2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月初旬。リスボア2日目。暑気負けして貧血がひどいので、日が暮れるまで宿で眠り込みました。おかげで体力回復。夜の街へgoです。





part200 ファドってこんなん? 





要約: いよいよ大望のファドを聴きに夜の街へ。予約した店はガイドブック推薦だけあってお上品で、安全な店であった。が、ファドはなんとももの足りない。ファドって、こんなん?ファドがどんなのかわかっちゃいないのだが、何か違う!ということだけはわかるのであった。















宿で一眠りしたら体調も随分落ち着いてきた。日もとっぷり暮れた。さぁ、ファドを聴きにいこう!





つい1~2週間前、ベルギーやフランスでは日暮れは9時、10時だったのに、ポルトガルは夜も8時を過ぎると暗くなってくる。





(時差があって、ポルトガルの方が-1時間なのだから、太陽はいつも通りに沈んでいるわけだが、時計を睨んでいると、日の沈む時間が早まったという感覚にどうしても襲われる。) 





ファドの店は9時半に予約を入れていた。11時から深夜2時頃までが最も盛り上がると言う。「入場は時間厳守」ということもあるまい。我々の宿からはぷらぷら歩いても30分ほどで店に着いてしまうはずだ。ゆっくり出かけよう。





ちょっと化粧などもして、(と言っても、私の場合、眉毛を書き足すぐらいだし、服装はいつものジーンズによれよれのTシャツなので、あまりぱっとしない。)すっかり暗くなった夜の街へと繰り出した。





もう残酷な日差しはないので、落ち着いて歩ける。夜の広場はレストランが大繁盛。夕食を取る客たちでそれなりに賑わっているのだが、リスボアはやはりどことなく寂しい。どこか、哀しい。





石畳の坂道を上る。石畳は街灯を受けて 濡れたように光っている。その石畳を歩いていることがなんとも楽しい。





さてさて、坂を上り詰め、ファドの店が沢山集まっているはずのバイロ・アルト地区、トラヴェッサ・ダ・ケイマーダ通りTravessa da Queimadaへいよいよ侵入する。昨日の昼間歩いた迷路のような細い路地を、記憶を頼りに進む。迷わぬように進む。





昼間のあのひっそりとした雰囲気を思い出すにつけ、少々緊張する。どこの物陰に“もの盗り”の貪欲な目が光っているかもしれない。いきなりわけの分からぬ路地や店に引っ張り込まれないよう、道の端は歩かないようにしよう。





夜の路地は、酔っ払いたちの吐き出す汚物の饐(す)えた臭い。野良猫の細い呼び声。汚泥に溜まった人生の嘆き。冷ややかな月光。火照った石畳。目眩むようなカンテラ。立ち込める川霧。商売女たちの黄色い嬌声。甘く切なくギターが掻き鳴らされ、そして流れるファド……





……と思ったが、別段汚くもない。生ゴミの臭いも反吐の臭いもしない。闇に溶け込んでいる分、昼よりも美しいくらいの路地裏であった。猫の子1匹、出会いはしなかった。なーんだ。





こちらの妄想と緊張とは裏腹に、路地は店店の明かりに照らされて静かに息づいていた。どこに迷うこともなく、汚物に足を取られることもなく、誰に羽交い絞めにされることもなく、スムーズに店に辿りついてしまった。 ……ま、いいか。無事に着くに越したことはない。





9時半過ぎ、予定より少し遅めに店に入ると、ファドの演奏は既に始まっていた。





我々は一番後ろの壁際のテーブルに通された。特別気取ってはいないが格式のある店らしく、落ち着いた雰囲気だ。50人ほど入るだろう店のテーブルは既に客で一杯だった。





といっても、ひとつのテーブルに多くとも4人。ほとんどの客は2人でひとつのテーブルを占めているので、テーブルとテーブルの間は随分ゆとりがある。客数もせいぜい20人ほどだったろうか。





