2001年夫婦世界旅行―妻編」が入っているPCは故障中。で、世界旅行記は中断中。(バックナンバーを読んだろう!と思ってくださる方はこちらから入れます。part1。)

で、今は別件の、2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話を少々続けています。



42 記憶から消えたサン・ジェルマン・デ・プレ教会 
St. German des Prés
サンジェルマンデプレ教会



路地裏をうろうろしているうちに、どうにか目的のサン・ジェルマン・デ・プレ教会まで辿り着いた。チョキ

姪のお友達との待ち合わせ時間まで、まだ余裕がある。カメ

だから、たっぷりこの教会を堪能しよう! 天使

……という予定だったはずだが……。( ̄ー ̄;




サン・ジェルマン・デ・プレは今回の旅の中で最も気に入った教会である恋の矢

旅行から帰ってすぐにまとめたアルバム(2001年秋)にも、「外見はボロッと音が聞こえてきそうな感じだが、中はとても落ち着いた真摯な教会で、今回一番気に入った♡ 何度も通いたい教会だ。」と記してある。メモ


……それなのに、今、とんと記憶がない!(@Д@;


あれ? 気に入ったのなら、しっかり記憶しているはずなのに?ガーン

なぜかよく覚えていない!ショック!

写真を見ても、こんなんだっけ? と違和感を感じる。(-。-;)

中に入ったんだっけ?(-。-;)



教会の前のちょっとした広場は「待合場所」として丁度よいのか、

人待ち顔の人々が沢山屯していたことは覚えている。得意げ

夕闇迫り始めた街中で、教会の明かりが実に暖かげに感じたことも覚えている。ニコニコ






しかし、詳細の記憶がない! 中に入った記憶もない!(°Д°;≡°Д°;)

??????はてなマーク




で、姪に聞いてみた。携帯

「入ったよブタ」とあっさり教えてくれた。

「教会の中に入ったけれど、信者の人が真剣にお祈りしていて、周りをうろうろ観光できる雰囲気じゃないから、さっさと出てきてしまったブタ」のだと言う。





そ、そ、そ~だったっけ?えっ

で、「時間が余ったから、近くのカフェでショコラを飲んだら、それが超美味しかったんだよね~♡ブタ

……あ、それは覚えている。美味しかった! 一番おいしいショコラだった!ニコニコ

 (でも、確か一杯10ユーロくらいしたんだ。高かった!ガーン






しかし、なぜにサン・ジェルマン・デ・プレ教会は私の記憶から飛んでいるのか?爆弾

一番好きになった! ということは覚えているのに、なぜに詳細を覚えていないのだろう? 謎だ! しょぼん

姪のお友達に初めて逢うから緊張していたのだろうか? 気持ちがそっちに飛んでしまっていたのだろうか?(私は小心者で人見知り。人と逢う時はドキドキものなのだ。)Y(>_<、)Y





それにしても、この記憶の飛び方はどうしたことだろう????ヽ((◎д◎ ))ゝ

好きになった記憶はあるのに、その人の姿が思い出せないような、妙な気分だ。ガーン


サン・ジェルマン・デ・プレ教会……もう一度行かねば!




注:サン・ジェルマン・デ・プレ教会

現存するパリ最古の教会の一つ。もともとは542年にパリ司教の聖ジェルマンがスペインの殉教者である聖ヴァンサンのために建てた修道院の付属教会。現在も残る鐘楼と身廊などは10~11世紀の頃のもの。 (『ワールドガイド パリ』より)

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ガーン2001年夫婦世界旅行―妻編」が入っているPCは故障中。で、世界旅行記は中断中。(バックナンバーを読んだろう!と思ってくださる方はこちらから入れます。part1。)

