2007年 枯れ紅葉の京都
40重森三玲(しげもりみれい)庭園美術館



(老母と姉と私との、京都1泊3人旅のつづきです)





東寺(トウジ)が思いの外楽しくて、あれこれ見ていたら、時間があっという間に過ぎ、えっ時計
重森三玲(シゲモリミレ)庭園美術館に予約していた時間(午後2時)に少し遅れてしまった。ショック!


タクシーの運転手さんさえ、その場所を知らない。はてなマーク
名前は聞いたことがあるらしいが、どこにあるのかはご存じない。((゚m゚;)
こちらも京都大学のすぐそばにあるらしいとしかわかっていないのだった。┐( ̄ヘ ̄)┌


いままでは個人の邸宅で公開されていなかったのだが、
つい最近公開されたらしい……OK
とても素敵な庭園らしい……アップ
という噂をお友達から聞きつけた姉のリクエストでやってきた重森三玲邸。家



それは京都大学のそばの、
吉田神社の“裏参門”(昔のセレブの人が、人込みを避けて落ち着いて上がれた山門らしい。by通りかかったおじさん談。)へ続く通りに存在していた。
ひらめき電球



塀の中へ入っていくと、さらに庭園を囲んだ塀があり、
開かれた門扉から枯山水らしき庭園が見える。キラキラ

ひっそりとしたその門をくぐろうとすると、次の時間まで待つように注意書きが置いてあった。メモえっ
庭園について説明する係りの人が、予約してある時間にきっちり始めているらしい。パンチ!

ぼんやりと遅れてはせ参じた我々は、さてどうしようかと困ったが、叫び
帰りの新幹線の時間もあることゆえ、
無理やり入り込んで様子を覗いてみた。オバケ


重森三玲庭園
(↑門扉の向こうの石畳に、入庭を制限する注意書きがぴらり)


数人の見学者が座敷にあがり、静かに係りの人の説明に耳を傾けていた。
下手に声もかけられない雰囲気。∑(-x-;)

彼らの邪魔にならないように、庭の隅っこにコソコソッと入り込み、
座敷から漏れ聞こえてくる係員さんの説明に聞き耳を立てる。耳


サクテイ」「ゾウエン」、そんな言葉が聞こえてくる。

作庭」「造園」らしい。むっ

どうやら重森三玲(シゲモリミレイ)とは人の名で、彼は屈指の作庭家だったらしい。メガネ
名だたる庭園を手がけているが、
この邸宅を買い受けて、自分の自由な庭を造ってみたらしい。ラブラブ
枯山水の常識を破った立体的な造り(?)がすごいらしい。アップ

……なんだか、どうやらそんなことを説明いただいたような気がする。(^^ゞ



注:詳しくはネットをご参照あれ。

重森三玲:1896(明治27年)~1975(昭和50年)
ウィキペディア:重森三玲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%A3%AE%E4%B8%89%E7%8E%B2
重森三玲庭園美術館:http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/association-jp.html
日本庭園的生活:
http://japagarden.exblog.jp/tags/%E9%87%8D%E6%A3%AE%E4%B8%89%E7%8E%B2/
重森三玲略歴:http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/mirei_bio.html



で、とんと要領の得ないまま訪れ、庭を見回している私としては、
わけがわからないままに、味わってみる。べーっだ!


さほど広くもない庭に大きな石が独特な味わいを醸し出している。
大地から突き出ているようでもあり、
庭を海と見れば、海から突き出した岩のようにも見える。


石の感じはよいね。ふむふむ……ってなもんである。得意げ
三玲……なんだか美しげな名前だが、なんで「ミレイ」なんて名前なんだろう?……ってなもんである。得意げ

注:「落ち穂拾い」「種まく人」で知られる画家、ミレーにあやかって付けた名前らしい。)


どんな顔した人なんだろう? ……ってなもんである。得意げ
説明する係り人も、こんなに厳粛な雰囲気を醸し出さなくてもよかろうに? ……ってなもんである。得意げ



かなり不謹慎な心持ちのまま、ぽよよ~んと庭に見入る。オバケ

で、とりあえず、手当たり次第に写真に撮ってみた。カメラ
下手な鉄砲数撃ちゃ当たるか? ……てなもんである。べーっだ!

