“どや顔”羅漢

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 “どや顔”羅漢



ついでに寄った東京国立博物館で、
期せずして、最高の羅漢に出会ってしまった!ヽ((◎д◎ ))ゝ


狩野一信(カノウカズノブ)!
おそるべし!ダースベーダー



特にびっくりしたのが、
縊死した女を木の枝から下ろしている羅漢たちの図。Σ(=°ω°=;ノ)ノ


首吊り死体なんぞを絵に描いている点で度肝を抜かれたのだが、(((゜д゜;)))
その死体を下ろそうとしている羅漢たちの表情の
なんと面白いこと!о(ж>▽<)y ☆


蛇腹に折られた経典らしきものを広げ、
悪鬼退散!とばかりに経典を掲げている羅漢の
どや顔”はどうだ!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

↓(アップして見てみてねにひひ
夫婦世界旅行-妻編-首吊り女と邪気退散光線


しかも、経典からは、スペシウム光線ならぬ、
邪気退散光線がカーッと放射されている。 

首吊り女の上に、土気色した鬼たちが群をなして襲ってこようとしているが、
その鬼たちに向かって、邪気退散光線照射っ!
羅漢さんが得意げに、「どや、どや、どや~!たまらんやろ~!邪気、退散~!」
と言っているようだ。( ´艸`)
鬼を痛めつける快感に酔っているかにも見える。
ちょっとサディスティックな笑み。(^_^;)




死体を下ろす羅漢を見ると、
こちらは、なんともクール。氷

女の帯紐を右手で持ち、女の体を支えながら、
左手で枝に結ばれた括り紐を解こうとしている。
淡々とした目線が紐の結び目にだけ注がれている。

この羅漢さんは左利きなのだ……。と、つまらないことにも感動してしまう。( ´艸`)



首くびれた女は全身真っ白。血の気が失せて、手はこぶしに握り、死ぬ間際の苦しさをそのまま硬直させている。
露わに垂れた乳房が肌蹴た着物から覗いている。
子どもを生んだ女の乳房だ。

首だけがきゅーっと固く絞り込まれくびれている。
その上には浮腫んだように丸い白い顔。
いびつに描かれた八の字の眉毛は醜いまでの苦悩を表わしている。
黒目が瞼側に張り付いて止まったように白目を剝いた死者の目。
顔面に張り付いた乱れた黒髪。
女は乳はこれでもかっ!というほど垂れているが、まだまだ若い。
若いのに、滑稽なほど醜い死体である。
それを、
特別感情移入するでもなく、
「あぁ~ぁ、こんなんなっちまって……」と思いつつ、
淡々と無言で下ろす羅漢である。
クールな“どや顔”である。( ´艸`)




吊る下がった女の下で、地べたに座り込んで泣き叫んでいる子ども。
羅漢の背後で、驚いているのか、嘆いているのか、老婆。
女の子どもと母(義母?)だろう。
いったい女に何があったのだろう?
どうして幼い子を残して首括らねばならなかったのだろう?

下々の人間の悲惨と嘆きと醜悪に
邪悪なくらい目つきの悪い羅漢が手を差し伸べる。





五百羅漢図は、一幅に基本、5人ずつ羅漢が描かれ、二幅で一対になっており、
合わせて10人の羅漢が、後光(?)を帯びて描かれている。
(これが10対で、五百羅漢になるのだ。(=◇=;))

夫婦世界旅行-妻編-2幅で1対


“首吊り女を下ろすの図”の左側の幅には、
おそらく“川に水を引く”羅漢。川

人々が手を合わせて喜んでいる。
羅漢さんは、にんまり、どや顔
「水、引いたったでぇ。どや! ほれ、どや!」と言わんばかり。о(ж>▽<)y ☆




そのすぐ脇の木の、太い幹のウロの中で、
一人燃えてる羅漢!Σ(~∀~||;)

夫婦世界旅行-妻編-燃えてます


ぬおぉぉぉぉぉぉっ!!!とばかりに燃え盛る炎。メラメラ
よく見ると、羅漢さんは燃えていない。
炎に包まれているだけであった。
激しく揺らぎ燃える炎は
そのままこの羅漢さんの内なる激しさを伝える。