みんなTシャツやらポロシャツやら、ラフな出で立ちなので、よれよれのTシャツ姿の我々はほっと胸をなでおろす。





(でも、もう少しちゃんとした格好をすればよかったかなぁと、少し反省。しかし、あまりいい格好すると夜道が危険だし……。悩むところだ。)





染みひとつない厚手の白いテーブルクロス。太い木枠に光沢のある革張りの重い椅子はなかなか年季が入っている。白い漆喰の壁の下半分は、青を基調としたデザインタイルで張り巡らされている。タイルといい、その模様といい、どことなくイスラミックな味わいも感じる。





食事は取らず、ワインだけ注文する「ミニマムチャージ」というスタイルで、1人3,500エスクード(1,960円)。ワイン一本とナッツ類などのおつまみが3種付いてくるという。





ワインは自由に選べた。で、ポルトガルといえばポートワインか? と思ったが、なぜか何やら聞いたこともないポルトガルの地方の赤ワインを頼んだ。ちょっと太目のボディの瓶に入ったワインが運ばれてきた。意外と辛口……だったと思う。





「ところで、ワインは2人で1本なの? 1人に1本ずつじゃないの? 」などということを気にしていたので、ワインの味は「渋くて美味しい」というだけであまり記憶にない。 ……食意地が張って、肝心な味を味わい忘れたのだった。あほである。





だって、ボーイは2人でワンボトルだと言ったけれど、他のテーブルはみんなワインボトルが2本以上並んでいたのだもの。





でも2人で2ボトルのテーブルもあれば、4人で3ボトルのテーブルもあった。うううむ?? 他の客はワインを追加注文していたということだろうか。ううむ?





いやいや、ワインより、ファドが肝心だ。いや、ワインも肝心だが、ファドも肝心だ。





特別に設置されたステージなどはなく、演奏する際は店の奥の壁際のスペースがステージとなった。そこに入れ替わり立ち代りシンガーが現れては一節歌っていくのであった。





女性シンガー2人、男性シンガー2人が、順繰り交互にソロで、あるいは一緒に歌う。底力のある張りのある歌声は店の空気を震わせる。その声量たるやなかなかのものであった。





ファドは悲しい歌が多いと聞いていたが、演奏された曲のほとんどはむしろ明るい曲調で、我々はおもいっきり拍子抜けしてしまった。





途中で民族ダンスらしきものが始まった。“アルプスの娘”を思わせるような、しかしどこか違うような素朴な民族衣装。白いブラウスに赤や青の鮮やかなスカートやズボンで、歌手たちが一列に肩を組み、床を踏み鳴らしながら歌う。踊っている本人たちは楽しそうだが、正直見ていて楽しいものではなかった。





そんなこんなで、ファドを聴きにいったというより、ポルトガル民謡を味わいにいったという感じである。





おっ、ようやくファドっぽい歌が始まったか? と注目すると、年の頃は50前後の脂の乗った男性歌手が、口ひげ(鼻の下の髭)もきれいに整えて、白いワイシャツにネクタイをきっちり締めたダークスーツ姿で歌うのであった。ファドって、背広着て歌うのか? 





ファドは、「一日の漁を終え、海から帰ってきた老漁師のような男が歌う歌」だといつの間にか思い込んでいる私は、この男性歌手の格好からして気に食わない。歌もなんだか“オフィス帰りのエレジー”か何かのように聞こえてきちゃう。リスボアが新橋に変わっちゃうじゃないか……。





女性歌手の方はぐっとムードがあった。胸元が大胆に開いた黒いドレスと大きな銀のイヤリングがライトに映える。“波止場”の女って感じ? 暗い夜の海を見つめ続ける女のやるせない眼差しを感じさせてくれそうだ。





豊かな黒髪をゆったりと束ねてアップにしている。首筋から肩、腕にかけての筋肉がもりもりと隆起して、黒いドレスの細い肩紐が痛々しいのだか婀娜(あだ)っぽいのだかよくわからないが、歌は力強かった。力強かったが、哀しくはなかった。





ファドって、咽(むせ)ぶように歌われるものだと思い込んでいた私は、やはり何か違うものを聞いているような、落ち着かない気分になるのであった。もう1本ワイン追加注文しちゃいたいなぁ、なんてことを考えながら。