重森三玲庭園2

重森三玲庭園3

重森三玲庭園4


重森三玲庭園5

重森三玲庭園6

重森三玲庭園7

重森三玲庭園8

重森三玲庭園9

重森三玲庭園10




う~ん。龍安寺の枯山水などと比べると、ずっと情熱的?にひひ
造形への意図が、挑戦的?にひひよぅ、わらかへん。にひひ




庭には二間が面していたが、奥の小さい方の部屋は見せてはもらえなかった。
そちらは特別な部屋のようだ。
セコッ! ガーンなどと思う不謹慎な私であった。にひひ



大きな座敷の方に上がるように言われ、見学者たちは部屋の両端に沿って2列に並べさせられた。
で、おもむろに説明が始まった。


座敷

部屋の奥が客人が座る間であるらしく、
天井から仕切りが出ているが、
なんと天井自体も違いがあった。えっ

天井の違い

右側の方が奥の客人の位置に当たる天井。
左側が普通の天井。

客人は寝るとき、布団に横になって、この天井に目をとめて、目
自分のスペースが特別なものであることを改めて知る……んだか何だか……。むっ
天井を豪華にすることで、客人への敬意を表している……んだか何だか……。むっ


ほんの2畳ほどのスペースなのに。
この天井の「贅」の具合が、とんとわからない私は
やはり、セコッ!ガーン ……と思うのであった。べーっだ!


書

縁

座敷から庭に面した縁。
一枚板でどーんとした縁であった。アップ
こんな一枚板を縁にもってくるなんて、贅沢だなぁ!Σ(・ω・ノ)ノ!
(縁側の板に「贅」を感じる私って、いったい……?ガーン



座敷を出て、今一度庭を眺め回す。サーチ



たくさんある庭石のうちのどれだかが、海に浮かんだ船を表している……と説明があったが、
どの石なのか、よくわからなかった。ヽ((◎д◎ ))ゝ




なに?

何?

これが船か?と思ったが、どうやら違うらしい。むっ

船ではないらしい

船でないとしたら、こりゃ、何だろ?むっ
白い小砂利(?)に描かれたラインが波を表しているのだろうとは察せられる。波






気に入った!

結局、この庭の中で私が気に入ったのは、
庭の隅の方に植えられていたこの木だった。ラブラブ!
名前を聞いたが、もう忘れちゃった。
珍しい木であった。キラキラ


肝心な石庭はよく見ずに、
植木のことばかり尋ねる私にも
係りの人は丁寧に応じてくれた。虹


穏やかな笑顔で佇んでおられた係りの人の、
その目の奥に、キラキラ

見終わったら、とっとと行かんかい。爆弾
次の回があるんやさかい!爆弾
遅れて来よって、最後までのろのろしとってからにっ! 爆弾
けったいなやっちゃ!爆弾
猫に小判、豚に真珠や。爆弾
あんさんがこの庭園を見学するのは百年早いんじゃ!爆弾 
ぼけ!メラメラ


……ってな視線を感じ、すごすご庭園から退出。オバケ
外では母と姉が待ちくたびれていた。ブタネコ馬
みなさん、説明が終わったら、あっさりと引き上げていたのね。DASH!



