2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月。夜、ヴァレンシアに到着し、宿も決め、トイレも済まし……。





part215 闇の咆哮?星空








要約: 10時などスペインでは宵の口のはずなのに、レストラン通り以外、街はしんと静まり返っていた。遅い夕飯を済ませ、宿に帰り、改めて部屋の中をチェックすると、なんとも居心地の悪い部屋であることが次々と判明。おまけに、熱帯夜はとても眠れたものではなく、たまらず窓を開けたら、闇の向こうから咆哮が!



この














さて、宿も決まり、(トイレで)出すものも出したら、今度は空腹を満たすべく夜の街に出てみた。時刻は既に10時を回っている。





宿の周りは教会や装飾品店が多く、ぽつぽつとカフェや高級そうな食料品店があるにはあったが、どこも早シャッターが降りている。教会の辺りなどは特に薄暗く、しーんとしている。スペインの夜はこれからじゃないのか? 場所が悪いのか? 





ノルド駅まで戻って駅構内を探してみても、軽食屋一つない。売店はあるものの、スナックが少々置いてあるばかりだ。再び駅を出て駅前通りを少し行くと、やっと“レストラン街”があった。その一角に、夜空に輝く北極星のごとく輝いて見えたのは、マクドナルド。





またもマクドナルドか……とも思うが、他のいわゆる「レストラン」は、どうせ料金も提示していないことだろうし、いちいち値段を確認するのも疲れるので、迷わずマクドナルドに直行。





マクドナルドはどこでもいつでも客で賑わっている。しかし国によって、その警備の厳重さが異なる。スペインのマクドナルドはかなり厳重警備だ。マドリッド同様、ヴァレンシアのマクドナルドもやはり厳ついマッチョな警備員が入り口で睨みを利かせていた。 ……ということは、やはりヴァレンシアも物騒なのかもしれない?





味的には変わり映えのないハンバーガーで、腹も満ち過ぎるほど満ち、宿に帰る。夜の通りはレストラン街を外れるとしんと人気もなく静まり返っていた。時折、会社帰りと思われる女性が足早に歩いているくらいで、人の気配、住民の気配がほとんどない。だが、特別危険な雰囲気もない。しかし、マクドナルドの警戒振りを思い出すと、やはり気を引き締めねばなるまい。





夜と言えども外は暑かったが、宿の部屋の中はさらに蒸し蒸ししていて、気も狂わんばかりの暑さであった。日中の暑気が淀んでいるのだ。5,200ペセタ(3,588円)も取るのに、冷房もない。たまらず窓を開けてみた。





と、2階の部屋なのに窓の外は白っぽいコンクリートの広場になっているように見える。窓をちょいとまたいですぐに出られそうだ。目を凝らしてよくよく見ると、1階の庇(屋根?)の部分がそのまま2階の外廊下のようになっていて、それは幅2mほどもあり、「コ」の字型を描いているので、ちょっと見には窓の外が中庭のように見えたのだった。





これでは、この屋根だか庇だかの部分が、2階にいる者にとっては“仕切りのないベランダ”状態だ。隣の部屋の人が歩いて来られる状態ではないか。誰かがいきなり窓から「こんばんは」と侵入してきそうだ。





真向かいはよその建物だが、電灯が消えた暗い窓がこちら向きに並んでいる。昼間なら部屋の中まで丸見えだろう。うっかり窓も開けられない。





窓をきっちり閉めて鍵を掛け、シャッターをしっかり閉めて――カーテンではなくシャッターだった――、改めて部屋の中をチェックする。





風呂はバスタブが付いていた。安宿でバスタブがついているなんて、ラッキー! と思ったが、バスタブには先客の残したゴミが流れ切らずに張り付いていた。うげっ。 ……負けるもんか。水で流せばいいんだ。





しかし、水で流そうとすると、ゴミは流れ去りそうに見えて流れない。排水口の上でクルクルゆらゆら踊っては、緩い渦に巻き込まれることなく、流れそこなって再びバスタブに張りつくのであった。 ……排水の悪さには勝てない。





