2015年 北上(キタカミ)旅行 14 


(1月中ごろ、北上にひとり旅した日記です。)


14 歌拾い ③その他



きたかみ文学散歩コース」によると、

日本現代詩歌文学館のある「詩歌の森公園」には

山本健吉碑と井上靖碑もあるらしいのだが、

この雪原の……いったい、どこにあるのっっっ?(((゜д゜;)))

詩歌の森


山口青邨の「雑草園」が「冬季閉鎖」だったショックから立ち直れず、
これまたあっさり探すのを諦めたのだった。ガックリ



結局、JR北上線の柳原駅(or日本現代詩歌文学館)からJR北上駅までは、
迷わずに最短距離を歩けば、徒歩30分くらいの距離ではなかろうか。チョキ楽勝音譜


私はうろうろしながら、特に時間に縛られることもなく歩ける。走る人
あぁ、幸せ♪





で、諏訪神社にも寄ってみた。



諏訪神社の芭蕉の句碑は、

初時雨 猿も小蓑を ほしげ也

芭蕉の句碑

元禄2年(1689)、『奥の細道』の旅を終え、故郷へ向かう伊賀越えの山中で詠まれた
と説明があった。


『奥の細道』の旅は
元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を出発して、」

地方や北陸地方の名所旧跡を巡り岐阜の大垣にまで」旅した、

全行程が約600里(2400キロメートル)

日数も約150日間という長旅」だったらしい。(=◇=;)

参照:「『おくのほそ道』の1:月日は百代の過客にして - Biglobe


すっかり暖かく過ごしやすくなった季節に始めて、チューリップピンク
東北地方は暑い盛りの頃?晴れ
で、日本海側に出て、波
秋のはっとするような涼しい秋を感じつつ南下して、もみじ
秋も終わらんとする頃、旅を終えたってことかな?雪の結晶
(手元に『奥の細道』がないので、未確認なり。汗


それで、故郷に向かう頃には、初冬に入って、
冬の到来を感じさせる山の中で初時雨に降られ、雨
小猿と一緒に、寒さに思わず身震いしたことだろう。バナナ発見


現代のダウンやら毛皮のコートやら暖かい防寒服がない時代、
寒かったろうなぁ。あせる
でも、そんな時代の「小蓑」は、さぞ暖かかったんだろうねぇ。( ´艸`)




それにしても、正岡子規の歌碑同様、
なぜ、北上の諏訪神社にこの句なのだろうか?はてなマーク


歌碑を建てるときって、
誰が歌(句)を選ぶのだろう?はてなマーク



諏訪神社のすぐそばにある帰帆場公園には
啄木の歌碑があるらしいのだが、
地図を持っていたのに、なぜか辿り着けず……。ガックリ




他にも歌碑は、寺山修司、宮沢賢治、浜夢助のものなど、
もっともっとあるようなのだが、クラッカー
根性なしの私は、もう寒いし、疲れて、切り上げることにした。(/ω\)


他の北上の歌碑
参照:
文学散歩 北上
北上 魅力辞典


ふぅ。JR北上駅西口に帰ってきたよ。f^_^;
日本現代詩歌文学館からゆるゆる歩きの、
約1時間ほどの歌拾いの散歩であった。走る人

文学館前の像
(↑ 日本現代詩歌文学館前の像)
     

                   つづく
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東日本復興支援という名のわかりにくさ


今日、銀座に出かけ、JR有楽町駅前の広場で催し物に出くわした。Σ(・ω・ノ)ノ!


東日本大震災復興支援」という文字がまず目に入る。

有楽町さくらまつり 2015~花と緑のフェスティバル」と大きくタイトルが入った
満開の桜の木が描かれた春蘭満ムードの小ステージで、桜
ミュージシャンが景気よく歌を歌っていた。音譜


そのステージのすぐ横には、植木市のように、桜や藤やクレマチスなどの鉢が長いテーブルに陳列されて売られていた。チューリップオレンジ鉢植え芽

復興支援のまつりではないのか?


