PCは故障中。で、「2001年夫婦世界旅行―妻編」は中断中。(読んだろう!と思ってくださる方はこちらから入れます。part1
。)で、別件の2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話などを少々続けてます。





ジュヌヴィエーヴの壁画




注: 写真が暗くて見えにくいですが、柱の奥の壁一面に絵が写っています。






9 パンテオン ②サント・ジュヌヴィエーヴの壁画




パンテオンの中は薄暗く、コリント風(?)の柱の建ち並ぶ側廊に囲まれるように、中央広場が静かに広がっていた。キラキラ




壁には一面、パリの守護神ジュヌヴィエーヴジャンヌ・ダルクの物語が描かれていた。チューリップ黄




背景の風景が、まだ都市が出来る前の手付かずの土地って感じ。いかにものどかだ。ニコニコ










パリの守護神」なんているんだ? はてなマーク




(パンテオンは「サント・ジュヌヴィエーヴ教会」だったわけだから、パリの守護神の教会だったわけだ。)




一体パリの守護神って何だろう? サント・ジュヌヴィエーヴって誰だろう? はてなマーク




壁画を見ていると若く美しい乙女がまるで壁に沁み込みかけているように、淡く描かれているばかりで、爺様と対面していたり、数名の人々といたり、はてさて、その乙女の「物語」自体は掴みにくい。ショック!




あまり芸術性のない絵だなぁ。でも、このパンテオンの壁画を頼まれたわけだから、当時の屈指の画家が選ばれて描いたに違いないよね? むっ




見る人が見たら、美しい絵なのかもしれない。私には大して面白くないが。ガーン








追記: サント・ジュヌヴィエーヴについて




今度はサント・ジュヌヴィエーヴについて調べてみた。メガネ




――元来ここ(注:パンテオン)は、期限500年頃に初代フランス国王が、ジュブヴィエーヴを葬ったところである。


パンテオンは、ルイ15世が、この場所へ18世紀になって作らせたもので、今は「フランスの自由のために貢献した文化人」の遺骨を迎える記念廟となっている。ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラ、又、レジスタンスの闘士もここに眠っている。今回はパンテオンの中へは入れなかったが、ここには「パリを見守る聖女ジュヌヴィエーヴ」と題した美しい壁画があると云う。 ポスト


 (by「私のパリ案内」よりhttp://www.nnc.or.jp/~miki/kikoubun1.htm






3日 聖ジュヌヴィエーヴ422-500/512年)

ジュヌヴィエーヴは、フランスのナンテールに生まれた。429年に司教ジェルマンに出会い改宗し、15歳のとき修道生活に入った。451年フン族のアッチラがパリに侵入した際、彼女は恐れおののく市民を励まし、勇気を奮い起こさせ、撃退させた。ジュヌヴィエーヴは、つねに神に信頼し続け、彼女の信仰に根ざした勇気と希望は人々を導いた。彼女は死後、パリだけでなく全フランスで敬われた。フランク王国のクロヴィスも、改宗したときに彼女を聖女として尊敬し、パリの聖堂に彼女の遺体を納めたといわれている。ジュヌヴィエーヴは、絵画や彫刻などに、燃えるろうそく・鍵・パンを持ち、悪魔を解き放つ者として、表わされている。パリの守護の聖人として人々から親しまれている。 (HPLaudate」:聖人カレンダー1月
より)


今から1500年以上前の話ですが、文中のジェルマン司教は サン・ジェルマン・デ・プレ教会
のジェルマン師で、クロヴィスが彼女の遺体を収めた棺はカルチエラタンの サント・ジュヌヴィエーヴ教会
に安置されています。ポスト


(by Tant PisTant Mieux!そりゃよござんした。
malicieuse.exblog.jp





わかるようでよくわからない。ガーン





大体彼女が「改宗し」って何教から改宗したのだろうか。





ジュヌヴィエーヴが「つねに……信頼し続け」た「神」って、イエス・キリストのことなんだろうか。





フランク王国のクロヴィスも何教から改宗したのだろうか。





「悪魔を解き放つ者」ってこわいじゃないか? そんなことしちゃ、駄目なんじゃないの? なぜ、それゆえに親しまれるの?はてなマークはてなマークはてなマーク





謎は深まるばかりである。今一度パンテオンに行って心して見てこなければわかりそうにない。ガーン





それにしても……サント・ジュヌヴィエーヴの棺があの地下にあったの? 気づかなかったよ! 見てこなかったよ!しょぼん




ああ、前もってよくお勉強してから見にいけば、あの壁画ももっと意味が取れて感慨深いものになったろうに……。ドクロ




旅を何度重ねようが、私の旅は後悔先にたたず、後悔あとをたたず…・・・だ。オバケ




注: 「パリの守護神」はサント・ジュヌヴィエーヴ(女)1人だけではないらしい。他にもサン・ドニ(男)などがいるらしい。自分の首を持って丘から歩いてパリに至ったという戦国武将のようなつわものらしい。




