鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 5



東勝寺橋を渡ると、細い、ややきつい上り坂が現れる。
その坂の途中に東勝寺はあった。

参照:
1333年、
新田義貞の鎌倉攻めにて敗北した北条一門は
東勝寺に火を放ち、約870人が自害したといわれています
。」
(「150年の歴史に幕を閉じた鎌倉幕府終焉の地 東勝寺跡」より引用)



別のサイトでは、アップしてある写真もちょっとおどろおどろしい。(((゜д゜;)))

参照:
東勝寺跡にある「腹切りやぐら」は、元弘3年(1333年)に新田義貞に攻め込まれ、敗走した北条高時が自ら一族郎党800余人と共に自決した場所である。
東勝寺跡は現在ハイキングコースとなっているのだが、腹切りやぐらの近くを通ると気分が悪くなる人が続出しているらしい。
他にも、落ち武者の幽霊の目撃談が数多く報告されている

(「神奈川の心霊スポット腹切りやぐら」より引用)



東勝寺は1333年、焼け落ちて以来、そのまま……ということなのだろうか。(=◇=;)
敷地の周りには金網が張られ、
中には入れないようになっていた。

夫婦世界旅行-妻編-東勝寺址1


いまや草木が伸び放題のただの空き地である。

夫婦世界旅行-妻編-東勝寺址2


梅雨の晴れ間、
新緑の明るい緑と蔭の小暗さが対照的だ。
今陽だまりの中で黙りこくっているこの地で、
かつて北条高時らの無念の血が流れたのね。


東勝寺跡を通り越してさらに坂を上ると、
東勝寺のすぐ隣(上)に
腹切やぐら」が。

夫婦世界旅行-妻編-立て札


ここには柵もなく、
狭い山道が奥の穴倉まで続いているだけの
狭い敷地である。

入っていくと、
奥に穴倉が。

夫婦世界旅行-妻編-腹切やぐら


夫婦世界旅行-妻編-穴倉

穴倉の中に、卒塔婆と小さな祭壇。(。-人-。)南無~



「やぐら」はどこ? といぶかしんだ。むっはてなマーク

私は「やぐら」=「物見やぐら」と思っていたのだ。
高い「台」の親分みたいなものと思っていた。ドリル

しかし、連れの“元鎌倉文士”曰く、
鎌倉では、「やぐら」と言ったら「穴倉」のこと、
とのこと。Σ(・ω・ノ)ノ!
なぜかはわからない。



「腹切やぐら」と言われているこの地、この穴。
北条高時は東勝寺で切腹したらしいが、
家来たちはこの「やぐら」で切腹したということなのだろうか。

しかし、この狭さで、800余人は自害できないだろう~と思われ。
東勝寺同様、ここで自害できた人数は限られたものだったろうと思われ。
それ以外は坂の途中などで切りつけられなどして絶命したのだろうと思われ。


夫婦世界旅行-妻編-腹切り櫓碑


鎌倉幕府が滅んだ1333年……って、鴨長明が『方丈記』(1334)を書き上げた翌年だ。
権力者は勢力を奪い合い、
殺し合い、逃げ惑う。
人間はなんと哀れなことだと長明さんもやりきれなかったことだろう。
欲と欲でぶつかり合い、
だまし合い、疑い合いする
どうしようもない世の中を、
深く見つめ、なんとしても彼の言葉で記さねば!と思ったことだろうね。I think・・・



「腹切やぐら」よりも上は、いよいよ山道で、
現在はハイキングコースになっていた。

夫婦世界旅行-妻編-ハイキングコース


敵は、何百年後かには「ハイキングコース」になる山道を、上から襲ってきたのか、
坂道の下から襲ってたのか、
挟み撃ちだったのか……。


東勝寺、腹切りやぐら、坂道には
何百人という武士たちの累々たる骸が折り重なっていたことだろうね。

何百人分もの血を吸っている地なのだね。

約150年間続いた鎌倉幕府が終焉を迎えた地の
明るさと小暗さが、やけに目に沁みたことであった。(+_+)




おまけ


夫婦世界旅行-妻編-三つ鱗

東勝寺からやや離れたところにある宝戒寺(ホウカイジ)に寄ったらば、
北条氏の家紋、三つ鱗(ミツウロコ)が。
\(゜□゜)/


夫婦世界旅行-妻編-宝戒寺の木


夫婦世界旅行-妻編-花




小町大路にある「日蓮聖人辻説法之址

夫婦世界旅行-妻編-日蓮聖人辻説法之址

夫婦世界旅行-妻編-ここで?