重森三玲庭園外塀


塀の上の瓦。



外に出ると、やや茶味のある乳白色の壁が続いていて、キラキラ
実に静かな通り。天使


その奥へと行くとこんもりとした山があって、入り口に赤い鳥居が建っていた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ここら辺は吉田神社であるはずだが、
はっきり吉田神社とは書いてない。(><;)


ここは吉田神社なのか? と迷っていると、
通りがかったおじさんが、
ここは吉田神社の裏参道なのだと教えてくれた。チョキ




“表参道”の方は、庶民がわんさか押し寄せるから、
こちらは身分の高い人用にあるのだ。ベル

ここら辺は昔、身分の高い人の宿泊所がいっぱいあって、身分の高い人たちは早めに来て、宿泊して、
そして、この道から落ち着いて静かに参拝できたのだ。王冠2


……ってなことを教えてくれた。( ̄_ ̄ i)


とりあえず、
階段を上がっていってみる。アップ

吉田神社セレブ用裏参門


山の中腹で、所々道は枝分かれしていて、
あちこちにぽつぽつ神社があるのだが、
どれも吉田神社とは記されていない。(°Д°;≡°Д°;)


これ吉田神社?

こんなところも……

これ吉田神社?


こんなところも……

これ吉田神社?

こんなところも……

これこそ吉田神社?

こんなところも……(多分、これが吉田神社?)



わけがわからないまま、下りの道になり再びアスファルトの通りに出たら、ダウン
大きな赤い鳥居が建っていた。アップ

やっぱりこの山に吉田神社があったのだ! とわかったのだった。チョキ(デモ、ドレガ?)



あれこれ神社があったので、私は煙に撒かれた気持ちのまま、帰途に着いたのだった。
ショック!



注:
後日ネットで調べたら、吉田神社は「京の都を鎮護する神として貞観元年(859)創建された」歴史のある神社であったよ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

“見るもの”が見ないと、宝の持ち腐れだぁね。ここも猫が小判の見学をしたようなものだった。ヽ(;´ω`)ノ


参照:
吉田神社:http://www.geocities.jp/kyoto_yosidajinjya/top.htm
吉田神社:http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/urochoro-yoshida-jinjya.htm



さて、1泊だけの紅葉に遅れた晩秋の京都の旅、やっと終わる。メモ
新幹線に乗り込むべく駅に向うと、
京都駅で、またびっくり!Σ(~∀~||;)
駅舎がなんとも近代的!
「駅舎」という言葉自体がもうそぐわない感じ。キラキラ


平安時代だ、飛鳥時代だなんていう古い時空を旅してきた2日間が、いきなり吹っ飛ぶ駅であった。DASH!

これもまた、下手な鉄砲方式で、写真を取りまくった。カメラ



京都駅

京都駅2

京都駅3

京都駅4

京都駅5









最後は、闇雲にシャッターを押し捲るばかりだったが、
ただ悪戯にシャッターを押しても、やはり駄目なのである。パンチ!

デジカメになって、惜しげもなく、好きなだけシャッターを押せるようにはなったが、チョキ

少しでも、“ 自分が捉えた情景を写し取りたい!”と願掛けてシャッターを押さなければ駄目だ! 



と強く確信した旅でもあった。 恋の矢叫び


                おしまい

           (39へ)



たった1泊2日の旅行に40章も使ってしまった>.<
今年の目標、日記を短くまとめる!の達成は遠い……。
読んでくださった方々、晩秋の長~い1泊2日にお付き合いくださり、ありがとうございました。クラッカーm(u_u)m



今回の1泊2日の京都旅行の訪問地

1日目:
仁和寺-龍安寺-広隆寺-渡月橋-天龍寺-(野宮神社・常寂光院・二尊院スルー)-祇王寺-(念仏寺スルー)-大覚寺-渡月橋ライトアップ-竹林の道ライトアップ

2日目:
北野天満宮-上七軒-東寺-重森三玲庭園美術館-吉田神社


ハード!@@
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39東寺

2007年 枯れ紅葉の京都
39東寺(とうじ)




(老母と姉と私との、京都1泊3人旅のつづきです)




京都2日目の午前中、北野天満宮上七軒を散策して、そそくさとホテルに戻り、チェックアウトをした。DASH!

