奈良 酒造見学の旅⑧ 春日大社と下がり藤





若草山を左手に見つつ、御蓋山(春日山)の麓にある春日大社へ。走る人


世界遺産でございます! と石が言う。ほほぉ。Σ(・ω・ノ)ノ!

夫婦世界旅行-妻編-世界遺産です

この表示がなければ、「世界遺産」とは気付かなかった。
「世界遺産」か否か、当事者側には存亡を掛けた大変なことなのだろうが、
私には全然関係ない。オバケ
大切にしたい場所が大切にされていればいいだけの話。グー
「世界遺産」とお墨付きをもらわなければ、大切にされず廃れていってしまうのだろうか?しょぼん
と、やや反発も混じって、
こういう表示は、無粋な感じがしてしまうむっ


……のは、私だけ?汗






夫婦世界旅行-妻編-鳥居

鳥居のすぐ手前が階段って、ちょっと珍しいかも?
朱の色落ち具合がいい感じ。(-^□^-)




狛犬が凛々しい。キラキラ
こんな格好いい狛犬は久々に見る気がする。

夫婦世界旅行-妻編-狛犬左

夫婦世界旅行-妻編-狛犬右


「阿ア」も「吽ウン」も、キリッとしている。キラキラ
こういう狛犬って、どなたが作るのだろう?
仏師……ではないよね?
墓石などを彫る石材店の人かしら?

この狛犬は苔むしているが、
その巻き毛たるや見事なもの!ベル
全体のバランスもよし!合格
表情も風を受けて威風堂々という感じ。キラキラ
力強い表情には、意志の強ささえ感じる。グー
狛犬のコンテストに出したら上位入賞するのではと思われる。( ´艸`)
見事な曲線は寸分の狂いもないように彫り込まれている。
これはもはや機械彫りなのか?


そして、狛犬の下の「下がり藤」の紋
神社に紋なんてあったかしら? と気になった。( ̄_ ̄ i)





で、後日調べたら、本
偉人や先祖をまつる神社では、祭神の家紋を神紋としている例が多い」らしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

参照:「神社の紋」



そして、この家紋(神紋)はまさしく藤原(中臣)氏の紋!!( ̄□ ̄;)!!



春日大社を巡っているときは、
なんの予備知識もなく、
さほどの感動もなく、
神社独特の静けさを味わいながら、
かなりぼーっと歩いて、オバケ
大社内をあれこれ見ずに終わったのだが、
この家紋を調べたら、春日大社の裏事情(?)が見えてきた。(-_☆)




以下、寡聞にして、思い込みも激しい私の勝手な考えなので、
間違いや、思い違いも多々あろうかと思います。f^_^;
お気づきの点はコメント頂けると幸甚です。(。-人-。)オネガーイラブラブ

春日大社は
「平城京遷都の時に、藤原不比等が氏神の武甕槌神(タケミカヅチノミコト)を常陸国鹿島から勧請(カンジョウ)し、都の守り神として祀ったことに始まり、神護景雲2年(768)に社殿を造営したと伝わる。」(by『るるぶ特別編集号 京都・奈良・びわ湖』)メモ


なぜにわざわざ鹿島の神様を?と思っていたのだが、はてなマーク
不比等の父ちゃん=藤原鎌足(中臣鎌足)は、
もともと常陸(茨城)の鹿島神社の祭司のお家柄だそうな!Σ(・ω・ノ)ノ!



夫婦世界旅行-妻編-藤原鎌足
(↑藤原鎌足 ネットより拝借)

鎌足さんは家業(?)の神社を継がず、
都で中大兄皇子と組んで、
当時の権力者蘇我入鹿を殺し、血
政治の世界に入り込み、権力を握っていくわけ(多分、これが定説?)だが、
その鎌足の息子、不比等が奈良の都にどーんと建てたのが、
鹿島神社の氏神を祀った春日神社。グー