注: ここに引用、貼り付けさせていただいたサイトの人には連絡の取りようがなかったので、無断で借用しております。



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8 パンテオン①の参考文献






参照:




ルイ15世の命を受け、修道院をギリシア・ゴシック様式の神殿に造り変えた。工事はジュルマン・スフロの設計に基づき約30年の間続けられ、1789年に完成。ギリシアの神殿や、アンヴァリッドの建築の影響を受けて建てられたドームが印象的だ。現在は地下にユゴー、ゾラやルソーなどの偉人たちが眠っている。虹


   (by 『ワールドガイド パリ』(るるぶ))




……あの巨大な神殿柱を構築するには30年は確かにかかりそうだ。しかしそれにしても、1789年完成!? 1789年といえば、「フランス革命」の年だ。えっ




一体何月に完成したのか、気になってきた。革命前か後か? 打ち壊されはしなかったのか? 贅を尽くしていた修道士たちは革命時、慌てふためいて逃げたのではなかったか?かお




1789年、まさしくフランス革命年に完成したパンテオンは、革命で生まれた言葉「自由・平等・友愛」のために闘った英雄たちを安置している。




このパンテオン周辺の建物(第5区役所)にもかの言葉が刻み込まるわけだ。……宇宙人




②  バンテオン


Pantheon

革命の偉人達の墓を祭っている場所。 パリにあるサント=ジュヌビエーブ聖堂。1755年、スロフによって設計され、1764-1790にかけて造られた。新古典主義の代表的な建築物。もともと「パンテオン」は古代ローマ時代の神殿のことを指す。革命後、偉人の墓地となり、ルソー、ヴォルテールなどの墓がある。パンテオンら祭られた偉人の第一号は、ミラボーだったが、死後、宮廷と密通していたことがばれ、パンテオンから出された。虹 http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/event/h.html





……どうやら「サント・ジュヌビエーブ教会」と言ったり、「サント・ジュヌビエーブ聖堂」と言ったり、微妙な表現の揺れがあるらしい。……むっ


                                            ③ パンテオン(Pantheon)は、ギリシア語の「すべての神々」という言葉に由来し、ある特定の宗教、たとえばヒンドゥー教やギリシア神話、北欧神話におけるすべての神々を意味する。転じて、すべての神々を祀る神殿のこと。万神殿。この意味でのパンテオンは古代ギリシア
古代ローマ
に見られた。しかし、一神教
キリスト教
が信じられるようになると必然的にその役割を失う。人間中心主義的なルネサンス
を経た16世紀
には宗教的な意味から切り離され、神々ではなく偉人たちを祀る建造物のことをも意味するようになった。ローマやパリのパンテオンが特に著名である。   


パンテオン (仏 Panthéon(Panthéon de Paris) フランス
パリ
5区、聖ジュヌヴィエーヴの丘に位置する幅110メートル、奥行き84メートルのギリシア十字の形をした新古典主義の建造物で、コリント式の円柱を持つ。虹










パリのパンテオン







パンテオンは、1755年に、サント=ジュヌヴィエーヴ教会として「パリの国王の建築物の監督官」であったジャック・ジェルメン・スフロ
に設計を委託された。彼は、ジャン・ロドルフ・ペロネと共に、ゴシック教会の構造を徹底的に解析し、石材の強度試験を行って、石造構造の軽快さ、洗練性を求め、これを実現した。ドームを支える主ピアに亀裂が見つかり、強度不足を指されたことから、ゴシック
教会のように外壁に開けられた開口部は塞がれてしまったが、初期新古典主義建築の傑作とされ、特に『建築試論』を著したマルク・アントワーヌ・ロジェ
は、この建築物を「完全なる建築のモデルでありフランス建築の真の傑作」と賞賛した。フランス革命
後、国民議会
によってフランスの偉人たちを祀る墓地として利用されることが決定さた。虹  
ウィキペディア


