2001年夫婦世界旅行のつづきです。フランスの北西部レンヌからバスに乗って、サン・マロ湾に浮かぶ岩山モン・サン・ミッシェルの僧院の入り口にようやく辿り着きました。







part182モン・サン・ミッシェル





要約: とうとう憧れのモン・サン・ミッシェルの僧院に足を踏み入れる。他の寺院とは全然異質な僧院で、なによりも岩山と溶け合うようなその容貌は忘れることが出来ない。中身はただの観光名所のようではあったが。












いよいよ僧院の中へ。ところどころ木も使われているものの、天井も壁も床も石、石、石。それも極力装飾を廃したのっぺりとした石に囲まれた薄暗い僧院をひたひたと進む。





僧院の中はまるで迷路のようだ。部屋から部屋、部屋から廊下、至る所階段で繋がれており、そのたびに上がったり下がったりしなくてはならず、一体自分が今どこにいるのか、とんと分からなくなる。





しかし、壁の石の間に窓のようにあいた細い隙間から、時々見える外の風景はどんどん小さくなって行く? 徐々に僧院の上層部へと移動しているらしい? (追記: 実際は3層になっている僧院の最上部から下へと降りていたらしい。)





見学の順路が数字で示されており、お行儀よく周っていれば、別に迷うこともないのだが、この順路以外の場所が心そそるものだった。





順路の途中、壁の脇にいきなり地下に下りる暗い階段がひっそりと続いていたりするのだ。その階段は数段下ると小さな踊り場になっていて、さらに奥へ曲がって階段があるらしい。どうして隠れるように階段が? ……気になる! 





あるいは、やはり順路には入っていない、上に上がる特別狭い階段があったりする。う~ん。この階段は他の階段と何か違う。なぜだ? ……気になる!





どっちもその先に何かが潜んでいるって感じ。雰囲気満点だ。秘密の匂いぷんぷんだ。しかし、そういった階段は「順路」には組み込まれていない。





一番高い塔も進入禁止のようだった。どこもかしこも石作りの冷え冷えした薄暗い僧院の中には、秘密めいた階段がそこかしこ、上に下に続いていたのだが、そうした階段はどれも進入禁止になっているのだった。





10世紀から16世紀にかけて、延々と休みなく増築され続けて建ち上がったという僧院は、フランス革命の1789年から19世紀後半頃まで刑務所だったという。イギリスとの「100年戦争」にも不屈を誇った要塞でもあるという。





色々な性質を帯びた僧院なのだ。封印された(?)階段の先を見なければ、この僧院の実相はわからないではないか。





う~ん。一体この先どうなっているの? と気になってしょうがない。ええい、ちょいと見てやろうかと行きかけると、数段先に古びた太い鉄の鎖が張られていたりする。う~ん、やはり何かあるに違いない! と確信してしまう。





だって、そうした階段は見ているだけで実に“味がある”。独特な雰囲気があるのだ。そういう階段に限って“「順路」外” にされているから余計気になる! あ~、覗いてみたい! しかし、ここで下手に禁を犯したら日本人の評判を落としかねない。うずうずする“おばさん心”をぐっと抑えて、未練たらしくしばらく“魅惑の階段”の周りをうろうろしては、「順路」をぐずぐずと進むのであった。





僧院の中には教会(大修道院付属教会 L’eglise abbatiale)もあった。信者用の木製の長椅子は座り込まれて、角がすっかり丸みを帯び、触ると木のぬくもりを感じる。前方の台座の前は広間になっており、白衣を身にまとったシスター達がお祈りの準備をしていた。お昼のミサが始まるようだった。これほど山のような観光客が押し寄せる中、黙々と作業を進めて行く。





さほど大きくないその教会は、四方を「地下礼拝堂」によって支えられているという。ここは岩塊の最頂点に位置し、岩塊を取り巻くように作られているという。ほほぉ。





一番奥は平面の壁ではなく弧を描いており、その弧に沿って、縦に細長いアーチ型のガラス(ひょっとしたら、色の少ないステンドグラスなのか? ちょっと模様が入った感じ)が吹き抜けの高い天井までいくつもはめ込まれている。石のアーチの部分が多いが、高さにして20mは優にあろうと思われる嵌め込みガラスは夏の日差しの眩しさだけを染み透らせ、教会は薄暗い僧院の中でひときわ明るかった。





そして、その両側の石壁や石柱が教会の一角を守るかのように張り巡らされ広がり、教会の手前から眺めると、教会はまるで鍾乳洞をかたどっているようにも見える。ほほぉ。こんな岩山の上によくもこんなものを造ったものだと感嘆してしまう。が、私には大して美しくも思えなかった。





他の観光客たちの多くは木椅子にじっと座っていた。みんな光の降り注ぐステンドグラスをほとんど放心したように振り仰いでいる。





八百万(やおよろず)の神と仏の国に育った私には分からない何かを、彼らは感じているのかもしれない? と思わずにはいられない放心の顔。(ただ単に岩山への細い坂道を登ってきた疲労ゆえか、本当のところはわからないが。)