ファドは、ファドは、こんなんじゃな~い!(……はずだ。) ファドがいかなるものか、厳然とした確信があるわけでもないのだが、とにかく目の前で歌われているファドが、「本物」ではないということだけは感じる。本物だったら感動するはずだもの。





他のテーブルの客たちは特に聴き入るでもなく、かといって退屈している風でもなく、お行儀よくおしゃべりしたり飲んだりしながら適当に歌に耳を傾けているという感じ。激しく感動しているようにも見えなかった。みんなやっぱり「ファドってこんなもんなの?」と思っていたに違いない。





ま、「観光客がガイドブックを見て聴きにいくファド」ってのは「こんなもん」なのかもしれない。本物のファドは、もっと時間をかけてポルトガルに仁義を尽くさねば巡り合えないものなのだろう。



つづく


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水のお味  


バイトと内職に忙しい今日この頃。

と言いつつ、先々週末は静岡の酒蔵見学に行ってきました。


今まで何度か酒蔵、ワイン工場見学に行ったことはありますが、酒造り真っ最中の工場など見たことはありませんでした。しかし、今回はまさにその仕込みの真っ最中にお邪魔することができたのでした。


こんな機会はめったにないよっ!という友達のありがたいお誘いに乗って、朝8時に横浜出発という(朝に弱い私にとっては)地獄のようなバスに乗って、出かけてきました。


酒蔵は2箇所見学できたのですが、どちらも水を大切にしていました。


最初に訪れた土井酒蔵。「開運」というお酒で知られているそうです。運が開けてきそうなお酒ですね。うっかりお土産にその酒を買いそびれたので、まだ味がわかりません。 (試飲させて頂いた分はもちろん美味しかったです。^^)


酒造りの工程で出た廃液(?)を濾過して透明なきれいな水に戻すという誠実な酒蔵でした。ああ、早くかの酒を手に入れてゆっくり飲みたいものです。


その次に見学した「志太泉」という酒蔵は、工場の横に流れている川から水を汲み取っているということでした。川の水で作る酒は初体験だったのでドキドキでした。


で、こちらの酒はお土産に買って帰ってきました。


これがうまい酒だったんです。実に優しい柔らかい酒でした。大抵はちびりちびりと酒を飲む私ですが、これはぐびりぐびり、んぐんぐっと行きたい酒でした。


どちらも南部杜氏によるお酒でした。静岡の水と南部杜氏の技が出会って、みごとな酒が醸し出されているのでした。


それにしても、うまい酒を作る人々は水を大切にするね~とつくづく思った次第です。


水と言えば、私最近気になることがあったんです。


テフロン加工の鍋をお持ちの方にお聞きしたい。

テフロン加工の鍋で水を沸かして飲んだこと、ありますか?

お味はいかがでした?


というのも、この粗忽者の私は最近買ったばかりのステンレス製のヤカンを空焚きしてしまいまして。


3時間、焚きに焚いて!


(だって~、沸騰しても、とても静かなんです、そのヤカンは!

 笛吹きケトルに慣れていた我が家では「沈黙のヤカン」とあだ名していたくらい、ひっそりとお湯を沸かすヤカンだったんです!)


焚きに焚いたヤカンは中も外も変色してしまい! 

蓋の取っ手のプラスティック(?)の部分は変形し始めており! 

中側は特に何やら金属性の膜だかカスだかが一面に付いている?

……って感じで。 


使い物にならなくしてしまいまして。


で、とりあえず急場しのぎとして手持ちのテフロン加工の小鍋でお湯を沸かしてみたのです。


するとまぁ、お湯の不味いこと、不味いこと!

びっくりです。日本茶も紅茶もコーヒーも、何を入れても不味い!


夫も不味い!と驚いていたので、私の味覚の問題だけではなさそうです。


で、ひょっとして鍋のせいか? と、今度はステンレスの小鍋で沸かしてみると、不味くない。普通のお湯です。


ってことは、テフロン加工の鍋で沸かすとお水が不味くなる!!!!……ということでは?  