午後の2時に「重森三玲(シゲモリミレイ)庭園」の見学を予約していた(姉の希望)ので、それまでの数時間が空いている。時計

かさばる手荷物を京都駅のコインロッカーに預けて、近場で見学できるところに行こうということになった。カバン



すると、
京都をしばしば訪れる姉も母も、
「新幹線からあの塔が見えると、ああ、京都に着いたな~♪ と思うのよねぇ~!」という塔がある、という話になった。ブタネコ馬


それはおそらく「東寺の五重の塔」だという。
新幹線からはいつもその塔を見ているのに、訪れたことは二人ともないと言う。えっ
京都駅のすぐそばにあるはずだ。
ならば、行ってみよう、東寺へ! ということになった。ヾ(@^(∞)^@)ノ


京都駅から歩いても行けそうだが、老母の足を思って、タクシーに乗る。車
距離が短かったためか無愛想な運転手さんは、少し走るとすぐに「東寺」の門の前で止まってくれた。


しかし、門の中はずっと駐車場のようになっていて、
ここは本当に東寺か? と戸惑う。ガーン

東寺山門

門の奥に寺が見当たらない!叫び


しばらく歩くと、やっと寺の境内らしくなった。あし


枝垂桜と庭師1

見事な枝垂桜の木が、一人の庭師によって手入れを受けていた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
次の春に備えて、こうして手をかけてもらっているわけだ。ラブラブ


枝垂桜と庭師2

ビル3~4階ほどの高さはあるのではなかろうか。アップ
たった一人で、補佐もなく、長い梯子1本で黙々と作業する庭師。
空を背に枝を見渡すその姿は、勇壮であった。キラキラ
かっこいいぞ!ラブラブ!
(心の中で拍手!クラッカー


庭の向こうに

庭の向こうに五重の塔が。キラキラ
これが、東京発のJR新幹線、進行方向左側の車窓から見えるわけだ。サーチ



五重の塔

辛うじて1本2本、鮮やかな紅葉を残している木々の向こうに、五重の塔は堂々たる姿で聳えていた。アップ


五重の塔アップ

間近に見ると、なお迫力がある。目

この塔の中には、なにやら「曼荼羅の世界」となっているらしいのだが、正月三が日だけしか公開されないらしく、内部の様子は一切わからなかった。しょぼん
ただただ外から古びた威容に見とれるのみ。(-^□^-)



境内は広々しているのだが、平たい敷地にぽつんぽつんと、どーん、どーん、どーんと堂が配置されていて、何をどこから見学してよいのか、ちょっと戸惑う。!(´Д`;)



金堂

金堂。(奥にみえるのはタブン講堂)

「金堂は東寺一山の本堂で延暦15年(796)創建」ですと。メモ
平安京遷都が延暦13年(794)だから、平安京がスタートしてすぐに東寺造営が始まったわけだ。(^o^;)


天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築」だが、「細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れて」いるらしい。メガネ


堂内では、薬師如来坐像、日光・月光の両脇侍菩薩像の三尊が見学できた。チョキ
桃山時代の大仏師、康正の作だという。
お堂はこれらの仏像を安置するための堂なのだね。ヽ(゚◇゚ )ノ





講堂の屋根
(↑講堂の重厚な屋根。)

金堂と並び建てられているお堂は、「講堂」で、
そこには数多くの仏像が舞台(?)に並んでいた。キラキラ

「堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密教浄土の世界)です」と。本


金堂も講堂も、火事や地震などに遭い、消失したり大破したりして再興されたものであるものの、中に安置されている仏像たちはどれもそうした災厄の波に洗われ、時を越え、今もその威容衰えるところがない。(。-人-。)



五重の塔の内部(見学できなかったけれど)といい、どうやらこのお寺、曼荼羅にとてもこだわっているようだ。サーチ

金堂、講堂、食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置され、塀で区別された境内は、「そのまま曼荼羅であり密教浄土」であるらしい。(・ω・)/

