酒呑地蔵 サケノミジゾウ 2(in 幡ヶ谷 ハタガヤ 清岸寺 セイガンジ)



私の中の一番のお目当ては清岸寺(酒呑地蔵)だったが、
この日、幡ヶ谷を訪れたのは、
実は“太極拳の大会”があったからで。(-^□^-)



太極拳の講師の方々の演技が見られるということで、
出かけた渋谷区スポーツセンター走る人



太極拳の他、中国武術や気功各種もあり、
「扇(オウギ)」あり、

夫婦世界旅行-妻編-扇

「剣(ツルギ)」あり、

夫婦世界旅行-妻編-剣


「集体武術(? カンフーっぽいの)」あり、

夫婦世界旅行-妻編-対打

刀(トウ)あり

夫婦世界旅行-妻編-刀



酔拳の剣あり、

夫婦世界旅行-妻編-酔拳(剣)
(↑この方が私の太極拳の先生)


居合道あり。

夫婦世界旅行-妻編-居合道


「大会」に出るだけあって、
みなさん、お上手。o(〃^▽^〃)o


上手い人の実演を拝見するのは、
ためになるね~。アップ



この空中に、
色々な“気の玉”が、ぷわんぽわん、ひゅーんと、priシャボン桃色しゃぼん○
大きくなったり小さくなったり弾けたり跳ね返ったり漂ったりしているさまが
見えるように思えた。(=◇=;)


あたしゃ、太極拳の先生から、
いつも「体の軸が定まっていませんねーNG」と注意される。あせる

体の軸も、心の軸も、
いまだに定まらぬ。グラグラグラグラ
トホホである。ガックリ
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酒呑地蔵 サケノミジゾウ 1(in 幡ヶ谷 ハタガヤ 清岸寺 セイガンジ)


以前、初台にあるという酒呑地蔵に行ったら、
(→「酒呑地蔵尊(サケノミジゾウソン)無う

既に移転した後で、( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
跡地がすでに整地されて、お地蔵様の跡形もなかった。しょぼん
傍に流れていたはずの神田川も今はなく、
名残の橋の石柱(?)だけが、
かつてそこに川があったことを示していた。しょぼん


で、
今回、幡ヶ谷に行く機会に、
移転先の清岸寺に酒呑地蔵を拝みに行ってみた。



幡ヶ谷駅北口に出た通りを、そのまますぐ右方向へ(西へ)。走る人
中野通りとの交差点で右折。(北へ)走る人
しばし歩くと、
マンションの手前に右へ上がる細い坂道が。(駅から徒歩8分ほど)
その坂道の麓に「清岸寺」の門柱がある。
短い坂道を上り切ると、清岸寺。アップ

夫婦世界旅行-妻編-清岸寺

参照:「清岸寺



本堂の手前に
百万遍大念珠繰り」なる巨大な数珠が、滑車にぶら下がっていた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

夫婦世界旅行-妻編-百万遍念珠繰り


この一粒一粒の大きな108個ある数珠は桜の木で出来ているらしい。桜
ナムアミダブツと唱えながら繰ると心が清浄になる」そうな。(後で知った。)(。-人-。)


桜の木の数珠を念仏唱えながら繰って、心を清浄にするべきだったのに、キラキラ
ま~た、こ~んなアメイジングなもの作っちゃって~!(笑)о(ж>▽<)y ☆と
ただ面白がってガチガチ大きな音を立てて繰ってきた私に「清浄」は訪れそうにない。汗



百万回念仏唱えると功徳がある……って、
お念仏の量で勝負……って、グー
くだらないなぁ……と私はいつも思うのだけど、┐( ̄ヘ ̄)┌

人が窮地に立って、祈るより他になにもできないとき、
数え切れないほどの念仏を課されることで
なんとか乗り越えることできたりしたんだろうなぁと思う。DASH!