つまり、春日大社とは、
“中臣家鹿島神社の春日支局”みたいなもんじゃない?(-_☆)
鹿島神社は「神社」だけれど、春日では「大社」としてぐっと格上げさせた。アップ
“「大社」の大元”となれば、鹿島神社は「神社」といえども、
神社の格が上がったのではなかろうか。アップ

つまり、春日大社とは、「都の守り神」なんてことは建前で、
実はひとえに中臣(藤原)家の繁栄を願っての社ではないのか?(-_☆)

と、私には思えるのだが……。






と思っていたら、
「春日大社――病気平癒、商売繁盛、勝運、合格祈願
祭神は武甕槌神(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)。
前者の二神は藤原氏が一族の守護神として崇敬する氏神で、天児屋根命は祖神(オヤガミ)、比売神はその后神とされる。」(by『すぐわかる 日本の神々』鎌田東二監修)メモ

やっぱりだ! だっふんだ!Σ(・ω・ノ)ノ!


この大社は「都の安泰」などを願ったものではなく、(願ったとしても二の次ね。)
中臣(藤原)家そのものの安泰、繁栄を願い建てられたものに違いないっ!
こうもアカラサマな自分の家のための「大社」を建てちゃうなんて、長い日本の歴史の中で、藤原氏だけではないかしら? どうかしら?(((( ;°Д°))))




そう思って見ると、
境内にあった大きな藤の木も実に意味ありげに感じる。

夫婦世界旅行-妻編-砂ずりの藤

藤の頃に来たら、見ごたえあったろう藤の古木。
これだって、藤原氏の花としてここに植えられたのではなかろうか。ヽ(;´Д`)ノ







ついでに
鹿島神社」ってどんなんだろう? と調べてみたら……本

鹿島神宮は「常陸(ひたち)の国」茨城県にある日本最古の神社の一つである。
常陸とは・・常世(とこよ)の国の意味で不老不死の聖地を示し、
伝承では最も天に近い場所である。
常陸を・・日立と呼ばせるのは・・太陽の昇る本州の東の位置にあるからである。

古事記の伝承によると、タケ・ミカ・ズチ(武甕槌)の神が
天の鳥船(あまのとりふね)の神(宇宙船?UFO?)と共に地上に降り立ち・・・
この土地で・・・地上の支配者であるタケ・ミナカタ(武御方)の神と
相撲を取ったという。
「天つ神」が高天原から降臨し、それまでの支配者である「国つ神」と戦い、
負けた「国つ神」は諏訪神社に閉じ込められてしまった。
・・という物語
である。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

参照:「香取神社と鹿島神社の秘密
 


日立つ……って、「日出づる処」と同じ意味だよね。
こんなネーミングや、
不老不死の常世という発想が許されて(?)いたというのも、考えたら凄い。あせる



奈良時代、関東以北は「蝦夷」とされているのかと思っていたが、あせる
「蝦夷」地などではないではないか。
というより、勝手に東北を蔑視して「征伐」を仕掛ける朝廷側の
大切な関東の拠点であったようだ。あせる


そして、“中臣(藤原)氏の守護神、祖神の物語り”は、
蘇我氏を滅ぼし台頭した中臣鎌足そのものではないか?∑(-x-;)




相撲」って、“神の前で演じてみせる余興のようなもの”だったんだろうと思っていたが、
実は、力による“国とり”そのものでないかぃ?(=◇=;)

参照:「相撲

うむ。もともと相撲は“格闘技”だったようだ。
ぶっちゃけ、相手を力でねじ伏せる喧嘩ではないか。((>д<))

どんな国にするかとか、
国をどう治めるかとかいうよりも、
権力闘争あるのみ!ガーン

これが“藤原政治”ではないか?むっ
その私利私欲のない高邁な政治理念や理想もないまま、
ただ権力闘争に打ち勝つことが政権を握ることになる構図は
平成の世もいまだに変わっていないではないか。むっ
“藤原政治”というより、日本の政治はすべてこれではないか?むっ
法律やシステムはほとんど大陸からの借り物。
自らの理念で組織を作った例は、ほとんどないのではないか?むっ

(高橋克彦氏の『炎立つ』を読むと、東北地方には、中央政府とは別にある程度政治が成り立っていたのではないか?という気がするが、結局は「武力」で滅ぼされてしまったものね。しょぼん


政治とは単に権力闘争でしかない……
しかも、かなり暴力的な……。
と、今更ながら、改めて思い至る。(-"-;A

日本の腐敗堕落した背骨のない政治は
昔からだ?汗

特に、天皇をトップに据えて、その家臣たちが実質的権力を争う様は、
藤原氏に起因しているのではないのかしら?(-"-;A



……と思うのは極端だろうか?