(追記: 後でパンフレットやガイドブックをよくよく見たら、私が「大修道院付属教会」と思っていた教会は、もしかしたらそれよりも北側にある「ゴシック風の修道院」だったかもしれない? と分からなくなってきた。だとしたら、それは13世紀に建てられた「西洋の脅威」とか「傑作」と呼ばれる「ラ・メルベイユ La Merveille」という建物の一角だったはずだ。どおりでみんなうっとりと見入っていたわけだ。もっと真剣に味わってくればよかったよ。)





なかなか広いテラスに出ると、海が一望できた。夏の日差しの中で、サン・マロ湾の波は遠く引いて静かに凪いでいた。海から現れた地面なのか、海の底に見え隠れする地面なのか、海の青さと茶色い砂色が溶け合うように岩島の周りに広がっている。





岩山の上から見渡すと、臍の緒のような一本道に繋がる入り口以外は城壁(?)に覆われ、城壁のないところは断崖絶壁で、島は海にすっかり囲まれていることが分かる。一本道を辿ればフランスの陸地であり、海の向こうはイギリスだ。海の向こうにイギリスが見えるかと目を凝らしたが、霞んだように空や海の青がにじんで見えやしない。ぼんやりとした海が広がっているだけであった。





(追記:これも後で分かったことだが、このテラスで海ばかり見渡していた我々は、そこからばっちり見えるはずの「聖ミカエル像」を見そびれてしまった。そもそもモン・サン・ミッシェルは、708年「聖ミカエル」に捧げられた山で、「西欧における最も古い大天使礼拝所」のひとつらしい。その冠たる聖像を見忘れてどうする。でも、そんな像にはあまり興味がなかったのだからしかたがないね。今度機会があったら見てこよう。)





再び院内に戻り順路を進む。





Sall de Hôtes(来客の間)という広い部屋があった。「大切な来客のために使った」というが、がらんとだだっ広い感じで、部屋としての美しさを感じない。他の観光客もろくに見学もせずすぐに出て行ってしまう。





なんだかなぁ~とぷらぷらしていると、部屋の奥の隅の方で妙なアジア人が3人固まって人目を憚るようにごそごそと着替えをしているではないか。あやしい。あからさまにあやしい。がらんとした床に荷物をそのまま置いて、手早く着替えている。なんでこんな所で? 





何だろう? と近寄ってみる。深い紅色の長い布を体に引っ掛けるように巻きつけ、くるぶし辺りまで隠れるようにすっかり身に纏っているが、肩は丸出しになっている。その上に、山吹色の布で左肩だけ覆って、右腰辺りまで斜めに下ろし、残りをそのまま腰に巻きつける。おお。山吹色の袈裟だ。何僧だ? ラマ僧か? 3人のうち、1人だけ鮮やかな真紅の袈裟をかけた。一番ご高齢で一番偉そうだ。





お坊様たちであったか。しかし、彼らの手にはその端に鮮やかなまっ黄色の羽が飾られた山吹色の扇が握られている。これまた妙な。中心角の辺りが切り抜かれている。切り分けられたバームクーヘンのような形のような扇である。バブルの時代、ディスコのお立ち台で若い女性が競って手にしていた派手派手の扇子によく似ている。お坊様がお立ち台ダンス……なんてことはありえないが、とにかくますます妙だ。





ものの3分ほどで身支度を整えた彼らは、もそもそと部屋のもう一方の窓辺へ移動した。何をするのだろう? と見ていると、いつからいたのかTVクルーがカメラを構えて待ち構えていた。カメラがずっと彼らの姿を追う。





担当者らしき人と二言三言言葉を交わすと、3人のラマ僧(?)は「長老」を真ん中に挟んでカメラの前に並んで立った。おおっ。さきほど手にしていた“お立ち台扇子”がいつの間にかみんなの頭にちょこんと乗せられているではないか。帽子(?)だったのか! 切り取られたと見えた中心角の部分がきれいに頭にフィットしている。





しかし……黄色い羽が弧を描いて、まるで黄色いモヒカン刈りみたいだ。妙な格好だ。しかしご本人たちは大真面目。粛々とした面持ちだ。





TVカメラと大きなマイクが彼らに向けられる。するといきなり、重低音のハーモニーが聞こえ出した。彼らがお経を唱えて始めたのだった。「唱えている」と言うよりも、「歌っている」といった感じだ。





そう。それはまるで低く鳴り響く鐘の音のようであった。人間が歌っているとも思えなかった。人間の喉でどうやってあのような重厚な低音を鳴り響かせられるのか? 実に不思議で感動的な歌声であった。ゆったりとしたバイブレーションを持った歌声である。聞いていると、感動的なのに、心静まるような心地よい音の響き。天井の高いがらんとした室内の空気を震わせる重低音の波を全身で浴びる。体の芯まで波動に共鳴する感じ。





ものの3分ほどでお経は終わってしまった。思わず拍手したかったが、お経に拍手も憚られた。見物していた他の観光客は無反応なまま三々五々静かに立ち去って行ってしまった。





しかし、なぜにモン・サン・ミッシェルでラマ僧なのだ? お経なのだ?





