ささやかな愚痴日記


私はマンションに住んでおりまして、近所づきあいなどもなく孤独に暮らしているわけですが、せめてすれ違うときや、エレベーターで人と顔を合わせた時は、極力愛想よく挨拶するように心がけているわけです。


が、


昨夜、エレベーターでオッサンと一緒になったとき、先に降りる私が、「おやすみなさい」と言ったら、そのオッサン、こう言いました。


「ああ、ごくろうさん。」


あんた、何様? 私はあなたの部下ですか? 

目が点になって、コメカミがピキッってきたけど、一歩エレベーターの外へ踏み出していたので、そのまま振り返らずに降りましたが。


以前にも、似たようなことありました。
やはりオッサンです。
やはりエレベーターに乗ろうとしていて、別のオッサンと一緒になったので、私から「こんにちは」と声をかけると、そのオッサン、こう言いました。


「ああ、はいはい。」


てめぇ、何様だぃ?



また、こんなこともありました。
道を歩いていて、同じフロアのおば様が向こうから来ていたのです。

でも、私はそのとき、バイトで全身全霊を注いで働いてきた帰りでした。重い仕事道具を抱え、おまけに夕飯の買い物などずっしりと重い荷物を両手に抱えて歩いていたところで、へとへとだったのです。


そこにいきなり「こんにちは」と声をかけられ、慌てて挨拶を返し、お辞儀した拍子に、指先でかろうじて運んでいたティッシュの5連箱がボデッと地面に。


あちゃ~ ・・・他の荷物を抱えた状態で、ティッシュを拾うことも大変だぁ。やれやれ。とは思ったけれど、ただ疲れてそう思っただけですよ。


しかし、ティッシュを拾おうとした私におばさんはこう言いました。


「あらぁ? ごめんなさいね。もう二度と話しかけないようにするわ」


なんでぇ?  なんで、そーなるの? 私の態度、どこがそんなにひどかったですかぁ? 

ちゃんと挨拶もできる限りの笑顔で返したし、ただへとへとだっただけなのに、別に挨拶をしてくれたおばさんを恨みがましく見たわけでもないのに・・・・。


「は? いえ、そんな、・・・・」と、驚いてしどろもどろになっている私をその場に残し、おばさんは去っていきました。


そして、それ以来、本当に挨拶していません。っていうか、一度もマンション内でも、道端でも出会っていません。もう何年も経っているけれど。これって、思いっきり避けられているってことでしょうか。


私ってはたから見たら、弱々しい女事務員、あるいはふてぶてしい女に見えるの?

・・・・って悩んじゃいます。・・・・ただの小心もの、吹けば飛ぶような傷心者ですのに。



あ、もうひとつ思い出した。


これも昨日の話。やはりエレベーターを待っているおばさんが一人。挨拶をすると、まぁ普通に挨拶を返してくれました。


で、やってきたエレベーターにその人が先に乗りました。続いて私が乗り・・・・・って、おいっ!


まだ私が乗り切っていないのに、なぜ「閉める」ボタンを押す????


おばさんは最初に乗ったくせに、エレベーターの奥に入らず、狭い入り口のボタンのところに陣取ったので、スーパーの袋も邪魔で入りにくく、なおさら「おいおい!」と思った私です。


後から人が入ってくるとき、念のため「開く」ボタンを押していてあげることはあっても、「閉める」ボタンを押すやつなんて、いますか????????


幸い、そのエレベーターの反応は遅いので、私がドアに挟まれることはなかったですけど、荷物が挟まれそうでひやひやしました。


私って、運が悪いの? それとも、私自身が悪いの?・・・・・それとも気のし過ぎ?

くすん・・・・・ちょっとアンニュイです。


ちょっとした挨拶も、なかなかさわやかに済まないのはなぜでしょう?   「はぁぁ?」と耳を疑ったり 「とほほ」と嘆くことの多い挨拶事情は、私だけ?

