から堂々「聖人」に列せられ、アップ
彼らのための素晴らしい教会も建てられ、ベル
“信じてよい正しき宗教”と認められたとき、クラッカー

1ヶ月ほど様子をじっと窺っていたのだろう。| 壁 |д・)
意を決してグー
告白しに闇から出てきた隠れキリシタンたちの気持ちや、いかん。(ノ◇≦。)


カミングアウトというものは
いつの世も、不安があるだろう。
大いなる期待と不安とを抱えて、
すがる様な気持ちで隠れキリシタンたちは
この坂を上ったのだろう……と思うと、
ぴりぴりするような、一方、浮き足立つような、
彼らの足取りが目に浮かぶようだ。あし



しかし、まずはグラバー邸を見ようと、
大浦天主堂は後回しに、われわれはさらに坂を上っていったのだった。
(結果、グラバー邸見学で時間を取られ、再び大浦天主堂まで戻ってきたときには、もう教会は閉まっていたのだった。ズゴンガックリ




夫婦世界旅行-妻編-坂の途中の教会
(↑これは大浦天主堂とは別の教会だったかな……。)



夫婦世界旅行-妻編-聖ヨハネ五島

「あらら~。今日はもうおしまいですよ~。残念でした~」
と聖ヨハネ五島は言っているようだった……。ガーン



夫婦世界旅行-妻編-もう夜だにゃ

「あほか。もう教会は閉まったばぃ」とニャンコは言った。


  
注:グラバー邸も大浦天主堂も見学はam8:00~pm6:00なり。





追記

大浦天主堂をフランス人宣教師が建造した”ということに、
プチジャン神父が具体的に設計したのかどうかわからないまま、はてなマーク
そして、
実際に建設にあたったのはどんな人々だったのかわからないままだったが……、はてなマーク


ガイドブックを見ていたら、本
グラバー園の中にある「旧オルト住宅」の説明に、
「(旧オルト)邸宅は、大浦天主堂も手がけた小山秀之進(コヤマヒデノシン)が設計した。」とあるのを見つけた。ベル


この説明が確かならば、大浦天主堂の設計も小山秀之進が手がけたんでないか?ビックリマークはてなマーク
つまり、大浦天主堂を「建造」したというフランス人宣教師は、その企画と資金を出したというほどに留まるのではないだろうかね~?はてなマーク
俄然、小山秀之進、何者????!!!!と、今となっては追求気力もないけれど、気になる人が出現してしまったことである。ラブラブ


で、ちょっとだけ検索したら、
大浦天主堂の建設についての、大工さんたちの名前や当時の状況が詳しく説明されているサイト発見!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

旧大浦天主堂


これ以上アップしていたら日記が終わらないので、大浦天主堂についてはこれまでにしておきます。(^^ゞキリガナイヨ~~あせる

ま、
当時、教会などの西洋建築に長けた日本人の名大工・名設計士がかなりいた! 
ということのようだ。(-_☆)




           まだ もうちょっと つづく
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2010年2月の長崎旅行記の続きです。
ラストまであと少しっ!あせる


長崎さるく14 「発見」された長崎港!+「じゃがたらお春」補足

「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁




ランタン祭りだ、亀山社中跡だ、軍艦島だと、
幕末から近現代に渡る観光名所をつらつらと「さるいて」ばかりで、走る人
私は長崎ついて全然知らずに帰ってきてしまった。(/ω\)



旅行後、ウィキペディアやガイドブックだけでは目にしなかった長崎の歴史について、びっくりの記事を見つけた。叫び

参照:
長崎四方山話(ヨモヤマバナシ)


なんといっても聞き捨てならなかったのは、
「長崎開港は、1571年である。1570年、伴天連たちは良港長崎を発見した。長崎はポルトガル人によって発見され、ポルトガル人のために港を開いて町建てを行った得意な町である。メモ
というもの。(……「得意」は「特異」の誤植だろう。(^_^;))


