2013年京都3婆もみじ旅行 9 下賀茂神社とうたかた


昨年11月、京都旅行の続きです。






下賀茂神社の境内には、
鴨長明が隠遁生活で使ったという「方丈」の住まいが展示されていた。∑(゚Д゚)

鴨長明の方丈


一丈(約3m)四方の、畳5畳半ほどの広さ。
「方丈」って、もっと狭いものかと思っていたが、
屋根も柱も窓(半蔀も?)もある、なかなか住居然とした一間であった。(・∀・)
内部には囲炉裏もある。メラメラ

室内


これが組み立て式住居で、
鴨長明は移動する際は、これをばらして持ち運んだというから、Σ(・ω・ノ)ノ!
驚きである。
鴨長明の「方丈」は、ポータブルハウスだったんだ!(=◇=;)



そもそも、鴨長明は、下賀茂神社の禰宜さんの次男に生まれたらしい。
自ら神官の職にもつき、歌人としても注目のホープだったようだが、
下賀茂神社を継げないことなどもあり、ガックリ
50歳のある日、突然出家したらしい。(/_;)/~~



50過ぎてこの方丈にひとり住む……
どんな心持ちだったんだろうね?
62歳で亡くなるまで、
とにかく、この「方丈」の中で、鴨長明は暮らし、
『方丈記』も、『無名抄』も『発心集』も書いたってことか……。(=◇=;)



下賀茂神社は伊勢神宮のように「式年遷宮」を20年に一度行っていたらしく、
組み立て式の工法が、長明の「方丈」にも生かされているらしい。
さすが下賀茂神社禰宜の子供の隠遁住居である?チョキ




境内には禊ぎの小川が幾つか流れていたが、キラキラ

小川2

下賀茂の小川2

長明もこれらのどれかの小川で禊ぎしたのかもしれないね。(。-人-。)



「行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
淀みに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
世の中にある人と栖と またかくの如し」(『方丈記』冒頭部引用)メモ


ポータブルハウスを持ち歩いては移り住んで、
1人さまよい、1人もの思った長明ならではの言葉だねぇ~。
彼がこのとき見つめていた「川」は、どこの何川だったのだろう……?はてなマーク



ちなみに、前々回(2013年京都3婆もみじ旅行 7 下賀茂神社と尾形光琳)に取り上げた、光琳の梅のそばを流れていたのが、確か「御手洗川」(私の記憶に間違いがなければ……だが。あせる

御手洗川と光琳の梅


この御手洗川も禊ぎの川だったらしく、キラキラ




御手洗団子の由来
によると、


土用の丑の日には御手洗祭が行われ、参詣人がこの川に膝までひたり、無病息災を祈る」川だったらしい。(。-人-。)
(今は「加茂川改修後の水位低下で水が枯れ」ちゃったんだって!!!Σ(=°ω°=;ノ)ノ大問題!!!ドクロ




で、
その昔、後醍醐天皇が下鴨の御手洗川で水をすくったところ、

泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上った。

その泡にちなんで指頭大の団子を竹串の先にひとつ、

やや間をおいて四つつづけて団子をさしたのが御手洗団子の起源とある。

昔はこれを十串一束とし、熊笹で扇形に包んだ。
」……そうな。




後醍醐天皇といい、鴨長明といい、下賀茂繋がりの人々は「泡」繋がりでもあるらしい?泡
(鴨長明の泡は「淀みに浮ぶ」もので、後醍醐天皇は清らかな禊ぎの御手洗川に浮んだものだったけれど。)

後醍醐天皇
(ネットより拝借 後醍醐天皇)

鴨長明
(ネットより拝借 鴨長明)





泡はともかく、f^_^;


「御手洗団子」というと、甘辛い醤油タレのついた団子を思い浮かべるが、この説明によると、
もともとは、甘辛いタレなど付いていなかったらしい!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


お供えに使った、5つの泡に見立てた小さなただの団子だった御手洗団子。安倍川団子
さらに、それを人体に見立ててお祓いのお供えにしたらしい。にひ


それを人々が、
神前にそなえ、祈祷をうけたのち、持ち帰って醤油をつけて食べたという」。ラブラブ!


