阿蘇

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阿蘇



阿蘇というと、いつもまず頭に浮ぶのは、三好達治の詩。



「大阿蘇」

雨の中に馬がたつていゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしより濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる
蕭々と降つてゐる 山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濠々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしより雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集まつてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる



この詩を初めて読んだとき、
まだ行ったこともない阿蘇のこの風景の中に、自分も今まさに立って
馬達と一緒に雨に蕭々と濡れそぼっている気がした。

熊本の地震で家畜たちの被害もひどいようだが、
一刻も早い救助策が施されますように。(。-人-。)
阿蘇の馬達……今回の地震でどうしていることか。





「灰色の鷗――ある一つの運命について」   三好達治


彼らいづこより来しやを知らず
彼らまたいづこへ去るやを知らない
かの灰色の鷗らも
我らと異なる仲間ではない

いま五月の空はかくも青く
いま日まはりの花は高く垣根に咲きいでた

東してここに来る船あり
西して遠く去る船あり

いとけなき息子は沙上(さじょう)にはかなき城を築き
父はこなたの蜻蛉(かげろふ)に坐してものを思へり

漁撈の網はとほく干され
貨物列車は岬の鼻をめぐり走れり

ああ五月の空はかくも青く
はた海は空よりもさらに青くたたへたり

しかしてああ いぢらしきこれら生あるものの上に
かの海風(かいふう)は 鰯雲は高く来るかな……

しかしてああ げにわれらの運命も
かの高きより来るかな……

されば彼ら 日もすがらかしこに彼らの円を描き
されば彼ら 日もすがら彼らの謎を美しくせんとす

彼らいづこより来(こ)しやを知らず
彼らまたいづこへ去るやを知らない

かの灰色の鷗らも
我らと異なる仲間ではない





おまけに、もういっちょ

静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう
 
 (三好達治の「冬の日――慶州仏国寺畔にて」の一節を抜粋。)







頑張れ、熊本。頑張れ、九州。グー
頑張れ、東日本。グー

頑張れ、自分。(/ω\)汗


まるでオールを漕ぐように、
頑張れ、頑張れとひと漕ぎ、ひと漕ぎ。
毎日が喘ぎの連続だ。
いつ果てるともわからない道行きだ。
こんなに漕いでもボートは進まず。

これ以上、どう漕げというのかと途方に暮れたときは、
もう漕げないと思ったときは、
手を休めてボートにひっくり返って空を見よう。
ボートの腹を叩く水の音に耳を澄まそう。
そのうちまたオールを漕ぐ力が湧いてくるまで。
そして、にやりと笑ってみよう。
体がむくりと起き上がる。
そして、どれ、もうひと踏んばりと、オールを手にとればいいんだ。

喘いで、休んで、漕いで、休んで、途方に暮れて、
日は昇り、日は沈み、
地球はぐるりと回っている。




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牛の鈴音

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牛の鈴音


2008年、韓国のドキュメンタリー映画。フィルム

監督:イ・チュンニョル



最近ドキュメントづいている。
下手な虚構より、ドキュメントの方が安心して見ていられる。チョキ


レンタルビデオ屋さんで見つけて、なにげなく借りてきた「牛の鈴音」。


“韓国〇万人が涙した~”なんて宣伝文句がついていたから、
すぐもらい泣きしてしまう私の涙腺を鍛えるべく、グー
決して泣くまいぞ! と試しに見てみることにしたのだった。


じわ~っと来た。(果たせるかな、号泣はしなかった。チョキ


以下、いわゆる“ネタバレ”記事です。まだ見てない人はスルーしてね。('-^*)/






ひとことで言えば、
牛を使った昔ながらの農法を頑固に続ける老夫婦の日常を追ったドキュメント。



牛の寿命は15年くらいだそうだが、お爺さんたちが飼っている牛は
40歳。∑(゚Д゚)

もうよぼよぼでまっすぐ歩けないほどの老体だ。チンチラ カ・ステラ あぁぁ
筋肉も削ぎ落ちてお尻も痛々しく骨ばり、目もショボショボしている。汗
使役牛といっても、もう働けない体なのだ。NG

しかし、牛と同じ位、ボロボロの老体のお爺さんは、
牛と一緒に働き続ける。グー
お爺さんは片足が棒のように細く固く傾いでしまっていて、
上手く歩けない。
足がとても痛い。
それでも、雨の日も風の日も、毎日畑に出て、
文字通り、地を這うように農作業をする。


