2001年夫婦世界旅行のつづきです。マドリッド6日目の今日、深夜バスで発ちます。今日は……土曜日でした……。





part194 閉館時間にはかなわない!





要約: ポルトガルに移動する日。深夜バスの時間までソル周辺をぷらぷらする。またもや閉館時間に引っかかって、お目当ての美術館に入りそびれた。他に何もすることもなく、暑い宿のロビーで時間をやり過ごし、予定通りバスでマドリッドからリスボアへ。月に照らし出され美しく波打つ夜の大地は壮観だった。















今日は深夜11時のバスでマドリッドを出発する。出発時間まで時間をつぶすのが大変だ。チェック・アウトの時間ぎりぎりまで宿でゆっくりする。レセプションで荷物を預かってもらい、昼の12時、ひとまずチェック・アウトを済ませて外に出る。





街は今日もぎらぎらと暑い。遅い朝食を済ませ、インターネットカフェに行ってみることにした。メールをしていると3~4時間はつぶせる。





ヨーロッパに入ってからというもの、我々の行動範囲内にインターネットカフェがなく、まったくメールが打てないでいた。ここマドリッドに来て、ようやく街中に一軒、インターネットカフェを見つけたのだった。





先日、街頭で配っていたインターネットのチラシを受取って、たまたまその在り処を知ったのだ。「チラシを配る」なんて姿もヨーロッパでは始めてお目にかかった。こんなところも、どことなくスペインはアジアに近しい感じがする。





しかし、日本語が画面に出てくるかどうか……。 「日本語でメール、できる、できる!」 と、チラシ配りのお兄さんはいとも軽い調子で請合ってくれたが……。





とりあえず入ってみたが、予感的中。日本語での通信は出来なかった。たった一台しかない「日本語のできるコンピューター」がうまくアクセスできないのであった。「日本語表記」ができないと、日本語で書かれたメールを読むことが出来ない。





ヨーロッパでなぜこれほど日本語に変換できるインターネットがないのであろうか。需要はあるように思うのだが……。





日本語メールが出来なかったので、早々にカフェを引き上げた。さて、空いた時間をもてあます。 で、ゴヤの「鰯の埋葬」が展示されている美術館(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)が近くにあるので、行ってみることにした。





しかし、落ち着き払った中年女性の受付係員は、「もう閉館です。」とこともなげにおっしゃった。 ……また「閉館時間」か! 時計を見るとちょうど14時を過ぎたところだ。その美術館は14時半で閉館なので、14時からは入場できないと言う。





見られないとなると俄然気になる「鰯の埋葬」! すぐには立ち去りがたく、「係りの人はまだそこにいるのに閉ざされた窓口」の脇においてあったパンフをとりあえずもらって眺める。





小さなパンフレットを飾っているのはまさしく「鰯の埋葬 (El entierro de la Sardina)」の絵だった。これ、これ。これが見たかったのよ。やはりこの絵がこの美術館の「売り」なのだね。





刷られたコピーを見ると、ちょっとおどろおどろしげな絵に見える。その絵を見ていると、スペインと「鰯」って、何か特別な意味合いがあるような気がしてくる。「鰯の埋葬」という何か特別な伝統的儀式でもあるような気がしてくる。





入れないのぉ? と諦め悪く入り口から覗くと、建物の奥の中庭のような所に、見学者がうろうろしているのが見えた。ああ、まだ見学者は入っているじゃないの。





「我々も14時半までには見学を終えて出てくるから、なんとか入れてくれないか? 」と再び係員に交渉しても、「ダメ。終わりました。」 ……なかなか融通が利かない人だ。





何でそんなに早く閉館してしまうのだ? そんなに仕事をしないで、よく世の中まかり通るものだ。ぶつぶつ言いながらパンフレットを睨んでいると、「DE MARTES A VIERNES (月曜から金曜まで)DE 9,30 H. A 18,30H.」「SÁBADO,LUNES Y FESTIVOS (土曜、月曜と祝日) DE 9,30 H. A 14 H.」とあるではないか。





「火曜から金曜」なら夕方18:30まで、昼休みもなく入場できたのだ。今日は土曜なので、14時までなのか! ああ、なぜ今日が土曜日なのだ! いやさ、土曜、祝日など人々が絵を見に来られる曜日に、なぜにわざわざ見学時間を短縮するのさ? スペインよ?





やれやれ。諦めて、通りへ出る。照りつける陽射し。街中の騒音。工事中の土埃。落ち着ける居場所もなく、結局宿に戻って、出発までロビーにいさせてもらうことにした。





普通のお宅の小さなリビングのような、落ち着いたロビーである。ソファーも座り心地がよい。が、いかんせん、暑い! むおぉぉぉぉっと暑い。





縦に細長い窓にかかった真っ白いレースのカーテン越しに、向かいの建物が昼下がりの太陽を受けて眩しい。お陰で、こちらの窓は北向きなのに、こちらの部屋まで眩しく暑い。町全体が発熱しているのではないかと思うくらい、暑い。





ソファーに座っているだけで全身から汗が噴き出してくる。こめかみからつつつ~っと汗が流れ落ちてくる。それなのに部屋にはファンもクーラーもない。窓も閉まっている。せめて風を入れようと窓ガラスを開けたら、宿のおじさんが飛んできた。 





「窓は閉めてくれ~。開けたら余計に暑くなるのだ~。」と注意されてしまった。 「こんなに暑いのに、窓を開けたらもっと暑くなっちゃうの?」 驚いていると、「窓を閉めておいた方が涼しいのだ~。」と、まるで家訓でものたまう家長のように胸を張って教えてくれた。