                     つづく
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失敗の原因は?

テーマ:
失敗の原因は?



私は料理下手。ガーン
うまくできるときもあるけれど、ヾ(@^▽^@)ノ
どーしてこーなる?ってくらい失敗すること、しばしば。ガックリ


料理自体、嫌いっ!パンチ!(うまくできないから。しょぼん
でも、料理をイメージするのは好き。チョキ(妄想好きだから。にひひ



で、
人様の料理ブログを読んでいると、
つい真似して作ってみる。にひひ


あるいは、
デパ地下で美味しそうなお惣菜を見かけると、
食べたくなるが、なんせお高いので、
材料をよく見て、家に帰って真似てみる。グー
創意工夫!」 
いい言葉である。(-^□^-)


しかし、私は元来料理嫌いなので、やり始めて、ちょっとうまくいかないと
創意も工夫もせずに、
台所の中で、収拾のつかない事態にうろたえるだけなのだ。(°Д°;≡°Д°;)



最近、ビシソワーズ、ニンジンの冷静スープなど適当に作って楽しんでいたので、ニコニコ
畏れ多くも
tkさんの「玉ねぎとごぼうを使ったポタージュスープ
に手を出してみた。パー爆弾

夫婦世界旅行-妻編-牛蒡と玉葱のポタージュ

玉葱の甘みと牛蒡の風味がマッチして、なかなかよくできました。クラッカー( ´艸`)



気をよくして、アップ
同じくtkさんの「ゴーヤのお焼き」に挑戦。グー


夫婦世界旅行-妻編-tkさんのお焼き
↑tkさんの作品。

こんな風に、こんがり美味しそうなお焼きができるはずだった。合格(T_T)



以下、tkさんのレシピを確認してみると・・・・・・

① ゴーヤを半分に切って、中のワタを丁寧にとって、うすく切ります。←OK
  
  さっと塩をまぶして10分ほどそのままにして・・・・←OK

② しんなりするので塩を洗い流し、ざっとしぼっておきます。←OK

③ ソーセージ 輪切り  人参半分 千切り  しておきます
  ↑
  ソーセージが切れていたので、たっぷりあった豚ばら肉を使用。ゴーヤ1本に対して量が多過ぎだが、余った肉をラップしてしまうのが面倒なので、すべて投入。肉が多ければそれはそれでうまかろう・・・・と。ニンジンも切らしたので、なし。爆弾

④ 材料を合わせて、市販のお好み焼きミックス粉をまぶします。
  粉は、焼いたときにつながる程度の分量です。粉の量は少ない方が、断然おいしいです

  ↑
  なるほど、なるほど。粉は圧倒的に少なくしよう。グー
 

 粉に見合う程度の水を入れます
  ↑
  うむ。水もちょっぴりにしておこう。汗

⑤ 熱して、薄くサラダオイルをひいたフライパンで両面を焼いて、出来上がり
  ↑
  粉が張り付くといけないので、弱火で焼こう・・・・・。あせる



と、すんなり焼きあがるはずだったのだが・・・・・・(ノ_・。)






以下、⑤の途中から様子がおかしくなった続きを反省してみる。(ノω・、)


⑥ むむむ。繋ぎの水溶き小麦粉がフライパンに張り付いて、
  肝心なゴーヤも豚肉もバラバラだわ。くっつかないわ!繋がらないわっ!あせる


⑦ 押し付けたらくっつくかしら?えいっ!ぎゅむぎゅむ!パンチ!