長崎は、
初めから日本人が開いた町や港ではなく、
外人によって「発見」された港!?( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
ポルトガル人が発見するまで、当地を統治していた日本人は
その海が港として適していることにも気づかず、町も作らず
放っておいたということか?ヽ((◎д◎ ))ゝ
日本はまだまだ未開の地に満ちていたということか?ビックリマーク


私は“日本人によって既に港として活用されていた長崎港”に、外国船が来るようになった……とばかり思い込んでいた……。ガーン




私の故郷横浜港は、開国時に作られた港。
日米修好通商条約によって、それまでさびれたような浜であった横浜が、
「水深がある」などの理由で、無理やり外国船を迎える港として発展。アップ
港町もそれにともない幕府掛かりで開発されていったことは知っていたが、
横浜をそうした港としようと決めたのは日本人のはず。グー
(住民との揉め事が起こらないように、最初の予定地から横浜に変更したのだ。)
外国人によって「発見」された港ではない(はず)。あせる


考えたら、日本には諸外国の「黒船」がやってくるまで、巨大な船舶が入り込める深い水深のある港など必要なかったのだね。ひらめき電球
黒船の登場によって、それに見合う港を初めて探すことになったということなのだろう。船
“大きな船舶用の港”探し、これは日本人による“新たな日本探し”と言えることだったのかもしれない。サーチ


外国船が停泊できるほどの水深をもつ良港として、
「開港」ということになると、それに付随して町は発展していく。
外国人のために。

充分な水深。海に迫った小高い山々に囲まれているという地形。
外国人のための宿泊所、館、食堂、
外国人のための商店、娯楽施設などが港町を形成していく。
外国人のための墓地も、教会もできる。
中華街もできる。

外国人のための港町は
貿易が盛んになることで、目新しいものが手に入る最先端の場所として
流行発信の地ともなる。キラキラ
古いことに囚われない、新しい自由な雰囲気も生まれる。キラキラ
異国情緒が漂う美しい町であり、なおかつ現代的である。キラキラ

ほとんどのものが“外国人のため”のものであっても、
結果、日本もそれに合わせて栄えていくのであれば、
港とは世界への出口であり、
世界の文化の入り口でもある、ありがたい場である。キラキラ



私は子供の頃、子供ながらに横浜市歌が好きだった。音譜
(何かというと必ず歌わされたという教育のせいかもしれないが。)
小中高校の校歌は忘れても、横浜市歌だけはいまだに歌える。にひひ



↑ネットより拝借


参照:ウィキペディア「横浜市歌」(作詞:なんと!森林太郎【鴎外】えっ

わが日の本は島国よ 朝日輝ふ海に晴れ
連り峙つ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え船

されば港の数多かれど 此横浜に勝るあらめや
むかし思へばと苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし処けむり

今は百舟百千舟 泊まる処そ見よや小舟船ヨット救命浮き輪
果なく栄えて行くらん御代を 飾る宝も入り来る港♪♪♪


名前も「横」なんてついているくらいだから、もともとはあまりありがたい感じの浜ではなかったのだろう。ダウン
荒れた掘っ立て小屋くらいしか建っていない寂しげで貧しげな冴えない浜に過ぎなかった横浜が、いまや外国船が行きかい、珍しいものがたくさん入ってくる。アップ
トレンディな港町、横浜、万歳!クラッカー
……みたいな感じを、この歌を歌いながら感じていた。にひひ


横浜がいかに発展してきたナウい(←死語)町であるかは、折りあるごとに教え込まれてきた気がするが、
横浜を開港させるに至った「日米修好通商条約」がいかに不平等な条約だったかは一切教えられてこなかった!((>д<))
(私自身気にも掛けて来なかったよ。)


欧米列強の圧力により無理やりに開国、開港させられてきた日本。
開国以前は必要としていなかった大型船舶用の港の調査、発掘、開発。
“まずは外国人のために!”と
不平等な状況下で造られてきた港町だということは、
改めて考えて、結構ショックだ。ガーン


