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なにしちゃってるの、日本政府
「いかなる状況下でも」「完全に」



誰が安倍政権を支持しているのだろう?はてなマーク


日本が「核兵器の非人道性を指摘した共同声明に賛同しない」というニュースを聞いて、
日本を代表してなにしてくれちゃってるの?
と私は唖然とした。(((゜д゜;)))

参照:
「日本政府は24日、スイスなど70カ国以上が支持した核兵器の非人道性を指摘した共同声明に賛同しないと表明した。「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」との表現が、日本の安保政策と現時点では一致しないと判断した。」
http://news.nicovideo.jp/watch/nw594363?rank


そして、本日、
俄かに、4月28日は「日本が完全独立した日」だと騒いでいる。Σ(・ω・ノ)ノ!
なんのこっちゃ?と調べたら、
なんと、
戦後、アメリカに占領されていた日本が、
まがりなりにも「独立」という言葉を手にしたサンフランシスコ条約が
効力を発揮するとされたのが、
サンフランシスコ条約締結の翌年1952年4月28日であるらしいことを知った。Σ(~∀~||;)

参照:
「日本語訳では「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全なる主権を承認する」と訳されています」

http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-1205.html


しかし、TVを見ていると、
“日本が完全なる独立を遂げた”という表現が飛び交っているのに、Σ(=°ω°=;ノ)ノ

この時、沖縄などの一部地域は占領されたままであり、
沖縄にとっては、「独立の日」どころか、「屈辱の日」だと憤懣やるかたないようではないか。Σ(~∀~||;)

「沖縄」などの一部地域を占領された状態のまま、
“日本の完全独立”などと喜ぶのであれば、
それは、占領されていた地域は「日本」ではない……と認めているようなものでしょう。( ̄へ  ̄ 凸

サンフランシスコ条約の原文(英語、フランス語、スペイン語)を読めばよいのだろうけど、その元気は私には、ない。あせる





どれをとっても、自民党政権が戦後綿々と積み上げてきたまやかし政治に
安倍政権はさらにごてっとごまかしの厚化粧をしているように思われ、
うんざりする。ドクロ


アベノミクスで好景気だとか言っているが、
福島原発のダダモレの放射線汚染水は、その後どうなったのか?
タンクを増設するとか、わけのわからない先の見えない打開策をちらと聞いたが、
福島県一杯に汚染貯蔵タンクが林立したって、その後、そのタンクをどうするのか?
どうなるのか?
その維持、あるいは処理のためにかかる費用をどうするのか?
いくらかかるのか?
想像するだけでも、暗澹としてしまうが、
その費用をどう捻出するかについては、どこからも聞こえてこない。


マスコミはやたら安倍政権の支持率が上がっている旨、報道するが、
誰が安倍政権など支持しているのか?
不思議で不思議で不思議でならない。叫び


日本国民としての私の意志とはまったく異なる意向に
突き進む日本政府……
そんな政府を支持する過半数以上の日本人?


す、住みにくい…………。
自分の意志に反することばかりする国に
一方的に税金を取られ、
その税金でまたさらに自分の意に反することをされるのは、
嫌だ!!!!!!ヽ(`Д´)ノ
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兄じゃの奢り

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兄じゃの奢り


兄が奢ってくれるという。Σ(・ω・ノ)ノ!
初めてじゃ。(=◇=;)
(母の介護のご褒美のつもりらしい)


兄の行き着けの店で、
時間は私の都合のいい時間でいいという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


でも、あまり早い時間だと飲み屋はやっていないでしょはてなマークと言うと、
何時でもいいよ、店を開けさせるからという。Σ(=°ω°=;ノ)ノ

あなた、どれほど常連さんなんすか?(=◇=;)
実はその飲み屋のオーナーさんですか?(=◇=;)
ってか、あなた自身、平日の午後、会社はいーんですかぃ?( ̄□ ̄;)!!