ベッドカバーを捲れば、シーツには誰とも知らぬ髪が張り付いている。ひどい宿はこれまでにも幾つか泊まったが、いつもこれ以下はもはやあるまい! と思うのに、それよりもひどい所が次から次へとよくもまぁ出てくるものだ。今回の宿も、これ以下はあるまいと思う一つである。





深夜になっても部屋の暑さは収まらない。眠れない。暑さに身悶えする。ベッドに横になっていても、シーツは体の接触している部分が私の体熱を吸って毛布のように熱を貯め、熱を発し、シーツと触れた肌は燃え、火あぶりの拷問に掛かったかのようである。





堪らずベッドを離れる。離れたからといって、涼しい所などあるわけもなく、わずかに残された部屋のスペースをノイローゼの熊のように、右に左にとうろうろ歩くしかない。履いているビーチサンダルさえ熱いぞ。





「寝る時は窓を閉める!」という夫の戒厳令は承知していたが、窓の外の無用心な構造も忘れてはいないが、せめて一呼吸だけでも外の空気を吸いたい! で、ほんの少し窓を開けてみた。





窓の外は真っ暗クラ。そよとも風は入ってこない。窓を開けたからといって、部屋の空気はぴくりとも動くものではなかった。お~い、風よ。ほんの少しでいいからそよいでくれんかね。





目の前に広がる闇はまるで消音壁のようで、私の願いもたちまち吸い込まれて消えていくようだ。そう。壁のような闇。世界を閉ざすような黒い壁。何も跳ね返ってこないスポンジのような感覚の壁。蒸し暑さのこもる闇。





と、突然、闇の中から獣の咆哮が起こった。ガフッウガァァァッ、グォッ、ウェッ、ガェッ、グェッエッオーーーッ! 何だ、何だ? どうやら向かいの窓から響いてくる? こんな街中で、何飼ってるんだ? 





グオゥッ、グォ ……ンペッ、ペッ。 ……ウグォォゥ、グェッ……。咆哮が途切れ途切れになってきたよ。これは……もしかして、痰を吐いてる? 





ガホッ、ガホッ、ガホッ。ガーーーーッ、ペッ。ああ、ありゃ、咳だよ。痰だよ。人間だ。老婆の“痰つば嘔吐”の呻きに違いない。





体中の痰つばを吐き出しているような勢いだ。ひとしきり吐き出されるその呻きの止まった時が、老婆の最期ではないか? とさえ危ぶまれる。 





“咆哮”は30分ほどして静まった。闇は再び壁のようにのっぺらと静かになった。





20cmほどシャッターを上げた窓から、今一度闇に腕を伸ばすと、今度はごく微かな風の流れを感じる。空気は少しずつ動いてはいるのだ。





ということは、ストローひと吹き分でも外の空気が部屋の中に入ってくるかもしれず、体にはほとんどわからなくとも、多少部屋の温度が下がるかもしれず……などと、祈るように腕をじーっと窓枠から出していると、やがて腕全体がじんじん痺れてきた。





そこで今度は、足先を窓枠に投げ出してみた。爪先に多少とも風を感じると、暑い部屋の中に置き去られた身体も多少は涼み、身体のほてりもやや収まるのであった。





と、にわかに今日一日、11時間もバスに乗り続けた「移動」の疲れがどっと押し寄せてきた。椅子に腰掛けたまま足を上げているのもしんどくなり、ちょっとベッドに横たわってみた。





窓からはほとんど風は入って来ないが、それでも淀みに開いた突破口。空気は淀みながらも微かに流れ、腕に爪先に感じたわずかばかりの涼しさを思い出しつつ横になれば、いつの間にか、ついウトウト。





はっと目を覚まし、「いけない、いけない。窓を開けっぱなしで寝るところだった……」と、慌てて窓を閉じた頃は、大分火照りも収まっていて、そのまま朝まで眠ることが出来たのだった。





つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月。夜9時近く、ヴァレンシアに降り立ちました。








part214 サディスティックトイレ?ショック!








