2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ5日目。ボードレールの墓参りも済ませたら、曇っていた空から俄かに陽も射してきました。





part167 妻の目論見<夫の発令!








要約: モンパルナス大通りには、かつて錚々(そうそう)たる文化人、芸術家が屯していたという有名なカフェがいくつかある。で、そのうちの一つに入ってみた。(フランスのカフェは懲りていたはずなのに……。) またもやカフェで嫌~~~な目にあって、とうとう怒り心頭に達した夫は“カフェ立ち入り禁止令”を緊急発令したのであった。









墓守がしきりに落ち葉を掃いて回るモンパルナス墓地を後にし、次はモンパルナス大通りMontparnasse boulevardにある有名なカフェに行ってみることにした。





パリに入ってからこのかた、カフェでは嫌な目にばかり遭っている我々だが (part138,152参照) 、雲が切れて陽が射し始めた街はじりじりと暑いし、駅だ墓地だとさんざん歩き回ってきたので、喉もからからだ。





それに、サルトル、シャガール、モディリアニ! ピカソ、レーニン、トロツキー! ストラヴィンスキー、コクトー、ヘミングウェイ、アンドレ・ブルトンなどなど、錚々たる人々が 「常連」 だったとあっては、ちょっと覗いてみたいではないか。





ガイドブックに載っている有名なカフェは4つあった。藤田嗣治(ふじたつぐはる)、キスリング、ボナールなどが常連だったカフェにする? ヘミングウェイの 『陽はまた昇る』 の舞台になったカフェはどうよ? はたまた、ピカソ、ブラック、ブルトンが常連だったカフェなんてのもある。





結局、ミーハーだが (どれを選んでもミーハーだが) 、ボーヴォワールがその上階で生まれたと言う 「ラ・ロトンド」 というカフェに入ってみることにした。





ボーヴォワールは著書 『第二の性 le deuxième sexe』 で 「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ。On ne nait pas femme, on le devient.」 という名言を遺している。そんな彼女が生まれた所! 女としてではなく、女になることを宿命づけられた一個の人間として生まれた所。そう思うだけでじんわりと感動してしまう。





ボーヴォワールに思いを馳せつつ、女性の解放について、ついでに “妻の解放” について考察してみようではないか。 (夫はそんな妻の目論見など知らないので、 「ん~、どこでもいいよぉ? 」 と暢気なものだ。ふっふっふっ。さぁ、いざ、ラ・ロトンドへ!





しかし、通りを見渡すと 「ラ・ロトンド」 という店が2つもあるではないか。レストランとブラッスリーに分かれているようだ。ボーヴォワールが生まれたのはどっちだ? 店に入っていき、いきなり店員に 「旦那。ちょいとお聞きしやすが、ボーヴォワールが生まれたのはこの建物の上階で? 」 と聞くのもナンだ。





ま、つまるところ、どっちでもよいわぃ。レストランは高そうなので、ブラッスリーの方に入ってみた。





照りつけるパリの夏の陽射しの中で頂くのは、やはりマンタロー menthe à l’eauでしょう。ミント水。エメラルド色の液体。 (ミントリキュールを炭酸水で割ったものらしい。) ああ。ようやく本場のマンタローが飲めるのだ! わくわく。





店の外側に往来を向いて並んでいる、庇(ひさし)の下のテーブルについた。さてしかし、ギャルソンは沢山いて客は少ないのに、今回もなかなか注文を取りに来ない。呼びかけても、無視だ。





痺れを切らし振り向くと、店の奥の方にいた女性のギャルソンと目が合った。今度こそ! と、大きな声で呼んでみた。すると、彼女はちらと後ろにいる仲間を振り向いて何か言ってから、我々の後ろの方に立っていたギャルソン (こいつは声を掛けても聞こえない振りをして、頑なに我々の方を見ようともしなかった奴だ。) に向かって何か目配せをした。





すると、そのギャルソンがニヤニヤッと笑ってこちらを見た。そして……それだけだ。やはり一向誰も注文を取りに来ない。





我々のすぐ傍のテーブルには白人の若い女性が二人座っていたが、そちらの方には用もないのにしょっちゅう様子を窺いにのっぽのギャルソンが来る。しかし、その “のっぽギャルソン” は、声を掛けようと待ち構えている我々の方を敢えて見まいとするかのように、そのテーブルからくるっと回れ右して、向こうの方へ去って行ってしまう。もちろん、声を掛けたが完全無視だ。





ギャルソンによって担当するテーブルが決まっているという話も聞いたことがあるので、 “のっぽギャルソン” は我々のテーブルの担当ではないから我々を無視するのかもしれない……と、百歩譲って堪えてみる。