で、今は別件の、2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話を少々続けています。

41 黒ビニールのテリトリー

黒ビニールのおばちゃん



迷い込んだ路地裏に小さな公園があった。えっ

見た限りのちんまいスペース。チュイルリーやリュクサンブール公園のように整然と整えられた宮殿のような広々と美しい公園とは大違い。ガーン

緑色のゴミ袋が汚らしく鉄の輪にぶら下がっている。こんな美しくないゴミ入れなんて設置しているのね! 麗しいパリに随分と似つかわしくないものだ。むっ


公園の中央には、おどろおどろしい首の像ドクロ

汚いわけではないが、なんとも裏寂れた公園だ。オバケ

怪しげなおばちゃんが横切っていく。あし

ビニール製(多分化繊だろうが、ビニールのように見える)の薄っぺらい黒のレインコート。黒いぼろぼろのバック。全身黒尽くめ。髪はぼさぼさ。見るからにみすぼらしい。乞食?……ではなさそう?えっ

姿勢正しくしゃきしゃき歩くパリジェンヌとは違って、前のめりにずぃずぃ歩いていく。あし



こういう人はパリの大通りでは見かけたことがなかった。メガネ

この薄暗い路地に入って初めてお目にかかるタイプだ。足あと

どうやらパリは階級によって、きっちり住み分けがなされているのではないか?( ̄□ ̄;)!!



余談だが

この翌年の冬、私の姉がパリ旅行に行った際、人々がランク別に色分けされているということに気づいたと言っていた。かお

高級レストランに行ったら、そこに来る客は皆茶色だったというのだ。

つまり、彼らは毛皮や皮の茶色いコートで、車でやってくる。ブランド品もバッチリ決まっている。コートの下は薄着。キラキラ車キラキラお金

で、車に乗らず寒い街中を自分の足で歩いている人黒のコート。決して見苦しいわけでなく、ものもよく、それで十分お洒落なのだが、とにかくみーんな黒一色なのだそうだ。(=◇=;)走る人キラキラ

地下鉄の中も皆黒コート。Σ(・ω・ノ)ノ!

黒の人はブランド物など持たない。ブランド物を持つ人は地下鉄など利用しない。

だから、ブランド物を買い込んで地下鉄などに乗っている日本人はとても目立つそうだ。((>д<))

……狙われるはずだ。ガーン



なるほどね……。メガネ

高級=高級素材の茶キラキラお金お金お金キラキラ
中級=高級素材の黒キラキラお金キラキラ
低級=ビニールの黒手裏剣

となるのか。メガネ

そして、彼らの出現する場所がきっちりと分けられていると……。( ̄_ ̄ i)

我々が入り込んだ薄暗い公園は、まさに黒ビニールのおばちゃんのテリトリーだったわけだ。手裏剣
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で、今は別件の、2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話を少々続けています。


40 遺したいお年頃
老若ヴォルテール

↑左:パンテオン地下墓地にあった老いたヴォルテール像(推定74歳?
↑右:路地裏の公園にあった若きヴォルテール像(推定26歳?




カルーゼル橋を渡って、セーヌ左岸に入った。あし

さて、あとは姪っ子のお友達との待ち合わせ場所、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を目指すのみ。ベル

橋を渡ったら、セーヌ川沿いの大通りマタケ河岸Quqai Mataquais をやや東へ歩き、ボナパルツ通りRue Bonaparteを南に入っていけば左手に見えてくるはず。アップ

地図で見ると橋から500mほど。歩いて10分もかからなそう。チョキ



なのに、うっかり東に行き過ぎて、いつの間にかセーヌ通りRue de Seineに入り込んでしまっていた。えっ

この通り、今までの通りとどうも様子が違う。むっ

美術商の多い細い通りは薄暗く、薄汚い格好をした人がうろついていて、風が悪い。ガーン

美術商店はどこも閉まっている。活気がない。一見して「薄汚い」路地なのだ。カゼ

並んでいる店が美術関係なので、心のどこかで、「汚くても悪い通りであるはずはない!」と信じ(私は芸術至上主義=芸術過信症)、逃げ出さずに歩けた。ニコニコ

が、別の種類の店だったらそそくさと抜け出していただろう。ドクロ



そんな通りに、ヴォルテールの立像を発見。メガネ

パンテオンの地下墓地にあったヴォルテール像に比べて、かなり見劣りがする。風雨に晒されてすっかり汚れている。ダウン

パンテオンのヴォルテール像は老人だったが、こちらのヴォルテールは20代か、せいぜい30代。とても若々しい。髪もふさふさ。体も顔つきもむちむちで精悍であった。キラキラ