大きなコブのように盛り上がった禿げた頭頂部。
そう。まるっきり僧侶のような坊主頭ではなく、
両脇には髪が残っているので、“てっぺんハゲ”的ヘアスタイル(あるいは“サイドオンリー保持”スタイルというべき?)。
あごひげをびっしり生やして、鼻の下の髭も濃い。
厳しく寄った眉毛は太く、
額に寄った皺は、激しいリキミを感じさせる。
落ち窪んだ小さい目。
ふんぬと広がり座った鼻。
厳しく結ばれた口元……と言いたいところだが、
前歯が2本、真ん中が抜けたまま唇から、はみ出ている。
つまり、“すきっ歯”の“出っ歯”?
しかも、口の端はよくみると微かに微笑みをたたえている。
よれよれの袈裟らしきものを身に纏っているが、
肌蹴た胸元は肋骨が浮き出て見える。

炎は紅蓮に燃え盛る。
前歯が欠けてる。
てっぺん坊主……。
怖可愛い……。
不細工、且つ、真剣。
滑稽で真摯。
己の全身で炎している。
これだって、“どや顔”だわ!( ̄□ ̄;)




もうどの幅を見ても、目が釘付け!目
楽しくってしょうがない。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ




あいにくこの特別展示のカタログは作られていなかった。
感激のあまり、
狩野一信の本を探し、博物館の売店でゲット。


本の解説によれば、
この炎に包まれる羅漢さんは、

「第二十七幅 神通
右図は首吊りをした女性に襲い来る悪鬼たちを経典の力で退散させている場面、
左図は神通力で体から炎を出している場面が描かれている。」
とあった。

羅漢さんは「神通力」を物するのか!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



見ているとき、それが「神通力」か何かはわからなかったけれど、
羅漢さんたちの、毒々しいまでの生気が私にも伝わってきた。ドキドキ

禍々しい現実、醜悪なほどの不幸、人間のどうしようもない悲しみに
羅漢さんがこれほど“どや顔”で挑んでいる図は初めて見た。(=◇=;)

狩野一信。500体(?)の“どや顔”羅漢!
素晴らしいの一言である!
クラッカークラッカークラッカー


私が見たのはレプリカなのだろうか?
どうやら本物は増上寺に納められてあるらしい?∑(-x-;)
これは増上寺に行くっきゃないっしょ!!!パンチ!




追記

狩野一信の人生は、その絵のごとく、怒涛のごとく激しいものだったようだ。波


1815年、江戸の骨董商の次男に生まれ、絵の才能を幼くして発揮していたが、兄との折り合いが悪く、22歳で家を出る。けんか

両国の仮寓先で知り合った人物にその人となりを気に入られ、
その娘やすと結婚、入り婿となる。アップ

ところが今度は義母との折り合いが悪く、一人家を出る。けんか

父の許しもあって後を追ってついてきた妻と共に江戸各地を転々としながら、看板や提灯の絵を描いて糊口をしのぐ。ラブラブしょぼん

安政2年(1855年)3月に起こった大火で、夫妻は全財産を失ってしまい、増上寺の子院源興院に身を寄せ、その後芝浜松町に転居した。メラメラしょぼん

五百羅漢図の筆を起こしたのは1854年(大火事で焼け出される前年)。
芝浜松町に転居してから以後、製作に専念。アップ

五百羅漢図完成間近の1863年、数え年49歳で死去。天使




人との折り合いが悪くて、喧嘩しては家出をする一信。けんか
しかし、好かれる人には深く好かれ、見込まれる一信。仲良し
大火で全財産を失い、それでも仮住まいのまま製作に当たった一信。
彼は、己の中に、
人間や人間世間独特の醜さ、悲惨さと、
神通力で燃える羅漢を
併せ持っていたのだろうか。


一信も、燃える男だったろうなぁ。メラメラ
スキッ歯、出っ歯のてっぺんハゲ頭の無精ひげの、
恐ろしく厳しく眉間の皺を寄せつつ
口元に微笑みを忘れないような、
一見腐れ坊主のようで、誠実真摯な、
心の中はいつも燃えているような……
そんな絵師だったのだろうか。( ´艸`)


私はただただ妄想するしかないが、
とにかく、
狩野一信の羅漢図は
他の羅漢図同様の羅漢さんばかりなのだが、
他の羅漢図にはない何かがある!