ほぉぉぉ?宝石紫 だ。 なにがどう曼荼羅状態なのか、私にはとんとわからないが。(^^ゞ



真っ赤な実

目も覚めるほどの真紅が目に飛び込んできた。えっ
千両でも、万両でもないね。
何かしら?はてなマーク


ピラカンサス

ピラカンサス」!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
まぁ、ハイカラなお名前!
由緒正しいお寺にハイカラな植物って、ちょっと違和感があるが、美しいのでよろしかろう。ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ



参照:「ピラカンサス」は、和名、常盤山櫨子(トキワサンザシ)だった。本






境内の木々

堂と同様、木々もぽつぽつぽつ、ドンドンドンとアップ
まばらに植えられているように見えた。目
(枝垂桜のある庭園部分を除く。)


こうした堂や植木のあり方が、朴訥且つ剛直な感じがして、グー
“はやる時代におもねない”というか、
どこかそんな「寺の自負」のようなものを感じた私であった。( ̄▽ ̄)=3


が、


売店には色々な寺社関係の本やらグッズやらが売られていて、∑(-x-;)
曼荼羅模様の下敷き、如来像(?)の描かれたクリアファイル……
などなど。クリップリボンがま口財布指輪


おみくじと来た日にゃ、


お守1

「足腰健康」、「闘病回復」、「対人良運」は、まだわかる。
しかし、
ささやかな幸せ守」、「なんかいいことある守」たぁ、なんだい?Σ(・ω・ノ)ノ!


お守2

「交通安全」、「病気平癒」、「無事成長」は、まだわかる。
しかし、
トラウマ封じ」たぁ、なんだい?ヽ((◎д◎ ))ゝ

おもねってる、おもねってる! 俗世におもねってる!(=◇=;)


しかし、まぁ、それこそが、衆生をすくう弘法大師の精神かもしれない。| 壁 |д・)



「大師は祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈りは妄想であるとの信念から、水なきところに池を掘り、橋なき所に橋をかけ、道なき所に道をつけ、食の乏しき者には食を得る方法を教え、病む者のために良医となられたのであります。」本

と、パンフに説明されていた。ベル


高邁な哲理を究め自己完結させるだけではなく、ラブラブ
現実の世界で、その教えを実践する。グー
現実に人々を救い続けたわけだ。アップ



時代に応じて、人々の苦悩は様変わりする。
生老病死(ショウロウビョウシ)は普遍的だとしても、それに加えて
「トラウマ封じ」も、「ささやかな幸せ」や「なんかいいことある」ことを願う気持ちも、
ある意味迷える衆生の真剣な願いといえるだろう。(。-人-。)


決まりきった言辞で飾られていればいいというものでもあるまい。
こうした俗気たっぷりの、俗世におもねるかに見えるお守にこそ、
人々の祈りの心に答えようという姿勢を感じるではないの。(=⌒▽⌒=)
よきかな、よきかな。にひひ


招き猫付きおみくじ

ってことで、
招き猫大好きな私は、
色々なポーズを揃えた招き猫付きおみくじを引いて、ラブラブ!
ひそやかな幸せを祈ったのであった。(^人^)




後記:

JR京都駅の南西にあるのに、「寺」とはこれいかに?

と、初めは不思議に思ったが、
考えたら、平安の昔はJR京都駅なんて存在していなかった。(●´ω`●)ゞ


平安京の正面の門(羅城門=羅生門)の左右に「東寺(トウジ)」「西寺(サイジ)」を建てたらしい。本


地図で見たら、東寺の南側の大通り(九条大路)をワンブロック西に行くと、「羅城門跡」がある。サーチ
芥川龍之介の小説では「羅生門」とされている門だ。平安の都の正面玄関だったところらしい。
そこを基点にして東側に建てられたから「東寺」なわけだ。(`・ω・´)ゞ

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38上七軒

2007年 枯れ紅葉の京都
38上七軒(かみしちけん)