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ7日目。いよいよパリ最後の日です。パリはまだまだ見足りないけれど、あれこれ欲張らずに、一箇所をゆっくり堪能することにしました。





part176 パリの卓球公園





要約: 風邪で夫の体調が優れないため、遠出は避けてモンパルナスにあるカタコンブへ行くことにしたが、カタコンブの入り口がわからず、限りあるカタコンブ入場時間に間に合わなかった。で、近くの公園で次の入場時間までのんびりすることにした。小さな庶民的な卓球台付き公園で、有名な庭園とは一味違ったパリを味わうことができた。
















パリ最後の1日である。夫は昨日体調不調のくせに歩き回ったせいか、風邪がぶり返したようで、「だるい……。歩きたくない……」と言う。そのくせ、私にどこに行きたいかと聞いてくる。「歩きたくない。しんどい。パリは嫌だ」とブツブツぶつぶつ言う人とパリを楽しめるもんかい。





まぁ、こちらの意向をできる限り汲もうという“心配り”なのであるからして、だるくとも一緒に歩いてあげようという“優しさ”なのであるからして、ありがたく聞こえなくもない。が、結局は夫がどこへ行きたいか、あるいはどこまでなら行ってもよいかで、今日の1日は決まるのである。ぶーっ! 





ヴェルサイユ宮殿へも行ってみたかったが、遠いので諦めた。「夏場は混むので、朝9時には並ばなければならない」 なんてガイドブックにも書いてあるので、剣呑剣呑。





「パリで最も古く最も美しい」というサン・ミッシェル・デ・プレ教会にも行きたいが、夫は寺院には食傷気味。





ああ、あれも行きたい、これも行きたい。ガイドブックを眺めると切りがない。しかし、夫の体調を考えると、あれこれ周るのはひかえたほうがよいだろう。明日はレンヌへ移動の日。これ以上体調を崩してはいけない。それでは……と一番手頃な所で、彼の触手も動きそうな……カタコンブはどうだ?





「カタコンブ」とは、モンパルナスの少し先にある「地下共同墓地」である。地下道にぎっしりと骸骨が埋まっているのである ……ってな説明を聞かせると、夫も「ほほぉ?」と来た。ふっふっふっ。やはり、カタコンブには興味を持ったね? さぁ、Allons-y!





さて、最寄りの駅のモンパルナスに着いたはいいが、肝心のカタコンブの入り口が分からない。地図を頼りにそれらしい辺りへ出てみるが、交差点が広場になっており(?)、小規模の公園が幾つも並んでいるばかりで、カタコンブの「カ」の字も見あたらない。





カタコンブは午前中は11時まで、午後は2時から4時までしか開いていない。朝の遅い我々が広場に着いた時はもう11時になろうとしていた。今から慌てて探しても、間に合わないだろう。





とりあえず手近の公園へ入っていって (この公園にも小さな門がついていた)、ベンチに座り、どうしよう? と考えた。ふと見渡すとその公園は、今まで見てきた“庭園の名を冠されたご立派な公園”と違い、小ぶりでいかにも“近所の人々のためのささやかな憩いの公園”という感じ。人を圧倒する美しさも噴水も彫刻もないが、据え付けのベンチがあり、植え込みがこんもりと茂って、優しい木陰がある。大通りのそばにありながら、静かである。なかなか居心地がいいので、2時までその公園でのんびり過ごすことにした。





道路を挟んで付近に似たような小さな公園がいくつかある。飽きたら他の公園にいってみるのもよい。公園で過ごす心地よい3時間なんて、あっという間だ。





公園で休んでいる間、私は斥候(せっこう)として、時々ちょこちょこ付近を散策してカタコンブの入り口を探した。落ち着いて探せばすぐに見つかるもので、我々が出てきた地下鉄の出口から通りを挟んで真向かいに、それはあったのだった。なーんだ。最初にちょっと後ろを振り向けばよかったのだった。やれやれ。





入り口も見つかり、後は入場時間の2時まで待つだけ。ゆっくりと公園のひと時を堪能する。





我々が休んでいた公園には、石で作られた卓球台が、ドンと2台設置されていた。卓球台はネットも張られていないただの石の板なのだが、そこにマイラケットとマイボールを数個抱えて、近所の老若男女が卓球を楽しみにくるのだった。





平日なのに仕事がお休みなのか、いかにも働き盛りのマイホームパパといった感じの父親が、小学生くらいの娘と一緒にやってきて卓球に興じる。そのうち疲れてきた父親は、たまたまボールを拾ってくれたベンチの男に「やらないか?」と誘い、自分のラケットを手渡す。手渡された男は、それじゃ~ってな感じで卓球を始める。





そんな風に交替交替で、ラケットが手渡され、みんなが卓球を楽しむ。ひとしきりカッコンカッコン打ち合って、長くとも15~20分ほどで引き上げていく。長居はしない。こんな風にちょっと楽しむ卓球というのも、いいもんだね。





しかし、公園に石の卓球台が常設されているとは、フランス人はよっぽど卓球が好きなのか? 卓球に興じる様を見る限り、相当好きそうだ。ちょっと意外。パリと言ったら、「ローラン・ギャロス」。赤土のクレーコートを持つテニスの都。だから、パリのスポーツ界のお山の大将はテニスかと思っていたが、その裾野は実は卓球なのか?