要約: 初めての街に夜到着すると色々不安なので、下見も早々に宿を決めたのはいいが、そこのトイレがサディストよろしく、私を鎖で鞭打ったのだった……。



この














ヴァレンシアは歴史をそのまま維持しながらも、大都会であった。古めかしい城門、幾世紀もの砂埃の堆積でできているような教会。そうしたものを犯すことなく、近代的なビル群も建ち並んでいる。





巨大なバスターミナルにバスは止まった。例によって、右も左も分からない。ツーリスト・インフォメーションもない。地図も手に入らなければ、今いるバスターミナルが街のどの辺なのかさえ分からない。





“バスのインフォメーション”の係員に聞いても埒が開かない。が、同じ窓口に並んでいた他の外国人観光客が、「多分、8番のバスに乗ってノルデ駅に行けば、ホテルもいくつかあるよ。」と教えてくれた。おお、天使の声! サンキュ~!





バスターミナルを出てみると、丁度ターミナルの前に8番のバスが止まっていた。おお、まるで我々を待っていたかのようではないの。神のお導きか? 早速乗り込み、言われたとおりノルデ駅で降りて、歩いてみる。広い駅前広場から大通りが延びている。





日はとっぷり暮れた夜の街。勝手もわからず、あまり歩き回りたくない。とりあえず、そこら辺にあるいくつかのホテルの中で、『地球の歩き方』に唯一紹介されていた宿に行ってみた。





見るからに小汚い宿だ。宿の入り口のドアは開け放たれたまま。フロントは無人。呼んでもなかなか出て来ないという無用心ぶり。





やっと現れた宿の親父さんは片言の英語が通じる程度。それでも部屋の値段など確認して、さて、「部屋を見せてください」と言うと、「○※▲♪◎♯!」 とたんに英語が分からない振りをする。こいつ……。負けるもんかっ。グー





もう一度きっぱり「部屋を見せてくれ!」と言うと、いきなりふてくされたような乱暴なそぶりで足元の棚をドンと蹴ってみせ、うんざりしたように、鍵を手に取り、とっとと着いて来いと言わんばかりに先立って、狭い階段を上がっていく。





部屋を見せるのを渋ったのはヨーロッパではこの宿が初めてだ。とても感じが悪いぞ。「こんな宿はやめようかっ。」と私はむっとするが、「ま~ま~。とりあえず部屋を見ましょうよ。」と夫は暢気に親父の後についていく。夫よ。妙なところで寛大だね。オバケ





部屋は薄暗く、清潔感もない。トイレは流れるか? と不安がると、「問題あるもんか。」と親父は水を流してみせてくれた。ジョバババ……。薄汚いトイレながら、水の流れはなかなかのもの。よし。詰まることもなく流れそうだ。外はもう暗い。取りあえず1泊することにした。





フロントで手続きを終えて部屋に戻ってみると、部屋の中で何やら滝のような音が……。水が流れている???? トイレだ! 波





先ほど下見した時、宿の親父が流してみせたトイレの水が、いまだに止まっていないではないか。





さっきからずっと流れていたのか? 水が流れ止まないということは、タンクに水が溜まっていないということで、次の水が流せないということで……こりゃ、いかん! 私はもうトイレに行きたくてしょーがないのにっ! かなり切羽詰っているのにっ! ……直さにゃ!手裏剣





そのトイレのタンクは便器の遥か上、天井の方に設置されており、上から垂れている長い鎖を引っ張って水を流す方式だった。その鎖をシャコシャコシャコシャコ何度か引くうちに、栓がうまく穴に収まったのか、漸くトイレの水は止まった。





やれやれ。やっとタンクに水が溜まったようだ。なにはさておき、まず、何を何して何とやら。ほぉぉぉぉ~。流れ星





さて、すっきりホッとしたのはよいが、また流さなくてはいけない。またもや水が止まらなくなったりするんじゃなかろうか。いやだなぁ。でも、今も修理に成功したから、なんとかなるかな。





恐る恐る例の鎖を引いてみた。すると、ジャラジャジャジャララーーッと派手な音を立てて、鎖が私を目掛けて落ちてきた。あぎゃぎゃっ? えっ





鎖がタンクからはずれた? なんでーっ? そっと引っ張っただけなのにぃ? 





