2001年夫婦世界旅行のつづきです。ラオスのフエ・サイからタイのチェン・コーンへとメコン川を渡って、国境を越えました。……ああ、タイです!



part75.微笑みの国、タイ入国!



 ラオス国境の街フエ・サイから、タイ国境の街チェン・コーンへと国境を越える。



 フエ・サイのメインストリートから脇(西側)に伸びている細い下り坂を降りていくと、メコン川岸にイミグレーションオフィスがある。小さいながら、ガラス張りのちょっと立派なオフィスである。ガラス越しにメコン川が見える。川を挟んで、向こう岸にはお隣の国、タイが見えている。いよいよ出国である。ラオスの出国税は一人5,000キップ(75円)かかると聞いていた。ヴェトナムからラオスに入国する際、ふてぶてしい係官から1USドル(125円)の賄賂を請求されたことを思い起こすと、今回も幾らか要求してくるのではないか、と少々構えていた。ところが、賄賂どころか出国税も請求されないまま、出国手続きが終わってしまった。この後、どうしたらよいのだろうか? とりあえず、そのまま船着場に降りていく。川岸には細長い古ぼけた木船が何曹も泊まっていた。船頭さんが乗り込んでいる船に近づいていくと、船頭さんは、「さ。乗れ。」と目で合図する。結局、出国税込みなのか、船代として船頭さんに一人5,000キップ払っただけだった。



 船は我々二人を乗せるとすぐに出発した。フエ・サイ‐チェン・コーン間のメコンの川幅はかなり狭い。泳ぎが苦手な私でも頑張れば泳いで渡れてしまいそうだ。ブルルルン、タンタンタンタン……木船のか細いエンジンがかかったかと思ったら、ほんの2~3分の航行で、対岸のタイに着いてしまった。川岸から草を踏み踏み土手を上がると、小さな小さな掘っ立て小屋がある。人が2、3人も入ったら狭くて身動きできそうもない、俄か作りのチケット売り場のようなその煤ぼけた小屋が、なんとタイのイミグレーションオフィスであった。早速入国カードを記入して、申し訳程度に空けられた穴のような窓口に、パスポートと共に提出。係官と言うよりは、おじさんと呼ぶのがぴったりの、人のよさそうな暇そうな男が、わざとらしく忙しげにカードを受け取り、パスポートにスタンプを押してくれた。これであっけなくタイに入国だ。これでいいのか? もう、いいのか? ろくにチェックされなかったパスポートを仕舞って、イミグレーションのおじさんに別れを告げ、道なりに歩いていくと、そこはすでにチェン・コーンのメインストリートなのであった。



 チェン・コーンはタイ‐ラオス国境の最北端の街である。チェン・コーンの街も、フエ・サイ同様、メコン川に沿ってメインストリートが伸びていた。照りつける陽射しに向かって左手にメコン川、右手に緑に覆われた小高い山々を控えた柔らかな風景の中で、「これ一本だけっ!」と断言せずにはおれない潔さで、アスファルト舗装の道路が一本、街を貫いている。その道路の両脇に、3、4階建てビルが立ち並んでいる。行き交う人もまばら。10分もあればすべて歩き終わってしまうような小さな街だ。ちらりと見渡して、フエ・サイと変わりないので、そのまますぐにバスに乗って、さっさとタイを南下しようと思ったのだが、なんと、「普通」のバスは、昼過ぎると「なくなる」であった。例えば、すぐ南の街、チェン・セーンまで行くのに、朝7時のバスなら35バーツ(約97円)なのに、それより遅いバスだと、50バーツ(約140円)に上がり、今日のように午後2時も過ぎた頃になると、なんと一気に400バーツ(約1,100円)に跳ね上がる。法外だ。もはやバスとは言えまい? ミニバスやツクツクで移動するという手もあるにはあるが、さらに異常な高値なのだという。もうバスより高いツクツクなど、値段を確認する気にもならない。一泊した方が安くつくではないか。チェン・コーンで一泊して、翌早朝の安いバスに乗り込むことに決定。早速メインストリートをプラプラ、宿を探しつつ、散策することにした。(実際には重いバックパックを背負っているので、「プラプラ」と言うよりは、「よたよた」に近いのだが。)



 ラオスとタイ。メコンを挟んで川岸の街を見比べると、どちらも同じような田舎町だ。しかし、実際チェン・コーンのメインストリートを歩いてみると、随分と違うことがわかった。