あれこれ疑問は湧くが、一々聞くのは面倒なので、
とりあえず5時に集合。
今有給中の甥っ子と3人で飲み会となった。
連れて行ってもらったのは、関内のとある居酒屋。


大通りからちょいと路地に入ったビルの地下。
飲み屋街になっていた。
ここは新橋駅前ビルか?って感じのビル地下の飲み屋が続く。

夫婦世界旅行-妻編-ビル地下飲み屋街

狭い廊下、低い天井、淀んだ空気。
ごちゃっとした飲み屋街なれど、
連れて行ってもらった居酒屋は美味かった!クラッカー

サヨリの刺身!

夫婦世界旅行-妻編-身

うめー。きれいだねぇ。о(ж>▽<)y ☆


なんと、サヨリの皮!

夫婦世界旅行-妻編-皮


魚の皮って、美味しいよねー。ラブラブ!
カリっと香ばしく焼いてある。
塩が上手い具合に利いていて、うめー。クラッカー

が、
薄いので、歯でしごいていると
皮を食べているのか、竹ヒゴを食べているのか
よくわからない気もする。(^^ゞ


サヨリの骨!

夫婦世界旅行-妻編-hone

カルシウムばっちり。
サヨリを満遍なく食べ尽くせた感じ。ヾ(@^▽^@)ノ


兄が奢ってくれるなんてことは、
今後50年はなさそうなので、
この時とばかり、
あれこれ頼んで飲んだった。グー

夫婦世界旅行-妻編-ぽんしゅ

うめーうめー!

店は8時から貸しきり予約が入っているというので、
(横浜スタジアムで野球があったから、忙しいのだ。)
その頃には切り上げ、我々はそれぞれ帰路に着いたパー


のだが、

気がついたら、
全然手前の駅で降りてしまっていて、(@_@)
いけねーいけねーと
電車に乗りなおしたら、
反対方向に進んでおり、((>д<))
いけねーいけねーと
また電車に乗りなおし……あせる

などしていたようで、
いつもなら1時間半あれば着くであろう道のりを
3時間半かけて帰ったことであった。ガックリ

軽く飲んでさくっと帰るつもりだったのに……。ヽ(;´Д`)ノ
飲みすぎだぁ。日本酒、グラスで3杯か4杯飲んじゃったかも?
土曜日は久々のひどい二日酔いなり。ドクロ


どうして、自分の限界(日本酒なら1合)を守れないのなかなぁ。
なにか、自分の限界を守るいい手はないものか。(-"-;A
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手探りのリハビリ

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手探りのリハビリ



この1月に実家の母が右肩を骨折し(上腕骨頸部骨折)、
手術は無し、
三角巾などで腕を固定するだけで、
ひたすら骨がつくのを待った。骨折


で、
3月には、リハビリに入りましょう♪ ということになった。ヾ(@°▽°@)ノ


が、
具体的にどうリハビリしてよいのか、
どのくらいまで頑張らねばならないのか

さて、わからない!∑(-x-;)


腕を頭上の方へ上げる練習をするように言われても、
いままで2ヶ月ほどじっと動かさないようにしていた腕と肩。
ちょっと動かすだけでも、
相当痛いわけだ。(=◇=;)


いたた、いたたた……!あせる と痛がる老母は
すでに86歳。
苦痛に歪む顔を見ていると、
あまりリハビリを頑張りすぎて、
折角くっついた骨がまた折れちゃったらどうしましょ?(((゜д゜;)))
と、不安になる。


高齢者のリハビリ。
具体的に、どのくらいの練習量をこなすべきなのか、
雲を掴むようなもので、
素人のこちらは全然わからない。(°Д°;≡°Д°;)


とりあえず、先生に言われたような仕草(練習)をちょこちょこっとするが、
イタタタタ……あせる
と、少し動かしてみては、
あとはずんぐりむっくり座り込んだり、居眠りしたりしてしまう。∑(-x-;)
痛いことで気分も塞ぎがちになるし、
痛いことをちょっとすると疲れるのだ。ダウン


そんな老母の姿を見ていると、
休んでないで、もっと腕を動かしなさいパンチ!とも言えない。
一日に1回でも動かせば、まぁ、いいかな? となる。f^_^;


しかし、病院に行くと、
先生は「動かさないと腕肩が固まって、動かなくなってしまいますよ!ドクロ
と脅してくるらしい。Σ(~∀~||;)