本堂に向かって左手に、3mはありそうな、大きな観音像。
幡ヶ谷聖観音」。

夫婦世界旅行-妻編-清岸寺聖観音

なんでまた、こんな大きな観音様……?( ̄_ ̄ i) 
背後のダイワマンションと、なんともアンバランスな風景。叫び


見た目にあまり私の好きな感じの観音様ではなかったのだけど、ダウン
裏に回ってみると、建立の由来が刻まれてあり。えっ

第2次世界大戦で亡くなった人々の慰霊を旨としたものらしく、
焼け野原になった東京において、
観音様を建てようと頑張った人々の気持ちを思ったら、
途端になかなかいい観音様に見えてきた。(。-人-。)



幡ヶ谷聖観音の右横には、
魚籃観音(ギョランカンノン)。

夫婦世界旅行-妻編-魚籃漢音

魚の籃(カゴ)を手にしている観音様。
籃には魚が。うお座
風雪に耐え、石が相当崩れていたが、
なんとなく可愛らしい感じの観音さまであった。( ´艸`)




室町時代に建てられたらしい板碑(イタビ)。

夫婦世界旅行-妻編-板碑

緑がかった秩父石に、
「阿弥陀如来」を表わす文字(種字シュジ)が刻まれているらしい。
50cm弱の小さな石の板だが、
室町時代から彫られていた文字か~と思うと、
なにやら貴重なものに思えてくる。f^_^;


文字の上の二重横線は何ですか? とお寺の方にお聞きしたら、
「不勉強で分かりません。勉強しておきますあせる」と仰る。
正直な方だわ……。( ´艸`)



板碑のさらに右横に五輪塔が4基。

夫婦世界旅行-妻編-五重輪

お寺の方が、
これは世界の成り立ちを表していると教えてくださった。
一番下の四角い石が「土」、
次の丸い石が「水」、
次の三角石が「火」、
次の半円の石が「風」、
一番上の丸っぽいのが「空」だとか。Σ(・ω・ノ)ノ!

「地・水・火・風・空」が宇宙の構成要素なのだとか。Σ(・ω・ノ)ノ!

寺の屋根などの一番上に乗っているものも同様に
世界を現しているのだそうで。Σ(・ω・ノ)ノ!

夫婦世界旅行-妻編-宇宙の五要素

ほほぉ。
火焔をシンボライズしているということは察せられていたけれど、
宇宙全体を現しているとは知らなんだ。(=◇=;)

こういうことを教えていただけると、
とても嬉しい。ラブラブ



この五輪塔がどれほど古いのかはよくわからなかったが、
私が訪れたときは、一基、上の3重の部分が崩れ倒れていた。ダウン
それにお寺の方が気がついて、
「昨日風が強かったから倒れてしまったんですね~あせる」と
まるで風に倒された植木鉢を直すように、
よいしょっと直して収めた。


夫婦世界旅行-妻編-よいしょと直す

うん。ちゃんと直って、塔も嬉しそうだ。( ´艸`)





で、
肝心な酒呑地蔵はどこか……と探すと、
本堂向かって右手に納骨堂である「浄霊殿」があり、

夫婦世界旅行-妻編-浄霊堂

その左隣に、
あった!
酒飲み地蔵!クラッカー

夫婦世界旅行-妻編-酒呑地蔵

これまた風雪に耐えたのだろう、顔は殆ど風化してしまっていたが、
うっすら優しげな様子が窺われる。ラブラブ



この地蔵は、江戸時代の宝永5年(1708)にたてられ、別名を子育地蔵ともいわれますが、つぎのようないい伝えがあります。


むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という者は、故あって成長の後に家を出て幡ヶ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど一生懸命に働いたといわれています。


瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月に彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった瀬平は川に落ちて水死しました。


瀬平は村人の夢まくらに現れて、この村から酒呑を無くすために地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基の地蔵を建立し、酒呑地蔵として伝えて来ました。




酒呑を無くすためのお地蔵さん”。((((((ノ゚⊿゚)ノ

ならば、まず名前を「酒呑地蔵」ではなく、
「酒呑まん地蔵」とか、「酒忌み地蔵」とかにすればいいのに。( ・д・)/--=≡(((卍
「酒呑地蔵」なんていうと、お酒が大好きなお地蔵さんかと思うじゃないか。グー


それに、お地蔵様建立の話も
なんだか、本末転倒に思えてならない。(・_・;)


瀬平さんが振舞われたのは、
日頃の労をねぎらう、正月の目出度い酒。お酒
瀬平さんが酒に強かったら、酒に酔って川に落ちて死ぬこともなかったろう。
“酒に強くなれるご利益のあるお地蔵さん”にするべきではなかったろうか?

……と思うのは、私だけ?(/ω\)



あるいは、
飲めない人に無理やり飲ますな!
という戒めのお地蔵さまにするべきなのでは?