次はインタビューが始まるようだったので、我々もその広間を後にした。





どの部屋も「広間」と呼ぶべきもので何十人も収容できるほど広いのだが、どこかつっけんどんな感じがする。





どこも壁は、島の岩と同じく茶がかった白っぽい岩をレンガのように四角く切ったものが積み重ねられて出来ている。





この僧院の土台は一体どうやって築いてあるのか、みごとに切り立ったデコボコの岩山の上に、まるで岩の中から生え出たように、僧院はそびえているのであった。僧院は岩山と同化して見える。鬱鬱たる威厳を漂わせ、訪れるのは海鳥ばかり、といった孤高の僧院。(観光客を除けば、だが。)





しかし、中世の頃から、「モン・サン・ミッシェル詣で」は盛んに行われていたようだ。そして信仰が随分と薄れた今でさえ、正月の明治神宮さながらの賑わいである。そもそもモン・サン・ミッシェルという島は、「708年、大天使ミッシェルに捧げられた島」であるというから、よくわからない。なぜ、天使に地上の土地を捧げるのか?





とにかく、「中世には不思議なことが色々起こった」らしい。となれば人々の信仰心は嫌が上にも盛り上がったことだろう。そこに、このモン・サン・ミッシェル僧院の大建設事業が持ち上がれば、人々はどれほど熱狂して僧院建設に力を注いだことだろう。





この僧院は「僧侶達によって建てられた」とあるが、奴隷でもない人間があれほどの大建築を手作業でやってのけられるものだろうか。私は甚だ疑問である。





モン・サン・ミッシェルの僧院は今まで見て来たカテドラルや教会とは全く異質のものだ。険しい飢餓感を感じる。何者とも同しない、孤高の眼差しを守り続けた孤独な冷え冷えした空気を感じる。迷い込んだものを追い詰める用意周到な罠を感じる。……といったら、言い過ぎだろうか。一言で言えば、とにかく印象的な僧院であった。





迷路のごとき岩の牙城。全体的に質素な岩の城は、生活臭もない。もはや観光客の波に洗われるただの箱物と化しているようだった。しかし、海風を受けて岩にそそり立つ岩の僧院の中に広がる空気には、やはり静かな感動を覚える。それは潮の満ち引きのようにじわりと私の全身をひたす、敬虔なまでの感動であった。





さて、僧院を出て、人でごった返した細い坂道を、今度は散策しながら降りてきた。





そろそろ何か食べようではないかと店を見繕う。が、カフェやレストランはどこも高いので、結局パティスリーでパンを買うことにした。





夫はチーズが乗ったトーストを、私はガレットを買った。私のガレットは10フランのはずなのに、店員は12フランだと言い、夫のトーストは20フランのはずなのに、25フランだと言う。ショーウィンドーを指差して、値段を指し示しても、「それは違う」の一点張り。結局人でごった返してもいたので、向こうの言うがままに払ってしまった。





本当にどの店も納得の行かない値段を請求してくる。フランスは詐欺の塊である。 (値札は、それが置かれている棚の真下の棚の品物の値段を示していたのか……? それがフランス流か? と今は思うが。)





お次はモン・サン・ミッシェルの門を出て、島の周りを少し歩いてみる。潮が引いて乾いた所を選んで進む。黒っぽい灰を混ぜた粘土のような土は、乾くと黒いコンクリートのようにも見えるが、えぐられたように曲線を描いきながら海との境界の所はもろい崖のようになっており、足でちょっと蹴ると土は崩れ、下の海にモロモロと落ちて行く。





なるべく岩山から離れないように歩く。島の裏側あたりは、まだかなりぬかるんでいた。潮は一通り引いているので、歩こうと思えば歩けるようだった。





干潟の奥まで裸足になって進み、足を泥だらけにしながら笑って帰ってくる元気な観光客も多い。あとで洗濯の苦労を考えると敢えて泥にまみれる気にもなれず、我々はその手前で引き返した。その時、海寄りの泥の所に人だかりを発見。警官まで繰り出している。





何事かと見ると、なんと、子アザラシが一匹。 親とはぐれたのであろうか。つぶらな瞳をうるうるさせて、かなり乾き始めた土の上に横になっている。





そのままコロコロと50cmも横に転がせば、海の中に落ちて親の所に帰れるだろうに、子アザラシはじっとしている。観光客をあしらうように何か告げて、警官もそのまま去って行った。集まっていた人々は子アザラシを写真に撮ったり触ってみたりして、ひとしきりかまうと去って行く。





やがて潮が満ちれば子アザラシのいる辺りも海に沈み、子アザラシは海に帰れるのだろう。アイルランドの方はアザラシが多いと聞くから、子アザラシはそちらから流されてきたのかもしれない。モン・サン・ミッシェルの真北はイングランドとアイルランドだ。アザラシが静かに海面に顔を出すアイルランドの海が見たくなった。今回の旅ではイングランドとアイルランドに寄れなかったのは残念である。





モン・サン・ミッシェルを取り巻く海は、霧のように静かで、ノルマンディ地方というものを垣間見た気がする。レンヌは「ブルターニュ地方」の都市だと言う。で、ブルターニュ地方の人は、モン・サン・ミッシェルを「ブルターニュだ」と言い、ノルマンディ地方の人は「いやいや、ノルマンディだ」と言うのだそうだ。ノルマンディもブルターニュも私にはどちらも似たようなものなのだが。


つづく


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問題のすり替えに言い負かされるなよっ!