本人にしては、精一杯動かしているつもりなのに、
じゃぁ、いったいどれほど動かせばいいというのか……?(@_@)



その病院には、整形外科はあってもリハビリ科はなかった。
「リハビリ科」のある病院に行ったら? と勧めてみたら、
「先生に聞いたら、リハビリ科なんて行かなくていい!」と言われたと言う。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

「リハビリ科には行くな」といい、
具体的にどのくらいのリハビリをすればいいのか詳細には教えてくれず、
(こちらとしては、一日に何を何回くらいするなど、数値で示して欲しいのだ。)
そのくせ診せに行くたびに「動かなくなっちゃいますよ!」と脅すらしい。

……どーなの、これ?( ・д・)/--=≡(((卍パンチ!



で、
母は、お友達から薦められた“整体”に通い出した。
お友達は、以前その整体師(指圧師?)のマッサージを受けて
すっかり完治したというのだ。
同時期に同じように骨折した他のお友達はそのマッサージに通わず、
自己流にリハビリしていたら、
結局、完治した後も痺れがずっと残ってしまったという。


腕を引っ張っられたり、自分の力で腕を引き戻せられたり、
ゆっくりゆっくり動かして、
マッサージもしてもらえて、
本人はなかなか気に入ったご様子。ラブラブ
“腕を肩の付け根からぐりぐり回すような運動はしてはいけない”
と注意を受ける。
そうそう。
そういう素人には思いもかけない“してはいけない動き”などを
指導してもらえるのがありがたいのよ!アップ


とにかく、マッサージを受けに行くために外出するようになるし、
家にじっとしているよりいいことだ。
ほっとしていると、
姉は、「マッサージじゃ絶対治らないわ!パンチ! 」と主張。
その時は気持ちよくても、
「結局、腕が上がらなくなってしまうと聞くわ!」 と言う。Σ(・ω・ノ)ノ!


「リハビリ科」という専門科がある以上、
市井のマッサージ(整体)治療だけでは補いきれない施術なり方法なりが
やはりあるのだろうか。あせる


姉と相談の末(こういうとき、兄は仲間はずれ。笑)
「リハビリ科」のある近くの整形外科を探し、
母を連れて行った。DASH!


再び改めて診察+レントゲン。
(レントゲンばかり撮って、ちょっと不安。)

しかし、その先生は、私にもすぐにレントゲン写真を見せて、
ここが新しい骨! と分かりやすく示してくれて、
「骨はくっついてますね」と、断言してくれた。
こうはっきり言ってもらえると、まず一安心。(-^□^-)


そして、
リハビリ科で、
「リハビリ計画」などを立ててもらえるらしく、(その料金が高い)
赤外線で患部を温めて、腕を動かし、マッサージしてもらう。


寝転んで、両腕をゆっくり頭上の方へ持って行く練習を
ワンセット10回以下、朝昼晩3回するように言われる。
これこれ! こういう具体的な練習量の指示が欲しかったのよ!
と私は思う。ヾ(@^▽^@)ノ





やはり、リハビリ科に行ってよかった♪ドキドキ
と、私はほっとしたのだが、


肝心な母は、あまりお気に召さないようで、( ̄_ ̄ i)
(母は昔、“50肩”でその病院に通い、ちゃんと治してもらっているのだった。が、「器械などで腕を動かしたりするだけよ」……つまり、痛いだけで、“治療がつまらない”と感じているようだ。)
週2、3回通うように言われたリハビリ科に、
なにかと理由をつけては行かず、
整体(マッサージ)の方に行ってしまう。あせる


整体の方は保険が利くマッサージで、1回、数百円。安い。
リハビリ科の方は1回数千円。高い。
その治療費の差も、心理的負担として母の足の向きに影響するようだ。


とりあえず、1日3回、ワンセット10回以下の腕上げ運動をするように、
母に促すが、
母は「やってるわよ」としれっと言うのだが、
よくよく聞くと、実はやってなかったり、ちょっとさぼったりしているようだ。
相変わらず
体を横にするだけでも患部が痛いらしく、
イテテ、イテテの毎日。あせる