夫婦世界旅行-妻編-バラバラ


⑧ 駄目だわ。ばらばらだわ。ガーン
  粉ばかりがフライパンにくっついていくがな!
  粉ばかりに火が通っていくがなっ!
  ううううう?(((( ;°Д°))))
   ひらめき電球
  ひっくり返してみよう!あせる
  あぅぅ。ひっくり返すもなにも、
  バラバラだわっ!!!Σ(~∀~||;) 
  グチャグチャだわっ!ヽ((◎д◎ ))ゝ


⑨ フライパンの熱はすべて焦げ付き始めた粉に吸い取られ、
  肝心な豚ばら肉やゴーヤがなかなか炒まらないわっ!汗汗汗
  えええぇいっ!ヾ(。`Д´。)ノ
  かき回しちゃろう!ガガガガガガ


⑩ あぁぁぁ! もう何が何だかっ????((((((ノ゚⊿゚)ノ


⑪ とにかくゴーヤと肉に火を通さなくっちゃ!あせる
強火にしてみようかしら? ゴゴゴゴメラメラ


⑫ 豚バラからの脂がすごいことになってきたっ!えっ
  この脂で、揚げ炒め状態に持ち込めるかっ、私っ?グー
  あぅぅぅ! ますます粉だけが焦げるだけだわっ!ガシガシガシガシ!あせる


⑬ もう、いやーーーっ!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 
  カチ!火を消す。






で、
こうなった。









夫婦世界旅行-妻編-戦いの後

強いて名づければ、
豚ばら肉まみれのゴーヤのお焼きもどき、焦げた小麦粉のカス入り」。


…………なぜにいつもこうなる?私……。ガックリ



料理なんて、嫌いだっっっ!(ノω・、)
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奈良 酒造見学の旅⑦ 大仏受難


窓いっぱいにコバルトブルーのエーゲ海!サントリーニ
が見えたら、
思わず窓辺に駆け寄るだろう。ヾ(@^(∞)^@)ノ

しかし、
窓いっぱいの大仏顔!
は、どうしたものか……。汗

夫婦世界旅行-妻編-窓から大仏

(by東大寺発行『東大寺』より)

ありがたいものなのだろうけれど、
窓枠に入りきらないほどの大仏顔……。
なんだか、ちょっと滑稽。
“どや顔”というよりは、“なにか?”顔にも見える。



東大寺の大仏殿の入り口上部に窓があり、
その窓は、なんと、大仏さまのお顔が見える位置に作られているのだった。Σ(・ω・ノ)ノ!

私が訪れたときは、窓が閉められていて、こんな造りになっているとは全然気がつかなかった。
この“大仏さま拝顔の窓”(?)、いつ開けられるものなのだろう?はてなマーク


夫婦世界旅行-妻編-大仏殿
(↑ 窓の閉まった大仏殿。閉まっていた方が落ち着く。( ´艸`))



大仏殿は
東大寺が衰退した室町時代に、
兵火によって焼け落ちた。
その後、「大仏を覆う仮屋も建てられたが、
やがて仮屋は大風で倒れ
大仏は100年近く風雨にさらされた。」∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


つまり、
平安時代に「大風」で南大門が倒壊し、
室町時代にまたもや「大風」で大仏殿仮屋が倒壊
「大風」に呪われているのではなかろうか、東大寺?( ̄_ ̄ i)


100年間雨ざらしだった大仏の姿を痛ましく思った公慶(コウケイ)上人によって、
江戸時代、現在の大仏殿が建てられたらしい。
規模は創建当時のものより縮小されざるを得なかったようだが、
大仏様を覆って充分な広さではある。チョキ




さて、今は立派な大仏殿に守られている奈良の大仏様、
正式名称、「毘廬遮邦ビルシャナ(バイローチャナ)仏」。

夫婦世界旅行-妻編-大仏さま


像高約15m。目長約1m、耳長約2.5m。Eye耳
顔長約5m、鼻高約0.5m、台座高さ約3m。鼻大仏1

顔だけでも我が家のリビングより大きいぜ。あせる
大仏様の膝元の台に乗って作業している人がいらしたので、
大仏の大きさがよくわかる。
やはり、でかっ!