と、私は思う。

参照
:ウィキペディア:狩野一信
:『日本の美術 No.534 狩野一信』
:『幕末の怪しき仏画―――狩野一信の五百羅漢』





追記:

ぎゃー! こんなの見つけちゃった!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
こんなの開催されていたのね!!クラッカー

江戸東京博物館
特別展 五百羅漢
「増上寺秘蔵の大作「五百羅漢図」(各172×85cm)全100幅を一挙初公開!」

ここで本物が展示されていたんじゃ、東京国立博物館に展示されていたものが、本物であったわけがない。・°・(ノД`)・°・
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ユリノキ、シャラク、そしてラカン



天海僧正毛髪塔にびっくりしつつ、
さらに東京国立博物館を目指す。走る人

まずは、博物館前のユリノキにご挨拶。
5月に上野に行ったときは、必ず会いにいくようになったユリノキ。
今年はいままでで一番花が美しいときに会えた。(-^□^-)

夫婦世界旅行-妻編-ユリノキ

夫婦世界旅行-妻編-ユリノキの花

オレンジ色と黄緑色のコントラストが美しい。キラキラ
爽やかなかわいらしい花。ラブラブ
「こんにちは」がよく似合う花である。(・∀・)





で、東京国立博物館平成館で開催されている「特別展 写楽」へ。
http://sharaku2011.jp/

たった10ヶ月しか存在しなかったという謎の絵師、写楽。(-_☆)

夫婦世界旅行-妻編-しゃらくせい


なんとも軽妙でインパクトのある写楽であるが、
写楽は絵師なわけだから、
彼の絵を損ねることなく彫り上げ、刷り上げた技術者がいたわけだよね。
彼の絵に関わった彫り師(版木師?)や刷り師のことには一切触れられていないのが残念だった。
錦絵は絵師、彫り師、摺り師の三位一体の上に完成する作品だろうに……と思うのだが。
どうして絵師だけが「顔(作者)」になるのだろうか。
どうもそこが私は今ひとつ納得できない。( ̄* ̄ )




で、ついでに常設館(?)をひやかしてみた。
小さな「特別展示」らしきもので、
五百羅漢」の絵があったから。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



私は、なぜか、いつの間にか、五百羅漢となると見ずにはいられなくなっている。
500なくても、「羅漢」というものが気になって仕方がない。ラブラブ!


2009年、京都旅行で清凉寺を訪れたとき(「桜旅行⑩清凉寺(最古の人体模型と光源氏のモデル)」、釈迦の十大弟子やら十六羅漢図やらに不思議な感動を覚えたことが、そもそもの始まりだった。


「羅漢」とは衆生を仏に代わって救うもの。キラキラ
羅漢さん自体、仏を目指して修行中の身。キラキラ
……そんな説明を、確かタクシーの運転手さんがしてくださった。


それなのに、羅漢たちの表情や様子は、どうみても「修行中」には見えない。
私には、ダレダレのグダグダの、だらしない奴らに見えたのだ。Σ(~∀~||;)
あるいは、目つきのきつい、邪悪でしたたかな腹黒そうな輩に見えたのだ。Σ(=°ω°=;ノ)ノ

こんな奴らを衆生はありがたがっていたのか?はてなマーク
「羅漢さん」と呼び親しんじゃうのか?はてなマーク
……これまた謎であった。(=◇=;)


それからというもの、羅漢というと気をつけて見るものの、
京都嵯峨野の愛宕(アタゴ)念仏寺の五百羅漢も、
盛岡の報恩寺の五百羅漢も、
私がイブカシムばかりの羅漢さんたちだった。(=◇=;)
その他、色々な“羅漢図”に描かれた羅漢さんも同様。
だらけていたり、俗悪だったり。( ´艸`)