            おしまひ



「腹切櫓」散策、お付き合い、ありがとうございました。^^
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*「北海道ひとり旅」を書きかけですが、それよりも前に行った鎌倉散策のことを、
忘れないうちに……。f^_^;


鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 4



標識通りに進んでいくと、走る人

東勝寺橋(トウショウジバシ)が現れる。

夫婦世界旅行-妻編-東勝寺橋

橋の手前になにやらまたも石碑が。
青砥藤綱旧跡

夫婦世界旅行-妻編-青砥藤綱旧跡

青砥藤綱(アオトフジツナ)さん? どなた?・・・・・な私。ヽ(;´ω`)ノ


説明によれば……
当時、彼は「引き付け衆」なる任についていた。
夜、出仕の際、彼は誤って、この辺りで川に10文落とした。お金
それを探すのに50文で松明を買て水中を照らさせ、お金お金お金お金お金
ついに落とした10文を見つけた、と。メモ


他の人からは、「損じゃん!」と嗤われたけれど、
「10文は少額だけれど、そのままにしておいたら、天下のお金を失うことになる。
50文は自分にとっては損だけれど、誰かの益になるチョキ」と答えた、と。Σ(・ω・;|||


夫婦世界旅行-妻編-ナメリガワ1

滑川(ナメリガワ) は川幅もさほど大きくない、水かさのすくない川だった。
けれど、この川底から、夜、たいまつの明かりで10文探すのは大変だったろう。メラメラ
10文探すのに50文支払う・・・・・・あせる
確かに「天下の貨」を無駄にはしないが、
時間の無駄ではないか?
出仕の時間に遅れちゃったんでないかぃ?( ̄□ ̄;)


「実直」の上に「馬鹿」が付く気がする・・・・・・と私には思えた。あせる

それに、「引き付け衆」って何? 夜のお仕事?はてなマーク
“ポン引き”ではないだろう……くらいはわかるが、
歴史音痴の私は彼の職業が何なのか、想像もできない。(/ω\)





しかたなく、
後日ウィキペディアで彼について調べたら、
納得がいった。


彼は清廉潔白、公平無私を旨として生きた人で、
彼が着いていた仕事(役職)の「引き付け衆」とは、裁判官(の下にいる実務を取り扱う係り)のようなものらしい。てんびん座
御家人たちの訴訟などを取り扱っていたらしい。(=◇=;)


正しく判決を下すお仕事。公平無私でなければできないよね。ホンライ。
ならばこそ、自分のお金も「天下の貨」と思い、一文たりとも疎かにできず、
自分のふところは減っても、その分誰かが潤うことがよいことだ
ということになるのね。ラブラブ

参照:ウィキペディア 青砥藤綱 


こんな人、いそうで、なかなかいないのではなかろうか。
私利私欲がないから、
計算高い人からは“愚行”のようにも見えることを、貫いたんだね~。ベル



滑川(ナメリガワ)

夫婦世界旅行-妻編-きらきら

梅雨の間の晴れ間の日を受けて、
滑川はきらきらときれいだった。キラキラ
青砥藤綱さんの心もきっとキラキラきれいだったことだろう。


それにしても、浅学な者のためにも、
「引き付け衆」がいかなる職業だったのかも、
ちょいと石碑の脇に説明を入れておいてくれればいいのに……。(;´Д`)ノ


ところで、
「夜に出仕」とは、
裁判・審査関係の仕事にも夜勤があったのかしら・・・・・・?はてなマーク
裁判のための下調べの仕事でもあったのだろうか?はてなマーク
鎌倉時代の役所……深夜手当てなど付いたのだろうか。(^o^;)

                つづく
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鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 3



かつての“鎌倉文士”(私が学生の頃バイトしていた売店の社長さんであり、人生の先輩であり、飲み仲間であるお方。2・26事件の翌年に生まれたお方である。)と2人で、
とろとろと鎌倉散策開始。走る人


さて、JR鎌倉駅から、まずは鶴岡八幡宮辺りで腹ごしらえをしようと、
若宮大路を行く。走る人


途中、私がいつも覗く骨董屋に通りかかった。
「ここ、好きなんですよ~。いつも覗くだけで、何も買ったことはないけど~。ラブラブ
と、私が言うと、
彼女、立ち止まって店をじーーーーっと見る。目
しばらく動かなくなってしまったと思ったら、
やおら店のショーウィンドーをカメラに収める。カメラ

夫婦世界旅行-妻編-骨董屋さん

いぁ、そんなに関心をしめしてくださらなくとも……。あせる
今日はゆっくり覗いている時間もないし……。あせる
と恐縮していると、



やっぱり……。
ここ、昔、私が、自殺用の小刀を買ったところだわっ


と、ちょっと照れたように懐かしそうに笑って仰る。Σ(~∀~||;)