そういえば、南フランスの方では、「外の熱気を入れないために、夏の昼間は家の窓を閉めておく。窓を閉め切った家の中の方が、外より涼しいのだ」と、何かの本で読んだことがある。ここマドリッドでも同じ事情らしい。





私にしてみれば、窓を開けようが閉めようが、結局部屋の温度はさして変わらなかったように思う。窓の開いていた方が、少しでも部屋の空気が動いて涼しくなる可能性があるように思う。見た目にも開放感があって涼しく感じるように思う。





しかし、いつもはのっそりした優しいおじさんが、こればっかりは譲らないぞ! ってな感じで言うのであれば、仕方ない。閉めましょう。





それにしても、暑い。暑くて暑くて、ぼーっと眠たくなる。せめて眠れればこの暑さをひととき感じなくなることもできるだろうに、暑くて暑くて眠ることさえできない。本を読んでみても、一行ごとに、ああ、暑い……とため息が出てしまって、とても集中できない。





ソファーにぐったりとしている我々の脇で、宿のおじさんは実にこまめに働いていた。床にモップを丁寧にかけていたかと思うと、奥の間でなにやら作業して、そうかと思うと共同バスルームなどを掃除して……。





唇を常に半開きにしてぼーっとして見えるおじさんだったが、よくよく観察してみると、ひとつひとつ丁寧に色々こまごまと働いているのだった。「忙しい、忙しい」と言っていたが、本当に忙しいんだね。スペイン人なのに、シエスタ(昼寝)なんてしないんだね。





共同トイレやバスルームはぴっかぴかだったけれど、このおじさんの細やかで丁寧なメンテナンスのお陰なのだね。連日連夜猛烈に暑かったけれど、いい宿だった。





結局、夕方7時頃までおじさんを観察したり、ぐだぐだ本など読んだりしながら居座り、近くのマクドナルドで軽く夕食を取ってから、8時過ぎ、バッグを受け取り、宿を後にした。





夜のマドリッド。だが、もう羽交い絞め強盗を恐れる気持ちなどなかった。……暑いんだもん。荷物も重いし。もぅ、羽交い絞めでも何でもしてくれよっ! ってなくらい暑いんだもん。





さて、だらだらにだれてバス停に行くと、リスボア(リスボン)行きのバスは意外に乗客が多かった。ほぼ満席状態でバスは出発した。





今回のバスにはTVが付いていた。車窓からの夜景は見事そうなのに、TVの明かりがまぶしくて、夜景が見えない。TVを消してくれないものかと周りの様子を窺うと、みなさん、結構TVを楽しんで見ている。こりゃ、だめだ……。





しかし、手のひらでTVの明かりを遮るようにして顔を窓ガラスにべたりと貼り付け外を窺うと、なんとか風景が見えてくる。端(はた)から見たら、窓に向かって 「いないないばぁ」 をやっている変なおばさんだが、仕方ない。





外は、満月に近い月がぽってりと中空に浮かび、広漠たる大地の緩やかな波立ちを仄かに照らし出していた。それは「夜」という題名の一枚の絵のようだった。





家の明かりなど全くない。ほの明るい大地が続く。かと思うと、月が隠れたのか、すべて闇一色の世界が続く。





途中、闇に点々と明かりが連なり、それがどこまでも続いていた。「橋」かな。長い橋だね。 ……ん? まだ橋か? ……え? まだまだ橋か? これは「橋」か? 長さが尋常ではない。こんなに長い「橋」ってありうるか? 





しかし、その下に微かにきらきら反射するように見えるのは川面のようであり、だとするとやはり「川に架かる橋」だが、あんな長い橋があるだろうか。橋の向こうは深い闇に閉ざされて、見えない。不思議な光りの点滅の線。一体何だったのだろう。 (追記: これはどうやら、「ヨーロッパで一番長い橋」だったようだ。ポルトガルの誇る一品らしい。)





(追記の追記:「ヨーロッパで一番長い橋」はコペンハーゲンにあるという人もいるようだし、フランスにあるという人もいるようだし、よくわかりません。)


            つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。マドリッドは今までのヨーロッパ(オランダ、ベルギー、フランス)とは一味違いました。





part193 マドリッド雑感





要約: 5泊だけでは、これぞスペイン! という感動はまださほど得られていないが、スペインはやはり今までのヨーロッパとは違う。容赦ない夏の太陽と巨万の富の名残とが放つ黄金色の光を受けながらも、乾いた赤茶けた荒野の土くれを素手で掴んでいるような、大地感覚が人々から感じられるのであった。












がむしゃらに働く! :





スペイン人はかなりせっかちのようだ。 ――スペイン人と言っても、マドリッドのスペイン人しかまだ知らないのだが――





彼らは昼休みをた~っぷり取るが、働く時は凄まじい勢いで働く。特にカフェの人々の働きっぷりは、目を見張るものがある。





朝食を取るのに行きつけになったカフェは、3日目からはこちらに選択の余地など与えなかった。





我々が寝ぼけた顔で店に1歩踏み込んだかと思うと、親父さんの少し掠れた大声が飛んでくる。「オーーラッ、カフェ?(こんちは。カフェだね?)」 ……って、親父さんは既に新しいコーヒーカップを手に取っているのだ。





機先を制されてすぐに反応できないでいる私に、「カフェコンレーチェ?(ミルク入りコーヒーか?)」と畳み掛けてくる。





「食べるのか? 飲むのか? 何迷ってんだ? カフェでいいんだろ?カフェにしておけ。 さぁ、注文しろ。 食べたいから入って来たんだろ? 食べたいものをとっとと食べろよ。さぁ、食え。ほら、食え。さっさと食え! 食ったか? 食ったな? じゃ、とっとと金払って街へ出なっ。」 という感じ。