(中には真面目そうな羅漢さんもいるから、またおかしい。
自分ひとりでも俗に染まらず修行するんだいっ!って感じの羅漢さん。
いろいろあり、何でもあり、清濁あわせ持つというスタンスが、また羅漢群のよさかもしれない。)




“ぐだぐだ羅漢”……川越、喜多院の五百羅漢に至っては、最強である。チョキ
鼻ほじってる!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚(と、私には見える。にひひ
ダレダレのグダグダもここまで来たか!という羅漢群である。
サイコーである!にひひ


一体「羅漢」って、何者なんだ?はてなマーク
今だにしっくりとわからないから、惹かれるのかもしれない。ラブラブ

そんな私なので、東京国立博物館の常設展示の部屋の中に
「五百羅漢」という言葉を見つけ、引き寄せられたのは言うまでもない。オバケ


そして、そこで、
私はついに最高の羅漢図に出会ってしまったのだった!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!


その絵師の名は、狩野一信(カノウカズノブ)



               つづくラブラブ
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天海僧正毛髪塔(テンカイソウジョウモウハツトウ)の毛髪の謎



前回記事(「ハゲの毛髪?」)の続きです。


夫婦世界旅行-妻編-天海僧正
(↑ネットより拝借。天海僧正)



上野公園内に「天海僧正毛髪塔」を発見し、
すなわち、「天海僧正の毛髪が納められている塔」と思い、
なぜにハゲの毛髪が納められるのか?はてなマーク
ということに、大いなる疑問を抱いた。



で、調べても私にはその疑問は解決できず、
謎は深まるばかりであった。!?!?!?


が、
ビンビンビガロさんが実に納得のいく謎解きをご教示くださったので、
ここにご紹介しておきたい。ヾ(@°▽°@)ノ




以下、ビンビンビガロ説。(以下「ビン説」と略します。)

毛髪塔は天海のものではなく、
お寺に過去納められた、やんごとなきお方達の遺髪を奉ったものです。
そういった謂れの遺髪は古い菩提寺によくある事です。
誰の遺髪かは、各お寺とも明らかにしませんが、
権力のあるお方なのは確か。
そのお方の為に塔を建立したと言う事実が、仏教界の権力に繋がるのです。
」 (ビン説) (=◇=;)


私はさらに疑問をぶつけてみました。はてなマーク

「天海の毛髪ではないのに、
なぜに天海の毛髪塔ってことにしてるんですか?はてなマーク
やんごとなきお方達は、「髪」のある方、
つまり僧侶ではない人たち・・・という解釈で、よございますか?はてなマーク」と。





ビンさんに再びご解答頂きました。

説明が難しいのですが、誰の遺髪を奉じたか、明かさないと思われるので、
天海が建立した毛髪塔と理解すれば良いと思います。
京の塔は、大概皇室とか貴族が入ってます。
関東でそれは無いと考えられるので、何かいわくがあると思われます。
そもそも、自身の塔を建てる訳が無いので、
あららたなんかが変な戯言を流すから誤解が広まるのです。
ただ、明かせないじんぶつを奉じた場合は、
天海の塔と名付けるのは他にも例があります
。」(ビン説)





ここで、今一度「天海僧正毛髪塔」の説明板を見直してみよう。サーチ



天海僧正毛髪塔(Hair Pagoda For Priest Tenkai)

「天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で、諡号(シゴウ)を慈眼大師(ジゲンダイシ)という。
天文五年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。十一歳で出家、十四歳で比叡山に登り実全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学を学んだといわれる。のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、川越喜多院(埼玉県川越市)、などに住し、徳川家康の知遇を受けた。元和二年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導した。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、寛永二年(1625)に寛永寺を創建した。
 寛永二十年(1643)に子院の本覚院にて一〇八歳で示寂。遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。後に本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった。」