④ フランス共和国を象徴するパリの建造物といえば、「パンテオン」が挙げられるだろう。パンテオンはルイ十五世の時代にサント=ジュヌヴィエーブ教会として建立されたが、1791年に非宗教化され、「偉人」の霊廟となった。19世紀には、右派勢力が抱く共和国への憎しみが、パンテオンに向けられた。18141830年、18511885年には再び教会に戻されたし、左派の著名人(ヴォルテールとルソー、ヴィクトル・ユゴーとエミール・ゾラ、マルセラン・ベルトローとジャン・ジョレス)の遺骸が納められているために、軽んじられた。20世紀の半ばになっても、パンテオンは左派のものであって、右派の真のパンテオンはアンヴァリッド(チュレーヌとヴォーバン、ナポレオンとフォッシュ将軍などが埋葬されている)だという人もいた。しかし右派勢力も、共和政そのものを受け入れてからは、パンテオンに敬意を払うようになった。そして1964年、ド・ゴール将軍がジャン・ムーランをパンテオンに埋葬し、結果的に左右を問わずフランス人の霊廟であることを認めたため、この問題は決着した。カルチェ・ラタンにあるパンテオンもまた、レピュブリック像や国旗、フリジア帽がそうだったように、フランス政治の融和の証なのである。虹 http://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=535
 在日フランス大使館

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パンテオン







8 パンテオン①




坂の上の広場中央にどーんとそびえていた神殿。なんじゃ、これは?




地図を見ると「パンテオンPanthéon」と書いてあるばかり。何だろな? 




観光客がぽつぽつ入っていく。どれどれ、入ってみましょう。扉は開け放たれている。神殿のごとき巨大な柱を見上げつつ中に入る。




荷物チェックされることもなく、服装にいちゃもんをつけられることもなく、カメラを禁止されることもなく、入場料を請求されることもなかった。(第一日曜日だったので入場料は無料だったらしい。ラッキー!)




追記: パンテオンとは何か?




後日、パンテオンについて調べてみた。すると、パンテオンとは結局「霊廟」であることがわかった。




要約すれば、




そもそも「パンテオン」とは、ローマで紀元前27年ごろに「全ての神々の神殿」として建てられた神殿。




その「パンテオン」を真似て、ルイ15世が、パリのサント・ジュヌヴィエーヴ丘の上にあった修道院を“偉人を祭るパンテオン”として神殿風に造り替えるよう命じた。




こうして修道院は神殿風の「サント・ジュヌヴィエーブ教会」に造り替えられることになった。




建設設計者はジャック・ジェルメン・スフロ。ギリシャ及びゴシック様式を取り入れた壮大な建物は完成に30年を要した。




フランス革命(1789)年(ルイ16世の治世)、“石造建築の美しさと強度”が完全に計算され作られた石造建築の傑作として完成した。




その後、政治的潮流に揺れながらも、偉人たちの霊廟として、現在もここで国葬などが行われている。




……ってことらしい。




建築の構造の強度を徹底的に研究し、「傑作」と言われるほどまでに作り上げたってことは素晴らしいことだ。




建築物において、内装よりは構造こそが大事だと思う。誰もがそう思っていると思っていたが、日本ではそうではない! ということが昨今発覚して驚いた。




「1級建築士」の中でもランク付けがあって、「構造建築」に関わる建築家の地位が低い日本!? アンビリーバボーだ。そんなことが罷り通っている日本建築業界! アンビリーバボーだ!




何が大事か! 何が大切か! そのことを見失った日本よ、何処へ行く……って感じだ。




フランスは偽装、偽証がされないようチェック・システムがしっかりできていた。(TVのとある番組で紹介していた。) 




実に理路整然、論旨明快だった。日本的義理人情だの「まぁまぁ、よろしくお願いしますよ。持ちつ持たれつ……。」なんていう癒着もありえないシステム。




いっそフランスのチェック・システムをそのまま輸入してしまったらどうよ? と私などは思うのだが。




まぁ、システムをどんなに整えようと、それを機能させずにごり押しを罷り通らせてしまう鵺のような輩が跳梁跋扈している日本の社会では宝の持ち腐れに終わるのか?




それにしても、日本の政治家や役人たちは海外でなーーーーにを「視察」しているんでしょうね?




注:参考サイトを並べると 字数オーバー(な訳ないのに!?)でアップできないので、次回に回します。



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で、別件の2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話などを少々続けてます。





第5区役所










 自由・平等・友愛!