若い牛を一頭買い足しもしたが、身ごもっていて、
今しばらく仕事に使えなかった。
相変わらず、畑仕事は老牛と一緒だ。ラブラブ


お婆さんは文句ばかり。
牛のエサ遣りだって大変だ。あせる
売っている飼料をやればいいじゃないかと不満を言うと、(`ε´)
お爺さんは、
飼料は牛が太って子供を産まなくなるからダメだと言う。ドクロ


畑に農薬を撒いてくれと頼む。ヽ(`Д´)ノ
みんな撒いているのだ。その方がずっと楽だ。
しかし、お爺さんは、
農薬はダメだ、牛が草を食べられなくなる、と言う。ドクロ




牛のための草を採っては、背中に山と担いで、
悪い足ではなかなか立ち上がるのも困難なのだが、
たっぷり担いで、今にも崩れ折れそうになりながら、やっと立ち上がる。おじいちゃん


周りの農家が、みんなトラクターを使い、農薬を撒き、
売られている飼料で家畜を育てている中、
お爺さんは、老牛とともに畑にでて、這い蹲って農作業をし、
草を刈り、牛の面倒を見……を毎日繰り返す。


お爺さんは牛を使って農業をしているのだが、
牛のために働いているように見えてくる。

お爺さんが枯木の枝のように細くうまく動かない足を
泥土に取られながら、
1歩1歩畑を整えていく間、
老牛は畑の脇の叢で、見守るともなく横になっている。
お爺さんや薪などを乗せたリアカーを引いて帰る日暮れまでは
のんびりさせてもらうのだ。


この牛のお蔭で9人の子供を育て、学校にもあげられたのだ。
私たちが生きてこられたのは、この牛のお蔭だよと、
普段悪態と不平ばかりこぼしているお婆さんも
実は牛に感謝の念を忘れない。おばあちゃん


印象的なのは、
お爺さんが村人と談笑している最中、
この牛が死んだら、自分も生きていない、自分も後を追って死ぬよ!
と言った時。

お爺さんと村人たちの会話をまるで風の音でも聞くように、そばで横を向いていた老牛が、
ふとこちらを向いて、幸せそうな表情をするのだ。

「お爺さん……ドキドキ」言葉にならない思いに満たされながら、牛がお爺さんをじっと見ている

……そう思わせるシーンなのだ。



ドキュメンタリーといえども色々編集もされているだろう。
お爺さんと村人たちの会話のシーンと録音と、
牛がちょうど振り向いて、なんともいえない幸せそうな満ち足りた表情をするシーンとは
実際に同時に撮られたものではないかもしれない。

編集の際、牛の振り向いたシーンに、録音しておいたお爺さんの台詞を重ねたに過ぎないのかもしれない。あせる


そうだとしても、
日々の牛の表情、お爺さんの牛に対する言葉や行動の数々を見ていくと、
あぁ、お爺さんと老牛は、心が通じ合っているんだなと思える。ラブラブ
まさしく、お爺さんの言葉を聞いて、老牛が嬉しがっていると確信できてしまう。ラブラブ



お婆さんは不平不満で罵りの言葉ばかりが口をついて出るが、
考えてみれば、楽をしたい、という彼女の希望は、当然のことだ。パー
みんなそう思って、だからこそ、色々なものが便利に“進歩”してきたのだろう。



便利な道具(機械)があり、便利な物質(農薬・化学肥料その他)がある現代。
文明の利器を周りの人々同様利用して、効率的に、楽に働くことが可能であり、
そうすれば、もっと経済的に豊かになれる。お金


しかし、敢えてそれを拒否することは、闘いなのだ。パンチ!メラメラ


昔昔、それが当たり前だったことが今は前時代的な無駄な苦労であり、
経済的に金にならないということを続けることが、
ある意味、罪で愚かなことともなる現代にあって、
昔ながらの農法と、牛と共にある生活を静かに頑固に続けるということは、
闘いなのだ。パンチ!爆弾




自分がお婆さんだったら、不平を言わず、
“もっと楽な生活”を求めずにいられるだろうか?はてなマーク

年をとり、体もしんどくなってきているのに、
優しい言葉ひとつもかけてくれず、牛のことばかりを気にかけている夫に
自分の体のことさえ二の次にして畑仕事に出続けて、結局体を悪化させていく夫に、
愚痴ひとつ言わずにいられるだろうか?(ノ_・。)

一緒に同じ畑作業に従事できるだろうか?
忌々しいとさえ思える牛にエサなど与えられるだろうか?