さらにその花屋ブースの脇に、申し訳程度に、
復興の募金の箱が置かれた、人ひとり分の小さなブースがあり、∑(-x-;)
男性が一人ポツンと立っていた。
ステージからは隠れて見えない位置だ。


募金箱にそのまま募金するのは、嫌だけど、
花を買って、その一部なりが支援になるなら嬉しい。チョキ

が、
我が家は鉢植えがまともに育ったことがない。ガックリ

しかし、復興を願って一鉢買わん!グー


……ってんで、さんざん悩んで、一鉢購入。あせる



でも、これって、どう支援金として分配されるのかなはてなマーク……と疑問にも思い、
この鉢を買ったことがどう支援に回されるのか、と店の人に尋ねてみたら、
これは支援には回らない。うちはそういうのとは違うのだと申し訳なさそうに仰る。Σ(~∀~||;)


「花と緑のフェスティバル」だから、花を添えて欲しいと頼まれて出店しているらしく、
つまり、花屋さんはただ花屋としての商売をしているだけなのであった。

――まぁ、ステージ全体のムードを花で盛り上げている……ステージが盛り上がれば募金が集まる……ということで、復興に協力している形になっているのかもしれない?汗



だから、



「復興支援」を謳った「花と緑のフェスティバル」という
ステージのすぐ脇に花が売られていたら、
その花を買うことがそのまま復興支援に繋がる……

と思った私がバカだったのよっ!!!!!パンチ!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


帰宅後、ネットで調べてみたら、サーチ

有楽町さくらまつり ~花と緑のフェスティバル~ 東日本大震災復興支援


「有楽町駅前広場にて春を桜を、そして有楽町に集う皆様に日本の美しさを伝え、笑顔と元気を充電していただくイベント『有楽町さくらまつり』~花と緑のフェスティバル~を有楽町駅周辺地区道路環境整備協議会主催により実施します。期間中、駅前広場は花と緑で演出され、特設ステージでは数々の春にちなんだイベントを展開します。また、協賛テントブースでは春の花と緑の即売などを中心に春を伝えるブースを展開します。そして、さまざまな春を演出する会場では、東日本大震災復興支援募金を募ります。今回集められた募金は、被災地に桜をはじめとする花や緑を復活させていただくための資金としてご活用いただきます。」

……って。むっ


確かに、この文章をよーく読めば、

「春の花と緑の即売」は「春を伝えるブース」としてあるだけで、
「募金」の一環とするようには書いてない。叫び

でも、「さまざまな春を演出する会場では……東日本大震災復興支援募金を募ります」ってあるけれど、
会場で募金を募る声など聞かなかった。むっ

ひっそりと小さな募金ブースがあっただけ。
それも、会場スペースの端っこに。


たまたま私がいたときだけ、そんな状態だったのか?
音楽が終わっても、募金を呼びかける声なんて聞かなかった。┐( ̄ヘ ̄)┌
客は三々五々散っていっただけだ。オバケ

お客さんたちが盛り上がって、
ワイワイと募金が募られる状況になる時もあるのだろうか?| 壁 |д・)



とにかく、私が“うっかりさん”なのだが、アホ



それにしても、



私としては、


「東日本復興支援」をするつもりで、
復興支援には全然関係なく商売していたいち花屋から
鉢植えを一鉢買ってしまった、という
“だまされた感”がしてならないのであった。ドクロガックリ

いっそう買ってしまった鉢植えを、
募金のブースの男性に
「これ募金します!」とドンと置いてきたくも思ったが、パンチ!
鉢植えじゃ募金にならない。ダウン
“募鉢”されても困るだろう……しょぼん


……ってか、
あの募金箱の中身も、
いつ誰によってどこに収まるのだろうか?はてなマーク
と知りたく思ったことであった。
(そういう点をできるだけ明確にしておくべきじゃ、ないのかなぁ。)



これって、
勝手に思い込んで、勝手に騙された気持ちになって
やさぐれている私のひがんだ根性のなせる“イチャモン”だろうか。あせる

ということで、ちょっと落ち込んだ一日であった。ガックリ

しょんぼりスズガモ
(風の竜馬さんから拝借したショボンのスズガモ)
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2015年 北上(キタカミ)旅行 13 


(1月中ごろ、北上にひとり旅した日記です。)


13 歌拾い ②雷神社と正岡子規歌碑



きたかみ文学散歩コース」を頼って、

雷(イカズチ)神社正岡子規の歌碑を探しにいく。走る人

イカヅチ神社



灯(ヒ)のともる 雨夜(アマヨ)の桜 しづか也(ナリ)

