一部喪失

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一部喪失




包丁で何かを切るときは
猫手をして切るように心がけていたのですが……ネコ

ぼぅっとしてたんだろうな。ショック!
さぁ、もう切り終わるという最後のとき、グー
ふと指を伸ばしてしまって、パー


包丁がサクッと爪に入りました。∑(-x-;)


あらら! 右半分ほど、爪の先がなくなっちゃった!Σ(~∀~||;)


なくなっちゃった!


うまいこと肉には至らず、
爪にだけざっくり包丁の刃が入りまして、チョキ


爪切りで修正してみましたが、レンチ

なくなってしまった爪は
もどってきません。しょぼん



指が短くなったように見えます。ダウン
ショボンしょぼん




こうして人は
ある日突然、ふっと
何かを失うものなのだ。。。。('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)


じわじわじっくりと
気づかないうちに失うより、いいかな。(*^o^*)/~


イヤ、ソウイウ問題ジャナクナイ?あせる

PS:痛くないので、ご心配なく。にひひ
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名古屋一人旅 27

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名古屋一人旅 27



(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)

お願い:
私は歴史に疎いので、以下にアップした内容に間違いがあるかもしれません。ネットや本で軽く確認しただけの内容を私なりにざっとまとめた部分は特に要注意。(><;)
間違いに気がつかれたら、ご指摘くだされば、幸甚です。(^^ゞ




さて、次のお目当ては樹齢600年以上という榧(カヤ)の木ドキドキ

地図で見ると城の内堀の南西の角あたりにあるように見えるのだが、メガネ
一帯、ひろびろと木々が植えられて、ちょっと迷ってしまった。あし

で、地図よりは西に行った辺りに、ようやく榧の木、発見!ヾ(@^(∞)^@)ノ

榧の木1

榧の木は、以前、鎌倉で一度見たことがあるだけ。
しかも、それは枯れ果てた古い切り株だった。ショック!
そんな古い切り株に、わざわざ「」と立て札が添えられていた。えっ

餅つきの臼のような切り株だった。にひひ
なので、榧はきっと臼を作るのに遣われる特別貴重な木だったに違いない……と推察していた。ひらめき電球 

今回ようやく生きた榧の木が見られた!クラッカー

榧の木2

樹齢600年というわりには小柄な木だね。∑(-x-;)
四方八方に枝別れして、わしゃわしゃと葉を茂らせている。アップ
600歳以上なのに、こんなに青々と葉を茂らせているというのはキラキラ
やはり凄いことだね。(*^o^*)

榧の木3 葉

榧の木 天然記念物


高さ16メートル、幹回り8メートルで、築城以前から自生し、樹齢600年以上といわれている。名古屋市内で唯一の国指定の天然記念物である。空襲によって被災したが、幸いにして樹勢を取り戻した。初代藩主、徳側義直大坂へ出陣のとき、この実を膳に盛り、のち正月の祝膳にも盛ったといわれる。」メモ


英語版の説明には、
Torreya Nut Tree (Torreya Nucifera)とある。えっ
きっと木の実が特徴的な木なのだね。ベル
榧の実…・・・どんなお味なのだろう?はてなマーク
どう食べるのだろう?ナイフとフォーク
木の実だから、美味しいに違いない!ラブラブ!

あるいは、榧の実って、縁起ものなのだろうか?ひらめき電球
あるいは、当時は食糧難で、城の中の榧の実を食事に取り入れたということなのだろうか?えっ


とにもかくにも、
城の中には
食料になったり、になったり、になったりする植物が植えられていることであるよ。(*^o^*)


築城以前から名古屋台地に自生していたというこの木。アップ
築城の際はまだ若々しい木だったろう。(といっても、既に樹齢約200年。)キラキラ
よくぞ切り倒されずにここまで生きてきたものだ。ラブラブ
やはり木はそうそう切り倒さないで欲しいものだ。(。-人-。)ドキドキ




榧の木4 幹回り

高さ16メートル、幹回り8メートル」と説明されているけれど、私にはもう少し小さいように思われた。| 壁 |д・)

でも、生きた榧が見られて、満足、満足!(≧▽≦)
これで榧の実を使った饅頭か餅かなにか、お土産で食べられたら言うことなかったなぁ。にひひ



追記:

大坂へ出陣」って何? と調べてみた。サーチ(私は歴史に超疎い(//・_・//))


私は1600年関が原の戦いで戦国時代は終わって、戦のない江戸時代に突入したのかと思っていたが、全然違った。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o