……と思うのは、私だけ?(/ω\)


江戸時代、このお地蔵さんが建てられてから、
初台あたりの村では酒呑がいなくなったのかどうか……? イヤ、イマイ。
この酒呑地蔵はまたの名を「子育て地蔵」ともされているようなので、
ネーミングと意図とがずれてる「酒呑地蔵」としてより、
むしろ「子育て地蔵」として愛されてきたのではなかろうか。
(想像の域を出ることができないけれど。あせる




この酒呑地蔵さんの前には何本も日本酒が供えられていた。お酒
お寺の方のお話では、
毎日のように拝みに来られる方がいるとのこと。(。-人-。)

なんとかお酒を断とうとしているのか、
酒が原因で死ぬなんて事にならないようにと願っているのか……。あせる


私はもちろん、
「酒にもっと強くなれますように。美味しくお酒が呑めますようにラブラブ
とお願いしたのであった。(。-人-。)


さてさて、酒呑地蔵さんにお参りしたからには、
もう二日酔いになることもなくなるだろうか。にひひ








今回、気づかずに帰ってきてしまったのだが、
境内には
酒とっくりを持つ狸
もいたらしい。Σ(~∀~||;)

夫婦世界旅行-妻編-酒とっくりを持つ狸

「酒呑地蔵」のすぐ横に配置しておいてくれれば面白かったのに……。にひひ
次の参拝の機会には、是非探してみたいものだ。






清岸寺入ってすぐ右手には稲荷神社もあり。Σ(・ω・ノ)ノ!
小さな神社だったが、
ここのお狐さんは、アニメチックで可愛かった。

夫婦世界旅行-妻編-オキツネ様(向かって左)

夫婦世界旅行-妻編-オキツネ様(向かって左)


寺の中に神社。
神仏混交の節操のなさにも、いい加減慣れたわ
……と思ったが、
後日調べたところ、
この稲荷神社は、
明治時代に合併した「法界寺」にあったものだという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

法界寺の瘡守稲荷(かさもりいなり)として昔から知られた神祠である。
その祭祠の由縁や建立の年代は不明であるが、
古来より腫物・瘡に効き目があり平癒祈願(へいゆきがん)すれば
願いが叶う稲荷神として近隣の信仰をあつめていた
。」




今のようにステロイド剤などがない時代は、
お肌のトラブルはもっと深刻且つ致命的なものだったのではないだろうか。
「腫物・瘡」が平癒したとなれば、みなありがたかったろうね。(。-人-。)


瘡守稲荷(かさもりいなり)にしても、酒呑地蔵にしても、
清岸寺って、いろいろ引き受けてあげていて、
色々な人の願いになるべく沿おうとしていて、
なかなか頑張ってるお寺とお見受けする次第であった。ラブラブ



境内に大仰な干支のお御籤マシーンが一台あっただけで、
他には商売っ気が全然ないお寺であったが、
これといって特別“格式の高さ”も感じさせないお寺であったが、
気持ちがほんわかする、
気持ちのいいお寺であったよ。ラブラブ



酒呑地蔵目当てで訪れた清岸寺だったが、
あれこれ楽しめた。( ´艸`)

中でも一番目を引いたのが、
小首をかしげたこのお地蔵さま!

夫婦世界旅行-妻編-しあわせ地蔵

水子地蔵たちの群れの中に、
ちょこんと立っていた。キラキラ

この顔がきれいで、キラキラ
優しげで、上品で、そこはかとなく寂しげでもあり。キラキラ
いいなぁ~ラブラブと、とても心惹かれたお地蔵様であった。(-^□^-)



後日調べたら、
「第44世順譽徳正上人」が「しあわせ地蔵と名付けた」ものらしい。
「昭和58年篤信の檀徒から寄進された」という。
「森桂子作。」(=◇=;)

いいお地蔵さんだった。チョキ



ところで、
観音様や仏像は他国でも見受けられるが、
「お地蔵さん」って日本だけじゃない?はてなマーク
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2人分のロバート・キャパ




先月、
ロバート・キャパ / ゲルダ・タロー 二人の写真家」展を見てきた。
横浜美術館で開催されている。(3月24日まで)

夫婦世界旅行-妻編-ロバートキャパ・ゲルダ・タロー展

参照:横浜美術館


「世界で最も著名な写真家のひとり、『ロバート・キャパ』ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。

しかしこの『ロバート・キャパ』という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。」



……という宣伝文句を読んで、びっくり!Σ(・ω・ノ)ノ!
知らなかったよ……っ。
ロバート・キャパは2人で1人だった?Σ(~∀~||;)




ロバート・キャパといったら、
この人!