しかし卓球台が常設してあると、重い台を出す手間が要らず、石でできていれば、雨に濡れても大丈夫だ。お天気だったらいつでも誰でもすぐに卓球ができていいよね。





日本だったら、石の卓球台の上に乗って遊ぶお馬鹿がいたり、卓球台の角に頭でもぶつけて怪我するお馬鹿が出て問題になり、たちまち卓球台撤去ってことになりそうだけど。フランスではそういうところは自己責任という意識が行き渡っているからか、卓球台で悪ふざけする子供もいない。こんな風にみんなが一人一人しっかりマナーを心得ていれば、色々便利で楽しくなるのにね、この世の中……なんて思ってしまった卓球台公園である。





公園には色々な人が来た。午前中はクマゼミ、午後はアブラゼミ、朝夕にはヒグラシと、一本の木に交替でやってきては鳴く蝉と同じように、時間帯によって面子が変わるのが面白かった。 (注:ちなみに北フランスには蝉は生息していないらしい。確かに一匹も蝉の鳴き声は聞かなかった。)





午前中は赤ちゃんや小さい子供を連れたママさん、ベビーシッター達が寛(くつろ)いでいた。彼女たちは群れることもなく、それぞれが子供と静かにただ公園にいるだけ。特に子供をあやす訳でもなく、子供も大人も静かなひと時。そして、昼前にはみんな申し合わせたように帰っていった。





昼になると付近の学生やオフィスワーカーらしい若者達がお昼を食べにやってきた。ベンチに腰掛け、サンドイッチを食べ(飲み物なし)、そして食後の運動なのだろうか、誰も彼も卓球を始める。





仕事にあぶれているのか、いい年をした男達もぶらりぶらりとやってきてパンをもそもそっと食べて(飲み物なし)卓球に参加し、あるいはベンチに腰かけてぼ~っとしていく。そういう男に限って、鳩にパン屑をやる。そうすると、鳩が一斉に回遊する鮪のように巨大な塊となって狭い公園内を低空飛行し、我々の目の前を勢いよく横切る。





ひとしきり餌を突っつき合い、奪い合いして、パン屑が砂にまみれた頃、またどこかで誰かがパン屑を撒いたのであろう、鳩達は一斉にある方向へ群れ飛び立っていく。どわーっ! 地上50cm~1mの高さに、帯になって鳩が突進する。軍用鳩か、お前たちはっ? 凄まじい低空飛行だ。我々の眼の前をすれすれに飛んでいくので、ベンチに座っていても鳩に衝突されそうだ。目を突付かれそうだ。鳩に餌は遣らんでくれ~。





だいたい、パリには鳩が多過ぎる。歴代の建築物が鳩の糞でよくも汚れないものだ。つまり、そうした建物は相当手入れをしているということだろう。街中(まちなか)のケンタッキーに入ったときなど、屋外のテーブル席は鳩と雀の天国だった。椅子やテーブルの上には、鳩の生々しい出来立てほやほやの糞がべちゃりと落ちていた。よくこんなテーブルを放って置けるものだと我々などは呆れたが、フランス人は気にならないのだろうか。糞が乾燥するのを待って、カシカシッと擦り払うつもりなのか? 





フランスパンはどうしてもパン屑が出るから、鳩やら雀がいてくれた方が都合がよいと思っているのだろうか。わからん……。


            つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。今回もメトロについて。メトロは実にパリを感じさせてくれました。





part175 パリのメトロ②





要約: メトロの地下通路や車両の中では、どこかしらで常に大道音楽家が演奏をしていて、地下は地上よりも音楽に溢れているのだった。そして地上では見かけない乞食も地下道には多く、地下道は彼らにとって安全な稼ぎ場所のようであった。