お婆さんも結局、過酷な労働条件の下、あーだこーだ己の運命を罵りながら
お爺さんに寄り添い、ラブラブ
老牛に感謝し、面倒見続ける。ラブラブ
一見不平不満の権化のように受取られるかもしれないが、
彼女も古き伝統的生き方を貫く一戦士たるように見える(例えそれが不承不承だとしても)。




お爺さん(と心ならずもだが、お婆さん)は、なぜに昔ながらの農法に拘ったのだろう?
老牛とともに、生産効率の悪い農法を貫いたのだろう?

体が心配だから、経済的援助もするから、止めてくれと子供から言われても、
なぜ貫いたのだろう?


農作業の帰り道、
お爺さんと老牛が翳りを含んだ青い空の中に立ち木と共に浮かび上がるそのシルエットは
限りなく美しい。キラキラナゾの人

それは自然な、優しい美しいシルエットだ。キラキラ
誰でも、どの時代、どの国に生まれ育ったものでも、美しいと感じるに違いない。
我々は、そこに、まさしく「ひたむきに生きる」という姿を、
その姿の美しさを感じる。キラキラ
物語る風景を感じる。キラキラ


いいなぁと感じる。ドキドキ
その風景は、我々が便利さや経済効率とともに捨ててきたものなのに。爆弾


いいと思うなら、おまえもお爺さんやお婆さんや老牛と同じ生活ができるか? するか?
と問われれば、

いや、無理!あせる と言うだろう。
ちょっぴり憧れないではないが、ラブラブ!
現実に心身ともに耐え切れないだろう。ガーン
もはや、そうした時代を生きてこなかったから。

(万が一、自分も社会全体もそうせざるを得ない状態に陥ったら、否も応もなく、そうするしかないので、そうできるようには思うが。汗




なのに、どうしてお爺さんと老牛の姿は心を打つのだろう?はてなマーク


お爺さんも老牛も、生きていくという、もっとも単純な労働に正直に従っている。

楽をしよう、できるだけ金を儲けよう、などという企みの介在しない愚直なまでの、
互いを慈しみながら、ひたすらに生きるということのみに集約されているお爺さんの生きる姿に感動するんだ。

日進月歩の科学の時代に見え、日々人々が変わっていく現代にあって、
伝統を守って生きる、
古い生き方を淡々と貫くということは、
闘いなのだと感動する。
信念がなければできないことだと感動する。グー


私は泣きこそしなかったが、
ワンシーンワンシーンが、切なく愛おしく感じた。
素晴らしいドキュメント映画だと思う。(結局1週間のうちに3度も見てしまった。)



だが、
ネットでググっていたら、こんなサイトを見つけた。

「「牛の鈴音」から2年~~監督は脳腫瘍、制作者と訴訟中。家族は観光被害、心理的圧迫も。」

このドキュメントがヒットした後の、現実的悲劇。叫び



感動した人々がお爺さんのところに、観光バス10台連ねて押し寄せ、あせる
勝手に撮影したりしてお爺さんたちの私生活を脅かしたり、あせる
お爺さんの子供たちは「親不孝」だと見られ、
嫌がらせの言葉を投げかけられたりして今までの生活が保てなくなったり……。あせる


素晴らしいドキュメント映画が、人々に感動を与えたまではよいが、
その感動がなぜよい方向へと動かないだろう?(´□`。)



この映画を見て考えるべきことは、
お爺さんの家や畑を見たいとか、写真に撮ってネットにアップしたいとか
「子供が親不孝だ」という誤解のままに誹謗することではないはずだ。パンチ!



現代文明の進歩をそのままありがたかって受け入れ続けるべきか?
今まで培ってきた“慎ましい人間としてのあり方”を我々は今一度取り戻すべきか?
より深く考え行動することではないのか?