先日テレビのとある番組で

構造偽造の件に関して

チェック機関を民間に委託することを当時反対していたという共産党の議員が、

「民間に託したら、競争が熾烈になって、手抜きなどが起こりかねない!」と指摘したが、

彼の当時の発言に対して、結局「自由競争は歓迎すべきだ」ということで、彼の意見はスルーされたということを言っていた。

自分の言葉が不幸にも的中してしまった……とわざとらしく顔をしかめて、自慢げに話していた。

が! 

「競争が激化して、手抜きが起こりかねない」ことと、「自由競争」を肯定することとは別問題だ。問題をすり替えた答弁を受けて、何をおめおめ済ましていたの? と私は思う。言い負かされるなよ! 

日本人のやり取りを見ていると、「問題のすり替え答弁」が多過ぎる。突っ込むべきところできっちり突っ込まずスルーさせて(わざとか?)逃げ道を作ってやっている答弁が多過ぎる。

で、問題をすり替えられた人はちゃんと自分の意見へ軌道修正させることができないまま、相手の卑劣な答弁に流されていく、というシーンがとても多い。そして、問題のすり替えがうまい奴ほど権力を握っていく。

「私の指摘が不幸にも的中してしまったわけです」などとほくそえんでいないで、当然「手抜き」等が起こりうると思われる状態をなぜそのままにしたのだ? なぜ、万が一手抜きが起こった時の処罰等を決めるように働きかけなかったのか?

そして、おまぬけなその共産党員の発言に対して問題のすり替え発言をした自民党の議員に、マスコミはどうして「手抜き」に対する懸念を握りつぶしたのか、問い質しにいくべきではないのか? 

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。フランスの北西部の都市、レンヌ2日目。念願のモン・サン・ミッシェルまで出かけました!





part181 いつの間に? モン・サン・ミッシェル①





要約: モン・サン・ミッシェル目指し、レンヌからバスに乗り込む。緊張していたはずなのに、ドキドキしていたはずなのに、うたた寝している間に着いてしまった。モン・サン・ミッシェルが目の前に現れる感動の瞬間を見逃してしまった。さて、いざ僧院へ! とは思うのだが、島は観光客でごった返し、なかなか僧院へ辿り着けないのであった。

















空は快晴。いよいよ念願のモン・サン・ミシェルを訪れる。





レンヌの国鉄北駅のすぐ隣にあるバスターミナル、「ルチエール駅」でモン・サン・ミッシェル行きのバスを待つ。荷を搬出し切った倉庫のようながらんとしたバスターミナルだ。ここは品川埠頭か? 東京入国管理局裏手の倉庫か? ってな感じだ。





バスを待っていそうな人もいない。 ……ここでいいんだよね? オフィスの人がここだ! と言ったからには、どうしたってここでいいんだよね?  しかしフランス人は適当なとこを平気で言うからなぁ……。コンクリートで一面固められたバスターミナルを落ち着かない気持ちで眺めていると、ぽつりぽつりと観光客らしき人々が現れ出した。





みんな、「ここでいいの? 」ってな顔をまずする。で、声をかけてみた。「モン・サン・ミッシェル?」 





すると、ぱっと笑顔になって「ウィ、ウィ~、モン・サン・ミッシェ~ル」ってことで、お互い頷き合う。「モン・サン・ミッシェル」という単語を出すだけで、もうお互いモン・サン・ミッシェル行きのバスはここでいいんだね? と確認できちゃうのであった。





やがてモン・サン・ミッシェル行きのバスも入ってきて、ほっと胸を撫で下ろす。ピークシーズンにもかかわらず乗車客はさほどでもなく、バスは空席さえ2、3残っている。これなら乗車直前にしかチケットを発行しないのも納得だ。





さて、バスに乗り込み、いよいよモン・サン・ミッシェルを目指す。モン・サン・ミッシェルが“いの一番”に見えるように一番前の席を陣取る。さぁ、出発だ。あ~~、楽しみっ!