となるではないですか。


テフロン加工の鍋に恨みはないけれど、本当に不味いんです。「不味い=健康に悪い」というのが私の持論です。


テフロン加工の鍋、いつもはちょっとした煮物や炒め物にしか使っていなかったので、今まで「不味くなる」ということに気がつきませんでした。


水が不味くなる鍋……これって、怖い……。水は命の源! 大切にしたいものです。


テフロン加工の鍋をお持ちの方、是非お水を沸かしてお味を試してみてください。

もしかしたら私の買った鍋がとりわけ安物で問題があったのかもしれないですもんね。

試したら是非ご意見を聞かせて頂きたいものです。

(念のため繰り返しますが、私、テフロン加工の鍋に恨みも妬みもありません。テフロン加工の鍋を一生懸命作っている人、これを読んで気を悪くしたら、ごめんなさい。でも、ほんとーに水が不味くなるのです。)

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月初旬。リスボア2日目。次なる目的地までのバスチケットもスムーズに手に入りました。夜のファドの時間までたっぷり時間があります。





part199 リスボンの熱波のなせる業?


        喧嘩ホテル、険悪夫婦





要約: 今のホテルはゆっくり休めないので、もう少しましな宿に移るべく、午後の時間は宿探しに当てた。それにしても、リスボンの街中の安ホテルはかなりレベルが低い。虚しくホテル探しを続けるうちに夫婦も険悪な雰囲気になったのであった。












さて夜まで時間ができた。明後日のバスは朝が早いので、なるべくバス停に近い宿に移動しようということになった。今の宿はダブルの部屋で一泊8,000エスクード(4,480円)もするくせに、排水が悪過ぎるからね。泊まっているだけで疲れてしまうよ。





で、今日も今日とて宿探し。明日たった一泊だけでもまともな宿で休みたい。昨日は値段を見て即却下した宿も、今日は念のためチェックしてみよう。多少高くてもこの際仕方ない。納得できれば譲歩しようじゃないの。





しかし、街中の宿はやはりどこもべらぼうに高く、その上感じの悪い所が多かった。中でも呆れたのは「喧嘩ホテル」だ。





人が「ボア・タルデ~ Boa tarde(こんにちは)」と挨拶して入っていくと、フロントのカウンターに並んで立っている男が二人。 ……睨み合っている。





ものすごく険悪な雰囲気だ。で、こちらをちらりと見やっただけ。えっ、それだけ……? あっ、また睨み合った。おいおい……。





一応、「すいません。」と声をかけているのに、「部屋はありますか?」と尋ねているのに、フロントの二人は人の話など聞いちゃいなかった。ものすごい剣幕で言い合いを始めちゃった。ど、ど、ど、どう見ても喧嘩だ。しかも、かなり真剣? おいおい~。





ひとしきり怒鳴り合うと (3分ほどに感じたが、実際はほんの1分ほどかも?)、一旦“言い合い”が終わった。ワンラウンド終了って感じで、ふーっ、ふーっと肩で息をしているような興奮振り。だ、だ、だ、大丈夫か? 今一度声をかけてみた。「あの~、もしもし? すいませんが……。」





一人がこちらに体を向けてくれた。まだ顔が青ざめている。が、とにかく我々に対応しようとしてくれたのだろう。





我々の方へ一歩寄りながら、ちょっと呼吸を整えるように首をつっと上げ、姿勢を正し……たかと思うと、横でもう一人のフロントマンがぼそぼそっと、さも憎憎しげに何か吐き捨てるように言った。





と、我々に対応しようとしていたフロントマン、ぐわっと血相を変え、もう一人を恐ろしい形相で睨み付けた。うわっ。ツーラウンド開始か?





しかし、堪えた。フロントマンはぐっと堪えた。ぐぐぐぐっって感じでぐっと怒りを堪えて、再び我々の方を向き直っ……たかと思うと、横でもう一人のフロントマンがまたもやぼそぼそっと、さも憎憎しげに何か言った。





と、我々に対応しようとしていたフロントマン、またもやぐわっと血相を変え、も~我慢ならん! とばかり、ガバともう一人に詰め寄って、またもや派手な言い合いが始まっちゃった。もう、やめれ~っ!