明治26(1893)年8月に、ひと月ほどかけて東北を巡る旅行をし、
その最後に北上(当時「黒沢尻」)に二泊したときに
残した自筆の歌らしい。筆

歌碑


8月なのに、なぜに桜の歌を残したの……?はてなマーク桜
彼の自信作だったのだろうか?はてなマーク

雨の夜の桜を歌うなんて、当時は画期的で、雨
彼を迎えた北上(黒沢尻)の人々に、
短歌の革新運動の旗手たる子規としては、
季節や常識にこだわらない歌を披露したかったのだろうか?はてなマーク


雷神社というから、雷神を祀って強そうな神社かと思ったら、
小さな小さなお社で。( ´艸`)
横から見たら、なおスケ感が……。(゚_゚i)

スケ感




有志によって建てられた歌碑のようだが、
なぜにこの雷神社に建てたのだろう?はてなマーク

子規はどこに泊まって、何を食べたのかしら?にひひ


「灯(ヒ)のともる 雨夜(アマヨ)の桜 しづか也(ナリ)」は
感動のままに歌ったとしたら、つい愛媛弁で

「灯のともる 雨夜の桜 しづかぞなもし」……なんて浮んだんじゃないのかな。(-^□^-)




子規が詠んだ歌そのものより、
そんな諸事情の方が気になってしまうのだった。あせる

        つづく
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2015年 北上(キタカミ)旅行 12 


(1月中ごろ、北上にひとり旅した日記です。)


12 歌拾い ①山口青邨の「陶淵明の菊」


北上市は、日本現代詩歌文学館が建ったくらいだから、
文学愛好の街のようで、

きたかみ文学散歩コース

などがネットで紹介されていた。ヾ(@°▽°@)ノ




歌碑が10個上げられていたので、
本当は、歌碑って、あまり好きではないのだが、ドクロ
折角なので、文学館からの帰り道、
どれだけ回れるか、“歌拾い”の散歩してみた。走る人


まずは、山口青邨(セイソン)の句碑を……。走る人



日本現代詩歌文学館と同じ敷地内に、
明治生まれで昭和まで活躍した俳人、山口青邨(セイソン)の
東京での住まいが、「移築復元」されて、
その中に句碑があるようだった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

雑草園


色々な草花が植えられ「雑草園」と青邨自ら名づけた住まいは、
昭和のムード満点の佇まいだが、
なんと「冬季休園中」、となっ!Σ(~∀~||;)

冬季閉鎖


12月1日~3月31日までは「屋内」を見学できない、と!
雪に埋もれて、「屋内」どころか、お庭も入っていけそうにない。ガックリ


この「雑草園」のどこかに

菊咲けリ 陶淵明の 菊咲けリ

なる碑があるらしいのだが、
外から覗くだけではわからなかった。あせる

“休園中 雑草園は 休園中”……ガックリ一句詠んで、さっさと諦める。



後日、
山口青邨をかくも喜ばせた
「陶淵明の菊」とはなんじゃい?はてなマーク と調べたら……


陶淵明は、が大好きだったらしい。ドキドキ

雑草園
(ネットより拝借画像)

嫌で仕方なかった役人生活に見切りをつけ、
40歳頃、かの有名な詩、「帰去来辞(キキョライノ ジ)」を歌い上げて故郷へ帰り、
それ以降、質素な隠遁生活(いち農夫としての生活?)を送り、
63歳で果てた……らしい。


「陶淵明の菊」というと、
その隠遁生活の中で詠まれた「飲酒(サケヲ ノム)」という詩の中に出てくる「菊」を指すようで、


(ボロ屋に住んでいるけれど、垣根の菊を摘んで悠然とした山を眺め、筆舌に尽くしがたい美しい自然を味わって、満足。悠々自適な生活、最高~♡ ……ってな詩。)

参照:関西弁で陶淵明の詩を解釈してくれている→ロングシップさんのサイト



彼が役人生活を捨てて求めた人生と、この詩を合わせて読むと、
「陶淵明の菊」というのは、

あくせくした中央の役人仕事とは別天地の、
心穏やかで悠悠とした、いわゆる“エコ”な生き方。キラキラ
自然とともにある生き方、キラキラ
精神の充実キラキラ
……そんなものを象徴しているのかもしれない。