(老母と姉と私との、京都1泊3人旅のつづきです)




北野天満宮東門から出たところに、
上七軒」という路地があった。サーチ


現代風の家々の合間合間に、二階部分は簾を下げ、一階は細い黒格子で、軒先には直径30cmほどにきれいに真ん丸く切り整えられた杉玉のようなものをぶら下げている店が数件。ベル


これが昔の水茶屋だったらしい。お茶
平たく言えば遊郭(?)だったらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
水茶屋が7軒あったから「上七軒」というらしい。



上七軒

軒先に吊るされた玉はどれも、赤く塗りつぶされた丸が3つほど横に並んでいる。宝石赤宝石赤宝石赤


水茶屋のサインにしては、なんとなくピンと来ない。むっ
それにしても、お寺のすぐそばに遊郭なんてあったのかなぁ?(=◇=;)
時間が午前中ということもあり、晴れ

どこにも「花街」らしい様子は見受けられない。(・_・ 三・_・)
白粉の匂いも、酒の匂いも、ない。
掃き清められた路地があるばかりだ。キラキラ


とにかくこの玉を提げた建物が水茶屋だったんだろうな?サーチ
これがこの路地に全部で7軒あるわけだね?メガネ
と、きょろきょろ、ぷらぷら歩いていると、(・_・ 三・_・)

向こうからやってきたオッサンがいきなり声を掛けてきて、ペンギン
勝手に観光案内のようなことを始めた。むっ


こちとら、そんな案内は求めていなかったので、
さりげなくやりすごして行こうとすると、将棋


オッサン、後をつけてくる!えっオバケ


おい、オッサン、あんた、あっちへ行くところじゃなかったのかいっ!パンチ!



と言いたかったが、
オッサンはさほど悪い人にも見えず、アップ
しかし、見ようによってはちょっと変態っぽくもあり、ダウン


ううう、どうしようかな……と思っていたところに
喫茶店を兼ねたおいしそうなケーキ屋さんがあったので、ケーキ
そそくさと逃げ込んだ。DASH!


オッサンは去っていった。ペンギン
よきかな、よきかな。べーっだ!





上七軒にある、そこだけ洋風なちいさなケーキ屋さんは
予想通り、美味しかった! ラブラブ!


和三盆を使ったクッキーなども焼いており、
それらもなかなか美味しかったが、
生のケーキの方がより美味しかった。ニコニコ

一服してオッサンをやりすごし、
その後はバスに乗って早々にホテルへと帰ったのであった。バスDASH!




上七軒の由緒

立て看板の説明によると……


今出川通七本松西入北野天満宮東門に至る両側で、真盛町、社家長屋町、鳥居前町の地域、
京都府下遊郭由緒」の伝えるところによると、

往古より七軒茶屋と相唱、足利氏武勝の頃、北野天満宮再建の残木を以って七軒の水茶屋を神社東門前に建てたことから上七軒の名称が起ったという、

其後、豊太閤秀吉、北野大茶会の折、上七軒から差し出された土地の名産、御手洗団子を賞誉有之、山城一円の茶屋株を与えられた。これにより上七軒の御茶屋では御手洗団子を「定紋」とし、毎年、秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣しがあった。

四月上旬「北野おどり」十月には「寿会」が芸妓衆によって開催される。京都最古、第一の遊里である。メモ




ですと。∑(-x-;)


何の模様かと思ったが、3つほど横に連ねられた赤い丸は、みたらし団子の模様だったんだ!Σ(・ω・ノ)ノ!

しかし、みたらし団子がとは……。ちょっと意外!(=◇=;)

みたらし団子と遊郭……ぴったり来ないけどなぁぁ。。。。。。(+_+)

お茶会の席のお菓子としても、みたらし団子って、ちょっと意外。お団子

みたらし団子、香ばしいもちもち団子に甘辛いタレがとろ~りと……。確かに美味しいけど。ラブラブ!