夫婦世界旅行-妻編-ロバート・キャパ
(ネットより拝借。ゲルダ・タローが撮ったロバート・キャパ)

と思っていた。(=◇=;)

もともとは、2人で1人の架空の名前だったとは……っ。ひらめき電球



寡聞で、疑り深いくせにすぐに信じやすい私は、あせる
ロバート・キャパといったら、
“世界で初めて死の瞬間を撮った報道カメラマン(戦場カメラマン)” と、思っていた。(=◇=;)


それまでだって、“戦場カメラマン”はいたけれど、
戦闘が終わった戦場に出向き、
死体などをいい具合に配置し直しなど“演出”して撮影していたらしかった。
(カメラの性能の限界ゆえ。)


そんな中で、カメラの性能も進歩し、
自ら戦場の前線に赴き、
兵士と同じ砲弾の飛び交う中、銃をカメラに変えて
“戦場”というものをリアルタイムでとらえ、
戦場の“一瞬”をものしたロバート・キャパ。グー


無名だった若き彼を一躍有名にしたという問題作、
崩れ落ちる兵士

夫婦世界旅行-妻編-崩れ落ちる兵士
(ネットより拝借)


脳天に銃弾を受け、血だか脳漿だかが飛び散っているように見える。血
まさしく、“死の瞬間”、“戦闘の凶弾が人を殺す瞬間”を撮ったものドクロ
だから、評価されたんだろう
……と思っていた。あせる
(横浜美術館でも、そうした受け止め方で展示している。)



しかし、
この写真に関しては、真偽が色々取り沙汰されていたのであった。えっ

参照:「崩れ落ちる兵士」ウィキペディア

嘘偽りなく、本当に戦士が戦闘中に弾丸を受けて倒れる瞬間であるとする説。メモ
いや、実際には戦闘中ではなく、写真の男は死んでもいなかったとする説。メモ
これは、実はキャパが撮った写真ではないとする説。メモ

これらの声に、キャパは生涯沈黙を守ったらしい。∑(-x-;)




で、
後日、
TVで、沢木耕太郎の推理ドキュメント番組を見、
またまた驚いた!Σ(・ω・ノ)ノ!


参照:「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚
~“戦場写真” 最大の謎に挑む~



沢木は、
「崩れ落ちる兵士」は
ロバート・キャパと一緒に写真を撮っていたゲルダ・タローが撮った写真であろうという。
しかも、これは戦闘中の写真ではなく、
実は、民間兵が戦闘訓練中に、滑ってコケる瞬間だろうという。(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)


「崩れ落ちる兵士」は確かに“崩れ落ちる兵士”に違いないが、
“戦闘中の弾を頭部に受けて死にいく兵士”と、
“戦闘訓練中に足を滑らせバランスを崩した兵士”。
なんたる違い……。汗


当時の状況を、地形や記録などを調査し、コンピューター処理し、
沢木は“真実”に肉薄していく。


おそらく沢木耕太郎の推理は正しいのだろう。
(横浜美術館での展示では、沢木耕太郎の推理に軽く触れながらも、彼の説は採用せずに解説していたが、そちらは「ふたり」の展覧会なので、それはそれでいいと思う。)







始めはロバート・キャパの助手をしていたが、
やがて自分もカメラマンとして自立していったゲルダ・タロー。走る人
ロバート・キャパの恋人だったらしい。ラブラブ
(が、彼からのプロポーズを断ってもいるようだ?∑(-x-;))


“女性初の戦場カメラマン”と称されるゲルダ・タロー。
彼女の撮った女性兵士は、いかにも女性女性したしなやかな体つきに
勇ましい服装を身に纏い、銃を構える。

夫婦世界旅行-妻編-女兵士
(ネットより拝借)

女兵士……格好よくもあり、可愛らしすぎて痛々しくもある。
そして、ゲルダ・タロー自身も、
周りの女兵士同様、カメラを手に戦っていたんだろう。




私が展覧会で最も印象に残った写真は、
小さなベッドで昼寝をするゲルダ・タローの写真。ぐぅぐぅ

まるで少女のようにあどけない寝姿の一枚。
それは、ロバート・キャパが撮ったもので、
タローの一番お気に入りの写真であったらしい。

あの写真を見ると、
ロバート・キャパは彼女を愛していたんだろうなぁと思うし、ドキドキ
その写真を大事にいつも飾っていたというゲルダ・タローも
彼を愛していたんだろうなぁと思える。ドキドキ