徳川家康1603年に征夷大将軍に任官され、江戸幕府を開くも、大坂の豊臣軍を平定しなければならなかった。本


で、大坂の陣(1614~1615年-冬の陣、夏の陣、コミで)でやっと大坂城を落とし、豊臣を滅ぼしたわけだね。本(=◇=;)



徳川義直徳川家康の9男で、名古屋城はなんと、徳川家康が義直のために作ったのだという。Σ(・ω・ノ)ノ!
東海道の要所となる名古屋城を己が息子に託そうというわけだったのだ。グー


1609年に築城を決めて、1610年に天下普請して、1612年には天守閣が完成したという。アップ

つまり、家康は大坂城を攻めつつ、ドリル
一方では名古屋城を作らせて、諸侯の力を吐き出させたのだ。叫び
あの大きなたっぷりの石垣は、諸侯を弱らせようという家康の狙いがあったのだね。Σ(・ω・;|||



家康の9男義直は1600年生まれ本
1603年には甲府藩主1607年には清洲藩主1610年名古屋藩主となっている。
年端も行かぬ頃から「藩主」!?ヽ((◎д◎ ))ゝ
メチャクチャヤ。┐( ̄ヘ ̄)┌


大坂の陣のとき」と言ったら、義直が14~15歳のときということになるでないの?むっ
そのときに、誰かに命じてこの榧の実を調理させて、膳に盛って食べたわけか?お団子


愛知県人はケチ」と言われるムキがあるが、これは「義直の気風が生きている」(?)という説もあるらしい。本

しかし、図書館の走りのようなものを作って、それを門外不出にせず、広く人々に公開するようにしたという話もあるし、何を以ってして彼が「ケチ」と称されるのか、私にはわからない。( ゜∋゜)



幼くして「藩主」になり、世を牛耳る父からは天下要の名古屋城をプレゼントされ、あどけなさの残る若さで榧の実食べて戦場へ赴き……。DASH!

徳川義直、いったいどんな人物だったのだろう。
榧の木は彼に直接会ったことがあるのだ。ラブラブ
あぁ、木と話せたら面白い話がいっぱい聞けるだろうに……。にひひ


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名古屋一人旅 26

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名古屋一人旅 26



(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)


 
名古屋城天守閣は一通り満喫した。(‐^▽^‐)
後は時間の許す限り、城内を散策しよう。あし


天守閣を見上げるのに丁度いいスポットで、
親子が写生をしていた。アート
優しい木陰を提供しているのは
モッコクの木だ。合格

モッコクの木

モッコクは関東にも多く見かける。チョキ

「暖地の海岸近くに生える常緑高木。
樹形が整うので、庭園や公園などに植えられます。」
と説明書きがあった。メモ


樹形が整う」って、どういうことだろう?えっ
剪定しやすいということかな?はてなマーク
放っておいてもいい形に枝を張ってくれて、見栄えがするということかな?はてなマーク

庭園や公園に向いている木、向かない木ってあるんだ?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ほぉぉぉ。ラブラブ


木そのものに対してもだが、
“木を見る人間”の経験や知恵には頭が下がる。叫び




さて、次のお目当ては東二之門付近にある「清正石」。グー
「キヨマサ石」?
人の名前の付いた石って、どんなもんだろう? (?_?)

これだ!サーチ

清正石
(右側の大きい方が清盛石らしい)


でか!∑(-x-;)
雨だれが染みついたような色合いの、ダウン
特にきれいでもない一枚のこの巨石は、
横は5mちょっと、縦は2m弱くらい?サーチ


追記:他のサイトを探したら、「横6メートル、縦2.53メートル、10畳敷き」と明記されていた。私の目にはやや実物より小さく見えたようだ。えっ
参照:名古屋なんでも情報」http://white.ap.teacup.com/syumoku/155.html



石垣には防備を誇示するために大きな石を組み入れた」そうだ。メモ

たしかに大きい! 
石というより、岩でないかい?
よくもこんな巨石をマッタイラに掘り出して、
ここまで運んで、
嵌め込められたもんだ。DASH!
どこから採石してきたのだろう?( ̄□ ̄;)



パンフレットには、
「天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(キヤリ)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられていますが、この石塁の施行大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。」メモΣ(・ω・;|||

なんだ~。清正が運んできたから「清正石」ってか~。┐( ̄ヘ ̄)┌
しかも、それは説話(=事実ではなさそう)、か~。Σ\( ̄ー ̄;)


石垣の構築は分担されていて、それぞれ担当大名が決まっていたんだね。ソリャソウカ。(=◇=;)
では、なんで加藤清正の石と思われちゃったんだろうね?はてなマーク
そこのところの説明はない。┐( ̄ヘ ̄)┌


すぐ横に清正ほどではないが、かなり大きな石がもう一つ組み込まれていたが、
そちらについての説明もない。┐( ̄ヘ ̄)┌


名古屋城の石垣で、ここにだけ巨石を組み込んでも、
(ここ以外に不統一に巨石が組み込まれているような石垣はないようだった。)
なんだか、ここだけ浮き上がって
防備を誇示する」というより、ツギハギみたいに見えるのは私だけだろうか……。f^_^;




それにしても、
名古屋城は石垣がたっぷり造られている。アップ
当時の大名たちの努力の結晶だ。パンチ!