同一人物なのに年齢の違う像が作られている点が面白い。天使



ヴォルテールは、私の手持ちの本の中では、40代と思われた。メモ

落ち着き払った脂の乗った精悍な顔つきの絵で紹介されていた。グー

ロン毛の縦ロール、くるっくるの巻き毛で、自信満々に微笑んでいる。うんち



その記念される有名人物の姿が、その人が何歳のときのものか……って大きい問題だよね。爆弾


その人物を直に見たことのない人は、造られた像なり描かれた絵なりで、その人を知る。その姿がその人だと思う。それ以外のその人の姿ってイメージしにくくなる。ナゾの人

若くして亡くなった人はさて置き、長生きした有名人は、その人生のどの時期の姿を遺すか、大きな問題ではなかろうか。メガネ

一度それが流布し定着すると、その人の人生のほんの一時期の姿が、その人の代表的な姿、その人の全ての姿になってしまうのだもの。かお

(ちなみに、私の中では、二宮尊徳という人は永遠に薪を背負った子供である。聖徳太子は妙な口ひげを蓄えた、いつも柄杓を手にした年齢不詳の爺むさい感じの御仁である。=固定例にひひ



その昔、日本の小説家、志賀直哉は染みだらけの爺様の姿でいつも紹介されていたので、その作品さえ「爺むさい………」といつの間にか思い込んでいた私は、ある本の中で志賀直哉の若き日の写真を見つけ、びっくりしたことがある。えっ

超いい男! これが志賀ちゃん? かっこいいじゃん? こんな人だと分かっていたら、もっとちゃんと読んだのに……などと反省したことであった。しょぼん

志賀直哉が棒高跳びなどしている姿などは、そりゃ、あなた、きゃ~っ、直哉~っ♡ って感じですよ。シャンパンとワインを割ったキールロワイヤルって感じですよ。ラブラブ

開高健だって、ぶくぶく太ったアラスカサーモンかグリズリーかってな姿がよく知られているけれど、若いときの写真を見ると、シャープでキリリと、これまたいい男! 辛口端麗!って感じ。キス

若いときの勝海舟なんて、もう、私の中の日本3大美男の1人ですよ。ラブラブ!

あれ、何が言いたかったんだっけ?えっ

……
……
……
ああ。

つまり、その人の代表的な姿をどの年齢の姿にするか!? ってことは、何を基準に決めているのだろうか? ってこと。o(〃^▽^〃)o

おそらく、その人の最も輝かしい時期の姿、もっとも功績を残した時期の姿、亡くなる直前の元気な姿が残されるのだろうね。虹

自分の姿を誰かが遺してくれることになったら、自分はどのときの姿を遺して欲しいと思うだろう……。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



ここパリの裏通りのうらぶれた公園の中で、思いがけず若きヴォルテールの像にであって、つらつら思ったことであった。タバコ



それにしても、若きヴォルテール老いたヴォルテールが両方味わえたパリって、やっぱりいいね。
                        つづく


↓ 若きヴォルテール像

若きヴォルテール像
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39 大訂正 補足⑧ 


これが最後の「39 大訂正」の補足です。やれやれ。ペンギン


⑥「どこへ行く日本」
http://ameblo.jp/warm-heart/theme-10001667970.html

■世界各地で台頭する極右勢力

 そして、いま、ヨーロッパや日本、アメリカで新しいポピュリズム運動が起こっている。人は誰にも監視されていないと感じたときに犯罪を犯しやすくなる。このアメリカのフィリップ・ジンバルト教授の『ブロークン・ウィンドウ理論』に基づき、ニューヨークでは、右派のルドルフ・ジュリアーニ市長が「ヒスパニックであれば全員職務質問の対象とせよ」という過激な措置を実行に移し、見事に犯罪の激減と治安回復をしてみせた (2)。ホームレスや少数民族を外部に押しやることで、ニューヨークをクリーンにしたのである (1)。