生活は経済的には貧しくとも、
精神的には自由で豊かな生活こそ、人間らしくいられる……みたいな。


4~5世紀の中国でも、現代日本でも、
「豊かさとは何か?(「幸せとは何か?」)」なテーマは普遍なのだわ。




しかし、
悠々自適に菊の花を愛でていた……とは限らないよね?ひらめき電球

もしかしたら、
垣根の菊を摘んだのは、
飾って愛でるためよりも、食用としてかもしれない?ナイフとフォーク


……などと邪推できなくもないかしら?(///∇//)
まぁ、食べるにしても、菊はおいしいから、どの道、素晴らしい。クラッカー




しかし、山口青邨の句(菊咲けり 陶淵明の菊 咲けり)は、
青邨が陶淵明の「飲酒」という詩に倣って、
陶淵明よろしく、自分の庭の垣根に菊を植え、咲かせ、

自分も陶淵明のように精神的生活の充足を感じておるわい♪音譜

……という歌なのか、


それとも、
日本園芸界では、菊の品種改良が盛んなようだから、

実は「陶淵明菊」なる品種が作られていて、
その菊を手に入れ、庭に咲かせた♪音譜

という喜びの句なのか?

状況がわからないと、どうもしっくりと味わえない……という、
詩歌の弱点を露呈させている句であることよ。(/ω\)

……と、思うのは、ひねくれ者の私だけでせうか。汗

             つづく
2015年 北上(キタカミ)旅行 11 


(1月中ごろ、北上にひとり旅した日記です。)




11 「便器のごとく原発炉」



日本現代詩歌文学館の中には、ロッカーはもちろん、
閲覧室の他、小さな喫茶店や展示室、コーヒー
井上靖記念室」なる小さな小さな部屋まであった。
(←これは何のためにある部屋のか、私には理解不能。はてなマーク

――井上靖氏は日本現代詩歌文学館(日本現代詩歌文学館振興会?)の「最高顧問」だったようなので、氏をリスペクトして……なのかな?(^_^;)
それにしても、靴を脱がねば入れない部屋になっているなんて?――)



天井の高い展示室には、震災を歌った作品が並んでいた。キラキラ

展示室

痛烈な一句


春寒や 便器のごとく 原発炉

痛烈な一句だ。
ただ黙って肯くばかりの句であったよ。


この句を詠まざるを得なかった東北の、そして、日本の、
悲惨から目を背けることはできない。




通路の壁に、詩を「大船渡弁」で訳してみる(?)という試みが展示されていて。ヾ(@°▽°@)ノ

大船渡弁の啄木
(「わくわくな言葉たち-大船渡の声」の企画展)

詩人たちは、悲痛を叫ぶだけではなく、
楽しむことも忘れない。音譜



石川啄木の
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
が、

大船渡弁だと、
東海の小島の磯の白砂に おら泣きじゃぐって 蟹(がに)とあそぶ

とな。о(ж>▽<)y ☆




たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
が、

おもいつぎで おっ母(かぁ)おぶって あんまり軽くて泣けてきて
三歩もあるげなかったよ


となる。( ´艸`)



面白いねー。音譜
私には東北弁の細かい違いはわからないけれど、あせる
大船渡弁にせよ、他の東北地方の言葉にせよ、
濁った音が妙にあったかい。ドキドキ
(全部濁音にするわけではないようなので、その判断がわからないww。汗



でも、それはそれとして、
やはり、詩人の言葉は見事だなぁ……と改めて感心する。(=◇=;)


普通に言ってしまえば、ただ自分がどうしたか、どうだったかだけの表現なのに、
啄木にかかると、詩の調べに誰もが引き込まれ、その物語に呆然と耳を傾けるだろう。
普遍的な詩の魂……みたいなものを、ほらっと突き出されているような気がしてしまう。(=◇=;)


今回は啄木が取り上げられていたが、
宮沢賢治などは自ら方言を取り入れて詩にしていたのだから、
超画期的だったよね。(=◇=;) ジェジェジェ



これだけは、方言でなければ表わせない……という部分だけ方言を使った方が、
詩として成立するんだなぁということを
改めて思わせられた試みで、
私にとっては、とても有意義な展示だった。チョキ



2階にある講堂の緞帳は桜満開。桜

緞帳


トークショーが始まる前に、参考プリントなども配られて、
無料で拝聴できるのが申し訳ないくらいであった。(。-人-。)


(でもね、トークショーは、
会場では笑いも起きて、みなさん楽しく拝聴しているようだったけれど、
私にはちょっと期待したものとは違って、退屈で、
折角の旅の時間がもったいなく思えてきて、
途中の休憩時間に頓挫しちゃった。)



          つづく