どのくらい待ったか、漸くうっかり(?)通りかかったギャルソンを捕まえて、やっとマンタローを注文をすることが出来た。





すぐに注文通りの品が運ばれてきた。想像通り鮮やかな緑色の美しい水である。どれどれ。げげげ。かなり甘い。かなり温い。しかし炭酸水がしゅわしゅわぴちぱちと心地よくはある……と思えなくもない。これなら私のお手製のマンタローの方がよほど美味しいぞ。まぁ、私のマンタローが本場に負けていないということがわかっただけでも、いいや。 ♡





いや、よくない!! なんだ、これは? グラスと一緒に置かれた請求書を見ると、またもや余計に請求されているではないか! 夫の頼んだビールはメニュー通り32フラン(550円)なのに、30フラン(510円)のはずのマンタローが36フラン(620円)になっているでないの! 「サービス料込み」 ともことわっていない。やれやれ。またか。





彼らはお金を受け取りにくるときは、呼んでもいないのにやってくる。そこで、例のごとく、 「この請求書には間違いがありますよ。」 と言うと、女ギャルソンは 「間違っていないわっ。」 と言い張る。





またも例のごとく、メニューを持ってくるように言うと、不機嫌そうにメニューを持ってきた。私が彼女の目の前でメニューを開き、値段を確認する。やはり 「マンタロー30フラン」 と書いてある。 「ほれ、ほれ。おみゃーさん、見てちょーよ。これだぎゃね。」 と言わんばかりに彼女にメニューを差し出す。 (何かクレームをつける時、心の中で名古屋便にすると、なんとなく元気が出てくる気がする。)





すると、彼女はメニューに目を落とすといきなり 「Aaaaahっっっっっっ! 」 と怒気のこもったどす黒い溜息を吐き出し (ディーゼルエンジンで動いているのか、あんたは? プシューッ! ) 、店の奥の方をきっと睨みつけた。 





この請求書を打ち出したギャルソンを呪っているのか。それとも我々のテーブルに行かせた同僚を恨んでいるのか。 





そして、再び私をぎっと睨む。 (な、な、なんで私が睨まれなくちゃならないの~っ?) ひとしきり睨んだら、私の目の前でメニューをバシンと閉じ、気おされている私にさらに留めを刺すように、拳(こぶし)を堅く握り締め、その拳をフンッとテーブルに振り下ろしたではないか。ドガッ! 思いっきり彼女の拳がテーブルを殴った。 (気合に満ちた一振り! 空手でもやってるんかい、あんたは? キェーッ! )





おいおい~、何をするんだ? この “空手ディーゼル女” は~? と息を飲む。見ると、彼女が殴り付けたのはテーブルに置いてある請求書だった。彼女は拳(こぶし)の下の請求書をグシャッと硬い音を立ててむしり取ると (握りつぶすと) 、何も言わず、思いっきりぷりぷり怒りながら奥へ引っ込んでいった。





……唖然としてしまった。どういうことなのか。何が起こったのだろうか。理解できない。怒りたいのはこちらだ。明らかに向こうのミスなのだから、一言こちらに謝って、メニューに記載してある通りの値段を請求書に打ち直せばいいことだろう? それなのに、今の態度はどーゆーこと?





“ディーゼル空手グシャッ女” はすぐに打ち直した請求書を持ってきた。お~お~。むすーっと蒸し過ぎた肉まんのような顔になっちゃってるぞ。どれどれ、そうそう。30フランね。メニュー通り。最初っからこう打ってきなさいよ。





さて、これほどひどいサービス (サーベツ?) を受けたからには、チップなどやらないっ! ってことで、きっちりメニュー通りの金額だけを支払ったのだった。





彼女は忌々しそうに62フランを掴んで店の奥へと引っ込むと、二度と外には出てこなかった。我々も早々に飲み物を平らげて忌々しいカフェを出たのであった。 ( 『第二の性』 について思い致すどころじゃない。 “妻の解放” どころじゃない。 「人権宣言」 に物申す事態だ!)






即興替え歌: ビビリまくりブー


(♪ビビデバビデブー♪)






やめて、よして、なぐらないで  


ビビリまくりブー


明細が違うの  ビビリまくりブー








悪いの~は、そっちなのよ  


ビビリまくりブー


素直に~直してよ ビビリまくりブー



  




メニュー見せて~ 値段確認~


  ほら、マンタローは、30で、明細違う~



 





パリ~なんて、カフェ~なんて、


ビビリまくりブー


人種差別し過ぎよ、ビビリまくりブー 


二度と来るか、ブー♪





ボーヴォワールやサルトルがかつて屯(たむろ)していようが、どんな芸術家にゆかりがあろうが、こんなカフェは最低だ! 