もちろん、こんなことは一言も言われないし、メニューを見て迷っている我々を親父さんは放って置いてもくれる。





だが、客の出入りが激しく、たいていの客はものの5分~15分ほどで出て行く慌しげな店内で、待ち構えていたかのように、「カフェ? チュリス? 」と大声を掛けられ、ぎょろりと大きな目で「だろ?」ってな風に見られると、「だよ。」と答えてしまう。





もちろん、朝っぱらから隅のテーブルで何やら話し込んでいる客もいる。親父さんはそういう客はそのままに放っておき、朝食を取りにきただけの客を次から次へと迎え入れては送り出して行く。





そのたびにガッチャン、ガッチャン、汚れた食器をシンクに割れんばかりに放り込む。そしてそのままガシャシャジャババと盛大に洗いまくる。





入れたてのコーヒーの濃厚な香りが立ち込める狭い店のカウンターの中を、独楽鼠のように駆け回り、汗びっしょりになって働いている親父さんとお上さんを見ていると、こちらものんびりしていられないのであった。





街中の建設工事現場で働く男たちも、力いっぱい働いていた。むりりっむりりっと音がしそうな筋肉質な体全身を始終動かして、埃まみれ汗まみれになって働いていた。そんなにいい賃金が払われるのか? と聞いてみたくなるほど、彼らは一心不乱に働いていた。





こういうのもなんだが、日本の建設工事現場で見かける男たちとは身のこなしが違う。俊敏さが違うというか、気合の入れ方が違うというか……。 誰が見ていなくとも手を抜かないっ! って感じで、容赦ない夏の日差しの下で、スペイン人は動き続けていた。 





(昼休みはどうなのかは、わからない。おそらくたっぷり休むのだろうね。昼休み中にボスに何か言われたって、梃子でも動きそうもない気はする。)





パラオイおばさん:





ソル広場の一角にあるマクドナルドの店の前では、毎日小柄なおばさんが立っていた。足踏みしてリズムを取り、r音に巻き舌を利かせて「パラオイッ、パラオイッ」と魚屋のように景気よく叫び続ける。「パラオーイ、パラオーイィ」とどこか切なげに、訴えるように叫び続けるときもある。





「パラオイ」おばさんは、毎日毎日朝から夜遅くまで叫び続ける。 (昼間は見かけたことはないが。) その小さな身体からは想像もできないデカイ声だ。休むことなく叫び続ける。よく喉がつぶれないものだ。そばを通ると私の鼓膜がびんびん震える。ものすごいパワーである。





初めは何とうるさいことか! と眉を顰めたが、すぐに「パラオイ」は「para hoy 今日の」という意味(?)で、その手に扇方に広げてぴらぴら見せている紙の束は、宝くじの券だと分かった。





「パラオイ」おばさんは、“「今日の」宝くじ売り”だったのだ! そうとわかると、途端にその売り声が愉快なものになり、その声を聞くことさえ楽しみになったのであった。





スペイン人は賭け事が好きなようで、街中至る所に宝くじ売り場があり、「宝くじ売り」がうろついていた。あるいは、ちょっとしたスペースで大道芸人のような格好をした男が手品のようなことをして見せて、乗ってきた客にそのまま賭け事をさせようと誘導していた。(あれは観光客を狙った質の悪い商売だと思うのだが。)





宝くじ……もし当たったら旅費の足しになるし、愉快だ。各国で宝くじを当てながら旅が出来たらどんなに素敵だろう! 





だが、ものの本を読んでいると、海外で宝くじを買った人の笑えない話が多い。宝くじを買うと、まず「当たる」のだそうだ。大喜びで換金しようとすると、それができない。換金する代わりに、当たった額だけ新しい宝くじが買えるというのだ。だめじゃん。詐欺じゃん。





スペインの宝くじはどうなんだろう。試しに買ってみるほどの余裕もないので、一生懸命宝くじを売るパラオイおばさんを頼もしく眺めるだけで満足している我々であった。





ところで、ああいう宝くじ売りの人は歩合制なのではなかろうか。一日売っていくら位稼げるのだろう? 旅をしていると、その地で働いている人の労働賃金を一人一人尋ねたくなる。 が、金銭のことをつっこんで聞くのも躊躇われる。





パラオイおばさんは毎日のように宝くじを売っているのだから、プロの宝くじ売りなのだろうね。 ……ってことは、宝くじ売って生活しているわけだよね。日本の宝くじ売り場のように、窓口で黙って座って、客が来たら売るだけとは労力が違う。街角でステップを踏みつつ大声で叫んで、一体いくらになるのだろう? 似たような職業を各国別に比較対照したら面白そうだ。





スペイン人の風貌:


(注:以下はまったく私の独断と偏見によるものです。マウスではうまく描けず、手元のスケッチとは随分雰囲気の違う絵になりましたが、せっかく描いたのでアップします。)





スペイン男は面長で、しゃくれた感じの顎をした人が多い。しゃくれたうりざね顔とでもいうのか、フェリペ2世顔というのか。街を歩いていると10人に1人はフェリペ2世だ。



フェリペ2世
  


   「フェリペ2世」な男





で、たいてい髪はオールバック。鼻は鷲鼻。(私が見かけた)スペイン男性の3人に1人は、口を半開きにしていた。





そういう奴は眉も八の字に下がって、垂れがちな目にも生気がなく、見るからに間抜けそう。挨拶の言葉も、「オ~ラ(こんちは)」。……どこか息が抜けている感じだ。



緩い男
  ゆるい男








一方、どうしてそんなに力んでいるの? 疲れませんか? と聞きたくなるくらい両目をかっと見開いて眉を吊り上げ、顔中の筋肉を緊張させている男も多い。





スペインの男はたいてい襟付きのシャツを着ている。そして第2ボタンまでボタンをはずし、胸をはだけさせ、胸毛と胸元の十字架の首飾りをチラリと見せているのであった。全体的に筋肉質の固太り、どちらかといえばずんぐりむっくりした感じの体型が多いようだ。




