2006年の夏、カンボジア(シェムリアップ)を旅したときの日記が頓挫していて、
もぉアップする気力も失せたのだけど、!(´Д`;)
これだけは書き付けておきたい……と思い続けていたことが、2つある。
“トンレサップの一寸法師”と、“アキラ”(+キリングフィールド)のこと。(。-人-。)
なので、唐突ではあるが、いきなりカンボジア旅行、継ぎ接ぎ状態でアップしちゃおう。
で、あれこれ古いメモなど探していたら、面白いなぁと思うメモがあったので、やっぱりあれこれアップしちゃおうと思う。f^_^;
順番はもう何がなんだかわからないけど。
(ちなみに、2006年カンボジア旅行記は、サイドバーの「テーマ」欄中、「カンボジア旅行記①~⑫」にあります。)
カンボジア(シェムリアップ)旅行記⑬遺跡から見る火葬事情
寺周りツアーの途中、どこの寺だったか、
不思議な四角形と、空気穴のようなものがたくさんあいた不思議な建物があった。
直感的に、それは棺と火葬場ではないかと思われた。
ガイドさんに尋ねたら、やはりそうだ!
棺だったという石を積み上げた四角形。
↓
死者の親戚が集まるまで、ここに死体を置いておいたらしい。∑(-x-;)
“偉い人”はすぐに火葬せず、「注射(防腐剤)」をして5年間棺に取っておいたという。Σ(~∀~||;)
5年も死体が腐らない防腐剤って、何だろう?(ちょっと欲しい。)
棺と向かい合うように建っていたのが火葬場。
↓
正面は西向き。
当時の人びとは西を向いて死ぬものだったらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
私のメモには、この直後、
「太陽を向いていたい」と記されているのだが、
それが、火葬場が西向きなこととどう関係あるのか書いてないので、
書いた本人でさえ意味不明。爆
タブン、西向きに死ぬことが「太陽を向いて死にたい」ということを意味していたという説明を受けたものか……と思われる。
アンコールワットも西向きに建てられているという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
日本では「西方浄土」という意識があるが、
カンボジアにとっても、同じ西方浄土意識があったのかしら?
(「カンボジア旅行記⑤」では、ガイドさんから、“シェムリアップの寺は、殆どが東向き”という説明を受けている。)
かなり破壊されている。
「壊れているねぇ」と言うと、
ガイドさんは鎮めていた怒りを思い出したように、言った。
「アユタヤ戦争で壊れたんです。」
さらに思いつめたように、底力のある声で続ける。
「タイ人が壊していったよ……。みんな、みんな壊していったよ……。」
この建物の中で薪をくべて火葬したらしい。
焼くときは薪(マキ)(もしくは墨)を使ったという。
香木を使ったのでは?と思ったが、「香木ではない」という。
かつての死者の肉体は、この建物の中で焼かれ、
その煙は、建物の細く並んだ窓のような穴からもくもくと噴出したことであろう。
焼き終わったら、
冷めた骨を手で拾ったのだという。Σ(~∀~||;)
カンボジア人は、日本人のように遺骨を箸で拾うのを嫌うのだそうだ。
裸で生まれてきた人間、最期も裸。
その尊い最期の姿は手で触れねば! ということのようだ。(=◇=;)
骨をお盆に並べてから、骨壷に入れる際、
プスー(?)の水で3回、
そして、ココナッツジュース(=聖水)で4~5回骨を洗い、
遺族はその骨を洗ったジュースを皆で飲むのだそうだ。Σ(~∀~||;)
ゲゲゲ~?と私などは吐きそうになるが、
骨を洗ったココナッツジュースは、遺族にとってはありがたい「薬」なのだそうだ。(。-人-。)
――遺骨を洗う、その洗った聖水を飲む…………どんな意味があるのだろう?( ̄_ ̄ i)
そして、
100日法事(?)の時に、寺に骨壷を持っていって、墓を作ってもらうのだという。
しかし、乾季には墓に入れない。
雨季だけに入れると言う。
商売繁盛のゲンを担いでのことらしい。
雨季を待って、
骨壷の中にメコン(トンレサップ湖)の水を入れてから、(普通の川の水は使わない!)
墓に埋めるのだそうだ。(=◇=;)
記憶を辿りながら、
自分の字でありながら判読しがたいメモを読んでいたら、
“墓”の話の直後、
どんな話の展開があったものか、
いきなり“森”の話に飛んでいて、
「ボンチットさん(ガイドさんの名前。タブン)、吼える」として、
彼の言葉がメモしてあった。
「ジャングル、50年前、いっぱいあったよ。
いっぱいあったのを、切った!
切った悪い人、まだ、いるよっ! 生きているっっ!!