(後で冷静に考えたら、ガイドブックには 「この建物の上階でボーヴォワールは生まれた」 とは書いてあったが、 「常連」 さんは誰なのか、何も書いていなかった。ボーヴォワールとサルトルが常連さんだったに違いないとつい思い込んでいたが、どこにもそんなことは書いていなかったし、店のどこにもその形跡は特に見出せなかった。)





それにしても、どうしていつもいつも、カフェの奴らはボロウとするのだろうか。しかも、こちらがクレームを付けると全く小馬鹿にしたような目で人を見下ろし、聞き流そうとし、ごまかそうとする。こちらがしつこく食い下がって相手のミスを正すと、今度はいきなりむくれる。態度を荒げる。そして結局、金額を直す。一体フランス人て、何なんだ?





がっかりした気持ちで、それでもまだ諦めきれない私は、 「他のカフェに行けばよかったかね。カフェの選択を間違えたかな。」 と独りごちた。出来れば他のカフェに入って飲み直したいくらいなのだ。すると夫はくわっと目をひん剥いて、 「どこだって同じだよっ。もうたくさんだ。あいつらはとんでもないっ!」





あ、あ、あ。その目のひん剥き加減は、さっきの “ディーゼル空手グシャッ女” とそっくりだよ~。ああ。夫にも “モンパルナス腐れカフェ下等自縛霊” がついてしまった? 「もう一軒入ってみない? 」 とはさすがに言い出せず、潤い足りない喉をひりつかせて、黙々と歩いたのであった。ああ、モンパルナス通り。





再びモンパルナスタワーが見えてきた。 (注:モンパルナス墓地に行く前にも目にした。モンパルナスタワーが見えれば駅は目の前だ。) 近代的できれいなくせにどこか薄汚れた感じがする。 「時」 に磨かれていくのではなく、 「時」 が垢となってこびりついてきた……そんな感じ。私を見下していた “ディーゼル空手グシャッ女” とどこかあい通ずるものがあるタワーであった。





モンパルナスタワーの下まで来たとき、夫はにわかに立ち止まった。そして、やや顎を突き上げ、判決を下す裁判長のような厳粛な顔付きをして、いきなり 「カフェ禁止令」 を発令した。 「もーっ、絶対、パリでカフェには入らないからねっ! 」 ……だそうだ。さっきから黙々とあなた、そんなことを決心していたんかい……。





カフェは確かに腹立たしいが、なんとか他のそこそこ感じのいいカフェを見つけて飲み直したい。しばらく歩いていれば夫の怒りも鎮まるだろう。その頃合を見計らって、もう一度カフェでお茶しようという目論見が、グシャッと明細書のように握り潰された気がした妻なのであった……。


            つづく


             前へ
            次へ



Copyright © 2005 Chanti coco. All Rights Reserved.






















AD

2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ5日目。モンパルナス墓地を散策し、サルトル、ボーヴォワール、デュラスの墓などは見つけました。いよいよ再びボードレール探しです。







part166 モンパルナス・サンチエール(墓地)③


   刻まれた家族事情





要約: 今度はすぐにボードレールの墓を見つけることができた。墓石には一面文字が彫り付けてあり、それを読むうちにボードレールの私生活にまで興味が湧き始めたのであった。墓参りは楽しい。









さて、地図に記された●印と実際の位置との感覚も掴めたので、改めてボードレールの墓を探しに戻った。すると今度はすんなり見つかった。何のことはない、6区画の通路に面した所にあったのだ。先ほど何度も行き来した所だ。 ( 「ある」 と確信して探せば見つかるもんだなぁ。疑う心が心の眼を閉ざすのかもしれない……。)





縦長の台形の石版が四角い台座の上に立てられていた。大理石の一種なのか、白く滑らかな肌合いだ。しかもただの石版ではなく、最上部はちょっと王冠のような形に仕上げられ、紋章のようなものさえ入っている。手前には鉢植えがいくつか供えられている。





特に大きな鉢植えでは、その中で草原を再現させようとしたのだろうか、さまざまな草が勢い生い茂り、花を咲かせている。まるで小さな箱庭のようだ。この鉢植えばかりは、誰かが常に水を遣るのかもしれない。





墓が予想外に小ぶり (一メートル数十センチほど) な上に、墓石の一番上に刻まれている名前が違う人のものだったので、見過ごしていたのだ。よくよく見ると、石の面一杯に彫り込まれた文字群の真中辺りに、シャルル・ボードレールCHARLES BAUDELAIREという名を発見!





なになに、 「シャルル・ボードレール」――「彼の美しい息子son beau fils、1867年、8月31日、46歳で、パリにて死す」 とある。が、それしかない。大詩人ボードレールの詩の一行さえ刻まれてはいない。





「彼の美しい息子」? 何のこっちゃ? ボードレールが誰の子供だというの?  「彼の息子」 だということがそんなに大事なことなの? それともボードレールの息子の話?