さて、パリのメトロは庶民の足であると同時に、“大道音楽家”達の稼ぎ場所でもあった。♪♪♪





メトロの地下道で、あるいはプラットフォームで、隅に陣取っていつも誰かしらが何かしら演奏している。パリの地下では始終音楽が奏でられているのだった。♪♪♪





地下の中だから音が反響して、ただでもかなりなボリュームなのに、小さなアンプまで備えて演奏している人までいる。♪♪♪♪♪





ヴァイオリン弾きやアコーデオン弾き、トランペット吹きなどが、メトロの列車の中に乗り込んできて、一駅一曲の割合で奏でまくる。狭い車両の中でやられた日には、耳を塞ぎたくなるほどのうるささだ。隣にいる夫と話も出来ない。♪♪♪♪♪♪♪♪





こちらの迷惑は省みず、一通り演奏し終えると、彼らはチャラチャラと銭入れを鳴らしながら、お代を請求して回る。$$$FFF





メトロに乗るのは初めてであろう観光客の中には、アコーディオン弾きがいきなり列車に乗り込んできて、陽気に奏で始めると、さすがパリだわいと感動しきりの人もいる。ニコニコと曲に合わせて手拍子などとって、一時のメトロ演奏会に酔いしれる。そして、演奏が終わるや、拍手、拍手。ここまで楽しむと、演奏者が銭入れをチャラチャラ言わせて近づいてきても、拒むことはできない状況になる。$$$FFF





パリっ子達はどうしているかと言うと、演奏者が乗り込んで演奏していても、何事もないように、全くの無視。むしろ、うるさそうに眉を寄せる人もいる。演奏中も無視。演奏が終わっても無視。銭入れを目の前でチャラチャラ鳴らされても、無視。無視。無視。とにかく無視である。ーwー





演奏者は演奏者で、誰も反応してくれないと、一通り銭入れをチャラチャラ言わせながら車両を一歩きして、すぐに次の駅で降りてしまうか、車両を替えて再び演奏を開始する。無視されても特にへこたれた様子もない。





音楽広場のごときメトロとは違って、不思議と地上では大道演奏家は一人も見かけなかった (広場は除く)。なぜ大道音楽家は皆、メトロの中なのだろう。何か掟があるのかもしれない。





メトロで不思議なのは、もう一つ。乞食である。地上では余り見かけない乞食が、地下道には必ずいる。しかも女乞食が多い。いかにもジプシーといった顔つきである。





ボロボロの服に身を包み、多くは幼い子供を傍に侍らせている。地べたにペタリと座り込んで、「J’ai faim」(私は飢えている。)などと言ったプラカードを掲げている。日本の浮浪者のように薄汚れてはいるのだが、しかし、浮浪者特有の強烈な異臭はしない。





メトロの乗り換え通路に入るためには、メトロのチケットがなければ、まず入れない。そのためには最低8フラン(140円)の料金が要るはずだ。そのチケット代はどうしているのだろう。8フランもあれば、安いバゲットくらいは買えるはずだ。





そう考えると、彼らは乞食の振りをしながら実は乞食ではないのではないか? と勘ぐりたくなる。しかし誰も取り締まろうとはしていないようだ。パリの地下鉄。不思議な空間である。


          つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。今回はパリでお世話になったメトロについて。







part174 パリのメトロ①





要約: メトロの乗り方も日本と随分勝手が違った。パリ独特の掟(?)があって、パリ独特の掟の破り方があって、いつ乗っても、我々には楽しいメトロであった。









パリと言ったら、ラ・セーヌ La Seine。セーヌ川である。セーヌ川は北へ大きく弧を描きながらパリのほぼどまんなかを東西に走っており、パリの街を大きく南北に分けている。セーヌの北側を 「右岸」 、南側」を 「左岸」 と言うらしい。そんなセーヌ川も何するものと、メトロが縦横無尽に走っている。





メトロには1~14まで数字が振られており (つまりパリには14本のメトロが走っているということだね) 、それぞれの両端の終点が必ず表示されているので、どっち方面の電車に乗ればよいのか、とてもわかりやすい。





しかも、パリ市内なら料金一律。これまたわかりやすい。おまけにメトロの切符はバスやRER (高速郊外鉄道) にも使える共通切符。だから10回以上利用するのなら、カルネ(回数券)がお得。





(ただし、パリ市内を出て郊外までいくのなら、RERの目的地までの切符を最初からきっちり購入しておかなければならないらしい。メトロからそのままRERに乗り換えて郊外まで行ってしまうと、乗り越しとして罰金を取られるという。も~、融通が利かないわねっ。)