中学生の頃の修学旅行で訪れたときには、
「大きい」ことに驚いた。
というより、
ガイドさんが「大仏の大きさ」に驚くように説明するので、
「大きさ」に驚くように誘導されていた気がする。





しかし、大人になり、
帚木蓬生(ハハキギ ホウセイ)の『国銅』を読んで、

夫婦世界旅行-妻編-帚木蓬生

大仏を造るために諸国から都へ召集された人々に思い至るや、
銅を運び、金を運び、地上何十mもある高さで銅を煮溶かし、
巨大な大仏の鋳造に従事した名もない人々の作り上げたものとして、
見直してみたくなったのであった。ラブラブ


スカイツリーを見慣れた現代の我々には
もはや、その大きさに圧倒されるということはない。
しかし、天平時代の人々にとって、全体15m程のこの大仏が、
どれほど大きかったことだろう……。


100年間の風雨が醸し出したのであろう黒ずんだ大仏は、
開眼当時は赤銅色に輝いていたことだろう。
大理石の二重の蓮華座が黄金色に輝き、眉は青、唇は朱に彩られていました。」
参照:「奈良の大仏鋳造のこと

というのだから、銅山などで銅を掘り出していた人々や、
巨大な柱を運んだ人々や、
とにもかくにも、過酷な労働環境や労働条件の下、
命懸けで役人の命ずるままに大仏建立に従事してきた人々にとって、
大仏の姿は、どれほどの威光を放って見えただろう。キラキラ
あるいは、肝心な大仏像の姿などとうとう目にできなかった人もいたかもしれない?
自分たちを苦しめた重労働によって造り上げられた大仏によって
彼らは救われたのかしら?


智慧と慈悲の光明を遍く照らし出されているほとけ」という意味の毘廬遮邦ビルシャナ(バイローチャナ)仏。
おそらく、ひとえに「ありがたかった」のだろうね。(。-人-。)






この大仏、「平安時代になると、早くも大仏の背部に損傷が見られたり、大仏の傾斜を止めるために背後に土盛りをするなどの補修弘治がなされた」という。∑(-x-;)

夫婦世界旅行-妻編-まっすぐな大仏

現在はしっかと背筋よくまっすぐに鎮座してらっしゃるが、キラキラ
この巨漢がズズズと傾いてきていることに気付いた当時の人々は
さぞ慌てただろう。あせる



そして、
885年、「大地震により大仏の頭部が落ち、修復がなされた。」という。ビックリマーク

長さ5mもある顔が、高さ10mはある首の上からごろりん(ズドン)!?Σ(~∀~||;)

地震だけでも怖いのに、
衆生を救ってくれるはずの大仏様の首がもげたら、
もう不吉で不吉で、しょーがなかったことだろう。(((゜д゜;)))



ほぼ5㎥ありそうな頭を、いったいどう「修復」したのだろう?
どうやって持ち上げたのだろう?

落ちた頭を溶かして、
頭だけ再び鋳造し直したのかしら?






この後も、大仏は天災や失火・兵火に襲われながらも、
頭部や左手などの補鋳がなされ、
1185年に再び「開眼供養」が行われている。

つまり我々が目にしている大仏様の頭は
天平時代に造られた大仏さまではなく、
平安時代に造り直された2代目の「頭」ということだ。(^_^;)




そして、室町時代に入っての大仏殿焼失
大風による仮屋の倒壊、100年間の雨ざらしと続いて、
鎌倉時代からやっと現代のような状態に整えられ始めたわけだ。DASH!