「エコな生活」とか、「スローライフ」とか、「自然と共生」とか、
お洒落モードでもてはやされてもいるが、
現実にエコな生活は、自然との闘いでもあり、不便な生活を耐えることでもあるだろう。
時として、不便ゆえの不幸も引き起こしかねない。
人間が自然に虐げられて生きる…という見方だってできるのだ。叫び


便利で一見“経済的”に見える楽な生活をどこまで捨てて、
どこまで以前の不便だけれど安全な自然を保てる生活へ戻れるのか、
なかなか明確にイメージはできないけれども、
それでも、
もう戻らねばならないだろうと私は思う。
ほとんどの便利な文明の機器が電気で稼動するこの世界にあって、
原発を止めるということは、そういうことだと思う。



映画を見ての後、我々が思い深めねばならないのは、
便利で楽で清潔でリッチな“最先端生活”をどこまで取り入れ、どこまでは拒否するか?
という、その境目の見極めについてであったりするのではないか?(/_;)/~~
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腑に落ちない「お薬手帳」


いままでわざわざ「お薬手帳」を持って薬局に行ったことは、ほとんどない。あせる

病院へ行く時は、ヘロヘロで、
保険証と診察券と財布を持っていくのを忘れないようにするのが精一杯。あせる

そうでない場合は、処方箋が出るとは予想しておらず、
病院で薬を処方され、その足で薬局へ行くので、お薬手帳を持たないで行っていた。走る人

そして、薬と一緒にまっさらの「お薬手帳」をもらって、
家で処方箋シールをお薬手帳に自分で貼る……というスタイルをとっていた。べーっだ!



かかる病院によって、行く薬局は変わった。
常にその病院からの帰り道にある薬局へ寄るから。病院病院病院

なので、いつのまにか、お薬手帳が3~4冊手元にたまってしまった。(((゜д゜;)))
病気でヘロヘロの時は、すぐにお薬手帳の整理などもできず、NG
後日思い出して、適当にシールを貼り付けたりしていたら、
中途半端に使いかけのお薬手帳が3~4冊にもなってしまった。((>д<))


薬局からもらうお薬手帳には、その薬局の名前が入っており、
他の薬局からの処方箋は貼ってはまずいのかな? とちょっと気にもなった。∑(-x-;)



お薬手帳を持参しないからといって、とりわけ支障もないし、チョキ
むしろ、切羽詰って病院へ行こうという段になって、
お薬手帳を探したり、どのお薬手帳にしたらよいのか迷ったりするほうが
私には“支障”だった。ガーン


が、

2016年「4月から、お薬の計算方法が変わりました」ということで、
薬局で薬を購入する場合、「お薬手帳」がないと、割高な料金をとられるなどという噂を聞いたので、Σ(・ω・ノ)ノ!

とりあえずお薬手帳を持っていってみた。あせる


今回、面倒くさいから、中途半端に使いかけのままたまったお薬手帳数冊を、
全部持っていってみた。あせる

すると、薬剤師さんは、全部受取って、中をチェックして整理していいですか?と仰る。
願ってもない! お願いします!(。-人-。)


で、
その薬局を最後に使った約6ヶ月前のシールが張ってあるというお薬手帳を、
“最新の手帳”としてカバーを掛けて返してくれた。ラブラブ



残りは全部、“古いもの”として「シュレッダーにかけていいですか?」と仰る。∑(゚Д゚)


はぁ?
「お薬手帳」って、薬の履歴書でしょ?
古いからって捨てる必要あるんでしょうか?はてなマーク
むしろ、整理がついていないとしても、とりあえずとって置いた方がよくなくって?はてなマーク


びびって、「いえ、とりあえず、とっておきますからあせる」と言ったら、
私の声が小さくてフガフガして聞こえなかったのか(歯医者で抜歯した帰りだったのよドクロ)、
「じゃ、お家でシュレッダーにかけてくださいね」と仰る。∑(゚Д゚)


古い手帳は、どーしたってシュレッダーにかけて捨てなきゃならんぞよ!
ということだろうか……。はてなマークWhy Japanese people! である。



購入した薬の袋の中にチラシが入っていて、

4月よりお薬手帳の持参にご協力いただいた方は、
負担金が 30円~40円程度
お安くなります!