日本ではありえない光景である。あっけに取られる我々。フロントの周りには数人のスタッフが雑用をこなしながら遠巻きにうろうろしていたのだが、フロントマンたちの喧嘩を止めようともしない。もしかしたら、周りのスタッフは困りながらも二人の喧嘩をさりげなく「見物」していたのかもしれない。





私が 「これ、どーなってるの? 」 ってな顔で他のスタッフを見やっても、彼らは目が合うとさっと視線を反らすか、うんざりした表情を崩さずにそのまま自分の仕事を続けるばかり。 「何も聞かないで! 今、間が悪いんだ。出直しといでよ」 って感じだ。なんだかなぁ……。





もう何も言わずに回れ右。その宿を却下したことは言うまでもない。





この「喧嘩ホテル」以上に感じの悪い宿はもうなかったが、ちょっと内容のいい宿はやはりどこも満室だ。料金の高い「いい宿」の方が空きがない。





ペンサオン、レジデンシャルといった安宿 (「安宿」といっても、結構いい料金を取るのだが) の類も、皆部屋が狭く清潔感もなく、そのくせかなり割高だ。納得できない。おまけに満室。満室。どこも満室。バスターミナルに近い宿を探すが、こちらもどこも満室。





虚しく炎天下を歩き回る。虚しくリスボンの「時」が刻々と過ぎていく。





リスボンの日差しにやられたのか、私は朝から立ちくらみが始終起こり、だるさが抜けないでいた。午後からはますます拍車がかかった猛暑の中、騒音と工事埃を全身に浴びながら歩いているうちに、もう1歩も歩けない! というだるさに襲われた。





急激な睡魔。日差しが眩しいからか、眠たいからか、もう瞼を開けているのも辛くて仕方がない。





脳天からはじりじりと午後の陽射しが容赦なく叩きつけてくる。石畳みの熱が靴の底から這い上がってくる。カンカン鼓膜を打つ耳障りな音が、工事現場の音なのか、太陽の音なのか分からなくなってくる。





クラクラッと脳天が揺れて、視界の周りが黒くなり、世界が萎(しぼ)んできた。視野狭窄だ。街の音が遠のく。これはぶっ倒れるときの前兆だ。まずい。こんな石畳にどーんと倒れたら怪我をしてしまうぞ。





ぐらんぐらんする脳みそで、辛うじて最善策を考えた。その場でしゃがみ込むのだ。しゃがみ込んでから意識を失えば、倒れたときの衝撃は最小限で済むというものだ。はぅううう。今にも消え入りそうな意識を必死で繋ぎ止め、膝からくず折れるようにしゃがみ込む。めまいが去るのをじっと待つ。





すると、「何しゃがんでるんのさっ? 具合悪いのっ? えっ?」 と不愉快そうな夫の声がかすかに遠くに聞こえてきた。普通はここで音声が途切れるのだが、夫の言い方にカチンときたせいだろうか、今回はぎりぎりのところで聴覚は失われなかった。遠のきかけていた車の音やら、工事音やら、街の雑音が耳に戻ってきた。





夫は前ばかり見てしゃかしゃか歩いていたので、私がしゃがみ込んでしまったことに気がつかなかったのだ。で、ふと私がいないことに気づき、ようやく振り向き、ずっと後ろで道にしゃがみ込んでいる私を見つけ、今歩いた道をわざわざ戻ってきたというわけだ。





しゃがみ込んでいる私の横に立って、「何よ。どーしたのっ? 立ちくらみ? 」 ううっ。声にびしびし棘が生えてるぞ。耳にしたくない冷たい言い方だ。だが、もう音は平常の音量で聞こえる。