とっさにわが身を守ろうと腕を頭の上に交差させた。が、私の手に鎖の端が握られているのだから、かえって余計な弾みをつけて、鎖は私の上にまんまと落ちてきた。うひゃぁ。トイレのタンクに鞭打たれた感じ。サディッスティック・トイレ!?





 ……なんというトイレだ! たまげた私を嘲笑うかのように、トイレの水はジャジャジャジャーッと流れ続けていた。一応、流れるだけは流れたようだ。 ……詰まるよりは、いいか。しょぼん





気を取り直し、部屋の椅子を持ち出して、上の方にあるタンクの“とっ掛かり”に鎖を引っ掛け、鎖をタンクに繋げてみた。しかし、水は流れっ放し。止まらない。





で、そっとそーっと、またもやシャコシャコシャコシャコ鎖を調整するうち、漸く水も止まったのであった。なんというトイレだ……。ドクロ







            つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月。予定より1時間遅れてセヴィーリャを出発したバスの中で……。





part213 セヴィーリャ―ヴァレンシアの車窓から宝石緑








要約: セヴィーリャからヴァレンシアまでのバスの旅。イベリア半島の大地はまるで海のようにうねり広がり、見飽きることがない。バスの中ではスペイン人たちの意外なヒーローが確認できた。彼らは好きなものを全身全霊で享受しようとする。熱い人々だ。



この











11時間に及ぶ長い行程のそのほとんどは砂色の大地と植林された一面の木々であった。





どう見ても均一に整然と植えられているからには「植林」なのであろうが、その面積たるや、凄まじい。緩く波打つ大地の波に乗って、上に下にとイベリア半島の地平を見渡せば、遠く地平線まで砂色の、しかし、規則正しい線の入った辺りは何やら刈り取った後の畑かもしれない。





所々茶色く枯れた木々も、地平の彼方まで続いている。背の低い、葉が砂地に垂れ下がったように茂るその木は、幹も水っぽい感じで、一体何のために植えられているのか、見ただけでは見当もつかない。(もしかしたら、オリーブ畑か何かの果樹園だったのかも……?) 





しかし、とにかく、緑も砂に煙るようなその中低木一種、高速道路の左右に広がるイベリア半島の大地に延々と植えられているのだった。





コルドバや、その次の街までは、砂上に白い壁の家々がまぶしく建ち並んでいたが、その後は街と呼べるほどのものはなく、やや高い丘が現われれば、その丘の上に張りつくように、小さな集落が見られるばかり。





やがて、はるか北に山らしい山が現われ、延々とイベリア半島を南北に分けているようだった。





砂色の大地は、紫色の土、オレンジ色の土、薄紅がかった土、炭を混ぜたような砂の土、所々で多少性質を変えているようだった。





緩やかな大地の起伏を遠目に楽しんだ後には、「小高い丘」とも「山」とも呼べそうな大地が多くなる。その谷間は大きく開けた平原、そしてその向こうにまた険しい岩盤を剥き出した岩山も聳えてくると、陸にありながらも、ゆったりした入り江から沖へ漕ぎ出した船人の心持ちになる。





大地の波荒く、小石混じり、瓦礫混じりの砂畑は、枯草に覆われているのだが、道端にはその枯草を芝刈り機で刈り取っている当局の係り員数人。炎天下に黙々と働く姿を見れば、やはり荒地ではなく人の手の入った畑、もしくは林なのであろうと推察するばかり。