腑に落ちないので、ボードレールの名前の上に位置し、墓石の一番上に刻まれているジャック・オピックJACQUES AUPICK なる人物の説明を読んでみた。





ファミリーネームがボードレールと違うよね。変なの。しかし、墓石のほとんど半分はその人物の説明に費やされている。どれどれ。


 


「ジャック・オピック」 …… 「師団長、元老院(上院)、コンスタンチノープルとマドリッドの元大使」ぃ? ( GÉNÉRAL DE DIVISION, SÉNATEUR, ANCIEN AMBASSADEUR À CONSTANTINOPLE ET À MADRID.) オリンピックになりそびれたような妙な名前なのに、相当な地位のお方のようだ。





その下にもまだまだなにやら偉そうな肩書きがずらりと続いている。レジョンドヌール (注: ナポレオン1世によって制定されたフランスの最高勲章で、軍事上、文化上の功労者に与えられる名誉なもの。) のオフィサーでもあったらしい。( MEMBRE DU CONSEIL GÉNÉRAL DU DÉPT DU NORD. GRAND OFFICIER DE L’ORDRE IMPÉRIAL DE LA LÉGION D’HONNEUR……《後略》. )





10行にも及ぶオピックの肩書きは彼の没年時で締め括られていた。そして、次の行にシャルル・ボードレールの名前が彫られているのである。





シャルル・ボードレールの説明は 「彼の美しい息子」 とあるのみ。没年時と没した場所だけが刻まれているだけ。たったの2行で終わっている。こうして読んでくると、 「彼の美しい息子」 とは、 “ボードレールがオピックの息子である” ことを意味しているらしいとわかってきた。





ボードレールの次には、再びボードレールとは違う名前や説明が彫り込まれている。いったいこの墓には何人入っているの? と面食らう。





しかし、これもよくよく読むと、全部ボードレールの母上の説明であることがわかった。





「カロリーヌ・アルシェンボー・デファイエ」――「ジョセフ・フランソワ・ボードレール氏と最初の結婚」 、 「師団長オピック氏と2度目の結婚」 、 「そして、シャルル・ボードレールの母」 とある。


CAROLINE ARCHENBAUT DEFAYES,


VENUE EN PREMIÈRES NOCES DE M.R JOSEPH FRANÇOIS BEAUDLAIRE


EN SECONDES NOCES


DE M.R LE GÉNÉRAL AUPICK


ET MÈRE DE CHARLES BAUDLAIRE





つまり 「ボードレール」 の姓は母の最初の夫のものだ? あれ? じゃ、ボードレールは最初の夫の子供なのか? で、母親が再婚しても改姓しなかったということか? あれ? 母の姓も違う。父・母・子、三者三様の苗字だ。うーん。フランスの苗字の継ぎ方はどうなっているのだろう? 





ボードレールの私生活なんて今までさほど興味なかったけれど、日本に帰ったら調べてみよう。ボードレールの子供の頃は、時代的に “子沢山” が当たり前の時代のはずだが、兄弟姉妹はいなかったのかな? (注:いまだに調べていない。あちゃーっ! )





結局、墓石の一番上に刻まれているジャック・オピックJACQUES AUPICK なる人物はボードレールの父上ということなのだ。オピックと、その息子のシャルル・ボードレール、そしてその妻にしてボードレールの母、カロリーヌの順で、それぞれ刻まれているのである。亡くなった順でもある。





一つの墓石に3人もの人が眠っているなんて、この墓地の中では珍しいことかもしれない。ここの墓地では個人の墓の方が多いように見受けられる。





欧米では墓石は基本的に一人に一個という考え方なのだろうか。日本では墓石一基に一家族という場合が多い。銘だって、「○○家之墓」と彫り込まれるのが一般的だろう。





日本だって、有名な人、地位のある人の墓石には、その故人の個人名が彫り込まれているけれど、かならず同じ敷地内に格を落とした墓石で、家族、一族の墓があるじゃないか。妻の分の墓などなくて、妻の名前だけが夫の墓石の裏側にひっそりと彫り込まれている……なんて墓もある。





やはり日本は 「家」 主義、フランスは 「個人主義」 ということか。社会理念の違い、個人を支えている基盤の違いが、ああ、墓石にも現れているということか。





しかしそれにしても、何度結婚しようが、余計なお世話だ。そんなこと、墓石に彫り込むか? 