私は「う。大丈夫。暑いから、ちょっとね……立ち眩んだ。」と、のろのろと立ち上がってみた。……立ち上がれた。よし……。





「ちゃんと着いてきなさいよっ。しっかり歩きなさい。」と夫。 





……はぅぅ。言うことはそれだけか? 夫よ。この人と一緒に旅をするということは、倒れたら置いていかれるということなのだね。えー、えー。わかりましたよ。意識を失ったって歩いていきますともさ。はぅぅぅ。重い右足を前へ。重い左足を前へ。前へ、前へ……。





もうどこをどう歩いているのか分からなくなりながら、とにかく歩いた。右、左、右、左……。顔も上げず、ただ足元だけを見て。右、左、右、左。両足に号令をかけながら。自分の足が一歩一歩とりあえず動いていることを確認しながら。「歩いてる。私は歩いてる。」と呟きながら。





眩しい石畳の照り返しが、俯いている私の顔に襲いかかってくる。目を細め、極力日差しの網膜への侵入を抑える。私は歩く。右、左、右、左……。





するといきなり背後から、「どこに行くのよっ? いい加減にしなさいよっ。」と、また夫の不機嫌な声。





へ? と薄ぼんやりした脳天を振り向かせると、いつの間にか前を歩いていたはずの夫が後ろの方に立っている。





夫よ、あなたが立ち止まろうが歩き続けようが、今の私に人の歩調を見ている余裕はないのだ。夫よ、あなたが歩けというから、私は必死で歩いていたのだぞ。





「ここで道を渡るんだからっ」と叫んでいる。 ……そういうことは、はよ、言えや。





おっかない顔した夫の方へ、呆然とした頭をだらりと下げて、私は右左右左と足を一歩ずつ出して戻っていった。





乾燥したヨーロッパの暑さに、“湿度の高い東南アジア大好き人間”の夫もしんどかったのだろうけれど (おまけに、夫はここのところずっと風邪を引き込んでいて、絶不調であった)、私は本当にもう倒れてしまうかと思うほど、辛かったんだ。倒れずに歩くのが精一杯だったんだ。





夫はその地点で道を渡るべきか、まっすぐ行くべきか、立ち止まってガイドブックの地図を読んでいたのだった。その間、当然、妻である私も歩を止めて夫のそばで待っているかと思いきや、瀕死のアザラシのようにず~りず~り、地を這うように勝手に先へ歩いていってしまっていたというわけだ。





「なによっ。なんでちゃんと待っていてくれないのさっ? 具合悪いのっ?」 ……って、夫よ、私を見ていてわからなかったのかい? 立ち眩んだって、さっき言ったじゃないか。





哀しすぎて、何も言う気がしない。「歩くのに必死だった。」とようやくぼそりと喉から言葉が出てきた。「まったく、もぅ~っ。子供じゃないんだからねっ。勝手にどこにも歩いていかないでよっ。しっかり歩きなさいっ。」と夫。こっちだって、「まったく、もぅ~」だぜ、夫よ。はぅぅぅぅ。





これまでも私の具合が悪くなると、夫は常に不機嫌になって、私を置いてスタスタ歩いて行ってしまうか、イライラしながら憂鬱そうに私を横から見おろしてきた。あるいは、犯人を連行する刑事のように私の腕を掴んで歩く。な~んて優しさのない人なんだろうか! と、いつも愕然としてきたものだ。





「もう私を放り出して、どこへなりとも、あなたはあなたで、好きな所へ行けばいいじゃないかぁ! 」と叫びたくなる。私はひとりバタリと倒れて、通りがかりの親切な人に助けてもらった方が、なんぼかましだと思う。





しかし、現実にはこういう時に限ってバッタリ倒れないものだ。重い足を引きずって、焦点の定まらない目をして、ふらふら夫の後を追って歩き続けるしかないのであった。





しかし、そんな風にひーひーふーふーぜーぜー言いながら探し回った甲斐あって、バス停に近いところに、ちょっと高めだがいい宿が見つかった。明日の予約を入れ、一安心。





こういう宿探しの手間と時間を考えれば、パックツアーで宿が決まっている旅行はなんと楽で有意義なことかと改めて思う。現地での宿探しは楽しいことばかりではないのだもの。