……ってことで、
後醍醐天皇が掬った禊ぎの川から、いまや押しも押されもしない団子の帝王とも言うべき(?)御手洗団子が生まれたのだ。グー王冠2
下賀茂神社は御手洗団子発祥の地なのだった。(=◇=;)



4つの団子を並べて甘辛のタレをかけた関東版御手洗団子で育った私には、
団子が5つ並んだ京都の御手洗団子はちょっと驚きのシロモノだった。えっ

関東のものより団子ひとつの大きさが小ぶりで食べやすく、ラブラブ!
関東ほど甘ったるくなく、さっぱりしている感じ。(かつて神護寺などの辺りで食べた。キラキラ

どちらかというと、私は京都の御手洗団子の方が好きである。( ´艸`)ラブラブ



で、
いよいよ、その発祥の地、下賀茂神社辺りの御手洗団子!
食べねば、でしょ。グー

御手洗団子屋

で、
店に入って食べている時間はなかったので、あせる
お持ち帰りで、数時間後ホテルへ帰ってから食べたんだけど、時計



…………。 …………。



出来立てをすぐ食べればよかった……?汗

        つづく 
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2013年京都3婆もみじ旅行 8 糺ノ森はどこだ?と糾す……


昨年11月、京都旅行の続きです。





下賀茂神社は、東側を高野川、西側を加茂川に挟まれ、
川が合流するYの字になっているところに位置する神社で。Y

境内には「糾ノ森(タダスノモリ)」なる原生林が広がっているらしい。sei


この「糺ノ森」、

およそ12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある(byウィキペディア)」が、

以前はもっと広く、
応仁の乱の兵火を被った糺の森は、このとき総面積の7割を焼失している
というから、∑(-x-;)
昔はどんだけ広かったんだぃっ!?(東京ドーム10個分?)(=◇=;)



とにかく、私はこの「糺ノ森」がどんな森なのか、歩いてみたくてワクワクしていたのだが、
――なんかね、タダスノモリって、音が好き。そこを歩くだけで
身が清められていくような気がするじゃない?――:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

いざ下賀茂神社に入ると、広くて、広くて。(°Д°;≡°Д°;)
目に止まるものも多くて。どこが糺ノ森だか……?(@_@)あせる



連理の賢木(レンリノサカキ)」……二本の木が途中で1本に繋がっちゃってる! ほぉ~!

連理の賢木




十二支の神社……それぞれの干支ごとに小さな神社が並んでいる一角があったり。へぇ~。ねずみおうし座トラPLAYBOY龍はび駈歩ひつじ猿にわとりわんわんいの

干支の神社




鏡絵馬」なる風変わりな絵馬があって。Σ(・ω・ノ)ノ!

鏡絵馬

基本、あっさりした目鼻口だけが描かれた手鏡形の絵馬に、
自分の化粧品やクレヨンなどで化粧を施して口紅
美しくな~れ♪ と祈るのだそうだ。( ´艸`)

見ると、みなさん、思い思いの「美人」を描いて願を掛けておられるようで、中にはオスカルらしき美貌まで見受けられて、楽しかった。

きれいになりますよーに


そばの社には鏡が祀られていて、
己を見よ! と言わんばかり。

鏡


化粧も下手な私は、端から願掛けを諦めたのだが、
外見だけでなく、内面の手鏡を覗き込むことを忘れないようにしなければ……と自分に念じたことであった。(。-人-。)

でも、少しでも美しくなりたいドキドキ……と思う気持ちが
きっと大切なんだろうな。汗
諦めちゃいけない、忘れちゃいけない気持ちだよね。f^_^;





その他、由緒ありげなれど、何の説明もない平たい岩とか、

岩



見事な門とか

朱塗りの門

社だとか

本殿?