“大仏人生”、色々なことがあったのね。
色々なことを何度も何度も乗り越えてきたのね……。
辛苦を舐めつつ、「大丈夫だぁ~あい~ん」ってな穏やかな顔をして
温かそうなその肉厚な手をかざしてみせていたのね。
大仏……よく頑張ったね!(ノ◇≦。)
と、妙な感情移入をしてしまう。(頑張ったのは、大仏じゃないのに。)





夫婦世界旅行-妻編-キメポーズ

強そうなお方は衣裳もポーズも強そうだ。



夫婦世界旅行-妻編-支える餓鬼

餓鬼(?)は常に虐げられている。
邪悪だから醜いのか、
醜いから邪悪なのか……。
飢餓やら疫病やら天災やら強欲やら、
人間を不幸に陥れるあらゆる災厄を象徴しているのだろうけれど、
踏みつけられているこうした異形のものたちを見ると、
いつも私はちょっと同情を禁じえない。
(同病相哀れむ的? おまえたちだって、好んでそんな醜くなったわけではなかろうにね?……って思う。しょぼん




ぽつんと鎮座していた「びんずるそんじゃ

夫婦世界旅行-妻編-びんずるそうじゃ

こんなところに誰?と妙に気になった像である。
やけに怖い顔をしている?
還暦を迎えたのか?って感じのファッションも妙。
「びんずるそんじゃ」って何者? はてなマーク



後日調べたところ、本

この方、お釈迦様の弟子だけれど、
好きな酒をとうとう断つ事ができず、
お釈迦様に追い出されちゃった人。。(´д`lll) オチコボレサン

で、お釈迦様には追い出されてしまったけれど、自分ひとりで修行して、ひとびとを救おうと頑張ったとのこと。グー

あぁ、意志薄弱の飲兵衛!Y(>_<、)Y
これまた同病相哀れむ的なものを感じる……。ドキドキ


酒焼けした赤ら顔をしているらしい。
怖い顔に見えたのは、酒焼けした顔を現していたからなのね。
おまけに、びんさん、
ツルッパゲらしい。



禿げの人のことを「はげちゃびん」というのは、
つるっとした薬缶のような禿げ=「禿げ茶瓶」と思っていたけれど、
もしかしたら、
「はげちゃびん」の「びん」は「びんずるそんじゃ」の「びん」も含まれているのかも?ひらめき電球о(ж>▽<)y ☆


参照:「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)のお話)
参照:三省堂「大辞林」「びんずる びんづる 【賓頭盧】



夫婦世界旅行-妻編-柱くぐり

“鬼門封じの穴”くぐり。



昔はくぐれたのだが……。(→o←)ゞ
          
                        つづく
AD
追記:「大風(オオカゼ)」=「台風」だ!


前回の記事(奈良 酒造見学の旅⑥ 大風に倒壊した門)で、
東大寺の南大門を倒壊せしめた「大風」なるものが、
“「台風」より小さい風”に思えて、
風ごときでなぜ南大門ともあろうものが倒壊したのか、
疑問を呈した。

が、
ビンビンビガロさんから、次なるご指摘を頂いた。

「平安時代から明治時代初期まで
大風=たいふうと読む事もありました。
雨量の多い暴風雨を「野分」、風が強いだけは「大風」と区別していたようです。
全てに当てはまる説ではないですが、今回のお話の大風は台風でしょう。
鎌倉時代から色々とぶれて行くので、本当が分かりにくいですw」Σ(=°ω°=;ノ)ノ


で  
検索してみたら、サーチ

日本では、古くは野の草を吹いて分けるところから、野分(のわき、のわけ)といい、11世紀初頭の『枕草子』『源氏物語』などにもその表現を見ることが出来る。江戸時代には熱帯低気圧を中国にならって颶風(ぐふう)と訳した文献があるが、明治の初めにはタイフーンまたは大風(おおかぜ)などと表していた。(by 『世界大百科事典』平凡社 1998)」


参照:ウィキペディア「台風」


やはり、「大風オオカゼ」は「台風」と同意でよいのだ。
「台風」の暴風(強風? 烈風?)ならば、さすがの南大門だって壊れようというもの。
納得である。ヾ(@^▽^@)ノ

ビンさん、本当にどうもありがとうんこころころ。(←ビンさんバージョンでお礼申し上げてみました。( ´艸`))