しかも、長崎港の歴史はもっと古く、
“ポルトガル人が発見した”となると、
日本人はそれまで何をしてたの? と、不思議でならない。汗
いぁ、「発見・発展」以降も、
日本人は何をしてたの? と、不思議でならない。汗



1500年代終盤、「制韓」の野望を持って豊臣秀吉が九州(博多)に来なければ、
「イエズス会全盛」の長崎の「実情」を耳にすることもなかったかもしれない。
そうしたら、内戦状態の日本は、じわじわとポルトガル人により侵食、感化され、混血も進んで、“ポルトガル日本”となっていただろうか?(=◇=;)


バテレン追放令を出した秀吉。
秀吉の目には、当時の長崎は、ポルトガルによって侵略、融合されて見えたのではないだろうか。
当時、ポルトガル商人や宣教師らによって日本人が奴隷として買われていくという由々しき事態もあったらしい。(((゜д゜;)))
ポルトガル商人を隔離するために」造った孤島、出島
秀吉にしたら、出島もバテレン追放令も“日本を守る必死の策”だったのかもしれない。( ̄_ ̄ i)




しかし、その前に、なぜ「島原の乱」が起こったのか、
日本人が日本で幸せに暮らすということはどういうことなのか、
日本はどうあるべきか、
まず考えるべきではなかったのだろうか?(>_<)
(当時は「日本」などという概念すらなかったかもしれないが……。あせる



出島は、“ポルトガル人を隔離する場所”だけではなく、
西洋学術の発祥地」となったわけだもんね。ラブラブ
西洋の学術、知識によって日本は多くの恩恵も得てきたんだもんね。
異国との交流の光と影、キラキラ星空天使U
どの時代にもそれは表裏一体……。
ただ時代によってどちらにスポットが当たるかの違いなんだろう。



余談だが、

先日TV番組でテレビ
浴室の壁に取り付ける照明を温泉
led照明と白熱電球とで比較していた。ひらめき電球

led電球は光線が直線的で、明るい範囲が限られていて、
取り付けられた壁上部の範囲しか照らさない。
つまり光が拡散しないから、
浴室の足元、洗い場のあたりは薄暗い。

白熱電球はその点、光が拡散し広範囲を照らすので、
浴室全体が明るくなる。ひらめき電球

時代とともに光と影の出来方も変わってきていることであるね。(=◇=;)


ledの方が省エネで推奨されているが、
港同様、
その光と影の特性をよく知らなければならないぞ……(-_☆)
と思う私であった。

                         つづく





「じゃがたらお春」の補足説明

先日、「じゃがたらお春」について私なりの解釈を書いた(「長崎さるく10じゃがたらお春」のだが、
私は「じゃがたらお春」の母親が、「長崎貿易商人の娘」(洗礼名しかわかっていない)とあるので、日本人とばかり思っていたのだが、
長崎四方山話」では、お春の母親は「イタリア人」と説明している。Σ(~∀~||;)

わたし的には、「長崎の貿易商の娘」と言ったら「日本人」(せいぜいハーフ)で、
「イタリア人の母をもつお春」というのは、「イタリア人の父をもつお春」の間違いではないのか?と思うのだが……。ヽ(;´Д`)ノ

ま、こういう説もあるということを補足しておかねば……と思った次第である。まいどー!!
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2010年2月の長崎旅行記の続きです。

長崎さるく13 ランタン祭り

「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁



私が長崎を訪れたのは2月中旬。

町を歩いていたら、やたら提灯が飾ってあって、提灯

夫婦世界旅行-妻編-市役所もランタン

夫婦世界旅行-妻編-都会のランタン

長崎だからか? と思っていたら、
ランタン祭りなのであった。Σ(・ω・ノ)ノ!



