( 天然記念物第1号)
彦根城天守閣目指して山道を登っていく。

やや開けた平地に出ると、小奇麗に植え込みなどあり、

そこに茂っていた草に看板あり。


「オオトックリイチゴ バラ科
この植物は明治27年、植物学者の牧野富太郎博士が彦根城に立ち寄った折に見出されました。そしてその8年後、当時彦根市在住の植物学者、平瀬作五郎が採取した標本が基準となり、新種として発表されました。
その後、この植物は御殿跡の整理で一度姿を消してしまいましたが、昭和51年に再発見され、現在もここ彦根城に生き続けています。
彦根市指定文化財 天然記念物第1号」

屋久島の縄文杉など植物が天然記念物になっているのは知っていたが、イチゴが天然記念物とは驚いた。Σ(・ω・ノ)ノ!
「オオトックリイチゴ」なんて、酒好きの私には是非お目にかかりたいイチゴちゃんである。

大きな徳利のような形をしたイチゴなのだろうか?

看板に載せられている写真がイチゴの実なのか花なのか、よくわからない。

柵の中に茂っているのは葉ばかりで、花も実もなかった。
で、調べてみたら、

オオトックリイチゴはバラ科キイチゴ属の1種。全国各地に自生するナワシロイチゴと中国や朝鮮半島が原産のトックリイチゴが自然交配したとされている。6月に開花し、7月に淡紅色の実をつける。
彦根城内で明治期に、日本植物学の父とされる牧野富太郎やイチョウの精子発見者の平瀬作五郎が発見。現在は彦根城博物館の北側と天秤櫓(てんびんやぐら)前の2カ所で見られ、市教委は「他の地域では聞かない彦根唯一の植物」としている。

http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1171041677/
と記しているサイトがあった。
つまり、看板の写真は多分キイチゴのようなオオトックリイチゴの紅色の実なのだ。
私が訪れた4月では、花も実もつけていないのも道理だ。(^o^;)
彦根城の山の中でしか咲かない、つまりここにしかない日本唯一の植物?
そりゃ、貴重である。

しかし、なぜここでしか咲かないのだろう?

この彦根城の山の土の何がそんなによいのだろうか?

植物学者はそこら辺のことは調べないのかしら?

ついでに看板の説明文で、植物学者牧野富太朗には「博士」をつけているのに、同じく植物学者である平瀬作五郎に「博士」がついてないのはなぜかしらん?
「イチョウの精子」まで「発見」してるなら偉いものなのに。

「博士」とは呼べない、つまり、平瀬作五郎さんは学位を取っていないのかな?

と、余計なことまで気になり、

調べてみた。(^^ゞ
ウィキペディア:平瀬作五郎:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%80%AC%E4%BD%9C%E4%BA%94%E9%83%8E
うううう。(涙)
(ノДT)「作五郎」……きっと小作人の5男坊だったんだね?(ノ_・。)(←名前から勝手に想像してるww^^;)
で、お利口だけど貧しくて、20そこそこでやっと図画教員となり、あちこち転々とし、運よく東京大学理科大学に助手として雇われ、植物学に目覚め、イチョウの精子を発見したんだ。

その後1年して彦根中学へ転出……。
その後研究を断念する不幸な時期……。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
なにがあったのだろう?

学歴もない貧乏青年が、とんでなくすばらしい発見をしてしまったから、虐めにでもあったのではあるまいか?

何かの陰謀で、折角雇われた東京大学助手の仕事を首にされたのではあるまいか?

しかし、彼の名が残っているのは、イチョウの精子を発見したとき、相談した恩師のお蔭でもあるのだ。

明治35年にオオトックリイチゴを採取したとき、彼は27歳くらい。
おそらく、東京大学の助手から彦根へ転出してきた後のことだろう。
芽生えた植物学への思いは立ち消えず、東京から遠く彦根へ転出されても、労働の暇を見つけては植物の研究を地道に続けていたのであろう。(_ _。)
あぁ、埋もれていたひたむきな人生をここに見つけた思いがする!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

(いや、単に私がものを知らな過ぎるだけだが……。
)その才能にもかかわらず、「博士」の称号を得られなかった経済的に貧しい男が、しかし、偉大な功績を残した。

学歴がないので表彰される「資格」がないとされる時代に、彼の恩師が、「平瀬が貰わないのなら自分も断る
」と言ったために、予定になかった平瀬の「恩賜賞」受賞が決まったという美談付き。
恩師(池野成一郎)も偉い。名もない助手が見つけてきたお手柄を自分のものにしちゃうことだってできただろうに、ちゃんと平瀬作五郎の発見としたわけだ。

そして、学歴がなくとも、彼こそ受賞する資格があることを世間に認めさせたわけだ。

ええ話や。(ノ◇≦。)
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