日本にあっては、地下鉄というものはわかりにくくて苦手な私だが (特に 「上野」 や 「新宿」 あたりの表示は実に不親切でわかりにくい。もうちょっとJRと協力してわかりやすくできないものか? ) 、そんな私にもパリのメトロはとてもわかりやすかった。





表示がきっちりしているせいだろう。分かれ道には、どちらに行くべきか、目につきやすい所に必ず表示があるので迷うこともない。プラットフォームに電車が着いても、そこがどこの駅なのか、表示が見やすくすぐにわかる。こうなると、メトロを利用するのがなかなか楽しい。





パリのメトロの改札口は三つ又の鉄棒が行く手を阻んでいる。改札機に切符を差し入れ、その三つ又の鉄棒をぐっと向こう側に押すと、ガーチガチガチッガチッと大きな音を立てて三つ又が回る。それに合わせて体を前に進ませて、改札を通り抜けるのだ。





こうした出入り口のシステムは日本では珍しいので、どうも抵抗を感じる。途中で三つ又に挟まれてしまいそうな、三つ又にぶつかって不器用にも体に痣を作ってしまいそうな気がして、改札に入るときはちょっと気後れしてしまう。





三つ又を通り過ぎるのに気を取られて、改札機から出て来ている切符を取り損ねそうになる。おお。切符を忘れるところだった! と慌てる。が、慌てる必要などなかった。一度改札を通ってしまえば、もうその切符は用なしなのだった。





なんと、改札を出るときには、切符など必要ないのだった。出口が三つ又になっていて阻まれるなんてこともなく、大抵は細い金属の扉が設けられているだけだ。初めは、切符を通す所もないし、一体この扉はどうすりゃ開くんだ? と些(いささ)かビビル。





が、そういう時は他の人がやってくるのを待てばよいのである。他の人がお手本。お、来た来た。さりげなくその人を観察する。





しゃっしゃっしゃっと臆することなく闊歩して、その人は金属の扉に突っ込んでいく。何もしようとしない。キップも出そうとしない。おおおお? 強行突破するつもりか? と見ていると、その人の前でいきなり金属の扉がダバンッと自動的に開いた。





なんてことはない。人が通れば扉が開くようにできているのだ。切符など要らないのだ。ただ通ればよいのだ。





つまりメトロのポイントは乗り込むときの改札だけなのだ。なーんだ。





一度改札機を通した切符の裏にはなにやらスタンプが押されて出てくる。使用前、使用後がはっきりとわかるわけだが、たまにインクが薄くて、ほとんどスタンプがつかないで返って来る場合がある。





……これは……もう一度まっさらな切符として使えるのでは? ……などという不穏な邪念を持ってはいけない。押されたスタンプがどんなに薄くとも、改札機はその切符をはねつけるのだ。どうみてもまっさらに見える切符を、改札機の挿入口に差し入れた途端、なにをどう判断するのか、んべっと吐き出してくる。憎らしいっ。





すると、改札機のすぐ脇にある窓口から係員が、どうした? とすぐに飛んでくる。やばいよ、やばいよ。とっとと新しい切符を差し入れ、三つ又を越えろ! ってことになるのである。





しかし、ひとたび改札を通ってしまえばあとは何のチェックもなく出てこられるというのは、楽でよい。楽でよいが、悪さがいくらでもできる。





白人の若者などは、一人が切符をいれて改札を通ると、その改札の防御柵を押さえつけて待っている。どうしたのかな? と見ていると、その仲間が2~3人、次から次へと友達が押さえつけている柵をひょいひょい越えて、改札をフリーパスしていった。無賃乗車だ。





駅員の窓口は改札機の手前や脇にあって、改札を通る人の姿は駅員にはなかなか見えない。ほほぉ。ああやって、改札さえ入ってしまえば、あとはもう手ぶらで降りるだけだ。切符はいらないのだから、改札を通ればこっちのものだね。





などという、けしからん奴らがいるからだろう。時には車内を駅員が検札に来るという。改札を通した切符の提示を求められる。その時、改札を通したスタンプ付きの切符を持っていないと、えらいこっちゃ。





だから、 「一度改札に通したら、もういいや~」 などと、その切符をうっちゃってはいけない。目的地の改札を出るまで、ちゃんと取っておかなければならないのであった。





しかし、切符を改札機に通したからといって、そしてその切符を忘れずに取ってきたからといって、まだまだ安心してはいけない。





スタンプが薄くてほとんど見えないときがある。このとき、その切符をそのまま持っていてはいけない。くどいようだが、もう一度使えるかも~ ♪ などと試してもいけない。





私の知り合いは、 「ちゃんと改札機を通したのにスタンプが付かなかった切符」 を持ってメトロに乗っていた際、検札に遭った。切符にスタンプが付いていないということで、 「ちゃんと改札機を通しました」 という抗議は全く聞き入れられず、罰金を取られてしまったという。





教訓① メトロの切符は改札を通したら、スタンプ (もしくは小さい穴など、とにかく検札済みの印) がしっかり付いているかどうか確認すべし! 