広大な波立つ大地のうねりをかいくぐり乗り越えしているうちに、「平原」といい、「丘」といい、「台地」といい、大地の呼び方は色々あるが、そうした使い分けが存在するのも最もと合点が行く。たっぷりと様々な大地のうねりを堪能した旅であった。





移動のバスの中には大抵TVが設置されていたが、今までスイッチが入れられた例(ためし)はなかった。しかし、ヴァレンシア行きのバスの中では「怪傑ゾロ」が放送され始めた。





「怪傑ゾロ」という名は有名だが、どうやらスペインのものだったらしい? そういえば、黒いソンブレロに黒いアイマスク。ぴっちりした黒い上下の衣装に所々きんきら金の小物遣いのファッション。スペイン的だ。





「正義の味方」の物語のようだったが、これが実に滑稽に作られているのには驚いた。





悪漢をバッタバッタとなぎ倒し、駆けつけた愛馬にひらりとまたがってかっこよく去って行くかと思いきや、出口のドアは馬だけが通り抜け、本人はドアの上の壁にぶつかって馬から落ちてしまい、またもや悪漢に襲われるといった具合だ。漫画チックである。ニコニコ





それをスペイン人達は大喜びで見る。バスの中では、ゾロが何かするたびに、歓声が起こり、あるいは大きな溜息が洩れ、笑いが起こる。勧善懲悪のお決まりのパターンのTVの番組一つを、あれほど楽しんで見るものか! と、意外であった。しかし、そこがスペイン人なのだろう。いいなぁ、スペイン人! ドキドキ


















追記:「怪傑ゾロ」=ジョンストン・マッカレー著(カナダ生まれのアメリカ人作家?らしい)。





念のため、インターネットで調べていたら、


http://www.40net.co.jp/~jowa/ja_aj/linda8.html
 


さんのページを発見。









「覆面の騎士ゾロは、強気をくじき弱きを助く、大盗賊にして紳士。その首には賞金がかかったお尋ね者だが、男気溢れる快刀乱麻の活躍ぶりに密かに応援するものも少なくなかった。……決闘(アクション)あり仁義あり、恋も笑いもスリルも溢れる、一大冒険活劇の大傑作!」





……だそうだ。(引用のお願いをしてきたが、お返事がないので、勝手に引用してしまった。)


           つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月。月曜の朝。セヴィーリャを発ちたいのですが……。





part212 待てや!ヴァレンシア行き 









要約: 朝、ヴァレンシア行きのバスが……来ないぃぃぃ? 言葉も通じないまま、行っちゃったバスを見送り、来ないバスを待ち、周りの人の顔ぶれをチェックして、なんとかヴァレンシア行きらしいバスに乗り込めた。いちいちハラハラさせられるバスターミナルであった。



このこkkkkklこ











 セヴィーリャの次は、イベリア半島を東へ、北へ……。地中海側の街、ヴァレンシアまで移動することにした。ヴァレンシアからは地中海に浮かぶイビサ島にも、ショパンが恋人ジョルジュ・サンドと滞在していたというマヨルカ(マジョルカ)島にも船で渡れるのだ♪





朝9時、ヴァレンシア行きのバスでセヴィーリャを発つ……はずだったが、そうは問屋が卸さなかった。





今回のバスは国境を越えるわけではないので、パスポートチェックもなかったし、“チェック・イン手続き”も要求されていないが、我々は念のため早めにバス停で待機していた。





ヨーロッパに入ってから、移動はほとんどバスを利用してきた。何の問題もなかった。我々がバス停に行くと、お目当てのバスは大抵ターミナルで待機していたし、そうでなくとも、遅くとも出発の20分前くらいにはバスはやってきたものだ。





が、今回はなかなかバスが現れない!