どのくらいで治るのか、
どの先生も明確には、(曖昧にも)言ってはくれない。ダウン
ネットで調べると、高齢者となると1年くらいはかかるようだ。
具体的な目標がないと気持ちが続かないようなので、
家の柱に腕の上がる位置を、背比べのように印をつけてみた。
1ヵ月後、2ヵ月後と、段々腕の上がるラインが上がっていけばよいのだが……。(-"-;A


腕上げ練習を始めて早3週間。
特に目立った回復も見られない。
痛さは相変わらずのようだ。あせる


結局のところ、
整体を続けていればよいのか、
嫌がるリハビリ科にもっと通ってもらった方がよいのか、
よくわからない。┐( ̄ヘ ̄)┌


あまり無理して動かしていると老骨によくない……と言う人もいる。あせる叫び
(どの先生も、母の骨は年の割りにしっかりしていると言うのだが。)


リハビリって、どうするのが正解なんだろう?はてなマーク
最近、ブログを書く気力がまったく起きない。ダウン
言葉も浮かばない。ドクロ
けれど、そうしていると、ただダラダラ忙しいだけの日々が過ぎていく。台風
ので、
なんとか不完全且つ不本意な言葉ながら、
とりあえず綴っておこうと思う。あせる





「マリオ・ジャコメッリ―黒と白の往還の果てに」展




先日、マリオ・ジャコメッリ展に行った。

参照:「マリオ・ジャコメッリ写真展
THE BLACK IS WAITING FOR THE WHITE」



夫婦世界旅行-妻編-4
(ネットより拝借画像)


素晴らしい!
写真詩人だ。


面白そうだな~とは思っていたが、
自分がこんなに感動するなんて予想もしていなかった。


まず詩ありき!
そして、写真がさらなる詩を呟き始める、
そんな写真。

夫婦世界旅行-妻編-3

夫婦世界旅行-妻編-1

夫婦世界旅行-妻編-2
(以上、ネットより拝借画像)



図録の「マリオ・ジャコメッリ―もしくは1925年生まれの若者と1968年生まれの息子の思い出」
byシモーネ・ジャコメッリ(←マリオの子供)より抜粋メモ


「1975年

1975年にはとりわけ重要な意味を持つ二つの土地、
スカンノとルルドに赴く。(中略)

その、すべてがまばゆい白と果てしない黒でできた小さな町で見たものは、
彼(←マリオ・ジョコメッリ)なりのルポルタージュの考え方を固めさせる。


スカンノは、陽光にあふれ、
そこここに黒い小さな人影があって、
私におとぎの国の印象を与えた。

まさにドキュメンタリーを思わせるもののいっさいが消えてしまうように、
ディテールを白くとばそうとし、
それによってそこに、より詩が見出せると考えたのだ


私はリアリズムをスカンノや、もしくはほかの土地でもなく、
たとえ特別でも何でもないとしても、
その時の私の心の状態を再現してくれるようなものごとについて追求しようとした。
リアリズムは、優れたものであればとても好きだし、
自分でもしっかりと手応えを感じるが、
写真を撮る時にはこれから自分がしようとしているのがリアリズムなのか、
シュールレアリスムなのか等々、といったことはまったく考えず、
ただ自分が感じているものを出そうとしているだけだ”(*マリオの手紙より)」



このマリオの息子による解説文を読んで、
さらに感動。キラキラ



マリオ・ジャコメッリの捉えたルルドやスカンノでの“詩写真”は、
モノクロが醸し出す効果を狙ったとか、
カラーを嫌ったとか、
そういうことではなく、


彼の心眼のフィルターを通して、町は、世界は、
リアルに「白と黒」だったんだ!ビックリマーク


まばゆい光の生み出す白と黒、
死を孕んだ白と黒、
白光の中で失われるもの、逆に、現れ出るもの、
光りの照射による光の取捨、形を得る影の躍動、etc……。


当たり前の光度に慣れた“目”が受けたショックが
きっとそこにはあったのではなかろうか。



彼の中で真実、詩の見え方で、彼だけが捉えうる世界が
そこに広がったのではないだろうか。


マリオを励まし続けるルイジ・クロチェンツィがマリオに宛てた手紙には、


「作家の歩む道は悲しみと苦しみばかりでできているのです。
それらは他者を慰めるために生れるのです……」

とある。



展示場には、
正確には忘れてしまったが、あせる
マリオの言葉が紹介されていて、
それは、

“自分の幸せは、苦しみや不幸に恵まれていたということだ”