天海僧正が亡くなり、彼の「遺命」によって彼の遺体は「日光山に葬られ」、
彼のための「供養塔」が他の人々によって建てられた……ここまでは、問題ない。OK

次が問題。パー

このように「天海僧正」を主語にして、彼の人生を語り、
彼の死後は彼のために何が作られたかが“受身”で記され、
その説明文に、そのまま続いて書いてあるから、


「納められた」という「後に本覚院伝来の毛髪を」も、
本覚院に代々守られてきた「天海僧正の毛髪」だと読んでしまうのだ。Σ(~∀~||;)ひらめき電球


だが、


よくよく見れば、
「天海僧正の毛髪を納めた」とは明記していない。
「本覚院伝来の毛髪」としか記されていない。(-_☆)


ということは、この毛髪は、
本覚院伝来の“やんごとなきお方、なれど、名は明かせないイワクありの人物”の毛髪……とも読めるね!チョキ


天海さんが遺言して、やんごとなきお方の毛髪を納めた塔を建てさせたのか、
命じてないのかは、
私には確認しようもないけれど、


とにかく
「天海僧正毛髪塔」とは、
本覚院伝来の“やんごとなきお方の毛髪”を、
天海僧正の名を冠した塔に納めてある
……と考えると、
「毛髪」であることに納得である!クラッカー

夫婦世界旅行-妻編-剃髪
(↑ネットより拝借)




ハゲの毛髪をむりやり集めたわけでもなく、叫びバツ
天海僧正が得度の際に剃髪したその毛髪でもなく、バツ
どこぞのどなたかは下々のものには明かされもしないドエリャー人物の毛髪が髪
あの塔には納められている!
と考えた方が実に自然。(・∀・)


結論

「天海僧正毛髪塔」は、

=「天海僧正の毛髪が納められている塔」
ではなく、

「(天海僧正の命令によって建てられた)名は明かされない高貴な人物の毛髪が納められている塔」
であろう。
(o^-')b


毛髪、万歳っ!クラッカー
ビンビンビガロ説に納得です。チョキ
あ~、かなりすっきり!ヾ(@^(∞)^@)ノ
毛穴のつまりが取れた思いです。キラキラ
加齢のせいでダメになってしまっていた毛穴から
一本新たに生えてきた心持ちが致します。アップ


それにしても、
天海僧正毛髪塔に納められた毛髪の持ち主、
“さるやんごとなきお方”は
誰なのか、はてなマーク
やはりちょっと気になりますわ。(^^ゞ




(注:以上はビンビンビガロさんの説を私なりに納得してみせている日記なので、
質問、疑問、イチャモン等は、この日記に入れてくださいませね。)にひひ
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ハゲの毛髪?

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ハゲの毛髪?



女流画家協会展のために上野まで出かけたついでに、
東京国立博物館平成館で開催されている「特別展 写楽」も覗いてみることにした。走る人



で、東京都国立博物館を目指して
上野の森美術館を出ると、すぐそばに、
木々の枝に隠れるようにささやかな塔が建っているのを発見。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
上野の森は、改めて歩くと、色々な発見があるものだ。
(単に今まで気付かずにいたということだけど。にひひ


夫婦世界旅行-妻編-天海僧正毛髪塔


なんと、パゴダ!?(ソレニシテハ、随分ササヤカナ……。)∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
なんと、天海僧正毛髪塔(テンカイソウジョウモウハツトウ)!Σ(~∀~||;)


お坊様の「毛髪塔」とは、これいかに?ヽ((◎д◎ ))ゝ
坊主に毛はなかろう?はてなマーク



わざわざ「毛髪」と断っているのであるから、
やはり“つるつる坊主頭”の髪の毛だ?はてなマーク
ハゲの毛髪?はてなマーク
いぁ、お坊様は「ハゲ」なわけではないか?はてなマーク
謎めいたその塔に私は引き寄せられた。オバケ



天海は川越喜多院を訪れたとき、その等身大像も拝ませて頂いたので、なんとなく既に「知り合い」感覚。( ´艸`)
お、天海? 久しぶりじゃん! こんなところで何してるの?音譜パー
って感じで、ゆかしく思って、説明板を読む。目


天海僧正毛髪塔(Hair Pagoda For Priest Tenkai)