モン・サン・ミッシェルは、イギリス海峡(ラ・マンシュ)を挟んで北はイギリスという寒々しい海を臨むフランスの北西部に位置する。周囲の海はサンマロ湾(Golf de St. Malo)と呼ばれる湾になっており、少々南に入り込んだ入り江に浮かぶ島なのであった。





ひと月に2度大潮(les grandes marées)がある時代には、満潮時の姿たるや素晴らしいものだったらしい。ここの干満の差はヨーロッパで最大だという。引き潮の時は岩山の足元まで晒されて、陸へ続く道が一本現れ、島は束の間陸続きになる。しかし満潮時ともなると道は波に消え、島は海に浮かぶ孤島と化す。岩山に聳え立つ僧院がまるで空を呪うがごとく、鋭い切っ先を突き上げるように海の中に佇んで見えた……であろう。あ~~~、なんという風景!





1870年以来、陸に続く「沈まない堤防(une digue insubmersible)」が築かれ、島は海の孤島となることはなくなったらしい。しかし、1キロほどの周囲をひたひたと打ち寄せる波に浸される島の姿は、やはり“見もの”だろう。あ~~~、楽しみっ!





我々が着く時には潮は引いているのだろうか。満ちているのだろうか。いやいや、引いていたら満ちるまで待てばよいのだ。今日は一日たっぷりモン・サン・ミッシェルに付き合うのだから。





モン・サン・ミッシェルまではルチエール駅から1時間20分ほどだという。バスに揺られていると、それは突然現われるという。いよいよモン・サン・ミッシェルという辺りで、陸と島を繋ぐ一本道の向こうに、海に浮かぶ岩山の牙城モン・サン・ミッシェルが鬱然と聳えている姿が突然目に飛び込んでくる? あ~~~っ、楽しみっ!





バスが走り出してしばらくすると、「陽だまり色」とでも言いたくなるような古ぼけた石壁の家々や一面のトウモロコシ畑が広がる。レンヌ駅前の近代的風景とは全く違う、どちらかと言えば中世を感じさせるような風景を眺めていると、静かに走るバスが中世への「時のトンネル」を実はくぐっているような錯覚にさえ陥る。バスの中はじんわり暑い。なんだか、頭がぼんやりしてくる。





トウモロコシ畑が続く。こんなにトウモロコシを作っているのに、パリでもレンヌでも我々の口には入ってきていないなぁ。どこにも「焼きトウモロコシ」なんて売っていなかった。(夏だからか?) 





ヴェトナムのニャチャンでは、街灯の数よりも多いトウモロコシ売りが、道端にしゃがみ込んで所狭しと小さなトウモロコシを売っていたなぁ。みんな食べていたなぁ……トウモロコシ、トウモロコシ、トウモロコシ……。





夫に揺り起こされた。はっ! 私ってば、寝ていたのか? いつの間に……。恐るべし、トウモロコシ催眠術(?)。





「もう着くよ。」 何ですとぉ? 寝ぼけ眼(まなこ)をひん剥いてガバと前方を見やる。前方には巨大な岩の固まりのような城! モン・サン・ミッシェルだぁ。もう見えちゃってる! 緩く蛇行したアスファルトの一本道の前方に、行く手を阻むように立ちはだかっている。まさにモン・サン・ミッシェルだぁぁっ! あちゃーっ。あの姿が現れる瞬間を見逃したっ!





「なんでもっと早く起こしてくれなかったの?」と夫に詰め寄る。「だって、あなた気持ちよさそうに寝ていたから~。」とにやにやしやがる。こいつぅ……。実はおのれも居眠りしていたんじゃないのか?





島の手前の道路の左右はコンクリートや石で固められた駐車場になっているのだが、その駐車場以外は全て潟のようだ。丁度海の水が引いて一面ぬかるんだ大地が広がっていた。残念ながら目の前にあるモン・サン・ミッシェルは「海に浮かぶ孤島」、「海面から突き出た岩山」の姿ではなかった。到着した午前11時頃は引き潮に当たっているらしく、潮はどんどん引いていく。





巨大駐車場にはぞくぞくと大型バスが到着する。自家用車でやってくる人も多い。バスからは観光客が次々に吐き出されてくる。そしてその群れはそのままぞろぞろと島へ吸い込まれていく。





我々のバスも干潟地帯にある駐車場で止まった。帰りのバスがどこにやってくるのかを確認して、いよいよ島の入り口の大きな石の門を潜る。入り口付近はちょっとした広場になっていて、人でごった返していた。とりあえず入り口の脇にある小さな「観光局」で島の地図をもらい、島の全体像を頭に入れる。





「広場」を過ぎると、石畳みの細い坂道が一本、岩山の奥へ奥へと続いている。大人が3人並んだらもう一杯になるくらい(?)狭い道だ。そしてかなりな急勾配だ。人ごみを掻き分けるように、とりあえず山頂の僧院目指して石畳みの坂道を上り始めた。





しかし、観光客で埋め尽くされた細い道は、なかなか思うように進めず、「牛歩」するしかなかった。暮れの「アメ横」ほどの混雑ぶり。細い通りには小洒落たホテルやカフェ、レストラン、パティスリー、美術館に博物館、土産物屋などが軒を連ねている。






そうした店に気を取られて立ち止まる観光客がいると、“坂道の行列”はたちまち滞る。先を急いで追い越しをかける人と、店に見とれて立ち止まっている人と、坂道を下ってくる人とで大渋滞になるのだ。