(残念ながら、その写真はネットで探すことができなかった。見たい人は展覧会に行って下さい。GO




彼女の生涯は短く、26歳で混乱する戦場で、事故で亡くなっている。しょぼん

2人で作り上げた「ロバート・キャパ」という写真家が、
「崩れ落ちる兵士」で世界的に注目されるのを
見ることなく亡くなったらしい。ガーン




若い恋人たちが、ロバート・キャパという人物を作り上げ、
世にうって出ようと賢明に写真を撮り、売り込んだ。
写真は予想以上に世間にもてはやされ、
その写真を撮った本人である愛する彼女は死に、
2人で創った名前の男になって、ロバート・キャパは報道写真を撮り続けた。


彼は、その写真が実は彼女が撮ったものだとは、もはや言えなかったろうし、
ましてや、“訓練中のずっこけた兵士の写真”だなどとも言えるはずもない。あせる
ある意味、黙することで、彼は“戦場の真実”を伝え続けたと言えるよね。


もしかしたら、ゲルダ・タローがその写真をキャパと一緒に現像しながら、
「これは、『ロバート・キャパ』が撮った写真よ。
『崩れ落ちる兵士』ってタイトルにしましょう!
そうすれば、きっと戦争反対の気運が起こせるわ!」

などと、
二人だけの秘密の誓いの言葉を残していたのかもしれない。ヒミツ




一方で賞賛され、一方でペテン師呼ばわりされながら
黙し続けたロバート・キャパは、
さぞ苦しかったのではなかろうか。叫び



一枚の写真に、語られずに通された真実があるもんだなぁ。

沢木耕太郎の説を取るならば、
ロバート・キャパは、“語れなくなった真実”を一生抱えて生きたことになる。
彼のどこか陰鬱な悲しげな雰囲気は、そこから発せられているのかもしれない……。


「崩れ落ちる兵士」の写真の真相はともかく、
彼の撮ったゲルダ・タローは、常に可愛らしい。

そこには、常にめいっぱい頑張っている彼女か、
疲れて眠る彼女がいるのだった。

夫婦世界旅行-妻編-眠るゲルダ・タロー



「崩れ落ちる兵士」は、
二人三脚だった「ロバート・キャパ」の奇跡の一枚
と言ってよいのだ……と、私は思う。

「ロバート・キャパ」であった2人を
同時に展示した今回の展示、
とても面白かった。



夫婦世界旅行-妻編-セキレイ
(↑ ひとりぼっちだったセキレイちゃん)


夫婦世界旅行-妻編-横浜美術館2
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下水臭いのに、リニアコライダー



最近(といっても、一昨年くらいからずっとだが)、気になることがある。
最近(といっても、一昨年くらいからずっとだが)、いたるところが、下水臭いの。!(´Д`;)


夏場、道路の脇にある排水溝あたりから臭うならまだわかる。
でも、それだけじゃない。
冬場でも、臭うの。ヽ(;´ω`)ノ


しかも、
ちゃんとしたデパートの階上のフロアーでさえ、下水臭いときがあるの。
埼玉でも東京でも神奈川でも。(((゜д゜;)))


マスクをしていても臭うの。マスクマン。
私だけが臭いと感じるのかな? 私の嗅覚が変なのかな?はてなマーク
と黙ってクンクンしていると、
一緒に歩いている友達も、「下水臭いよね……」と同意してくれる。

やっぱりみんな、平気な顔してるけど、臭いとは感じているんだ!ビックリマーク


臭い、臭いよ、下水臭いよ! そこらじゅう!(°Д°;≡°Д°;)
これって、そこらじゅうで
下水管に問題が起こっているということではないのかしら?爆弾


水道管が日本全国に一斉に配管されて、かれこれ何十年?
そろそろ一斉に老朽化も甚だしい頃だろう。
全て新しい下水管に交換したという話も聞かない。
今、古い下水管にとんでもないことが起こっていないと
誰が言える?(-"-;A


高速道路のトンネルだって、「点検」されながら、
しかも、「問題あり」とされながら、
そのまま放置されていたところが多々あったではないか。(((( ;°Д°))))
――なんのための「点検」なのだろう?