教訓② 目的地の駅を出るまで、切符をしっかり持っているべし。


教訓③ 切符のスタンプが薄いからといって、再利用するなかれ!     ……だ。


          つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ6日目。今日はまだノートルダム寺院しか見学していないのに、もう午後の4時です。






part173 モンマルトルの丘から









要約: サン・ルイ島へ行きかけて、急遽、空腹を訴える夫のためにマクドナルドへ。サン・ルイ島を目の前にしてなぜに回れ右してマクドナルドになるのか……。頑固で融通のきかない夫にげんなりしつつ、マクドナルドバーガーで腹を満たし元気になって、さらにモンマルトルの丘へと足を延ばしたのであった。丘からのパリの眺めは最高であった。









続いてお隣のサン・ルイ島を散歩してみよう。サン・ルイ島はシテ島の東隣りに位置しており、シテ島とは橋一本で繋がっている。シテ島と同じくセーヌに浮かぶ小島だが、観光客でごった返しているシテ島と違って、夏の観光シーズンだというのに、意外と人通りが少ない。どこか寂れたような、しんとした雰囲気を感じる。遠目にも古色蒼然としていて、散歩にはもってこいの島に見える。 (しかし、サン・ルイ島にあるホテルなどは、目が飛び出そうなほど高かったはずだ。決して「寂れて」いるわけではないのだろうね。) 





ところが、サン・ルイ橋を渡った辺りで、夫が急にお腹が空いたと言い出した。ここら辺は、カフェはあるがファーストフード店などはない。「カフェ立ち入り禁止令」が発令されていたから(part167参照)、食べる所がない。屋台のような店があるのはポン・ヌフ周辺の繁華街である。 (注: 我々の“行きつけ”のマクドナルドは、まずポン・ヌフまで行ってから歩き始めると見つけられたので、マクドナルドへの道を私は勝手に“ポン・ヌフ通り”と呼んでいた。) 私もトイレに入りたくもあり(=マクドナルドへ行く!)、急遽、西へと方向転換。残念ながらサン・ルイ島を目の前にして引き返してしまったのだった。





(追記: フランスに限らないが、ヨーロッパでは無料の公衆トイレなど、ない。美術館や博物館に入ると館内のトイレは大体無料なので、極力そうしたところで用を足していた。お金を払っても、カフェのトイレは汚くて使えないこともあるというが、マクドナルドなら、そんなこともなく安心して入れる。すばらしきかな、フランチャイズ店! だ。)





私一人なら、サン・ルイ島のカフェに入って、そこでトイレも行き、一息着いて、それからゆっくり散策するのに……。夫が一緒だと、カフェに入れない。食べたいもの(=カフェのメニューにあるであろう未知なる色々なもの)も食べられない。





夫からすれば、カフェでは彼の食べたいもの(=安くて美味しい、汁気のある暖かいもの)が食べられない、ぼそぼそのまずいものを食わされて、ぼったくられて、ひどい対応にうんざりさせられる! という理由があるのだが……。そして、それはその通りなのだが。気持ちは重々わかるのだが……。 





せっかくパリにいるのだから、カフェに入ったって、いーじゃないかぁぁぁ! 良心的なカフェだってあるかもしれないじゃないかぁぁぁぁ! (妻、心の叫び)





マクドナルドでバーガーとドリンク、二人で70フラン(1,200円)なり。カフェで同じような食事を執ることを考えれば、その半額くらいだ。経済的である。なんといっても、マクドナルドならボッタクラレルことはない。明瞭会計だ。座って食べようが、立って食べようが、どの席で食べようが値段が変わることもない。注文を無視されることもない。食べるものが前もって写真でわかっている。味には“当たり”もないが“外れ”もない。バーガーはほんわか温かい状態で供される。





「これこれ。これで十分なのよ」と、バーガーに齧りつく夫よ。満足そうだね。いいですよ。あなたが満足ならば、私はそれで……。しかし、ああ。夫よ、毎日マクドナルドに通うつもりか? 