城内の石垣の石には一つ一つ、「刻紋」といってそれぞれその石を運んだ大名の記号が入っているらしい。


石垣の構築を命じられた諸大名が、自分の運んだ石を他大名の石と区別するために刻んだ「目じるし」なのだそうだ。キスマーク
(この刻紋の入った石が見られるはずの「不明門」のところに行ったのだが、私には発見できなかった。ショック!


石に印をつける……?えっ
厳しいノルマが与えられていたのだろうか?はてなマーク
自分たちの仕事をアピールするためだったのだろうか?はてなマーク
どれだけ石を運んだかで、その後の出世に響いたのだろうか?!?
誰が運んだ石かどうかで、揉め事があったりしたのだろうか。!?


石垣の石など誰が運ぼうがどうせ同じだと思うのは現代の感覚で、
当時は大名たちには明暗を分ける一大事だったのかもしれない。(((( ;°Д°))))



後日、TVを見るとはなしに見ていたら、テレビ
名古屋の町なかに落ちている石、公園やら道端に無造作に置かれている石には印がついていて、
それは名古屋城の石垣の石として運んでいる際、
途中で落としてしまった石の印だと紹介されていた。Σ(・ω・ノ)ノ!


折角名古屋の町中まで運んできたのに、
落としてしまったら“アウト”だったのだろうか?NG
運搬者は、さぞがっくりと力が抜けたことだろう……。。(´д`lll)


しかし、落ちた石は使わず、慎重に運び込まれた石だけが使われて築かれた名古屋城の石垣。キラキラ
各大名たちの印の刻まれた石でできた石垣。ナゾの人
なんとも人々の必死の思いと汗が沁みこんだ石垣であるのだね。(TωT)




しかし、それなら、なおのこと、
いわゆる「清正石」にも、加藤清正の印か黒田長政の印が入っていそうなものだが……? むっ
真相はいかに? 私ニャ、ドーデモイイケド。゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○


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名古屋一人旅 25

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名古屋一人旅 25



(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)



名古屋城の各階では色々な展示がされていた。目
名古屋城がいかに竣工されていったかとか、あせる
古い鯱だとか、さそり座
当時の町人や商人の様子とかがわかるようになっている。('-^*)/


綱のついた大きな石が置いてあって、えっ
その綱を引いて、石垣の石を運ぶのにいかに力が要ったかが体験できる装置などもあった。グー
(もちろん、引っ張ってみた。にひひ一度引く分には思ったほどしんどくない。が、一日中引っ張っていたらたまらんだろうね。ガーン

で、歴史的下知識のない私には、どれも
まぁ、ふむふむってくらいなものであった。( ̄ー ̄;
ありきたりといえばありきたりな展示だ。オバケ


しかし、
2F展示室で開催されていた
名古屋城特別展 城の春 さくらの美術」は面白かった。クラッカー合格ベル


江戸時代は既に桜が大変愛されていたらしい。ラブラブ


桜狂(オウキョウ)」「桜画家(サクラガカ)」と呼ばれ、一生桜を描き続けた画家がたくさんいたようだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


展示会場には、掛け軸などに描かれた桜の絵が大集合していた。桜桜桜

私は、桜というと、染井吉野、山桜、八重桜、彼岸桜、大島桜、河津桜、寒桜、深山桜、黄桜、枝垂桜くらいしか知らないが(しかもちゃんと識別もできないがしょぼん)、

江戸時代はもっともっと色々な種類のサクラがあったように見受けられる。大抵山桜系?って感じ。ヾ(@^(∞)^@)ノドキドキドキドキドキドキ


一幅の掛け軸の中に、各種サクラの花を図鑑のように描いているものもあった。(達筆過ぎて、名前を確認できなかったが^^;。)桜桜桜メモ
描かれている各種の桜は
ソメイヨシノよりはどれも野趣に富んでいる感じ。ベル


しかし、どれも描き切れていない感じがした。むっ
あのサクラの花びらの透明感や柔らかさが、どれも出せていない。ダウン
あの蕾の充填感が、どれも描けていない。ダウン



そうそう描き切れないから、一生桜に取り付かれ、狂ったように桜ばかり描いたのかもしれないね。恋の矢


一生桜に惹かれ、桜と格闘し続けた絵師がたくさんいたということを見せてもらったグー


という点で、いい展覧会だった。(‐^▽^‐)




こうした「桜狂」たちの掛け軸と比較すると、京都の寺で見た桜の襖絵は別格に素晴らしかったのぉ……と、改めてその才能に驚くいた次第である。ドキドキ




君の名は?