 チェン・コーンの方が商店の品揃えが断然よい。第一清潔だ。商品がどれも埃をかぶっていない。きれいなのだ。錆びた缶ジュースなんて、店先の冷蔵庫に一本も並んでいない。ぴかぴかの缶ジュースが美味そうに冷えているばかりだ。食堂やカフェも掃除が行き届いている。パンやドーナッツの並んだショーケースの中には、蝿一匹飛んでいない! 蜘蛛一匹這っていない! 第一、ショーケースのガラスがきれいに磨かれている! 泥も手垢も髪の毛もついていないぞっ。中に並んでいる商品がはっきりと見えるじゃないかっ。感動だ! 店の人の対応も実に誠意を感じさせる! 雑貨屋のオバチャンは、通りがかった我々に、何やら買っていけ、と笑顔で声をかけてきた。おお、ここに物を売ろうという意欲ある商人がいるぞ。感動に継ぐ感動だ!



 興奮してきた我々は俄かに喉が渇き、通りがかったカフェで一休みしてみることにした。テーブルが2つしかない小さなカフェだ。店は通りに面して大きく開け放たれ、狭いながらも開放感がある。ううむ。柱が清潔だ。天井もきれいだ。床もちゃんと掃いているんだね。いい感じだ。「ハロー」と入っていくと、店のオバチャンは、にっこり笑顔で、「ハロー」と返してくれた。おおっ。返事が返ってきたぞ。しかも笑顔付だ。うううっ。感動だ! 人から笑顔を返されたのは何日ぶりだ? 椅子にはジュースの染みなどない。ただの木の椅子が、清潔ゆえにこれほど座り心地がよいとは! テーブルの上にだって蟻一匹這っていない。一匹もだ! きちんと拭き清められていて、気持ちよいね。安心して頬杖がつけるよ。本だって置けちゃう。出てきたコーヒーも、……美味いっっっ! コーヒーの中に蟻が浮いていることもない! コーヒーカップに蜘蛛の糸が張り付いて、その蜘蛛の糸の先にゴミがぷらぷら揺れていることもないっ。ああっ。ゴミも虫も浮いていないコーヒー! 一際(ひときわ)美味いっ! 美味そうにコーヒーを飲み下す我々をオバチャンは嬉しそうに眺めている。そんなひと時がまた嬉しい。思わずお代わりしてしまった。オバチャンはますます嬉しそうだ。私も嬉しい。ドーナツは食べないか? と聞いてきたが、押しつけがましくもなく、断っても嫌な顔一つしない。我々の今晩の宿について、お勧めのゲストハウスを教えてくれたりする。ひとえに旅人に対する暖かい眼差しを感じる。



 感じがよいのは、その店だけでなかった。通り掛かりの屋台のオバチャンなども、目が合えばどちらからともなく挨拶のやり取りが出来る。その挨拶も、実に人間的な自然な笑顔なのだ。心安く笑顔を交し合える幸せというものを、つくづく噛み締めてしまった。人は微笑を交し合えると、こんなにも幸せな心持ちになれるものだったのだ。……ああっ。微笑んで喜んでいる自分がまた嬉しい。ツクツクはさすがに少しうるさいが、うんざりするほどしつこくはない。こちらが笑顔で適当に断れば、残念そうに引き下がって行く。静かな田舎町とはこういう街を言うんだよねと、思い直す。笑顔の罷(まか)り通る国、タイ。すばらしい!! 怪(あや)しの泥人形の国、ネトネトどんどろ泥地獄ラオスから、人間の国、微笑みの天国に引き上げられたような気がする。ああっ。すばらしい。美しきかな、タイランド! 心ある人間の国!!



 ……少々感激し過ぎかもしれないが、ラオスを経巡ってごらんなさいって。タイに入った時の、微笑みの美しさにっ、人としてのマットーな、あったりまえの反応にっ、感激せずにはおれないからっ! 言葉は通じなくとも、心は通じるという確信が、それを感じられる嬉しさが、心の底から湧いてくるからっ!