……私は幸せそうにバーガーを頬張る夫を眺めながら、それこそ“ボソボソ”のバーガーをコーラで飲み下したのだった。どうせボソボソならバゲットパンのサンドイッチの方が食べたいよっ! と心の中で叫びながら……。





味はさておきお腹が満ちて、トイレに入ってすっきりもすると、人間とは元気が出るもんだ。





陽はまだ高い。もう一息足を延ばして、さきほどノートルダムの上から眺めたモンマルトルの丘に上ってみることにした。





モンマルトルの丘は、これまた階段、階段の連続。今日はよく階段を上る日だ。丘をようやく上り切るや、人、人、人、人、人の群れ。丘のてっぺんはテルトゥルPlace du Tertreという芸術家の集う広場らしく、似顔絵書きが所狭しとキャンバスを広げ、活気に満ちていた。カフェも通りも人で溢れている。満員電車のような混み具合である。ざわめきが途切れることがない。人の間を縫うようにして石畳を進む。





土産物屋、満員のカフェ、忙しげに行き交うギャルソン、所狭しと道端でイーゼルを立てかけて油絵を描き続ける画家。その絵を覗き込む客。覗き込んできた客に色々説明を施す画家。パステルで描かれた数々の似顔絵。似顔絵を描いてもらっている観光客の紅潮した頬。芸術家たちの書入時(かきいれどき)といった感じであった。





モンマルトルと言えば、ユトリロ、ロートレックなどの芸術家が愛した街。丘の小道はユトリロ的風景が溢れているのかと思ってやって来たのに、うら寂れた白い壁の染みをこの手になぞれるかと思ってやって来たのに……。この軽薄な活気はいったい……? いや、この資本主義的、猥雑な活気こそが、現代風にアレンジされてはいるものの、ロートレック的と言えば言えるか?





人でごった返したテルトゥル広場を抜け出すと、急に丘は落ち着きを取り戻した。やれやれと、ほっとした時、目の前に白亜のサクレ・クール寺院が現れた。





白いドームを持つ、美しい寺院である。中に入ってみると、祈る人のための真剣な席と、観光客用の見学席と、前後に大きく仕切られていた。





我々が後方の“観光客用席”に座り込んで見ていると、“祈りの席”に着く人は、まずその仕切りに入る前に軽く膝を折り、昔の貴族のように腰を落として一礼し、胸の前で十字を切ってから入って行く。そして、“祈り机”の前にひざまずいて、祈りのポーズをとるのであった。





我々が仏前ではとりあえず合掌するのと同じように、“慣(なら)わし”としてあのようなポーズを取るのか、あるいは、れっきとした信者ならではなのか、分からない。が、「礼を尽くす」姿というのは美しいものだなぁと改めて思う。





仕切りの中に入る人で、礼をしない人も数人いた。が、誰も彼も、真剣に前方の舞台(演台?)を見つめている。マジである。





舞台(演台?)には、左右に椅子が並んでおり、シスター達がずらりと席に着いている。進行役(?)らしきシスターが中央のマイクに向かって、何やら聖書の一節らしい言葉を唱えたり、ミサ曲の歌いを先導したりしていた。





そのシスターのマイクを通した声の後に、その他のシスターや堂内の信者達が声を揃えてシスターの言葉を繰り返す。どれも短いフレーズばかりで、「ナントカ司教様は偉い御方~」というような意味のないフレーズのようであった。信者達には意味があるのかもしれないが。





そのうち、一番偉い司教様(?)と思われる緑の袈裟を身にまとった爺様が舞台に現われた。壇上に立ち、何やらフガフガ説教を始めた。そして、ひとしきりフガフガすると退いていき、壇上の奥の一番偉そうな椅子の前まで来ると、くるりと再び振り向いて、そのまま突っ立っている。なぜすぐに座らないの? と見ていると、椅子の後ろに控えていた付き人のような若い黒人の男が、司教様の上着の裾をベロンと持ち上げ、司教様が美しく座るのを助けてあげるのだった。変なの。あんた、何様さ。あ、司教様か。