$夫婦世界旅行-妻編-台風






我々は風とともにある。
風の中に生きている。(大袈裟?にひひ


(以下、ネットより拝借した風を感じる画像)

夫婦世界旅行-妻編-風1

夫婦世界旅行-妻編-砂を走る風


夫婦世界旅行-妻編-風紋


夫婦世界旅行-妻編-花吹雪

夫婦世界旅行-妻編-鯉幟と風

夫婦世界旅行-妻編-秋の原の風

夫婦世界旅行-妻編-地下鉄の風




それにしても、紛らわしい。
「大風」とかいて、「おおかぜ」とも「たいふう」とも読める。
音から思い描く風のイメージが大分違う……と思うのは、私だけ?むっ

日本人は「雨」同様、「風」にも色々な名前を付けたはずではなかったかしら?
南大門を倒すような凄まじい風を、もっとピンポイントで表わす風の名前はないものかしら?はてなマーク

と、さらに調べてみた。

参照:「風の名前 2000以上


ま~、あるわあるわ、風の名前!ヽ((◎д◎ ))ゝ
誰もが知っている呼び名から、もう誰も使っていないのでは?と思えるものまで。
(しかし、見ているだけで面白い名前の数々!)



「おしあなじ(冬の南よりの風)」、「神渡し(神無月に吹く西風)」、「鹿の角落とし(山口県で2~3月の晴れた日に吹く南西風のこと)」……etc。ホホォ(=◇=;)




「夕凪」「朝凪」「木枯し」「風花カザハナ」「神風カミカゼ」「川風カワカゼ」「真艫マトモ」「花嵐ハナアラシ」「白南風シロハエ」「黒南風クロハエ」「青嵐セイラン・アオアラシ」「横風ヨコカゼ」「薫風」「冷風レイフウ」「微風ビフウ・ソヨカゼ」「追い風」「向かい風」「逆風」……etc。(-^□^-)




どうも、風の強さを明確に表わす言葉よりは、
その地方独特の風を指す言い回しや、季節を表わす言い回しが多いように思われる。DASH!


旅をするとき、「水が変わるとお腹を壊しやすいから……」などと注意するが、
風も、所によって変わるという意識が強かったのではないだろうか。
風を共通のものとして一律にその強度だけで受け止めるのではなく、
地方地方のその「お国訛り」同様、“お国風”を昔の人は感じていたのではなかろうか。
共通する規範は方角くらいのものだったのではなかろうか。



ごく代表的な風を見てみても、
「東風ヒガシカゼ・コチ・コチカゼ・トウフウ・トンプウ・アユ・ハルカゼ」
「南風ミナミカゼ・ナンプウ・ミナミ・ハエ・マゼ・マジ」
「西風ニシカゼ・セイフウ・ナライ」
「北風キタカゼ・アナジ」
……色々な読み方がある。ヽ(;´Д`)ノ
時代、地域による違いだろう。
“風土に密着した風”を、昔の人々は呼び分けていたのではないだろうか。(b^-゜)


そして、風が生活と密着していたから、季節を表わす風表現が必要とされたということだろう。風を見分けて名前を付けるあたり、やはり日本人は風(自然)を愛してきたんだな~と思う。ラブラブ


戦争や高度成長期を経て、
山は切り崩され、川も沼も海も埋め立てられ、干潟も埋め立てられ、しょぼん
アスファルトで覆われ、
大地が呼吸する部分が減ってきた。
風の起こり方がそれ以前とは随分変わってしまったことだろう。むっ


おまけに、都心部では風の通り道に高層ビルが立ちはだかり、高層ビル
風の通り道がふさがれた分、風の強度も、風が抜けていく方角も変わってきているだろう。!(´Д`;)




以前、北関東の方(埼玉の鴻巣)を訪れたとき、
砂塵を巻き上げ風景を砂色に変える烈風の中に佇みながら、
「オオ! これが“赤城颪アカギオロシ”か! かかあ殿下と空っ風か! 埼玉まで吹き下ろしてくるかぁっ!」と感動したものだが、o(〃^▽^〃)o
そんな風も、いつか味わえなくなってしまう日がこないとも限らないね……。(((( ;°Д°))))


その土地、その地方独特の風……大切にしたいものである。ドキドキ





風の1つに「和風」なんてものもあった。Σ(・ω・ノ)ノ!