「天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で、諡号(シゴウ)を慈眼大師(ジゲンダイシ)という。
天文五年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。十一歳で出家、十四歳で比叡山に登り実全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学を学んだといわれる。のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、川越喜多院(埼玉県川越市)、などに住し、徳川家康の知遇を受けた。元和二年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導した。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、寛永二年(1625)に寛永寺を創建した。
 寛永二十年(1643)に子院の本覚院にて一〇八歳で示寂。遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。後に本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった。」メモ


本覚院伝来の毛髪」……とあるからには、
本覚院に天海僧正の毛髪が代々秘宝(?)として大切にとってあったということね?( ̄□ ̄;)
その毛髪、一体いつどうして本覚院に蔵された(?)ものやら?はてなマーク



11歳で出家……とあるから、
その出家の際、剃髪したときの髪?はてなマーク
しかし、それをずっと天海が持っていたとも思えない。( ̄_ ̄ i)



本覚院に住していた間、
お坊様とはいえ、
毎日生えてくる髪の毛を剃り剃りした、その髪の毛を地道に集めていたのかしらん?はてなマークカミソリ



だとすると、
普通「遺髪」というと、ある程度の長さ(せめて10cmくらい?)の髪の束だというイメージがあるけれど、かみのけ
天海僧正の遺された毛髪は、
あごひげの剃り残しのような、
某有名会社の製品“3枚刃電気髭剃り”の、剃り味のよさを示すためのCMで見かけるような、
(今朝剃ったばかりなのに、もうこんなに剃れてる!みたいな)
黒いカスのような、粉末状の髪の毛なのかしら?はてなマーク(ひどい想像!)






説明板を読んでいるだけでは、何の解決も見られず、
返って謎(?)はよからぬ方向へ深まるばかりであった……。ヽ(;´Д`)ノ





で、帰宅してからネット検索。サーチ
お坊様の「毛髪塔」に腑に落ちないものを感じている人は見つけたが、
なぜ“坊主の毛髪塔”なのか、それを解き明かしているものは見つけられなかった。(→o←)ゞ


参照:
天才詩人こうやまあきらのブログ

天海僧正って知ってます?このお方は徳川家康にブレーンとして仕えた風水師で「明智光秀が正体」説があるほどの謎の人物。江戸が永遠に繁栄するために鬼門の位置に寛永寺・日光東照宮を置き、裏鬼門に増上寺を置き、最後の仕上げとして死後、自分の髪を埋めた「毛髪塔」を建てさせたという(このへんはネットで検索すれば、荒俣宏系マニアがいろいろ怪しくて楽しい説を書いてます)。つまり江戸(=東京)の守り神みたいなお方。メモ


この人の説によると、
天海僧正が自ら「毛髪塔」を「建てさせた」としている。


だとしたら、
天海僧正が意図して己の髪の毛を残したことになるね。Σ(・ω・;|||



天海僧正が亡くなったのは108歳。
そんな老年になってからは、髪の毛も生えてこなかったろうから、
何十年も前から、若いうちに髪の毛を取っておいたってことだよね?ベル

そう思うと、
“己の髪の毛を後世に残すべく掻き集めている壮年のお坊様の図”が思い浮かんでしまい、にひひ
なんともリアルなお坊様の日常を感じるのである。(/ω\)


しかし、本当に、なぜに坊主の「毛髪」なのだ?はてなマークはてなマークはてなマーク
謎はいまだ解けず……。Y(>_<、)Y
女流画家協会展で再会ならず


一枚の招待葉書が届いた。



3・11のあの日、東京駅で帰宅難民になったとき(「帰宅難民4 声掛けが一番の支え」)、
駅構内で一緒に過ごした方からだった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



なんとなく声を掛け合い、「一緒にいましょ」と
名前を名乗りあって、
グループになった我々。(-^□^-)ココロヅヨカッタ~ラブラブ

なんとか一晩過ごし、
翌朝、
帰る方法はそれぞれの選択がわかれ、
とにかく少しでも宇都宮に向かうという女性と私は、
途中で止まった電車に見切りをつけ、
歩いて次の駅まで行き、
途中でまずい立ち食い蕎麦を食べ、
運よく拾えたタクシーで私の街まで行き、
彼女は、そこからさらに動き始めた電車に乗って大宮を目指していったのだった。