どひぇぇ? 自殺用の小刀?!刀
買ったんですか?ヽ((◎д◎ ))ゝ
驚く私に、


「あの頃は、いつでも死ねるように……とか考えて、買ったんだよね~。
今もどこかに仕舞ってあると思うけど……。
ははは。こんなの買ってたんだなぁ。」

と、懐かしげに見つめるショーウィンドーの中には
折りしも古びてはいるけれど美しい鞘付きの日本刀(長太刀?)と小刀(短刀?)が……!Σ(~∀~||;)

おぉぅ! こんな小刀を買う女!
ある意味、カッコいい!
昔から根性が座っていたんでふねっ!( ´艸`)


夫婦世界旅行-妻編-鶴岡八幡宮
(↑鶴岡八幡宮)


この日、もうひとつ楽しみにしていたのは、
八幡宮の桐の木!(-^□^-)

いつもは正月にしか来ないから、
桐は枯れ枯れ状態。ダウン
いまだにその花を見たことがない。しょぼん


しかし、時は6月初旬。クラッカー
2日前に山登りした際、麓で、薄紫に咲く満開の桐の花をいっぱい見てきたばかり。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
なので、鎌倉の桐の花もまだなんとか咲いているはず!……と。ドキドキ


しかし、
花は終わってしまってるようだった……。ガックリ

夫婦世界旅行-妻編-桐の木

まぁ、この桐の木が、こんなに葉を茂らせているところは初めて見られたので、
よしとしよう。汗



夫婦世界旅行-妻編-池のほとり

池のほとりで、弁当を広げる。ヾ(@^▽^@)ノ
(後で気づいたのだが、池の畔は「飲食厳禁」だった……。ゴメンナチャイ)





さて、いよいよ町大路へ!

なんせ2人とも「小町大路」なんて名前さえ知らずにいたので、
ちょっと迷う。(→o←)ゞ


小町大路には、史蹟の説明碑(?)がぽこぽこ建てられていた。

夫婦世界旅行-妻編-幕府跡

若宮大路幕府旧跡

夫婦世界旅行-妻編-幕府跡こみち

この石碑さえなければ、ただの曲がり角ですわ。(^_^;)

この辺りを鎌倉武士たちが闊歩していたのか……。武田信玄
北条氏たちがうろうろしていたのか……。侍

夫婦世界旅行-妻編-幕府跡住宅

石碑の背後もごく一般的な住宅に見える。
「鎌倉幕府跡」に建っている家に住んでいる人がいるのね~。
どんな気分か、ちょっと尋ねてみたくなる。
固定資産税などもお高いんじゃないでしょうか。ヽ(;´Д`)ノ

そういえば、以前鎌倉に住んでおられた江藤淳氏も
鎌倉市相手に固定資産税が納得行かんとかなんとか闘っておられたよね。
歴史的な土地に住むのは色々大変そうだ。あせる


「小町大路」は、かつてはその名の通り
大路」だったらしい。
道幅は今よりも広く、商店が並んで賑わっていたらしい。アップ
今は、静かなものだ。
(いつの間にか、駅寄りの「小町通り」に客をとられてしまったのね。)

夫婦世界旅行-妻編-小町大路

少々迷いながらも、
八幡様から少し歩くと、
鎌倉幕府終焉の地、「腹きり櫓」、「東勝寺(トウショウジ)」の標識が現れた。

夫婦世界旅行-妻編-腹切り櫓へ


                 つづく
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鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 2



鎌倉幕府がどこにあったか――
場所がわかれば、なんのことはない。
いままでそうとしらずに初詣で歩いていた辺りだ。!(´Д`;)


しかし、ほんの1本奥に入った小町大路は未踏の大路。
是非、鎌倉幕府のあった場所だと意識しながら歩いてみたい。
ラブラブ


昔鎌倉に住んでいたかつての“鎌倉文士”さんをお誘いして、
鎌倉を散策してみることにした。(^-^)/

(長年鎌倉の住民だった彼女も、
鎌倉幕府がどこにあったか……なんて知らなかった。汗



彼女は鎌倉幕府のあった場所よりも、
腹切り櫓に行ってみたい!」と仰る。
昔昔訪れたことがあるそうで、
紫陽花が咲き乱れていたらしく、実に印象的だったらしい。


腹切り櫓」とはなんぞや??? の私。Σ(・ω・ノ)ノ!