社だか小屋だか、なんじゃらほい?なものが、あれこれ。

なにゃかんや


漫然と周っていると、
どこが「京都最古の下賀茂神社」の本殿なのかわからないままで、(°Д°;≡°Д°;)
「糺ノ森」も、どこが糺ノ森だったのだか、
よくわからないまま、
タクシーを待たせていることに気が急いて、
周り終えてしまったことであった。ガックリ


もしかして、
ここが「糺ノ森」だったのかなぁ……? (チガウカ? もしかして、私ったら、糺ノ森まで入らずに出てきちゃったんじゃないかぃ?(/ω\)あせる

糺ノ森?

                  つづく 
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2013年京都3婆もみじ旅行 7 下賀茂神社と尾形光琳

昨年11月、京都旅行の続きです。



からからに乾いた「御手洗川(ミタラシガワ)」に架かる朱塗りの橋と
そのタモトに生えている梅。
よくある風景に見えるが、これが
そり橋と光琳の梅」とな。

御手洗川と光琳の梅



尾形光琳(1658~1716)がこの辺りを描いたらしく、
このそり橋と梅が「そり橋と光琳の梅」と称されていた。(=◇=;)




で、どう描いたのか、後日チェックしたら……サーチ
これだ。

紅白梅図屏風
(ネットより拝借 尾形光琳「紅白梅図屏風」(国宝))

緑青色の苔をところどころに纏った古びた梅の木。
右は紅梅、左は白梅。
それぞれに、ぽつりぽつりぽっぽと可愛い花をつけている。
渋い金色の波を立てて川が流れているように見える。


……ということは、この屏風に描かれている川は、
“土用の頃にだけいきなり湧いて流れ始める”という下賀茂神社の“不思議の”御手洗川なのだろうか?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



私が訪れたときには冬枯れたただの梅の木であったけれど、
とくかく、尾形光琳によって、黄金色に絢爛な風景となっているのは確かだ。アップ


彼が江戸時代に訪れた時は、この梅は花ほころんでいたのだろうか? 
御手洗川は流れていたのだろうか?
いずれにしても、写実とはかけ離れた彼の絵のモデルの梅がこの梅であったと言われても、ただただ、へぇ~と思うばかりであった。(=◇=;)


でも、尾形光琳に煌びやかなインスピレーションを与えたのかもしれない梅がこの梅であったなら、

この梅は江戸時代からずっとここに生き続けている、もの凄い樹齢の梅ということになるね。-0-;
(私にはそれほどの樹齢には見えなかったけれど……。)


しかし、「光琳の梅」と名づけれられるだけで、見過ごせない梅に感じられてしまうから、不思議だ。( ´艸`)

              つづく
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悲しい訃報

テーマ:
悲しい訃報



昨年大晦日、耳を疑うショックな訃報……
大滝永一氏の急死を伝えるものだった。

参照:日経新聞 歌手の大滝詠一さん急死 65歳、「君は天然色」


彼は天才だと思う。
なのに、あまり特集もされない。
なぜだ……?
65歳……若すぎる……。
ショックな気持ちを引きずったままの年明けだった。ガックリ






そして、今日、またもショックな訃報……
吉野弘氏が逝去された。

参照:「詩人の吉野弘さん死去 「祝婚歌」など」


私は彼の詩は、「I was born」が好きだ。
それだけが好きだと言っても過言ではない。
他のは、暖かいお人柄を感じはするが、ちと説教臭く感じてしまう。f^_^;
(いや、優しさに満ち満ちていて、それはそれでよいのだけれども……。)


が、
「I was born」だけは、
悲しいほどに美しい。



85歳だったそうだ。






人はいつか死ぬ。
それは、頭ではわかっていても、
やはり、やりきれない。





参考までに、「I was born」の詩を引用しておきます。メモ
書き写してみると、案外長い詩だったんだなぁ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
物語る詩人ですねぇ。キラキラ



I was born




 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。



 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。



 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。



 女はゆき過ぎた。



 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。



 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが、それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或る日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く進化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて、ほっそりした胸の方まで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。