 力んだ男









スペインの女はたいてい「マリア」か「イザベル」だ。(……そんなわけはないだろうが、耳に付くのはこの2つの名前が圧倒的に多かった。)





笑顔の愛くるしい女が多い。気性がちょっと激しいが、いかにも「気がいい」といった感じ。髪は墨のように真っ黒だ。日本人の髪の黒さとは明らかに違う。まさしく漆黒の闇のような黒髪だ。眉毛も黒々と濃い。そして、大きな瞳を守るように睫毛も長い。







 


      「マリア」な女







しかし、そんな美人「マリア」 も、“中年”過ぎるとほとんどが「土嚢」、あるいは「水牛」と化すようだ。


土嚢



「土嚢」な女






つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。マドリッド5日目。トレドを散策中です。めぼしい観光スポットはことごとく空振り。やっと開いていたカテドラルにさえ入場を拒否されて……。





part192 エル・グレコ・マジック





要約: トレドは街全体が観光名所だ。「エル・グレコが愛した街」としても知られている。西ゴート王国の都(紀元後560年に遷都)であった町だが、今は満員の観光バスが走り回っていた。そうした興ざめする現実はさておき、古色蒼然とした石で築かれた街並みは、エル・グレコの絵にダブらせて見るせいか、スペイン中の夏の陽差しを集めて輝くような、独特な雰囲気に溢れているのだった。












次々と肩すかしを食らうと、もう何がどうだろうとどうでもよくなる。





地図によると、「カテドラル」の近くには「サン・トメ教会Igresia de Santo Tomé 」がある。聖なるトメ? トメさんという聖人がいたとは、不謹慎ながら何ともおかしい。





ここにはエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」という大作があるという。ふぅん。行ってみましょうか。今度はどうだろう。また入場お断りか? ま、どっちでもいいけど。





もはや名所、旧跡を見学することなどはどうでもよい。ただエル・グレコが愛した街を歩くことが楽しかった。石畳はスペイン中の光を集めて輝いているように眩しい。空は青い。





「カテドラル」からは「市庁舎」を通り過ぎて西に向かって少し行けば「サン・トメ教会」があるはずだ。が、とくに路地に入り込む必要もないはずなのに、またも迷ってしまった。





ようやくそれらしい建物の前まで来たが、散々迷って辿りついたので、目の前の建物が目指すサン・トメ教会なのかどうか、よく分からないのであった。さっきまでは何度か見かけた標識もない。





建物の外観は、教会と言えば教会に見えなくもないが、ただの館と言えばただの館のようでもある。もしかしたら、迷っている間に南へ反れてしまっていて、「エル・グレコの家」あたりまで来ているのかも知れない?





入場券を買うカウンターで係りの人に、「ここはサン・トメ教会ですか?」と尋ねると、係員は何を思ったのか、苦虫をつぶしたようなしかめっ面で、「エル・グレコの絵は一枚きりしかないぞぉ。」と繰り返すばかり。





なんじゃ、このおっさん……? 困っていると、後ろに並んでいた観光客が、「ここはサン・トメ教会ですよ。」と教えてくれた。やれやれ。





偽学生証を差し出してみたら、学生料金で済んだ。やっとトレドの「観光名所」のひとつに入れる。





ガイドブックには 「料金一律200ペセタ(138円)」 となっていたが、我々は学生料金150ペセタ(103円)で済んだのだった。ガイドブックに記載されていなくとも、学生証は見せてみるもんだね。





それにしても、宝の山だったプラド美術館入館料が250セペタだったことを思うと、なんとも法外に高い拝観料だ。





それにしても、1人35円浮かしただけで、どうしてこうも充実感を感じてしまうのかしら……。





さて、館(教会)の奥へ進む……というよりは、扉を開けてとある一室に通される。観光客がぎっしりと押し込められているのでとても狭く感じるが、広さにして40平米あるかどうかというくらいか。天井が高く、部屋と呼ぶよりも「講堂」に近い感じだ。





「教会」というくらいなのだから、教会の「本堂」なのだろうが、それにしては、教会らしい十字架だの、聖書にまつわる絵だの彫刻などもなく、説教台も椅子もない。やっぱり「教会」らしくない。





正面の壁には、高い天井まで届くほどの大きなグレコの作品が一枚。どうやら例の「オルガス伯の埋葬」であるらしい。部屋を埋め尽くす観光客で絵に近づけず、絵の下の方はよく見えない。





どうなることやら……と部屋の奥の壁に張り付くようにして様子を見守っていると、ごそっ、ごそっと一塊ずつ人が減っていく。前の方に出口があるのだった。団体で来ている客が多いらしい。一団が去るごとに少しずつ前へ近づくことができた。





中には日本人観光客の団体さんとそのガイドがいて、日本語で絵の説明をしているので、例によって、つつつと近寄り、少し拝聴させて頂いた。





「司祭の着ている透けた白い羽織がエル・グレコの独特の技法なのです。」――それなら、普通の画家はどう描いていると言うんじゃい? 透けた羽織を描いている人は他にいないのか? 本当か? 





「天井近くに描かれている雲の上の部分は天国を表しているんですよぉ。」――そんなこたぁ、見ればわかるわい!