宿探しする分、ロカ岬にでもどこにでもちょっと足を伸ばして、充実した時間を過ごすことができたかもしれないもの。リスボンの宿事情を足を棒にして探っても、ホテル業にも不動産業にも興味のない私には全然意味がないのだ。





日はまだ高い。ファドの時間まではまだまだある。一旦宿に帰ってきて一休みすることにした。





体中が熱くだるい。熱が39度はあるぞ……と思って計ったら、37.5度。なーんだ。微熱だ。暑気負けであろう。とにかく休憩。夜まで一休みだ。





つづく


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薬が足りない!?

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今週は月曜の午後からいきなり発熱。38度。

で、会社から帰ってきた夫も、熱を測れば38度。

翌日夫婦そろって病院へ行き、インフルエンザAと診断されました。

夫は会社を休みましたが、私は幸い咳など出なかったので、バイトに出かけてしまいました。

電車に乗っているとき、ちょっと罪悪感がありました。

咳ひとつせず、洟ひとつかまず、平気な顔して乗客の一人として乗っているけれど、みなさん、私、実はインフルエンザAなんです。……と、時限爆弾でも抱えている犯罪者の気分でした。

仕事先の人にも移しては大変だから出かけたくはないけれど、バイトは急に休めないし……。お許しください。みなさん、うがいしてください。

私と同じように、インフルエンザにかかりながら仕事が休めず外をうろうろしている奴らが大勢いるでしょう。くわばら、くわばら。うがい、うがい、うがいすべし! です。

さて38度の熱に顔を青白くして、今日で4日。体も大分本調子に戻ってきました。

で、驚いたことが判明。

夫婦一緒に5日分だといってもらってきたタミフルが、夫の分だけ1日分足りない!

処方箋にはちゃんと5日分と書いてある。で、処方箋どおり、二人して朝晩、1日2回、1回1錠ずつ飲んできた薬。それなのに、夫だけ1日分ない。

で、薬局に催促に行ったら、1日分くれました。でも、夫の飲み間違えか、勘違いであるかのごとくぐちぐち言われました。

噂のタミフルです。どんな幻覚症状がでちゃうんだろうねぇ~と、ちょっとどきどきしながら服用していた薬です。飲み間違えるわけがない。

私ならともかく、夫はそういう面は几帳面で、インフルエンザも血液型もA型ですから、間違えるわけもないのです。

(が、「飲んでいない」という幻覚のせいで、余分に飲んでいたりして……?)

薬局で薬をもらうときは、全部で何錠あるか、数を確認しなければならないのですね~。でも、しんどくてそれどころじゃないのになぁ。

2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月初旬。リスボア2日目。今日も酷暑。





part198 鉄道が途切れてる!








要約: 昨日リスボアに着いたばかりだが、次なる目的地、移動方法を検討した。鉄道は途切れていた(!)ので、結局バス移動に決定。“曜日限定”のバスのため、明後日には出発ということになったのだった。
















イベリア半島路線図



    (↑ イベリア半島の路線図です。本当はもっと路線が張り巡らされていますが、途中で疲れたので、全部移すのを諦めました。リスボンからセビーリャへ移動する部分だけ確認して頂ければ……。途切れているでしょ。……おまけに貼り付けたらボケボケになりました……。くそぉ。どーすりゃいいんだ?)























リスボアには長居はできない。昨日着いたばかりだが、次の移動の算段を早々につけておかなければ。





リスボアからどう移動しようかな~♪ と地図を眺める。できればイベリア半島をぐるりと周って行きたい。だから次はスペインの南の街セヴィーリャとかコルドバ辺りに行きたい♪





ガイドブックの鉄道路線図で、線路を追っていく。ポルトガルは南北に細長い国で、北と東はスペインと国境を接し、南と西は大西洋に囲まれている。鉄道は大西洋岸に沿うように、つまり西寄りに、南北にどーんと貫かれている。が、なぜかスペインとの国境側の東寄りには線路がない。 





リスボアから線路を南へ降りていくと最南端のファロFaroという駅で海に突き当たる。――電車の進行方向に大西洋がど~んと広がって見えてきたら素敵だろうなぁ。―― で、そのまま東にずっと移動すれば、スペインに入るわけだ。





ファロからいきなり細くなる鉄道線路のラインを東に追う。ファロの次はヴィラ・レアル・デ・サント・アントーニオVila Real de Santo Antonio。そこがもうポルトガルの最後の駅だ! 