モンジュmonge通りから西に向ってコルヴィスcolvis通りを上り詰めると、右手に古色蒼然としつつもかわいらしいサン・テチェンヌ・デュ・モン教会が現れた。左手の立派な建物は、アンリ4世校Lycée Henri Ⅳ 。これが高校? ってくらいご立派だ。キラキラ




で、その向こうに巨大な神殿のごときパンテオンがそそり立っており、坂の上はパンテオンを中心とした広場になっていた。キラキラ




パンテオンは他にルイ・ルグラン校Lycée Louis le Grandパリ第1・2・5大学Universités Paris Ⅰ・Ⅱ・Ⅴと、やたら学校に囲まれていた。キラキラ




さすがカルチェ・ラタンQuartier Latin!(ラテン語で講義が行われていた地区? 学生街?)ニコニコ




で、左側奥にも、これまたご立派な建造物が! 第5区役所Mairie du 5e Arrondissement(写真)だった。カメラ




こんなご立派な建物が「区役所」?! 一体、中でどんなご立派な「お役所仕事」がなされているのだか? むっ




日本の区役所のように天井の低いコンクリート造りの四角い箱みたいな建物とはえらい違いだ。これほどご立派な建物の中で働けば、さぞや気分も違うだろうね。ぐぅぐぅ




ほぇぇぇ~と見とれてしまう。天使




正面に刻まれている文字はLiberté Egalité Fraternité」!キラキラ 




フランスの3色国旗にも込められているフランス人の心の言葉、彼らの自負、彼らの矜持、「自由・平等・友愛」だ!キラキラ




(注:fraternité は「博愛」じゃないよ。「友愛」だ。)




この文句、立派な公共の建物にはたいてい刻まれているようだ。








自分たちが誇る自分たちの言葉を持っている……これって改めて凄いことだな……と思う。チョキ






アメリカは……「自由」だろうか。「人民の人民による人民のための政治(by リンカーン大統領)」ってとこだろうか。「世界の正義」かもしれない?チューリップ赤




北朝鮮は……「将軍様 万歳」だろうね。パー




中国は……「4000年の歴史」「医食同源」?おにぎりお茶




その他のアジア諸国はおそらく「問題ない!」だ。きっとそうだ……。プンプン




イタリアは……「マンジャーレ・カンターレ・アモーレ」(食べて歌って恋をして)だね。ドキドキ




ドイツは……「倹約」……だろうか?シラー




日本は……?????えっ




日本は……何だろう? 私にとりあえず思い浮かんだのは、「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂(by 吉田松陰)だ。キラキラ




しかし、この歌だけでは「大和魂」ってどんなん? とやや説明不足である。松陰の痛切な決意は伝わってきても、日本の魂は表しきっていない。ガーン




いったい日本の魂を表す言葉って、何だろうね? 何があるだろうね?ビックリマークはてなマーク




しばし考え、悲しいかな、もっとも日本人的資質を表す言葉として、


「お茶を濁す」


「臭いものには蓋」


「のど元過ぎれば暑さ忘れる」


「羹に懲りて膾を吹く」


「滅私奉公」しか思い浮かばなかった私であった。ガーン




……いいところで「侍」だろうか。しょぼん




これじゃ、いかんね!ガーン






国を挙げて全国民が自分たちの合言葉だと思える、自分たちが誇れるフレーズなり言葉なりを持っているって、素晴らしいことじゃないか。そういう言葉を持つべきじゃないか?グー




教科書に「愛国心」という言葉を入れるの入れないのとぐじゃぐじゃ揉めてないで、変なこと言い出さないで、日本人の魂の言葉を決めたらどーよ? と思う今日この頃である。キラキラ



PCは故障中。で、「2001年夫婦世界旅行―妻編」は中断中。(旅行記を読んだろう!と思ってくださる方はこちらから入れます。part1
。)




で、別件の2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話などを少々続けてます。








サン・テチェンヌ・デュ・モン教会






6 無名の教会? 





 


結構しんどい坂道のコルヴィス通りRue Colvisを上り詰めると教会が現れた。キラキラ




サン・テチェンヌ・デュ・モンSt Etienne du Mont 教会。えっ




どこかのツアーだろう、教会の前で観光客の集団がなにやら説明を受けていた。由緒正しそうな教会だ。薔薇窓も美しかろう。ブーケ1




……とは思ったが、この教会の斜め向こうになにやら巨大な建物が目に入り、そちらの方がが気になって、この教会はなんとなくそのままスルーしてしまった。走る人




後でガイドブックをチェックしたら、この教会は全く取り上げられていなかった。そうと知っていたら寄ってきたのに……。しょぼん




日本人には特に注目されていないが、他の国のツアーコースになっているくらいだから、何か見るべきものがあるのかもしれない。




一見、こじんまりとした中にも荘厳さを湛えたかわいらしい教会であったよ。天使