冷やかし半分に墓参りしたからどうということもないのだが、墓を見ると、その人の最期を見届けたような気になるから不思議である。とりあえず、アーメン……と言いつつ、合掌をする私であった。


        つづく


     前へ
     次へ


<番外編「son beau fils 彼の美しい息子」の真実> へ





Copyright © 2005 Chanti coco. All Rights Reserved.














AD

2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ5日目。モンパルナス墓地の裏口の門をくぐって一歩入ったところです。さてさて、大好きな墓探しを始めます。





part165 モンパルナス・サンチエール(墓地)②ボードレールを探せ!








要約: 墓守爺さんから墓の地図をもらい、いよいよ墓参り開始。しかしボードレールの墓はなかなか見つからない。いつしか現れた他の観光客もボードレールを探しているが、誰も見つけることができない。一旦諦めて、とりあえず、サルトル、ボーヴォワール、デュラスの墓参りを先に済ませたのだった。









裏門から一歩入った脇の所に小さな守衛小屋があった。我々の姿を認めるや、守衛の爺さんがゆらりと出てきて、我々に墓地の地図をくれた。今我々がどの出入り口にいるのか、地図の東西南北はどうなっているのか、ちょちょいと地図に書き込んでくれる。おお。親切な守衛さん。





小柄で痩せた体は、やや腰が曲がっている。深い皺を刻みつけた顔は土気色だ。終始俯(うつむ)きがちだが、弱々しいという感じでもない。ひとたびシャベルを手にしたら、昔取った杵柄とばかり 「墓掘り人」 に戻って、ザクザク、ガッガと地面を掘り起こしそうだ。墓守(はかもり)として抜群の雰囲気を醸し出している。





我々が地図を受け取り、礼を言うと、墓守爺さんは俯いたままほんの少し笑うように口元を緩め、そのまますーっと背後の墓石に吸い込まれていった!? ……と思われるほどの引き方で、再び守衛小屋にフェイドアウトしたのだった。お、お、あ、ありがとう、守衛さん。 (数メートル進んでから、そっと守衛小屋を振り返ってみたのは言うまでもない。守衛小屋に爺さんは確かに実在していた。安心して墓参りを始めた。)





B5サイズの “墓マップ” には、びっしりと葬られている人の名前が挙げられていた。ボードレールやサルトル、ボーヴォワールはもちろん、なになに、マン・レイ! イオネスコ! サン・サーンス! モーパッサン! モーリヤック! …… すごいっ! 有名人が目白押しである。なんと、マルグリット・デュラスの墓もある! これは神様のお導きか? (注:私はM.デュラスに特別の思い入れがあるので。)





I.C.Pascalって、あのパスカルか? ほえぇぇ。 (追記:「人間は……考える葦である」 のフレーズで有名なパスカルは、しかし、Blaise Pascalブレーズ・パスカルで、この墓のパスカルさんは別人のようだ。) Sainte Beuveって、あの 「象牙の塔」 のサント・ブーブ? はぁぁぁ。Citroenって、もしかして、あのフランス車シトロエンを作った人ってこと? へぇぇぇ? 地図に記された名前を見ているだけで十分楽しめるのであった。 (意味のない興奮ではある……。) 





しかし、後はほとんど、聞いたこともない名前やどこかで聞いた事があるような名前ばかり。どれどれ、まずはボードレールをお参りしましょ。地図によれば、入り口からまっすぐ延びている道をそのまま行けば、その道沿いにあるはずだ。


 


地図通り、No.6区画まで来たが、はて、ボードレールの墓が見当たらない。地図によれば通路沿いにあるはずなのだが、実は少し区画の中に入った所なのだろうか? 地図では、墓を示す●印が四角い区画の中にぽつぽつと大雑把に打たれているだけなので、求める墓が区画の中のどこら辺なのか、正確な場所はわかりにくい。見当をつけて探さなくてはならないのだった。





西欧の墓は十字架が立ち並んでいると思いきや、1m四方、高さ2mほどのコンクリートの直方体に屋根と小窓が付いている小さな家のようなもの、畳1畳ほどもある大きな石版を横に寝かせたシンプルなスタイルのものがほとんどだった。





多くは陶器の花で墓石を飾ってあったり、メッセージが書き込まれた写真立てのようなものが幾つも墓石の上に乗っていたり、ベゴニアなどの鉢植えが墓石の回りに並べられていたりと、シンプルな中にも色々趣向を凝らしているのであった。





中には、相当古いのか、石材の質が悪いのか、飾りも名前の彫り込みも摩滅してしまっている墓石もある。苔むしてぼろぼろになったコンクリートの残骸のような墓もあった。この古さ……もしかしてこれか? しかし、ボードレールの墓がそんなボロボロカスカスなはずはなかろう。天下の大詩人ともなると、相当大きくて立派な墓にちがいない! と探すのだが、ない。