「聖母マリアの背後に控えているのは聖ペドロで、天国への鍵を握っているのです。」――ほほぉ。それは教えてもらわなければわからないわぃ。天国の入り口には鍵穴の付いた扉があるのか? 天国にも入場時間と退出時間がありそうだ。





ダークブルーの背広を着込んで、年の頃は30前後に見えるが、どこかよれっと疲れた感じの男性ガイドさんは、描かれた一つ一つの意味を唾を飛ばして説明していた。





ちょっと質問してみたかったが、なにせ“盗み聞き”なのでそういうわけにもいかない。誰かが質問してくれればいいのだが、誰も質問ひとつしないで、へぇへぇ聞き入っている。こんな素直な客なら、いくらでもでたらめな説明ができそうだ。





最後に、そのガイドさんは胸を張って、まるで自分の手柄のようにこう言った。「毎年、何百何千と言う観光客が見にくるからこの絵は素晴らしいものなんです。みなさん、この絵を目に出来たことは幸運ですよぉ。」





なんじゃ、そりゃ!? 新興宗教の勧誘じゃあるまいに。何人に鑑賞されようが、その絵の値打ちに関係ないだろう。何千何万という人間の鑑賞に堪えうるということは確かにすごいことだろう。その絵の普遍性を立証していると言ってよい。おそらくそのガイドもそうしたことを言っているつもりのだろう。





が、そのガイドの言い回しには、なんだかカチンときた。目の前の絵が素晴らしいかどうかなんてのは、見る本人が決めることだ。あほっ。





その男の説明する “絵に託されたこまごまとした意味” は分からなくとも、その絵は充分我々にとって印象深いものだった。エル・グレコにはオルガス伯の魂が昇天していくさまが本当に見えたのかもしれない。 (私はエル・グレコの絵の中では、これがさほど傑作だとも思わないのだが、夫は偉く気に入ったようだ。)





しかし、なぜエル・グレコがこれほど大きい絵を描いたのか、ちょっと疑問だ。「オルガス伯」とは何者なのだろう? よほどエル・グレコを支援したパトロンだったのかな? ひょっとしたら、サン・トメ教会も以前はオルガス伯の邸宅だったのではないだろうか? 





……などという埒もない疑問がふつふつと湧くのであるが確かめようもなく、とりあえずはしばし虚心坦懐に絵を味わう。





絵をひとしきり堪能すると、人波に誘導されるように「出口」の扉へと自然と押し出されていく形になって、外へ出た。





それでお仕舞いだった。 ……ここのどこが「教会」なのだろう? やっぱり違和感が残る。





肝心なトメさんはどこにいるのだ? 聖トメは祭られていないのだろうか? もしかしたら、「オルガス伯の埋葬」1枚購入するために、祭壇から燭台、祈りの台からサン・トメの像、イエスの像まで売り払ってしまったんじゃないか?





この教会には「14世紀のムデハル様式(なんじゃ、そりゃ?)の塔がある」とガイドブックにも特筆されていたが、どっしりと聳える四角い塔は外から眺めるのみ。その塔の中には入れないのであった。





何だか、これではエル・グレコが客寄せパンダのようで不愉快だ……なんていう、ちょっと複雑な気分でサン・トメ教会を後にしたのであった。





サン・トメ教会のすぐ近くに「エル・グレコの家と美術館Casa-Museo de El Greco 」があった。と言っても、エル・グレコが当時住んでいた正確な家は分からないので、そこをエル・グレコの家と決めて、当時の部屋のように作り上げたものらしい。なーんだ。





それにしても、これほど世界的に有名な画家の家がなぜわからないのだ? エル・グレコって、ここトレドで本当に幸せだったのか? そう言えば、エル・グレコの墓は名所に入っていないね。彼はトレドで最後を迎えたのではなかったっけ? それなのに、なぜ彼の墓がない……?





墓はともかく、彼の「家」を想定した美術館で、ようやくエル・グレコの色々な作品を見ることができた。





エル・グレコはパステルのような油絵を描く。彼の描く人物は、どれもスペイン人らしい面長で、心弱そうな上目使いをしたものが多い。





人物の弱々しいしい表情と、一点を見つめる視線。天を仰ぐポーズ。パステルをこすりつけたようなねっとりとした色合い。油絵の具にしてはさっぱりと平板なタッチ。エル・グレコは人間の弱点と強靭な心の芯とを描き出そうとしていたように感じられる。





グレコはトレドという街に魅了されて、故郷ギリシャを捨て、終生トレドで過ごしたという。が、その呼び名がエル・グレコ(スペイン語で、「ギリシャ人」という意味)であったことと、本名ではなく通称がまかり通っていることからも、トレドにあった彼の、人生の異邦人としての孤独、欠落観を私は感じてしまう。





私の邪推はさておき、その観光名所のあり方から、今やトレドはエル・グレコの街と言って過言ではない。エル・グレコの絵のせいか、トレドの街だけが、荒野の中で神に選ばれた光降り注ぐ街のようにさえ思えてくる。神の奇跡でも起こりそうな気になる。グレコ・マジックにかかったようだ。もともとはこの街がエル・グレコを魅了したのに。





歩き疲れて再び街の中心地に戻ってきた。石畳の広場の周りにはホテルやらレストランが並んでいる。マクドナルドもあった。レストランにはご自慢の「トレド名物」がいろいろあるそうだが、お高いので、我々は例によってマクドナルドのお世話になることにした。





タイミングよく空いた外のテーブルについて、広場を眺めながら一休みする。マクドナルドも他のレストランやカフェも、どこも満員御礼だ。細い通りを観光バスがひっきりなしに行き来する。まぁ、よくもこれだけ観光客が押し寄せるもんだ。と、自分たちのことは棚にあげて感心する。