と朱色の大文字でドン!と書いてある。ヽ(゚◇゚ )ノ


ほぉ? お薬手帳を持参したから、ちょっぴり安くなってるのかな?
と見ると、
その脇に小さなカギカッコで

「(一部負担金割合3割、6ヶ月以内の再来局の方)」

と断り書きがぁっ!Σ(~∀~||;)



「調剤明細書」を見たら、

「基本料―調剤基本料1―41点」
「薬学管理料―歴 薬剤服用歴管理指導料(基1・4 1回目)―50点
「調剤技術料①―内服 調剤料―15点
           薬剤料―12点(3日)」

とな!(=◇=;)


どこがどうお安くなっているのか、いないのか、全くわからず、はてなマーク
ググる。サーチ


厚生労働の担当者は3月4日の説明会で、『おくすり手帳を忘れ、その場で再発行をした場合にも50点(500円)としている』と述べた。ただし、既に手帳を持っている場合の運用については、『別の方法を別途紹介したい』などと話した。」


「注意したいのは、管理指導料が減額されるのは6カ月以内に同じ薬局で調剤を受けた場合のみという点。6カ月以上来局していない場合や、別の薬局で薬を処方された時の管理指導料は、380円ではなく500円となる。」


「また、大病院の前などにある、いわゆる大型門前薬局と呼ばれる薬局などでは、管理指導料は500円となる。複数の場所での薬の処方を、門前薬局ではなく地域の『かかりつけ薬局』に取りまとめることで、患者の普段の健康相談などの窓口を担ってもらったり、医療費を抑制したりする狙いがある。


(「おくすり手帳、薬局に持参しないと医療費が高くなる 2016年4月から」より引用)


私の今回の明細によると、
前回からは6ヶ月を過ぎているから、「50点(=500円)」だったということのようだ?( ̄□ ̄;)!!
6ヶ月以内に薬局を利用しなければ、その都度、50点なんだ。50
しかも、同じ薬局でなければ、ダメなんだ。((゚m゚;)



A病院へ行ったら、A薬局を利用するけれど、
方向が違うB病院へ行った場合、その近くのB薬局で済ますよ。あせる

わざわざ遠回りしてA薬局へ行くほどの元気は、病気のときは、ない。┐( ̄ヘ ̄)┌

病院で長い時間待たされて、ちょちょっと数分診察されて、
またお会計で待たされて、やれやれと病院を出たら、
できるだけ帰り道にある薬局で済ませたいよ。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o


なのに、薬局を一箇所に絞らせて、
かかりつけ薬局」と無理やりさせようと、なぜするかね?はてなマーク


しかも、よくいく薬局だって、半年以上ぶりだと
一からまた名前だの住所だの既往症だの嗜好品だのを書き込む書類に記入させられたり、あせる
健康保険証の提示を求められたり、あせる
中には、「どうしました?」って、先生みたいに病状を聞かれたりすることだってある。あせる

そんなのは病院でホウホウの体で告げて診察を受けてやっと終わってきたところなのに、
なぜに薬局でまで、また説明せねばならないのか? (´_`。)
と、とっても疑問。


医者といえども薬の指示を間違えることもあるので、爆弾
薬剤師さんは患者に確認して、処方に間違いがないかチェックしてる……なんて話も聞くが、
なぜに、すぐそばに他に待っている患者さんもいる狭い薬局の中で、
誰が聞いているかもわからないのに、こちらの病状なんて答えなくてはならないのだろうか?はてなマーク
プライバシー保護とかなんとか、どこへやらだ。┐( ̄ヘ ̄)┌



私はむしろ薬剤師さんに薬を間違えて出された経験さえある。メラメラ
(ジェネリックを頼んだのに、ジェネリックではない薬が入っていたの。説明の際見せられた薬の写真入り説明書きには、しっかりジェネリックが表示されていたのに。)
(もらった薬の数が1錠足りないってこともあった。もらいにいったら、そんなはずはない!とすごく険悪な表情で否定しながらも、1錠くれたけれど。むっ


なので、薬剤師さんのチェックなんて、あまり信用していない私。( ・д・)/--=≡(((卍



なのに、なんで、薬剤師さんに、「薬剤料」以外の手数料(調剤料?)として41点+50点+15点=106点(1060円)も払っているのか、
全然腑に落ちない。| 壁 |д・)



私は3割負担。3割負担でこの値段!叫び



……薬剤師になればよかったっ。о(ж>▽<)y ☆



お薬手帳は、今までどんな薬を服用しているのかチェックするためにも便利かもしれない。チョキ
薬のプロである薬剤師さんが見るとわかる特別なことがあるのかもしれない。チョキ
万が一の間違いを未然に防いでもらえる可能性があるのかもしれない。チョキ


でも、そのために、いちいち500円?はてなマーク
そのためにいちいち病院と同じような説明をせねばならぬ?あせる


どうも、腑に落ちない。| 壁 |д・)



もっと手間を省いて、
しかもミスが起こりにくくするいい方法が別にあるのではなかろうか。あせる


複雑な薬事情を知らない素人の勝手な言いがかりだろうか?