ないぞ、ないぞ? と6区画をうろうろしていると、いつの間にやってきたのか、墓参りの人が6~7人現れた。観光客らしい。同じ第6区画をうろうろしている。彼らも我々と同じようにボードレールの墓を探しているのだった。みんなで同じような所をうろうろ、うろうろ。





区画の中には小道がなく、足を踏み入れるのが憚られる。が、誰かが意を決したように奥まった所まで踏み込んでいって、奥の墓石に刻まれた細かい文字に目を凝らす。 





「それなのか? 」 と、皆でその人の様子を窺う。その人は墓石から目を離すと、 「違ったよ」 ってな仕草をさりげなくして見せる。見守っていた我々は、ああ、残念だったね、ってな苦笑いを返す。





妙な連帯感を放出しながら、皆で手分けしてボードレール探しをする形になった。しかし、誰も見つけられない。やがて、諦めて一人去り、二人去り、 “連帯” は自然消滅したのだった。





我々ももっとわかりやすい他の墓を探してみて、まず墓石の位置と地図の記入具合を把握することにした。ボードレールは後回しだ。まだ執拗に探し続ける人に特に別れを言うわけでもなく、その場を去った。





とりあえず、墓地の “メイン入り口” のすぐ傍にあって、目につきやすそうなサルトルとボーヴォワールの墓を探すことにした。案の定すぐに見つかった。





横になった大きな墓石の上にさらに銘の入った石が建てられており、そこに 「サルトル」 「ボーヴォワール」 と二人の名前が並べて彫り込まれている。墓石の上には、ファンが供えるのか、アザレアと思われる真っ赤な蕾をつけた鉢植えと小さな白いメモ用紙1枚 (メモの “走り書き” は解読不能だった) 、小石が少々 (小石を乗せるのにどういう意味があるのだろう? )、それに切花が数本置かれていた。





切花は一掴みをそのままそっと置いたという感じ。包装もなければ、リボンやゴムで束ねてもいない。茶色く枯れるというより、花びらの美しい色を保ちながら乾いてドライフラワーになりかけていた。こうした無造作なまでのさりげない花の置き方がとてもよいね。





さらに少し先に行くと、マルグリット・デュラスの墓も見つかった。デュラスの墓はいかにも質素で、まず目についたのが、墓石の側面に彫り込まれた 「M.D.」 という頭文字。これだけか? と慌てて真っ平らな石の表面を見やると、ささやくように控えめにフルネームが彫り付けてあった。





訪れる人もいないのか、墓の上に置かれたたった一つの鉢植えは、何と言う植物だったのか、燃え盛る炎のような形をしていて、そのまま燃え尽きたように茶色くカラカラに枯れていた。それも彼女らしい。棺の中に納まったって、 「花よりタバコを頂戴。」 とか言っていそうだ。





ところで、ここモンパルナス墓地では、切花は日本のように花瓶に活けられてはおらず、墓石の上にそのまま置かれている。そうだ! 花瓶が付いている墓って、日本だけではないか? まるで墓場でさえ “活け花” をするように、水をやって、花の位置を考えて供えるということは日本だけの文化じゃないか? 





アメリカやカナダなどでは、確か花をリース(wreath:花輪、花冠。)にして墓に飾っていたはずだ。あれも花を水につけない供え方だ。





(追記: この数ヶ月後に訪れたプラハのユダヤ人墓地でも、花を差し入れられそうな花瓶などはなかった。また、以前旅をしたマレーシアのマラッカにある墓でも、そうしたものはなかったように記憶している。最近旅したヴェトナムのハノイの墓は遠目からだったが、やはり花など一輪も目にしなかった。)





それに、墓石に水をかけて手でごしごしときれいに掃除したり、仕上げに再び水をかけて墓石にひとっ風呂浴びてもらったように感じるのは、日本だけではないか? (あれ? もしかして、私だけか? ) 





そういえばアジアでは寺院をたくさん周ったが、 「墓地」 を見たという記憶がない。えらい仏様が眠っているという室はどこかの寺院にあったようにも思うが、一般人の墓は、記憶にないぞ。私としたことが!





とにかく、墓石の脇に花瓶など作って花を活けても、結局1週間もしないうちに花は枯れるのだから、端(はな)から水などやらなければいいんじゃないか? そうすれば、花瓶に付着した苔だか黴だかわからない緑色のぬるぬるを掃除する手間も省けるというものだ。おまけに蚊も繁殖しないというものだ。無造作に束ねた花をそっと墓石に置く、というフランススタイル (or 欧米式?) の方が合理的でおしゃれな気がする。





しかし、墓の供え物の花まで色合いを考えたり、バランスを考えたり、少しでも美しく咲かせておこうとする心配りは、死者に対する細やかな弔いの心の現われでもあるのではないだろうか。





水を墓石にかけるという行為は、単に墓石を洗うというより、そこに清めの意味合いを我々日本人は感じてしていることなのかもしれない。 (あれ? 私だけ? ) ……どーなんでしょ? 