下水管だって、
「点検」されているとしても、信用できないのではなかろうか。
それが証拠(?)に、この下水臭さ!ぷ~ん


早急に日本全国、下水管、配水管を真剣にチェックしていただきたい!パンチ!

……と思うのは、私だけ?








それと、あっこさんから教えていただいた
リニアコライダー」!

なんのこっちゃとググッたら、

参照:「リニアコライダーPodcast

未だに宇宙は謎だらけです。そんな謎を解明するために宇宙の始まりの状態であるビックバンを人工的に作り出す実験施設が地球上には存在します。


って、
スイスに山手線とほぼ同じ大きさの地下実験施設があるらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!




そして、現在、「それよりもさらに大規模、高性能の実験施設『リニアコライダー』の建設計画」が進んでいるらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



素粒子実験の次の世界拠点となる『リニアコライダー』を日本に建設し、物理学の革命を間近で体感しよう!


……ですと。Σ(~∀~||;)
なんとも壮大で愉快そうなお話だが……。あせる






高安秀樹公式ブログ」を読むと、

以下、少々長いけど、抜粋。あせる


「(2011年)第2回目の復興構想会議で、岩手県知事が復興プランのひとつとして、リニアコライダーを北上山地の地下に作る計画を推進するという提案をしたという。これは、絶句するほどひどい。


 リニアコライダーとは、次世代の素粒子の実験の装置で、地下に30km程度の直線的なトンネルを掘り、電子と陽電子を強力な電気的な力で加速し、衝突させる実験をする装置である。もしも、世界が平和で、日本の経済も順調で、国にも借金がなく、蓄財も沢山あり、そして、何より最悪の震災が起こっていなかったなら、私も好奇心からこの実験の結果は見てみたい。しかし、今、この実験を提案することはあまりにも時代錯誤だ。

 
まず、この実験装置を作るには、1兆円近いお金がかかるあまりに高価なため、一国では実験をすることは不可能なので、日本とアメリカとヨーロッパで協力し合うプランを立てている。しかし、最近、イギリスとアメリカは、国家の財政に余裕がない、経費の割に効果が期待できない、として二の足を踏んでいる。ヨーロッパでは市民レベルの反対が多いようで、積極的なのはノーベル物理学賞で気を良くしている日本だけのようである(中略)」



「山の地下に巨大なトンネルを掘るのであるから環境破壊になるし、膨大な電力を必要とするので専用の巨大発電設備も必要だ。建設するときには、一時的に地元の建設業に仕事は回るだろうが一過性であるし、高度の専門性を必要とする加速器の運用には地元の人の雇用はあまり期待できない。



つまり、

リニアコライダー建設については、推進派と反対派とあるようだが、
素人の私には、
北上山地の地下にスイスの施設よりも巨大な施設を作って実験するなんて、
その安全性も誰も未経験なのだからわからないのに、
あまりに無謀だと思えてならない。(((゜д゜;)))



「想定外」という逃げ口上がシャーシャーと罷り通る日本においては、
夢溢れるではあろうが、
想定外の致命的なものも溢れてきてしまうかもしれないビックバン状態を作るより、

まず撒き散らされ、いまだに流出しつづけているという放射線を回収、
無害化する施設こそ、まず作られるべきではないでしょうか。

安全に暮らせる土地を取り戻し、
被災者を助け、
被災地や原発のある地域の、“原発に頼らない街づくり”にこそ
血税を注ぐべきではないでしょうか。パンチ!
『肥後の石工(イシク)』を読む


アンデルセンの『絵のない絵本』を図書館に借りに行ったら、走る人
ふと目に付いて、ついでに借りてきた本が面白かった。ひらめき電球

『肥後(ヒゴ)の石工(イシク)』

今西祐行(イマニシ スケユキ)著


夫婦世界旅行-妻編-肥後の石工


江戸時代のお話。
肥後の石工たちが、橋を架けるために薩摩に呼ばれ、
仕事をした後、
橋の秘密が漏れることを恐れたお上から暗殺される。
ただ1人生き延びて故郷に帰ってきた石工、岩永三五朗の苦悩と、
その後の仕事ぶりなどが書かれている。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


人を人とも思わぬ腐れ切った役人どもの卑劣さ、
貧しさゆえか、同士として結束せず、互いに貶めあうような農民、
事実をしかと確認せずに噂を鵜呑みに見当違いの怒り、恨みをもつ憐れな人々……(ノ_-。)


怒りの矛先のもって行き方が間違っている、パンチ!
巨大な邪悪の力の前に卑屈に黙する、etc.パンチ!