とにかく、結局、
同じ薬局に6ヶ月以内に再訪するのでなければ、
お薬手帳なんて持っていかなくても持っていっても
50点掛るのは、同じなんだね。ヽ(;´ω`)ノ
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牛蒡とプルーンのワイン煮




またもyamanbaさんに触発されて、( ´艸`)yamanbaさん、ありがと~ドキドキ


牛蒡とプルーンのワイン煮o(〃^▽^〃)o

牛蒡とプルーンのワイン煮

丁度、ちょっとずつ飲み残った赤ワインを集めてとっておいたので、
急遽牛蒡煮に使ってみることにした。グー


レシピをあれこれ検索すると、サーチ
例によって、人それぞれ微妙にレシピが違う。(°Д°;≡°Д°;)

でも、共通するのは、
ちょっぴり甘みを加えることと、合格
ワインは案外ちょっぴりということ。合格


「ワイン煮」というから、ワインをたっぷり使って煮るのかと思ったら、
みなさん、ワインはほんのちょっとで、∑(-x-;)(せいぜいカップ3分の2)
あとはひたひたの水で煮ていた。


で、そこだけ守るようにして、あせる

牛蒡はアルミホイルで泥と皮をざっと取り除いて、
お水から下茹でを軽くして、(お湯が沸騰したらザルにあける感じで)


軽く茹でた牛蒡をまずオリーブオイルで軽く炒め、
そこにワインカップ3分の2・プルーン7~8個を投入、
ちょっと醤油を隠し味程度に入れて、
お水をひたひたになるくらいに加えて、煮てみた。

水分がなくなるくらいまで煮てみた。


プルーンがいい仕事してる♪ って感じ。チョキ

でも、
これで本当にいいのかなぁ?と自分では微妙だったが、あせる
評判はよかった。めでたし、めでたし。(・∀・)


牛蒡ってプルーンとよく合うんだね~♡ラブラブ
“熊本大地震”の被災者の方々にお見舞い申し上げます。
一刻も早く普段の生活に戻れますように。

そして、
川内原発がストップされることを祈ってやみません。
(ストップしたって、すぐには止められないのでしょうが。)


プチ情報:
水俣病公式確認60年記念 特別講演会
2016年5月3日・4日・5日 午後1時~5時(12時開場)
東京大学安田講堂にて

どの日も石牟礼道子さんの「生中継による発言」があるらしい。





「水俣病公式確認60年記念 特別映画会」を見た 2 水俣湾はこれから……




「水俣病公式確認60年記念 特別映画会」に行ってきた。走る人

上映されたフィルムの2本目は、
水俣病 仮編集版」なる、これまた45分のフィルム。映画

監督:原一男

「ゆきゆきて神軍」を撮った方。


監督は10年、水俣病を取り続けているらしい。
あと2~3年続けて、完成させるおつもりのようだ。(=◇=;)

今回の映画は、“水俣病公式確認60年”という節目に合わせて、
これまでのものを、急遽仮編集したフィルムだということ。
MINAMATA  NOW」とタイトルをつけて、“水俣の今”を語っていた。


私が特に感心したのは、監督が潜水資格までとって、自ら水中に潜って海底の様子を撮ったということ。Σ(=°ω°=;ノ)ノ


映画会場のトークでは、監督は、潜った海を「熊本湾」と仰っていたように思うが、多分「水俣湾」のことなのかな?