 聞いた話によると、ラオスの物品はほとんどタイからの輸入に頼っているそうだ。だから、商品の品数も少ないし、品揃えも悪い。そのくせ値段ばかり高くなるということになるのだろう。おまけに仕入れに失敗して売れ残ったりしようものなら、返品も利かないのであろう。それで、どうしようもなく、そのまま延々と売れ残った物を売り続けるから、半ば風化したような汚い商品が店の棚に並んでいる、ということになるのかもしれない。売れないから儲からない。儲からないから新しい商品を買い足せない。代わり映えしない、売れ残りばかりが並ぶ店内。うんざりして、手入れをする気にもなれない。掃除する気にもなれない。掃除しないと、すぐに蟻がたかる。蜘蛛が巣をかける。蝿が舞う。埃が、泥が、溜まっていく。ますますやる気が失せる。……という悪循環が、あのラオスを作り出していたのだろうか。つまり、ラオスの貧しさがラオスの諸悪の根源なのか。あああ、考えるに恐ろしい「ラオス循環」。魔の「ラオスサークル」!



 タイのチェン・コーンだって、首都バンコクに比べれば、恐ろしく田舎であるが、ラオスに比べれば、物質の豊かさを如実に感じる。なんだか、人々がゆったりしている。ゆったりしているけれど、きちんとしている。メコン川はただ一つなのに、東の岸(ラオス)と西の岸(タイ)と、なんという違いだろうか。なぜ、タイは商品をラオスへ輸出できて、なぜラオスは商品を輸入するばかりなのか。木船で2、3分の狭い川一本隔てて、土壌がそれほど変わるというのか。……そうかもしれない。国家という土壌が、全く違うのだ。……。如何(いかん)ともしがたい国境は、確かにあるのだ。負けるな、ラオス! 頑張れ、ラオス! ……つい、ラオスを応援したくなったが、応援してもラオス人は反応してくれないかもしれない? ラオスを思うと、気分がねっとりとした泥に塗(まみ)れる私であった。(ラオス後遺症?)



 しかし、ラオスがタイにすべて劣っているというわけではなかった。不思議なことに宿のトイレに関しては、ラオスの方に軍配を上げざるを得ない。チェン・コーンにある宿のトイレはどこも、洋式便座は付いているものの、トイレのタンクはなく、いわゆる水洗トイレではないのであった。その代わり、バスルームに大きな水瓶と小さな水瓶が置いてあり、プラスティックの小さな手桶が浮いている。ヴェトナム同様の手桶式トイレだ。手桶式トイレはとてもしんどい。手桶で水瓶から水を掬って、便器の中に、そっと、流す。何度も何度も。トイレットペーパーがなかなか流れてくれないのだ。最後には、手桶で杓るのにうんざりして、便器めがけて、シャワーで水をシャラララーーーッと流しかけてみたりする。もう便器も何も水浸しだ。ところがシャワーの水圧はそれほど勢いよくないので、便器に向かってシャワーをかけ続けるより、やはり手桶の方が手っ取り早いか? と再び手桶を手にしてみたりする。片手にシャワーヘッド、片手に手桶。私は一体何をしておるの? とワケが分からなくなってくる頃、漸くトイレットペーパーも流れ去ってくれるのだが、もうその頃には、へとへとだ。つまり、手桶式トイレは私にとてつもない混乱と疲労をもたらすのである。



 なんとか水洗トイレはないものか。(ラオスにあったんだから、タイにないはずがない!)と、街中探して、唯一5、6階建ての大きなホテルらしいホテルを見つけたが、宿泊料金が高く、そのくせフロントでも英語は全く通じないし、トイレも水洗だか手桶式だか定かではなかった。仕方なく水洗式トイレは諦めて、結局手桶式トイレの、安いゲストハウスを選んだ。二人で120バーツ(約330円)なり。部屋の広さは4畳半あるかないか。ベッド一つで部屋が一杯になっていて、カバンを置くこともままならないほど狭い部屋だ。扇風機も付いていない。暑くて狭くて、手桶式!……これもまぁ、タイの田舎の醍醐味では、ある。宿のオバチャンは元気な人で、こちらが宿を幾つか比較して決めかねていると、元気一杯に「セイム! セイムッ! (皆同(おんな)じよぉ。迷うこたぁないわよ。うちの宿に決めなさいっ。」と押し切って行く。ちょっと押しが強過ぎるけれど、元気で気持ちがよい。宿のオバチャンの屈託のない笑顔が、すべてを私に受け入れさせていたのであった。