後記:

水茶屋」とは、天満宮にお参りに来た人々が一服できる茶屋だが、奥の座敷で密会もできるようになっていたらしい。(・ω・)b

そもそも茶屋で働いていた「茶汲み女」が、舞妓さんの起こりらしい。Σ(・ω・;|||


「上七軒」は、「祗園(ギオン)」、「先斗町(ポントチョウ)」などと同様、京都にある「花街」のうちの一つということだ。(・ω・)b


参照:
五花街(ゴカガイ)
http://www.hanameishi.net/gokagai-1.htm


京都の五花街(ゴカガイ)
http://www.ne.jp/asahi/british/pub/asobi/zatubun/hanamati.html


江戸時代の食風景
http://www.kamaboko.com/gotoshi/58/58-5.htm


日本の風景記憶
http://www.ndl.go.jp/site_nippon/japan/marking/topic/C32_h2.html

              
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37干し梅

2007年 枯れ紅葉の京都
37干し梅




(老母と姉と私との、京都1泊3人旅のつづきです)





北の天満宮にて




北野天満宮のお守りやらお札やらを販売(?おそらく「販売」とは言わないね。「授受」だろうか?)している所では、とくに面白げなものもなさそうであった。ダウン
遠目にやり過ごし、つらつらと境内を眺めていたら、得意げ


姉が腕をツンツン。さそり座


ねぇねぇ。あの白い袋は何かしら? 馬
みんなあれを買っていくのよ?馬



見ると、
確かに後から後から、皆さん、白い袋を頂いている。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
皆さんそろって、2~3袋を腕一杯に抱え込んでいる。
お土産にするのだろうか。
お守よりもお札よりも、あの白い袋がここでは一番の売れ行きを上げているようだ。お金
北野天満宮と言ったら、あの白い袋なのだろうか?恋の矢



好奇心をくすぐられ、売り場(?)まで行って見ると、あし
それは干からびた梅だった。∑(-x-;)
サンプルが置いてあって、塩を吹いたような干からびた梅が6つで一袋となっていた。手紙


聞くと、
それは北野天満宮の梅の木から採れた梅を干したものだという。Σ(・ω・ノ)ノ!
お湯に入れていただくらしい。お茶



菅原道真が祀られている北野天満宮の梅ともなれば、
なにやら霊験あらたかな梅かもしれぬ? キラキラ




飛び梅」は聞いたことがあるけれど、
干し梅」は・・・・・・。(=◇=;)



飛び梅」は、菅原道真が愛した庭の梅が、彼を慕って太宰府まで飛んでいったという伝説。ドキドキ



干し梅」は……。


梅が、慈しんでくれた道真を恋し恋しと焦がれ果て、干からびてしまったという伝説。しょっぱいのは涙の味さ。……ッテカ?にひひ


あるいは、

梅が道真を慕い、「濡れ衣が晴れてほし~、帰ってきてほし~」と嘆いている間に「ほし~梅→干し梅」となったという伝説。……ッテカ?にひひ


くだらないことを考えているうちに、アップ
「ほしうめ」
なんとなく愉快になって、
一つ買ってみた。チョキ



すると、その一袋はやや大きめの祝言袋ほどの大きさ。えっ
こんなに小さいの?
サンプルのまんまの量しかないわけ?Σ(~∀~||;)


ってことは、大きな白い紙袋を何袋も抱えていた皆さんは、
いったい何十袋、お買い求めになったのかしら??むっ



姉が待っているところへ戻り、皆さんがこぞって買っていた白い袋の正体を話し、
私が買った小さな白い包みを見せると、


「あぁ、梅。ふぅ~ん馬

な~んだ。わかったから、もういいわ。とばかりに、
その場でもう興味を失ったご様子。ダウン
「じゃ、そろそろ帰ろうか。馬


ええっ?
あんたは買わんのかいっ!Σ(~∀~||;)(斥候にされた妹の心の叫び)




後記:

今年(2008年)の正月に開けて、頂いてみた。お茶
まさに干し梅であった。べーっだ!