で、さらにそのまま線を東に進むと、すぐに国境を越えてスペインに入り、お次の駅はAymomeである。





(追記: Aymomeを別の地図で調べると、Aymonteアヤモンテとなっている。どちらかが誤植なのか、どちらの地名でも通じるのか、不明。)





で、さらにそのまま東に進めば、ウエルヴァHuelva(ウエヴァ?)、そしていよいよセヴィーリャSevilla。そしてセヴィーリャからやや北上するようにさらに東に進むとコルドバCordobaに着くわけだ。





しかし、ありゃりゃ。なんじゃ、こりゃ? Aymomeと Huelvaの間の線が繋がれていないではないか! 見たところ、ほんの50kmほどの距離なのに、なぜにここだけ線路が途切れているの? 同じスペイン国内の駅と駅がどうして繋がれていないの? 





ここさえ繋がれていれば、リスボンからポルトガルを縦断しつつ、東に進路変更して、スペインへ入っていけるのに。コルドバまで行けるのに。





実はAymomeまでがポルトガル領だったのか? あるいは、Huelvaまで線路を敷いたところで内戦が始まってしまって、鉄道敷設どころの騒ぎじゃなかったのか? スペインに一体何が……? などと線路図をじっと眺めて想像していても埒もない。 





線路の途切れている部分は、バスがあるに違いない。路線図の途切れたところをあの手この手で旅をするというのもお洒落だ。いや、しかし、それほどの時間の余裕は我々にはないのだ。10月にはオランダからヨーロッパを出なくてはいけないのだから……。





リスボアからマドリッドの方に戻るようにして、途中から南下するという路線もあるが、来た道を戻るような進み方はいやだ。





……などと、色々考えていたら疲れてしまった。ここはやはり使い慣れたユーロラインズのバスにしようってことになった。





で、次の目的地を「コルドバ」に決めてバスを調べる。と、リスボアからの直通便は存在していないのだった。





コルドバのちょいと南西側にある「セヴィーリャ」行き直通便は存在した。地図記号で比べるとコルドバの方が大きい街のように思えるのだが、セビーリャの方が観光地としてメジャーなのだろうか? 我々はセビーリャだろうが、コルドバだろうが、とにかくスペインの南部へ行ければ異存はない。 





朝7時リスボア発、夕方4時半セヴィーリャ着。9時間半の移動だ。よし。マドリッド―リスボア間より少し遠いほどだ。





しかし、セヴィーリャ行きのバスは週に3本。水、金、土曜しかないのだった。昨日一日で、埃まみれ、工事現場だらけのリスボアに既にうんざりし始めていた我々は、予定を早めて水曜日のバスで移動することに決めた。リスボアには3泊しかできないことになる。今日はもう月曜だから、なんとも慌しい。





「ユーラシア大陸最西端の地」であり、 ポルトガルの詩人カモンエスが「地の果て、海のはじまるところ」と歌ったという「ロカ岬」。「詩人バイロンにエデンの園と言わせた」美しい街、シントラ。ガイドブックを読んでいると、リスボンから足を伸ばしてみたいところは数々あった。





が、欲を言ったら切りもない。今回はポルトガル名物「ファド」を聞くことで満足して、リスボアは引き上げよう。ま、リスボアなら日本に帰っても、また来ようと思えばいつでも来られる(……と、いいな)。よかろう。





一人6,340エスクード(3,550円)でバスチケットを購入する。今回は選択の余地もなかったので、鉄道料金を駅まで比較しにいく手間もかからず、すんなりチケット購入が済んでしまった。


     


           つづく


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