 宿はオバチャンとオジチャンの夫婦2人で営んでいるようであったが、主導権は断然オバチャンが握っていた。チェン・コーンでどこかに泊まりたいと思ったら、メインストリートを少々うろうろしてみれば、よい。まず何をするでもなく道に突っ立ってぼーっとしているオジチャンに出くわすだろう。オジチャンは、「おお、おお、旅の人っ。」て感じで、そっと笑いかけてくる。にっこりと微笑み返している間に、オジチャンはすっと通りから一段低くなっている我が家へと引っ込む。引っ込んだかと思うと、どこからどう現われ出てきたのか、このオバチャンが、「あんた達っ。ここっ。こっち来なさいよ。泊まれるわよっ。いーい宿なんだから、だーいじょうぶっ!セイム、セイムッ。」と逞しい腕をぶるぶる振り回して、オジチャンが姿をそっと消した家に誘ってくれることだろう。



 そして、宿の土間で、スイカジュースを頼んでみるといい。オバチャンが巨大なラグビーボールのようなスイカを、すぱーっと切って、ミキサーでガガガガガガッ。あっという間に真っ赤なスイカジュースを作ってくれる。黒い種も一緒に砕いてあるスイカジュースが、これまたミキサーの本体のような巨大なグラスになみなみと注がれて供される。繊細の「せ」の字も存在しないスイカジュース。しかし、これが目から鱗が落ちるほど、ほっぺたが落ちるほど、美味いのだ。絶品である。氷も入っていないのに、程よく喉のほてりを冷ましてくれる。極上に甘いのに、喉越しはさらりとしていて、爽快でさえある。口の中には、スイカの甘い香りだけが残る。とにかく美味いっ! スイカってどんな果物だったっけ? と今まで口にしたことのあるスイカが思い出せなくなるほどだ。夫はスイカジュース博士と呼びたくなるような、“スイカジュース大好き男”なのだが、彼のお眼鏡に適ったスイカジュースであったということも言い添えておこう。(タイのスイカは種が日本のスイカに比べて柔らかいようだ。だから、ジュースの中に砕けて入っていても、喉越しに大して影響はないのであった。種さえ美味しいタイのスイカジュース、なのであった。)



 明日はやや南下した所にある街、チェン・セーンに移動するつもりだった(チェン・セーンなんてこれまで聞いたこともない街だ。聞いたこともないような田舎町に行ってみるというのも自由旅行の醍醐味だ!)。 しかし、チェン・セーンもまだまだタイ北部である。手桶式トイレがチェン・セーンでもまだまだ幅を利かせていると考えるべきであろう。交通費も、「チェーン・セーン行き」は割高だ。……気に入らない。そこで、急遽目的地変更。チェーン・セーンをすっ飛ばして、チェン・ラーイまでぐぐっと南下してみることにしたのであった。



追記1: こんなタイの北のはずれの街で、意外にも日本人旅行者カップルに出くわした。日本人カップルは20代そこそこの、若くて爽やかなカップルだった。彼らは我々とは逆に、タイを北上してきて、チェン・コーンからタイを抜けて、フエ・サイからラオスに入るのだと言う。これからタイを南下する我々のために、我々がこれからおそらく訪れるであろうチェン・マイの詳しいシティマップを、「自分たちはもう要らないからあげますよ。」と炎天下、自分達の泊まっている宿まで取りに戻ってくれた。何かお礼に差し上げたかったが、ラオスに関する物と言ったら、靴やカバンの繊維に染み込んだラオスの赤土ぐらいなものだ。そこで、思いつく限りのラオスの情報を力の限り彼らに伝えたのだった。すっかりラオスに嫌気が差していた我々の「ラオス情報」は、彼らにラオスに対する偏見を与えてしまったかもしれない。警告というか、「ラオスの心構え」、「ラオス入門」? になっていてくれたら、幸いである。考えると、人に情報を与えるということは、「諸刃の刃」的危険があることよ。心せねばならぬ。



追記2: ラオスとタイの国境をなしているメコン川は、どこの国に属するのだろう? 川の真ん中で所有権がわかれるのかしら? 夕暮れていくメコン川で釣りをしていた男は、なに人だったんだろう? メコンの魚はどっちの国のものかしら? 人間、ひとたび線を引くと、何から何まで分けないと気がすまなくなるものだね……。

             つづく

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