「和風ワフウ=穏やかな風。
気象庁風力階級において、和風(わふう)は風速5.5~7.9m/s、13~18mphのことらしい。」メモ


微風か、微風よりやや強い風だろうか?
「和やか風」ということで「和風」なんだろう。

なんだか、その土地風土や歴史・文化に関係なく
気分でつけてないか? という気がしなくもない。

そんな、思いつきで定着したような風の名前も案外あるかもしれない。ひらめき電球


だったら、
東大寺の南大門を倒壊させたほどの強い風のことを、
南大門倒し
……なんて名前づけてもみたかったわ。о(ж>▽<)y ☆
奈良 酒造見学の旅⑥ 大風に倒壊した門



$夫婦世界旅行-妻編-南大門

天平時代に整えられていった東大寺の正門である南大門

現存するこの門は、「鎌倉時代、東大寺を復興した重源(チョウゲン)上人が、新たに宋様式を採り入れた大仏様(ダイブツヨウ)によって再建したもの」。本

屋根裏まで達する大円柱18本は21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。」本
相当に時を経、傷んで見えるが、18本もの柱に支えられていれば、相当頑丈であるね。
約15mの大仏様より大きい門だ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



実は、天平創建時の門は、「平安時代に大風で倒れた」という。ホンマデッカ~?デアル。Σ(=°ω°=;ノ)ノ


国を挙げての建立であった東大寺の正門なれば、
天平時代だって、しっかりしたものが作られていたであろうのに……。
風ごときで倒壊するのだろうか?はてなマーク

そんな門を倒した“平安時代の大風”って、どんだけ~?ガーン
風速にして50m以上かな?
南大門が倒れるくらいだから、周りの建物も人も、相当被害を受けたことだろう。
「嵐」「台風」ではなくて、
それよりも“スケールの小さい感”のある「大風」だというのも、怖い。
(もしかしたら、昔は「台風」のことを「大風」と言っていたのかしら?)



怖いが、
平安時代、大門を倒す大風が吹いた――そのことに、私はとても惹かれる。恋の矢
奈良盆地にいったいどんな大風が吹いたのであろうか。
人々の恐れうろたえる様が目に浮かぶ。
怖かったろうなぁ……。
神の怒りか? と、おののいたのではなかろうか。ムンクの叫び
「風博士」とでも呼びたいくらいの藤田哲也博士のご先祖さんは、平安時代、この「大風」の噂を聞きつけて心穏やかではなかったのではないだろうか。にひひ



でも、実は、
門は倒れるように、少しずつ柱の部分を細工されていたのである。探偵
仏教や当時の政権に対する転覆を狙った人々による
用意周到な陰謀であったのだ!ドクロ
……な~んてことはないのだろうか?にひひ


とにかく、平安時代の「大風」によって倒れたとされる南大門は、
鎌倉時代に再建された。
風に倒された門の再建だから、
重源上人は、太い円柱を18本も使って、門の強度を高めたのだろう。チョキ


門の左右に鎮座する金剛力士像は、普通、正面を向いて並んでいるものだが、
この南大門は、互いに向かいあって並んでいる。横顔横顔
これも、大風が吹いても、ぱたりと倒れないように……という思いの現れではなかろうか。ドキドキ



以上は、旅から帰って、
東大寺発行の冊子『東大寺』を読んで、気付いたこと。(^^ゞ


実際に南大門をくぐり歩いたときは、
うわっ、鹿だ!糞だ!コロコロだ~!と、うんちうんちΣ(~∀~||;)
“足元注意”の状態で、WARNING
しかと門など見ていなかったのだった。ズゴンガックリ




参照:ウィキペディア
藤田スケール
            つづく