我々は通りには目もくれず、前方の人の頭の後ろを眺めながらひたすら山道を上り詰めた。しかし、僧院入り口もこれまた大行列だった。スペイン系、韓国系、中国系の人々は平気で横入りしてくる。そうはさせじ! 列を無視してフラフラうろうろギャーギャーうるさい彼らに隙は見せまいぞ。これまで何度も横入りされている我々は、前列の人にぴったりと張り付いてじりじりと列を詰めるのだった。





いつの時代の風景なのか、取り付く島もないような岩山が海に浮かび、その岩山の上にどんと僧院が建ち、岩山の麓の方に多少「町」が出来始めているような絵が刷られた小さな厚紙の入場券を受け取り、ようやく僧院に入る。






(1人42フラン=720円なり。安いもんだ。)(追記: ちなみにこの券には6.4ユーロと印されていた。この時はまだユーロも安かったんだなぁ。この時期に既にユーロで払っている人なんて目にしなかったけれど。


つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。フランスの北西部の都市レンヌに到着して、ホテル探しに全く時間をとられなかったので、今日一日たっぷり時間があります。





part180 ほ~ら、あった。マドリッド行きバス!





要約: 早速次なる目的地マドリッドへの移動方法について調べた。バスが得か電車が得か? 国鉄レンヌ駅とユーロラインズバスオフィスを行ったり来たり。選択する前に情報を集めるのは楽しくもあるが、ちょっと大変。明日行くつもりのモン・サン・ミッシェルへの行き方も調べた。本当にそれでいいの? って感じだ。















コーヒーを飲み終わっても、まだ3時である。余裕である。そこで、通りで偶然見つけたユーロラインズのオフィスに寄ってみることにした。





ユーロラインズのバスで、フランスから一気にスペインに抜けられるはずだ。「マドリッド行きのバス」を調べてみた。と、係りの人は「そんなものは存在しない!」としゃらっと言う。





パリで調べた時は、「パリ発、レンヌ経由のマドリッド行きバス」があった。確かにあった。それなのに、レンヌに来てみると「ない」? ……どういうことなのだろうか。





「パリのオフィスでは、『レンヌからマドリッド行きに乗れる』と聞いてきたんだけど?」 と言ってみても、きっぱりと「い~え。そんなものはない。」と断言される。係員は、マドリッドに行くにはレンヌを経由しない「パリ発」と「トゥール発」しかないのだ! と言い張る。





腑に落ちないが、自信満々に「Non!」と言い切られると、それ以上何も言えない。何よりも現地の情報が「現実」なのだから。とにかくパンフレットだけもらって一旦オフィスを退散した。





で、歩きながら今一度パンフレットを隅々まで読み込むと、やはり「レンヌ発マドリッド行き」のバスについて記載があるではないか。存在してるじゃん? パンフレットには「ある」と書いてあるのに、オフィスの人は「ない」と言う。この矛盾は一体何だ? フランスよ。レンヌよ?





すぐにオフィスに取って返し、パンフレットを見せ、今一度聞いてみた。「見て見て見て。このページ。ここに、レンヌ発マドリッド行きのバスがあるのだけど? 存在しているのだけど? ん~?」





すると、さっきの係員、我々が示したページをしばしじっと見つめてから、おもむろにどこやらに電話をかけ、何やらボジョボジョ問い合わせている。受話器を置いてくるりと我々を振り向くと、顔色ひとつ変えず今度は「ある!」ときたもんだ。こいつぅ……。まぁ、「ある」ことを受け入れてくれて、よかった、よかった。





レンヌからマドリッドまでのバスは一人475フラン(約8,200円)。我々にとって眩暈(めまい)のする金額である。思わず二の足を踏む。





で、国鉄で移動する手も探ろうと、国鉄駅まで調べに行ってみた。が、列車はもっともっと厳しかった。





レンヌで3~4泊すると見込んで、日曜か月曜には出発したい。しかしどちらも「満席」でチケットが取れないのだ。寝台列車なら空席があると言われたが、それだと1,100フラン(19,000円)もする。寝台ならさぞ楽ではあろうが、いかんせん高過ぎる。





やはり、なんだかんだ言ってもユーロラインズのバスが一番お手頃だ! という結論に達した。レンヌは3泊で切り上げることにして、日曜日発の夜行バスのチケットを再びユーロラインズオフィスを訪ねて、“「ない!ある!」係員”から購入したのであった。





ユーロラインズのバス乗り場も国鉄駅のすぐ隣。我々の泊まっているホテルから歩いてすぐである。善哉、善哉。 (マドリッドではどこに着くのかが、分からないままだが、仕方ない。着けばどうにかなるだろう。それにしても、レンヌのユーロラインズオフィスの人はちょっと情報に疎いね。)





お次は明日のモン・サン・ミッシェル行きのチケットである。レンヌから直行バスが出ているが、値段を調べたらこれまたかなり高い。138フラン(2,370円)。 





では、列車はどうだ? と再び国鉄駅に調べに行ってみると、列車だとモン・サン・ミッシェルの手前のポントルソン駅で降りて、ポントルソンからはバスだという。列車とバスとそれぞれ136フラン(2,330円)、つまり片道一人合計272フラン(4,660円)もかかる。おまけに、バスの料金は午後3時を過ぎるともっと料金が上がる! と言う。なんでじゃ? 