出発時間ぎりぎりになって、漸く「セヴィーリャ―ヴァレンシア」と表示のあるバスが予定の24番ターミナルに入って来た。よきかな、よきかな。来ればいーのよ。





しかし、ほっとしている暇はなかった。待ちかねた乗客達がたちまちバスの乗降口に詰めかける。みんなたいそう荷物があるようだ。ぐずぐずしていたら、我々の荷物が入れられなくなるかも? あわわわわ。





ヨーロッパでは、人々は長い列を作っていても、焦る風もじれる風もなく並んでおり、取り乱すといった様子も微塵も見受けられなかったが、スペインはちょーっと違う。





列に並ぶことをしないというか、横入りは当たり前というか、慌てふためき、それっ! って感じで動き始めたりする。かなりアジアチック? そんなスペイン人が、私はなんとなく嬉しくもあるのだが。





で、ぼけーっとしているとスペインの“熱い”人々にいいようにされそうなので、こちらも慌てて彼らに続く。





が、バスの下にある荷物置き場に荷物を詰めようとすると、「ヴァレンシア行きの乗客の荷物は右側に入れてくれ。」と指示される。





荷物入れの空間は真ん中で仕切りがあるわけでもない。走行中に荷物がずれて反対側に移動しちゃったりするんじゃないの? 





たいして意味のない積み分けに思われるぞ。しかし、時間も押し迫っている。とにかく、バスの右側から右奥の方にバックパックを詰め込んだ。





さぁ、バスに乗りこもうとすると、今度は「ヴァレンシア行きの乗客」だけに、「待った」がかかった。





係員はスペイン語をまくし立てるので、何を言っているのかよくわからない。「え~、皆さんに申し上げるっ!」って感じで何か叫んだときに、すぐに英語とスペイン語が分かっていそうな旅人らしい人を捕まえて、「あの人、今なんて言ったんですか?」と尋ねる。





「どうしたんでしょう?」「さぁ? とにかく、『ヴァレンシアへ行く人は、ちょっと待て』って。」 ……訳してくれる人も完璧にスペイン語を理解しているわけではなさそうだ。





「待った」を食らった我々の不安をよそに、終点ヴァレンシア以外の目的地で降りる客はどんどんバスに乗り込んで行く。どうなってんの? 怪しい雲行きに神経をぴりぴりさせて係員の声に耳を澄ます。





が、係員の周りには我々と同じく「待った」を食らった他の乗客たちが詰め寄ってワイワイやっていてる。なかなか近づけない。とうとうバスの出発時刻が過ぎた。





すると、突然どこからか現われた別の係員が、これまたスペイン語で何かまくしたてた。と、一瞬ざわめいてから、「ヴァレンシア行き」らしい客たちがばらばらとバスへと走り出した。なんだ、なんだ? 「乗れ」ってか?





我らが“通訳さん”も、走り出して行っちゃった。見ていると、みんな、荷物置き場から自分たちの荷物を引き出している。





自分のリュックを引きずって戻ってきた“通訳さん”に聞いてみると、係員は「『ヴァレンシア行き』の人は、10分後にやって来るバスに乗ってください。」と言ったのだそうだ。





つまり、今そこにある「ヴァレンシア行き」のバスではなく、別のバスに乗れと?





つまり、そこにある「ヴァレンシア行き」のバスはヴァレンシアに行かないで、これから出発しちゃうと? 待てや~っ! 慌ててバスに駆け寄り、一旦詰め込んだ我々のバックパックをバスの右側から引きずり降ろす。





やれやれ……と我々が歩道スペースに戻るや否や、そのバスは「ヴァレンシア行き」のプレートを掲げたままブフルルンとエンジンをかけて発車。





あ、本当に行っちゃう? 我々は訳が分からないまま、乗るはずだった「ヴァレンシア行き」のバスの後ろ姿を虚しく見送ったのであった。





見渡すと、一緒に「待った」を食らったらしい乗客が、不満そうな顔で辺りをウロウロしている。





“通訳”さんはまた姿を消した。どこうろうろしてるんだろうね。心頼みにしているのに、こっちのことは知ったこっちゃない“通訳”さんは売店の方に行ったり、トイレの方に行ったり、ターミナル内を動き回る。





あまり当てにできないので、他にも「ヴァレンシア行き」の同乗者の顔を2,3覚えておく。





あ、あの黒髪の赤シャツのおばさんは、さっき一緒にバスに荷物を入れた人だ。それと、あの太ったおじさん。あの茶色いバッグ。我々と同じヴァレンシア行きで「待った」を食らった人々だ。





よし。彼らが動いたら我々も動くど! と、表示板よろしく彼らの行動をつねに注意しておく。





10分後、別のバスがターミナルに滑り込んできた。お、あれが「10分後のバス」か? 