フェスティバルの会場が数箇所に分散して設けられていて、
そこかしこで、色々な催し物があるようだった。

ランタンはただ提灯の形のものだけでなく、
色々なオブジェがランタンになっていた。

昼間は明かりが入らず、こんな感じ。

夫婦世界旅行-妻編-龍馬とお龍

龍馬とお龍のランタン。

夫婦世界旅行-妻編-偉人



夫婦世界旅行-妻編-眼鏡橋

眼鏡橋
想像していたより小さく、こじんまりした橋。
眼鏡橋は橋脚のアーチが川面に移って、ちょうど丸い眼鏡のように見えるのだが、メガネ
写真の腕が悪いため、眼鏡にならなかった……。ガックリ

夫婦世界旅行-妻編-眼鏡橋改良

眼鏡橋はかつて自然災害にあって流されてしまうという憂き目に遭ったことがある。
それで、今では、
水を逃がす“バイパス”が
橋の両脇の石土手の下に作られているらしい。
ただ復元しただけでなく、より整備されているのね。柔道
一見昔の佇まいをそのまま残しているように見え、
見えないところで新技術を投入して
さらなる保全に努めている。
素晴らしい。(-^□^-)


夫婦世界旅行-妻編-鳥ランタン2

夫婦世界旅行-妻編-鳥ランタン1

川の中になぜ鳥のオブジェばかり……?
と思っていたら、
これもランタンで、∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
夜にはこれに明かりが灯り、
川面に美しく浮かび上がるのだった。キラキラ


夫婦世界旅行-妻編-シラサギ

人間の騒ぎをぽーっと眺めていた本物の鳥たち。

夫婦世界旅行-妻編-ハト





街中には中川が流れていて、多くの橋が架かっていた。


夫婦世界旅行-妻編-ひっそりした川1

ランタンフェスティバルとは無縁のように、静かな橋もあり。

夫婦世界旅行-妻編-ひっそりした橋2

川は下に歩道があって、川のすぐそばを歩けるようになっていた。
こういう川って、いいよね。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



夫婦世界旅行-妻編-渡り石

川面に顔を出している渡り石も気持ちがよい。キラキラ
こんな風に川を渡れるということは、
中川って、本来は優しい川なんだろう。ラブラブ


しかし、川岸に下りるには、相当急な階段を下りねばならないのであった。
ちょっとビビルぜよ。ガーン

夫婦世界旅行-妻編-川岸への階段





夜、ランタンは賑やかに灯る。

夫婦世界旅行-妻編-夜景4

夫婦世界旅行-妻編-夜景3

夫婦世界旅行-妻編-夜景2

夫婦世界旅行-妻編-夜景1




フェスティバル会場では劇だか踊りだかが演じられているようだが、
人人人!で何も見えない。

夫婦世界旅行-妻編-会場


夫婦世界旅行-妻編-屋台

通りに並ぶ屋台がまた楽しい。
が、
一つ一つは結構いいお値段なので、お金
あっという間にレストランにでも入ったような金額になるのであった。(;´Д`)ノ
(ガイドブックに美味いと薦めてあった肉まんは、連日食べてみたが、私はお薦めできない。NG
大して美味しくなかった肉まんを私は憎まん。(/ω\)
人の味覚はそれぞれ。




夫婦世界旅行-妻編-くじら焼き

くじら焼き」なんていう“鯛焼き”の鯨バージョンの店があった。ラブラブ!
これを食べ損なったのが、残念。

                     つづく
2010年2月の長崎旅行記の続きです。

長崎さるく12 軍艦島周遊クルーズ

「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁



軍艦島クルーズ当日、
空は曇り勝ちなるも、なんとな~く薄日も差し、微風。晴れくもり
予定通り出航!船

軍艦島(グンカンジマ)とは、
長崎港の沖に浮かぶ端島(ハシマ)の別称。
戦艦「土佐」にその姿が似てるということで、「軍艦島」と呼ばれるようになったそうだ。



夫婦世界旅行-妻編-軍艦「土佐」
(↑ネットより借用。軍艦「土佐」)