名古屋城の門のそばの桜並木はソメイヨシノ枝垂桜が植えられていたように見受けられたが、サーチ
奥の庭に咲いていた桜はこれ。

ソメイヨシノももちろん好きだが、
ソメイヨシノ以外の桜を見ると
不思議とどこか懐かしくほぅっ……とした気持ちになる。ドキドキ


残念ながら名札が見当たらず、正体不明だが、
タブン「大島桜」ではなかろうか?(?_?)

ご存知の方、教えてください。(。-人-。)
風に揺れて、ボケボケ写真ですが、アシカラズ。m(u_u)m

       
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名古屋一人旅 24

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(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)




いよいよ名古屋城天守閣が見えてきた。(^∇^)

小天守閣と天守閣


手前の空き地は本丸御殿跡とのこと。本

本丸御殿跡

柵で囲われた敷地には何もなく、なんだか味気ない。(・_・;)
なんのためにこんなスペースを空けておくのだろう?オバケ



天守閣の手前に隣接してあるやや小ぶりの建物は小天守閣チューリップピンク
英語版のパンフレットを見ると、
天守閣はThe Donjon、小天守閣はThe Small Donjon本
ダンジョン」と聞くと、なんだかゲーム感覚になるから不思議。にひひ
さぁ、最終的に攻め込むぞ!という気分になる。パンチ!
(donjonはもともと「本丸・天守閣」の意らしいが。(^^ゞ)


小天守閣と天守閣を繋いでいるのが、剣塀(Sword Fence)。叫び

剣塀

小天守閣を抜けてここに出ると、
まず両脇が塀に狭められた空間の中に
天守閣と空だけがどーんと目に入るので、アップ
一瞬、おおっ!と天守閣に威圧される。Σ(=°ω°=;ノ)ノ

で、次に塀の端から槍が突き出ているので、ぎょっとさせられる。Σ(~∀~||;)
軒桁に30cm余りの槍の穂先を並べ、忍返しとして使われた」という。ドクロ



天守閣には何し負う金のシャチホコが金ぴかぴかりと乗っていた。キラキラ

金のシャチホコ

どこからみあげても、屋根は反り返った三角がいっぱい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
おそらくこの屋根の形も侵入者を防ぐという点において
なにか効果があるのだろうね。ヒミツ

三角山屋根

大棟にシャチホコを飾ることは、
古くは「室町時代前期」頃から始まっていたらしい。えっ

当時は火除けの呪いであったものが後に城主の権威の象徴として」飾られたらしい。えっ

ふぅむ……。城のパンフレットの説明だけでは、今ひとつよくわからない。(+_+)
で、城内の売店で金のシャチホコマグネットを買ってみた。にひひ
それに付いていた説明の方が詳しかった。OK


昔から鯱は、水を呼ぶといわれ、火を防ぐまじないとして、城頭に飾られました。

名古屋城の金鯱は、南が雌、北が雄といわれ、これに使用した黄金は大判1,940枚、小判17,975両と伝えられています。

昔、この鯱の輝きは、四方一里の東海道、佐屋街道、美濃街道の旅人の眼にも望見され、名古屋城の威を大いに示しました。」ですと。Σ(・ω・ノ)ノ!


四方の街道から旅人たちは、遠くに名古屋城の金のシャチホコがきらきら光るのを眺めて、こりゃすごい! と思ったことだろう。そのことは旅の土産話にもなっただろうね。キラキラ



しかし、鯱なんて、昔から日本にいたのだろうか?はてなマーク
なんだか意外である。
それに、名古屋城の金のシャチホコの姿は
どうみても鯱には見えないパンチ!
鯉と竜のあいのこみたいだ。むっ



で、マグネット土産の解説の英語版を見ると、メガネ
Golden Dolphins」!
イルカかい?( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚



金のシャチホコマグネット

左が雌で、右が雄の金のシャチホコマグネット。
やはり、どう見てもシャチには見えない。┐( ̄ヘ ̄)┌
イルカにも見えない。o(・_・= ・_・)o
鯱(シャチ)……昔の日本人は誰も見たことがなくて、噂で思い描かれた空想の魚だったのではなかったのかしらん?ひらめき電球

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