水俣湾
(ネットより拝借画像:水俣湾)


映像は、2009年3月25日の、水俣湾だった。
水銀ヘドロ処理工事跡、親水護岸」前の海に、カメラは潜っていく。カメラ


水俣湾の水底には、石(や鋼板?)が敷いてある。


後日ネットをググッたら、
監督が撮ったものがよくわかるサイトがあったので、貼り付けておく。

参照:水俣汚染サイト見聞録「水銀へドロ埋立地及び八幡残渣プール」


▼水俣湾水銀へドロ埋立工事

チッソのメチル水銀を含んだ排水が流れ込んだ水俣湾には、メチル水銀で汚染された大量のヘドロがたまった。

埋立地の案内板によれば、「その面積(水銀濃度25ppm 以上の部分)約209 万m2、量にして151 万m3という大変な量でした。

熊本県は昭和52 年(1977年)から湾内で水銀濃度が特に高い部分(約58 万m2)を護岸で囲み、その中に周辺の水銀を含んだヘドロをくみ上げ、合成繊維製のシートをしき、きれいな土砂をかぶせ、水銀を含むヘドロを封じ込める埋立工事を始めました。

工事には14 年の期間と約485 億円の費用がかかり、平成2 年(1990 年)に終了しました」と記されている
。(上記サイトより引用)

……っていうのだが、
そもそもどれほど水銀が排出されたのか、明確にされていないようだぞ。むっ

水俣湾に排出された水銀量約70~150 トンという数値は、当時の熊本大学医学部の藤木講師らによる海底泥土の水銀調査結果による水俣湾の推定堆積量に基づく数値であると言われており、チッソが水俣湾に排出した水銀の正確な量は報告されていない。

水俣病の全容を解明するためにもチッソは正確な水銀排出量を報告すべきである
。」(上記サイトより引用)

……なのですと。ガーン

どれだけ排出したのかさえ明らかにされていないのに、
さぁ、これだけ有害物質を一箇所に集めましたよ! と言われても、
それでいいとは全然言えないではないか。パンチ!




今回の映画(2009年)では、
ヘドロの上に敷かれた鋼版らしきものには藻だかが生えて緑色に見えた。
大きな石(捨石と呼ぶのか?)が敷き詰められているところには、イソギンチャクやらタツノオトシゴやらヒラメなどが棲息し、小さなワカメがゆらゆらと揺れていた。うお座イソギンチャクタツノオトシゴワカメ

不透明というほどではないのだが、白っぽい緑色に霞んでいる海には、
魚影の群も見える。魚も異様に変形しているようにも見えない。い金魚魚魚

水銀がダダ漏れだったときよりは、“生き返った不知火の海!” と言えるのかもしれないアップはてなマーク



が、




監督たちは、海底のヘドロなどを採集して、遠心分離機にかけて総水銀の測定した。(-_☆)

1年以上経った2010年に出たその結果は、
捨石下部2.34PPM、捨石上部2.36PPM、捨石そば底質2,37PPM



映画の中で鹿児島大学理学部冨安卓滋教授は語る。shokopon

工場が操業前の底質濃度が0.006PPMですから、自然の状況に比べれば表層で50倍水銀が高いですね」と。


14年掛けて1990年に工事が終了しているのに、水銀濃度はまだ50倍。50注意


監督は、ヘドロの上に敷かれた鉄板(鋼板?)が「50年もつ」と聞いているらしい。
しかし、すでに30年近く経つので、今後どうするのか、という新たな問題提起もされていた。パー

1990年から、今年で26年。
工事に14年も掛かったものを更にどうにかせねばならぬとしたら、
今度はまた何年かかることか。あせる
そのためにはもうそろそろ動き始めねばならぬくらいだよね。


広さ58.2ha の埋立地の下には、水銀濃度25ppm 以上の未処理ヘドロ約151 万m3 があり、
エコパーク水俣がこの巨大な汚染を隠蔽するように百間排水口近くから親水護岸まで広がっている。

水俣湾の水銀で汚染されたヘドロは、浄化処理されることなく、単に埋立又は移動しただけであり、護岸に使用された鋼矢板セルの寿命や埋立地の耐震性が問題である。

将来、地震時の液状化現象や護岸の崩壊、あるいは鋼矢板セルの腐食などによる水銀の漏出など、新たな汚染源となることが懸念される。

この水銀汚染埋立地の浄化と安全性が確保されない限り、水俣問題は終わらない。
」(水俣汚染サイト見聞録「水銀へドロ埋立地及び八幡残渣プール」)
と、ネットのサイトは監督と同じ問題を提示している。