明治期から炭鉱の町として栄え、アップ
日本初の鉄筋コンクリートアパートが建設され、
一時は人口密度世界一だったという。


島の面積0.06平方キロメートルに対し、人口約5000人(by『軍艦島の遺産』より)本

……って、1人当たりの面積が0.000012平方キロメートル=0.012平方メートル????!!!
何かの間違いか? アリエナイ人口密集度だよねぇ?(((゜д゜;)))

軍艦島」↑ 
には、「南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha」とある。
6.3ha=63000平方メートルだよね?はてなマーク
0.06平方キロメートル==60平方メートルだよね?はてなマーク
あれ?あれ? 
わけわからん←(数字音痴)@@


と、と、とにかく、ゴチャマンと人々が犇いていたわけだ。あせる


そして、1974年、正式に炭鉱は閉山
それと共に島は廃れ、
いまや無人の廃墟の島と化している……。オバケ


海上廃墟」、「朽ちていく巨大産業遺構」、
近代の光も闇もすべて廃墟の沈黙の中にある
なんてフレーズで、いまや観光地として復活しつつあるようだ。アップ




私は廃墟というものに惹かれる。ドキドキ
あの空虚感。
沈黙感。
人々の生活の痕跡だけがうち捨てられたままの形で残っている空間、
そのリアルさ……。


昔、北海道を旅行したとき、
ある日突然皆が町からいなくなったという町を訪れたことがある。
家の中の子供部屋の勉強机は埃をかぶっているものの、今でも使えそうだし、
その机の前の壁には、
学校の授業の時間割りや、ポスターなどが張ってあるまま。
明日の学校の準備でもしていたのに、急に出て行った……みたいな、
忽然と人々が去った様子が亡霊のように漂っていた。オバケ
ぞっとした。


軍艦島は、ある日突然人々が消えたわけではないが、
一時にせよ世界一の人口密度を誇り
(これって、誇れることなのかどうか、ちょいと疑問だが……汗)、
学校はもちろん、病院、娯楽場、映画館などがあって、
当時は高価なテレビや冷蔵庫などを狭い家ながら多くの人々が持っていたらしい。お金
日本初の鉄筋コンクリート高層集合住宅も建てられていた。
特異な発展を遂げた島。ベル

そんな近代産業で繁栄を謳歌した町が廃墟となると、
独特な廃墟感があるのではなかろうか。
繁栄のムクロ。
時流の歪。

こりゃ、行ってみたいでしょ!ラブラブ!

ピアを離れ、

夫婦世界旅行-妻編-ピア

夫婦世界旅行-妻編-三菱

港湾工業地帯……って感じの長崎港。
長崎港は三菱が牛耳ってる?
軍艦島も三菱が島全体を買い取ってから、
炭鉱の町として猛然発展していったらしい。

参照:軍艦島

造りかけの橋

夫婦世界旅行-妻編-建設中



外海に出て、波も潮風もややきつくなった頃、波
軍艦島が見えてきた。目
右隣にある大きめの島は高島
(私の記憶が確かならば、ガイドさん曰く、
軍艦島では埋葬ができないから、死者が出ると、便のよい高島の方で弔ったとのこと。)

夫婦世界旅行-妻編-端島と高島


端島(ハシマ)……確かに軍艦のような姿である。

夫婦世界旅行-妻編-端島(軍艦島)


草木も生えぬ……のだろうか?

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島1

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島2




ゴキブリもいないのでないか?

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島3

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島4

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島5



屹立した岸壁。「取り付く島がない」というより、「取り付く岸がない」。

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島6

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島7

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島8

夫婦世界旅行-妻編-軍艦島9


夫婦世界旅行-妻編-軍艦島10




夫婦世界旅行-妻編-軍艦島11

島の上部にポツンと突き出ているものは、神社(社)だったそうだ。

おぉ、多少緑も残っている。



夫婦世界旅行-妻編-波1

夫婦世界旅行-妻編-波2

夫婦世界旅行-妻編-波3

夫婦世界旅行-妻編-波4


以上、言葉を失い、ひたすら見入った軍艦島周遊クルーズでした。
       
                    つづく