信仰心のない私は、いきなり始まった一連のミサ(?)の様子に、形骸化した宗教の腐敗臭をくんくん嗅ぎながらも、それはさておき、ステンドグラスの美しさに魅了された。





傾き始めた西日が丁度聖堂のメインのステンドグラスの一枚にまっすぐ当たって、その一枚だけが堂内でひときわ輝いていた。そのステンドグラスには、特に鮮明な赤色が多く使われており、夕陽を受けて、真紅に燃え立つように輝くのだ。そのため、聖堂の中央席の辺りがやけに赤々と明るく、薄暗い聖堂の中で浮き上がってみえる。





丘の上に聳える白亜の殿堂は、外では夕陽を受けて赤く染まり、中では夕陽を受けて真紅に輝き、荘厳な光の中で祈りをあげる美しい寺院であるよう、きっちり計算されているようだ。





宗教は実に光をうまく取り入れているもんだ。考えてみれば、我々人間は心の状態を“光度”(光具合?)で捉えているのではないか。「心の闇」と言ったり、「心に灯が点る」と言ったり、人を「明るい」「暗い」で分けてみたりする。心を明るく保つ「心の灯」を、常に持ち続けようとしているではないか? 何かがあって、心の灯が吹き消されてしまったりしたとき、人は教会に来て“もらい火”をするのかもしれない。教会は人々の心の種火どころなのかもしれない。





そう考えると、大した意味もないフレーズを繰り返すシスターも、渋面(じゅうめん)を作りながらでっぷり肥えた司教様も、人々を救う一役を担っている偉い人にさえ思えてくる。しばらく厳かなミサ曲に耳を傾け、少し居眠り。





教会を出ると、まだまだ明るい。遮るものが何もなく、丘からはパリの街が一望できる。見下ろせば小汚くさえ見える、ごちゃっとしたアパルトマンのその一室一室に、やがてその家族の灯が灯るのかと思うと、なんともいとおしい心持ちになる。





小さなパリを見下ろしながら、そのまま帰ろうとすると、丘を下る階段がまたもや下へ下へと続いている。足下にパリの街が広がる。目の前にパリの空が開けている。風を受けてそのまま飛び立てそうな心持ちになる。あらゆるものが自分の前に開けて感じる。丘の上の開け放たれた風景は、かくも心地よい。





人々はその階段に思い思いに腰を降ろして、パリを見下ろしている。その階段の踊り場では大道芸も始まっており、ストリートミュージシャンがレゲーからビートルズまで演奏してみせる。その曲に合わせて踊り出す爺様もいる。「お、爺さん、元気だね」と朗らかな手拍子が起こる。バケツにミネラルウォーターを冷やしながら売っている水売りは、たいていインド人であった。(こんな高い所まで、階段をのぼって水を運んでくるだけでも大したものだ。さぞ値段を吹っかけるのだろうね。) 蛇腹に繋がった葉書セットをビロンビロン揺すりながら売っているのもインド人。モンマルトルの物売りにインド人が多いのはなぜか?





モンマルトルは石畳みの道路の美しい丘である。観光客さえいなければ、どんなにか雰囲気のあるところであろうと思う。今回はちょっと人が多すぎて本来のモンマルトルではなかったような気がする。(……って、訪れたのは「今回」が「初めて」だし、「本来のモンマルトル」がいかなるものか、知りゃしないのだが。) 





少し歩けば、かの有名なキャバレー、「ムーランルージュ」もあるのだが、今行っても、観光客が溢れているのだろうし、入ろうにもべらぼうにお値段がお高いのだろうし、ロートレックがいるわけでなし、風邪気味で体調がすぐれない夫もヘトヘトな様子ので、「ムーランルージュ」は却下。





丘の階段をゆっくりくだりながら、パリの街までゆっくり降りていき、そのままどこも寄らず、ホテルに帰ったのであった。





ホテルの部屋の壁のランプは、電気の交換がされていた。スイッチを入れると無事に点灯した。しかし、ガラスの破片はそのままだ。絨毯に張り付いたガラスもそのままだ。ランプの縁にさえ大きなガラスの破片が小山になったまま残っている。電球を交換している最中だって、危なかったろうに? 一体「ランプの爆発」という恐ろしい出来事をどう考えているのだろう。





シーツの交換もされていない? いや、昨日の焦げ穴は見当たらない。換えてくれた? しかし、あれ? 小さな焦げ跡があるぞ? やはり換えていない? ホテルに帰ってきたとき、レセプショニストはもう何もランプのことに言及してこなかったが、チェックアウトするときになって何を言ってくるか分かったものじゃないぞ。頭が痛い事だ。夜、またいつランプが爆発するかと思うと気がきではない。


          つづく


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