というような内容だった(と思う。あせる

びっくりした。∑(-x-;)


でも、納得した。




どんな対象も、
どんな誤解も、
どんな状況も、
おそらく彼は
彼独特のシャッターを切って、
“芸術的変換”ができたのではなかろうか。f(x)はてなマーク




ってか、ぶっちゃけ、
うんざりするような光景や、
普通なら嫌悪さえ抱かれかねない情景さえ、
彼はありきたりの悲哀に陥ることなく、
慈愛と畏怖と親近感を以って接したのではなかったか。ドキドキ


それは、まさに目の前にある悲惨な状況や、
苦痛に満ちた悲惨な現実を
目を背けることなく見つめ続けることでもあったのではないか。



芸術家は変換人だね。
この世に“意味”を持たせる変換人だ。
人生が苦悩に満ち満ちているとしても生きるに足るものとして
感動という喜びを提供する変換人だ。
(芸術家に限らないが。)


円空はただの丸太から微笑みを彫り出し、
マリオ・ジャコメッリはあらゆるシーンから詩を撮り出す。
豆腐屋は大豆と水で豆腐に変換し、
菌は米を日本酒に、麦をビールに、葡萄をワインに変換する。
……ナンノコッチャ(/ω\)

頭がぐわんぐわんして収拾つかないわ。あせる


とにかく、マリオ・ジャコメッリ!
素晴らしいっっっ!クラッカー


追記:

展示は
「死がやって来ておまえの目を奪うだろう」(1954-1968)、
「ルルド」(1957-1966)、
「スカンノ」(1957と1959)、
「男、女、愛」(1960-1961)、
「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」(1961-1963)、
「善き大地」(1964-1966)、
「新しい移民たちの歌」(1985)、
「雪の劇場」(1984-1986)、
「蝶のゆるやかな飛翔」(1984-1985)、
「シルヴィアへ」(1987)、
「私は誰でもない」(1922-1994)、
「夜は心を洗う」(1994-1995)、
「言語の領域」(1995)、
「死がそうであるように…」(1999)、
「帰還」(1999-2000)

れれれ?
1967年~1983年までの20年間近くの分が
ごっそり抜けてる?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


しかし、
ジャコメッリはその間も、
写真コンテストで受賞したり、
ドキュメンタリー映画を撮ったり、
展覧会を開いたり、
子供が生まれたり、
色々な人々と出会い、
精力的に写真を撮っていたようだ。
展示会では、なぜこの期間の作品が抜けているのだろうか?はてなマーク








この日は、嵐が来るぞ~!という土曜日だったけれど、
すい臓がんであっという間に亡くなってしまった仲間(私にとっては先輩)を偲んで
仲間内で飲んだ。しょぼん


旦那様と娘さんとで設けてくれた席で、
生前の闘病中の彼女の写真なども見せていただいた。林家ぺー


いつも黒々とした瞳をキラキラさせていた彼女だったが、
ベッド上の写真は
さすがに力ない表情で、
豊かな髪も艶を失っていた。ダウン

が、
そうやって病と闘い続けた姿は
遺族にとっては誇らしいものなのだろうな。

見せて頂いて、ありがたかった。(。-人-。)



愛するものに先立たれた人々は
その喪失感、痛みは、ひとかたないだろうけれど、
その悲しみこそは、
自分を愛してくれた人がいた、
自分には忘れられない愛しい人がいるという証拠であり、
幸せな苦痛であると思う。

己の人生の中にその人が不可欠であったればこそ、
その人と、リアルにはもはや会えなくとも、
その人の人生の延長線上に自分がいて、
その線を引き込んで自分が自分の線をさらに引いていくのだから、
頑張って生きなくちゃ、ね。
……って、何言いたいのか、わからんね。酔ってませんが。(・_・;)

夫婦世界旅行-妻編-セイヨウシャクナゲ

東京は早くもセイヨウシャクナゲが咲いていた。
彼女を悼んで、パシャリ。