しかし、我々のいる24番ターミナルに止まらない。あれじゃないのか?我々の乗るバスは。ヴァレンシア行きのバスは。





じっと様子を窺った。そのバスに人々が寄っていく。バスの運転手は、何か尋ねようと近寄ってくる客とはわざと目を合わせないようにしてバスから降り、バスのドアに鍵を掛けると、逃げるようにどこかへ行ってしまった。なにか後ろめたいのか? って感じだ。





しばらくして運転手はバスに戻ってきたが、小さなメモを眺めては胸ポケットにしまい、しまっては取り出して眺め、訳の分からない動作を繰り返す。ちょっと挙動不審である。そうこうするうちに、数人の乗客を乗せて、そのバスはターミナルを出発して行った。





……どうやら「ヴァレンシア行き」のバスではなかったらしい。赤シャツのおばさんも、茶色いカバンのおじさんも動かなかった。





その後も似たようなことが何度か続いたが、「10分後に来る」と言われた「ヴァレンシア行き」のバスはとんと現れない。待たされているのが我々2人だけでないのが救いである。「ヴァレンシア行き」らしい客が、相変わらず不安顔でそこら辺をぷらぷらしたり、不満顔で座り込んだりしている。“通訳”さんもちらちらと視界を横切る。





1時間も経った頃、同じく「ヴァレンシア行き」を待っていたらしい人々が、にわかに荷物を抱えていそいそと移動し出した。またも“ 通訳”さんを捕まえて――この人は始終うろうろしていて捕まえるのが大変だった。――尋ねてみると、「ヴァレンシア行きのバスが25番ターミナルに来ている」と言う。





そんなアナウンス、全然気がつかなかった。係員からは何の知らせもないぞ? と驚いているうちに、赤シャツおばさんも茶色いカバンおじさんも荷物を抱えて25番ターミナルへと小走りに向かって行く。





とにかく25番だっ! 我々も荷物を抱えて小走る。





そこには「ヴァレンシア行き」とも何とも表示していないバスが止まっており、ヴァレンシア行きの乗客の荷物を次々詰め込んでいた。聞けば、やはり「ヴァレンシア行き」だと言う。どうやら、これに乗り込めばいいらしい。





荷物を積み込み、バスに乗り込むや、バスは出発した。時刻は10時を回っている。たっぷり1時間の遅刻である。ヴァレンシアに着くのが、予定でも19時40分という遅い時間であったのに、さらに遅くなってしまう。順調に走ったとしても、20時40分到着だ。もう真っ暗の夜中だ。





ああ。予定通り着けばギリギリ間に合うと思っていたインフォメーションセンターも閉まってしまう。ホテル探しにも支障をきたすぞ。この責任をどうとってくれるのだっ! と言いたいが、相手はスペイン語しか話さないので、言葉にならない。話にならない。