 この政策を20年遅れで東京都も採用する(2)。2001年5月8日の産経新聞で石原慎太郎知事は「日本よ、内なる防衛を」というコラムで、レイシズム(人種差別)発言をしてみせた。だが、ジュリアーニにしても「民族的DNА」というほどの過激な発言はできない。そして、民族的DNА発言は、「三国人」よりもはるかに悪質ではあるものの、メディアは沈黙し、ほとんど反論していない(1)。

 フランスでは、アルジェリアで解放戦線に拷問を行なったル・ペン(1928~)が1972年にフランス国民戦線(FN)を結成。イスラム移民がフランス人から職を奪っていると主張し、ナショナリズムをあおっている(3)。現職のシラク大統領に敗れはしたものの、2002年に大統領決戦投票に進出した(1)。




なんだか、世界は一つになりつつあるのかと思いきや、国家主義、民族主義が俄かに高まり、人種差別、移民憎悪、同性愛嫌悪、負け組みに対する排斥等々、さまざまな問題が噴出しているようだ。えっ

それぞれの違いを認め合い、それぞれの価値観を認め合えなければ、無益な戦いはなくならない。しょぼん

カルーゼル橋の袂でひょいと見つけた「暗殺記念碑」をちょっと調べたら、なんだか世界はいろいろな問題にみちみちているということを改めて思い知らされた。ドクロ

今の私にとっては机上の空論。日本にあってブログなどで遊んでいる私はさしずめ象牙の塔の住人だ。うんち

が、塔の上からならでこそ見えるものを見えるものもあるだろう。宇宙人

で、よく見渡してから塔を降りていきたいものだ。グー




長い長い大訂正とその補足にお付き合いくださった方(がもしいたとしたら)、(?_?)

どうもありがとうございました。(●´ω`●)ゞ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

私の気が済みました。にひひキス
39 大訂正 補足⑦ 


もういい加減手を引きたいけれど、あと少しだけ、「39 大訂正」の補足です。オバケ



⑤「Les archives de l’Humanité」
http://www.humanite.presse.fr/journal/1996-07-04/1996-07-04-755761


若きモロッコ人、ブラヒム・ブアラアムの死に捧げられた時評を載せた「モンド」に対して、

FN側は「反論掲載権」(――そんな権利がきっちり設定されているのね!えっ)を行使しようとしたけど、パンチ!

モンドに「長すぎっ!」「不適切っ!」ってことで拒否された。(多分)にひひ

この事件は発生当初から、社会的に大きな波紋を投げかけたものだったんだね~。かお



Un droit de réponse à une chronique du 12 mai 1995, intitulée « Les squatters du racisme » et consacrée à la mort d’un jeune Marocain, Brahim Bouaraam, poussé dans la Seine, où il devait mourir noyé, par des skinheads qui participaient au défilé du 1er mai organisé par le Front national. Un droit de réponse refusé par la direction du « Monde », car « trop long » et « non pertinent », donc « n’entrant pas dans le cadre légal qui régit cette procédure définie par l’article 13 de la loi du 29 juillet 1881 ». Ces arguments avaient été réfutés en première instance par les magistrats de Nanterre, qui, arguant de « l’amalgame auquel se livre Pierre Georges » dans sa chronique en introduisant « l’idée qu’il existait un lien entre les auteurs présumés du meurtre de Brahim Bouaraam et ce parti politique (...), met donc bien en cause le Front national ».


……というわけで、補足説明(イイワケ)はいよいよあと1つ……。(-_☆)