          つづく


       前へ
     次へ





Copyright © 2005 Chanti coco. All Rights Reserved.


2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ5日目。国鉄モンパルナス駅でなんとか次の目的地レンヌ行きのチケットを購入しました。これでゆっくりモンパルナスを散策できます。





part164 モンパルナス・サンチエール(墓地)①


   ―モンパルナス的確信?





要約: 残りの時間は、モンパルナスを楽しむことにした。まずは文豪たちに敬意を表し、モンパルナス墓地で墓参りだ。モンパルナス駅からすぐ近くの丘にあるモンパルナス墓地まで、地図を頼りに向かう。途中、夫の“モンパルナス的確信”に導かれながら、ようやく小さな門に辿り着き、モンパルナス墓地に一歩を踏み入れたのだった。









今日は折角モンパルナスに来たのだから、モンパルナス・サンチエール(墓地)へ行ってみることにした。





私は旅先での墓参りが大好き。ところが夫は墓参りの面白さを解さない。辛気臭いことが大嫌いな彼は 「墓地なんぞに、なんで行かにゃならんの? 」 と蛙でも踏んづけたような顔、いや、踏んづけられた蛙のような顔をした。





が、 「だって、ボードレールの墓があるんだよ。サルトルボーヴォワールも眠っているのだよ~」 と言うと、 「え? そうなの? ふぅん。それはそれは。 ……早く言ってよ、そういう事は。じゃ~、行こうかっ! 」 と、いきなり態度を変えやがった。





墓地はモンパルナス駅の東側。近くの丘の上にあるらしい。駅舎を出ると円形の広場になっていて、大きな道路が四方八方に延びている。 「モンパルナスタワー」 という超高層ビルが向こうにどんと聳えて我々を見下ろしていた。





アスファルトでコーティングされた大通りは、車が猛スピードで行き交っている。目につく建物も、近代的なようでいてどこか寂れたような、うそ寒い感じがする。 





「モンパルナス Montparnasse 」 という地名はとても美しい響きだ。 駅舎を出て目の前に広がる街の風景は、さぞ 「古きよきパリ! 」 という感じなのだろうと思っていたので、ちょっと面食らう。





駅舎の東側に出てみたものの、一口に東といっても広い。北寄り? 南寄り? どの道を行ったらよいのだろう? 今日はもう迷うのは勘弁願いたい。手っ取り早く、通りがかった人に墓地への道を尋ねてみた。





しかし、意外にも現地の人はモンパルナス墓地がどこにあるか知らないのだった。 「ボードレールの墓などがある墓地ですよ。」 と言うと、 「え? そうなの? 」 と逆に驚かれた。





(昔、伊豆の下田で 「唐人お吉」 の墓を探した時も、地元の人はその場所を知らなかった。 「唐人お吉」 の名前さえ知らない人が多かった。現地の人にとっては有名人だろうと、他人の墓地など知ったこっちゃないのだろうか。あるいは、巨大な 「モンパルナス駅」 前辺りを歩いている人は 「現地の人」 ではないのかもしれない。)





仕方がない。地図を頼りに見当をつけて歩いて行く。車がビュンビュン行き交う通りに沿って歩いていると、 「はたしてこの先に目指す墓はあるのか? 」 と不安になる。





思わず、 「こっちでよかったのかなぁ。(私は) 間違えたかもしれない? 」 と今日初めての弱音を吐いた。すると、今までは 「どこがどこだか、僕、わからな~い。僕、関係な~い♪ 」 って顔していた夫が、 「大丈夫っ。この道だっ! 」 と、いきなり断言するじゃないの。





何? どうしたの、あなた? 地図も見てもいないのに、どーしてそんな確信が持てるの? ほとんど “モンパルナスの神(怨霊?)” が降りてきたようだよ? 