西日を受けたトレドの街を、橋を渡って街の外から眺めたかったが、マドリッドにあまり遅く帰ることは危険なので、それ以上の散策は諦め、7時半のバスで帰ることにした。





焦らずゆっくり休み休み歩いたのだが、強烈な陽射しと石畳の照り返し、方向感覚の撹乱、石の坂道は結構応えた。トレドを出るや、グレコ・マジックが解けてしまったのか、風邪を引いていた夫は力尽きたようにぐったりしてしまった。





帰り道はずっと黙り込んで、機嫌が悪そうだ。彼の場合、体調が悪いだけなのだが、“体調”が悪いというよりは“機嫌”が悪く見える。一緒に歩いている私は、端(はた)からなんだか喧嘩でもしているように見られていそうで、落ち着かないのだった。





マドリッドへ着いても、夫はまだ思いっきり怒っているように歩いていく。地下鉄では、泣き喚(わめ)く幼子に、通りすがりにいきなり「うるさいっ!」と怒鳴りかける始末。





幸い、幼子もその母親も日本語など解さなかったので、「いきなり何か喚いたこの黄色い男はなぁに? 」と、ちょっと驚いて見られただけだった。幼子ももちろん泣き止みはしなかった。





私もびっくりして目を丸くしていたので、みんなで「なぁに、今の?」って感じでお互い少々いぶかしんだだけで、歩を止める者もいなかった。やれやれ……。もぉ~。いきなり叫ぶなよっ! 





どうしたの? と聞くと、「だってうるさいんだもん。いつまでも泣かせておくんだもん。」と苛立たしげに答える。やれやれ。人間体調を崩すと余裕がなくなるものだ。





「しかたないでしょ~。子供は泣くのが仕事なのっ! 八つ当たりしないのっ!」 と言うと、むすっと黙り込んだ。むすっとしながら、内心大人気なかったと反省しているね? 顔が穏やかになってきたぞ。





夜はいつものようにデパートの地下で食料品を買い出しする。鰯の酢漬け、生ハム、魚のパテをたっぷり挟み込んだサンドウィッチ。ちょっと予算オーバーではあったが、先日買い込んであったサングリアも添えて、贅沢な夕食となった。





夫よ。今日一日、お疲れ様。たっぷり栄養を摂ったら風邪薬を飲んで、歯ぁ磨いてとっとと寝てくれっ!






追記①:



これはこの日記を書き直すに当たって、改めて調べなおしてわかったのだが、エル・グレコの墓はトレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティーグ教会にあるということだ。








追記②: ムデハル様式について










イベリア半島では、レコンキスタによってキリスト教徒がイスラム教徒から土地を奪回した時期がある。 しかし、レコンキスタ後も、イスラム教徒たちやユダヤ教徒がその地にとどまり、建築業に従事することが多かったらしい。で、イスラムと西欧の建築様式が融合したという。それが「ムデハル様式」。ムデハル様式の建物はスペインには多く存在するという。私が目にしたサン・トメ教会の塔は、なにもそこまで角ばらなくっても……と思うくらい、角ばった塔であった。美しさよりは堅牢さを重視した感じであった。


               つづく


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おかしい・・・・・

テーマ:

エイチ・エスインベストメントの社長が遺体で発見された件で、すぐに「自殺」とされて、そのまま押し切られている。異論が報道されない。

おかしいんじゃない?と私は思う。

自殺した人間が非常ベルを押すか?

当日家族には自殺するそぶりさえ感じられていないのに、「帰るコール」までして、沖縄のカプセルホテルなんどで自殺する?

遺書もない。

それなのに、なぜ他の侵入者の形跡がないとかですぐ「自殺」?

沖縄行きのエアチケットを彼本人がいきなり購入しているのかどうかも調べたのかな?

色々な不審な点があるのに、なぜもう「自殺」と決めて報道しまくっているのだろう?

おかしいと思うのだが、そのことについて、「せめて他殺という見方でも検証すべきではないか?」というコメントをしたのは、私の知る限り、日曜日のとあるTV番組に出演していた漫画家K氏のみ。

しかも彼の意見に対して同席していた他のコメンテイターたちはスルー。

警察は捜査をストップするようにどこかから命令されているのではないだろうか?

みなさんはどう思いますか? こういう報道のあり方って、おかしくないですか? 

2001年夫婦世界旅行のつづきです。マドリッド5日目。南バスターミナルからバスに乗り込み、いよいよ「新カスティーリャ」こと「カスティーリャ・ラ・マンチャ」地方の街トレドへ。





part191 トレドではどれとどれと?





要約: マドリッドからバスに乗って南へ1時間少々でトレドへ着いた。ぐるりと川に囲まれた小高い丘の街は、迷路のごとき石畳の路地が張り巡らされ、「中世の面影」を残していた。下調べもせず散策を始めたのが祟り、めぼしい観光スポットに次々と肩透かしをくらったものの、路地を歩いているだけで十分幻想的な空気を堪能できたのだった。












時間通りバスは出発した。車道はこれまでのヨーロッパ諸国(オランダ・ベルギー・フランス)と違って、かなり傷んでいた。ところどころに修復の跡もあり、小さな陥没もある。しかしアジアの田舎の車道に比べれば、整備された立派な道路ではある。