それに比べたら、直行バスの方が断然安い。迷わず直行バスで行くことにした。





で、直行バスのチケットを買いに行くと、窓口では「チケットの予約は出来ないんだ。チケットは明日乗る直前に買ってください」と言う。え? それでいいの? そんなんで、当日バスに乗れるの? 





ピークシーズンで、観光客が押し寄せて、チケットが取れないのではないか? と心配していた我々は、片透かしを食らった。





が、とにかく明日買えばよいのである。楽勝だ。今日は無事パリの悪魔ホテルから脱出し、レンヌに着いてすぐにいい感じのホテルも決まり、レンヌ発のユーロラインズのチケットも手に入れて、順調に旅の大仕事が片付いてしまった。(まずいレストランに入ってしまったことだけは、今日の失敗であるが。) 





“締め”は水の買い出し。ホテルの部屋で飲むための水を買いに食品店を探すが、これがなかなかないのだった。駅構内にあった売店では、昨日まで5フラン(86円)で買っていたミネラルウォーターが11.5フラン(197円)! とても買う気にならず、他を探してみる。





が、駅前にはホテルやカフェ、レストランなどの店が並んでいるが、安い食品店などは一軒も見あたらないのだった。





そこで、昼間、レストランを探している時に見かけた小さな食料品店に行ってみた。華々しいカフェの垣根にそっと隠れるように店を開けていた小さな小さな食料品店だ。そこは「トルキー」、つまりトルコの店だった。パリでもそうだった。パリの街中に一軒、漸く見つけた食料品店はいかにもトルコ系(もしくはユダヤ系か?)といった感じの人が経営していた。(part159参照) ここレンヌでも漸く一軒あった食料品店の親父さんは、その名はアブラハム(?)とでも言いそうなトルコ人のようだった。





薄暗い店の中は、トルコの食品らしいものが、所狭しと棚に押し込められていた。やはり冷蔵庫がない。店の隅に冷えていないミネラルウォーターが積まれていた。





親父さんに念のため、冷たい水はないか? と聞いてみた。すると、親父さんはその場に身を屈めて、ゴソゴソ。やがて、濡れた水のペットボトルを掴み上げた。見ると、親父さんと我々を仕切っている棚だと思っていたのが水を張った横長の冷蔵庫(代わり?)だったのだ。おお。パリのトルコ系食料品店と同じだ。





あまり冷えていないが、とにかく多少「冷たい水」はあった。“冷蔵庫”の中を覗くとジュースもあったので、指差してみた。冷蔵庫の中は無秩序にあらゆる種類の缶やペットボトルが放り込まれたままひっくり返っている。(これもパリと同じだ。トルコ系食料品店の親父たちは、みな店構え、商売方法が決められてでもいるのだろうか?) 





親父さんからは私が指差しているジュースが見えなかったらしい。親父さんはさらに冷蔵庫の中で積み木崩しを始め、崩れた缶がなおさら目的のジュースの姿を隠してしまい、しばしガシャガシャ、ゴロゴロ。「これこれ」「それじゃない、こっち」などと、あたかも冷蔵庫内の運動会さながらの騒ぎ。(これもパリのトルコ系食料品店と同じだ!)





やっと、注文の缶ジュースを出してもらって会計を済ますと、親父さんが「ありがとっ」と言うではないか。日本語だ! びっくりして、「日本語を話すのですか?」 と聞くと、親父さんは照れ臭そうにうふっと笑って、「話す」なんて立派なもんじゃないよ~という仕草をして見せた。





「はい。少しだけ話します」という日本語は知らなかったのだね。「日本語を片言でも口にしてくれて、ありがとう」とばかりに、我々もうふっと笑ってその店を後にしたのであった。





トルコの食料品店は安い。親父さんが優しい。わけのわからないものも一杯売っている。食料を買うならトルコの食料品店がよい。(注:スーパーなどに比べれば、随分高いのだが。) 





ホテルに帰って、溜まった洗濯物を洗い、歯も丁寧にゆっくり磨いて、実に落ち着いた1日を過ごした。旅をしていると、どんなホテルに泊まるかが実に重大な問題だなぁ。


つづく


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ひとりカーゲーベー

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私は一人でいたずらをし損なうことが多々ある。実に惨めでかっこ悪い。あほ丸出しである。いつまでこんな私なのか? と我ながら呆れるが、きっと死ぬまでこうなのかもしれぬ。笑わば笑え。いや、むしろ誰かが笑ってくれたら救われる。




昨日の日曜日は「冬の嵐」と天気予報が告げた通り、北風吹きすさぶ寒い寒い一日だった。


でも、そんな日でも私は昼間から忘年会に出かけた。




強風の日は必ずコンタクトを入れた目にゴミが入り、目は焼けるように痛くなる。涙は止まらないは、鼻水は出るは、ひどい目に遭う。

なので、サングラスをかけて出かけることにした。冬の嵐に冬のサングラス。変だということはわかってはいたさ。



私は昔からサングラスが合わない。ただでも似合わないサングラスに、くすんだピンクの皮のコート。ベージュの帽子、ジーンズにショートブーツ。



夫から「それじゃ、北朝鮮の工作員みたいだよ」と言われてしまった。



……それは、いやだな……。




で、ふくらはぎまで隠れる茶色の化繊のロングコートに替えてみた。そしてベージュの帽子にサングラス。これでどうだ?