そして、映画では語られていなかったが、
私は今回の熊本大地震で、水俣湾の水底の敷石がどうなっているのか、
とても不安である。ガーン

大地が割れ、波打ち歪み、ずれているのに、
海底が今までどおりということがあろうか。あせる

今回津波は来なかったけれど、万が一、今後津波が来た場合、どうなる?叫び
水銀のヘドロを巻き込んだ津波が人々を、大地を襲う……そんな状態を“想定外”になどできないだろう。

九州に斜めに伸びる活断層のひとつは水俣辺りにも掛って見える。あせる




監督は、熊本に行くたびに、水俣の魚を美味しく食べるという。ラブラブ
甘くて美味しいのだそうだ。音譜



しかし、それを毎日食べ続けたとしたら、どうなんだろう?
汗

以前、都内で開かれていた水俣病展を訪れたときは、
水俣病のこれまでの政府の対応や、水俣病状についての説明などの他に、
“今は綺麗になった海”で獲れた海産物などが売られていた。
そんな風に海産物が獲れるようになったことだけでも凄く明るいニュースだが、クラッカー

政府が安全と認めている数値って、どうなんだろうな?という疑問が私には
魚の小骨のように、ずっと喉の奥にひっかかっていた。ドクロ

福島原発メルトダウンの時もしかり。政府の発表することは、信用できない。



私が浄化(安全)の度合いを率直に受け入れられないのは、
水俣だけではない。
東京だって、千葉だって茨城だって、日本中の海は
(3・11以降は日本全土も)
測れば有害な物質が測定できるだろう。ドクロ

水銀だけでなく、マクロプラスティックが世界中の魚たちの体内に蓄積されているとも聞く。
もしかしたら、マクロプラスティックの方が熊本湾の水銀より、もっと身近で深刻な脅威かもしれない。
ダイオキシンも農薬も殺虫剤も、取り沙汰されてすでに久しいが、相変わらず未解決の環境問題だろう。ドクロ

我々はじわじわと有害物質に犯されているのだろう。叫び



一見身体に悪いところがなさそうに見えて、
実は、本人も周りの人も、“病状を知らないから病気だと気がつかない”だけだ
という場合も、水俣病にはあるらしい。(脳神経をやられるから?)


国家とグルになった一企業の心無い儲け主義によって垂れ流された有害物質のために
殺されるなんてことがあって、いいわけない。
そんな所業を国が一緒になってごまかしていいわけない。


「国の責任」「国が賠償」と云うけれど、
「国」と括らず、当時の担当責任者、またそれをそのまま引き継いで何もしなかった担当者たちを追及すべきじゃないか? と私は思う。
補償なり謝罪なりは、遡ってその人たちがすべきではないかと思う。
――映画では、特にそうした個人を特定した撮り方はしていないが。




ふぅ。こういうことをあれこれ書き出すと、まとまりがなくなる。(°Д°;≡°Д°;)

とにかく、
やっと公式に認められてから60年経っただけで、
水俣病はまだ終わっていない。(;´Д`)ノ
水銀は海底に不気味に横たわり続けている。
有毒物質を放出し続けながら。



おまけ:
水俣病というと、熊本県の水俣ばかりだと思っていたが、
水俣病は新潟などでも発症しているらしい。

熊本に限らず、水俣病に限らず、
環境を汚染してしまう「公害」は、
ほんのひとにぎりの企業なり人なりによって多くの人々を殺し苦しめる犯罪でしょ。

今もチッソはつぶれもせず、営業している。
チッソで一生懸命働いている人々もいる。
チッソがつぶれたら困る人々もたくさんいる。
色々な立場が絡んでいるから、公害問題は簡単になくならないんだろうし、
完璧を期した対策もなされないのだろうが、←これは、事業主たちのやる気ひとつだとは思うが。


水俣湾、このままでいいわけがない。
“まんま”の水銀ヘドロを寄せ集めてちょっと重石をしたところで、
せいぜい40~50年の“付け焼刃”的対策なんだ。

患者たちの失われた正常な神経やら脳みその部分などは、もはや取り戻せないのかもしれないが、
二度と同じ被害を出さない、二次被害を出さないことはできるはずだ。

いち企業がますます発展して儲けて、日本経済が上向くことよりなにより、
まず人々の健康と、健康な大地と海とを取り戻すこと
過ちは率直に厳しく正し、命を大事にする県だ
という信頼こそが、熊本を発展させていくのではないですかね?

……などと、“MINAMATA NOW”というよりは、“MINAMATA TOMORROW”を考えさせられた映画だった。叫び