バスはこちらには一切説明もなく、悪びれもせず、最初っから予定通りだと言わんばかりの顔をして、走っていく。





次の駅のコルドバまでは確認できたが、途中何度も止まるその駅が一体どこの街なのかも分からないまま、バスは走っては止まった。





夜8時半頃、空が漸く薄暗くなってきた頃、我々はヴァレンシアに着いたのだった。


        つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月。セヴィーリャ5日目。セヴィーリャ最終日です。





part211 セヴィーリャ雑感 








要約: 今日も涙を流す「奇跡のマリア像」は見られず。街をぶらついて、のんびりとセヴィーリャ最後の日は暮れた。



このこkkkkklこ







昨晩のフラメンコの余韻がまだ消えない。で、何かというと、パパンと手を鳴らし、「お~ら」と言ってみる。ド・ダダンと足踏みしてみるセヴィーリャの1日。





パンッと手を打った後、ちょっと手のひらをすりすりし、再びパパン……これがコツだね。「お~ら」と、ちょっとけだるく言うのがコツだね。





 こうして手拍子と「お~ら」をやると、「緩む」というか、「弾みがつく」というか、のったりと動き出すことができるのであった。





街は今日も暑い。





スペインはセヴィーリャに限らず、“ちょい飲み屋”Bar(バール)が街のそこかしこにある。そこでは朝から晩まで男達が後を絶たずにやって来るようだ。





立ったまま1杯、2杯と酒を煽り、ひとしきりおしゃべりをして行く。そして、顔見知りらしき人と握手を交すと、ふらりと店を出て行く。日本人のように長尻、深酒はしない。何とも社交的で健康的ではないか。





平日だろうが、休日だろうが、関係なさそうだ。とにかく朝から晩まで、人それぞれ、自分の都合に合わせてバールに立ち寄り、酒でちょいと喉を潤す。家に閉じこもっている親父などいないのではなかろうか。





その分女性陣はいずこで時を過ごすのか、あまり見かけない。カフェで見かけるのは、「お出かけ」してますって感じのお洒落した女か若者ばかり。あとは大抵スーパーの袋を下げて、通りを歩いているぐらいしか、女性の姿を見かけないのである。





“おばさん連中が道端で井戸端会議に花をさかせている図”など一度もお目にかからなかった。スペインでは女性の方が、家に閉じこもっているのかもしれない?





 スペインにはパティオという中庭のある家が多いようだから、一般の主婦たちはそうしたパティオで心地よく時を過ごすのだろうか。





街中には瀬戸物屋(?)が多く、美しい色模様のついたタイルや陶器がたくさん売られている。特に陶器の大皿は大胆な絵模様が芸術的でさえあり、それだけで1枚の絵のようだ。





生活用品というより装飾品のようなものも多い。日本なら何千、何万もしそうな大皿がお手頃な値段で売られている。あ~。ここで終わる旅ならば土産に買っていくのに……。





タイルも実に色々な色や形がそろっており、しゃれたデザインのものが多い。ガーデニングが好きな人にとっては垂涎ものだろう。さすがイスラムの色濃い街、セヴィーリャ。





こんな風に陶器やタイルが豊富なためか、こちらの人は食器の扱いが荒い。食堂ではガシャガシャ景気よく音を立てて皿を洗う。割れやしないかとこちらがはらはらするほど手荒い。マドリッドでも食器の扱いが乱暴だな~と思ったが、こちらの人は実際にしょっちゅう食器を割っていた。





そのくせ、欠けた食器がテーブルに出てきたためしは、今のところない。乱暴に取り扱っても日本の食器のように簡単に欠けたりしないのだろうか? 





今日は、昨日迷った末に行きそびれた、サン・ニコラス教会へ今一度行ってみた。





入り組んだサンタ・クルス街もサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りをはずさなければ、迷わず歩けるようになった。そのサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りの突き当たりに、その教会はあった。





しかし、残念なことに、ガイドブックで調べた限り時間も曜日も問題ないはずなのに、今日も教会の扉は堅く閉ざされていた。「涙が頬を伝うという軌跡のマリア像」はとうとう拝めずじまいである。





頭の上は街を焦がす太陽が、今日も容赦ない。開かぬ扉の前に立ち尽くしていても埒もないので、せめてもの思い出にと、「奇跡」を閉ざした扉をバックに記念写真を1枚撮って、そのまま来た道を戻り宿に帰った。





これだけ(と言っても2回だけだが)逢いにきても逢えないというのは、我々が「奇跡」には縁がない、ということだろう。





つづく


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