別れ際に名刺を頂いた。
そこで彼女が画廊を営んでもいる画家さんだとわかった。Σ(・ω・ノ)ノ!
で、私が機会さえあれば見に行く画家さんの名前を言うと、
なんと彼女のお知り合いで、その画家さんのことを「尊敬している」とまで仰る。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
その方に憧れて画家になったようなものだ……というようなことまで仰る。
意外なところで人は繋がっているものである。仲良し
そんな意外な感動とともに、分かれた彼女であった。


その彼女が出品しているという展覧会の招待状を
送ってくれたのだった。
女流画家協会展」。女




上手く再開できたら、
あのとき一緒に過ごしてくれたお礼を今一度言いたい、ラブラブ
お互いの無事を喜びあいたいとラブラブ
出かけてみた。走る人

小さな個展かなと思ったら、
上野の森美術館での立派な展覧会だった。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
しかも、彼女は賞まで取っていた。キラキラΣ(・ω・ノ)ノ!
(しかし、何十種類も色々なネーミングの賞が設定されていて、彼女の賞がどれほど凄いのか、よくわからなかったが……。)





結局、彼女の姿は会場では見つけられなかったのだが、しょぼん
彼女の作品を拝見して、
会ってしゃべっているだけではわからなかった彼女の一面を見る思いがした。( ´艸`)

(作品と画家とを組み合わせていくクイズなんてあったら、
案外難しいかもしれない。ひらめき電球



出展作品数も多く、
油絵だけではなく、コラージュ?や、油絵の具と金属を組み合わせたものやら、
色々な作品があって面白かった。
タイトルと作品とを比べて、このキャンバスの中にいかにこのタイトルが描かれているのか?と首をひねったり、
久々に油絵の具の匂いや、油絵を描くときの感覚を思い出し、
楽しいひと時だった。音譜




「女流」と冠するのは私はあまり好きではないが、
「女流」と冠するだけあって、
女性ならでは……という感じのタイトルや絵が多かった。
戦後まもなく発足した女流画家協会。
敗戦を乗り越えて、女性たちよ、頑張ろう!と立ち上がった会なのだろうね。グー



以下、面白いと思った作品をご紹介します。
女流画家協会」は、まだ「後期」2011年5月27日~6月2日もあるので、
よろしかったらお出かけくださいませませ。(・∀・)

上野の森美術館「女流画家協会展」
http://www.ueno-mori.org/





以下、彼女の作品と、私がおもしろーい!と思った作品をご紹介。

夫婦世界旅行-妻編-女流画家協会賞
「弾ける」


夫婦世界旅行-妻編-5
「そして逝った人々」


夫婦世界旅行-妻編-1
「ノスタルジア/海岸線」



夫婦世界旅行-妻編-7
「私への課題Ⅰ-1」


夫婦世界旅行-妻編-9
「ビスケット」




夫婦世界旅行-妻編-6
「遠い音」


夫婦世界旅行-妻編-10
「部屋にて」



これ、ぽあんとしてとても可愛かったのだけど、( ´艸`)

夫婦世界旅行-妻編-金魚ちゃん
「あっぷっぷ」



江戸時代の画家、神坂雪佳の「金魚玉図」とよく似てる!

夫婦世界旅行-妻編-神坂雪佳 「金魚玉図」


江戸時代と平成時代、時代が変われど、金魚ちゃんの正面顔の可愛さは
人々を魅了するのね。(-^□^-)



以下、手振れがひどくて残念ながらタイトルが読み取れないのだけど……。


夫婦世界旅行-妻編-11

夫婦世界旅行-妻編-8

夫婦世界旅行-妻編-4

夫婦世界旅行-妻編-3


夫婦世界旅行-妻編-12


女性たちはパワーに満ちているのだっ!
って感じ。( ´艸`)