(そうだ、この時、ボンチットさんは、沸々とこみ上げてくる怒りを必死で抑えながらという感じで、熱く語り出したんだった。
そして、すぐに我に返ったかのように、押えた声で続けた。)
「嵐来たら大変。お天気、変わりました。
50年前とはお天気違うね。動物、いなくなって。
戦争時代に。
今は平和になって(動物達も)大分もどったね。」
カンボジアを愛するガイド、ボンティットさん。
そうだ。熱いガイドさんだったなぁ。( ´艸`)
今もお元気でガイドしているのかしら。
つづく
もぉアップする気力も失せたのだけど、!(´Д`;)
これだけは書き付けておきたい……と思い続けていたことが、2つある。
“トンレサップの一寸法師”と、“アキラ”(+キリングフィールド)のこと。(。-人-。)
なので、唐突ではあるが、いきなりカンボジア旅行、継ぎ接ぎ状態でアップしちゃおう。
で、あれこれ古いメモなど探していたら、面白いなぁと思うメモがあったので、やっぱりあれこれアップしちゃおうと思う。f^_^;
順番はもう何がなんだかわからないけど。
(ちなみに、2006年カンボジア旅行記は、サイドバーの「テーマ」欄中、「カンボジア旅行記①~⑫」にあります。)
カンボジア(シェムリアップ)旅行記⑬遺跡から見る火葬事情
寺周りツアーの途中、どこの寺だったか、
不思議な四角形と、空気穴のようなものがたくさんあいた不思議な建物があった。
直感的に、それは棺と火葬場ではないかと思われた。
ガイドさんに尋ねたら、やはりそうだ!
棺だったという石を積み上げた四角形。
↓
死者の親戚が集まるまで、ここに死体を置いておいたらしい。∑(-x-;)
“偉い人”はすぐに火葬せず、「注射(防腐剤)」をして5年間棺に取っておいたという。Σ(~∀~||;)
5年も死体が腐らない防腐剤って、何だろう?(ちょっと欲しい。)
棺と向かい合うように建っていたのが火葬場。
↓
正面は西向き。
当時の人びとは西を向いて死ぬものだったらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
私のメモには、この直後、
「太陽を向いていたい」と記されているのだが、
それが、火葬場が西向きなこととどう関係あるのか書いてないので、
書いた本人でさえ意味不明。爆
タブン、西向きに死ぬことが「太陽を向いて死にたい」ということを意味していたという説明を受けたものか……と思われる。
アンコールワットも西向きに建てられているという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
日本では「西方浄土」という意識があるが、
カンボジアにとっても、同じ西方浄土意識があったのかしら?
(「カンボジア旅行記⑤」では、ガイドさんから、“シェムリアップの寺は、殆どが東向き”という説明を受けている。)
かなり破壊されている。
「壊れているねぇ」と言うと、
ガイドさんは鎮めていた怒りを思い出したように、言った。
「アユタヤ戦争で壊れたんです。」
さらに思いつめたように、底力のある声で続ける。
「タイ人が壊していったよ……。みんな、みんな壊していったよ……。」
この建物の中で薪をくべて火葬したらしい。
焼くときは薪(マキ)(もしくは墨)を使ったという。
香木を使ったのでは?と思ったが、「香木ではない」という。
かつての死者の肉体は、この建物の中で焼かれ、
その煙は、建物の細く並んだ窓のような穴からもくもくと噴出したことであろう。
焼き終わったら、
冷めた骨を手で拾ったのだという。Σ(~∀~||;)
カンボジア人は、日本人のように遺骨を箸で拾うのを嫌うのだそうだ。
裸で生まれてきた人間、最期も裸。
その尊い最期の姿は手で触れねば! ということのようだ。(=◇=;)
骨をお盆に並べてから、骨壷に入れる際、
プスー(?)の水で3回、
そして、ココナッツジュース(=聖水)で4~5回骨を洗い、
遺族はその骨を洗ったジュースを皆で飲むのだそうだ。Σ(~∀~||;)
ゲゲゲ~?と私などは吐きそうになるが、
骨を洗ったココナッツジュースは、遺族にとってはありがたい「薬」なのだそうだ。(。-人-。)
――遺骨を洗う、その洗った聖水を飲む…………どんな意味があるのだろう?( ̄_ ̄ i)
そして、
100日法事(?)の時に、寺に骨壷を持っていって、墓を作ってもらうのだという。
しかし、乾季には墓に入れない。
雨季だけに入れると言う。
商売繁盛のゲンを担いでのことらしい。
雨季を待って、
骨壷の中にメコン(トンレサップ湖)の水を入れてから、(普通の川の水は使わない!)
墓に埋めるのだそうだ。(=◇=;)
記憶を辿りながら、
自分の字でありながら判読しがたいメモを読んでいたら、
“墓”の話の直後、
どんな話の展開があったものか、
いきなり“森”の話に飛んでいて、
「ボンチットさん(ガイドさんの名前。タブン)、吼える」として、
彼の言葉がメモしてあった。
「ジャングル、50年前、いっぱいあったよ。
いっぱいあったのを、切った!
切った悪い人、まだ、いるよっ! 生きているっっ!!
(そうだ、この時、ボンチットさんは、沸々とこみ上げてくる怒りを必死で抑えながらという感じで、熱く語り出したんだった。
そして、すぐに我に返ったかのように、押えた声で続けた。)
「嵐来たら大変。お天気、変わりました。
50年前とはお天気違うね。動物、いなくなって。
戦争時代に。
今は平和になって(動物達も)大分もどったね。」
カンボジアを愛するガイド、ボンティットさん。
そうだ。熱いガイドさんだったなぁ。( ´艸`)
今もお元気でガイドしているのかしら。
つづく