江戸時代も現代も、日本人って変ってないなぁと思う。( ・д・)/--=≡(((卍




それはそれとして、
必死にいい橋を架けようと、仕事に心血を注ぐ肥後の石工の心意気たるや
素晴らしいもので、クラッカー
芝居にもなったらしく、
いい本であったよ。合格




緑川にかけられた橋は『霊台橋(レイタイキョウ)』、御船(ミフネ)の橋は『御船のねがね橋』、
そして矢部郷(ヤベゴウ)の水道橋は『通潤橋(ツウジュンキョウ)』とよばれている
。」(本文より引用)


なんと、江戸時代に三五朗の架けた石橋は、現代も使われているらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
見てみたいものだ。
ラブラブ


肥後に残る橋には
岩永三五朗の名前がどこにも全く残されていないらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
それは、三五朗が事件の後、表に立たなかったから らしい。
素晴らしい偉業を残しながら、その名を刻めない
――彼自身はそのことを残念にも思っていなかっただろうが――
なんとも、歯がゆく悔しいことである。(´_`。)




この本の最後に、駄目だしのように感動させられる。グー


しかし、もうひとつつけくわえておかなければならない。明治維新になって、新しく東京が首都になったとき、人びとの目にももっとも江戸の町を新しい都、東京らしくしたのは、二重橋をはじめ、日本橋、江戸橋、万世橋(マンセイバシ)、など、どこか西洋風な石のアーチ橋であったという。これらの橋をかけたのは、すべて三五朗のでしの肥後の石工たちであった。」メモ

ですと!Σ(・ω・ノ)ノ!





参考までに、ネットで石橋画像を検索してみた。サーチ
(以下、画像はすべてネットより拝借m(_ _ )m)




二重橋を調べたら、
皇居の中の橋で当たった。
皇居の中にある正門石橋

夫婦世界旅行-妻編-皇居内石橋


ウィキペディアによると、この石橋は「正門石橋。
二重橋だと誤認されることがあるが、
この石橋の奥にある正門鉄橋が『二重橋』である
」とある。Σ(~∀~||;)

夫婦世界旅行-妻編-皇居内二重橋

小説の中で挙げられている「二重橋」は、おそらく
この“本当の二重橋”――本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)――
のことでは、なく、

石のメガネ橋のことを指しているのだろう。(o^-')b




日本橋

夫婦世界旅行-妻編-日本橋錦絵
夫婦世界旅行-妻編-日本橋現代

「明治初期、石造の橋が、肥後の石工である橋本勘五郎によって架けられた。」(byウィキペディア)

日本橋だけは、辛うじて、「肥後の石工」による仕事であることが明記されていた。チョキ



江戸橋

夫婦世界旅行-妻編-江戸橋錦絵
>

夫婦世界旅行-妻編-江戸橋現代

「1875年に石橋に、1901年には鉄橋へ改架されている。
昭和2年 (1927年)昭和通り開通に伴い現在地に架け直された。」(byウィキペディア)

今は石橋ではなくなってしまっているんだ。( ´(ェ)`)





万世橋

夫婦世界旅行-妻編-万世橋現代

「1873年(明治6年)にその石材を再利用して、
筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、
当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、
次第にまんせいばしという音読みの方が一般化した。
眼鏡橋とも呼ばれた。」

「1903年(明治36年)、
一時昌平橋と呼ばれた仮木橋の場所(現在の位置)に
新万世橋が架け直され、
元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、
1906年(明治39年)に撤去された。」(byウィキペディア)


万世橋も変遷が多いようだが、最初に架けられた石橋のメガネ橋は、
他の橋が流されても残ったのに、
結局「撤去」されちゃったんだ~。(´□`。)






橋を架けるって、責任重大だよね。
壊れない橋を作ることに腐心したかつての肥後の石工たち、
素晴らしいもんだ!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


明治期に同じく洋風の建築物が一斉に建てられたとき、
建てた人びとは、その建物の寿命や、それを取り壊すときのことなど
考慮していたのだろうか?はてなマーク
高度成長期のときも、しかり。
建てるだけ建てて、後のことは知りません……なんてことはないだろうね?
(ちょっと不安むっ



人にも物にも宇宙にも何にでも寿命はあり、
その時どうするのか、
そのことをしっかり見据えながら生きていかねばならないねぇと思うのであった。



原発はいったいどうするんだっ!?