鎌倉幕府終焉の地(=北条高時が追い詰められて、切腹したという櫓
であると知り、∑(-x-;)
またまた自分の不勉強さに驚く。((>д<))

(北条高時自身は、「腹切り櫓」のすぐ下方に位置する「東勝寺(トウショウジ)」で切腹したらしいが。)



いつ・どこで・どう鎌倉幕府が終わったのか……なんて、
考えたこともなかったよ。(゚_゚i)




で、
とにかく鎌倉幕府跡と鎌倉幕府終焉の地を求めて、
いざ、鎌倉! なのであった。グー

                     つづく
鎌倉 小町大路(コマチオオジ)と腹切り櫓(ハラキリヤグラ) 1


*これは歴史音痴の私の、ささやかな歴史探訪であります。そこんとこ、世路四句。



この6月初旬、鎌倉散策をした。


鎌倉って、初詣以外はなかなか訪れる機会がないのだが、
JRの駅を出て、小町通り(コマチドオリ)を通って鶴岡八幡(ツルガオカハチマン)様にお参りし、
若宮大路(ワカミヤオオジ)を通って駅まで帰ってくると、
鎌倉を一通り歩いたような気になっていた。爆(^^ゞ



ある日、
そういえば、鎌倉幕府って、どこにあったの? 
と気になった。where?はてなマーク

私ってば、一時代を築いていた鎌倉の行政府のあった場所さえ
知らないで平気でいたのだ。!(´Д`;)

ついでに、室町幕府なんてのも、どこにあったの?ヽ(;´ω`)ノ
と、芋づる式に、「?」が出てくる。サツマイモ



で、調べたら、本
室町幕府はすぐにわかった。チョキ
京の街中に「室町」なる地名を発見。(京都御所の近く)
“そこら辺”にかつて室町幕府があったらしいとわかった。
室町幕府もまだ京都だったんだ……。(=◇=;)



鎌倉幕府って、
日本の政治の中心(?)が関西から関東へ移った初めだったのだ。( ̄□ ̄;)

平安時代は京都で、西
鎌倉時代に関東(鎌倉)で、東方神起
室町時代にまた京都で、西
でもって、戦国時代にぐちゃぐちゃで(基本、京都)?西
江戸時代にまた関東(江戸)……と。東方神起






一番気になっていた鎌倉幕府が鎌倉のどこにあったのか、
なかなかわからなかった。

毎年のように訪れる鎌倉。ラブラブ
それなのに、鎌倉幕府がどこにあったのかいまだに知らない……ガーン
って、おかしくない?(((゜д゜;)))
(鎌倉市も、もっとアピールすればいいのに……と思うのは、私だけ?むっ



で、
鎌倉を庭としている友達に尋ねてみたら、
調べて地図を送ってくれた。ラブラブ!

なんと、八幡さまの周辺に、3度ほど移転しながら存在したようであった。
若宮大路のさらに1本奥に「小町大路(コマチオオジ)」なる道があるということも
そのとき初めて知った!Σ(・ω・ノ)ノ!


つまり、
鎌倉駅から最も手前にある小道は、現代賑わっている「小町通り」だが、
鎌倉時代は、小町通の東側に平行して伸びている「若宮大路」と、
さらにその東側に平行して伸びている「小町大路」こそが
中心の道路だったらしい。Σ(・ω・;|||


(今の細い「小町通り」は昔は「小町通り」とは呼ばれていなかったらしいのだが、
なぜやがて「小町通り」と呼ばれるようになったのかは、わからなかった。汗



夫婦世界旅行-妻編-地図

↑ 
地図はネットより拝借。 
黄色い線が若宮大路、赤い線が小町大路。
地図が切れちゃってるけど、若宮大路の北、突き当たりが八幡様。あせる


鶴岡八幡宮の右手の道をちょっと北に行ったあたりに、
まず「大倉の幕府跡(1180~1225)」。
これは、1代将軍、源頼朝(ミナモトノヨリトモ)~3代将軍源実朝(ミナモトノサネトモ)まで。
たった3人しか続かなかった「源」家の時代の幕府ね。(=◇=;)



次は、
鶴岡八幡と鎌倉駅の間、若宮大路と小町大路に挟まれた地区に、
宇都宮辻子(ウツノミヤツジコ)の幕府跡(1225~1236)」。
源実朝が暗殺され、源の後継者がおらず、
京都の朝廷に対抗するため、「高貴な血統の出身者」が必要とされ、
4代将軍、藤原頼経(フジワラノヨリツネ)の時代。
北条政子が亡くなるやこちらに移されたみたい? (=◇=;)


で、
4代将軍藤原頼経の途中で、さらに幕府は移転。
……と言っても、すぐ隣の地所へ移動しただけ。
場所としては、相変わらず若宮大路と小町大路に挟まれたブロックだ。

若宮の幕府跡(1236~1333)」。
4代将軍藤原頼経~最後の将軍、9代将軍、守邦親王(モリクニシンノウ)まで、
ここが鎌倉幕府として存在してたらしい。
北条氏の大きな邸がすぐそばにある地区だ。
御家人たちの住宅が集中していたらしい。




ランチ、どこで食べようか~♪
なんて言いながら若宮大路を歩いていただけでは
その大通りの辺りがかつて鎌倉幕府があったのだ!とは
まったくわからないっ!((>д<))

               つづく