 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。




注:「淋しい 光の粒々だったね」は、「幻・方法」に再録のとき、「つめたい光の粒々だったね」に改められている。

『現代詩文庫12 吉野弘詩集』より抜粋 



*送り仮名は、そのまま引用してます。







おまけ
詩集「消息」の「I was born」の前に「父」なる一遍が収められているので、
ついでに引用しておこう。(・∀・)









何故 生まれねばならなかったか。



子供が それを父に問うことをせず
ひとり耐えつづけている間
父は きびしく無視されるだろう。
そうして 父は
耐えねばならないだろう。



子供が 彼の生を引受けようと
決意するときも なお
父は やさしく避けられているだろう。
父は そうして
やさしさにも耐えねばならないだろう。

               (同上の詩集より引用)
いまいちcocoいち肉まん


注:
某カレー専門店とは一切関係ありません。(^^ゞ
美味しい551(ゴゴイチ)の肉まんを目指して、私(coco)が果たせなかったお話です。
紛らわしいけれど、あしからず。m(_ _ )m





昨年、我が家での“クリスマス飲み会”をするとき、
小麦粉が大好きな友のために、肉まんを作ってみることにした。ひらめき電球


ネットで調べたら、魅力的なレシピを見つけた!ヾ(@^(∞)^@)ノ

551みたい!と言われる肉まん」 うきゃー♡ラブラブ!


でも、これは、餡はブタひき肉と玉葱だけ。
シンプルでよいが、私としては、干ししいたけも入れたいなぁ……ラブラブ


で、
簡単♡肉まん ぶきっちょさんでもこねてまるめて……簡単に♡」


を見たら、干ししいたけ2枚入れるレシピが!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
干ししいたけって、たった2枚でいいの?Σ(~∀~||;)
(知らなければ、私なら5~6枚入れちゃっていたかも……。-0-;汗



で、
「551みたい」レシピに、干ししいたけ2枚をアレンジして
作ってみた。にひひ



材料の分量などがすっきりしていたので、
今回はかなりレシピに忠実に作れたぞ!グー



小麦粉150g、強力粉50g、など、皮の材料を
捏ねて~♪グー

こねて

「ラップして室温で15分」とあったけれど、
冬だし、寒そうに見えたから、結局1時間以上
寝かせて~♪ぐぅぐぅ

寝かせて


寝かせている間に、餡作り。
で、
皮を8等分にし、
丸く伸ばし、
餡を包む……と。

綴じ目はしっかり! とあるけれど、
包んでいる間に皮がどんどん乾いてきちゃう。ヽ(;´Д`)ノあせる
お水が足りなかったかなぁ……?
とりあえず、むぎゅむぎゅあせる
詰めて閉じて~♪グー

詰めて閉じて


キッチンシートを一つ一つ敷いて、
蒸して~♪温泉

蒸して


出来上がり!クラッカー
熱々を食す。

食す





なかなか美味しくできたけど、チョキ
「551」ってほどじゃなかった。ガックリ



皮はほんのり甘くて、小麦の美味しい味がする。(-^□^-)
でも、
餡はかなりいい感じなれど、ジューシーさがまだまだ……って感じ。汗


なので、
cocoいち」って名づけました。(●´ω`●)ゞ





で、後日、再び挑戦!グー

餡のジューシーさを出すために、
ブタのひき肉ではなく、
ばら肉を買ってきて、
粗微塵に切って、作ってみた。グー


今度の方がジューシーさが増しましたさ。アップ




ラード買ってきて加えた方が早いかなぁ?はてなマーク


1回で出来るのは8個なので、
食べ切るのが大変。ヽ(;´ω`)ノ
冷凍すると、やはり味が落ちるし。ガーン



手間や美味さを考えると、
やはり551の肉まんは凄いなぁ♪ と思う。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
関西に行かねば食べられない、
関西に行っても並ばなければ買えない……のが面倒なのだが。むっ


取り寄せると、これまたある程度の量を注文することになるし、あせる
たった一つ二つ、気軽に美味しい肉まんを食べるのって、
案外難しいもんだ。あせる


中に何が入っているかわからないけれど、
たまになら、コンビニの肉まんもいいかなぁ……。(o^-')b