ま、まぁ、いいや。あなたがそう言うなら、このままこの道を進みましょう。 ( “確信の理由” を尋ねるのも面倒くさいほど、今私は疲れているのよ。)





しばらく行くと大通りから分かれて細い脇道があったので、 「こっちじゃないかな? ちょっと坂になっているし……。」 と入っいってみた。夫は何も言わず 「どっちでもい~んじゃない? 」 てな顔をして相変わらず澄まして付いてくる。





しばらく歩いてもただ灰色のアルファルト道。やはり不安になってきて、「やっぱり間違えたかな? 」 とぼやくと、夫は 「いーや。こっちでいいんだよっ。大丈夫。」 とまたも断言。





一体何があなたにそんな確信を持たせるの? それとも単に、引き返すのが面倒なだけ? ま、まぁ、いいや。あなたがそう言うなら、もう少し先に行ってみましょう。 





(追記: 後日、夫にこの日の 「確信」 の理由を尋ねたところ、 「ん~、よく覚えていないけど、何もなくても確信が持てるときって、あるよね? そういうことだったのかもしれないね。」 ……だそうだ。全くの勘だったんかいっ! )





さらにしばらく行くと、木々の緑も眼につくようになって、少し雰囲気が出てきた。道も勾配が増してきて、おお、丘へ向かっている?





やがて、我々がさっきから塀沿いに坂を上っていることに気づいた。色を失ったような塀だ。案の定、その塀の向こうがモンパルナスの墓地であった。





ようやく現れた小さな門をくぐる。随分寂しい入り口だ。 (……と思ったら、それもそのはず、そこはまさしく墓地の正面入り口とは真逆の 「裏口」 だった。)





敷地に足を踏み入れる。……妙に静かだ。アスファルトで舗装された通路がきれいに延びている。整然と区画整理されていて、大きな木々もぽつぽつと墓を邪魔しない程度に脇に寄って葉を茂らせている。





誰もいない。空が曇っているせいだろうか、余計にしんと静まり返っているようだ。整然としていて、広々とした感じは、日本の雑司が谷墓地に似ている。 (しかし、雑司が谷墓地の方が一枚上手だ! と私は思う。)








追記:「雑司が谷墓地」 について少々脱線して補足説明を。


 


雑司が谷墓地=東京、雑司が谷にある広大な墓地。夏目漱石、ラフカディオ・ハーン、泉鏡花、荻野吟子(おぎのぎんこ:国家公認の医師免許を取得した日本初の女医) 、ジョン・万次郎、竹久夢二、 (やや記憶が曖昧だが) ……その他多くの錚々(そうそう)たる有名人が眠っている。





数多く植えられている巨大な落葉樹が四季の彩りを添えて、区画整理されたその敷地内は広々していて美しい。





しかし、近年よくある 「○○霊園」 などに見られるような、清潔で無駄がないけれども取り付く島もないような、四角四面の墓地とは違う。きっちり整備され切っていない区画もあったりするところがご愛嬌だ。





多種多様な墓が並んでおり、軍事基地を思わせるような堅牢な墓もあれば、ごく平凡な墓も、かなり質素な墓もある。十字架もある。まるで墓石の展覧会だ。そのくせ、古びた墓石そのものが醸し出す味わいのためか、全体、穏やかで粛々としている。





墓地内は空が明るく開けて、秋の晴天ともなれば、涼やかな風に、黄金色に染まった木々の葉がまばゆく輝き揺れて、散歩にはもってこいだ。空高く、うろこ雲の彼方へ魂が昇っていくような心持ちになる。





墓石は気持ちよさげに秋の陽を受けている。乾いた墓石に温もりさえ感じる。一方、こんもりと茂った背の低い常緑樹の垣は暗く湿って、その暗がりに隠れるようにして建てられている墓もある。つまり、暗さを抱えながら全体的に明るく開放的なすてきな墓地なのである。








雑司が谷墓地は、 “広々とした雑木林の中に墓がある” という感じで、本当に空と木々と墓と空間とを同時に楽しめる。 「自然との融合」 なんて言葉を思い起こさせる日本を代表する墓地であり、他国の墓地に勝るとも劣らないものなのである。 (と言っても、他国の墓地に精通しているわけでは全然ないが、夫同様、何の脈絡もなく確信しちゃうことって……あるよね。)





しかし、モンパルナス墓地は、青々とした木々に隙間なく囲まれているとはいえ、よく見ると、それは塀の外側の並木の緑であり、墓の中から眺めると、砂色の塀の上に緑の目隠しを立てかけているみたいだ。墓地内はというと、塀に沿ってぽつりぽつりと木が植えられており、圧倒的に立ち木の数は少ない。全体的に、天井のない、墓石の陳列倉庫って感じ?





敷地の中ほどには、切り倒されたらしい、恐ろしく巨大な干からびた切り株があり、高さ2mほどの木の塊となって遺されている。まるでオブジェのように、木の死骸のように、墓そのもののように……。これはこれで見ごたえのあるものではある。





しかし相対的にみて雑司が谷墓地は、散歩に適した心鎮まる空間である点で、モンパルナス墓地より数倍スグレモノである! ……と確信しても、モンパルナス的に許されるよね。





                  つづく


               前へ
    次へ





Copyright © 2005 Chanti coco. All Rights Reserved.