一本道の道路の周りは、右も左も果てしない大地が続く。刈り取られた後の畑なのか、草枯れた荒地なのか、判然としない広大な土地が大きく波打って続いているのだ。





しかし、いかにも新興住宅地と見える小綺麗な集合住宅が建ち並んでいる一画もある。時々遠くの方に小高い丘が現われ、そしてまた、緩く波立つ大地が続く。そんな風景を繰り返しながら、マドリッドから南へ南へと一時間少々。やがて、前方に、教会の尖塔が空に突き出た赤茶けた街、トレドが見えてくる。バスごと、その丘に吸い込まれていくようだ。





トレドは丘の上に広がる街、青空に向かって隆起した街である。バスが到着する街の北側は城塞で取り囲まれている。東・西・南の3方はタホ川Tajoという川に取り囲まれており、自然の要塞となっている。





バスの待合所には売店があり、ハム屋がどどんと店を開いていた。大きな豚の腿足が丸ごと生ハムとなって店の軒先にずらりとぶら下げられている。飴色に輝きつやつやしている。一本一本それぞれにナンバーが刻されており、品質管理がきっちりなされて売られているって感じだ。





バスターミナルを出て、意外と“普通に現代風”の家並みが見受けられる坂道を上り詰める。と、城門の一つ、ビサグラ新門Puerta Nueva de Bisagra が現われる。その門を潜るとトレドの街だ。





門の手前にあるインフォメーションセンターで地図など手に入れ、いよいよ門を潜る。





まず街の一番外側の通りを上っていくと、すぐ下をタホ川が流れているのが見える。意外と流れが速い。不規則にところどころ激しく波立っている。川底が複雑に隆起していそうだ。この流れがトレドの街を守ってきたのだろう。





急勾配の坂道で先が見えないトレドの街を背にして、眺め遣れば、川を挟んで遠く丘の麓にこれまた赤茶けた街並みが広がって見える。その遠方にはさらに小高い丘が横たわり、砂色の大地には点々と砂にけぶったような樹々が並んでいる。ほんの少しなのだが、鮮やかな緑にさわさわと覆われた地帯もある。きっと何かの畑だろう。





残りのスペースは全て砂色の大地と真っ青な空だ。目も眩むような青い空に浮かぶ雲のなんと白いことか。赤茶けた街。砂色の大地。青い空。白い雲。これがスペインの色彩か。





地図に拠れば、門を入ってしばらく行くと、レコンキスタ(キリスト教徒の再征服)の寺院、クリスト・デ・ラ・ルス寺院Mezquita del Cristo de la Luz が「現存」しているとのこと。





「レコンキスタ」だって! 「現存」しているだって? すごーい。ここに寄ろうよ! と私は俄かに興奮する。





夫は「レコンキスタ? 何、それ?」と、きょとんとしている。「レコンキスタ」を知らないのか? この人は時々とてつもなく無知である……と呆れたが、夫は学生時代日本史しか勉強していないので、世界史に甚だ疎いのは仕方ないことなのであった。





私だって世界史を選択していなければ、「レコンキスタ」なんて、お祭りの名前か何かかと思ってしまうかもしれない。





世界史の教科書を読んだ私だって、かろうじて「レコンキスタ」という言葉を知ってはいたが、結局その表面的な意味しか知らないのだ。





レコンキスタの寺院とはいったい何なのだろう。レコンキスタを推進した拠点となった寺院なのか。イスラム教徒を征服した記念に建てられたのか。レコンキスタ運動のために命を落とした人々が多く眠る寺院なのか。





そもそも「レコンキスタ」と一言で言っても、キリスト教徒がイスラム教徒から土地を取り戻そう(?)と言う名目の元に、このトレドでいかなることをしたのだろうか? 要はキリスト教徒によるイスラム教徒征伐ではないのか? 侵略戦争の敗者復活戦ではないのか? 





落ち着いて考えれば、私は何も知らないのだった。ただ単語を知っているというだけだ。活字でしか知らなかったものが現存しているということにただ興奮しただけだったのだ。





しかし、単語しか知らない「レコンキスタ」ではあるが、いや、それだからこそ、やはりこれは行かねばなるまい。





トレドは街全体が急な丘の上に広がっているので、どの道も狭く急勾配の坂道で、くねくねと曲がりくねっており、1歩路地に入るとまるで迷路だ。小石を敷き固めた道、大きな石畳みの道、小ぶりの石畳みの道。石を積み重ねた壁。石を塗り固めた壁。とにかく街中、石で出来ている。石の谷間を歩いているようなものだ。





インフォメーションでもらった地図と持参のガイドブックの地図を交互に見つつ、路地をさまよう。





表示は所々にあるのだが、肝腎な分岐点には見当たらない。高い石壁が視界を閉ざす。狭い路地の中では、目印になるようなものさえ目に届かず、見上げれば青い空。歩くほどに方向感覚が失われていく。





目指す所はなかなか見つからない。坂を降りてきた現地の人らしき女性に道を尋ねると、実に親切に教えてくれた。毎日どっとやってくる観光客にうんざりしているだろうに、トレドの人は親切だ。マドリッドの郊外なのに、田舎臭い所もない。





さて、我々の目指す寺院はというと、実は目の前にあった。工事中の青い幕で覆われていたので、まさかそこだとは思わず、その周りをぐるぐる探していたのだ。大体、表示もないし……。 (スペイン語でわからなかったのかも。)





「え? これがそうですか? この青い幕の中が……! で、工事中ってことは、入って見学することはできないのですか?! 」 





工事中の埃にまみれた青いビニールシートを指差す私の腕は、びっくりして硬直した。工事中であることを指弾せんとばかりの勢いで固まっていた。





その女性は気の毒そうに、「無理ですね。」とおっしゃる。「そりゃないぜ、セニョリ~タ! 」だ。昔流行った言い回しを心の中で叫びつつ、とにかくお礼を言うと、その女性はまたも優しげな笑みを投げかけて、「よい一日を」とスマートに去っていった。グラシアス、セニョリータ……。