北野天満宮の干し梅


白湯に干し梅

お湯を注いだら、干からびた梅がぷぁぷぁ浮いた。アップ
ほんのりと梅風味?の塩味がついた熱い白湯がおいしゅうございました。(*^o^*)



でも、この干し梅、1つ約83円?
高いのか安いのか……微妙。オバケ

でも、気持ちの問題かな。
これを頂いて新年を迎えたら、清清しい! アップキラキラ
……という気もした。チョキ








参照:検索したら、きれいに写真が載せられているサイトが色々あった。


皇服茶(オウブクチャ)をいただく
http://blogs.yahoo.co.jp/kyo_bura/26814557.html

ぴゆっき
http://blogs.dion.ne.jp/piyu_kyu/archives/6595314.html


(36へ)  つづく (38へ)

   
2007年 枯れ紅葉の京都
36他の神社とチト違う




(老母と姉と私との、京都1泊3人旅のつづきです)






北野天満宮にて……




お参りを済ませ、境内をウロウロしていると、絵馬所(?)らしき所があり、サーチ
和歌とそれを詠んだらしい人物画が額に飾られていた。ベル
もしかしたら、36歌仙かな?(^o^;)

36歌仙?


木板に直接描かれた絵もたくさん飾られていた。宝石紫
風雨に晒されて色褪せているが、馬が描かれた絵が多い。馬
ひょっとして、「絵馬」なのかも?えっ
だとしたら、巨大な絵馬だ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
1m四方ほどの絵馬もある。アップ
とくに何か個人的な願い事が書かれているようにも見えないが。サーチ

巨大絵馬?


額に入れられた絵も、ぼろぼろになったまま、たくさん天井の辺りにずらりと飾られている。( ̄□ ̄;)

ぼろぼろば絵


どうやら、人々が絵やら絵馬やら歌やらを奉納することが多いのだろうか。合格



さらに隅の方へ歩いていくと、あし
御神木らしき木を発見。ひらめき電球

ご神木

確かに木は年輪を感じさせる。ラブラブ!

しかし、胴体をきつく縄で縛られていて、痛々しい。ガーン
どれほど大きいのかと見上げると……アップ目


あらまっ! なんだこりゃ?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

天辺にお屋根を乗せている?家
それも随分安普請な。(=◇=;)

木が帽子を被っているみたいだ。帽子
縛られ地蔵か?って感じだ。ドリル

なんだかふざけた恰好にさせられたこの木、
ご神木ではないのか?はてなマーク
この木は既に死んでいる?叫び

大杉社(ご神木)



立て札の説明を読む。メガネ



大杉社

当宮随一のご神木である。

室町時代に作成された『社頭古絵図(シャトウコエズ)』には、すでに樹齢数百年らしき二又の杉の巨木が描かれており、これより推定しても一千年以上の時を経たものと思われる。神仏習合(シンブツシュウゴウ)時代の室町期には、「聖歓喜天(ジョウカンギテン)」の宿る諸願成就の神木として一層の信仰を集めた。キラキラ

のち落雷によって惜しくも二又の幹はくじけ、根幹を残すのみになったが、その威容は多くの崇敬者によって守り継がれ、いささかも衰えることがない。
メモ


とな。(=◇=;)


やはり、ご神木だ。チョキ
幹がくじける」なんていう表現があるんだね。得意げ


この杉の木を仰ぎ、祈れば、願い事が叶ったのかいな。(=◇=;)
ありがたいご神木なり。(。-人-。)キラキラ


「大杉社」って…………!ひらめき電球

ああ! くじけてしまった幹の天辺に屋根を乗せて、この木そのものを「社」に仕立てたということか!えっ

神木そのものが、“おやしろ”か!о(ж>▽<)y ☆

こりゃ珍しい!(-^□^-)
(…………でも、美しくない。ガーン

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