「今度はカーゲーベーの秘密諜報部員みたいだよ……」



……それもいやだな……。




すると夫は、いきなり携帯で電話をするしぐさをして、「『あー、ただいま埼玉に侵入しました。』とか言いそうだ。」と笑った。



! 面白い!それ、頂きだ!


よし、今日の私はカーゲーベーの秘密諜報部員だ。決まった!




「行ってくる……」



どうしてそんな低い声でおどろおどろしく出て行くのさ? と夫が呆れるほどに、私は玄関先で既にカーゲーベーだった。



ドアを開けるとビューゥッと北風の洗礼を受ける。顔をちょっとしかめてから、おもむろにサングラスをかけ、「じゃっ。」



しゃきっと片手を挙げてくるりと後も見ずに私はマンションの外廊下を歩き始めた。呆れる夫を家に残し、私はすっかり「忘年会へ向かうカーゲーベー」だった。



翌日はゴミの日なので、片手にはビンと缶に分けたゴミ袋を2つ、カランカラン言わせてはいたが……。これも世を忍ぶ仮の姿、ふっ。



で、ゴミ置き場にゴミなど置く。ふぅ。ひとつ任務遂行。




さぁ、いよいよ北風を受けてコートの裾を翻しながら駅に向かった。


プラットフォームにざっと音を立ててコンクリートを削るように足を踏ん張る。


さぁ、驚いてくれそうな中高年のおばさんはいないか?と探す。



電車を待つ間に実行するのだ。で、カーゲーベーへの連絡を聞かせたら、びっくりして耳を疑っているおばさんを残して、さっと電車に乗り込む。これだ!


が、日曜の昼前、プラットフォームには若い人ばかりが目立つ。


若い人じゃ、「なんだ、このおばはん?」と思われてしまいかねない。


むむむ。人のよさそうな、おばさんはいないか、いないか?……このままでは電車が来てしまう。



ちょっぴり焦り出して、プラットフォームを少し移動してみる。A地点からF地点へ移動だ……。




おっ。ターゲット発見! いたいた。人のよさそな、人の会話に聞き耳立てるのが大好きそうなおば様発見! 



さりげなく近づき、おばさんの横に立つ。

おばさんはまだ私が諜報部員だとは気づいていない。



いよいよだぞ。ほくそえみながら私は携帯を取り出した。




番号を押して(夫の携帯)耳に当て、全身直立不動にする。この場合、ロボットのごとき雰囲気がよいだろう。


ツルルルルル……



「あ、こちらRK-301。ただいま埼玉に潜入。どうぞ。……了解。ダスビダーニャ」



と、低い声であくまでも淡々と、「ロシア訛りの残る日本語」で言うのだ。



あ~、わくわく。夫もおばさんも驚くぞ♪

夫なら私のいたずらをすぐに察して、「あ、了解。あ、では、ただちにピロシキをボルシチせよ。」とかなんとか応答してくれるかな?




が、ツルルルルル……。


出やしない。


おいっ。夫よ。家にいるのはわかっているのだ。暇なのはわかっているぞ。なぜ、電話に出ない? トイレにでも入ってしまったか?



ツルルルル……。



こりゃだめだ。いいや。別に夫の携帯に繋がらなくても、かかった振りして、さっきの台詞を言えばよいのだ。よしっ。言うぞ!




と、その時、電車が入ってきた。ぷふぁ~~ん。間抜けな警笛を鳴らして、ガガガーンゴッゴットン、トン……しゅーっ。



ああ、構内放送がうるさい。ガガーッと電車のドアが開いて、あらら、あらら……



……言いそびれてしまった……。




おばさんの後に続いて、何もできないまま到着した電車に乗り込んだカーゲーベーであった。




ちぇっ。


夫がすぐに携帯に出てくれなかったからいけないのだ。私の作戦を妨害したなっ。



折角のいたずらをしそびれた私は、夫の携帯にメールを送った。「あなたがすぐ電話に出てくれなかったから、カーゲーベーの真似をしそびれました(怒)」と。



すると、夫から今度はすぐにメールが返信されてきた。



「ばかなことしてないで気をつけなさい」




……! 元はと言えば、あなたが言い出したことですからっ!


ああ。し損なったいたずらって、みもふたもない。やっぱり、こんなんでいいのか、わたし……?