がっかりして、次の目的地を目指す。東へ進むと、次に現れてくるのはサンタ・クルス美術館Museo de Santa Cruzのはずだ。サンタ・クルス美術館はエル・グレコの作品が多く保管されているらしい。





美術館はすんなりと見つかった。しかし、なんとここも工事中! 閉館していた。





時刻はちょうど2時を過ぎたところである。他の観光スポットは2時から4時まで昼休みで閉まってしまうので、閉館時間など関係なさそうな「要塞アルカサルAlcàzar」へとりあえず行ってみることにした。





要塞アルカサルは「13世紀から15世紀にかけて建てられた要塞」で、「スペイン内戦の際はフランコ将軍が立てこもった」という要塞だ。トレドの丘の中で一番高い所にあるという。街を一望できそうだ。しばし中世の町並みを上から眺めるとしよう。





暢気にぷらぷら歩いていく。さすが「一番高いところにある」というだけあって、道はなかなかの坂道だ。坂道を登った分だけ見応えがありそうだ。





しかし! 着いてみると、入り口のような所があって、そこにいる管理人らしい男が、「もう終わりだよ。もう入れないよ。」と、言うではないか。 





アルカサル要塞にも入退時間が決まっていて、2時半で閉めるのだという。時間はまさに2時半になろうとしているところだった。ああっ、なんてこった! そりゃないぜ、セニョ~ル、だ。





「じゃ、4時くらいにはまた開きますか? 」と聞くと、「もう終わりだよ。」と言うではないか。英語がうまく通じなかったのかな? とガイドブックを今一度見ると、本当に「9:30~14:30」としか書いていない。





なぜ要塞なんぞに入退時間があるの? しかも、なぜ真昼間の2時半なんぞに閉まるの? 街で一番高い見晴らしのよい場所であれば、日が暮れるまで開放すべきじゃないか? そーじゃないか? え、セニョール?





要塞なんて管理してどーするの? 管理していないと要塞の一部を誰かが破壊して持ち出してしまうとでも言うのか? え、どーなのよっ、セニョール? 2時半に終わるお仕事なんて、楽でいいね。え、セニョール?





 ……などとセニョールに食って掛かったりは決してしない温厚ジャパニーズの二人だった。未練がましくちろちろ覗き、肩を落として立ち去るのみ。





それにしても……行くところ行くところ、工事中だったり閉まっていたりで、まだ何もこれぞというものを見ていない。





今日は金曜日だから曜日による制約は受けることはないだろう。昼休みはあるだろうが、全部が全部昼休みで閉まるわけでもあるまいと、高を括っていた。こりゃ、ちゃんとそれぞれの営業時間(?)を確認しなくては。





改めてガイドブックの細かい文字を、目を細めたり、腕を突っ張ってみたりして、がんばって読み込む。





「カテドラルCathedral ――無休。夏期は10:30~13:00。15:30~19:00」とある。よし。カテドラルは街の中心にある。ここなら今からゆるゆる歩いていけば、午後の開場の時間頃に着くだろう。夜7時までいられるのだから、時間を気にせずたっぷり堪能できるだろう。よし、カテドラルへレッツゴーだ。





しかし……! ここでも我々は入場することが出来なかった。





カテドラルは時間通りに開いていた。しかし、夫に「待った!」がかかったのだ。服装がいけなかった。夫はタンクトップに半ズボンという出で立ち。どうやらタンクトップがいけないらしい。





アジアの寺院でもそうだった。タンクトップの夫は長袖のシャツをレンタルして着なければ中に入ることは許されないことが多かった。余計な出費を避けるため、寺院を訪れるときは服装に注意するようにしていた。





しかし、ヨーロッパに入ってからは、アジアに馴染んだ体に7月のヨーロッパは寒くて寒くて、外出するときは必ず長袖の上着を着込んでいた。そのため服装で引っかかることなどなかったのだ。おかげで寺院に入る際の服装など、すっかり気にしなくなっていた。……うっかりしていたぁ。





カテドラルではシャツの貸し出しなどはしておらず、羽織るものさえ持ち合わせていなかった我々はどうしたって入れてはもらえないのだった。





それにしても、腕が露出していることがなぜ入場を許されないほど「失礼」に当たるのか。こちとら、とんと理解できない。男性のむくつけき脛毛をさらした半ズボン姿の方がよほど見苦しくて「失礼」に当たる気がするが?





半そでTシャツを着た大柄な白人男性の方が、肌の表面積から言ったら露出度は大きいぞ。小柄でやせ細った夫の肩をさらしたからといって、どんな礼を失するというのだろうか? キリストなんてほとんどヌードじゃないか?





夫のむき出しの腕や肩を見たら、誰かがよからぬ色情を催すとでもいうのだろうか? 出汁を取り切った鶏がらのような腕だぞ? 今まさに入滅せんとする生き仏のように骨ばった肩だぞ? 





「お約束」としてはわかっちゃいるが、実際問題全然納得が行かない。 が、とにかく向こうが「失礼」だというものは、引き下がるしかない。





カテドラルなんて見られなくたって、まぁええわい。ほな、さいなら。と回れ右したわけだが、ガイドブックの細かい字を見ると、「54枚のクルミ材に、グラナダ奪回戦の様子が細かくみごとに彫られている。」と説明されているではないか!





ああ、このカテドラルの中の彫り物を見れば、レコンキスタの様子が少しはわかっただろうのに……。宗教の壁は高かった。





まぁ、しょうがない。縁がなかったのだと思おう。





つづく


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